曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

Bこさん、転院後の様子2

2022年12月18日 | 高齢者

Bこさん、転院後の様子1の続きです。

思いがけず緊急病棟への入院から療養型病院へ転院するまで40日、転院してから2週間がたった時(その時は病院とはいえ終の棲家となる。一応目標としては自宅にかえるがあるが、現実的にはここで人生の終了を迎えることとなると言い渡されている)また発熱し、なかなか解熱しないので、食欲もなく、いわゆる弱ってきた状態で、年齢から言ってもいつ何があるかわからないので、今のうちに合わせたい人がいるなら面会を許すという連絡がありました。と言っても、もちろん子どもはだめ、県外の人は駄目と言う事で、とりあえず私たち夫婦での面会を申し込みました。

看護師室すぐ横の2人部屋に移動していたBこさん。

私とは6週間ぶりの対面。オットとは転院時以来です。

入院時の様子とは一転、枕元に記名がなければBこさんとは認識できない姿となっていました。

入れ歯を外してしまっていることも原因の一つですが、容貌が全く違っていて、顎は昔の半分、髪は汚れて頭にへばりつき、眼を大きく見開き天井を向いてにらんでいる状態。そして骨皮だけになった両手でベットの柵をぐっと掴んたまま離そうとしません。

呼び掛けてもこちらがわからないのか、耳が聞こえないからか、病院側が言うと通り認知機能が落ちたためか、天井をにらんだまま反応がありませんでした。

何度目かの体を揺さぶりながらの呼びかけに、ちらっとこちらを見るだけでまたすぐに上を向き、「苦しい?痛いところはある?」にやっと、

「痛くなああ~い。くるしくなあああ~い。」と天井を向いたまま、うなるように答えました。

その声も本当にBこさん?と思うような低いうなり声で、今でも、その時のうなり声や容貌が目に浮かんできます。

10分間の面会が終わり、病院側からの説明がありましたが、血圧の上下の変動が大きく、起こすと血圧が下がってしまうので、今までベットを挙げた状態でいたものを平らにしているので、ああやって柵をつかんでいるのだろうとの事でした。

再度義弟の面会が出来ないかと聞きましたが、県外はとにかくダメと言う事でした。ただ、私たちは午後であれば10分間の面会は出来るとの事で、時々面会に行きました。

次に面会した時には、清拭をしてもらって、髪も体もきれいになって、前回のように天井をにらんでいると言うような状態ではなく、普通に横になっているが、ずっとうつらうつらしている状態でした。

落ち着いたように見えたその後、またBこさん、発熱で食事をとれなくなり、尿が出にくい、血圧が下がったままの状態が続いているので、県外の義弟達の面会も許可すると言う連絡が来ました。

私とすると、すぐ来てほしいと思ったのですが、結局「予定があった」とかで面会に来たのはその連絡があってから10日後でした。実子である義弟のみの面会となります(義弟の妻、つまり次男のヨメはBこさんのひ孫を連れてきた2年前からこちらには来ていない)。

義弟夫婦はそんなに忙しいのか?んな訳はありません。もう義弟はリタイアしていますし、その妻義妹は毎日何とか教室だのフィットネスなど出かけるのに忙しい、なにせ子ども達に迷惑を掛けないように努力の毎日だそうで( ̄▽ ̄;)Bこさんの様子を見に来る暇はないそうです。

オットも、あまりBこさんがいよいよになったと言う事がピンと来ておらす、「忙しいだってさ」で済ませておりますので、私がとやかく言う事ではないので、黙っておりました。

Bこさん次男=義弟が来た時の様子はまた、次回。

それでいいのか(・・?のよしこがお送りしました。


Bこさん、転院後の様子1

2022年12月06日 | 高齢者

オット母96才、先日天寿を全うしましたが、思いがけずの入院からまさかの療養型病院への転院の記録です。

コロナ禍であることから、思いがけず入院したBこさんとはヨメである私は対面は出来ないまま、車いすで介護タクシーで「療養型病院」への転院をしました。

その時オットが受けた説明では、もう自宅に戻ることは出来ないとの事で、もしかしたら在宅介護が続くかと思って介護用品なども支払いは停止にしてもらったものの、借りていた介護用品ももう使用することはないと言う事で、介護用品の会社との契約も完全に解除し、引き取りをお願いしました。

