70. 「感性の扉」をひらく秘密の法則 (尾坂昇治著 2003年9月)
『 いろいろな企業で学ばせてもらったおかげで、私は企業や国や自治体の多数のプロジェクトのキーコンセプト作りに関わることができた。
「WAVE」(六本木ヒルズ計画の一部)、西友の「無印良品」展開構想、「地中海クラブ」「WOWOW」「INAXギャラリー」「浅草ROX」「新宿パークタワー」「電脳山田村」「北川村「モネの庭」マルモッタン」などが代表的なもだ。
現在進めている大きなプロジェクトの一つが、生活支援コミュニティ・ネットワークシステム「お元気モード」だ。どういうシステムかというと、一人暮らしの高齢者が一番望んでいるもの、それは話し相手だ。
高齢者が専用端末の「さみしい」というボタンを押すと、コンピュータがボランティアの中から都合のよい人を選び出し、そのボランティアが高齢者に電話をかけるという仕組みになっている。
このコンセプトを思いついたのは、ある別の自治体で国のプロジェクトとして、介護システムの仕事を請け負ったときの経験があったからだ。
そこでは、ヘルパーさんの実情についていろいろと学ばせてもらった。介護の世界では「声がけ」がとても大切だということを知ったが、ヘルパーさんたちは「声がけ」について、みな悩みを持っていた。
高齢者の人に一度声をかけると、なかなか話をやめてくれないというのだ。だから、一日一〇件も「声がけ」ができない。しかも、高齢者の人は一日に何度でも話したがる。
高齢者の人に限ったことではないが、人はさみしいときには、何回でも話をしたがる。その結果、ベタベタした関係になってしまい、仕事も進まなくなってしまうというのである。
このシステムを使って、お互いが負担を感じない程度の「声がけ」や「ホームサービス」が新しいビジネスとして世の中に広がっていってほしいと私は願っている。
このコンセプトは、現場での経験を積ましてもらっているうちに生まれてきたもので、特別なアイデアではない。「センス」や「発想」というと、何か特別なもののように感じるひとが多いが、そうではないと思う。
ビジネスパーソンにとって必要なのは、ちょっとした「センス」や「発想」を目に見える形に実現させる能力だ。 』
『 感性テスト 三分間でバイオリンを描こう バイオリンを見たことがない人に絵で説明してみましょう。絵はヘタでも関係ありません。
このテストは、とても個性的な「バイオリン」という楽器の要素がどれだけ表現できたかがポイントになる。
ステップ1 「バイオリン」という楽器は、弦を弓で弾いて音を出す。
ステップ2 「バイオリン」の全体の形は、変形のひょうたん形で、サウンドホールがある。サウンドホールは、フォルテ記号を形どった独特の形(f字孔)になっているのだ。
ステップ3 弦を巻く「うず巻き」の部分を、コルネのパンのようにすると、ずいぶん「バイオリン」のイメージに近づくはずた。
ステップ4 「バイオリン」は、弦を弓ではげしく弾く。そのために、同じひょうたん形でもギターのような形では邪魔になるため、両わきにシェイプされている。ここまで描ければ、もう誰が見ても「バイオリン」だろう。
ステップ5 もう一歩本物の「バイオリン」に近づけるためには、「あごあて」を描く必要がある。
ステップ1 構成 20点 ステップ2 サウンドホール 20点 ステップ3 うず巻き 20点 ステップ4 ボディシェィプ 20点 ステップ5 あごあて 20点
たった三分のこのテストを終えただけでも、あなたの弦楽器に対する感性はずいぶんと解放されたはずだ。おそらく、今後はチェロをみても、ギターや三味線を見ても、すぐに「バイオリン」との違いがわかるだろう。
そして、それらの楽器の特徴があなたの新しい感性として、しっかりと自分の中に刻まれてゆく。
と同時に、楽器に対する感性やこだわりが今まで以上に強くなり、楽器の特徴を簡単にとらえることができる「感性の扉」が少しずつひらき始めてゆく、「感性の扉」は、あなたの自己意識を目覚めさせることで、ひらいていくものだ。 』
『 情報をたくさん集めていくと、徐々に自分なりの基準というものができてくる。たとえば、ワインの味をよく知っている人は、「これは甘口」「これは辛口」というようなことをよく言うが、それは基準となる味を知っていなければ言えないことだ。
自分の中に、「ほどよさ」という味の物差しを持っていて、さらにその物差しの中に甘口を識別する基準を持っているから、甘口か辛口かを判断できるのだ。
