曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

マイナンバーカードとスマホに翻弄される

2023年04月02日 | 野の花

2月末に迫ったマイナンバーカードの申請期限。

そのころ、スマホの不調がありました。

ポイント取得の為、市役所は大混雑。申請補助のコーナー、マイナンバーカード受け取りのコーナー連日大混乱で、週末も受付をするとの情報。

一方で保険証もいずれ無くなり、マイナンバーカードで認証を行い、マイナンバーカードがない時は、直接本人が保険証の申請をしなくてはならないとの情報が。

ポイントは兎も角、保険証が使えなくなってしまうのは困るしと、スマホでの申請を試みるも、なかなか困難であった!少なくとも私には!

しかも、スマホが時々作動しなくなるなる事があり、そういえばと前の申請書類を見ると、写真さえ貼ればあとは、1ヵ所サインと、レ点のチェックを入れるだけ。

スマホで写真を撮り、PCに送り、ワードに挿入してLサイズ写真用紙に印刷。そいつを寸法に切って張り、返信用の封筒で郵送。

これが結構べらっべらの封筒で、行方不明になるんじゃないかと心配になるような封筒でねえ。ほんと心配でしたよ。

それから3週間以上経った頃、ハガキが届きマイナンバーカードを受け取りに来るようにとありました。

その、午前中に携帯ショップに新しいスマホを契約に行った私。

まあこの契約も結局、あれを付けろこれを付けろその特典で、こちらとするとなるべく料金を安くしたいのですが、なかなかそうは行かないぞ!って仕組みになっているんですなあ。

粘って、一応、前より安くなるはずの契約にして、でも、朝行って夕方まではスマホが使えない状態になり、スマホに依存していたつもりはないものの、この数時間はなかなか不安な時間でした。

まあ受け取りに行くのは夕方で、マイナンバーカードの受け取り予約が午後2時半との事で、じゃ、丁度いいかと出かけて行ったんですが、はい!受け取りもかなりの時間を取られ、マイナーポイントの受け取りも出来ますって言うんで、並んだんですけどね、結局銀行の通帳が必要です。でちょんちょん!

ま、ポイントの受け取りは出来なかったものの、保険証の申請は出来ましたが、おい!出直しかい(怒)

スマホの方も、こっちもパスワードだのなんだの、何度も自分で決めて申請で、一日にいろいろやったんで、もう頭の中パスワードがグルグルしちまってですねえ。マイナンバーカートの方はちゃんと記録が残っているんですけど、スマホ関係で、ヤフーだのペイペイなど何とかカードっていろいろ作ったんで、ただでさえこういうのわけわからないんで(とにかくパスワードやIDなんか頭が拒否しちゃうんで)、スマホを受け取ってからもあれ出来ない、これ出来ないで大混乱ですよ。

一番困ったのは写真をメールで送れなかった事ですかね。

当時はLINEがうまく引き継げず、(^_^;)(^_^;)ですよ。連絡先が分からない人も出てきて、至急の連絡が出来なくって……。

何とか前の通り使えるようになるには3週間かかりましたよ。

今朝やっと写真撮影とその送付が出来るようになりました。

ので~~第1発の写真を記念にアップします。

いやあ長い旅でしたよ。

途中もう、わたしにゃ、もうスマホは使えないわ!とほおりだしたくなり、また慶大電話会社のカード決済に切り替えたスマホ料金も銀行引き落としに変更し、その時にスマホアドバイザーなる人に、ペイペイの使い方やポイントの使い方、ついでに市役所では出来なかったマイナーポイントの受け取りもその場で簡単に出来てしまって、まあ、もう一回スマホを使ってみるか(つうても使わないぞと言いながら、そういう訳にもいかず、メール受信の設定がしてなくて1週間以上音信不通状態に気が付かなかったことは内緒です)と思った次第ですが、もう次はないなと、思ったよし子がお送りしました。

年々生きにくくなっているんは、年のせいですかあ~~

おまけの楓の小さな小さな花

ま!この花は前のスマホで撮ったんですけどね。

葉の方は新しいスマホです。まだまだ写真の写し方、そもそも電話が来てもううろうろ狼狽するだけの私です。

 


