15. ホーキング、宇宙を語る (Stephen W.Haking著 1989年発行)
『紀元前340年に、アリストテレスは「天体論」の中で、地球は球体だと信じる論拠を挙げている。第一の論拠は、月食は、地球が月と太陽の中間に入りこむために起こることをアリストテレスは理解していた。月の上に落ちる地球の影はいつもまるい。
第2の論拠は、ギリシャ人は旅行のさいの見聞から、南方では北極星が北方より低く見えることを知っていた。第三の論拠はなぜ水平線の向こうから近づいてくる船は、先ず帆が先に見え、つづいて船体が見えてくるのか。
二世紀にはプトレスマイオスは、地球を中心に、月の天球、水星の天球、太陽の天球、火星の天球、木星の天球、土星の天球、一番外に恒星の天球というモデルを提示した。このモデルは、天空に見える天空の位置を予測する上では、かなり正確なシステムであった。
1514年にポーランドの聖職者コペルニックスは、太陽が中心に静止しており、地球と惑星がそのまわりを円軌道を描いて運動していると考えた。(最初、教会から異端の烙印を恐れて匿名で流布した)この考えは真剣に取り上げられることもなく、そのまま一世紀近い歳月が流れた。
そして百年後ガリレオは望遠鏡で、木星のまわりを小さな衛星が回っているのを発見した。さらにケプラーは惑星は円ではなく楕円軌道を動いたいると唱え、予測と観察は合致した。
1687年ニュートンは「プリンキピア」の中で、物体が空間と時間の中で、どのように動くか、微分、積分と万有引力によって、説明した。ニュートンの重力理論によれば、星はたがいに引き合うので、本質的に動かずにいることはできないように思われる。
地球が太陽のまわりをひと回りする間に相対的位置を少し変化して見える星がいくつかある。これらの近い星への距離が直接測れる。近ければ近いほど大きく動くように見える。もっとも近い星はケンタウル座プロクシマと呼ばれる星で約4光年である。(太陽から地球は八光分)
1750年ころすでに何人かの天文学者が、天の川が見えるのは、肉眼で見える星の大部分が、一つの円盤をなすように配置されているためだと説明している。
それから数十年もたたないうちに、天文学者ウイリアム・ハーシェルは大変な手間をかけて、莫大な数の星の位置と距離をカタログにまとめ上げ、この考えを確証したのだった。とは言っても、この考えが完全に受け入れられたのは、今世紀はじめになってからである。』
『現代の宇宙像はアメリカの天文学者エドウィン・ハッブルがわれわれの銀河は唯一の銀河ではないことを1924年に証明した。ハッブルは、それらの銀河までの距離を決定しなければならなかった。
銀河はわれわれの近傍にある星とは異なってはるか遠方であり、実際に天球に固定されているように見える。そのためにハッブルは、距離を測るのに間接的な方法を用いざるをえなかった。
星の見かけの明るさは二つの要因で決まる。どれだけの光を放射しているか(星の光度)、およびどれだけ離れているか、の2つである。ある特殊な形の星はすべて同じ光度をもっており、その中に近くにあるために、距離を測定できるものがある。
この型の星は、他の銀河の中にあっても、同じ光度をもっていると見なせるのではなかろうか。だとすれば、その銀河の距離も計算できることになる。エドウィン・ハッブルは、このやり方で九個の銀河の距離を求めた。
わが銀河は、現代の望遠鏡で見ることが出来る何千億の銀河の中の一つにすぎない。ハッブルは他の銀河が存在することを証明したのち、何年間も銀河の距離のカタログづくりやそのスペクトルの観測に打ち込んだ。
星のスペクトルにはいくつかの色がきわめて特徴的な形で欠けているのが見られるが、この欠けている色は星によって変わる場合がある。どの元素もきわめて特徴的な一組の色を吸収することがわかっているので、これを星のスペクトルの中の欠けている色とくらべれば、星の大気中にどんな元素あるかが正確にわかる。
1920年代に他の銀河にある星のスペクトルの観測がはじまると、たいへん奇妙なことが見つかった。そのスペクトルからは、わが銀河中の星と同じように、特徴的な一組が欠けていたが、欠けている部分がすべてスペクトルの赤い方に向かって相対的に同じ大きさでずれているのである。
光の場合も、ドプラー効果によって、われわれから遠ざかっていく星のスペクトルは赤い端の方にずれ、近づいてくる星のスペクトルは青い方に偏光する。
大部分の銀河が赤方偏移を示していることがわかったときには、びっくりしてしまった。ほとんどすべての銀河がわらわれから、遠ざかっているとは! だがもっと驚くべきことは、銀河が遠ければ、遠いほど、それだけ速く遠ざかっているというのだ!
これは、宇宙はそれまでだれもが考えていたような静的なものでなく、膨張していることを意味している。銀河どうしの距離は大きくなっているのである。
宇宙が膨張しているという発見は20世紀の偉大な知的革命の一つである。静的な宇宙がまもなく重力の影響で収縮を始めることはニュートンや他の人たちも理解していたはずである。
かりに膨張がかなりゆっくりであれば、重力がいずれ膨張を停止させ、ついて収縮に転じるだろう。だが、もし臨海速度以上の速さで膨張しているとすれば、重力はそれを食いとめるほど大きくは決してなれないので、膨張しつづけることになる。』
『ペンローズが彼の定理をつくりあげたのは、私が大学院生で、博士論文を書くためのテーマ探しに必死になっていたときだった。その2年前に私はALS(筋萎縮性側索硬化症)にかかっていると診断されていた。
これは、普通ルー・ケーリック病と呼ばれているもので、あと1,2年しか生きられないと私は告げられた。そんな状況では博士論文のために研究してもしかたがないと思った。――それまで生きていられるとは期待していなかったからだ。
しかし、2年間がすぎても、私の病状はそんなに悪化していなかった。それどころか事態はむしろ悪化していなっかた。それどころか事態はむしろいい方に向かっており、私はすばらしい女性、ジェーン・ワイルドと婚約したのである。だが結婚するには職がいる。職を得るにために、私は博士号を必要とした。』
『1965年、私は、重力崩壊を起こしている物体はどんなものでも最後には、特異点を作るというペンローズの定理について読んだ。宇宙が現時点で、大局的にみて、フリードマン・モデルとほぼ同じであれば、ペンローズの定理で時間の方向を反転させたとき、彼の定理の条件は依然成立したまま、崩壊が膨張に変わることを私はすぐに見抜いた。
ペンローズの定理はいかなる崩壊する星にも特異点に終わるべきであることを示していた。時間を反転させるという論法で、いかなるフリードマン流の膨張宇宙も特異点から始まるべきであることが示されたのである。
いくつかの技術的な理由のために、ペンローズの定理は宇宙が無限大であることを要求していた。そこで私は、再崩壊をさけれれるほど速く膨張している場合にだけ、宇宙は特異点をもたねばならないことを、この定理を利用して証明した。』(第16回)