4月20日(水)曇
昨日、今日と寒いです。寒さ暑さも彼岸までと言って3月の彼岸を過ぎればだんだんと暖かくなって行くはずでしたが、もうすぐ5月と言うこの時期になっても暑くなったり寒くなったりです。今日は24節季の「穀雨」です。穀物を育てるのに適した暖かい雨が降る時期のはずですが、もう少しかかりそうです。そう言えば桜があっという間に散って名古屋のセントラル公園も若葉の緑にすっかり変わっていました。そう言う意味ではまちがいなく暖かくなっているのですね。
今日は儒教の5経の一つ「礼記」に出てくる言葉、「玉琢(みが)かざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らず。」について一言。意味は読んだ通りの当たり前の名言です。ここで人が何を学ぶかが問題です。学校で数学や物理や英語を習うことがここで言う学ぶことになるのでしょうか?もちろん学校で習う教科は必要ですが、僕らが学校で受けている教育は産業革命以降人間が発見、発明した知識であります。これらの学識は人間社会の基本的な枠組みの中では意味があると言うか衣食住と言った基本的環境が整った社会でしか通用しないような気がします。これらと並行して人間が生きて行くための根源となる知恵や考え方を学ぶ場が現代においては消滅してしまったような気がします。人間は生きて行くために、食べ物を採集したり、作る知恵を太古の昔から考え工夫してきました。住む家や身に付ける衣服もいろいろ編み出してきました。そして集落での社会的秩序を作ってきたわけです。しかるに現代においてはこれらの根源的な知恵を自ら学ぶことなく、当たり前のこととしてその上に巨大な文明なるものを築いています。言ってみれば砂上の楼閣のようなもので、ひとたび壊れてしまえば原始時代に逆戻りです。これからの世代の人達に学んでほしいことは人間が生きて来た古来からの知恵の継承です。今日の科学技術を学ぶのはそのあとでも充分だと思います。他人や工場に頼らずに、自分達だけで生きていける知恵を学ぶ機会を作ってあげたいと僕は最近強く思うようになりました。勝手に「自然塾」と言ってますが、僕達の身近にあるものを使って生きる知恵を学び、共同作業の中で人としての在り方を学ぶ場のことです。別に僕がその道の達人でもありませんがヨットの仲間や昔の山の仲間といっしょにいると何かできそうな気もします。そんなところから今までと違った新しい考え方や知恵が出てくるような気がしてなりません。学ぶべきことを変える学校があっても良いような気がしますが、多分文部科学省が認めてくれないかもしれませんね。権威を持ったところが硬直化するとあまり良い方向には行かないのは過去の歴史が証明しています。
ヨットやゴルフにうつつを抜かしている人間が余計なひと言でした。それでは。