67. ブレークポイント (ジェフ・スティベル著 2014年8月 今井和久訳)(BREAKPOINT Copyright©Jeff Stibel、2013)
本書は副題に ”ウェブは過成長により内部崩壊する” とあります。著者(脳科学者兼起業家)の主題は、脳神経ネットワークとインターネットのブレークポイントについての考察であります。私は、主題についてはよく解からない部分もありましたので、著者のそれ以外の多様な見識に感心しましたので、ここでは私の感心したものについて話題とします。
『 1944年、アメリカ沿岸警備隊はベーリング海のアラスカ沖合に位置するセントマシュー島に29頭のトナカイを放った。トナカイは苔が好物で島は苔におおわれていたため、トナカイたちはそれをむさぼり食い、大きく成長し、急激に増殖した。1962年までに島のトナカイは6000頭に達し、その多くは本来の生息地に住むトナカイよりも肥っていた。
セントマシュー島は無人島だったが、1964年5月にアメリカ海軍がトナカイの写真を撮ろうと島に飛行機を送った。しかしトナカイを見つけることができず、クルーは山の多い地形のためにパイロットが低空飛行したがらなかったせいにしていたが、彼らは島のトナカイが42頭を残し全滅していたことをわかっていなかった。苔の代わりに島はトナカイの骸骨に覆われていたのである。
セントマシュー島のトナカイのネットワークは崩壊していたのだ。個体数が増え過ぎ、消費し過ぎた結果である。トナカイは自然が補充できる苔の量を超えて食べるようになった時に、事の進展に重要なポイント、すなわちブレークポイントを超えたのである。ほんの数年のうちに残った42頭も死んでしまった。
トナカイは野生においては、その場所の苔を食べつくすと新しい場所に移動し、一年後にトナカイが戻ってくるときには、苔で満たされている。当然のことながら島では移動という選択肢はない。 』
『 デボラ・ゴードンはアリを研究している。年に1回、彼女はスタンフォード大学の職を離れ二人の子供たちに別れを告げて、シャベルとつるはしと学生を満載にしたバンでアリゾナ砂漠に向けて出発する。彼女は調査地の何百ものアリのコロニーそれぞれに名称をつけ、各コロニーのそばの岩に名前を書く。
ゴードン博士と学生たちはアリにも標識をつける。彼らは日本製の特殊なマーカーを使ってアリの背中に特定の色を塗るのだ。かれこれ三十年にわたって、毎年毎年、デボラ・ゴートンはこのお決まりの作業を行っている。
デボラ・ゴートンは、子供の時アリをじっと見て時間を過ごし、どうしていつも忙しそうなのか、どうしてまっすぐ行進するのか、大人になってからもずっと、それらの疑問に答えを出すことに打ち込んできた。やがてゴートン博士は生物学の三つの学位を取得し、いくつかの魅力的発見をした。
アリのコロニーはいくつもの理由から興味深い。アリは地球上に一億年以上前から存在し、約一万二千もの分類種があり、南極を除くすべての大陸に生息する。彼らはコミュニケーションを交わし、自衛し、食べ物を求めて信じられないほど遠くまで出かけてゆく。アリをとことん研究することで、ゴートン博士は事実とフィクションを切り離すことができた。
すべては、一匹の雌の羽アリが生まれ育った巣を離れて一匹もしくは複数の雄アリと交尾するところから始まる。雄は交尾を終えるとすぐ死んでしまう。交尾をしたあと、雌のアリは野原へ飛んでいき、適当な一区画を見つけて羽を落とし、土の中に小さな巣を堀り、複数の卵を産む。最初に産んだ卵を大切に世話し、大人になるまで育てる。
大人になった若いアリはただちに食物集めをはじめ、巣を掘って保守し、幼虫やサナギの面倒を見る。最初の雌アリはいまやコロニーを女王であり、巣の奥深くで暮らす。やるべきことはただ一つ、産卵することである。彼女はせっせと卵を産み、最初の5年でアリの数は急激に増える。そのすべてが女王アリの息子であり娘である。
興味深いのはここからだ。ここで何が起こるか、それを正確に明らかにしたのはデボラ・ゴートンである。女王アリは15年から20年生きて産卵を続けるが、5年目以降、コロニーのサイズはそれ以上大きくならないのだ(ゴートン博士はどうやって知ったか?ある年数を経たコロニーをいくつか掘り返して、一匹一匹、すべてのアリを数えたのだ)。
