毎日毎日、安保法制審議を見るのは辟易とします。
一体何処の国の安全保障の話しをしているのでしょうか?
混沌とする世界情勢に合わせ自国を、自国民をどうまもるのか?
世界の秩序が変わる中でどう存立させていくのか?
其れを現憲法下でギリギリ出来る事は何なのかを示し、其れを審議するのが国会です。
憲法
今般の法制案が違憲か合憲か?なんて言う話しを、憲法学者まで呼んでやっています。
こんなもんに大した意味はありません。
憲法学者なんてのは憲法を考えるのであって、安全保障なんか知るはずもありません。
以前から申している様に、違憲か合憲か?と言うならば安全保障全般が違憲です。
日本国憲法第二章戦争放棄
第九条
一項、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二項、前項の目的を達するために、陸海空軍その他戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
さぁ、これをぐじゃぐじゃとくだらぬ解釈をせずに素直に読んで下さい。
読めばわかるぜ
一項は戦争放棄です。
戦争を放棄するのはもちろん、威嚇も武力行使も国際紛争を解決する手段として放棄しています。
二項では前項、つまり一項の戦争放棄の目的を達成する為に陸海空の軍隊更に他の戦力すら持たないとあり、戦う事も認めていません。
これをこのままやると、尖閣諸島に支那の公船が来ても例えばその公船が明らかに接岸しようとし、更に武器を準備していようと日本側は相手に銃口を向ける事が出来ません。
支那やロシアの軍隊が日に何度となく領空侵犯をしていますが、この際我が国の航空自衛隊はスクランブル発進をします。
しかし、この際に撃墜などは一切出来ません。
それどころか、実際は「出て行け!」と翼を振り実は威嚇射撃をしています。
明らかに憲法違反です。
二項を考えれば、陸海空の軍隊は持っていません。我が国に軍隊はない。
ならば自衛隊は何でしょうか?
自衛隊は国際的には軍隊であると認識されていますし、そうでなければなりません。
軍隊でなければ有事、つまり戦時に国際法で守られないからです。
では国内法では、軍隊ではありません。
建て前ではそうです。
軍隊ではなく、自衛の為の実力組織とされていますね。
チョット待って下さい!二項には軍隊以外にもその他戦力も保持しないとされてますよ!
戦闘機、潜水艦、戦車、イージス艦やミサイル艦。巡航ミサイルに魚雷に地雷に…
これが戦力でなくてなんでしょうか?
先のスクランブル発進では戦闘機を使っていますよ!
戦闘機は兵器であり武力ですよ!更に威嚇も禁じていますよ!
又、以前に北朝鮮の工作船を海保の巡視船が撃沈しました。
北朝鮮工作船と言うのは明らかで只の領海侵犯とは違います。
北朝鮮はこの工作船を使い我々の同胞を拉致していたのです。
しかし武力を以って撃沈しました。
「それは正当防衛だ」と言うのはもちろんですが、しかし交戦権は放棄していますよ。
正当防衛だろうと武力行使をしたんです。
交戦権を禁じているのにです。
このままで良いと?
さぁ何だか憲法云々が馬鹿らしくなりますね?
そこで護憲派と呼ばれる人間と話すと「九条はあるが自衛権を否定していない」とか「自身を守るのは自然権だ」と言います。
それはその通りでしょうね!と百歩譲ってみますが、しかし憲法に明記されているじゃないですか?全ての武力も交戦権も、更に威嚇すら放棄していますよ!
この事実をどうするんですか?
全ては解釈なんです!更にその解釈は如何様にも取れる。
これは、この憲法を考えたアメリカ人が語っていた事実を見ねばなりません。
「憲法を考えるにあたり、兎に角占領中は全ての武装を解除させて置く必要があった。その上で日本の国体を考える上で1~8の条文はかなり悩んだ」と。
更に憲法改正のハードルが高い事に関しては「いずれ主権回復した後に必ず日本は憲法を改正するだろう、それは勿論国民総意であるはずだから、この程度のハードルは高くもない」
つまり、主権回復したら我々日本人が日本人の手で憲法改正をするはずで、一見高い様に見えるハードルも決して高くはない。
占領下でそれをさせない為のものだと言っているのです。
しかし原案を作った側も驚きの未だ改正は一回もしていません!
