曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

同時進行で実家母も↘

2013年12月22日 | 高齢者

同居の夫父の葬儀葬祭の間、というか、その前から、実家母Yこさんの入院および介護については、実家弟夫婦にどど~~んと丸投げしておりました。

実はGオさんの亡くなった騒動の日は、実家母Yこさんの入院先での騒動があり、弟と二人、病院で落ちあって、話をするつもりでいたのですが、当然そちらは弟に任せ、そのあとの入院(リハビリ病院)先から、両足の手術後の診察へを受けさせるための手配(介護タクシーの手配だの、交通事故での入院なので、そちらの保険の関係だの)と付き添いなども、結局弟夫婦に全面やってもらう事に。

当然と言えば当然なんですが、普段は、私に実家母の通院などは丸投げであった、弟夫婦には負担が大きく、通院の為に前日に家に連れてきたものの、大変な事になったようです。

その話をお通夜や、葬式当日に弟はしたかったようですが、とてもとても、それどころではなくて、どうなろうと、仕方がないって感じであり、実際、その後、全く私はリハビリ病院に行く事も出来ず、何日か後、どうしようもないからとの弟のヘルプで、合間を縫って、久しぶりに実家母に面会をしてきました。

実家父も、入院してすぐに、それまでしっかりしていたのに、ココがどこなのかわからない状態になってしまいましたが、実家母もつい、10日ほど前に見た母とは違っていました。

カンファレンスが行われ、そこで言われたのは、まず、

「認知機能が落ちてしまい、数値的にも、完全に認知症の領域に入ります。」

と言う事と、Yこさんは明日にでも歩けると思っているようですが、実際には

「残念ながらリハビリは進んでいません。むしろ、入院当初よりも悪くなっています。」との事で「こちらに入院していられるのは3か月なので、1月末までは、こちらにいられます。」

と言う事は、「その前は退院は無理と言う事ですね?」と確認すると、

「1月末まではここにいられますと言う事です。」つまり、その後は転院または、施設に入るってことで、家に帰れるのはいつになるか未定ってことです(;一_一)

「とにかく、今のうちに介護保険などの公的な補助が受けられるように手続きは進めておいてください。緊急にです。」

「お正月には、外泊できますか?」と聞くと、

「外泊ではなくて外出許可が出るかどうかで、今の状態では例えばお正月中帰って居られるっていうことは難しいでしょう。」との事でした。

いろいろ、問題行動もありまして、その都度、駆けつけると言う状況が続いています。

介護保険の認定も本人の拒否などもあって、紆余曲折。

今日、このあと、親戚の人とお見舞いに行ってきますが、どうなっていますやら。

まあ、弟が希望してリハビリ病院に入れたんですし、本人が一人で昼間過ごせる訳もなく、仕方のない事ではあったんですが、弟の思い描いていたものと、現実は逆に進みつつあります。

面会した時の母親が憐れでね…。なんとも、切ないです(;一_一)


なんとか無事に

2013年12月21日 | 冠婚葬祭

こういう場合によかったという言葉がいいかどうか分からないけれど、まあまあ、いい通夜葬式ができたんではないかと、安堵しています。

細かい事を言えば色々ありますが、Bこさんの動きが鈍かったのにもかかわらずというか、逆にそれがよかったのかもしれません。

最後のお別れ、湯棺の儀をやって、良かったです。

Gオさん、自分の希望もあったとはいえ、大部分の理由は、Bこさんの「片付けたくない、人が家に入るのは嫌だ」から、ホールで冷凍のような状態に何日かあったのですが、この、湯棺の儀をやって、本当の意味で看とる事が出来たような気がします。

葬祭業者によって、まさざまかと思いますが、私たちがお願いしたところは、本当の親族だけで、髪を洗い、手と足を洗い、そのあとは、御簾を降ろして体を綺麗にしてもらい、お化粧も自然の色がいいか、発色がいい方がいいかとか、口紅の色も希望を聞いてくれて、私たちは生前のGオさんのままのお顔にしてほしいとお願いしました。