考えてみればBこさんのオットG夫さんが、介護が必要になった時に一緒に介護手続きを取ったBこさんは足掛け12年、その会社との付き合いがありました。

デイサービスの方も途中からの利用はしましたが、なかなか行きたがらなかったので、唯一ずっとお付き合いがあったのはこの介護用品の会社でした。

玄関、トイレ、Bこさんの自室には様々な介護用品、また、最近では車いすやカートなども借りていましたので、それらを返すと、家の中はちょっとガランとした感じに。広々とは違う、寂しい感じがしました。

車椅子で段差を乗り越えるためにあちこち私自身が張り付けたものもあり、それらも最後の方はサイズの合わないものをカッターナイフで汚く切り落としてあったので、ばりばりと剥がして元の敷居の姿に戻しました。

ダイニングテーブルや椅子も、Bこさんの移動を考えて無理やりの置き方をしていたので、元に戻し、円背の為幾つも用意してあった椅子ももう転院後は座る人もなく、無用のものとなってしまいました。

転院後は補聴器は使えず、したがって携帯電話も不要、もう買い物に行くこともないので、年会費の掛かるカードは解約、生協の会員も脱退手続きをしとと、なかなかその契約解除も本人確認が必要なので、大変な作業でした。

オットと2人きりの生活と言うのも、結婚して40年にして初めての事でしたが、ほぼほぼ引越しのような状態でしたので、落ち着く暇もない日を過ごすことになりました。

しばらくは転院後の病院からの連絡もないまま、オットも私もBこさんが在宅中には出来なかった事(例えば1日かかる病院への診察など)をしているうちに日は過ぎていき、何年もきっと療養型病院での生活が続くのだろうと覚悟していました。

近づくお正月、昨年まで(こちらで印刷して住所も要れたものを用意して)年賀状も自分で出していたけれど今年はどうするのだろうなんて思っていた時に、療養型の病院からのBこさんの体力が落ちてきたので、何があるかわからないから面会が出来るようにするので、来れたら来るようにとの連絡が入りました。

「転院後の様子2」に続きます。

 


天寿を全うしました。

2022年11月28日 | 高齢者

オット母Bこさん、天寿を全うしました。

御年96才 ある意味大往生でしょう。

入院前にはいつもとはそれほど変わらすでしたから、あっけなく、突然亡くなってしまったと言う感じがします。

まだ、頭がグルグルでして、落ち着いてはおりません。

ただでさえ滞りがちなブログですが、Bこさん転院後からの葬儀までの騒動も何かのお役に立つかもしれませんので、記事にして行きたいと思いますので、よろしくお願いします。


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その11(無事転院)

2022年11月15日 | 医療

Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その10 の続きです。

オット母95才、もう、この年齢だと高齢よりグレードアップし「超高齢」となるようです。

健康保険だと、前期高齢者後期高齢者で言うと後期高齢者ですが、今に健康保険でも超高齢者なんて区分が出るかもしれないですね。

転倒した後の様子がおかしいと、軽く?診察だけしてもらってと思ったら、要するに拒否とまでは行かないかもしれないですが、うちでは診れない、総合病院へ。それも救急車を呼ぶようにとの指示で、(まだその時は診察だけですぐ帰られてしまうだろうと思っていた)思いがけず入院。

すぐ退院だろうと思ったら、もう治ることのない所謂「超高齢」の為の様々な機能不全?、ほんとに?ってなっているんですよ。原因不明、しいて言うなら「超高齢」まあ、老衰と言う事なんですねえ。

で、施設では無理、医療的ケアがある療養型病院へ入院。となったのですが、オットもBこさんも実はそこへは行きたくない、行かせたくないと思っている。ヨメの私は、その辺往生してくれと思う訳ですが、たぶん2人ともいろんな思いがあっての転院だったかと想像しています。

転院にはオット曰く、ひとりしか付き添えないと言うので(あとでこれはオットのついた嘘だったとわかります。)私は家で待機してました。まあまず呼び出されることはないだろうと思っていたので、自身の体調不良もあり、横になっていました。