物差しには、味という物差しもあれば、香りという物差しもある。色という物差しもあるし、産地や年代などの物差しもある。
私の知り合いには、ワインを選ぶときに色や味や香りで選ばずに、コルクで選ぶ人がいる。彼に言わせるとコルクを見ればいいワインかどうかわかるそうだ。
これは彼なりにいろいろなワインを飲み続け、コルクについての情報を集めた結果、コルクと味の関係について自分なりの物差しと基準ができているからだ。それが、ワインについての感性、センスとして表れるのだ。
コーヒーについても、いかに多くの物差しを持ち、たくさんの基準値ができているかが、コーヒー通かどうかを左右しているといっていい。 』
『 先入観を持たずに、じっくりと眺めるというのもデータのインプットには欠かせない方法だ。少し古い話になるが、私は高校生のとき、美術の先生にすすめられて「影」というものを見続けたことがある。
一日中影を見続けるのだ。ずっと影を見続けても最初は何も感じない。影から何かを発見できるとも思えない。
しかし、ずーっと真剣に見続けていると「あっ」と思う瞬間があった。影にゆらめきがあることがわかったのだ。さらに影を見続けていると、影にいろいろな色があることも見えてきた。
影は決して黒ではないのだ。この発見によって影というものに対する新しい視点が自分の中にできてくる。
その後、ヨーロッパ、アメリカ、アジアへ行ったときは、それぞれの国で影をよく眺めた。すると、それぞれの国で影に違いがあることがわかった。
フランスでは何となく影が青紫色に見える。おそらく太陽の光や気温や空気などによって微妙に影の色も違っているのだと思う。
実際に、アーティストの作品を見てみると、モネのようなフランス印象派の画家の絵では影に黒は使われていない。補色が使われていたり、紫色が使われていたりする。
あなたもいろいろな画家の作品を見てみると、影に黒が使われていないことがわかるはずだ。
「影は黒」というように単純な決めつけをせず、素直な気持ちでじっくりと眺めていくと、影にも色彩という軸があることがわかる。
このように、先入観を持たずに素直な気持ちで見つめることによって、大きな発見が出てくることがある。それが、その後のデータのインプットをより深みのあるものにしてくれる。 』
『 「感性」というのは、結局のところ、いろいろな種類の物差しの中に、いかに速く新しいデータを位置づけできるか、ということにほかならない。
この位置づけを正確におこなうには、その時点でのスケールの端となる点、すなわち「最高」と「最低」らしき点を早めに知っておく必要がある。
「最高」と「最低」を知っていれば、自動的に「中間点」が決められるから、位置づけが素早くなってくる。
ところが、中間点から探ってゆく場合、「これまでのものより、とんでもなく高い、低い」というようなものが突然出てきて、スケールを再構成しなければならなくなってくる。
したがって、早めに仮説の「最高」と「最低」を知っておくことが望ましい。
私は、学生時代から、いろいろな国を旅行したが、それは各地を回ることによって少しでも早く自分にとって最高の文明文化と最低の文明文化を知っておきたいためだった。
「最高」と「最低」を知っていれば、日本の文明文化が世界の中でどのくらいの位置にあるか自分なりにみえてくる。
私が、その当時、文明文化水準が最高だと思ったのは、アメリカやヨーロッパだった。逆にアジアの多くの国のなかには文明文化水準がかなり低い国もあった。
そこで、経済・現代文化・教育・歴史・自然度などにおける私の中での「最高」を一方に位置づけ、極めて低いと思った国をもう一方の極に位置づけた。そうした軸の中で日本を位置づけてみた。
そうすると、日本という国が、どれほどいい意味で極に近い国か、そして、国際社会の中で異端か、理解できる。 』
『 (発想力テスト) 五分間でマークをたくさん描こう! 時計と紙とボールペンを用意してください。あなたの発想のスピードとメカニズムを探るテストです。このテストが終わると「発想の扉」が少しひらくはずです。
〈テスト〉 用意した紙に、五分間で、一円玉くらいの大きさのマークをできるだけたくさん描いてください。 (〇△☐など、なんでもOKです。スピードが大切です。)
〈あなたの評価〉今までに、1000人以上にテストしたデータから集計した評価である。 マークの数、得点、評価、人数の割合について、以下の通りである。
