古事記です。
その10となりました。
えらいことになってきましたね…
何回やるんでしょうか。
恐らく全てをやると100は行ってしまいます。
そんなに出来るかい!
突然に
須佐之男命(すさのおのみこと)の話しです。
須佐之男命の話しなんですが、有名な八岐大蛇ヤマタノオロチの話しに向かうまでに唐突に入る話しがあります。
須佐之男命が地上に降りる途中の話しです。
須佐之男命が地上に降りる途中に大気都比売神(おおげつひめのかみ)大宜都比売神この様にも書くようですけど。
それで須佐之男命はこの大気都比売神に神々に供える供物食物を求めます。
すると大気都比売神は口や鼻、尻から美味しそうなものを取り出します。
神様は凄いんです、口とか鼻とか更に尻からも美味しい物が出て来るんです。
伊邪那美命が病床に伏せた時も涙やヨダレや糞尿からも神々が誕生しましたね。
神様はそういうものなんですね。
神様から出て来るものは全て神聖な物なんです。
そして大気都比売神は自ら出した美味しい物を調理して須佐之男命に出しました。
すると須佐之男命は「お前は何出しとんじゃ!」と大気都比売神をバッさり斬り殺してしまいます。
ハイ!これを読んでくださっている方はわかりますね?法則発動です。
やはり神様は外傷には弱い法則です。
この大気都比売神という神様は穀物の神様です。しかし、バッさり斬り殺された大気都比売神の身体から色々な種がなります。
頭からは蚕、二つの目からは稲、耳からは粟、鼻から小豆。陰部から麦、尻からは大豆。
尻から大豆てのはいいですね。
味噌は大豆から出来ますから「味噌糞一緒」みたいな子供がアホみたいに喜びそうです。
大衆の期待を裏切りませんね。
これらを拾いあつめたのが、別天神(ことあまつかみ)の一柱である神産巣日神(かむむすひのかみ)です。後にこの神産巣日神が五穀を地上に授けます。
五穀、米も稗も粟もです。この様に五穀は神代の時代に作られて、神の手によって地上世界に持ち込まれたものであるという様に考えられます。
神からの授かり物ですから有り難い。
だから五穀豊饒を神にお願いし、収穫が終われば五穀豊饒を神に感謝します。
新嘗祭とはこういう事ではありませんかね?
それを勤労感謝の日とか訳のわからん休みにしてる訳ですよ!
勤労感謝の日とか何に感謝するんですか?
新嘗祭ですよ!新嘗祭!バカか!
箸を流すのです
須佐之男命は高天原を追放されて地上世界に降りてきます。
そして出雲国に降りてきます。
斐伊川という川の上流、鳥髪(とりかみ)という所に降ります。
お腹がすいてます。何せ大気都比売神を斬り殺しましたから、御飯を食べそびれていますからね。
すると上流から箸が流れて来る。
「お!これは上に人が住んでいるんだな」となります。
これを読むと「そういう物語なんだな…」とか「そんな良いタイミングで箸なんか流れるかい!」とか「だいたい誰が箸流すねん!」とか、まぁ意地悪に考えますね。
それは間違いですよ!
これは流れて来るんです!
箸は流すものだったのですよ!
これこそが日本人の文化なんです。
それは穢れの文化なんです。
他人が使った箸は使わない。そうでしょ?皆さんの家でもそうでしょ?
例えば、あなたやお父さんやお母さん、子供達とそれぞれ自分専用の箸を持っていますね?