女王アリにはいつも赤ちゃんアリがいるが、その赤ちゃんたちが年長のアリと入れ替わる(働きアリの寿命はわずか一年ほどである)、もしくはコロニーの外に送り出されて交尾し、自分のコロニーを創成するのである。アリのコロニーにはブレークポイントがあるのだ。
「アリは利口ではアリません(アンツ・アーント・スマート)」ゴードン博士は簡潔にこう言っている。アリの脳細胞はおよそ二百五十万個くらしかない(それに対し、平均的なカエルの脳細胞は1600万である)。賢くないにもかかわらず、アリはかなり高度なことをする。コロニーがブレークポイントを超えて成熟すると、アリの集団知が増大する兆候を見せる。
アリはフェロモンでコミニュケーションを取り、互いに情報をやりとりする。彼らは他のアリから受け取った情報をもとに、その仕事を引き受けるかを瞬時に決める。彼らはまた、コロニー内の未来のアリと時を経て情報を共有しているらしい。つまり、ある種の集団記憶を持っているのである。
アリの群れは非常に複雑なルートを習い覚えていて、食料を持って帰ってくることができる。アリたちは自分たちの女王を保護し、自分たちの縄張りを捕食者や他の帝国主義的なアリのコロニーから守る。巣を清潔かつ手入れの行き届いた状態に保ち、ゆくゆくはコロニーの外へ出て交尾し、新しいコロニーを創世することになる、生まれたばかりのアリを養育する。
さて、ここにこの小さな生物機械、アリがいる。アリは知能に関してはとても原始的だが、そのコロニーは非常に高度なことを行っている。大人のアリはグループや一つのユニットになって行動するとき、理論では理解できないくらい素晴らしくなる。そこから、アリの知能は個々のアリのものではなく、グループのものであることがわかる。
「アリは利口ではアリません(アンツ・アーント・スマート)」だが、コロニーはまぎれもなく優秀である。一万匹からなる収穫アリの成熟したコロニーは総計二五〇億のニューロンを持つ。その数はチンパンジー一匹の五倍にあたる。コロニーの知能は最も高度な脳にさえ匹敵するまでに成長する。
コロニーは時間を記録できるし、複雑なナビゲーションを行うこともできる。アリたちは公衆衛生、経済、農業、さらには戦争(行為)すらも効果的に管理している。多くの点で、このコロニーの知能は回答を出す以上に多くの疑問を提示する。
コロニーが成長を止めたあと、アリが賢くなるのはなぜ? なぜアリにとって今あるコロニーをどんどん大きくしていくよりも、新しいコロニーを創世するほうがいいのか? コロニーはブレークポイントを超えて成長することができたなら、ますます多くの知能を獲得していくのではないのか? そしてこれが何よりも重要なことなのだが、アリのネットワークからどうやて知能が生じるのか? 』
『 もちろん、あなたはネットワークについてすべてを知っているはずだ。なぜなら、頭の中にかなり高度なネットワークを持っているからである。私たちの脳はもしかしたら最も複雑なネットワークかもしれない。しかし、アリのコロニーと同様に、お粗末なところもある。
つい最近まで、脳はまさしく謎であった。脳の画像化技術の急激な進歩によって私たちの頭のなかを透かし見ることができるようになったのは、ここわずか五十年のことである。それまでは、脳は特殊なもの、知ることのできないもの、科学を超えた神秘的なものと考えられていた。
そう信じている人は今日でもなお、少なくない。心臓をポンプに、眼をカメラのレンズに、関節をちょうつがいになぞらえるのは解かりやすい。人間の脳――頭蓋骨のなかにひっそりと収まっている。しわだらけでねばねばした一四〇〇グラムほどの塊――を、できる限り適切に類推させるものは何だろうか。アリである。
つまるところ、脳は並はずれた機械的な仕事を行っている普通の臓器にすぎないのである。脳はアリのコロニーと同じく、基本的には巨大なネットワークである。ただ、アリではなくニューロンで構成されている。人間の脳には、大きさが一ミリにも満たないニューロンが約一〇〇〇億個ある。
個々のニューロンはかなり愚かで、やっていることといえば、オンとオフの切り替えだけである。ところが、ひとかたまりになるとニューロンは緻密な計算をすること、決定すること、コミュニケーションをとること、そして情報を蓄積することができる。
