中村です。
昨日朝日新聞の夕刊に掲載されていた深澤真紀さんのコラムが目にとまった。
女性誌がリードしている「女子力」なる言葉。
女子力=モテ力=メイクやファッションを駆使していかに魅力的に自分を演出する
かと解釈されているが、年をとると衰える「女子力」だけはなく、
一生もんの女子術=円滑なコミュニケーションスキル
を磨こう!という内容。
ふ~む
思わず切り取った。
で、考えてみた。
自分を魅力的に演出するためにメイクやファッションに興味を持ち自己投資する
ことは否定しない。むしろ、どんどんすべき。実際、私も髪の生え際の白いものが
目立たないよう一カ月に一度は美容院に行き、ネイルにも気をつかう。
アンチエイジングによさげ(=効果が期待できそう)な化粧品やその広告を目にす
れば
「これはいけるんちゃうか」「これは効きそう」
即購入。このためにどれほどのお金をつぎ込み、無駄にしてきたか
周りには、
「何つけても一緒やって」「お金の無駄遣いやん?」さらには「中村さん、もうええんちゃう?」
と思われているかも・・・。
しか~っし
良く思われるためにやっているわけではないから気にならない。
私にとっては
自分がどうありたいか
「(『性別』としての)女として」
「(職業人としての)働く女性として」
「中村桂子として」
ありたい自分であり続ける
ことが重要これらはそのための必要経費でありモチベーションの源泉。
決して「モテ力」を意識してのことではない。
まっそんなことを論議する年でもないし当然っか・・・。納得。
ここまで書いてきて、ふと思った。
巷では「女子力」=モテ力と定義されている。女性誌では「女子力向上講座」なる特集記事で異性からモテるための、メイク・ファッション・しぐさが紹介され、テレビでは「○○評論家」や「心理学者」の先生方が「こうすればモテる!テクニック」をもっともらしくコメントしている。これらを見聞きするたびに違和感を感じていた。
だから、深澤さんのコラムに目がとまった。違和感の原因は「これだったのか」
でも、
「女子力」をメイクやファッションしぐさなどを駆使して自分を魅力的に演出する力
「女子術」を社会生活を有意義に過ごすための円滑なコミュニケーション技術
と考えればどちらも必要だし磨き続けたい、また世の女性達にも磨き続けてほしいと思う。
何かちょっと違う
何か足りない
「力」「術」だけでは上手く説明できない・・・。
そうだ
『何のために』磨くのか?
この「何」が足りない。行動するベースとなる、拠り所となる、判断の軸
となるもの=「女子道」
これがないと、その時々で周りやマスコミの雑音に惑わされて自分を見失ってしまう。
「女として」「職業人として」「自分自身として」どうありたいのか?
私だったら
「女を捨てず・女に甘えず・らしさを活かして『凛』として人生を全うしたい」
たとえ人からどう思われようと、ビジネス社会で仕事をする以上「楽だから」という理
由だけで「ゴムのスカート(パンツ)」や「ぺったんこの幅広靴」は履きたくないし、死ぬ
まで「現役の女性」として恥じらいとときめきを持ち続けたいと思う。
「女子道」に沿ってこそ「女子術」や「女子力」が活きる。