191. 翻訳地獄へようこそ (宮脇孝雄著 2018年6月)
私が本書を紹介しますのは、私がこれから翻訳家を目指すためでもなく、地獄を見たいからでもありません。翻訳家である著者が、悩んでいたことは、英語劣等生の私が、やさしい英書に挑戦して(断念して)、経験してきたことでした。(当然レベルは、全くちがいますが)
まず、わからない単語を辞書で引いても、英文を理解することができるときもありますが、多くは理解することができませんでした。その理由の一つとして、その単語が、名詞として、使用されているのか、動詞として使用されているのかを明確にできない。さらに品詞が分かっても、沢山あるどの意味を持ってくればよいか判断できない。さらには、それがイデオム(熟語)として使われているのか判断できない。
これらのことは、私の能力のせいであると考えてきましたが、翻訳家でも同様な問題を抱えていることを知って、安心しました。
次の問題は、日本語の言葉と英単語が、一対一に対応していないという問題です。あたかも日本の私の受けてきた英語教育では、英語の文と日本語の文を線で結べば、英語は一丁あがりのように、考えてきましたが、むしろ、英語の単語は、全く新しい概念を学ぶと考えた方が、良いと思われます。
日本文でも、英文でも、生きた文章に接し、自分が学びたい分野の名著、名文に接して、楽しんで、英語に挑戦し続けたいと思います。私は本書で、仏に会ったように感じました。
前置きが長くなりましたが、さっそく読んでいきましょう。
『 今回紹介する平尾圭吾さん(「ジョーズ」などの翻訳家)の「ニューヨーク遊遊記」です。この本のなかで印象に残っているアメリカのジョークに、次のようなものがある。
What happened to summer romance ? 「彼女の夏のロマンスはどうなった?」
She started looking for a fall guy . 「今、秋の男を捜し始めたところさ」
というわけだが、これではまだ意味不明である。 fall guy は文字どおりには「秋の男」であるものの、実はアメリカの俗語で「だまされやすい人」の意味だという。つまり、カモですね。
で、二つ目の英文は、「夏のロマンスが終わって秋の男を捜し始めた」という表の意味と、「次のカモを捜しはじめた」という裏の意味とをかけた言葉遊びになっているわけである。
これで私は fall guy という言葉を覚えた。 で、用例を探してみたのだが、手持ちの本の中でレイモンド・チャンドラーのミステリーの中にたくさん見つかった。
ところが、チャンドラーの文章に出てくる fall guy は、「本当は無実なのに、他人の罪を押しつけられる身代わりの人物」という意味で使われている。
Now suppose Marriott wanted that money and wanted to make you the fall guy --- wouldn't he have acted just the way he did ?
(マリオットがあの金を盗んでおまえに罪を着せようとしたんだとしようーーだから、あいつはまさしくあんな行動をしたのではないか=そう考えるとあいつがあんな行動をしたのも納得できる)
A dead man is the best fall guy in the world. He never talks back.
(死んだ者は世界最高の身代わりだ。ぜったいに口答えしないから)
つまり、この言葉には、「カモ」のほかに、「身代わり、スケープゴート」の意味もある。したがって、文脈によってどちらの意味で使われているかを見極める必要がある。
いつか、あるアメリカの小説を読んでいたら、会話の中に、この fall guy がでてきた。
I didn't want to leave, but I couldn't stay. Somebody had to take the initiative. I did. Now I'm the fall guy too.
この「私」は離婚を考えていて、奥さんに「家を出る」といったばかり。今、それを後悔して、このようなことを言っている。訳本(ノーベル賞作家の代表作なのです)を読むと、次のような日本語になっていた。
「出たくなかったんですけど、とどまるわけにもいかなかった。誰かが主導権をとらなきゃならないでしょう。ぼくがそれをやったんです。つまりいいカモでもあるわけです」
Somebody had to take the initiative. (誰かが主導権をとらなきゃならない)というのは、離婚確定の夫婦であるなら、妻か夫のどちらかが先に離婚を切り出さなければならない、つまり主導権をとらないといけない、という意味だろう。
Fall guy は「カモ」と訳されているが、たぶん、この文脈でカモはおかしい。この場合は「スケープゴード、本当は無実なのに、他人の罪を押しつけられる身代わりの人物」の意味に解釈しないと文脈に合わない。
そんなわけで、最後の「 Now I'm the fall guy too 」は、「(先にどっちが離婚を言い出したのか、裁判では問題になるはずなので)ぼくのほうが悪者にされる結果にもなった」ということになる。簡潔に訳せば、
「つまり、貧乏くじまで引かされたわけです」
でいいのではないかと思うが、平尾さん(2011年2月逝去)ならどう訳しただろう。』
『 「ティファニーで朝食を」は、何十年も前から日本版が文庫で手に入るし、最近は新しい訳も出ているので、原作のファンも多いだろう。その冒頭の部分は翻訳の講義に使えるのではないか。と気づいた。次のような文章である。
I am always drawn back to places where I have lived, the houses and their neighborhoods. For instance, there is a brownstone in the East seventies where , during the early years of the war. I had my first New York apartment.
