”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話…ゴルフ編(11-07)

2011年04月09日 21時23分58秒 | Weblog

4月9日(土)雨のち晴

昨日東京の木場にあるフジクラゴルフ相談室に行ってきました。現在使っているドライバーのフィッティングをしてもらうためでした。初めての所で道に迷ってしまいましたが、2人の若い綺麗な女性に親切にしていただき、なんとか目的の場所に行き着くことができました。一人は買い物袋をさげた女性で恐る恐る道を尋ねたら、途中までいっしょに歩いて案内していただきました。やっとのことで目的地の区画に着いたのですが、同じようなビルがいくつかあってまったくわからなくなって一つのビルに入り受付嬢にゴルフ相談室に行きたいのだけれどもと尋ねたら区画内の地図を調べてくれて、親切にもいっしょに同行していただき、目的のビルのエレベーター前まで案内していただきました。東京の若い女性はお高くてと言うイメージでしたが、どうしてどうしてセンスもスタイルも言葉づかいも良い上に僕みたいなおじさんといっしょに歩いて案内してくれるなんて感激してしまいました。もっとも現地で待ち合わせた先輩は僕がおのぼりさんで人畜無害に見えるからのことだと言ってましたが。
道に迷いながら川べりの桜は満開でとてもきれいだったので一応デジカメにおさめておきました。下の写真がその桜です。川の名前は知りません。隅田川かもしれません。


フジクラゴルフ相談室でスイングの計測をしてもらいながら僕のスイングに最適のシャフトを選んでいただき持参したドライバーのヘッドに付けてもらいました。先輩の株主優待券で4割引きにしてもらい最高のドライバーができました。

その足で静岡に戻り、今日の葛城ゴルフ倶楽部でのラウンドに備えました。
今朝はあいにく強い雨になってしまいましたが、わざわざ名古屋から出て来た訳ですから、雨の中をラウンドしてきました。葛城の山名と言う難しいコースの上強い雨模様の中のラウンドでスコアは今年最悪になってしまいましたが、ドライバーはOBが1つだけと比較的よかったので、リシャフトした効果があらわれて満足です。ただ距離のある難コースなのでほとんど2オンできない上にガードバンカーがいやらしい所にあってアプローチは最悪でした。パーは一つも取れず、ボギーも3つだけでした。とにかく今回はトリプルばかりでダボも6つしかないので残念な結果になってしまいました。今年初めての雨の中でのラウンドだったのでリシャフトしたドライバーが気持ちよく打てただけで今回は大満足でした。しばらくゴルフの予定はありませんが、早く新しくなったドライバーでラウンドしたい気分なのでこれから先は楽しみです。

今回先輩の薦めで東京まで行くことになってしまいましたが、結果的に自分がスイングしやすいドライバーにリシャフトできたのでよかったと思います。自分一人では中々そんな気にはならないのですが、道具一つにここまでこだわってやっていくのもおもしろそうだと感じました。ちょっとお金はかかりますがドライバーだけでなくアイアンにもこだわっていくと更におもしろいだろうなと思います。だいたい自分のスイングの特徴がわかってきたので、今のアイアンのシャフトはあまりあっていないことだけはよくわかりました。でもしばらくは今のアイアンでプレーして行くつもりです。

2日間の旅でしたけど、ほんとうに疲れました。東京は街が広いので結構歩かなければならないことと雨の中のラウンドだったことで帰りの新幹線はいつの間にか爆睡してしまいました。

今日はもう休むことにします。それではまた明日。


しんさんのよもやま話

2011年04月06日 21時33分02秒 | Weblog

4月6日(水)晴

ようやく暖かくなってきたようです。桜も週末には満開となりそうです。週末の天気はあまりよくないようですが、土曜日は昨年台風で延期になっていた静岡でのゴルフに行く予定です。そこで先ほどゴルフバックを宅急便で送ってきました。昨年は台風で前日に延期となったためゴルフバックだけがゴルフ場に行って帰って来ただけでしたが、今回は雨だけで済みそうなのでやっと実現できそうです。静岡の葛城ゴルフ倶楽部といったら例年ですと女子プロゴルフが行われた直後になる訳ですけど今回は震災の影響で中止となったのでどの程度コース整備ができているかわかりません。プロの試合と同じような条件でやりたいと言うことで1月には4月9日を予約してもらってあったのですがどうなのでしょうか?