個々のニューロンは化学物質によって(これはアリと同じだ)、また同時に電流によってコミュニケーションをとる。すし詰め状態のニューロンは協同してパターンを構成し、そのパターンのおかげで私たちは考えたり、動いたり、コミュニケーションをとったりできるのである。
「アリたちはいわば、コンテンツ(中身)のない小さなツイッター・メッセージを互いに送り合っているようなのです。彼らは受け取るメッセージの割合に応じて次に何をするかを決めるのです。インタラクション(相互作用)そのものが丸ごとメッセージになっている通信システムなのです」。ゴードン博士は彼女のアリのことをこう言っているが、これは彼女の脳のなかのニューロンにもあてはまるだろう。
アリのコロニーと同じように、人間の脳も初めは急速に成長する。子供の頃の成長によってネットワーク結合がつくられるのだ。互いに100兆回もつながり合った何千億ものニューロンのことである。その結合はまさしく、オン/オフ情報の小さなビットに沿って処理する方法なのである。これは頭脳の言語である。 』
『 しかし一匹のアリがコロニーを賢くするのではないのと同様に、ニューロンが私たちを賢くする何かだと思わないでもらいたい。アリもニューロンも、それぞれが属するネットワークがなかったら無能なのである。アリもニューロンもその意のままにさせておくと、例えば、何匹かのアリをコロニーの外に出すと、消耗して死んでしまうまで、その場をぐるぐる回り続ける。
人間の場合、生まれてくるまでに大半のニューロンは形成されているが、生まれたときはまだほんの赤ん坊である。ネットワーク結合もまた、私たちを賢くしてくれるわけではない。実際、成長するとともにほとんどの結合は失われていくのだ。脳は最も弱い結合を定期的に取り除き、欠陥のあるニューロンを”細胞の自殺(アポトーシス)”と呼ばれる自然のプロセスで取り去る。
それは量の多さを質に置き換え、私たちを追加の量を必要とせずに賢くする。脳が成長を止め、量的均衡点に達すると、質的な成長が始まる。私たちは知性を得て、賢くなるのである。
ここは重要な生物学的ポイントで、何度でも繰り返す価値がある。脳は縮むと賢くなるのである。ゴートン博士の収穫アリのコロニーもまったく同じである。コロニーは五年目に均衡に達すると、約一万匹を残してあとはすべて切り捨てる。この時点で、コロニーにいくつかの変化が生じる。
思い出してほしい。コロニーが成長を止めると、再生産(生殖)が始まる。繁殖力のある雌は雄とともにコロニーから送り出され、交尾して新しいコロニーを作る。これで元のコロニーは大きくなりすぎないですむ。同時に、人間の脳のニューロン・ネットワークとまったく同じように、アリのコロニーは小さくなって、逆に賢くなる。様々な出来事に対する彼らの反応はより素早く、正確になり、より堅実になる。
このことをゴードン博士は知っている。コロニーに出かけていって、巣をめちゃくちゃにしたり、あちこちに爪楊枝をばらまいたりしてアリをいじめたからだ。彼女は五年以上経ったコロニーで実験を行ったとき、アリたちはその都度、首尾一貫した反応を示すことを知った。彼らは、「恒常性が高まっていました。もっとひどい目に遭わせたり、混乱させたりしても、コロニーは何事もなかったように行動したのです。一方、若い小規模なコロニーでは反応は様々でした」。
爆発的な成長の段階を終えると、コロニーはその焦点を量から質へ移すようだ。コロニーそのものは人間の脳とまったく同様に、聡明なネットワークになる。そして、もっと広く自然界を見渡せば、このパターンはあらゆる生物のネットワークにあてはまることがすぐにわかる。 』
『 もしあなたが、私たち人間を他の動物界から隔てているものは何か、一つ挙げよと言われたら、答えは以下のどれになるだろう。二足歩行、他の指と向かい合わせにできる親指、火の利用。これら三点はもちろん重要だが、ハーバード大学の人類学者リチャード・ランガムは四つ目の新説をを唱え、それはブラジルのリオ・デ・ジャネイロ連邦大学の神経科学者、スザーナ・エルクラーノ=アウゼルの調査によって最近裏付けられた。
