”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2011年04月20日 21時22分25秒 | Weblog

 

4月20日(水)曇

昨日、今日と寒いです。寒さ暑さも彼岸までと言って3月の彼岸を過ぎればだんだんと暖かくなって行くはずでしたが、もうすぐ5月と言うこの時期になっても暑くなったり寒くなったりです。今日は24節季の「穀雨」です。穀物を育てるのに適した暖かい雨が降る時期のはずですが、もう少しかかりそうです。そう言えば桜があっという間に散って名古屋のセントラル公園も若葉の緑にすっかり変わっていました。そう言う意味ではまちがいなく暖かくなっているのですね。

今日は儒教の5経の一つ「礼記」に出てくる言葉、「玉琢(みが)かざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らず。」について一言。意味は読んだ通りの当たり前の名言です。ここで人が何を学ぶかが問題です。学校で数学や物理や英語を習うことがここで言う学ぶことになるのでしょうか?もちろん学校で習う教科は必要ですが、僕らが学校で受けている教育は産業革命以降人間が発見、発明した知識であります。これらの学識は人間社会の基本的な枠組みの中では意味があると言うか衣食住と言った基本的環境が整った社会でしか通用しないような気がします。これらと並行して人間が生きて行くための根源となる知恵や考え方を学ぶ場が現代においては消滅してしまったような気がします。人間は生きて行くために、食べ物を採集したり、作る知恵を太古の昔から考え工夫してきました。住む家や身に付ける衣服もいろいろ編み出してきました。そして集落での社会的秩序を作ってきたわけです。しかるに現代においてはこれらの根源的な知恵を自ら学ぶことなく、当たり前のこととしてその上に巨大な文明なるものを築いています。言ってみれば砂上の楼閣のようなもので、ひとたび壊れてしまえば原始時代に逆戻りです。これからの世代の人達に学んでほしいことは人間が生きて来た古来からの知恵の継承です。今日の科学技術を学ぶのはそのあとでも充分だと思います。他人や工場に頼らずに、自分達だけで生きていける知恵を学ぶ機会を作ってあげたいと僕は最近強く思うようになりました。勝手に「自然塾」と言ってますが、僕達の身近にあるものを使って生きる知恵を学び、共同作業の中で人としての在り方を学ぶ場のことです。別に僕がその道の達人でもありませんがヨットの仲間や昔の山の仲間といっしょにいると何かできそうな気もします。そんなところから今までと違った新しい考え方や知恵が出てくるような気がしてなりません。学ぶべきことを変える学校があっても良いような気がしますが、多分文部科学省が認めてくれないかもしれませんね。権威を持ったところが硬直化するとあまり良い方向には行かないのは過去の歴史が証明しています。

ヨットやゴルフにうつつを抜かしている人間が余計なひと言でした。それでは。


しんさんのよもやま話

2011年04月19日 22時20分00秒 | Weblog

 

4月19日(火)曇時々雨

こんばんわ。今日は会社の飲み会でした。このところ飲み会と言うと焼き肉ばかりで、いつも食べ過ぎです。嫌いではないのでつい食べ過ぎてしまいます。そしてたばこの吸い過ぎになってしまいます。まぁ週に1回のペースなので丁度よいかもしれません。最近は2次会がめっきり少なくなったのも年相応です。