前日には休暇を取って東京でクラブのフィッティングをしてもらい、帰りに掛川のホテルに泊まり翌日はゴルフという予定です。中々名門のゴルフ場でラウンドする機会はないので楽しんでこようと思います。山名と言う難しい方のコースらしいのでスコアはあまり期待できそうもありません。明日は家内が〇〇さんのコンサートに行くようなので夕飯がありません。どこかで飲んで来るしかないのですが、僕も遊びに出るのであまり文句を言える立場にありません。趣味がまったく違うのでお互いあまり干渉しないことにしています。それが良いかどうかわかりませんが、多分これから先もそうなのでしょう。

ところで話は変わりますが昨日、現代人の空虚感について労働の質が変遷してきたことに大いに関連していると書きました。それに加えて現代人は父親の威厳を知らずに育ってしまったことももう一つの要因だと思っています。僕らの世代は多かれ少なかれ父親が怖かった思い出があるものです。そして父親に対抗するような時期もありました。しかるに現代人はほとんどそんな経験がなくなってしまった。父親も母親も子供の機嫌をそこねるようなことはしなくなった。それと死人を子供に見せることもなくなってしまった。昔は祖父や祖母が死ぬのは自宅がほとんどでした。必ず死と直面した訳ですけど、現代ではすべて病院で死を迎えることが多くなり子供が直接死と向き合うことが少なくなってしまった。ようするに現代人は恐怖感とか死と言う人間の宿命のようなものに対して無菌状態で大人になってしまった。その結果、恋愛や危機に対して無菌状態が故の空虚さがあるような気がします。僕らが豊かになったことで、感情の発達が遅れてしまったのだと思います。これからの時代は遅れた感情を取り戻せるような体験が必要だと思うのですが、そのためには何事にも逃げずに自分で向き合う姿勢を作っていくことだと思う。自らが真正面から向き合って真剣に取り組んでいる姿は外から見えれば美しいものです。ぶざまな姿をさらして真剣に取り組むことは本人としてはみっともないと思うかもしれませんが、はたから見ればうらやましく感じるものです。

今日はここまでです。それではまた。


しんさんのよもやま話

2011年04月05日 22時05分14秒 | Weblog

 

4月5日(火)晴

4月になっても中々暖かくなりません。冬のコートを洗濯に出したのが悔やまれます。天気もそうですが、日本人の心も寒いままです。毎晩原発のニュースを聞く度に、何も進展しない状況を腹立たしく思うようになりました。経済性ばかり追求してきた今の企業の在り方を変えて行く必要がありそうですが、グローバルな競争の中でどこまでできるのかは甚だ疑問です。

ところで文明が発達したことによって我々はどんな恩恵を受けたのでしょうか?確かに便利な世の中になったし、食べる物に苦労することもなくなりました。しかし、その一方で感動とか充実感のようなものが失われているのも事実です。現代人は総じて空虚感のようなものを感じているのではないでしょうか。

ある人が文明の発達によって働く人はレイバー(奴隷的な苦痛を伴う労働)からワーク(工夫や訓練により完成度の高い作業)になり、現代はアクション(自己表現をする行動)と変わってきていると言っています。その昔レイバーがやる仕事は危険で厳しく力のいる仕事でした。ところが力仕事や危険な作業は機械が人間に変わって行い人間は知恵と工夫により商品や製品を完成させる仕事をするようになりました。そして現在はコンピュータを駆使して完成度が高く、まったく同じものが作れるようになりました。こうなってくると人間の出番は高度な自己表現をできる人だけが必要になってきます。ところがみんな学校に行って勉強したって追いつけない人が多く出てきてしまいます。こうなると世の中は空虚になり、現代の若者のような無気力な人達が多くなってくるのは当然です。ひとえに無気力な人達が悪い訳でなく、文明の発達がもたらす公害のようなものだと思います。