思った以上に時間が掛かり心配しましたが、転院先でも何にものスタッフから説明を受けながら、またまた様々な書類にサインをしてきた模様です。Bこさんは相変わらず人使い荒く、ああしろこうしろと口うるさく言っていたとの事ではありましたが、家に帰りたいとか言ってごねる事は無かったようです。

療養型とはいえ、外泊もあるのではないか(例えばお正月など)と思っていたのですが、全く外に出ることは出来ない状態だとの事です。

オットが持ち帰ってきたのは大量の洗濯物と、持って行った服(寝間着類)も箸、コップなども全て返されてきました。着るものも衛生用品も全て向こうにあるものを使用し、備品は病院で買って使用。当然それは料金が掛かりますが、紙おむつやパットも必要なく(転院前は全て買って届けなくてはならなかった)身一つでの入院生活。

もしもTVを見たいときは病室に自分用のTVを持ち込んで接続してもらうことが出来るとの事で、その説明を受けたオットは早速一番小さなTVを買って持ち込みました。と言っても届けただけで接続も向こうでやってくれたそうです。 

契約の一つに「コロナにり患した時」と言うのがあり、コロナに掛かってしまったら感染病棟に移動。面会は勿論、死亡した場合対面も出来ないと言う事を承諾するようにとの契約書がありました。

面会が出来ないのは、コロナにり患していなくてもなんですが。

面会が許可されるのが危篤になった時と言うのは何とも辛いものがありますよね。Bこさんの場合発熱解熱を繰り返していることからコロナだけでなく感染症が一番命取りになる。また誤嚥性肺炎のリスクが高いため、食事がとれなくなった時に経管栄養は出来ない。手術なども出来ないので、胃ろうも出来ないので、食事がとれなくなったら、それから数日で死に至ると書かれていました。また、辻褄の合わないことを言うなど認知症も進行している為意思の疎通が取れない。体を起こすことが出来ず、入浴も出来ないため褥瘡がひどくなっているのでその手当もしていくとありました。

オットが一番堪えたのは「認知症の進行」と言う事だったようです。

オットから様子を聞いたり、書類を見ると、「もうBこさんはここへ帰ってくることは出来ないんだ。」と言う事がひしひしと感じられ、さすがにオットも私も数日落ち込んで過ごしました。

オットの心臓の検査は1週遅らせて実施。

結果は「定期的に検査を継続し経過観察」となり、ちょっと一段落。

私もどうしてもの仕事だけにして、ほかは皆仕事はお断りしていたので、しばらく自由になって時間が出来たはずなのに、ほおけたようになってしばらく過ごしていました。

でもそれも長くは続かなかったのです。この顛末はまた次回に。

しつこくよし子がお送りしました(@^^)/~~~

 


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その10(転院)

2022年11月08日 | 医療

オット母Bこさんが、早朝に転倒してからの騒ぎシリーズのその9の続きです。

思いがけない入院から療養型病院への転院を言い渡されてから2週間。

その日は突然やってきました。

オット(Bこさんの長男)はいわゆる心労ってやつでしょうか、以前から調子の悪かった心臓の方が怪しげになり、オット母Bこさんの入院先と同じ病院で心臓の検査の予約をしていました。検査の前日の朝、「明日の朝8時半に転院できるか?」との電話がかかってきました。

実はオット母にオット弟は、面会できておりません。

もしも面会するなら転院の日の移動の時に会うチャンスがあるのではないかと思っていたのすが、明日の朝と言うのはあまりに急ですし、オットは検査が10時の予約。もしかしたら、検査後そのままカテーテルを入れるかもしてないと言う状況で、朝8時半!

さてどうしようか?

