犬神スケキヨ~さざれ石

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義務と権利と自由と責任

2015-02-12 15:37:05 | 草莽崛起
自由とはなんでしょう

日本と言う国は民主主義です。当たり前ですが昔から民主主義です。
戦後アメ公様から民主主義を教えられた訳でもなくずーっと民主主義です。
アメリカ型民主主義を戦後押し付けられただけで日本には日本オリジナルの民主主義が古くから根付いています。
そして世界でも稀に見る自由な国です。

年末の歌番組で天皇陛下を愚弄しようと、時の政権をバカにしようと逮捕されたり監禁されたりしません。
嘘の報道をしようと、性奴隷だったと慰安婦コスプレをしようと自由です。
それどころかアベコベに訴訟を起こすのも自由です。
一体自由とはなんでしょうか?
自由にもルールがあると思います。
自由のルールと自由の意味とはなんでしょう?

「自由にしたいなら義務を果たせ!」と昔からよく聞いた気がします。
義務を果たしたら自由が得られるのでしょうか?違うのではありませんか?

自由と責任

義務を果たしたら自由が得られるとは一体どういう事でしょうか?
そう思っている方もおられるはず。
しかし、自分自身はそう考えません。

例えば白人の奴隷になっていたアフリカ系の人達は、奴隷としての生き方や振る舞いを義務付けられて生きていましたね。
しかし、その義務を果たし奴隷として生きていたのに自由だったのでしょうか?
違いますね?自由などは無く、来る日も来る日も白人にこき使われていました。
義務を果たしても自由などありません。
つまり義務を果たすと好きな事が出来るのではありません。

では自由とは一体何を指すのか?
それは「選択」だと考えます。つまり自由というものは「その選択はあなたの自由」と言う事です。
物事の判断や決める権利は自分にある。
今日何をして過ごすのか。
昼ごはんに何を食べるのか。
誰と付き合うのか。
何を思い日々の生活をするのか。
どういう生き方をするのか。
何の為に死ぬのか。
それは我々個人が好きに選択する。これが自由ではないでしょうか?

そしてその選択の結果は選択した人の責任でしょう。
結果の良し悪しも全て選択した個人の責任で誰の責任でもありません。

例えば、あなたが大学受験をするとしてどの大学を選ぶのかはあなたの自由です。
合格でも不合格でも結果は選択したあなたの責任です。

国が危険だと注意をしたにも関わらず敢えて危険な地域に行くのもあなたの自由です。
その結果が無残なものになろうとそれを選択したあなたの責任です。

そもそも…

義務を果たしても自由ではない。
だけど義務はある。
この国の義務は納税、労働、教育が義務の柱です。
納税はこの国に住むならば誰でも払わねばなりません。国民、外国人の区別なく納税しなければなりません。

働けるのに働かないのは義務を果たしていません。働く事で報酬を得て生活し納税する。
この義務は国を作る、国を守る根幹です。

教育はある年齢になれば最低9年間教育を受けなければなりません。
しかしこの教育の義務は子供達にあるのではありません。教育の義務は大人にあります。
つまり、子供達に教育を受けさせる義務が大人にはあります。
子供達は教育を受ける権利があるのです。
大人には義務を、子供達には権利の行使です。

権利の行使は自由です。権利を行使するかしないか?は自由です。
例えば、学校でイジメにあい学校に行きたくないならば教育現場である学校に行く権利を行使しない選択が子供達は出来ます。
しかし、大人には教育を受けさせる義務があるので学校に行かせなければなりません。
ならば大人はまた子供が教育を受ける権利を行使出来る様にしなければなりません。
例えばイジメている生徒に話しをしてイジメを辞めさせる。
学校や教育委員会に問題提起する。
警察に告発する。
学校を転校する。
あらゆる手段を使い子供達の教育を受ける権利を守り教育を受けさせる義務を果たさなければなりません。

またイジメている側は権利を侵害しているのだと自覚する又は自覚させなければなりません。

これも自由です

例えば街を歩いていて車椅子の方を見かけました。道が狭く進み難い様で困っている様子。
助けてあげましょう…ちょっと待って下さい。
本当にそれで良いのですか?

その車椅子の方を助けるのも助けないのも権利です。行使するかどうかは個人の自由。
また、車椅子の方自身手助けされるのか否かはその方の自由です。

困っていると思い込んでいるだけではありませんか?その方はその状況を乗り越え様とされているのかもしれません。
もし助けて差し上げるならばさりげなく道の障害物をどかしておく。
どうしても助けて差し上げなければならないと感じるならば「宜しければ、手を貸しますが?」と相手を尊重して声をかけるべきです。

その時に相手から感謝されなくてもそれはあなたな選択の責任です。

この自由は間違い

先般、危険地域へ渡航しようとしていた自称ジャーナリストが旅券返納という事態になりました。このジャーナリストは「国がこんなことをすれば報道の自由、取材の自由を制限することになる!」と記者会見で述べました。

なるほど!それはそうだな!と、何と無く納得してしまいます。
しかしそれは間違いです!

国には国民の生命を守る義務があります。
だから義務を果たしたのです。
彼には渡航の自由はありますが、国が再三忠告をしており先般も邦人が誘拐惨殺されたばかりです。"あるかもしれない"ではなく起こった事実がありますから国は義務を果たします。
旅券返納という対処をしました。
そうする権利があるからです。権利を行使し義務を果たしたのです。
義務と権利とはこういうものです。

報道ということは人に伝えることです。
新聞やテレビで見るニュースなどで世の中を知り、真実を知りそして問題を掘り起こし是正する。そういう力があります。
それは我々一般人にとって大変意義のあるものです。

しかし先述のジャーナリストの言う報道の自由や取材の自由なるものは現憲法にも現行法においても全く保障も担保もされていません。

つまり報道には自由などありません。
当然ながら報道をする義務もありません。
もちろん言論や表現の自由はあります。その意味においては新聞紙面やテレビで伝えることは自由です。

しかし自由に取材し自由に報道する権利はありません。では報道とは?

報道とは国民の知る権利に辛うじて乗っかっているのです。
国民の知る権利を代わりに辛うじて行使しているに過ぎません。
だから報道の自由だ!などというのは余りに尊大な、自惚れた考えです。

更には朝日新聞やテレ朝の捏造報道などは実はこの国民の知る権利を侵害しています。
真実を知り考える権利を侵しているのです。
一体何を考えているのだと?と聞きたいもんです。これこそ勘違いも甚だしい。
自分達は報道だから何をやっても良いと思っているのでしょうか?
知る権利の侵害は人権侵害です。
嘘を知らされてしまい、考えを間違える。
罪のない人に罪を着せる事になります。
実際に先達の方々に在らぬ罪を着せています。

我々はこういう自意識過剰な人間のおかげで間違った教育を受けてしまいました。
現在もその嘘を信じて疑わない人もいます。

また、伝えなければならない事を伝えない!
という事態も起きていますね。
韓国のフェリーが事故を起こし死人が出た!
悲惨な事故で亡くなられた方々は誠にお気の毒ではありますが連日報道しなければならないニュースではありません。
ナッツが気に入らずに飛行機をUターンさせようと日本には関係ありません。
一度ニュースで流せばそれで良いはずです。
こんな事は韓国民が問題提起し考えれば良い事です。
そんなくだらないニュースを流すならば直接日本に関わる重大な話しをしっかり報道しなければならないはずです。
例えば拉致被害者のニュースはさほど流れません。
毎日でも流すべきです。