御簾があがって現れたGオさんは、いつもの顔でした。まるで息をしているように見えました。

そのあと、皆でまた、Gオさんに旅支度をして、お棺に納め、思い出の品を入れてあげました。

この時、妻、息子夫婦に孫、ひ孫、全員そろっての旅支度。

本当に丁寧に綺麗に支度してもらいました。そこに、私たちも参加する事が出来て、本当に良かったです。

この湯棺の儀がなかったら、この日はお葬式が3件、通夜が2件、同じホールであるという、大忙しの日で、次の日のお葬式も同じような状態。特に火葬場では分刻みで、「流れ作業」で終わったらそのまま、余韻も何もなく、誰がどこに座るなんて言っている間もなく(よく、全員そろって帰れたなと思いますが)点子するまもなく、帰ってから、全員いるよねみたいな、状態になりましたから。

それに、中には、え?みたいな弔問客もいましたし。

施主であるオットも忙しいが、一応そのツマである、私も当然超多忙で、時間外(それもとんでもない時間にGオさんに会わせろと)に押しかける人がいたり、非常識な人もいたり、でも、そんなこんなはいつの間にかよしこ担当でございまして(;一_一)

Gオさんも高齢ならば、その友達ももちろん、高齢になる訳で、中には「悲しみのあまり」喚く人もおり、本来ならば思わず貰い泣きなんでしょうが、「こんちくしょう~、Gオさんに合わせろ~~、おれはあいつが死んじまったんてゆるさね~ぞ~!」なんて控室に押しかけて、喚く輩もおりまして(Q )) ><ヨヨ

こんなんに、台無しにされたくはございませんので、はい、私、時間前にホールの方にお願いしてGオさんにあわせ、気が治まったところで、お帰りいただきましたです。ハイ。

ええ、充分思い出話を伺いましてね、また、祭壇の準備の整わない中で、Gオさんの顔を見せたんであります。あなただけ特別に。「俺とGオさんの仲はそんなんじゃない!」という特別な関係だそうですので、特別にね、良かったです、○○さんがこうやって来てくださって、充分お別れが出来てGオも喜んでいると思います。なんぞ言って、お帰りいただきました(*^^)v

 

まあまあ、それでも、他は大きなもめ事もなく、大変は大変でしたが、大きな失敗もなく、とど夫婦としては大役を果たせたかと。

それに、この時Bこさんがどうにもこうにもってことが皆にわかり、今までは何にでも口出しして、大変な人でしたが、あっさり、世代交代?権力掌握?(いや、オットとどがですよ。え?私?とっくにとどは操縦しとりますから(^_^)v(*^^)vもひとつ(^_^)v)したんであります。

敵(?)は一夜にして陥落という、全く筋書きのないドラマが、進行したんでございました~~。

一番、良かった事は、家族がひとつにまとまった事です。

特にGオさんの孫達が、本当によく、動いてくれました。そして、仲良く物事を運んでくれて、頼もしかったです。みんないい子(大人)になってくれたとGオさんも喜んでいてくれると思います。

そうそう、Gオさんの亡くなった長い一日が終わって、オットと二人きりになった時、オットが

「最後の最後まで世話をしてくれてありがとう。本当にGオさんは、あんたを当てにしていたから、最後にああやってついててくれて、ずっと、手を持っててくれて、声を掛けてくれて、僕には出来ない事をしてくれた。本当にありがとう。」と言ってくれました。

照れちゃって、アハハなんて笑って胡麻化してごめんね。

でも、私も、Gオさんのような「お父さん」が持ててうれしかった。幸せだった。

それに、Gオさんのお葬式を通して、皆の絆が深まったって事も、凄いなって思う。

だって、だいたい、冠婚葬祭は揉めるもとだもんね。

いや、わかりませんがね~~。この後、遺産相続ってもんがありますからさ!

なにも揉めないでとは、いかないでしょうが、でも、想像していたよりも、皆ひとつになったなって思います。ひとえにGオさんの人徳?

まあ、少なくとも通夜葬式は滞りなく行われ、その後の様々な事もなんとかかんとか、クリアしております。

が!がが!