オットの覚悟!空回りです(笑)

2023年03月17日 | 夫婦間の問題

亡オット母と同じく、「気に病んで」自分で病気になるタイプのオット。

ちょっとの事で、何か重大な事が起きているんじゃないかと、大騒ぎをします。今回も、急いでがっついて食べるからじゃないの?食べすぎじゃないの?若い時のようにはがつがつ食べるのは無理よと言うのに、食べ過ぎては気持ち悪くなる(?)のオット。Bこさんと同じく、医者巡り。

掛かりつけが2件あるのに、別のところに行って検査をすることになり、本人相当の覚悟で行ってまいりました。

はい、結果が出ました。

オールクリアの輝かしい結果!

胃なんぞ、きれいだと褒められた模様。

内臓もまあ異状なく、薬の副作用でもなく

しいて言うなら少し食道が荒れているかな~~?

食べすぎなんじゃない?

と言われて、変に落ち込んでおります。

ここも、Bこさんと同じよね~~。彼方此方放浪しては異常ありません。だったねええ~~~。

流石に親子ですな!

つうか、これからが思いやられますわ( ̄▽ ̄;)

もうこっちも気にしないスタンスを貫きまするぞ!と決心しているよし子がお送りしました。


夫婦二人で悠々自適?のはずが…

2023年03月08日 | 夫婦間の問題

夫婦双方の両親をすべて見送り、在宅介護も15年で卒業して、悠々と生活を楽しむはずが、なかなかそうは行かない年齢になってしまいました。

特にオット。

体調不良です。

あちこち病院巡りを始めました。え~~と、さすがBこさんの息子であります。

Bこさんも内科で何件、外科で何件と、+皮膚科、眼科と巡りに巡っておりましたがオットも同じくの状態。

まあ私に言わせれば、気にすることもないと思うのですが、ちょっとの事でやたら凹みます。

厄介だ!はっきり言って面倒だ!

一日二日静かにしていれば治まると思うのですが、様子を見ると言う事が出来ません。

気に病む→という病気でありますよ。

まあね、私も、眼がとか、アレルギーがとはありますけど、調子の悪い日もあるでやり過ごしていますが、オットのこの気に病む病は、Bこさんのめんどくささと一緒でして、いや~~~でございますよ。

ほんとに!

義妹のBこさんのお葬式の時に言われた「よしこさん。今度はお義兄さんの介護ね。」が思い出されて、いや~~な気分です。

が!がが!

私は知りませ~~ん。通常の面倒はお互い様ですからですが、不必要に勝手に気に病む病に関しては、「ふ~~~ん、そうなの~~?」で、やり過ごす、冷たい妻に徹しております(*^-^*)

自分で舞い上がってこい!のよしこがお送りしました。


久しぶりにNPO法人の活動の事

2023年02月19日 | NPO法人の活動

久しぶりにNPO法人の活動のお話。

オット母Bこさんが亡くなり、自由に出ていける様にはなりましたが、まだまだコロナ対策で、医療系のNPO法人の活動は大変です。

幾ら利益を追求しないとはいえ、全くのボランティア活動ではなく、事業として成り立たないといけない訳ですが、どこの業種もそうだと思いますが、コロナの影響は大きいものがあります。

今、会計の〆の時期に入り、来年度の事業の予定、予算も立てなくてはなりませんが、直接体に密着する事業ゆえ、仕事の依頼先が「感染対策が取れないから」とか「感染が心配なので」とか言って、予約取り消しが相次ぐ事態は防ぎようはなく、収入はないが、支出はあると言う状態。

それに加え、NPOの活動に従事している人は一般の医院、病院、施設に従事している人が休日に活動に参加してくれるので、昨年ほどではないものの、万が一自分が保菌者になる事を避けたいと言う事で、活動自身を辞めてしまう人が相次いでいます。

今年度事業開始の時の説明会には約30名の参加者がありましたが、残念ながら先日の活動報告会には10人余りと約3分の1にまで参加者が減ってしまい、参加したのは各リーダーの人ばかりと言うことになってしまいました。

