izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

希直さんが亡くなって、半年近く。もう、というか、まだ、というか。。

2024-11-03 13:28:26 | 日記・エッセイ・コラム

希直さんが亡くなって5ヶ月が過ぎた。

11月12日は、48回目の結婚記念日であった。諸々の手続きが片づくにしたがって、空いた時間の隙間に寂しさが募ってくる。誰でも経験することなのだろうが、誰とも共有できることでもない。どれだけ寂しくても、1人で抱えて慣れるしかない。。最近は、外出するとき帰宅したときに、誰もいない部屋に向かって「行ってきます!」「ただいま!」と声をかけるようにしている。お返事はないけれど、きっと届いているだろう。。。

 

忙しさが一段落した今、ふと思い出すちょっとした時々のこと。。

あるとき、まだ自宅にいたときのこと。「いづみさん?」と、少し語尾を上げて名前を呼んだことがあった。

希直さんが寝ていた介護ベッドは、部屋全体が見えるように置いてある。ワタシはそのヘッドボードの陰で座椅子に座ってウトウトしていた。。希直さんからはちょうど見えない位置である。

「なあに?」

「ああ、そこにいたのか。。どこかに行っちゃったかと思った。。」 

「ワタシはここにいるよ。どこにも行かないよ」 

ウトウトしていたから物音もしないし、(以前のように)映画とか、ショッピングとか、遊びに出かけたと思ったらしい。。。🥺

「ワタシはここにいるよ。どこかに出かけても、絶対に帰ってくるよ」。

「そうか・・・」。

ちょうど、大きな地震があった時で、その時は本当に、どこかに出かけていても、何日かかっても、必ず希直さんが待つところに帰ってくるぞ!と強く思っていたのだった。。。今となっては、そんなやりとりも懐かしい。。。

それで終わり。最近、たま〜に、「いづみさん?」と呼ぶその声が一日中耳に蘇って哀しくなることがある。。。

 

緩和ケア病棟に移る少し前、その日もいつものように病室に行って、日が暮れそうな時間になったので「じゃあ、また来るね」と帰ろうとしたら、いつものように「気をつけて」という代わりに、「傍にいてくれるだけでいい」と言ったことがあった。。

その時は、何も気づかず、考えず、ワタシはそのまま黙って手を振って病室を出たのだったが、あの時、戻ってもうしばらく傍に座っていれば良かった。と、今になって時々思い出す。。。🥺ワタシって、肝心な時に気がつかないことが多いな〜、と後悔の念が湧く。

寂しいとか、痛いとか、苦しそうな様子はなにも訴えることがなかった希直さん。。ワタシがもっともっと気持ちを察することができていたら、きちんとお別れもお礼も言えたかもしれない。。。

死後の手続きがようやく片付いて、時間や気持ちに空きができて、思い出と後悔が湧いてくる。メンタルクリニックの先生は「空の巣症候群」になるんだよね。と指摘された通りである。

冬に近づいて、日暮れも早くなり、やっぱり夕方は哀しい時間なのであった。

 

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