be drawn back は「引き戻される」で、この文脈では「思い出す」と訳してもいいのだが、ここは無理をしてでも「引き戻される」と訳したい。a brownstone は褐色砂岩を壁に使った建物で、高級なイメージである。
the East Seventies はニューヨークの東70丁目から79丁目までの「70丁目台」の地域で、これも高級なイメージ。
さて、大きく分けて翻訳には「英文解釈方式」と「流れにまかせる方式」の二種類があり、たいがいはその二つの組み合わせでできている。この文章をまず「英文解釈方式」で訳してみると、次のようになる。
「私はいつも、自分が住んできたさまざまな場所、住居やその近所に引き戻される。たとえば、戦争が始まったばかりのころ、何年か住んだ、ニューヨークにおける私の最初のアパートメント、東70丁目のブラウンストーンの建物がある」
この訳し方の特徴は、がっちりした構築感があることだが、最後まで読まないと意味がつかみにくい欠点がある。「私はいつも」で宙ぶらりんになって、最後の「引き戻される」でやっと着地するわけですね。
それに対して、「流れにまかせる方式」だと、次のように訳すことができる。
「私がいつも引き戻される場所は、これまでに住んできたところ、そのときに暮らしていた建物やその界隈だ。たとえば、東70丁目台にブラウンストーンの建物があって、戦争が始まったばかりの数年間、そこをニューヨークで最初の住まいにしていた」
これは原文の流れに沿った訳し方で、読みやすいが、酔っ払いの繰り言のように、だらだらと長くなる傾向がある。』
『 あるイギリスの小説を読んでいたら、次のような一節がでてきた。
There had been a time when he had thought his wife's stupidity a misfortune; now he knew that it was a vice.
これをうまく訳すのは、実は難しい。ポイントは vice をどう訳すか、である。手もとにあるリーダーズ英和辞典で vice を引くと、「悪、悪徳:非行、堕落行為、悪徳;売春;〈馬・犬などの〉悪癖‥‥‥」 と出ている。お馴染みの英辞郎でも、 1. 悪徳,不道徳 2. 悪習、悪行 3. とだいたい同じことが同じ順で記されている。
日本の英語学習者は、こういう辞書を見て、 vice の第一義は「悪徳」だと確認し、さっきの文を 「彼は妻の愚かさを不運だと思っていた時もあったが、今はそれは悪徳だとわかった」 と 訳すのである。
しかし、これで意味が通じるだろうか。前半部分はわかる。「妻は愚かだ。馬鹿だ。そんな女と結婚したのはわが身の不運だ」といいたいのだろう。だがそれがなぜ「悪徳」になるのか。 文章の構築法として、 misfortune と vice を対応させているのは明らかなので、 misfortune が「自分にとっての不運」であるなら、 vice は 「自分にとっての vice 」と解釈するのが妥当である。
つまり、愚かな妻を持つことは、「自分の不運」だと思っていたが、実は「自分の悪徳」だった、といっていることになる。奥さんが馬鹿だと、旦那は悪人なのか。やっぱりよくわからない。
こういうとき役に立つのが、英英辞書である。私の場合、イギリスの小説を訳すときには、コリンズ社のコウビルド社のコウビルド英英辞典をとりあえず参照することにしている。
その辞書で vice を引いてみると、「悪」だの「悪徳」だのという説明はいっさいなく、いくなりこう書いてあった。
A vice is a habit which is regarded as a weakness in someone's character, but as a serious fault. ( vice とは、性格の弱さとになされる習慣のことで、通常は深刻な欠陥であるとは考えられない)
つまり、意志が弱くてやめられない癖、たとえば喫煙や飲酒のような「悪習」のことを vice という。 場合によっては「悪徳」と訳すこともあるだろうが、今の用法ではずいぶん軽い意味で使われているのである(例・Chocolate ice cream is my vice = チョコレート・アイスクリームはわたしの vice である )
というわけで、さっきの文をやや説明的に訳せば、「愚かな妻を持つのは身の不運だと考えていたこともあった。今ならわかるが、それは性格が弱くてやめられない悪い癖のようなものだ」
ということになる。愚かな妻は喫煙や飲酒と同じで、意志を強く持てばやめられる(離婚できる)が、なかなかそれはできない、といっているのである。 (第190回)
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