こういう時に、この、物入りの時にまた、色々故障するんですな!

ト、トイレが~~、壊れました~~。

文字通りトイレが「がががが!」とでかい音を立てるんでございますよ。何か動かすたびに「がががが!」

この、無抵抗な格好の時にあの音は怖い!

Gオさんの亡くなった次の日の朝からでございます。

ま、一応流れるんですけどね。

G神様のお告げか~~、それとも、Gオさん、トイレにしがみついたか?

 

謎でございます!

とりあえず、お葬式が終わった後、緊急にとり変えました~~。全面取り換えで20万以上のお金が~~~(Q )) ><ヨヨ飛んで行きました~~~。


Gオさんがの未練か?庭の花と紅葉

2013年12月20日 | 

突然旅立ってしまって、自分でも戸惑っているであろうGオさんの、この世への未練か、それとも、まだ、ここにいるよと言っているのか、今年は季節外れの花に、紅葉に、それにいつもは赤くならない実ものまで、例年になく鮮やかです。

ココログに 季節外れに咲いた花 と  紅葉を アップしました。

 季節外れに咲いた花 →  こちら

 紅葉は  →  こちら

実の方は、また、この次ね。

 

まあ、現実には今年の気象が、いつにない庭にしてくれたのでしょうが、

なんだか、庭にGオさんがいて、笑っているような、そんな気がするのです。

 


葬儀に向けて

2013年12月19日 | 冠婚葬祭

なにしろ、Gオさんと長年連れ添い、苦楽を共にしたはずのBこさん。

どうも、楽楽をともにして、苦はすべてGオさんに押し付けていたようで、というのは、わかってはいたんですが、とにかく連絡先ひとつにしても、真っ白状態でして、Gオさんの最後寝室になった客間を大捜索。

親戚の住所電話番号がわからないのには、まいりました。

いや、一応私もメモってはあるんですけど、いつも、通称で言ってたりして、氏名がわからなかったり、携帯電話の番号がわからず、なかなか連絡がつかなかったりで、日ごろからつい、携帯電話からの連絡で、ちゃんと連絡先がわかっていないことの、不便さを感じました。

ほんと、人の氏名はきちんと書いておくべきですね。

ついつい、○○のおじちゃんとか、○ちゃんで、呼びあっていて、さて、住所は?電話番号は?氏名は?

近い人ほどわからなかったりしますよね。

おばあちゃんの名前は知っていたけれど、早くに(Gオんさんが赤ちゃんの時に亡くなっていた)亡くなったおじいちゃんの名前、オットも初めて知り、そして、実はGオさんは7人兄弟だったってことも初めて知ったようです。(赤ちゃんの時に2人亡くなっていて、一人は戦死、4人兄弟のように思っていたらしいです)

そんなこんなで、Bこさんが当てにならないので、落としがあるのかないのか、皆目分からず、結果、お葬式の時に初めて見る方が大勢、しかも祓いの席にも残って下さったのに、さて、お渡しするものをだれにどう渡すのか、見当もつきません。Bこさんは、全く動かないし…。困ってしまいましたよ。

話は前後しますが、そんな訳で、Gオさんが葬儀後、49日までの間の祭壇を飾り、お参りに来て下さった方にお参りをしてもらうための準備。というか、通夜までの間もひっきりなしに弔問の方は見えるわけですから、Gオさんの部屋の片づけは急務なわけです。

ぐだぐだいってても仕方がありません。当てにならないBこさんは脇に置いておいて、とりあえず、介護ベットの返却。亡くなった次の日の朝1番にして、次の日の朝とりに来てもらい、祭壇を置く場所の確保ですが、さてさて、衣類の山や、雑貨の山が部屋のあちこちにあるので、とりあえず、一角にあるのを他片の一角にまとめ、片方の隅をとりあえず確保。