彼らは、私たち人間を際立たせているのは調理する能力だというのだ。私たち人間が他の人類猿より脳を発達させるためには、毎日のカロリーの摂取量を七〇〇キロカロリー以上増やす必要があった。今日では簡単そうだが、思い出してほしい、私たちは当初生食で生活していたのだ。それは、私たちの祖先にとって大きな問題となった。
生のものを食べるのはものすごく時間がかかるのだ。ゴリラは、私たち人間の三分の一のサイズの脳を維持するのに必要なカロリーの食料探しと摂取に、一日の八〇パーセント近くを費やしている。私たちの脳をサルのサイズから人間のサイズに成長させるためには、毎日九時間以上も野菜をバリバリ食べ、生肉を噛まなければならない。
これでは他のことに費やせる時間はほとんどなくなり、私たちの脳を無用にする。食べ物は調理すると実質的に組成が変化し、調理された食べ物はより速く食べることができるし、消化も速い。調理することで、私たちの祖先は、他の方法よりも多くのカロリーを摂取するようになり、お腹を空かせている育ち盛りで空腹な脳にエネルギーを供給することができたし、その脳を使う時間もできたのだ。
エルクラーノ=アウゼルは自分の発見を全米科学アカデミーに報告した後、「私たちが他のいかなる動物よりも多くのニューロンを持っているのは、調理が質的な変化をもたらしたからです」とまで言った。人間が他の動物と大きく異なるのは、調理によって他の動物より大きな脳を維持できるところまでエネルギーの摂取量を増やすのとができたからである。
私たちは、人間が賢くなったのは、木から下りたからだとか、二足歩行をするようになったからだとか、火を発見したからだとか信じていたが、もしかしたら大食いだったからなのかもしれない。人類は他の動物が手に入れることができなかった効率を創造することで、自分の環境収容力を増加させた。
エルクラーノ=アウゼルが言うように「そのことを考えれば考えるほど、キッチンに敬意を表して頭を下げる。それが私たちがここにいる理由なのだ」 』
『 過去数年にわたって私は、誰かあるいは何かに自分の脳をいじくり回されたり、神経回路を配置替えされたり、記憶のプログラムを作り直されているかのような不快感を抱いている。私が把握している限り、思考がどうかなっているというわけではないのだが、変わりつつある。
私はかつて考えていたようには考えない……ネットのせいで、集中力やじっくり考える能力が衰えているように感じるのだ。私の思考は今、ネットがばらまくままに情報を取り込んでいる。それは素早く動く粒子の流れのなかにある。かって私は言葉の海のスキューバ・ダイバーだった。今はジェットスキーに乗っているかのように水面を素早く走り抜けるだけだ。
二〇〇八年にアトランティック誌に記載され、広く読まれたニコラス・G・カー の記事「グーグルは我々を愚かにしている?(Is Google Making Us Stupid?)」は、このように始まっている。カーはこの論点を、ベストセラーでピューリッツァー賞候補になった著書「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること(The shallows: What the Internet Is Doing Our Breains)」の中でも展開していおり、彼と同年輩の多くの人たちがウェブへの依存状態は危険であると、彼の意見に同意している。(shallow 浅薄(あさはか)) 』
『 ソ連崩壊の後、ロンドンのエコノミストがロシアのサンクトペテルブルクの役人から質問を受けた。「ロンドンの全住民のパンを供給しているのは誰ですか?」。民主主義国家に住んでいる人にとっては、ほとんど理解不可能な質問である。奇妙な質問だとかたづけてしまっては問題点を軽視することになる。
英国人のエコノミストは笑いをこらえて真面目に回答した。それはどういう意味だ、誰が担当しているかって――「誰も担当していない」。日常生活のあらゆることが中央政府によって計画されている環境に慣れていた新体制の資本主義ロシアの役人には、繁栄しているサプライチェーンネットワークがひとりでに生じたとは信じられないことだった。