① 0~15個 20点 かなり頭がかたくなっています 10% ② 16~30個 40点 一般的な人 40% ③ 31~45個 60点 発想力に興味がある人 30% ④ 46~60個 80点 発想力に自信がある人 15% ⑤ 61個以上 100点 プロ並みの頭の柔らかさがあります 5%
実際に、テストを受けている人を目の前で観察していると、トランプの記号を発想したとき、4個描く、少し止まって、〇を重ね合わせたとき、5個くらい描く、また止まって、アを☐で囲って、数個描く。何かひらめきをか感じて一つ描くと、その発想の連鎖でいくつか描く。また手が止まっる。
つまり、人の発想力というのは、単なるひらめきだけではないのだ。ひらめきの「感性軸」と、連鎖を生み出すバリエーションの「情報軸」、さらには、教育や体験などから得た「知識軸」がシナジー(相乗効果)を起こし、平面から立体と拡大してゆくのである。
さらに、1D:一次元的発想→ひらめきの感性軸 2D:平面的発想→バリエーションの情報軸 3D:立体的発想→教育・体験の知識軸 と展開すれば、発想は無限に加速し、拡大していく。
このテストを千人を超えるひとにチャレンジしていただいた。最初の5分は、緊張とアイデア枯れにたいするジレンマとで、みな一様に暗い表情でこのテストをチャレンジしている。
テスト終了後、マトリックスや連鎖の3D軸の解説をすると、急に発想の呪縛から解放されたように明るい表情に変わり、2度目のテストでは、発想することが楽しいといった感じでスラスラとマークを描いてゆく。
この変身を見るのが、とても心地よい。ただ千人の中には、最初の5分間で、マトリックスも連鎖も用いず、ひらめきの感性軸だけで、80個も描いた主婦もいた。
世の中には、私も予測できないし、本人も気付かない、すごい才能を持ち合わせた人もいるものだと感心した。 』
『 私がLoFt(東京・渋谷)のコンセプトを発想したのも。「成功している東急ハンズに勝たなければ意味がない」というギリギリの心理状態の中から出てきたものだ。
常にこうした追い込まれた状況が発想のベースとなる。「北川村「モネの庭」マルモッタン」(高知県北川村)を作ったときも、引くに引けない状況から始まっている。
「観光型ワイン工場の誘致に失敗した跡地を有効に利用したい」という地元の依頼を受けたため、「なんとかせざるを得ない」と思って取り組んだ。最初は本当にどうしたらいいのかわからなかった。
工場を誘致するために、地元ではすでに数億円を使っており、山を切りだし、土地はすでに工場用に整地されつつあり、修景緑地や用水池も掘られようとしている。
「池」と「植物」、この二つのキーワードからひらめいた。そうだ、「モネの庭」を作ろう。とんでもない発想だった。橋本知事も本当にできるか心配されている様子だった。
さまざまなシミュレーションをおこなったが、成功させるにはこの方法しかない。しかし、予算もほとんど残ってない。フランスには、日本の文化や植物を取り入れた「モネの庭」を再帰化させてほしいと願い出たが、フランスまで何度足を運んでも断られた。
私たちは、「青い睡蓮をを咲かせるのがモネの夢だった」ということをガーディナーのヴァエ氏から聞いた。そしてジペルニーより温かな南フランスに咲く青い睡蓮をヴァニ氏からプレゼントされた私は高知で育てて、花を咲かせてみた。
「まず、モネの思いを遂げるのが先だ」という発想からだった。このことによって、フランス人たちと打ち解け合い、家族ぐるみでおつきあいさせてもらえるようになった。
その結果、フランスの多くの方々の多大な協力を得て、開園にこぎつけることができた。「この北川村「モネの庭」マルモッタン」には、開園半年間で二十万人もの観光客が訪れている。
制約条件が多い中で「モネの庭」を作り出すのはたいへんなことだったが、逆に言うと、難しい条件だったからこそ、「モネの庭」を発想し、完成させることができたと言えるかもしれない。
発想を生む第一の基本法則、「条件を絞れ」というのは、実は、制約条件を決めて、自分を追い込むことにも意義がある。制約条件をつけることによって、意図的に「困った状態」を作り出すのである。それが発想のパワーを生み出す。 』
『 絵を描くときには、エスキースを描く作業と、ドローイングの二つの作業がおこなわれる。エスキースというのは、計画する前のアタリのようなもの、いわば下絵である。
エスキースを描くときには、全体の構図を考えて大きな枠組みを描いていく。これに対して、ドローイングの段階では、細部にわたるまで細かく描いていく。(エスキース esquisse 仏 下絵)(ドローイング drawing 線描)