まだ、他方に机に、こたつ、TV台などが、床の間や、押し入れをふさぐような形に置いてあって、とても落ち着きがありません。

Gオさんのいろんなものが(大事なものも含め)置いてあるので、勝手に片付ける訳にはいかないので、とりあえず、私は服類をひとまとめにすることと、出来れば仕切りになるものを買ってきたいと思ったのですが、Bこさんの「そのうちやるから、そのままにしておいて」との声で、とりあえず、布を探してきて、被い、今現在もそのままになってます。

そのままにしておきたいから、Gオさんは家に帰らず、ホールで「保管?保冷?}してもらっている訳で、「とにかく、今はいいから。」「いや、今やらないと困りますよ。」の押し問答。

まあ、Bこさんがいいならいいやと、こたつや机は端に寄せて、服は被いの状態の山は、一向に低くなりませんです。

あとは、写真!

物置を大捜索。

出てきました。昔若かりしGオさんの写真。そこに映り込んでいる、オットとGオさんから見るとひ孫がそっくりと言う事に、みんなびっくり。もちろん、オットとムスメの小さいころにも似ていて、まぎれもなく、Gのさんの血は、引き継がれているなあと、不思議な気持ちになりました。

オットはメモリアルボードがどんなものか知らなかったので、写真を探す大捜索もちょっと気が乗らなかったんですが、その写真を探し出した時には、自分の両親の結婚したばかりのころや、それぞれの顔も知らなかった祖父母の写真も見れて、しばし、感慨にふけってしまいました。

カメラも好きだったようで、たぶん同じ年頃の人よりも沢山の写真を写しており、ちゃんといつどこで写したかも書いてあるので、Gオさんの歴史をしばし、堪能しました。といっても、この時はとりあえず、写真を選ぶに精一杯で、みんなの知らないGオさんを、選び出し、89年の歴史がわかるようなものをメモリアルボードにしてもらいました。

事前にメモリアルボードと、遺影の写真の縮小版を祭壇に飾れるようにしてくれたものを、確認も兼ねて持ってきてくれて、遺影の写真もGオさんのいい顔になって、良かったです。

あとは、お送りする方の準備。あ!こちらは、おしゃれなBこさん、ぬかりはございません。知らぬ間に、ちゃんと美容院の予約を入れており、○時に美容院予約したから(連れて行け)との事後報告がございましたです、はい。

一応、私もちゃんとしなくてはいけませんからね、娘もいろいろ買わなくてはならないものがあり、とどちゃんと一緒に買い物に行く事になったんですが(孫も連れて)Bこさん、

「とども一緒に行くの?」と不安そうな顔。やっぱり、一人にすると不安かねえと

「とどちゃんが、うちにいた方がよければ、居てもらうけど。」というと、Bこさん、

「とどが、一緒だと、うろうろして、邪魔になるじゃないかと思って。」ちゃんちゃん!

さすが、母親でおます!とどの生態をよく、ご存知で。

文字通りうろうろして、困ること多々あり!こういう時はとどではなくて、クマでおます(^_^)v

それにしても、邪魔になると母親に心配される61歳って(;一_一)

さて、無事にとどは、施主を務められるのでありましょうかあ???

続く~~


探し物

2013年12月17日 | 冠婚葬祭

早々Bこさんが頼んだと言う、お寿司を食べている、義弟一家。

いや、義弟一家が悪いんじゃありませんよ。姪達もいろいろ手伝ってくれているし。

Bこさんはオットよりも義弟の方をかわいがっていまして、弟一家が来た時には本当にお客さん扱いと言うかなんというか。こんな時には手伝ってもらうのが当たり前だと思うのですが、そうは思えず、とにかく葬儀場の打ち合わせの時から、横から何を言うかと思うと、義妹や甥姪(Gオさん、Bこさんからみれば外孫)が来た時にどうもてなすか=お寿司はどうする?なんです。

いや、今はGオさんの葬儀の事をって時にもなので、なんだか、Gオさんもかわいそうです。

本当は、Bこさんが、中心になって、例えば写真を選ぶとか、こういう内容にしたいとかなんだと思うんですが、一切かかわりなしでした(Q )) ><ヨヨ

○○はどこにあるの?と聞いても{Gオさんに聞かないとわからない」を繰り返すばかりで、仕方がないので、つうか、埒があかないので、Gオさんの孫どもに、大捜索を指示。もち、指揮官は私でございます。