そのように考えると、複雑な仕事が、誰も担当しなくても達成されるのはまさしく信じられないことなのである。しかし、自由市場はそのように機能するのだ。自由市場は限られた中央政府の指揮、限られた官僚制度、限られた規制によって反映する。
自由市場では、企業のネットワークが、様々な事柄の複雑な連鎖に依存したサービスを途切れることなく提供する。中央で指揮する人なしに製品を消費者に届けるためには、パンのような単純なものでさえ、パン生地製造業者、パン屋、店頭販売員、その他多くの企業が途切れることなく働かなくてはならない。
英国人エコノミストでさえ、その質問について考えた後で、自分の答えが自明のものであることを撤回した。「そのことについて注意深く考えると、答えは驚くほど信じがたいものだった」
もしかしたらそれが、科学者たちが二十世紀になるまで脳が中央統制を持たないことを解明できなかったことや、女王アリも他のアリもコロニーを監督しないことの理由かもしれない。もしかしたらアメリカ政府は一九九五年にインターネットの管理をやめたときにそれを理解していたのかもしれない。
もしかしたら、一九九三年に、ウェブは誰もが自由に使えるようになるだろうと賢明にも発表した時点で、ワールド・ワイドウェブ発祥の地である欧州原子核研究機構(CERN)にとっても明らかだったのかもしれない。
従って私たちお気に入りのネットワークである脳、アリのコロニー、インターネット、ウェブはすべて自ら組織されているのだ。数ポンドを持った英国人なら誰でもパンを一斤買えることを保証する、ロンドンの小麦生産者、パン屋、食料品店のネットワークのように、誰も統括していないのだ。 』
『 ほとんどの人は、サーチエンジンを情報を見つけるためのものと思っている。さらに「検索」という言葉は「見つける」とペアで使われがちである。そして、見つけることが第一世代のサーチエンジンが行っていたことなのである。それらのサーチエンジンはできる限り数多くのページを見つけた。
しかしながら、毎日10億ページがウェブに加えられる世界では、いいもの、素晴らしいものもあるが、大半は全く価値のないものである。そこで、サーチエンジンの主たる目的はフィルター機能となる。見つけるのではなく、排除するわけだ。
10の100乗という巨大な数字に因んで名づけられたグーグルは、索引付のページの量から、検索結果の質へと焦点を移して根本的に変わった。このような変化へのニーズはインターネットの成長と共にはっきりしてきた。偶然ではない。脳も情報を思い出したり検索したりするときに同じことを行う。重要なものに適切な価値を割り当て、それ以外のものを捨てる。
インターネット上で、どうやったら振るい落すものと維持するものを判断できるだろうか?人間が最も価値があるとみなすものを、どうやったらコンピュータープログラムが判断できるだろう?グーグルはそれらの問題を解決する単純なコンセプトで、新世代の検索への道を開いた。ウェブサイトの重要性は他のウェブサイトとのリンクがどれくらいあるかに正比例する。
そして、リンクの数だけでなく、リンクの質もまた問題なのである。最良と考えられるウェブサイトは、多くの信頼できるウェブサイトとリンクされている。これはジェリー自身がウェブサイトの質を審査し、彼がそのサイトを気に入ったらリストに載せていた「ジェリーのワールド・ワイド・ウェブ・ガイド」を思い起させる。
唯一グーグルだけが、ジェリーの役割を、それぞれのサイトを構築しリンクを選んでいる数百万人のウェブマスター(サイトの管理者)に置き換えたのである。もしウェブマスターがあるページにリンクしたら、その人はそのサイトを支持したことになる、というアイデアである。
そこには数百万人のジュリーがいて、グーグルは基本的にそれぞれの推薦を集めてウェブサイトをランク付けし、ユーザーがそのページを最初に見たいか、あるいは五番目か一〇〇番目かを決定する。その結果、検索結果の中で最も良いリンクが付いたサイトが一番上に表示される。
もちろん、ひとたびグーグルのトップを獲得したサイトは、さらに人気が出てより多くのリンクを獲得する。聞き覚えがあるだろうか?あるはずだ。なぜならそれが脳の作用だからだ。最も豊かなつながりを持つ最良のニューロンが、その周りの他のニューロンのほとんどとつながっているからである。