ところで世間では騒がれていませんが、今月に入ってたばこの品切ればかりで毎日銘柄の違うたばこを吸っています。たばこを害毒のように言う人が多くなったせいか、メディアも取り上げません。まぁそれはそれで良いのですが、愛煙家にとっては困ったものです。たばこを吸う場所もどんどん狭まっていることですし、おまけに品薄なのですから嫌煙家にとっては喜ばしいかぎりかもしれません。
ただ昨今の喫煙に対する世の中の反応はちょっと異常のような気がしています。健康志向なのは良くわかりますが、地球が無菌状態になるわけでもないし、人間の寿命が大きく変わる訳でもありません。細菌による病気がほとんどなくなったら、ウィルスによる感染病が脅威になってきます。自然界は人間だけが生存している訳ではないので、何かを克服しても次の何かが発生してくる訳ですからあまり神経質にならない方が良いのかもしれません。これはダメ、あれはダメとやっていくと種は滅亡の道を歩むしかないかもしれません。所詮人間の力で自然をコントロールできない以上、地球に無菌室を作るような愚行は避けた方が良いと思います。例が悪くてヒンシュクを買いそうですが、言いたかったことは、人間の猿知恵で管理社会を強化することは人間の未来にとってほんとうに良いだろうかと言う疑問です。頭の良い学者さんが考えた安全神話も想定外ばかりで崩れてしまっている現在、科学万能主義は見直す必要がありそうです。科学万能主義が行き詰るとオウムのような変な宗教と結びつきやすくなる危険性があります。そうならないためにはソクラテス、アリストテレス、孔子、孟子、・・・と言った哲学的な思考がもう一方で復活する必要があるのかもしれません。

中々うまく表現できませんでした。僕の限界を超えた議論をしてしまいました。もう少し良く考えてからするべき内容でしたね。おやすみ。


しんさんのよもやま話

2011年04月18日 21時03分59秒 | Weblog

4月18日(月)晴のち雨

夕方はかなり強い雨になりました。先週末の雨から自転車を地下鉄の駅の駐輪場に置いたままなので、歩いての通勤が続ききます。今夕も雨のため明日の朝もまた歩きです。健康やダイエットのためには良いのですが、自転車の便利さに慣れてしまうと歩くのが億劫です。この数十年の間に我々は車や地下鉄など便利な乗り物に慣れてしまい歩くことを忘れてしまったようです。おかげで移動時間をずいぶん節約してきましたが、これらの節約できた時間が僕らの成長なり、何かに役立ってきたのかと考えるとどうなのでしょうか?ただ単に物事のサイクルを早くしただけで、精神的にはむしろマイナスになっているのかもしれません。

ところで車と言えば今日、通学途中の子供たちがクレーン車に轢かれると言う痛ましい事故がありました。常識的には考えられないクレーン車の動きに憤りを感じています。中央分離帯のポールをなぎ倒して反対車線の右端を歩いている子供たちの列に突っ込んで行ったようです。しかも会社を出て700m先でこんな事故を起こすなんて普通では考えられないことです。運転手がどんな状態だったかわかりませんが、もし二日酔いとか寝不足状態だったら運転手はもちろんですが会社側にも責任がありそうです。今年の4月から運送会社ではアルコールチェックなどが義務付けられたはずなのですが土建屋さんは対象外なのかもしれません。でも僕らが日常生活の中で一番恐いと思うのは土建屋さんのダンプや重機車両です。日本で一番多い会社は土木・建設業だと言われています。そして一番乱暴な運転をしているのも、一番きたない車なのも、申し訳ないけど土建業の車です。工事現場には必要な車ではありますが、もう少しなんとかならないものでしょうか?自分が道路を走る時、一番腹が立つのは土建業の車です。だから今回の事故には余計腹が立ちます。急な追い越し、真っ黒な排煙、車間距離をつめた運転、いつも恐い思いをしているので、厳しく取り締まってほしいものです。

ちなみに海の上での無法者は漁船です。こっちは生活かかってんだーとばかりにレジャーボートは怒鳴られてばかりです。漁業大国の日本でしかありえない光景です。だから日本ではマリンスポーツは普及しません。至る所に網を仕掛けて、引っ掛けたら大変なことになります。僕は網など引っ掛けたことはありませんが保障が大変なので一応保険に入っています。


真面目にやっている土建業や漁業の方々もたくさんいるとは思いますが、自分の経験では陸の土建屋さん、海の漁師さんは一番恐い存在です。
今日はここまでです。


しんさんのよもやま話

2011年04月17日 18時10分09秒 | Weblog

4月17日(日)晴のち曇

久しぶりに寝坊をしてしまいました。気がついたら8時半になってました。いつもは早朝に風呂を沸かして入るのが日課ですが、風呂に湯を入れたあと少し横になったらそのまま寝てしまい、あとから起きて来た家内に湯を抜かれてしまい結局入れませんでした。あとは溜まった録画番組を3本も見ているうちに一日の終わりです。