確かにもう3年、コロナ禍で事業が成り立たないような状態で、もしかしたら近年解散と言う事も考えなくてはならないと言う事態になってきました。

一度抜けてしまった人の穴はなかなか埋まらず、報告会最後にはこの事業の一番の中心になっていた人が、

「長年この活動に携わってきましたが、今日を持ちましてこの活動から退きます。」リーダーにだけ告げて去り、更に次の活動の担い手と期待していた人も誰にも(私には伝えてくれましたが)告げずひっそりと引退となりました。

そのひっそり退く人は「よしこさんがいてくれて、優しく指導して下さったので、ここまで頑張れましたが、別の仕事に就くことになりましたので、そっと引退します。ありがとうございました。」

と他の人には告げずに去ってしまいました。

仕方ないと思いながら、ひとつはほっとしている自分と、これからどうするのかと呆然とする自分がいます。

NPOにするのは無理な事だったんじゃないかと、発足当時から思っていたところもあり、当時は反対する意見は全く歯牙にもかけないと言う強硬なやり方で設立してしまったので、活動の見直しのいい時期なのかもしれません。

自分自身の引き際も含め2023年度は再考の年となりそうです。


家族葬? Bこさんの場合

2023年02月01日 | 冠婚葬祭

オット母が享年96歳で亡くなり、先日四十九日の法要も無事終わりました。

まあ、今のご時世、コロナ禍で葬儀場も火葬場もとにかく人数制限。

「家族葬」なるお葬式が広告されていますが、実際には「家族葬」とは言わず、「密葬」と言うのだそうですが、親族以外は呼ばない形が定着してきています。実際、昨年亡くなった実家母は15人最大20人まで可と言う、葬儀会場の「家族葬」用の部屋で行いました。

けれども母の子どもである私と弟には、合わせて五人の子どもがおり、それぞれ家庭を持っているので、それだけで20人は軽く超えるわけで、血縁だけにすれば15人で収まるはず。との実家弟の見込みはもろくも崩れ、キュウキュウの部屋で葬儀が行われました。

ところが、掛かる費用はそれほど抑えられるわけもなく、部屋のお金以外は、大きなお葬式と変わらない訳です。もちろん、仏教で和尚さんに来ていただくとなれば、大きいお葬式だろうがはっきり言って1回幾ら、お車代だのなんだのと、何十万もそれだけでかかりますし、お棺もこのようにと希望は聞かれますが、そこはそれそれなりのものをとなりますし。弟は火葬場への移動は葬儀場のマイクロバスは使わず、自分たちで行くからいいと頼みませんでしたが、結局誰がどこに乗るとか、なんだかんだ、面倒でした。

どう考えても、今まで親戚とは派手な付き合いのBこさんのお葬式ですから、簡単にと言っても簡単に済むわけはありませんし、最初から「小さなお葬式」にはならないだろうと思っていました。

ちょっとお寺だと、不便な点もありますが、かなり大きなお寺なので、人数の増減は大丈夫ですし、お寺でやれば、会場費は掛らず、しかも通夜、葬式後に会食が出来る部屋があり、自由に使って下さいとの事で、大変助かりました。なにせ、今葬儀場はお茶も出せず、(こちらは楽ですが)会場に入るのにも受付とは別に、検温消毒、誰の葬儀に参列、住所氏名etc.そして、葬儀の受付。列にならないようにとか、そもそも移動が大変なのに(エレベーターが少人数しか乗れないので、階段移動。が前に進まない。なぜなら会場入り口で検温などがあるから。)検問2カ所で飲み物も出ないじゃあ、ほんと大変ですよね。

それが広い玄関で、待機のお部屋もあり、お茶にお茶菓子も用意されていると言う、このコロナ禍の中ではビック対応ですよ。

「こんな時期なので、親族だけでおくります」のはずが、通夜には結局45人(@ ̄□ ̄@;)!!でして、( ̄▽ ̄;)( ̄▽ ̄;)でした。

葬儀は本当に親族だけですが、結局Bこさんの甥、姪たちが大勢参列。

火葬場では控室が20人まで、お骨あげは10人までとの制限がありましたが、葬儀に来てくれた人は30人近く( ̄▽ ̄;)