Yahoo!では、ジェリーがサーチエンジンの裏にある脳だった。グーグルではインターネット自身が脳のように働くのである。グーグルのアルゴリズムは、独自の方法で、散乱したゴミを片づけて良いものを見つける脳の機能を模倣している。リンクの関連性を評価するグーグルの方法はまさに単純な自然のネットワークと同じように働く。
ニューロン間のリンクは、どれだけ他のニューロンとの関連性を持っているかで、重要性をはかられる。また、その重要性が活動を引き起こしたり制御したりしている。グーグルは似たような構造を使って、検索結果を通じてウェブサイトをランク付けしたり抑制したりしている。 』
『 十七世紀後半、ジェームズ・マレー教授はオックスフォード大学出版から仕事を課せられたが、それはまたとない機会だった。「語彙の完全性と、生活と言葉の使い方についての歴史的手法の応用によって、英語と英語学にとって価値が出るかもしれない」辞書を作るというものだった。
そのころのほとんどの辞典では話し言葉や科学用語は大半が無視され、言葉の歴史はほとんどすべて除外されていたため、そのアイデアは興味深かった。オックスフォードの提案はマレーに数多くの課題を与えた。まず、既にたくさんの英語辞典があったので、新しいものはユニークでなければならなかった。
次に、辞書は高価で、編纂するのに時間がかかった。最後にオックスフォードの名前が付いた辞典は他より優れたものである必要があった。新しい辞書を編纂する代わりに、同僚の一団に項目作りをさせるという新しい編集戦略を採用した。
マレー自身の役割は辞書を作ることではなかった。その代り、彼は全体の編集者となった。この方法を取ることで、マレーは専門家を雇う費用を削減し、大衆のもつ多様性を利用した。最初の数年間で、マレーは、大量の言葉とその意味が書かれた紙片を何万人ものボランティアの寄稿者から受け取った。
五年後にオックスフォード英語辞典の初版が出版された。世紀が変わっても辞典の仕事は完成版が出版されるまで続いた。それは秀でた英語辞典となり、今日も金字塔的な存在であり続けている。
このクラウドソースの仕事の成功が、ウィキペディアやワールド・ワイド・ウェブの前になされていることを考えると驚くべきことだ。しかしそんな言い方では、この話の本当のすごい歴史的背景をないがしろにしている。オックスフォード英語辞典は二十世紀に考え出されたものではなく、一〇〇年以上前の一八八四年に始まったのだ!クラウドソーシングはとても古くからあるのだ。
マレーの辞典をウィキペディアと比べて際立たせている、時代よりももっと重要なことがある。ウィキペディアは項目がすべて大衆によって書かれ編集されているのに対して、マレーは、オックスフォード英語辞典全体を監修する編集長であり続けた。色々の意味で、マレーのこの制限をつけた創作物は、現在ウィキペディアに欠けている質の豊かさを与える。 』
『 ホヤの一生で最初にして最重要の仕事は、住む場所を見つけることである。メクラウナギやヤツメウナギに近いこの小さな海洋生物は海中を泳ぎ回り、いろいろな場所のプラス面とマイナス面を秤にかける。海底や海中の岩、ときには船体の一部分が検討対象になる。
ホヤは申し分ない場所を見つけると、そこに付着し、終の棲みかとする。ホヤは一生を、この場所で過ごし、ただ一つの作業をする。海水からフィルターをかけて食料となるプランクトンを取り出し、残った水をはきだすのである。
この作業は呼吸のように自動的に行われ、知力をほとんど必要としない。いい岩を見つけると、ホヤは棲みかを見つけるのを助けてくれた脳をもはや必要としないと判断して、食べてしまうのだ!その後は、脳を持っていたときよりも遥かに少ないカロリーしか必要としなくなる。実に賢い。
自分の脳を食べてしまうことは、小さなホヤやその仲間たちにとってかなり好都合なのだ。ホヤは五億年以上前、カンブリア紀の初め頃から地球上に存在する。すべての動物の主たる目標は長期にわたって生き残ることで、その目標達成のために、多くの生物はホヤと同様に独自の技を開発している。
アカガエルは心臓の機能に影響があるほど寒いとき、体のほぼ半分を麻痺させて、一時的に心臓の鼓動を止めてしまう。ある種のオオアリは、強敵に直面したとき、身をよじって、自分の体を破裂させ、敵に毒を浴びせる。