とりあえず、ゴルフクラブのリシャフトをしたばかりなので練習場に行ってきました。新しいシャフトのドライバーは現在絶好調のようです。これでアプローチがよくなったらスコアもきっとよくなるはずですが、当分実践の予定はないので多分結果は今までと大して変りないかもしれません。いつも今度はこう言うスイングをしようとかウェッジはオープンスタンスでインサイドアウトに振ってみようかなどと考えながら本番に臨みいつも失敗に終わっています。あまり考えずにやった時の方が良い結果が出ていることは既にわかっているのですが、我欲が強いのでしょう。アプローチは練習場では結構うまく行っているのですが実際にはマットで多少ダフッたりしてもクラブが滑るためうまくヒットするとのことです。ほんとうは実際の芝の上で振るとダメな場合が多いのだそうです。そう言われても練習する場所はゴルフ練習場しかないのでしかたありません。

ヨットもマリーナの桟橋工事が終わらないので行ってもしかたない状態で困ります。とりあえず3月20日の整備完了までのホームページを更新しておきました。来週末には一度船内の備品のチェックや整理をしたいのですが、いつ完成するかもわからない桟橋工事のため今後の予定も決めていません。今年は昨年まで我々を楽しませてくれたT西氏もリタイヤーしたことや相棒のY田氏も仕事の関係で来れないことが多くなるそうなので船に乗る回数も少なくなりそうです。まぁ最初は一人で船を出していたこともあったので、なんとかなるとは思いますが、あの頃から10年も経っているのでそろそろ考えなくてはならない時期に来ています。本州一周の夢はほぼ絶望的ですが、せめて伊勢湾周航の旅はしたいものです。

今日はこれまでです。それでは。



しんさんのよもやま話

2011年04月16日 20時49分13秒 | Weblog

 

4月16日(土)曇のち晴

静岡の田舎から帰って来ました。昨夜小雨の降る中9時過ぎに着きました。東名高速道路は雨とトラックが多くてノンストップでも4時間近くかかってしまいました。母とも少し話をした程度ですぐに寝てしまいました。

今朝は起きて着替えるとすぐに裏の竹藪にタケノコを探しに行ったのですが、今年も誰かに掘られて穴だけが残っていました。今年はあまり出て来なかったようで穴も数か所しか開いていませんでした。去年はものすごく腹がたちましたが、今年はもうあきらめ状態です。盗んで一度味を覚えた者はこれからも毎年来るのでしょうけど、僕ら兄弟が土日しか来ないことがわかっているかのように、ちょっと前に掘って行ってしまうのですから村の人に違いないとは思いますが困ったものです。弟も午後に来て裏の竹林に行って盗まれていることを知ったようでした。まぁ母一人で生活しているのでしかたありません。
ところで田舎の庭には春がいっぺんに訪れたようにいろいろな花が咲き出しました。普通季節ごとに順番に咲くのでしょうけど、田舎ではみんなまとめて咲き出すのでしょうか?裏の畑には水仙があっちこっちに咲いていました。ここ数年自然に咲くので畑を耕すとなくなるはずなのですが、どこかで生き残ってこの時期には一斉に咲き出します。去年もブログで紹介したような気がしますが黄色い可憐な花を見せてくれます。写真は今日撮影した水仙の花です。



次は桃の花です。白い桃とピンクの桃です。母の話だと花を見るだけで実は小さくて食べられる桃ではないそうです。ピンクの桃は下の方にちょっと見えるだけなので大きな写真にしました。



そして今が満開の桜です。やっぱり桜は最高です。



庭の隅にあるモクレンはもう散りかげんですがついでに撮影しておきました。



そしてこれからが本番となるチューリップとツツジも気の早いヤツが咲き出しました。チューリップはそれでも2つ咲き出しています。


ツツジは5月の連休ごろになると家の敷地の周り一面に咲き出します。昔は村の人達がツツジを見に集まってくれたものでしたが、最近はほとんど手入れももしていないので雑然と咲き出します。今はまだどれも咲いていないのですが1つだけ咲き出している木がありました。きっと種類が違うのかもしれません。でもなかなか綺麗ですよ。