外食では割り箸ですね。
まぁ、最近はエコだ何だで割り箸が少なくなりましたが…アレはいけません。
日本人の文化には合わないのですよ。
だいたい日本の割り箸と言うの林業と関わり、間伐材で割り箸を作っていたんです。
間伐材てのは森を手入れして木を育てる為に間引いた木を使って作るんです。
だから環境負荷どころか無駄を無くす日本の精神です。
とにかく日本には他人の箸は使わない。そういう文化があるのですよ
例えば茶碗だって自分専用とか、湯呑みだって自分専用なんてありますよね。
しかし、小皿とか小鉢とかにはあまり専用なんてないですね。
これは古来、日本には唾液にはその人の気が入り込んでいると考えていたからです。
天照大神と須佐之男命の誓約の場面でもありましたね。お互いに勾玉や刀をガジガジと噛んでプハ~と吐く。
すると神々が誕生しましたね。
霧がモクモク~と表れ中から神々が誕生。
この霧は唾液です。唾なんですね。
だから他人の気が入っている物は勝手に使わない、という文化なんです。
本能的
口付けとか接吻とか、チューとかキスとか。
世の東西問わずありますね。
世界中あります。
そのチューとかキスとか他に代わりのものはありません。
親指と親指合わせても同じ感じしますか?
足の裏と足の裏とか?ありませんね?
チューをすると相手の事がわかるようです。
医学的にはキスをする事で相手の健康状態とか波長が合うとか合わないとか無意識の内に感じるのだそうです。
だから食べ物に唾を付けて「これは自分のだ」とかありますね。
人の唾がついた物は食べない。
それは唾によって他人の気が入ってしまうからなんですね。
例えば最近はどうなんでしょうか、昔は形見として茶碗や箸を遺したりしましたよね。
これは故人の気が入っているからという意味がある訳ですね。
箸の文化
アジアは箸を使う文化ですね。
日本は勿論ですが、支那、朝鮮、ベトナム。
どこが発祥の地なんでしょうか?
まぁ、一般的には支那が先とかてのが一応定説になってます。
日本が先だと言う学説もあります。
しかし、歴史的背景や文化的背景から考えれば日本が先ではないかと考えます。
それは、箸の文化の発達発展度合いを見れば解ります。
いわゆる中華料理と言うのは箸とスプーン、中華料理ですからレンゲというヤツですかね。
とにかく箸とスプーンで食べます。
スプーンがないと食べられない料理が沢山あります。
ところが日本料理は箸だけで食べます。
ま、茶碗蒸しなんてのはありますが、基本的には箸だけで食べます。
因みに自分は茶碗蒸しでも箸だけで食べます。
明らかに箸文化の発達は日本です。
これは料理の発達発展にも関わるものですね。
日本はもう変える必要がない料理。突き詰めて突き詰めてこれ以上ないと言うほどに掘り下げて出来た料理です。
箸文化の発達もそうなんです。
ですからこれは最古の歴史を持つ事から考えても日本だな!と考える方が自然ですね。
流すのですよ!
例えば茶の湯では、お客様をもてなす折には新しい箸を削り出します。
新しい箸でもてなす。お客様は気持ちいいですね。自分に置き換え自分が客ならわざわざ新しい箸を用意してくれているのは結構な事です。
しかも主人がわざわざ削り出してくれている訳ですからVIP扱いです。
しかし、古代では客が帰ればその箸を川にながします。ゴミ溜め等に安易に捨てるとそこに使った人の気が溜まります。
気が残ってしまうかもしれません。
精霊流しと似た感じですかね。川に流す事で気をそこに留まらせない。そして川に流すと別の世界、或いははあの世へ行くと、だから客の箸は川に流します。
古い時代には箸を川に流す文化があったという事です。
これが古事記に書いてあるのですから、古事記は現存する最古の文書ですから箸を流す文化を始めて記述したという事になります。
これは日本の文化的体系を始めて世に出したとも言えます。
何せ古事記以前の文書は現存していませんからね。
そして何より重要なのは古事記に出てくるものは日本の文化体系の起源であると言う事です。
今回「箸」が始めて出て来ました。
箸文化の起源であるとなります。
古事記に出て来るものは全て日本の始めての記述になります。
従って古事記とは日本文化の起源です。
次回へ続く…
その10となりました。
えらいことになってきましたね…
何回やるんでしょうか。
恐らく全てをやると100は行ってしまいます。
そんなに出来るかい!
