曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

駿府城公園に行ってきた。歴史ロマンじゃ!

2018年10月21日 | 近隣を訪ねて

天気も良く久しぶりの晴天。

のたのたグタグタしている、超高齢者=オット母Bこさんと、高齢者=オットは打ち捨てて、歴史ロマンを求めて、秀吉建立の天守閣の発見された駿府城公園に行ってきました(*^^)v

今日は発見された天守閣跡の石垣の説明があるとの報道で、お堀の中は人人人…。しかも、ポケモンゴーをやる人も大勢いて、いつになく人口密度が高くなっておりました。

駿府城は外堀

外堀の東御用門。

そして、内堀

修復前のそのままのところを写してあります。

そして本丸のところが現在発掘調査中。

発掘されたお堀。

外側が家康の立てた堀。

 

 修復などせず、発掘されたままの堀です。

さてさて、こちらが発見された秀吉の天守台のお堀です。

写真だとわかりにくいので資料を張り付けておきますね。

 

 

自然石だけを積み上げて、隙間も小さな石で埋めて作る工法。

これだと角度が付けられないので、外堀内堀のように角度を付けた高い堀には出来なかったそうです。

もっと前は堀のない平らなところに城を作っており、秀吉は堀を作ることが出来たが、当時の家康には堀を作ることが出来なかったそうです。秀吉が堀を作りその上にきらびやかな天守台を作って「我こそが天下人である」と天下に知らしめるために作ったそうです。(大阪城も。駿府の地に作ったのは東方の武将に力を示すため。)

 

そして、家康はひたすら天下をとる時期を待ち、天下人となった時に、秀吉の立てた天守閣を壊し、堀を埋め、その横に駿府城を築いたと言うことで、その間20年。その間に技術が進み、医師を切り出して高く積み上げる工法で、3重の堀を作ったと言う事です。

今回発見された、秀吉の天守台は、大きさも40メートル×35メートルほどになるとみられ、大阪城の天守閣と同じ大きさとみられるとの事で、しかも、2つの工法の堀が同時に見られるのは「日本でここだけ。これは静岡市の宝ではなく、日本の宝であると、皆さん、多くの人に伝えてください。」との事でした。

今回、本丸堀の発掘で、すっと地下に保存されていたため、とてもいい状態で、瓦なども発見され、

 

聚楽第での瓦との共通点から、秀吉の建立した,天守台であると確認されたとの事です。

今回は直に瓦を見ることは出来ませんでしたが、今回の説明会に多くの人が訪れたことから、再度、説明展示会を検討し、近い将来開催するので、また来てくださいとの事でした。

掘り出された石垣の石

 

 

後ろに県庁等建物が見えますが、石の大きさがお分かりいただけますか?

午後になれば、少しは人が少ないかと思って、3時ごろ行って、4時ごろまで粘りましたが、人が途切れることなく、一番みたい天守台跡の堀は写すことが出来ず、残念でしたが、Bこさんや、オットのいない、ひとりだけの時間、帰りにコーヒーフロートなんぞ食べて?飲んできたぞい

いやあ、良かった良かった!

私、いちお~歴女でありますのよ。(^_^)vオホホホ(*^^)v

 

 

 

 

コメント (2)
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