そう言う意味で時代を戻すのではなく、誰にでもできる新たなワークがビジネスとして通用する社会を目指さなければ、行く末は滅亡しかないような気がします。この辺が文明の限界なのかもしれません。コンピュータにはできないアナログ的な感性と額に汗するワークってどんなものがあるのでしょうか。何かそういった方策を真剣に考えてみる必要があるような気がします。人件費が高いからセンサを使うのではなく、人間のセンサだから良いことだってありそうな気がします。

今日はこれまでです。それではまた。


しんさんのよもやま話

2011年04月04日 21時09分23秒 | Weblog

4月4日(月)晴

花冷えでしょうか?また少し寒くなりました。
今日は一般人から批判されていたことが、実は正しい選択だったと言う話をしてみたいと思います。

実は今日の新聞で東日本大震災での津波から15mの防潮堤が街を守った記事がでていました。その村の村長さんはみんながそんなに高くしなくてもと言う中で15mを絶対譲らなかったのだそうです。そのおかげで町の住民は一人の犠牲者も出さなかったのだそうです。もうその村長さんは亡くなっているそうですが、町の人達は感謝しているそうです。近隣の宮古市が10mだから15mに
する必要はないじゃないかと住民はきっと批判したのでしょう。ところが今回の震災で片や10mの防潮堤が津波に飲み込まれ大きな被害を出したのに、その村は無事に津波を食い止めることができたのです。

このような話は至る所に存在します。一般の人達からバカだチョンだと言われていたことがいざとと言う時に役に立つ話のことです。要するに一般人は物事を近視眼的にしかみません。そう言う中で物事を長期的に見て発言する人は周囲の凡人には理解できない人なので変わり者と言われ批判の対象になってしまいます。でも現状に近視眼的迎合して支持を得た人に偉人はいるのでしょうか?甘い言葉に踊らされて支持したあげくに一番先にそのしっぺ返しをくらうのが支持していた人達だと言う話は世の中にはいっぱいあるはずなのに、どうして人間はいつも同じことを繰り返すのでしょうか?

名古屋でも戦争で焼け野原になった街を復興させる時、当時の市長がものすごく幅の広い道路を作ったと言って批判されたそうです。それから50年、世の中は車社会になり幅の広い道路は全国でも走りやすい道路になっています。もっともこちらは走りやす過ぎてスピードを出せるので交通事故死も全国でワーストになっているようです。ただ戦後の復興時期に長い目で視て都市計画ができた点ではすばらしいと思います。

これから被災地ではどう言う復興をしていくのか行政の手腕が問われることになります。目先だけで小手先の復興にならないよう住民もしっかり勉強してほしいと思います。確かに被災民のことを考えるとそんな悠長なことを言ってられる場合かと怒る人もいっぱい出てくると思います。今を考えればその通りですが、多分被災もしていない僕らよりは今回の経験をされた方達はしっかり考えてくれるのではないでしょうか。僕らよりよっぽど故郷を大切に思う気持ちが強いと思うからです。横並びの迎合ではなく、自分達独自のビジョンを作っていってほしいものです。

現在統一地方選挙が至る所で行われていますが、言っていることを聞いていると甘いバラマキ的言葉や現在起きている災害や原子力を排除するような言葉が多いように思います。それも未来永劫そうできるのなら良いのですがどちらかと言うと場当たり的で具体的ビジョンもないような人が多すぎます。原子力発電を廃止すると言ったことは現実的ではありません。だったらどのようにして安全を担保するかの議論が重要でしょうし、将来に向けてどう方向転換してエネルギーを確保するのかと言ったことが重要だと思います。今回の災害は不幸な出来事ではあるけれど、我々がこれからこの国をどうしていくべきか一般人も考える良い機会かもしれません。耳にやさしい言葉は安易に信用すべきではありません。特に福祉とか子供を出汁にする人達は一番信用のおけない人たちだと僕は思っています。この種の話はかなり具体的につっこまないと何もわかりません。ただ耳に聞こえが良いだけですから。

