13. アマゾン動物記 (伊沢紘生 1985年発行)
『ピグミーマーモセットは、人間の手のひらにのるほどの大きさしかない。体重わずか二〇〇グラム、新世界ザルのなかではもっとも小さい。私は1976年の四回目の調査の時、ペルーでこのサルの生態を調べた。かれらの日課は、おおよそつぎのようなものである。
夜明けとともに起き、一本の木へ樹液の採食に出かける。その木ははっきりきまっていて、前日の夕方、暗くなる直前まで採食し、そうしながら再び樹液がしみ出るように細工をほどこしておいた木だ。
細工とは、歯を使って、大木の幹にすでにほってある丸い穴を少し拡大するか、新しく樹皮に傷つけることである。そこからは夜のうちに樹液がしみ出て、かたまっている。すなわちそこに、やにができているわけだ。
私がピグミーマーモセットの樹液採食行動をつぶさに観察して、強く興味を覚えたのは、このサルが毎日の食物を得るために、”待つ”ことを知っていることだった。樹液は、すぐにはにじみ出てこない。十分にたまるまでには、半日以上かかる。
すなわち、かれらは半日先をみこして、木の幹に穴をほっているということだ。半日も先の報酬のために労働をするサルは、世界に現存する20種のサル類の中で私たちヒトと、このピグミーマーモセットを除いて外には、いないだろう。』
『イノシシによく似たクチジロペッカリーは、木の実が大好物である。しかし、自分で木に登ってとるなんてことは、もちろんできない。だから、サルたち、特に数十頭の群れをつくって生活しているウーリーモンキーにいつもついて歩き、かれらが落とす食い残しをちょうだいしている。
そんなとき、ウーリーモンキーは、よく、大きな木の実を口にくわえたまま、下の方におりていって、ペッカリーにその実をぶつける。痛くもかゆくもないのに、ペッカリーはブウブウ鼻息を立て、キバをカチカチ鳴らして、わざと威嚇しているような格好をする。
サルは面白がってまた実を取りにいく。サルにとってはいくらでも木の実があるわけだから、ベッカリーをからかうのは愉快な遊びにちがいない。木に登れないバッカリーは、サルをたのしませてやって、その実をいただく。
私はこれまでの長い調査行の間に、動物たち相互の興味深い生態をつぶさに観察してきた。そして、ウーリーモンキーとクチジロベッカリーで見られたような、のどかさやほほえもしさを感じる関係をたくさん見てきた。
アマゾンの動物たちはみな、悠々と生きており、しかも、同じジャングルにすむ他の動物たちのことをほんとうによく知っていて、驚くほど賢く生きている。かれらには、われこそは生き残るんだとむきになっているところが少しもない。
他の動物を自分の競争相手として位置づけ、蹴落とそうとやっきになったいるところも、まったくない。むしろ、相手の存在を十分に認めた上で、他の動物からのなんらかの利益を上手に自分の生活の中にとり込もうとしているように見える。
私の知るかぎりでは、アマゾンの原住民インディオたちも、同様のつきあい方をジャングルの動物たちとしていて、近代文明の殺伐とした荒波がこの大地に押し寄せる前までは、ほんとうに悠々と、そして賢く生きていた。』
『ところでチンパンジーは、野生状態であろうと飼育下であろうと、やたらに穴や隙間になにかと突込みたがる行動上の”くせ”をもっている。シロアリ釣り行動やスポンジ行動やなめ行動はこのような、一般的にはくせと呼べる行動上の素質の上に成り立っている。
オマキザルは堅いやしの実やブラジル・ナッツの実を竹の節や木の幹にたたきつけて、じょうずに割って食べる。しかもかれらは、野生状態だろうと飼育下だろうと、やたらと物を手で握ってたたきつけたがるくせをもったサルだ。
すなわち、サル類の道具使用行動は、そうするサルの行動上のくせの上に成り立っていると考えることができる。初期人類については、かれらはやたらと物を投げつけたがるくせをもっていたのだとすれば、なんとか説明がつくことになる。
そう仮定する一つの根拠を現代の幼児の多くがまだほんのよちよち歩きのころからやたら物を投げつけたがるくせが発現するという事実に求めることはできないだろうか。』(第14回)