この際、Bこさんが、嫌な顔をしようが、「いいだよ、そこは後で見るから」なんてこたあ、聞こえないふりでございます。

Gオさんの趣味を知らなかった孫一同、「おじいちゃんが作ったものは自分が死んだ時に邪魔になるから、処分するっていうのを私(よしこ)が止めたら、写真に撮ってファイルするとか、したとかこの間言っていたんだよ。沢山あるはずなんだよ。」

大捜索の結果、出てまいりました。まだ、整理前でしたが、大量の作品の写真が。

それに、毎年入選していたようで、今年も応募した作品のコピーも見つかりました。

書や絵画もあったはずですが、そちらは見つからなかったんですが、スケッチブックが見つかりました。亡くなる直前にもスケッチに行った、最後の作品というか、下書きも出てきました。

それはそれは、色づかいも大胆かつ繊細で、私が想像していたよりももっと素晴らしいものでした。元がどこに行ってしまったのか、もう処分してしまったのか、本当は本物を孫達も見たかったと、また、写真でいいから作品集を作りたいよね。これ、絶対、やりたいね。

さあ、どれを見てもらおうかといいながらも、あまりの多さに決められません。

それに、メモリーボートに入れる写真。昔の写真もあったはずなんですが、その時は見つからず、時間切れで弟一家はホテルに移動。(私とすると、雑魚寝でもいいじゃん、って思うんですけどね、弟たちも本当はうちに泊まりたいと思うんですけど、Bこさん、泊めたくないんですって。う~~ん、よくわからない。私なら、寂しいから泊まってほしいと思う。)

弟たちが帰ってから、さて、お葬式に来る人数の予想だの、精進落としに何人来てくれるかだの、いろいろ確認しなくてはならないのに、Bこさん、全く協力的じゃありません。「わたしゃ、しらないだよ。Gオさんならわかるだけど。」

この、「わたしゃ、しらないだよ。Gオさんならわかるだけど。」はこの後、呪文のように繰り返されたのでありました~~~。

で、今晩ですわ。Bこさんが1階でひとりじゃあ心配なんで、とどの布団を2階から引きづり落とし、「おばあちゃんが、心配だから、とどちゃん、ここへ寝な!」と有無を言わさず、「のし」をつけて、とどを進呈してまいりました~~。

ま!リビングですけどね。

オット寝たら起きませんけど、まあいないよりもマシでしょ。

時々寝ている時、息が止まるから心配だけどね。(無呼吸症候群一歩手前なんです。一応検査して、ぎりぎり合格?)

わたいも一緒に下に寝ようか?つうたら、とど一人でせいせいと寝るそうなんで、この日から私どもは別居生活に入ったんであります~~。

でもって、私、夜中に洗濯して寝たのが1時半過ぎ。つまりかる~~く24時間起きていたんですな!やればできるもんですな。その間、疲れてはいましたが、たいして眠くもならず、丸一日持ちましたね。

もしかして、初めての24時間TVではなく、24時間フルタイム活動していた日だったんですね。


適正価格?

2013年12月16日 | 冠婚葬祭

葬儀葬祭に掛かる費用の中で、一番悩ましく不明朗なのがお寺さんにお納めする「お布施」や、戒名の「お金」つうてはいけないのでしょうが、どう?お聞きするのに「おいくらでしょうか?」っていうのも、なんだし、いくらなら○○って言われたら、結局位をお金で買うってことだから、「おいくらでしょう?」ですよね。少なくとも心の中では。

Gオさんは我が家で最初の仏さんなので、葬祭初めて(まあ、Gオさんのお姉さんは家でお葬式は出したんだけどね。お墓は別だし、Gオさんが喪主・施主だったからね)のとど夫婦には、どのように話を持って行ったらいいのか、皆目分からないのです。