とりあえず、Bこさんの転院を午後に出来ないか交渉。

午後なら義弟も間に合うかもだし、オットも検査に合格すればまあ、すっきりとは行かないですけど、転院に間に合うかもです。

交渉の結果、一応午後1時の転院は可能。但し、12時半には入院病棟で手続きが必要。東京にいる弟(Bこさんの次男)に面会は可能かと確認すると、「県外は面会できません。当日も付き添いはひとりだけです。」との事で、少なくとも義弟の付き添いは出来ない。そして、この機を逃すと、今度いつ転院できるかわからないと言われ、やはり、明日の転院はやむなしとなりました。

さて、今後の事を考えると、やはり実子であるオットが付き添うのがいいだろうと、オットの検査の方の日延べをお願いすることにしました。(まあこちらもなかなか大変だった。担当医が不在だったりして確認がなかなか取れなかった。)オットの命だってももしかしたらBこさんより短い事も考えられる状況でして、究極の選択となりました。

この間何回電話を掛けなくてはならなかったか…。

それにいざ転院となると、オットの気持ちすなわち心臓の方にも悪いわけで、文字通り顔色が悪くなってしまいました。

無事オットの検査日は1週間後に予約を取り直し、Bこさんの転院はやはり朝ではなく午後一番でお願いしました。

さて困ったのが書類の保証人の所でした。オット以外に保証人が2人。1人は私達のムスコ(Bこさんから見ると孫)1人はオット弟に頼むつもりでいましたが、義弟は明日は来れないとの事で、これは内緒の話になりますが、私が代筆して提出することに。

他にも色々書類がありまして、転院後の荷物はそれほどないものの、それなりに準備を慌ただしく行いました。

転院の連絡があってからまあその、当然の事ではありますが、オットの動揺は激しくて、心臓の検査を日延べして大丈夫だったんだろうかと心配になりましたよ。

Bこさんの、現在の様子というか姿を全く見てないので、どんな状況なのか想像がつきません。一番は精神的にどうなのかです。もしかしたら、家に帰りたいと困らせるかも知れないしと、オットも眠れない夜だったと思いますが、私も不安な夜を過ごしました。

午後1番の転院に備えて、午前中から病院に出かけて行ったオットが無事帰って来たのはもう夕方になってからでした。

転院の顛末は次回お知らせします。この後はますます激動?になっていきます。長々になって申し訳ありません。最後までお付き合いいただけるとうれしいよし子がお送りしました~~。(@^^)/~~~


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その9(転院できるまで)

2022年10月30日 | 医療

Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その8の続きです。

Bこさんは95歳と高齢の為、当然介護も必要(入院中での筋力低下が著しい)。要介護2を申請しなおすと2年前からこちらは訴えていますが、本人が介護の方での利用は好まずなので、要介護2の状態でも利用が少ないため利用の範囲内との事と、コロナ禍であるため申請を渋られておりました。

入院直前にはかなりの歩行困難となっていましたので、さすがにケアマネも介護度の見直しが必要と判断し、動き出すところ(毎年11月が見直しの時期)でした。その時にはまあ、介護度はあがっても本人は利用をしないので、あまり意味のないものと思っていましたが、今回療養型病院へ転院となると、介護度が低いうえに、胃ろうも選択していないこともあり、逆に受け入れ先が限られてしまい、なんとか転院することは確認できましたが、自分たちで転院先で、(もちろん、現在の総合病院からの資料はいっているものの)具体的な面談と説明を受けなければなりません。そのうえで、空きが出たら(つまりどなたかがお亡くなりになれば)と言うことになるので、転院がいつできるかは不明との事でした。

兎に角、転院させてくれるS病院にオットが電話。日程を調整しますが、一番早くて10日後、それがだめなら2週間以上後になるとの事で、10日後のその日は私は生憎と仕事でどうしても出なくてはいけない日。(他に行く人がいないため出勤となったし、何度も仕事を変わってもらっているので、これだけは譲れない日)オットはひとりでは無理と言っていましたが、まあ、あれなら義弟に来てもらえばいい事で、逆に血のつながりのない私には出る幕はないんでありますよ。直接命に係わる判断を、ヨメの私がするわけにはいきません。

もう、はっきり言って家に帰ることは出来ず、そこが終の棲家になるわけで、やはり、その判断はヨメがしゃしゃり出る所ではない。

と言う訳で、結局義弟が来ることはなく、オットが一人で説明を受けに行くことになりました。

何人もの担当者(医師看護師ケースワーカーなど)と対面し、かなり丁寧に説明を受けてきたようです。

説明を受けた後、色々書類にもサインをして一旦帰り、更に転院時には出さなければならない書類もたくさんあり、ただでさえ書類の読めないオトコのオットは撃沈。

あんた(私の事)書いてよ~~

なんぞ言っております。

いやあ、私がオットの母親の生命の判断をしちゃいけませんがな!

