曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

数年ぶりに故郷へ 

2019年05月21日 | 旅行

オット母Bこさんとの完全同居の為なかなか自分一人泊りで出かけると言うことは数年なかったのですが(オット父が存命中には冠婚葬祭時には出掛けることは出来ていた。Bこさんはなんで出かける?実家母Y子さんと私の弟で行けばいいでしょ?というスタンスではあった)この10連休は実家一家と共に行ってきましたよ。故郷へ!

長野県の片田舎、カーナビだとたどり着かないような場所。ほぼほぼぽつんと一軒家状態の田舎なので、車でないと行かれないし、暗くなると灯りもガードレールもないような道なので(落石注意!が ずっと続き行った時は小石がばらばら降っていたよ( ̄▽ ̄;))なかなか大変なんです。

それでも、今回はお葬式とか法事とか時間に制約のある旅ではないし、服装もラフでいいし、久しぶりに肉親だけの旅行なんで、気は楽。ぜんぜん留守の事は気にならないし~~。

途中の道路もだいぶ整備されていたし(高速やバイパス等)連休中にもかかわらず(反対側とか高速を降りたその先は混んでいたりしたけれど)ほどんど渋滞もなく、天気も良かったので楽しいドライブでした。

実家母は認知機能がなんではありますが、私はあまり気にならず、むしろ久しぶりに気を使わずに世話が出来たので楽しかったですよ。景色も丁度りんご、梨、桃そして桜も満開で良かったです。山藤もきれいでした。

高速道路のサービスエリアではきれいな

 

 

環天頂アークという、太陽の周りに見える逆さの虹のようなものが、きれいに見えました。

こんなにきれいに見えることはめったにないそうで、ニュースにもなったようです。

着いた日は小さい頃弱かった母の代わりによく面倒を見ていただいた叔母さんの入居先の施設に行って久しぶりの対面。

叔母さんも認知症が進み、話はすらすらするものの、実際の年はもう70歳の自分の息子が今大学に行っているといったり、私の事は従兄弟だと思っていたり、車いすでの生活でもともと小さい人ではありましたが、本当に小さくなってしまっていました。

けれども、にこにこ話をする時の顔は昔のまま。

帰る時はまた切ない…。車いすを自分で動かして、あとを追いかけてくる叔母さんとそれを止める職員さん。後ろを振り返るのがいいのか振り返らないのがいいのか、それこそ後ろ髪をひかれると言うのはこういうことだなと、今思い出しても哀しくなります。

私が誰かはわかっていないようですが、会えてよかったと思います。

夜は水入らずでのお泊り。

古い宿ですが、景色は良いところです。

部屋の窓からの景色。

 

 

 

宿泊した宿は本当に古い旅館で、お風呂はムムムだし、エレベーターは使えないし、段差はあちこちあるしでしたが、食事は美味しかったですよ。(母親は前より味が落ちたとかぶうたれてましたけど)

 

このお弁当は3年ほど前今の上皇ご夫妻が昼食に召しあがったものと同じだそうです。

これに、和牛焼き肉と天ぶら、お蕎麦や茶わん蒸しなどが付いていました。

仕上げのデザート

 次の日は 母親の実家へ寄らしてもらい、従兄弟や甥たちが集合し(これも義理の関係の人はおらず肉親のみ)子どものころ夏休みにおばあちゃんちに泊った時の状態。みんなもう還暦を過ぎてしまいましたが(母親たちは80代後半)昔にかえって話に花が咲きました。

そして素晴らしいお知らせがありました。

親は田舎を出てしまいましたが、甥っ子が脱サラして農業を継ぐことになりました。と言っても農業では食べていけないので、地元に就職し

週3日働き、他の日は休耕田を借りて(含む叔母さんの家の畑も)農機具も借り、農業をやるそうです。

え~~!知らなかったよ、おばちゃん。普段おとなしい無口の子なので。

なんか熱く語っていてびっくりだよ。

もう青年団にも入ったし、消防団にも入ったし、なんかねマタギにならないかなんつう話も来ているらしいです。

甥っ子君、期待の星で輝いていました~~。

帰りに甥っ子の働いているお店で地元の農産加工品を買って帰ったんですが、我が家でも大好評で、オット!お取り寄せしておりましたです。ハイ!良かった良かった。

ガンバレ~~。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本平東照宮に行ってきた。 | トップ | 指と頭のリハビリに  その1 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事