以上が田舎の春でした。ひどい山の上の田舎ですがこれから5月にかけては花に囲まれた一年で一番すばらしい旬を迎えます。それも1ヶ月後の茶摘みを過ぎると深い緑に包まれます。

東北の被災地のみなさんが住み慣れた土地を離れて暮らしたくない気持ちや故郷失った悲しさはよくわかります。何年かかるかわかりませんが是非野山に囲まれた故郷を取り戻してほしいと願うばかりです。津波で洗い流された土地も誰の力を借りなくても、やがてすぐに草花に覆われるはずです。僕達も草花のごとく強くあきらめずにやがて大きな花を咲かせるべく頑張りましょう。それにしても地震は恐いですね。昼前に田舎では震度3の地震でしたけど母と家内と三人でガタガタ揺れる家の中で無言のひと時を味わいました。茨城・栃木が震源だったそうですが大したことが無くてよかったです。

4時間弱の運転はほんとうに疲れます。それではまた。


しんさんのよもやま話

2011年04月15日 16時22分36秒 | Weblog

 

4月15日(金)曇のち雨

こんにちわ。遂に雨が降ってきてしまいました。今日は早退してこれから静岡の田舎に行ってきます。2ケ月に一度母を沼津の病院に連れて行きます。土曜の午前中に行くためには今晩のうちに行かなければなりませんが4時間ほどかかるので仕事を終えてからだと夜中になってしまうためいつも行く時は早退です。

昨晩、「風の陣」と言うヨットをテーマにしたマンガを読んでいたら止まらなくなってしまい、少々寝不足気味です。「海皇紀」は帆船を操る海一族の物語ですが、「風の陣」はヨットレースに目覚めて行く少年の物語です。ヨットと言う一般にはあまりなじみのないスポーツですが、ヨットに覚えのあるものにとっては昔を思い出しながら結構楽しんでしまいました。まだ2巻までですが多分全巻すぐに読んでしまいそうです。
マリーナはまだ桟橋の工事中のため当分ヨットに行くことはなさそうです。来週末に完成してくれるといいのですが、船底塗装後の準備(船内整理、艤装、等々)は桟橋が完成してからなのでだんだんイライラしてきています。

明日の夜には名古屋に帰ってくる予定です。


しんさんのよもやま話

2011年04月14日 22時14分37秒 | Weblog

 

4月14日(木)晴

こんばんわ。今日はちょっとだけ飲んできました。だからと言う訳ではありませんがつまらないことを考えてました。
西洋人はキリスト教とかの戒律を子供の時から躾けられているせいかあまりブレることがないのかもしれません。翻って僕達日本人はどうなんだろうかと考えてみると意外とおもしろいことに気付きます。

我々日本人には古来からの仏教的儀式を知っている。その上古来からの仏教を批判した親鸞の他力本願にも頼るし、ただひたすら座禅を組むことにより悟りの境地を開くと言った道元禅士の世界も理解できる。おまけに日蓮が出て来て法華経の規範を貫けと言ったこともで理解している。ただこれらは同じ仏教と言ってもまったく違う考え方なのだけれどもすべて状況において使い分ける。さらに日本古来の神様も敬い柏手も打つ。そして儒教の教えまで武士道と言う形で実践できる。日本に伝わったあらゆる考え方やそれを更に昇華した考え方をすべて飲み込んで状況に応じて使い分ける世にもめずらしい民族なのです。我々には哲学がないのではなく、長い歴史の中で培われたすべての考え方を内包した哲学を持っているのだと考える方が自然です。

おもしろいと思ったのですが、いざ書いてみると何もおもしろくないことに気付きました。大変失礼しました。おやすみなさい。


しんさんのよもやま話

2011年04月13日 21時20分14秒 | Weblog

 

4月13日(水)晴

暖かくなりました。今週末までは暖かい日が続くそうです。今年は桜の花見気分もないままに終わってしまいましたが、東北の被災地では今週末には咲き出すそうです。被災地の方達には花見気分ではないかもしれませんが、ひと時の桜を楽しんでほしいものです。

