「国境の夜想曲」を観た。イラク、シリア、レバノン、クルディスタンの国境地帯ー”戦争に翻弄され、分断された世界”を、ジャン・フランコ・ロージ監督は、通訳を伴わず、そこに残された人達を3年以上をかけて撮影したドキュメンタリーだ。そこに映し出されるのは、哀切に満ちた人々と大地の力。余計な言葉や説明をせずに、その場、その風景をただ静かに映し出している。
中東の国々について殆ど知識はないけれど、この地帯は元々はオスマントルコ帝国が支配していた地域で、いろいろな民族それぞれがそれなりに平安に暮らしていたという。それが第二次世界大戦後のヨーロッパ諸国の進出以降、アメリカの同時多発テロ、アラブの春、アメリカ軍のアフガニスタン撤退等々を経て、今は侵略や圧政、テロが多発し、その地に住む多くの人々を犠牲にし、生活を破壊している。。。
冒頭に映し出される乾いた大地とそこに残る巨大な遺跡(のような建物?)や、夜に密かにボートを漕いで川を渡る男、亡くなった息子を失い、崩れ落ちた病院(あるいは収容所?)の小部屋で哀悼歌を歌う母親達、シリアに拉致された娘からの音声を何度も何度も繰り返し聞く母親。。。。説明やテロップなど一切なしに、ただただそこで暮らす人々や風景を映し出すことで、言葉にならない感情を伝えている。
ISISに拉致されたこども達を保護するプログラムの中で、あるこどもは自分が書いた絵を説明している。「ISISが殺して首を落とした。その頭を食べろと言われた」。。。淡々と。
映画を観ながら、「どうしてこんなことになっちゃったんだろう???」と何度も思う。
バクダッド、ダマスカス、ベイルート・・・「エルキュール・ポワロ」のシリーズや「カサブランカ」など昔の映画を観ると、小道や路地が入り組んだ迷路のような街、あらゆるものが並ぶ市場、色とりどりの民族衣装を着た人々の賑わい、イスラム教会の建物・・・”中東のパリ”と言われるように美しい街並と活気溢れる人々の様子が異国情緒を誘う。それらの街が、今や面影もなく破壊され、廃墟となっている。。。「どうしてこんなことになっちゃったんだろう?」
奇しくも、2020年2月21日の今、北京オリンピックは(疑惑を残して)閉幕し、ロシアによるウクライナへの侵攻が懸念されている。ロシアも、中国も、少し前は西側諸国とも友好的でオープンな関係にあったように思う。「21世紀は共生の時代」と喧伝されていたが、今、世界は真反対の方向に向かっているように思える。
ジャン・フランコ・ロージ監督は
「”国境の夜想曲”は光の映画であり、暗闇の映画ではありません。
人々の驚くべき、生きる力を物語っています。この映画は戦争の闇に陥った人間への頌歌です。」
と書いている。ラストシーンで、家族のために早朝からハンターのガイドをする少年が見つめるのは明るい世界なのだろうか。。
中東の乾いた美しい光景や朝焼けや、遠くの街の爆撃の光、川の揺らぎ・・自然は人間の都合に関わらず、常に変わらず美しく、時間は同じように流れていく。国境が地続きでない日本に生きていると想像しにくいけれど、戦争で犠牲になるのは一番弱いこども、女性、社会的弱者。。。戦争をしたがるのは誰?世界を分断しようとしているのは誰?と考えずにはいられない。
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