ちょっと言いすぎたかもしれません。それではまた。


しんさんのよもやま話

2011年04月03日 18時11分03秒 | Weblog

4月3日(日)晴

何も無い日曜日も退屈です。原発は今度は海洋汚染の騒ぎになってしまいました。次から次へと新たな汚染が見つかって来るのはどう言うことなのでしょうか?水素爆発があった時点でみんな考えられたことなのでしょうが、近づけないために発見が遅れたと善意に解釈しています。しかしお粗末な話が多すぎます。父も叔父も東京電力に勤めていたので昔のことは知っていましたが、水力、火力の時代だったので原子力のことは良くわかりませんが、世の中から見ればお粗末過ぎます。

ところで今日は高校野球の決勝戦でした。今年は1試合も今まで見ていませんでしたが、今日の決勝戦だけはTVで観戦しました。東海大相模の打力はすごいですね。低めのストレートもホームランにしてしまう選手がいるのですから。甲子園では勝ち上がって来ると最後は連投、連投ですから一人のピッチャーで投げ切るには相当の力と運が必要です。その点東海大相模は控えのピッチャーがよかった点で九州国際大付属に勝っていたような気がします。打力はそんなに変わらないような気がしました。ただ良いあたりが野手の正面にばかり飛んでいた不運があったかもしれません。
久しぶりに見た高校野球でしたが、高校生の初々しさよりも堂々とした落ち着いたプレーにその強さを感じると共にメディア慣れの危うさをちょっと考えてしまいました。うまく表現できませんがメディアはピークばかりを追っかけている浮気な俗物ですから、あまり深入りしない方が良いと思っただけのことです。

TVを見て、ゴルフの練習に行って、なじみの靴屋で普段用の靴を買って、もう薄暗くなっています。また明日からは仕事に精を出すことにします。来週末は静岡でゴルフがあります。宅急便でバックを送るので今日の練習であとは本番です。現在ショートスイングで100%の方向性と80%の飛距離に取り組んでいます。まだ中々うまく行きませんが3月よりは良くなることを期待しています。それではまた。


しんさんのよもやま話

2011年04月02日 20時50分09秒 | Weblog

4月2日(土)晴

何もなくても一日はあっという間に過ぎていくものです。少し暖かくなり過ごしやすい日和でした。午前中は車の洗車と言うか先週に続いて、埃を濡れ雑巾で拭きそのあとを乾いた雑巾でさらに拭きました。黄砂の影響でしょうか、このところ車がすぐに埃まみれになってしまいます。西風が強いと決まって車の窓ガラスやボディが砂だらけになってしまい困ります。屋内駐車場ならそんなことはないのでしょうけど、残念ながら青空駐車場なのでしかたありません。車が綺麗になったところで家内の買い物に付き合いあっという間にお昼でした。午後はゴルフの練習場に行き、そのあと自分の買い物をしてきました。と言っても大型スーパーに行ってペットボトルのお茶を1ケース、ペットボトルのコーヒー飲料を4本…等の重たいものばかりです。お茶は毎日職場で1本飲むためです。最初は職場の自販機で買っていましたが1本150円なので、スーパーでケース単位で購入して毎日持って行くようにしています。こうすることで1本88円になります。1本あたり62円も違うと何か職場の自販機で買うのがバカらしくなってしまいます。1ケースでだいたい1ヶ月持ちますから62×24≒1488円の節約をしている訳です。結構大きいでしょう。まぁ他で無駄をいっぱいしているから意味ないかもしれませんが少しは節約や節電もしている訳です。