葬儀場での打ち合わせで、一旦お寺さんがお帰りになったあと、担当者にその事を聞いてみました。

率直にお聞きして大丈夫です。たぶん、お寺さんからちゃんと、お布施の事も話があると思います。なければ、はっきりお聞きしても失礼にはなりません。あと、別に「お車代」が必要かとか、七日の祓いはどうなさいますかと、お聞きすれば、ちゃんとこうこうして下さいと言われます。

戒名とお経代は一緒に「お布施」としてお渡ししますが、いつになるのかも、しっかり聞いて下さい。

はあ~~ん。

でもさあ、なんて、切りだすんだろうかあ?よく、お気持ちでって言われるって言うけど。でもさっきの話をした感じでは、端的に物をおっしゃるおっさんではありましたが。だいたいが、面と向かって「おっさん」と呼んでいいのだろうか?

なんぞ、思いながら、おそるおそる、お寺さんへ出向いた訳でございますよ。

で、結論から言うと、はっきり、これこれならいくらいくら、これこれなら、いくらになります。

これこれってのは、戒名の位ね。

で、あとで、調べてみました→こちら

宗派でこのように決まっていますから、選ばれた戒名で、こうなります。といって、特別こうしろとは言われませんでした。(叔母さんの時は、どうしてもこれにしろと言われ、その後も様々ぼったくられましたが…)やはり、叔母さんや他の兄弟と同じがいいだろうと、その位でお願いしたんですが、こちらで見た相場の下の方で、かなり良心的な「お値段」でした。

私の勤め先の大先生の時も、ものすごい、ぼったくられましたぜ。

まあまあ、ひとつなんとかクリアでございます。

まだ、まだ、通夜の「つ」の字にも言っとりませんがな(;一_一)

まだ、深夜一時半に始まった大騒動。まだ、16時間ぐらいしか、経っとりません。

長い長い一日。まだ、道半ばでございます。ハイ。

もひとつ、実はこの日は実家母Yこさんの入院先でも騒動があり、本当は病院に行く予定でいたんですが、そっちは、弟に丸投げしたんですが…、こっちも、まだまだ続くよ、のめんど~なことになっておるんであります。

まあ、80歳以上の親に、舅姑だすからね。一気にくるわな~~。

エンドレスに続きます~~~。

ついて来れる方のみ、よろしくです。

あ!むし倶楽部は、ココログにアップしました(*^^)v

ぐふふ!多少の余裕はあるだず。(^_^)v

こちら→むし倶楽部  よろしく~~


位?格?地獄の沙汰も…

2013年12月15日 | 冠婚葬祭

ご存知の通り、亡くなった方はすべて平等に仏になる

はず

ですが…

実際は、どの程度のお葬式をするのか

心をこめてが、地獄の沙汰もなんとやら…つまり、○○次第

もちろん、祭壇がどうの、祭壇飾りの程度だとか、なんだとか、ひとつひとうに位?格?価格の違いっていうのがあるわけです。

まずは、お棺から

はい!ここで、すでにGオさんは体格がいいので、きちきちだと、お顔が上に方に行ってしまうので、一段上のものに。

中に着せるもの(装束)、上に掛けるもの、遺影のバックの色だとか、掛けるリボンに枠の色。

ひとつひとつ、どうするこうする。

それを決めている間は、肝心な喪主であるBこさんは、ソファーにひっくり返り、良きにはからえ状態。

メモリアルボードはどうされますか?

と聞かれて、オット何のことやらわからず???

待っている間に皆さんに見ていただく思い出の写真ですよね?作っていただきたいです。

オット????