身元保証人がオット以外に2人必要で、そいつも私にと言いますが、それだけは義弟にやってもらいます。

全く今まで介護なんてやってないんですから、実の息子としての義務ですからね。

もしかしたら転院に向けて一番大変だったのはその辺だったかもしれませんね。

まあ、オットも義弟もある意味めげてます。いやさ、もう95歳の母親だよ、父親はもう10年前に亡くなり、保護者は実子である2人であることの自覚はしておくれ。

で、その自覚を促すべく、画策するヨメのよし子がお送りしましたあ。

まだまだ続きます。(@^^)/~~~


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その8(療養型病院転院まで)

2022年10月18日 | 医療

Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎもその8まで来ました。

思いがけず救急外来に入院。すぐにも退院させられると覚悟し、自宅介護もいよいよ大変な局面になったと、それなりに準備。オットはオットで有料老人ホームを探しており、義弟もそれに同意。けれども、おいそれと空きが見つかるとも思えず、また見つかったとしても、本人の同意が得られるとは到底思えませんでした。

けれども、Bこさんは入院後急激に体力がなくなってしまったようで(面会できないので実際の様子は想像でしかなく(;^ω^))それまで散々拒否し続けていた紙おむつも否応なくセットされて、大の方だけ、便器で抱えられながら用をする状態だそうで、数ミリの小さな褥瘡のところは、しっかり褥瘡が育っている模様。

食事は何とか自力でこれまた拒否のあった食事用えぷろんを付けて食べている模様。

ソーシャルワーカーとケアマネが相談して、「療養型病院」しかないだろうと言う結論になり、コロナ禍もあり、なかなか受け入れ先がなかったところ、1件だけ受け入れ先が見つかったのですが、そこは、オットもBこさんも「あそこは嫌だ(理由は不明)あんなところに入ったらおしまいだ。」とか言っているところでした。私にはその病院の詳しい事はわからないし、そこしかないなら往生するしかないと思い(じゃあ、イヤだと言って、どうするってんですよ。嫌も応もないわけで)、方法は1つ。S町S病院に転院するしかない。とまずはオットを説得。

オット、しぶしぶ承知。

さて、問題はBこさんですよ。とにかく本人がイヤと言えば転院は無理なんですから。

ソーシャルワーカーに、「実はBこさんもS病院は嫌だと以前から言っていまして、S病院と言うと行かないと言う可能性が高いです。」と伝えました。

そのうち、Bこさんの病棟から、おむつと尿取りパッドを出来れば沢山買ってきてほしいとの連絡が入り、とりあえず、S病院への転院を承知することにしました。

オットは大変不機嫌でしたが、今回病棟前の待合室に直接おむつを持ってきて、そこに出入りしている看護師に声をかけるように言われて、むくれながらオットは必要なものを買いに行き、2人で病棟前待合室で出入りの看護師を捕まえるべくしていました。

なかなか看護師は出てこなくて、何人か出入りしている看護師らしき人に声をかけるも、「ここの病棟担当ではないので」とか「看護師ではありません」とか言われて、ますます、不機嫌になるオット。

と、そこにソーシャルワーカー登場。

「ちょっとBこさんの様子を見てきます。」

しばし待っていると、病棟から戻ってきて

「今日はBこさんは目を覚ましていて、お話が出来ました。Bこさんの方から、なんで私、熱が出たんですかね?と尋ねられたので、尿の通る管が炎症を起こしたようですよ。なかなか熱が下がらないので、どうでしょう、ちょっと病院を変わって、養生しませんか?と言うと、お願いしますとの事でした。

ですので、じゃあ、転院の手続きを取りましょうね。と言うと、どこの病院ですかと聞かれたので、S町の病院ですよ。と言うと、そうですか、お願いしますとの事でした。」

グッジョブです。S病院ではなく、S町の病院と伝えて、納得させてくれたんですね。ありがとうございます。と思わず頭を下げたよし子がお送りしました。

また、S病院の手続きが大変だったんだな。その辺は次回お伝えします~~(@^^)/~~~


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その7(ソーシャルワーカ―)との話合い

2022年10月15日 | 医療

やっと「Bこさん、早朝からの…」の話もその7まで来ました。

かかりつけ医が夏休みでなければ入院もなかったかもしれないBこさんですが、夏休みだったばかりに、救急外来に入院になってしまいました。

現在のコロナ禍ですから、当然入院したら面会は禁止。姿のチラも見れないままついに2週間を超えました。

担当医からは、今後の事はソーシャルワーカーと相談してと言われましたが要するにもう自宅に帰ることは出来ない。この後は医療体制のある施設での療養だが、リハビリは無理だろうとの事でした。