ところで最近僕は悲観的なことばかり書いていたような気がします。自分達でできないことを嘆いてもしかたありません。今自分にできることを一歩一歩やっていくことだけが自分の血となり、肉となっていくことがわかっていながら評論に終始している自分をなさけなく思います。

そこで今日は僕がもう10年以上も続けていることの一つを紹介しましょう。ヨットやゴルフももちろんそうですが、毎日やっている訳ではありません。毎日少しずつ本を読むことです。平日は朝会社に1時間早く出勤し、30分は自分の机で本を読んでいます。ほぼ2週間に1冊のペースで読み終わります。昔は読み終わったら必ず感想とか気に入った言葉を書き出していました。最近では気に入った本だけは書くことにしています。朝の30分はほとんどの人が出勤してきていないので静かで本を読むのには絶好の時間です。出勤途中にドトールに寄って買ってきたコーヒーを飲みながら本を読むスタイルが気に入っているのです。家では中々落ち着いて読むことができないのでほとんど読んだことがありません。この10年ぐらいはエッセイが中心で小説はほとんど読んだことありません。最初はは儒教や仏教や神社に関する本を手当たり次第に読んでいました。それから日本人の起源に関する本を読み漁っています。元々日本人のアイデンティティとは何だろうか、日本の伝統とは・・・と言った疑問からなのですが、未だに解明できないでいます。多分僕のライフワークとしてこれからも続くと思います。
実は日本列島に最初にたどり着いた人達をテーマにした小説を書いてみようとしたのですが、全然書けませんでした。なぜなら日本列島ができた頃に存在していた草木、動物もわからない状態だったからです。日本には長い年月の間に中国から伝わってきたものが非常に多いからなのです。日本古来の物は何なのかわからないことが多すぎるのです。遺伝子解析でも日本人には多くの古代民族の遺伝子が混ざり合って日本人を形成しているようですから世界でも不思議な民族なのだと思います。

この話をし出すとキリがありません。1日30分でも毎日となるとバカにできない時間になります。別に本を読めなどと言うつもりはありませんが毎日わずかな時間でも何かを続けて実行することは誰にでもできることです。何の役にも立たないかもしれないけどきっといつかやっていてよかったと言えるだろうと思ってやり続けることも人生には必要だと思っています。


しんさんのよもやま話

2011年04月12日 20時59分10秒 | Weblog

 

4月12日(火)晴

こんばんわ。昨日で震災から1ヶ月経ちましたが今なお強い余震が続いています。昨日から今日にかけて特に大きな余震が続いています。自然の猛威の前に学者先生は後追いの解説ばかりで、結局何の役に立つのかと思ってしまうことがこの1ヶ月すごく感じています。技術のいろいろな分野で最先端を極めている人が今回のような震災ではあまり力を発揮することはなさそうだと僕は思ってしまいます。いわゆる専門バカになってしまい、インフラとなるものに対する基本的な技術やローテクの工事力は他人任せなのが原因です。理屈はわかっていても、電気がないとなにもできなかったり、汚染水を移すポンプや配管の仕方がわからないとかコンピュータがなければ何もできないと言った人達が多くなりすぎました。これは科学がもたらす現代病かもしれません。

僕はこのブログでも過去に何度か「猿の惑星」と言う映画の話を出しましたが、便利な機械だけに頼って我々は宇宙で一番進化した生物だと思っていると、いつのまにか下等と言われた生物に支配されてしまうと言うことです。この2世紀あまりの間に科学と言われる分野がすごい勢いで発達し、何でも科学的に解明しようとしてきました。まさにテクニカルナレッジだけを信奉している時代です。でも世の中にはこのような行き方を批判しプラクティカルナレッジを重要視する思想家もいます。プラクティカルとは実践的経験主義と言うような意味です。すなわちもっと現実の状況に応じた経験則のことです。同じような条件であっても状況は千差万別です。その千差万別な状況に即して方程式で導くことができない状況判断をしていく考え方です。世の中が定常的に動いている時には科学万能主義でも対処できますが、今回のような震災や原発事故ではテクニカルナレッジでは対処できないような気がしています。さらに対人関係や政治の世界では理屈だけの世界で御すことはできません。