火葬場では人数制限があり、残念ながら皆さん全員のご参加がお願いできず申し訳ありません。と頭を下げ、とすればほんとに子、孫、ひ孫の参列で治まるはずが、甥姪も入っている( ̄▽ ̄;)。

後で聞くと、オット、お気楽にくりゃいいじゃん!みたいに誘っていると言うね( ̄▽ ̄;)

その中の一人が、いやさ、一応コロナで飲食はと言う中、お弁当ですよ。黙食ですよ。お酒も(お寺の冷蔵庫に用意はあるのを知っている)自分で勝手に持ち出して盛り上がると言うカオス。

お寺さんからも1時間ぐらいでと言われているので、オットをつついて終わらせました。

まあ、この人ですね、座る席も、オイって場所に座っているんですよ。

身内席に!

順番が違うでしょ。

でしかも、2日とも夫婦で参列。

葬儀の相談の時も、首を突っ込んでいた人ですけどね。

で、その後自分の父親が亡くなって、葬儀となった時には、あれま!10人に制限。ほんとに簡単にやったそうで、しかも、ほら、戒名って位がありますよね。代々一番上の戒名ですよ。先に母親も亡くなっていてそれは一番上なのに、格下の戒名にしたそうで、まあ、確かに婿じゃないけど、婿のようなものでというか、言い方は悪いですが、ヒモって言うんでしょうかね、一応不動産業となっていますが、妻の継いだ不動産の収入で生活していたそうなので、そんな扱いになったんでしょうかね。その不動産も転がしちゃって、借金があったそうで、叔母さんが亡くなった時に全て処分したらしいので、父親にはいい感情がなかったようなんですが。

それにしても、まあ、人の家のお葬式ですけど、なんだかなあと思っちゃいましたよ。

まあ、我が家はその点では和やかと言うか、平和に終わったと言うか、まあまあ良かったんですかね。

今後の遺産相続はわかりませんがね~~。

目下進行中の模様ですが、どうなりますか?と、ちょっと心配なよし子がお送りしました。


Bこさんの葬儀までのあれこれ その2

2023年01月15日 | 冠婚葬祭

Bこさんの葬儀までのあれこれ その1の続きです。

ろくに面会が出来ないまま亡くなってしまったオット母Bこさん。

久しぶりに骸となって自宅に帰宅しました。

病院からも近しい人には連絡を入れてあり、お寺さんにも8時になるのを待って連絡を入れました。契約している葬儀会社からは10時に打ち合わせをと言われており、それとは別にBこさんを整える目的で担当者が訪れ、Bこさんの枕元を整えてもらいました。

9時にはお寺さんのおっさんが枕経に訪れてくださり、10時に来る葬儀会社との打合せの前に、様々協議。おっさんも言い方は悪いですが、商売上手で自分の檀家さんでこういう人がいるので、とか、お寺で通夜葬儀そのまま会食まで可能であること。また、その場合は檀家さんの中で葬儀の受付の人もやってくれる方がいるので(葬儀場でお願いすると費用が掛かる)その方にお願いできる。

戒名料、葬儀の費用もお寺でやる場合は応援のお坊さんが居てもいなくても、関係なくこれだけでやれます。もちろん会場の費用は掛からないので良ければお寺を葬儀にご利用くださいとの事でした。

日程もこの日は外してもらい、火葬場の開き具合でこのようにしましょうとある程度目途をたたてもらい、と30分ほどで話がまとまりました。

慌ただしくお寺さんがお帰りになったらすぐに、近い親戚が次々訪れ、重なって葬儀会社の人との話合い。

最初の家うちはお茶などもお出ししていましたが、何せ、Bこさんが一室占めておりますし、リビングで荷物も詰め込みの上、人も「ごちゃまぜで対応となかなかカオスです。

お気楽なオット、まだ日程を決めていないのに、訪れた従兄弟にBこさん関係のアルバムなど見せ始め、先に葬儀の話を詰めて行かなくてはならないのに、

「だって、○○ちゃんに懐かしい写真をさ~」とか言い出して、葬儀会社のとの話をそっちのけで思い出にふけるという…。いやさ、それは後でやっておくれ。今は葬儀日程だぜ!