そのアリは死ぬが、敵を殺し、自らを犠牲にして残りのコロニーを強敵の脅威から守るのでる。カエルであろうと、アリのコロニーであろうと、ホヤであろうと、いかなる種も最終目標はどんな犠牲を払ってでも長く生き残ることである。 』
『 言語学者たちは、子供にとって第一言語を習得するのが最も容易となる重要な発達の時期があることを知った。このコンセプトは一九五九年にマギル大学の神経学者、ワイルダー・ペンフィールドによって初めて理論的に取り上げられ、その後の研究で立証された。
いくつかの点で異議を唱える学者もいたが、第一言語を習得する重大な時期は生後四ヵ月から五歳までの間であることが一般的に認められた。この時期を過ぎると第一言語を取得することは非常に難しくなる。(第二言語を習得するのにも重大な時期が存在すると信じられている。この段階はだいたい思春期までで、この時期を過ぎると言語習得は一般にもっと難しくなる)。
この重要な時期についての理由は、成長期の間は、ブレークポイントを超えたあとよりも、脳がはるかに柔軟だと広く信じられているからである。ニューロン接続が成長している間は、脳は非常に適用性があり、そのため学習は促進される。それらのつながりが失われると、脳はより高度に調整されるが、より硬直化もする。
結果的に、学習し、順応することができる柔軟なニューロンを必要とする言語習得は、子供のほうがはるかに容易なのだ。中年期以降の言語習得は、ニューロンがいっそう固まっているため、より難しくなる。
もう一つの理論も同じようにもっともらしい。脳のブレークポイントの後、言語を符号化するのに必要なニューロンのつながりを相当数失うようだというのである。一旦脳が第一言語を習得したら、複数言語を持つことに進化的な利益はほとんどないので、それらの高くつくネットワークは必要なくなる。
この説については、ハーバード大学の言語学者、スティーヴン・ピンカーは自書「言語を生み出す本能」で説得力のある論拠を記している。「言語習得の回路は一回使われたら必要なくなる。その回路は取り除くべきで、もし持ち続けると負担を生じる。……実用性を超えたポイントの辺りにある貪欲な神経組織はリサイクル用ゴミ箱行にふさわしい」
どちらの理論が正しいにせよ、言語学習には、独自のブレークポイントがあり、それは脳のネットワークの段階とは異なることは明らかで、言語習得には成長段階、ブレークポイント、そして均衡時期がある。 』
『 イタリアのパルマ大学に勤務する神経科学者ジャコモ・リッツォラッティは、サルが手を伸ばしてモノをつかむ時のニューロンの反応について研究していた。リッツォラッティはサルの脳に電極を埋め込んで、サルが一握りのナッツをつかむたびにニューロンが予想通りに発火するのを観察した。
この実験は目新しいものでもないし、刺激的なものでもなかった。リッツォラッティは神経科学者がとっくの昔に確認したプロセスを研究していたのだ。体は運動皮質のニューロンが反応して動く。しかし、その時、意外なことが起こった。ある大学院生がアイスクリームコーンを手にして研究所に入ってきた。
サルが関心を移し学生がアイスクリームを食べ始めるのを見た……すると、サルの運動ニューロンが活性化したのだ。当時の認識だと、この結果はあるはずがないことだった。個々のニューロンは単一の単純作業しかしないと想定されていた。ニューロンは狭量で、運動ニューロンは自身の運動皮質で活動発火し、他の誰かの行動で反応しない。
そしてここが最も重要なところだが、ニューロンは私たちの行動や他の人の行動をたどることはできず、そのような動きはしないと思われていた。それはあたかも車があなたのアクセスペダルを踏む圧力に反応するだけでなく、道路を走る他の車の運転手が踏み込んだアクセスペダルにも反応するようなものである。
神経学者のリッツォラッティは誰よりも深くこのことを理解していた。彼が最初に出した結論は単純で、実験器具が壊れているか、ニューロンが不適切につながっていたというものだった。そこで彼は別の機械を使って、別のサルで、別の脳の領域で何度か実験を行った。いずれも結果は同じだった。