突然に
須佐之男命(すさのおのみこと)の話しです。
須佐之男命の話しなんですが、有名な八岐大蛇ヤマタノオロチの話しに向かうまでに唐突に入る話しがあります。
須佐之男命が地上に降りる途中の話しです。
須佐之男命が地上に降りる途中に大気都比売神(おおげつひめのかみ)大宜都比売神この様にも書くようですけど。
それで須佐之男命はこの大気都比売神に神々に供える供物食物を求めます。
すると大気都比売神は口や鼻、尻から美味しそうなものを取り出します。
神様は凄いんです、口とか鼻とか更に尻からも美味しい物が出て来るんです。
伊邪那美命が病床に伏せた時も涙やヨダレや糞尿からも神々が誕生しましたね。
神様はそういうものなんですね。
神様から出て来るものは全て神聖な物なんです。
そして大気都比売神は自ら出した美味しい物を調理して須佐之男命に出しました。
すると須佐之男命は「お前は何出しとんじゃ!」と大気都比売神をバッさり斬り殺してしまいます。
ハイ!これを読んでくださっている方はわかりますね?法則発動です。
やはり神様は外傷には弱い法則です。
この大気都比売神という神様は穀物の神様です。しかし、バッさり斬り殺された大気都比売神の身体から色々な種がなります。
頭からは蚕、二つの目からは稲、耳からは粟、鼻から小豆。陰部から麦、尻からは大豆。
尻から大豆てのはいいですね。
味噌は大豆から出来ますから「味噌糞一緒」みたいな子供がアホみたいに喜びそうです。
大衆の期待を裏切りませんね。
これらを拾いあつめたのが、別天神(ことあまつかみ)の一柱である神産巣日神(かむむすひのかみ)です。後にこの神産巣日神が五穀を地上に授けます。
五穀、米も稗も粟もです。この様に五穀は神代の時代に作られて、神の手によって地上世界に持ち込まれたものであるという様に考えられます。
神からの授かり物ですから有り難い。
だから五穀豊饒を神にお願いし、収穫が終われば五穀豊饒を神に感謝します。
新嘗祭とはこういう事ではありませんかね?
それを勤労感謝の日とか訳のわからん休みにしてる訳ですよ!
勤労感謝の日とか何に感謝するんですか?
新嘗祭ですよ!新嘗祭!バカか!
箸を流すのです
須佐之男命は高天原を追放されて地上世界に降りてきます。
そして出雲国に降りてきます。
斐伊川という川の上流、鳥髪(とりかみ)という所に降ります。
お腹がすいてます。何せ大気都比売神を斬り殺しましたから、御飯を食べそびれていますからね。
すると上流から箸が流れて来る。
「お!これは上に人が住んでいるんだな」となります。
これを読むと「そういう物語なんだな…」とか「そんな良いタイミングで箸なんか流れるかい!」とか「だいたい誰が箸流すねん!」とか、まぁ意地悪に考えますね。
それは間違いですよ!
これは流れて来るんです!
箸は流すものだったのですよ!
これこそが日本人の文化なんです。
それは穢れの文化なんです。
他人が使った箸は使わない。そうでしょ?皆さんの家でもそうでしょ?
例えば、あなたやお父さんやお母さん、子供達とそれぞれ自分専用の箸を持っていますね?