一組はまあちょっと口出しされたくない親戚だったので、「ヨメの私が」でしゃばって、「○○さん、申し訳ありません、これから葬儀日程の相談がありますので、まだ日を改めて。」と追い出しました。

けれど、もう一組は近しい関係だったし、口出しをするような人ではないので、相談中も同じ場に窮屈に座ってもらっていました。

その人たちは、毎年お正月も一族で我が家にやってきて、一緒に夕飯を食べると言う人達だったので、私からするとなんであの人達の事まで、お正月に面倒を見なくてはならないのかと思いはしますが、最後のお付き合いのつもりで、追い出さずに(笑)同席してもらったんです。

で!その時に驚きの事実発覚!

オットからはBこさんとは面会が出来ないと聞いていて、実際私も一度だけ、私達の子ども、マゴは面会できませんでした。

のにですよ、その親しくしている姉妹はBこさん転院の時に一緒に移動し、言葉も交わしているのです。はい?だったら、ムスメやムスコにも会わせてやってくれてもよくない?と怒りを感じました。

何度聞いても、誰にも合わせられない、Bこさんの次男であるオット弟も面会できないと言っていたのに、あの人たちは呼んでいたのか!

正直ムキ~となりましたが、そいつああ、後で締め上げよう!

一応11時には通夜葬式の日程が決まり、親戚に連絡。

その後もお参りに見えてくれる方たちの対応に追われましたが、午前中の事で懲りたので、もう、Bこさんの枕もとで話をするだけ。お茶も出さない(こんな時期ですので)事で夜になってからもお参りの方はいらしてくれましたが、もうもう、本当に簡単な対応で(オット父Gオさんの時とは全く違って)済ませました。

このような感じで亡くなった長い当日が終わりました。

次回は通夜葬式にまつわるあれこれを書いて行きたいと思います。byよしこ。

 


年が改まって初めての投稿

2023年01月08日 | gooブログ

年が改まり、更に七草もとっくに過ぎてしまいました。

オット母Bこさんがなくなり、オットと二人だけの初めての年末年始でした。

ところが、世の中コロナ禍の何度目かの感染者増大で、親戚にも、地域にもお正月休みにコロナが発生し、皆さん大変な思いをしたようです。

私のところも、会議の日程変更や、学習会の開催をどうするか?年度末の活動の報告会をどうするかと、お正月休みに大揉めしております。ところが肝心な長のつく人がコロナでダウンで、しばらく連絡が取れずと、なかなか大変な状況です。

私は元気なんですけどね。

一応医療関係なので、感染状況によって対応が急遽変わる事があり、付いていけない~~となっておりますよ。

Bこさんのお葬式もコロナと、お気楽なオットとの狭間、そしてオット親族の諸々がありまして、( ̄▽ ̄;)なっかなかの大変さでございました。とはいえ、どこでも騒動はつきものなので、そういった意味ではうまく?出来たのではないかとは思っていますが。

次回こそ、葬祭のあれこれを書こうと思っているよし子がお送りしました。


気が付けば年末

2022年12月31日 | 冠婚葬祭

あっという間にもう大晦日になってしまいました。

あまりアップも出来ず、内容も今一つのブログ読んでいただきありがとうございます。

いつもは年末年始は本当にお正月なんてなければいいのにと思うような慌ただしさですが、Bこさんの亡くなった後の色々は置いておいて、自分の思う時間に出かけられるようになったので、今年の年末は結婚して40年経って初めて、私から見ると義理の仲の人たちは来ない静かなお正月ですし、手は出さないが口は大いに出すB子さんがいないので、精神的にもとても穏やかな年末になりました。

まあ、そんなわけで片づけがちょっと一段落した時、あまりに空が青かったので、ふらっと富士山を見に行ってきました。

本当にめったに見られないような雲のない富士山で、久しぶりに青い空と富士山と富士川を眺めてきました。

うまくつながって写真が載せられるかわかりませんが、2枚続きの富士山をどうぞ。

  

 


Bこさんの葬儀までのあれこれ1

2022年12月28日 | 冠婚葬祭

オット母96才。

ついに最後の時を迎え、さあどうするか?

