物は置き場所、人には居場所(その6) 日常をデザインする哲学庵 庵主 五十嵐玲二
5. 人は社会とどのように繫がりたいのか
本題に入る前に、社会とは何かを捉えれおきたいと思います。広辞苑によりますと「家族・村落・ギルド・教会・政党・階級・国家などが主要な形態」とある。
”社会”に対応する英語として、society と community があります。
socity :
① (人間を全体としてとらえた)社会、世間(の人々)
② (共通の文化・利害を有する)社会、共同体
③ (共通の目的。関心などで作られた)協会、クラブ、団体
④ 社会層(上流社会)
⑤ 交際、付き合い、友人
community :
① 地域社会
② (利害、職業、宗教、国籍、民族などを同じくする人の)集団
③ (共通の利害を持つ)国家群
④ 一般社会(大衆)
⑤ 交際、親交
以上で社会のおぼろげな輪郭が捉えられたと思います。では、これらを踏まえて本題に入ります。
人は社会に対して何らかの役割を果たしたいと願っていますが、可能性を模索して、実現へのステップを歩める人は、少ないのではないでしょうか。
人は仕事を通じて社会と繫がりたいとは考えてますが、資格も、技術も、コネも持ち合わせない者に、提供される仕事は継続することが、むずかしく加えて低賃金である場合がほとんどです。
そこで、人が社会とどのように繫がるかという問いに対して、まずその第一手目は、人が社会とより多くのコミュニケーションをすることであると考えます。
人は、コミュニケーションを欲する動物です。このコミュニケーションを上手にとることができる人は、残念ながら少数です。上手にコミュニケーションをする中に、お礼状を適切なタイミングで、書ける人は、そう多くはないと感じます。
西洋では、パーティーによって、初対面の人たちの輪の中に、入って会話をする訓練がなされているように、感じますが日本人はなかなか上手に入れないものです。
女性は社会と繫がりやすいのですが、男性は孤立しやすいように感じます。特に自分に引け目を感じていたり、意味のないプライドであるとか、様々な理由によって、孤立しやすいようです。
自分に特技、技術、何らかの魅力を持つことは、大切なことです。社会的には、それに関する資格がなければ、その特技が生かせない、それにふさわしい経歴がなければ、社会的に受け入れられない場合もあります。
このようなハンディを克服することで、道は開けるように思います。
人は仕事によって、企業を介して社会と繫がり、学ぶことによって、学校を介して社会と繫がっています。学校が学問によって社会と繫がることができる人間を形成することを、真剣に模索しているでしょうか。
仕事の性質が現在は変わってきており、単に働いただけでは、ベトナムの労働者の賃金には勝てず、単なる荷役労働では、フォークリフトやクレーンに勝てません。さらには、単なる計算能力では、コンピュータに勝てません。
現代の仕事は、既得権を持つ、資格を持つ、コネを持つ、充分な資金を持つ、お金を得られる仕組み(ビジネスモデル)を持つ、必要でありますが、これらを持たない人が大半であると思います。
そのために第二手目は、学ぶ時代と働く時代をサンドイッチにして、三年間働いて、三年間学んで、また三年間研究するという形態、すなわち、学ぶ場、働く場、研究する場をもっと社会は流動的に、もっとオープンに、もっとフェアーに形成されることが必要であると考えます。(第6回)
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