かまわず、よしこ「Gオさんが、趣味で作っているものがあるんですが、その作品を飾っていただく訳にはいきませんか?」

担当者「台の上に置くものでしたら、大丈夫です。ただし、壁に掛けるようなものでは駄目ですが。」

オット????(あとで聞くと、そのGオさんが趣味で作っているものっていうのを、オットは知らなかったらしい。私は一緒の教室で出す展覧会に毎年出していたのを知っている。)

よしこ「いずれは、Gオさん、個展でもやったら?と言っていたぐらいなので、少しでも、皆さんに見ていただきたいです。」

オット「ええ?どれ?どれのこと?」

よしこ「台だけ用意して下されば、大きいものは写真にして記録してあるので、それをちょっと飾ってほしいです。」

担当者「じゃあ、台をひとつ用意しますから、そこに当日そちらで置いていだだく形でいいですか?」

よしこ「はい、お願いします。」

祭壇も今はいろんなものがあるんですね。オホホ、私の趣味で花祭壇にいたしましたの。

まあまあ、ここまではよろしいおすが、あとはお寺さんとの話し合いで→つまり、お寺さんにおさめるお布施(戒名代次第でんな!)次第で決まるつうわけで、またまた、お寺さんでの話に続きます~~。

 


家紋

2013年12月14日 | 冠婚葬祭

葬祭にはいろんなものが必要となりますが、案外というか、意外であり、そんなに緊急にいるとは思わなかったものが、ありました。

それは、「家紋」

まず必要になりました。というか、家紋がわからないと、作れないものがあると言う事を初めて知りました。

え?皆さんご存知でしたか?

私は今まで全く気が付いていなかったんですが、「会葬御礼」の喪主・施主の名前の上に、家紋が記してあるんですね。

う~~ん、知らなかった!

確か、花、確か…あの花だわ。それは間違いないんですが…

と、見せられた家紋帳には、その花だけでも、そのデザイン(家紋でもデザインでいいのかなあ?)も色々ありまして、確か丸に○○の花だったと…。

でも、見れば見るほど、あやふやになってくるんですよね。

オットにいたっちゃ、「家紋」ってなんぞや?どの事を言っている?

てなもんでして、家に電話してBこさんに聞くも、わからず(いや、丸に○○ってのはわかっているんですけど、何種類もあるもんで、言葉の説明じゃあ、皆目分からず)たぶんこれっていうのをお願いし、違っていたら至急連絡って事でと、とりあえず、指定した家紋をオット携帯で写メに。(私の携帯は電池切れだったので)

いやあ、家紋てどこの家にもあるもんなんですかねえ。その、だって、由緒正しきってウチばかりではない訳で、まあ大概あるでしょうけれど、ない人もいるんじゃないでしょうかねえ。

いやいや、だって正直言ってですよ、いろんなデザインがある中で、もしかして、間違っちゃったってことないんでしょうかあ?

もしも、オットひとりで打ち合わせしたら、完璧テケトーなものを選んだに違いありやせんぜ。

違ったのを印刷してしまっても、大きくデザインが違わなければ、わからないよねえ、などと、不遜なことを考えてしまったよしこでございます。

後々知ったのですが、(仏壇を見に行った時に)家紋て仏壇にも付けるんですねφ(..)メモメモ

し、知らなかった!

つれつれ、実家のとか、祖父母の家とか、親戚の家のを思い出そうと思っても、第一どんな仏壇だったかさへ、思い出せない(;一_一)

はあああ。家紋一つでてんやわんやしたんですが、一事が万事、面倒な事はてんこ盛りですなあ。

出来るのか、葬儀葬祭!

施主の役目果たせるか~~、とど夫婦に~~~。

続く~~~


亡くなる方が多かったので…その④

2013年12月13日 | 冠婚葬祭

結果とすると、Gオさんの亡くなった時には、お葬式をする方が多かったので、結論から言うと、火葬場の空いていたのが、ぎりぎり5日目、お通夜はその前夜ですので、一旦集まってくれた親族はGオさんに対面後に一度帰宅。改めて通夜葬式に参列してもらうために来ていただく事に。

関東地区に就職の為に暮らし始めたGオさんの孫達もそろったところで、Gオさんと対面。

私たちも病院で見送って以来、もう3時間以上が経っていました。と言っても、まだ、夜中から数えても、半日経っただけなんですが、目の前にいるのは、透明なカプセルの様な蓋の付いたお棺に入れられて、ドライアイスに冷やされて、氷のように冷たくなっているGオさんです。