どうするかと言うのは、葬儀場の安置所にそのまま運ぶのか、自宅に帰るのか?

オット BこさんのオットGオさんの時のように、安置所で預かってもらう。

    メリット ご遺体は家にはないので、家は特別何かする必要はない。

    デメリット お参りに安置所まで出向いてもらう事になる。自分たちもBこさんのそばにいることは出来ない。自宅にも祭壇は必要になる。

オットはとにかく面倒な事はしたくないという様子でしたが、おじいちゃんの時は安置所と、会場が自宅から離れていて、お参りの人が見える度、そちらに案内しなくてはならず、また、おじいちゃんも文字通りドライアイスでガッチガチにされて、冷たくなって、そこにひとり3日でしたか?4日でしたか?お通夜まで安置されていて、ひとり寂しくいるのがなんともかわいそうだったし、おばあちゃんは自宅に帰りたがっていたので、おじいちゃんのいる仏間に置いてやったらどうか?とヨメの私。

葬儀屋さんが来てから決めようと私は言うのですが、オットは「家に連れた返ったら面倒だ!」とイライラしている。

葬儀屋さんに電話をしてから25分ほどで担当者が到着。

病院のロビーで相談。

何件かある葬儀会場に併設の安置所が一杯で、遠方になり、なおかつ葬儀場はまた別になる可能性が高いことから、一旦自宅に搬送となりました。

その後の事は、また別の担当者が来て相談と言う事で、取りあえずの搬送ですが、Bこさんを安置するのに今オットが寝室として使っている、玄関わきの部屋しかありません。

とりあえず部屋の中のものを移動させ、Bこさんを寝かす布団!Bこさん奥の部屋でベットだったので、ちょっと汚れてますが以前使っていた布団を引きずり出して、その上に。

枕祭壇を作ってもらって、そこに、個人の使っていたお茶碗に山盛りにご飯を盛り、使っていたお箸を立てると、朝ご飯用のご飯を炊いておいてよかった!

Bこさんを寝かせた所で、一旦担当者は帰り、また、Bこさんを整えるための人が来てくれて、更に葬儀一式の相談に10時に来ると。その間にお寺に連絡をするようにとの事で、8時になるのを待ってお寺には連絡。

もちろん、その前には近い親戚には連絡をしました。義弟には亡くなった直後に連絡をしてあったので、朝1番の新幹線で駆けつけてくれました。

既に亡くなってから数時間ですが、ほぼ徹夜の状態なので、ちっとも頭が回りません。けれども、実際にはこれからが長い長い一日になるんですよね~。なんでこう言うものって慌ただしくやらなくっちゃいけないんだろうかと思ってしまう(いや、もちろんのんびりはしてられないってことはわかってますが、何とかならないんですかねえ~~)よし子がお送りしました。


Bこさん、転院後の最後の時を迎えるまで

2022年12月24日 | 高齢者

オット母96才。歩行は不自由ではあったものの、自宅で悠々自適な日々を暮らしていたオット母Bこさん。高血圧や胃腸の薬は常用していたものの、脊柱管狭窄症や背中の曲がりはひどくはなってきていたものの、いわゆる異常があったわけでもなく、「おしっこが出ない」だの、血尿が出たとか騒いでも何度検査しても異常がなかったBこさんですが、早朝の転倒以降「坂道を転げ落ちるように」どころか「真っ逆さまに落ちていく」感じで、終末期の宣言を受けてしまいました。でも、面会が叶わなかった為、その実感はなく、療養型病院へ転院の時もいつものように、オットに「ああしろ、こうしろ。そうじゃない。ああだ、こうだ。」と指示しまくっていたので、オットも私はもちろん、義弟に至っては何度もBこさんが危ないなんて言われていたので、まだ今度もかと思っていたのではないかと思います。