その説明のあったのが木曜日。またしばらく待たされるだろうと思っていたら、案外早く、ソーシャルワーカーとの相談日が設けられました。

病棟とは別の、相談室ばかり並ぶエリア前に、専用の待合室があり、何組かの家族が相談を待っていました。

まあ、我が家は完全同居でしかも夫婦で介護にあたっていますし、最近は全てオットが様々な手続きなどをするようになっています。ですので、用意するようにと言われたものも順調に用意できたのですが、遠隔地にいる家族が救急搬送された一人暮らしの母親の入院手続きに来ていると言う方もいました。

急を知らされ駆けつけた家族もたぶん面会も出来ない状態のようで、どこに何があるかわからないので、一応家に行ってみますが、探せないかもと、容態の方も心配でしょうし、文字通り右往左往しており、本当にお気の毒でした。

オットも別に何か用事があるわけじゃなし、待たされたっていいじゃないかと私は思っているんですが、じっと座って待つことが出来ず、オットもうろうろ、「座ってまっってて!」と袖を引っ張り座らせますが、直ぐに立ち上がってしまうオット。

どうどうとなだめながらいると、順番が来て、相談室に通されました。感じの良い方で、私はほっとしましたが、オットにはまどろっこしいようで、説明の間、イライラした様子が隠せません。

入院中の急激な体力低下、筋力低下、紙おむつ使用、皮膚が弱いため、また感染予防のため寝たままの状態での入浴、発熱解熱を繰り返しているが回復の見込みがない、褥瘡手当、認知症発症など、オットには受け入れがたい状態を告げられてしまいました。

ようするに、病院としてはこれ以上治療はないが、施設に移っても発熱する可能性が高く、普通の施設では受け入れてもらえない。逆に、胃ろうなどの処置はしておらず、介護度も2である為、現在受け入れてくれるのはS町のS病院しかないと言われてしまいました。

私は、もうそこしかないならそこにお願いするしかないと思うのですが、なかなかオットは納得しませんでした。

さて、転院は出来たのでしょうか。またまた続きますよ~~。

 


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その6(救急外来への入院)

2022年10月02日 | 医療

やっと「Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その6(救急外来への入院)」にたどり着きました。

救急車での救急外来に掛かるのにも大変でしたが、その後(入院後)週明けには退院になる見込みで、その後はまた今までに増しての介護であろうと、色々頭を巡らしておりました。ただオットがこの時すでに有料老人ホームを考えていたようです。義弟とも話合い済みだと言いますが、そう簡単に本人が入所を受け入れられるとも思えませんし、そもそも入院生活自身が耐えられるかどうかとか、今後の生活の事を思うと悶々とする数日が過ぎ、週明けになったのですが、月曜日、火曜日…火曜日になって「紙おむつがいります。寝間着が足りません。」との連絡があり、「週明けには退院じゃなかったのか?」面会は出来ないものの、警備員室前での荷物の受け渡しの時に(部屋までは行けず、看護師さんが、系議員室まで持ってきてくれる。)質問しても、「担当ではないのでわかりません。」の返事だとオットは言う。

水曜日になって、第3連絡先なのに私のところに電話があり、「紙おむつが足りません。寝間着の下だけ足りません。」と言うので、「すみませんが、救急外来に入院したきりどのような様子か全く説明がないので、本人の様子が家族は大変心配です。一度ちゃんと病状の事など説明があってもいいんじゃないでしょうか?月曜日には退院と言われていたのに、何の説明もないし、今どんな様子か聞く権利は無いんでしょうか?それに、着替えは持って行っても洗濯物が返ってこないので、もう寝間着はなくなってしまったので、買って持って行きますが、洗濯物を返却して頂けますか?」