たとえば、人物を描くときに、顔の向きや手の形などを含めて全体をどういう格好にするかを考えるのがエスキース。
それに対して、「手の形はどういうふうに描こうか」と考え、手の形ばかりたくさん描いていくとか、顔の向きを考えて右向き、左向きの顔をそれぞれ描いてみたり、顔の表情を笑顔にするかどうか考えるために顔の表情だけを描いてみたりするのがドローイング。
発想をするときや、企画を立てるときも、このエスキースとドローイングの考え方が重要だ。自分が今、全体の構図を考えようとしているのか、細部を企画しようとしているか、きちんと認識していなければよい企画は出てこない。
エスキースとドローイングをきちんと分けて考えることが重要だ。全体像を考える企画と、細部を考える企画では自ずから手法や内容が違ってくる。
企画しているときに、自分がどちらの企画をしているのか迷子にならないように、自分のしている作業の位置を見失わないようにしよう。 』
『 ものを動かすとき、動いているものをそのまま動かし続けることは簡単だが、止まっているものを動かすにはエネルギーがいる。これは人間の活動もまったく同じだ。
人間も何かするときに、止まっている状態からいきなり動こうとすると、始動のために大きなエネルギーを必要とする。だから、スポーツをするときでも、始動する前には準備体操をおこなうのだ。
絵を描くときも準備体操は必要だ。たとえば、ピカソは正式なキャンパスとサブのキャンパスという二つを使い、正式なキャンパスに描く前に、サブのキャンパスの上で筆を動かしながら準備運動的なことをしていた。
サブのキャンパスの上で手を動かし続けながら、その勢いでメインのキャンパスの上を描いていった。メインのキャンパスにある程度描き終わると、再びサブのキャンパスに手を移してそこでまた筆を動かし続けていた。
つまり、手を止めることなく動かし続けていたというわけだ。このテクニックは発想をするときにもとても役に立つ。具体的に言うと、二つのノートを使うのである。
一つは残すためのノート、もう一つはとりとめもないことを描くサブノートだ。子供のころの私は、折り込みチラシの裏に何の苦もなくスラスラと絵を描けるのに、画用紙に向かって描こうとするとプレッシャーから「うーん」となってしまって描けなくなることが多かった。
社長になってもきれいな紙に向かうと緊張するのか、どうも描けなくなる。最近になって、ようやくきれいな紙にいきなり落書きのようなことができるようになってきたが、それまではコピーの失敗用紙でないと描けなかった。
人間はきれいなノートやきれいな紙に描こうとすると、「間違えないように描こう」として固くなる。そうすると動きが止まってしまう。それは頭の働きをとめることと言い換えてもいい。
だから、手や頭の動きを止めないように、間違ってもいいノートやメモを作っておき、そこにとりとめもないことを落書きのようにどんどんと記入していく。どうせ捨ててもかまわないノートなのだから、間違ってもいいし、乱雑な殴り書きでもいい。
案外と、そういうとりとめのないことの中からいい発想が浮かぶことは多いが、そんなときには、残すほうのメインのノートに転記しておく。
そうすれば、発想の動きを止めることなく、そして、手の動きを止めることなく、気づいたときには必要なノートに重要なアイデアだけが残っていることになるのだ。
手の動きも、頭の動きも、止めないで流れを作ることが発想にとって重要である。発想の準備体操をするつもりで、サブノートやメモ用紙にランダムに書き殴ってみよう。
私は、会議のときにも、何かを考えるときにも、A3サイズの大きさの白紙を横に置いている。これにどんどんと思いついた言葉や思いついた絵を描いていく。
これがサブノート代わりだ。会議が終わると十枚程度のメモが残っていることが多い。大半は無駄なものになるが、それらの中によいアイデアが残っているかもしれないので、日付とサインを入れて、必ず整理して保存している。
企業から企画を頼まれているときには、同時に十本くらいの企画書を書かなければいけないことも多いから、毎日毎日、大量に描きまくる。
少ないものだと、一本の企画書が二十~四十ページ程度ですむが、その場合も、だいたい倍以上のメモ書きをしている。二十枚の企画書を書き終わると、四十枚以上の無駄なメモが残っていることが多い。合計すると、六十枚も八十枚ものたくさんの文字やイラストを描くことになるから、腱鞘炎になることもある。