部屋はちゃんとお参りする造りになっているのですが、遺体の痛みをするなくするために、ふたを開けるのは10分程度にしてくださいと、念を押されての対面でした。

もちろん、部屋自身も冷やされていますし、カプセルを開けると、本当に冷凍庫を開けた時のような、仕方のないことなんですけど、改めて、家に連れて帰りたかったなと思いました。

ここに、4夜Gオさんはひとりで眠るんですよねえ…。

駆けつけた孫達は、涙が止まりませんが、Bこさんの、「こんなところには、いられないよ(寒くて)」の言葉で、外に出ました。

なんだかんだもめながらも、結局一度義弟一家と、ウチに戻り、私たち夫婦はお寺に打ち合わせに行く事になりました。

相変わらず、まだ、2時過ぎなのに、夕飯に義弟一家に、持ち帰りずしを買ってこいと(今まではGオさんとオットがお寿司を買いに行っていた)大騒ぎするBこさんに、さすがに私も腹が立ちまして、「まだ、2時過ぎですから、とにかく、一度家に戻りましょう。お寺さんに行くのに、私たちも一度着替えていきたいですから(夜中にとりあえず服を着替えて駆けつけたままなので、顔も洗ってないし)それに、こういう時には、持ってきてくれるお寿司をとったらどうですか?それか、ムスコの車もありますから、ムスコ(Bこさんの内マゴ)と、誰か一緒に買いに行ってもらうとかしたらどうですか?それに、お寺さんに行っても私たちが買いに行く時間はあると思いますよ。」

Bこさんは納得していなかったですが、とにかく家に急ぎました。

考えてみたら、歩くのがよろよろしているので、不憫な感じはありますが、Bこさん、ピンと来ていないのか、涙はありません。まあ、泣き崩れてどうしようもないなんてなられても困るは困りますが、なんていうか、駆けつける親戚が、迷惑っていうような、反応なんですわ。

こちらは、Gオさんは家にいないとはいえ、ウチにいろんな人が訪ねてくるわけですから、すぐ、上がってもらえるようにしたいじゃないですか。

現実、夜中にGオさんが、ベットから救急車に乗っていたそのままなんですから。

私たちもとのまま、飛び出して、朝、Bこさんも何もできずにとりあえず出たままですから、まず、それを整えよう。

それに、Gオさんの遺影だの、他のとにかく用意しなくてはならないものを、大捜索したいわけです。即!即やらなくはならないんですが…。

Bこさん、とりあえずは別にいいでしょ?そのうちに、順繰りにかたずけるから、とりあえず、「お寿司」なんですわ。

まあ、こちらは、お寺さんへ持っていかなくてはならないものと、葬儀に来てくれそうな人のリストを探し出して、Bこさんの事は義弟一家に任せて、出かけてしまいました。

お寺さんからも、不明な事を家に電話してBこさんに聞いてもらうのですが、埒が明かず、しかも携帯電話の電池がなくなってしまい、充電する為に置いてきてしまったので、オットの電話で電話をし、むこうからは、私の携帯に写メを送ってくれた(今家で充電中~~)けれど、見れずに言葉での説明とかありましてね、合間にBこさんが、お寿司はどうするんだとの声が聞こえると言う、うっとうし~~い状態でございました。

まあ、これは、喪主は飾りでしかありやせんね。

施主ががんばらにゃなりませんから、私は適当にばっくれていようかとGオさん生前には心に誓っておりましたが、そうはいかんのねえと、寒さ厳しきお寺さんで、自覚ひしひしでござ~~ました。しかし、そんなに、「お寿司」が気になるとは思いませんでしたぜ。

打ち合わせは、思った以上に時間がかかり、結局帰路はとっぷり日も暮れてとなり、もうもう、オットの携帯電話の電池も怪しげなので、とりあえず、家に戻りました。

と、この時5時ちょっとすぎでしたかね。

弟一家は早々、Bこさんがどこかへ電話してとったという、お寿司を食べ始めたところでございました。お茶は息子が入れておりました。

(;一_一)(;一_一)

ま!いいですけど(;一_一)

続く~~