とちょっと強めに言ってみました。

すると、最初は担当ではないのでと言っていましたが、今のBこさんは尿はカテーテルで取っていて、大だけ2人がかりで支えてポータブルトイレにしてもらっている。食事はひとりで食べれている。清潔を保つために寝たまま入る4人がかりで入れる入浴施設で入浴させていると教えてもらいました。

木曜日

先日はオットのスマホに電話をしてほしいと伝えてあったのに、また私のところに電話があり、医師からの説明があるが、わたし(よしこ)でいいかとの事で、オットにかわっても、オットでは用が足りないと私が説明を聞くことにしました。

救急外来の先生によると、「今まで自宅介護の時も発熱解熱を繰り返し、泌尿器科でも検査をしているが異常がなかった経緯から見ると、今回の発熱は尿路感染によるものと思われる。現在も解熱してはまた発熱を繰り返しているので、今後もそのような状態のままと思われる。今まで自宅介護だったが今後はどうするか?」と聞かれ、「オットは有料老人ホームを探しています。」と答えました。「そうですよね。こちらに入院してからガクっと体力が落ちでいて、ご自宅での介護は大変であるとは思います。ただ、このまま病院にいると、せっかくご自宅で面倒を見ていたのに、ご自宅に帰ることは出来なくなりますが、それでもいいですか?今後の事はソーシャルワーカーが相談にのりますので、連絡をお待ちください。」との事でした。

本気であれこれ有料老人ホームを探していたオット、いや、本人はその気がなく、家に帰って来るだろうを思っていたヨメ(わたし)双方、思いがけない話になってきてしまって、戸惑うことになりました。

またまた続きます(すみません、しつこく)


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その5(救急外来編)

2022年09月28日 | 医療

Bこさんの、早朝の転倒からの結構な騒ぎでございますが、この間、親戚の事やら、一昨日の豪雨災害で、右往左往(前からそうなんだけど)してました。

私の住んでいるところでは長時間の停電で、信号はつかない、市営バスは運休、インターネットサーバーも落ちてしまって、PCもつながらず、スマホのLINEでの連絡も出来なくて、しばらく他がどのような状況かがわからず、大変でした。なにより家族間の連絡が取れなかったのは不安でした。

今はうちのあたりは復旧しています。

さて、Bこさんの救急車に乗せたところまでで、終わってしまっていましたが、救急車に何とかのせて、私は別の車で、オットが付き添いで(嫌がっていましたが)救急車で総合病院に向かいました。

現地で落ち合って、救急外来(もちろん、検温消毒、あと聞き取り)で、しばし待たされました。オットはすでに救急車の中で、今後どこまで治療をするかとか、急変時の対応、その判断は誰がするかとかいろいろ聞かれ、そこまでの状態と思っていなかったオットはかなりの動揺。

待合室も幾重にも仕切りがあり、中の様子は勿論、ここが病院内のどこなのかすら不明の不安な状態。トイレに交代で行っているうちに場所が移動してしまっていて、元の場所(仕切られている一角)にいなくて、仕切りがある為さてどこへ行ったものやら分からない状態でした。もちろん、スマホなどは禁止ですし、シールドが掛かっていて繋がりませんしね。

無事オットと落ち合った後も、あっちに移動、こっちに移動で、Bこさんが一体どうなっているのか全く分かりません。

しばらくして、救急外来の担当医からの説明と相談がありました。

脳の方の異常はなかった。もちろん、コロナでもない。肺の炎症もない。炎症の数値も低い。何度か発熱解熱を繰り返していることから、尿道が慢性的な炎症を起こし、高齢もあり発熱で、掛かりつけ医での点滴でも対応できなくはないが、どうするかとの事でした。

その時に入院すると急激に寝たきり状態になる事が考えられるが、最後の場が、もしかしたら病院となる可能性もあるがそれでもいいかと念を押されましたが、今の状態で、もしも掛かりつけ医がやっていたとしても、在宅では無理ではないかと、掛かりつけ医の休診明けの週明けまでの入院をお願いしました。

この時点で姿を見たのはストレッチャーで運ばれるところが最後です。

その後10日、Bこさんの様子が不明と言う事態になりました。

まだまだこの事案、続きます~~のよし子がお送りしました。