外食では割り箸ですね。
まぁ、最近はエコだ何だで割り箸が少なくなりましたが…アレはいけません。
日本人の文化には合わないのですよ。
だいたい日本の割り箸と言うの林業と関わり、間伐材で割り箸を作っていたんです。
間伐材てのは森を手入れして木を育てる為に間引いた木を使って作るんです。
だから環境負荷どころか無駄を無くす日本の精神です。
とにかく日本には他人の箸は使わない。そういう文化があるのですよ
例えば茶碗だって自分専用とか、湯呑みだって自分専用なんてありますよね。
しかし、小皿とか小鉢とかにはあまり専用なんてないですね。
これは古来、日本には唾液にはその人の気が入り込んでいると考えていたからです。
天照大神と須佐之男命の誓約の場面でもありましたね。お互いに勾玉や刀をガジガジと噛んでプハ~と吐く。
すると神々が誕生しましたね。
霧がモクモク~と表れ中から神々が誕生。
この霧は唾液です。唾なんですね。
だから他人の気が入っている物は勝手に使わない、という文化なんです。
本能的
口付けとか接吻とか、チューとかキスとか。
世の東西問わずありますね。
世界中あります。
そのチューとかキスとか他に代わりのものはありません。
親指と親指合わせても同じ感じしますか?
足の裏と足の裏とか?ありませんね?
チューをすると相手の事がわかるようです。
医学的にはキスをする事で相手の健康状態とか波長が合うとか合わないとか無意識の内に感じるのだそうです。
だから食べ物に唾を付けて「これは自分のだ」とかありますね。
人の唾がついた物は食べない。
それは唾によって他人の気が入ってしまうからなんですね。
例えば最近はどうなんでしょうか、昔は形見として茶碗や箸を遺したりしましたよね。
これは故人の気が入っているからという意味がある訳ですね。
箸の文化
アジアは箸を使う文化ですね。
日本は勿論ですが、支那、朝鮮、ベトナム。
どこが発祥の地なんでしょうか?
まぁ、一般的には支那が先とかてのが一応定説になってます。
日本が先だと言う学説もあります。
しかし、歴史的背景や文化的背景から考えれば日本が先ではないかと考えます。
それは、箸の文化の発達発展度合いを見れば解ります。
いわゆる中華料理と言うのは箸とスプーン、中華料理ですからレンゲというヤツですかね。
とにかく箸とスプーンで食べます。
スプーンがないと食べられない料理が沢山あります。
ところが日本料理は箸だけで食べます。
ま、茶碗蒸しなんてのはありますが、基本的には箸だけで食べます。
因みに自分は茶碗蒸しでも箸だけで食べます。
明らかに箸文化の発達は日本です。
これは料理の発達発展にも関わるものですね。
日本はもう変える必要がない料理。突き詰めて突き詰めてこれ以上ないと言うほどに掘り下げて出来た料理です。
箸文化の発達もそうなんです。
ですからこれは最古の歴史を持つ事から考えても日本だな!と考える方が自然ですね。
流すのですよ!
例えば茶の湯では、お客様をもてなす折には新しい箸を削り出します。
新しい箸でもてなす。お客様は気持ちいいですね。自分に置き換え自分が客ならわざわざ新しい箸を用意してくれているのは結構な事です。
しかも主人がわざわざ削り出してくれている訳ですからVIP扱いです。
しかし、古代では客が帰ればその箸を川にながします。ゴミ溜め等に安易に捨てるとそこに使った人の気が溜まります。
気が残ってしまうかもしれません。
精霊流しと似た感じですかね。川に流す事で気をそこに留まらせない。そして川に流すと別の世界、或いははあの世へ行くと、だから客の箸は川に流します。
古い時代には箸を川に流す文化があったという事です。
これが古事記に書いてあるのですから、古事記は現存する最古の文書ですから箸を流す文化を始めて記述したという事になります。
これは日本の文化的体系を始めて世に出したとも言えます。
何せ古事記以前の文書は現存していませんからね。
そして何より重要なのは古事記に出てくるものは日本の文化体系の起源であると言う事です。
今回「箸」が始めて出て来ました。
箸文化の起源であるとなります。
古事記に出て来るものは全て日本の始めての記述になります。
従って古事記とは日本文化の起源です。
次回へ続く…