曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

Yこさん、入退院騒動 その6

2016年04月01日 | 介護

整形外科での入院、特に、かなりの長期の入院は、実家母Yこさん、もうもうベテランでございます。

最近では早期離床を促すため、相当の重症の人でも、歩かせたり、歩けなかったらベット上でのリハビリも強制的にさせられるのも当たり前です。

以前入院した時も、まだ傷口は固定してさらに大きな保冷材をいくつもあてがっている状態(このときは肩の手術)で、足の曲げ伸ばしをする器具を使って、寝たままの状態で、はい、今回は百回ずつと運動させられておりました。このときは自分でも積極的にやっていましたが…(あれから7年たったんですなあシミジミ((+_+)))。

右足の手術の時は、入院は手術の2日前からして、手術前に松葉杖を使って歩く練習をして、手術後、直ぐから歩行も入浴もOK。だったはずが、その時すでに認知症が出てきていたこともあり、松葉杖拒否。入院中は入浴もせず、左足もたぶん水につけることなく、ストッキングも変えないまま一カ月過ごしたことがありました。本来なら、松葉杖で退院できるはずが、入院中はずっと、車いすで過ごし、退院の前の日に強引に歩行器を使わせてみるというようなことがあり、その後のリハビリが大変でした。

そして、やっと右足の傷が癒え掛かったころ、交通事故で左足をひかれ、4カ月の入院(リハビリ病院含む)となり、認知症も進むという経過のあるYこさんです。

今回は入院は結局3日間と短期でそれはいいのですが、以前の入院の時のことを考えれば当然といえば当然なんですが、

「私は何もできない。しちゃいけないといわれている。」と歩くのはもちろん、車いすにも一人で乗れないだの、立てないだの、横になれないだの、食事も一人では取れないだの…。

デイなどでは、水は汲んでくれるし、薬も出してくれるし、杖は持って駆けつけてくれるのに、ここでは何もしてくれない(当たり前だろうが)。しかも、離れた小児科に入院ですから、何か聞いても返事が来るまで時間がかかるわけですわ。

それ以外にもとにかく、食事がまずいだの、食べさせてくれないだの、内容がどうの、こっちが食べさせている間文句しか言わないんですなあ。最近の病院食って、保温した状態で出してくれますし、ごはんの炊き具合だって、加減してもらえるし、おかずもA,Bの中から選べるんですよ。

と、言ったら、そんなこと言ったって、デイのほうがおいしい。でもデイだって最近はどうたらこうたら、文句ばかり。

いい加減腹も立ってきましてね、「文句ばかり言わないで、もっと、感謝したらどうなの。それに、なんでも自分でできるはずだよ。もうすぐ退院だから、一人で何でもできないと自分が困るでしょ。今のままなら、歩けなくなるよ。寝たきりでいいならどうぞ。でも、自分でできたほうが自分も楽でしょ?」

「だってね、先生だって、手術した後明日朝から診察があるからって私を置いて帰ってしまって、それっきり来ない。」

「昨日はだって、夜の9時だったんでしょ?終わったのが。もう、9時って寝る時間じゃないの?先生だって食事もとりたいし、家にも帰りたいでしょうし。

それで次の日に診察ってそれって今日の事だよ。今先生診察中なんじゃないの?」

「そんなことはない!私の事を忘れているんだ!もう何日も来てくれない!」

「昨日の夜、手術したんだよ。そして、今日診察日ってことは、時間的に考えたって無理でしょ?診察が終わってから見に来てくれるんでしょ?第一、無理に手術もしてくれたんだからね。そうでなかったら、10日後か2週間後になっちゃうから、先生が頑張ってやってくれたんでしょ?先生を少し休ませてやらないとね。」

「え?昨日?昨日じゃない。もっと前だ。」

とまあ、エンドレスですわ。

こっちもわかってはいるんですけどね、(時間的なことがわからなくなっているってことは)こんな言葉を思い出しました。

 

人は3回同じことを繰り返していわれると、怒りを覚える。

そして、5回言われると、殺気を覚える。

 

「忍」と思うんですけどね、にゃあかにゃか、難しいですなあ。

で、結局3日間の「忍(どちらも)」の日が過ぎ、いよいよ退院の日を迎えたわけです。

が、当然、退院の日もひと騒動もふた騒動もありましたがな。

まだまだ、続くんであります~~(今回は短期間の入院だったのに、今までの中で一番長く感じたんでありましたよ)