横浜美術館で10月18日まで開催中の「蔡 國強 展〜帰去来」に行った。
2度目である。
美術館入口の壁一面にかかる「夜桜」をしっかり鑑賞。
最初に行った時は、あまりの大きさに圧倒されて、ただ“観た!”、”感動した!”だったが、今回は、制作過程を流しているビデオで予備知識が入っていたので、作品への向き合い方が違う。気合い十分だ!
桜への想いは、東日本大震災の後のいわき市「桜プロジェクト」に繋がっていることを深く感じるし、「人生四季」の4点の作品で鮮やかな色彩火薬を使った意味やその効果にも、ぐいぐい惹き付けられる。。
(「人生四季」に描かれている人物は、唐子のようで可愛い。。ワタシ、大好き!)
説明書きによると、日本の春画からイメージした作品だとか。
出身地である泉州の伝統、白磁に四季の花々や鳥、草、虫を焼き出して(というのか?)、火薬を爆発させて印影をつけた作品「四季」は、何度観ても美しく、繊細で、中国の窯業と絵画の伝統をあらためて感じる。
制作過程を記録したビデオで、蔡 國強氏は、小さなスケッチを元に大きな和紙や布の素材に線を描いていく。
描き上がったものを床に置いて、その上に、火薬をパラパラと撒き、点火する。。。
爆発し、カバーを取り除いて、そこに現れた火薬の残骸が作品の上に印影を残す。
それを取り払ったり、寄せたり、残したりして、作品は完成する。。
「あらかじめ計算された結果じゃなく、偶然性。自然に表われてくる作品。みんなと一緒に、そこで創ること。。それが面白い」。
一番深く心にしみたのは「小さい頃から、社会主義の環境に反発あった。夜、ベッドの中にラジオを持ち込んで、(禁止されていた)台湾の放送を聞いていた」。。「いつかここから出て行きたい、どこか他のところに行きたいと思っていた」という言葉だ。
さらに、「中国は、政府だけじゃない。環境、自然、伝統、文化、土地・・・そこから生まれた私。ここに生まれた責任があります」。
心臓がギュッと掴まれたような、説得力ある言葉だった。
そうなんだよね〜!
一人の命には限りがある。
でも、その国に生まれ、歴史の流れの中にいる限り、自分が知らない時代に起きたことにも責任はある。
それは、自国の歴史を正しく知る、ということだ。
話はガラッと変わるが、戦後70年の首相談話を聞いた時、とても違和感があったのが、その箇所だったのだ。
”自分が(生きてる時代に)起こした戦争に責任はない”、と言ってるように聞こえたよね。。だから謝罪する必要はないと。
政治家と芸術家の違い。。。なんだろうか?
人間性の違いなんだろうか。。。
展覧会のテーマである「帰去来」は、いろいろな意味で、今の社会の問題でもある。
私達はどこから来て、どこに向かうのか。。。 そんなことも考えさせられた個展であった。
ビデオの中で、「メチャクチャ凄い作品を創りたいなぁ〜」と言いながら、絵筆を動かしていた蔡 國強氏は、すらり、すっきりの、素敵な容貌の方でもありました。
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