中には、五百枚,千枚にも及ぶような企画書もあるから、そういう場合は、さらに多くの無駄な作業を繰り返している。しかし、この無駄と思える作業を積み重ねなければ、よい発想は生まれて来ない。
私は、筆記用具には徹底的にこだわっている。パソコンの性能が向上してきているといえども、やはり企画書には手書きが一番いいと思う。発想力のポイントはスピードと量だから少しでもスピードの速いツールを使うべきだ。
ただし、描きにくい筆記用具を使っていたのでは、スピードは上がらない。私はできるだけシャープで強弱の表現のしやすい、描き味がなめらかな水性ペンを使っている。それを各色取りそろえている。 』
『 「時感の鍵」を見つけるための第一法則は「スキミング」だ。スキミングというのは、いろいろなものをサラリとみていくこと。そうすると、おおよその全体の構成がつかめる。
また、全体の中のどこかの一部に引っかかるもの、気になるものがでてきたら、それをとりあえず書き留めておこう。
スキミングが終わったら、次のステップはスキミングで気になったもの、メモしておいたものについて、改めてじっくりと観察することだ。
第二の法則は「観察」だ。観察するときには、テーマを決めておくと効率がよくなる。たとえば、自分が気になる街を観察するときに、ただじっくりと眺めているだけでは効率が悪い。
銀座でも、ニューヨークでも、パリでもいいが、「人の動きを見よう」とか、「看板を見よう」とか、「ショーウィンドーの作りを見よう」などと、きちんとテーマを決めて観察すると、いろいろな情報が入ってくるようになる。
テーマを決めてじっくりと観察すれば、ある程度、時代は透けて見えてくるが、そこで終ってしまってはもったいない。さらに進んで、「なぜ、それが流行っているのか」ということを分析してみる必要がある。
時感を磨く第三の法則は「分析」である。時代というのは人々の共感が生み出すものだ。だから、現象の背景にある「共感」を分析していくことが大切だ。
「これが流行っているのは、多くの人びとがこういう気持ちになりたいからだ」というような分析をしていけば、発展性が出てくる。それと同じような、共感を生む、別の商品を開発していくこともできるかもしれない。
あるいは、今は流行っているけれど、「消費者の気持ちはこう変わりつつあるのでなないか」という予兆がみえれば、次の新しい「共感」を発見することができるかもしれない。
最初にスキミングで全体を見渡し、次に個別の現象のテーマを決めてじっくりと観察。さらに、その現象の背景にある「共感」を分析していく。この基本法則を守れば、時感は飛躍的に磨かれていく。
そこで、最後に「アートとは何か」ということに少しふれておこうと思う。アートというと「作品」を思い浮かべる人が多いが、アートという言葉は、本来、「作品を作る行為」そのものを指している。
できあがった作品を指しているわけではないのだ。美しい作品ができたのは行為をした結果であって、「たまたまそれが共感された」というだけなのだ。
だから、アートを志している人は、結果よりもプロセスをとても大切にしている。これは日本語で考えてもわかることだ。芸術というのは、芸の術。すなわち生き方そのものが芸術なのだ。
美術というものも美の術であって、美を追求しようとするライフスタイルと言いかえてもいい。どんなことにも言えることだが、何かよい結果を出すためには行為が必要だ。
より重要なことは、「よい結果」ではなく、「よい結果を追求するプロセスに大きな価値があり、結果は後からついてくるものだ。
日本の伝統的文化に見られる「手前」「作法」というのも、プロセスそのものに美を見出している。あなたが、感性を磨き、時感に合ったすばらしいアイデアを生み出したいとおもって思っているのなら、プロセス、つまり日常生活や習慣を大切にしてほしい、きっとあなたが必要としている鍵がみつかるはずだ。
最初は少したいへんかもしれないが、一歩ずつできることから習慣を身につけていけば、才能に関係なく、おのずから結果はついてくる。 』
著者は、1956年、岡山県生まれ。多摩美術大学、東京芸大大学院デザイン学科修了。「LoFt」、「浅草ROX」、「地中海クラブ」、「INAXギャラリー」、「マルモッタン」をはじめとする、業態開発、都市計画、地域開発などの500余りのプロジェクトに携わる。
発想をイメージ図(絵コンテ)にする優れた能力と、頭を働かせるために、まず手を動かすことは、私たちも真似したいしたいものです。(第69回)
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