久しぶりの面会の時の様子からすると、お正月は迎えられないだろうなと、あわせてくれると言うときに義弟夫婦が来てくれればと思っていましたが、なかなか面会に来ず、やっと義弟が面会に来たのは亡くなる2日前でした。

もう、全く食事がとれない。経鼻経管栄養も誤嚥してしまうため出来ない。もちろん、胃ろうは形成しないとしていたので、全く栄養補給が出来なくなっていました。

自分たちでそれを選んだのですが、それでよかったのか?入院中に胃ろうを形成してもらったほうが良かったのか?そもそも救急車を呼んで入院させてしまった事がBこさんの命を縮めてしまったのではないか?

今更そんなことを言っても仕方がないのですが、もしもコロナがなければ入院と言う事態にはならなかったかもしれないとも思います。Bこさんの場合発熱があったため、丁度掛かりつけ医が休診だったので、別の病院に診察をお願いしたら、救急車を呼んで大きい病院に行くようにとなってしまいました。

コロナがなければ、その病院も診察してくれたのではないかと思いますし、週末になってしまうためお願いした入院がこのような事態になるとは思いもしませんでした。結局何が発熱の原因かはわからないまま、何度目かの発熱で、衰弱してしまったと言う事のようです。

自然に任せる。

つまり積極的な治療をしないと言う事ですから、「食べられなくなったら、数日で死に至る。」と入院時にも念を押されましたが、すでに食べられなくなってから2週間を越えました。

義弟は火曜日しか来れないとの事で、また時間がないと言う事で、オットが駅に迎えに行き、そのまま病院に行き、うちには寄らずに帰宅しました。

Bこさんと話が出来たか聞いたら、酸素マスクをつけて、寝ていたと言うか意識がなかったようです。もう少し前に面会に来ていれば少しは話も出来たと思うのですが、なんせ、うちには寄らなかったので、義弟がどう思ったかも知るすべもなく、2日後の早朝、Bこさんは旅立ちました。

何度か、看護師さんに「家に帰るからタクシーを呼んだから、タクシーが来たら教えてください。」と言っていたというBこさん。

オットはGオさんと同じく(Gオさんは、Bこさん夫=オット父)葬儀場の安置所で預かってもらうと、言い張りましたが、うちに帰りたかったんだから、家に連れてきてあげようよ、と嫌がるオットを説得して自宅に連れてきました。

Gオさんの時にはやはり早朝に亡くなりそのまま、葬儀場に安置してもらい、そのまま、数時間、葬儀場ロビーでの打合せで拘束されて、夕方になって家に帰ってからもその時には義弟1家も駆けつけていたので、休む間はなく、そのまま私達夫婦はお寺の方に出向くという、大変な思いをしたのですが、Bこさんも自宅に帰ってきましたが、私たちも自宅にいたほうが多少でも楽です。

Bこさんは兄弟が多くみんな近隣にいるので、入れ代わり立ち代わりお参りに来てくれましたが、今回はコロナ禍と言う事で、お茶も何も出さずにお参りだけして頂きました。義弟一家は通夜葬式に来るとの事で、葬儀葬祭についてはこちらにお任せで、との事で、いいか悪いか(いや、はっきり言っていなくてよかった)私たち夫婦だけで日程なども決めることが出来ました。

とはいえ、全く何もなかったかと言うとそんなことはなく、やはり嵐は嵐です。Bこさんの甥で口出しをしてくる人もおり、はっきり言ってその人が居なければ平和?だったかと。まあねえ、どこにでもいますよね。そういう人。

Bこさんは、連れて帰って来た時には、骨川筋衛門で、ほおも尋常でないこけ方でしたので、入院直前に遊びに来ていた私のムスメ家族、ムスコ家族は、元気がおばあちゃんが文字通り変わり果てた姿になって帰って来たので、ショックを受けていました。高齢でいつ何があっても不思議ではないのに、それでも、やはり、哀しみは尽きません。

葬儀葬祭に関する諸々は次回に。