ニューロンは他人の行動に反応して発火するのである。リッツォラッティは現在ミラーニューロンと呼ばれている新しいタイプのニューロンを発見した。過去十年以上にわたり、他の神経科学者たちはリッツォラッティの実験結果と同じ結果を出し、そのニューロンが人間にも存在することを証明した。
ミラーニューロンは実に驚くべきものであり、また、私たちが脳についてどう考えるかの見直しを迫るものだ。それはとりわけ人間に言える。私たちは他のどんな動物よりも、はるかに多くのミラーニューロンを持っており、ミラーニューロン自体ももっとずっと複雑であることが立証されている。
神経科学者たちは、今やミラーニューロンが、特に共感、文化、言語の分野に於いて、私たちの認識能力の大半の原因となると信じている。常に大胆な神経科学者、V・S・ラマチャンドランは「DNAが生物学に及ぼしたことを、ミラーニューロンは心理学に及ぼすだろう」とまで極言した。
ミラーニューロンはホムクルス(かって精子の中に存在すると考えられていた超小人)でもなければ知的でもない。しかしミラーニューロンは他のニューロンにできないことができる。予測することである。運動皮質の中のミラーニューロンは行動の意図を見分けることができる(アイスクリームコーンを持つこととそれを食べること)。
どういうわけか、ミラーニューロンは本当の意図のみに発火し、無意味な行動やでたらめな身振りには発火しないのだ。南カリフォルニア大学の神経科学者マイケル・アルビブは、ミラーニューロンをその全コンテクストで説明した。
「運動皮質の直前にある前運動皮質に位置するニューロンは、他人の行動の意味を理解する仕組みなのです」
しかし、ミラーニューロンはそれ以上のことを行う。脳のほとんどの部分で見られることだが、ニューロンは共通点のない情報を共通点のないテーマでつなぎ、文字通り点と点を結んで全容を明らかにすることを可能にする。
私たちは誰かがアイスクリームを食べるのを見て行動のミラーニューロンを発火させる。それが運動皮質を活性化させる、あるいは行為を真似させるようなことはなくても、誰か他の人の行動を私たちの脳に効果的にリンクして、脳の他の分野から反応を引き出すようだ。ミラーニューロンは私たちに共感を与え、他の人たちを私たちの生活のコンテクストに入れる。
私たちが言葉と意味をどうやってつなげたかをワードネット(ワード間の意味による相互ネットワーク)が証明したのに対して、ミラーニューロンは実際に言語の習得に必要な構成部品を供給した。結局言葉は言語パズルのほんの一片でしかないことがわかった。残りは予測することを可能にするところから来る。私たちがどうやって言語を習得するかという洞察を探し求める科学者たちは、その答えをミラーニューロンに見出すかもしれない。
生後数週間の乳児は周りにいる人々の真似を始める。しかしそれは鳥もチンパンジーや犬でさえ同じようにする。他の人が話す時のように舌と口を動かす、他の人が歩くように腕と足を動かす、他の人の動きに合わせて頭と目を動かす、他の人の表現に反応して微笑んだり眉間にしわを寄せたりする。
こういう振る舞いはたいてい自動的にされている。純粋に物真似であり、意志や意味に裏打ちされているわけではない。しかし最終的によちよち歩きの幼児は目的物を探し始める。はじめは頭を使わない物真似をしているが、脳が発達すると、理解して物真似するように変わる。こうして幼児は言語を学ぶことができるのである。
これは、ブレークポイントへと近づきつつある脳の成長期間中、幼児期早期にミラーニューロンの発達の結果として起こるようである。一旦発達すると、複雑なパターンが現れる時、ミラーニューロンは脳内で発火する。ミラーニューロンは言語と脳の運動野とをつなぎ、行動(話す、書く、身振り、手話)と意図を複雑につなげる。
注目すべきは、ミラーニューロンが最初に発見されたのは、話すことができないサルだったことだ。霊長類のミラーニューロンは人類のそれと比べて原始的なため、多くの意味あるつながりを形成できない。
つまり、複雑な言語を開発する能力を制限する。代わりに、霊長類は他者の意図よりも環境について予測するのにミラーニューロンを使って原始的な方法でコミニュケーションをとる。 』(第66回)
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