自分も過去に技術者の道を歩んできた者なのでとても偉そうなことが言える立場ではありませんが、多分僕が少しプラクティカルナレッジを語れるとしたらヨットを趣味としていたことが影響しているかもしれません。海と言う自然の中で風や潮の流れは千差万別です。感と経験に基づく判断を瞬時に下して行くことはまさにプラクティカルです。間違いも多いけど修正も早いのがこのような考え方の特徴かもしれません。まぁこれらもケースバイケースで使い分けて行くことが大事なのかもしれません。そのためには常に自分一人の手で成し遂げられる手法も常に考える習慣と世の中の基本となる教養を身につけることなのかもしれません。戦後における日本の驚異的な発展はテクニックばかりを追いかけてきた結果ですが、そろそろ地に足のついたプラクティカルな部分を見直していく時期を告げる天の声かもしれません。

今日はここまでです。それではまた。


しんさんのよもやま話

2011年04月10日 21時14分42秒 | Weblog

4月10日(日)晴

昨日の雨から一転穏やかな良い天気でした。名古屋の桜が見頃でした。近所の白鳥公園も満開でした。一昨日の東京、昨日の静岡でのゴルフで疲れた体には良い骨休めになりました。

と言う訳で朝寝坊はしたし、新聞はゆっくり読んだし、戻ってきたゴルフバックから合羽や靴を取り出し、汚れを落としてベランダに干したり、ゴルフクラブを洗剤で洗い歯ブラシで汚れを落としたりしているうちにあっという間に一日も終わりです。リシャフトしたドライバーのヘッドカバーをゴルフ5で購入し、完璧に次回いつでもラウンドできるようにしておきました。もっともしばらくゴルフの予定はありませんが、最近ゴルフの後は良く手入れをするようになりました。腕はいつまでたっても上がりませんが道具だけは良く手入れするようになりました。マリーナは桟橋の工事中のためいまだに船を海に浮かべることができず、陸に上がったままです。完成までもう2週間ぐらいかかりそうです。連休前ぐらいには一度船の方もセーリングの準備等しなければなりませんが、月末近くまではのんびりできそうです。

ところで東日本大震災からちょうど一ヶ月経ちましたが中々復興に向けた動きが遅々として進んでいないようです。まだ行方不明者が1万人以上もいること自体、改めて震災の規模の大きさを物語っているようです。今日も自衛隊の皆さんが懸命の捜索をしてくれています。このような危機に晒された時、日本では自衛隊がなかったらどうなるのでしょうか?我々国民にとってほんとうに必要な存在になっていると思います。この国の根底を支えてくれる存在に感謝すべきだと思います。それと共にこれからの若い人たちには自衛隊のような組織で2年か3年修行を積むようなしくみもあってもいいのかなと思うのですがどうなのでしょうか?サバイバル状態で生きて行く知恵や社会奉仕活動の知恵を学ぶ良い機会になるような気がします。最近の学生は体育会系のクラブ活動は敬遠する傾向にあるようだし、体育会系の合宿と言っても設備の整った場所で賄い付きのようです。自分が学生の頃は合宿所にお寺さんを借りたり、夏休み中の小学校を借りたりしていました。そして食事は当番制で自炊していました。とにかく少ない予算でやり繰りすることをいろいろ考えたものです。当時は練習で疲れた体で買い出しに行ったり、夕食を作ったり大変でしたが、今思うに良い経験をさせていただいたとつくづく思います。別に自衛隊でなくてもなんでもいいのですが、若い時に自炊や宿泊場所の確保や生活全般の体験を独自にする機会を持って欲しいと思います。ガラス張りの無菌室からいきなり社会に出てきた人ばかりになったら、この国はいったいどうなるのでしょうか?まぁそうなっらかなりの犠牲を伴いながらなんとかなって行くのでしょうけど、みんなが傷つかずに望ましい方向に変わっていくことが大事なのかもしれません。

それではまた。