あとは本屋に行ってゴルフコミック誌と社長島耕作の第8巻を買ってきました。僕は課長島耕作から始まって部長、取締役、常務、専務、社長と一連のシリーズ全作を所有しているので新しい単行本が出る度に揃えています。僕の見る漫画としては島耕作シリーズ以外には、ゴルゴ13シリーズも全部と言っても現在131巻までですが所有しています。どちらかと言うと好きな漫画はすべて所有しておきたい性分のようです。ちょっと読みだすと最後まで集めないと気がすまなくなるのでなるべく手をつけないようにしていますが未だに続いているこの2シリーズは現在でも購入し続けている訳です。過去には手塚治虫さんのブラックジャックシリーズとか南総里見八犬伝とか海皇紀などのシリーズも集めていました。漫画の是非はいろいろ言われますけど、良い漫画もいっぱいあると僕は思っています。結構単純に正義感とか道徳観を僕達に教えてくれるのではないかと思います。最近失われつつある日本の道徳なども堅苦しい文章でなく漫画で教えていくような試みがあっても良いような気がしています。

ともあれこんな事をしている間に一日は終わってしまいました。明日も何となく終わってしまいそうです。まぁそんなに四六時中張りつめていた所でどうなるわけでもなく体を壊してしまうのが落ちでしょうから暇な時は暇らしく、集中するべき時に集中できれば良いのだと思います。それではまた明日。


しんさんのよもやま話

2011年04月01日 22時32分53秒 | Weblog

4月1日(金)晴

こんばんわ。今日から4月です。と言うことで僕の会社でも入社式がありました。そして夜はささやかな歓迎夕食会がありました。送別会続きの後は歓迎会で今週は飲んでばかりでお酒の弱い僕としては大変でした。今週末は久しぶりにヨットもゴルフもない平穏な2日間になりそうです。思えば2月からほとんどの週末は何か行事があって1日休むのが普通でしたが2日も何も予定がない週はどう過ごしたらいいのかわかりません。多分何かして家にじっとしていることはないと思います。

ところで今日は最近の若い人たちの恋愛感というか結婚感というようなものについて酔っぱらった勢いで話してみたいと思います。

まず男についてですが、恋愛感情に妙に冷めてしまっているように僕は感じてしまいます。世の中では終身雇用が崩れて将来への不安感が原因だとか、女性が社会に進出して活躍する人が多くなったため男が相対的に自信喪失している人が多くなったからだとか言われています。多分それもその通りだと思いますが僕はもっとも大きな原因は男が危険を冒す場がほとんどない平和な国になったからだと思っています。男の特徴は本来、力が強くて、戦うことができる存在だった訳です。たとえは悪いですが戦争もないし、狩猟のような戦う場もなくなり、せいぜい海に出て魚を取ったり、スポーツで戦うことぐらいしかなくなってしまったことが、男の魅力を発揮しにくいことが妙に冷めた状態を作りだしているような気がします。

次に女の方ですが、こちらもみんな同じ髪型同じファッションと群れていないと不安だと言う感情が強くなってしまったような気がします。将来性があって優雅な生活を送りたいと思う人ばかりになってしまいました。元々女性は貧乏書生でもはぐれ者でも健気に支えるような人がいたはずです。そんな支えに男は一念奮起して頑張れると言った構図があったような気がします。戦後世の中が豊かになるにつれて、女も好きな人のためにはリスクも厭わずと言った一途さが失われて、かなり打算的になってしまったのではないでしょうか。

こういった現象はひょっとして、社会が自由と言いながら昔以上に相互監視社会になっているのかもしれません。今までそっと見守って来ていた社会がTVのようなメディアによって、見なくてもいいような所まであばき出されたことによるのかもしれません。誤解しないでもらいたいことは僕は決してTVが悪いと言っている訳ではありません。僕もTVは好きですし、恩恵もいっぱい受けています。ただ必要以上に騒ぎたてるのではなく、踏み込んではいけない良識を持つこともこれから重要だと思います。

なんか急に醒めてきてしまいました。もう終わりにします。それではまた。