しかし、帝国憲法も一回も改正していない。
これは日本人独特の、日本という国独特のものなんです。
我々日本人は日本という国が何時からあるのかよく解りません。
日本人が何時から日本にいるのかすらよく解りません。
いつの間にか、我々が存在し。いつの間にか哲学があり、租税制度があり、国家観や理念がよくわからないうちからあった。
これは、この国の歴史が世界一長い、そして世界一長い歴史の皇帝を戴き、その中でいつの間にか国がある。
だから神話がある。
例えばアメリカの様な若い国はその建立の経緯やいつから国始まったのかハッキリと解ります。
1776年7月4日です。
ですから、憲法も法律もそこが起源で、出来た物が良くないとか時代に合わなければどんどん変えていきます。
フランスも支那もそうです。
しかし日本は戦争に負けたが、日本という国は無くなっていません。
紀元は2675年ですが、それは神武天皇が即位した年であって国家としてはそれ以前からあった。しかしそれが解らない。
文化も哲学もモラルも日本人としての理念もいつからあるのか解らないが、何故か上手くやって来た。
そこへ明治維新となり、急速に近代国家へと変貌し近代国家ならば持っている憲法を作った。
世界の憲法を見本に作った憲法は曖昧で、更にその曖昧な憲法を敗戦後まで一切改正していません。
その曖昧な憲法の最たる部分が「天皇統帥権」で天皇に指揮権はない。
それどころか行政の責任が誰にあるのかすら書かれてはいない。
だから、戦争を始めるにも辞めるにもハッキリしなかった。これが悲劇の一因にもなったのです。
其処までの日本に憲法なるものは必要なかったのです。
日本人は憲法なるものがなくても上手くやって来たのです。
それはいつからあるのか解らない日本の根幹があったからです。
だから立ち返る
本来の日本、日本人の姿を考えるならば憲法は103条も要らない。
多くて20条もあれば充分です。
何故ならば、本来の我々の姿を考えれば解ります。我々のオリジナルの民主主義にあります。
この国のオリジナルの民主主義とは毎回申していますがそれは他者の為に生きる、他者を生かすことが優先と言う生き方です。
その生き方をいつからあるのか解らないけれども皆んながやっている。
そこへ立ち返るならば、憲法なんてもんは20条もあれば充分です。
第1条なんか「和をもって尊し」でよろしい!
ぐじゃぐじゃと解釈しなければいけない憲法なんて要りません!
学者が此れだけ議論して結論が出ない憲法なんか間違いです!
くだらぬ解釈で国を守る、国を営むことにはもう無理があるのです。
世界は変わっているのです。
この国の憲法はそれに既について行けていないのです。
だから憲法を改正しなければならない!
それは北朝鮮による拉致を見ても解ります。
無理な憲法を有り難がっている間に我々の同胞を北朝鮮如き国に拉致され、されたばかりか救出も出来ない。
アメ公様から頂いた憲法で、その憲法を有り難がっている間に日本人が他国にさらわれ、さらわれたまま取り返せない。
更に、その事実を知っていながら「平和」だなどという。
それは見て見ぬふりと言うのです。
そうやって無理を見て見ぬふりで過ごして来た結果です。
そこを金正日も心得ていた、だから「国家が拉致した」と認めたのです。
そう認めた時から、この国は憲法が邪魔をして拉致被害者を奪還出来ないのです。
金正日と北朝鮮はそれを知っている。
だから「国家が拉致した」と認めたのです。
帰結
何故、我々は自らを守るのに国論が二分するのでしょうか?
何故、拉致被害者を奪還出来ないのでしょうか?
我々は敗戦後、自らの理念を棄ててしまいました。他人の価値観に身を委ね生きてきました。
また、その様な教育を受けて「理念」を持つ事を悪としてきました。
日本と言う祖国がありながら帰るべき場所を自ら棄てました。
つまり帰結点を失っているのです。
祖国があるのにです。
例えば、フランスでは風刺画新聞社にテロがありました。
しかしフランスはこのテロに対し国論は二分どころか一致団結しました。
「テロには屈しない!」と国論は一致団結。
普段は個人主義な国がテロに対し一致団結するのです。
だから世界中の首脳を呼び手を繋いで行進したりできるのです。
それは帰結点がハッキリしているからです。
フランス革命に帰結することができる。
その革命の帰結点は「自らの平和と自由と権利は武器をとり血を流しても自らの手で守る」と言う理念です。
その理念に立ち返るならば国論は一致団結するのです。
戦前の日本にもそれはありました。
天皇の元、我々国民は平等で、そして他者の為に生きると言う理念です。
だからこそ、先の大戦で命を捧げた日本人がいた。その為に一致団結して戦った。
戦えたのです。
そう考えるならば、我々と同じ日本人が、我々の同胞が北朝鮮にさらわれたままで良いのか?
たまたま、自分じゃなかった。
たまたま、あなたではなかった。
たまたま自分の家族じゃなかった。
たまたまあなたの家族じゃなかった。
それだけのことです。
それだけのことで、見て見ぬふりをするのか?
今般の法案に反対する人達はこのままの日本で良い!と言っているのです。
我々の同胞が何十年も捕らわれたままで構わない!自分には関係ない!
今日、私が死んでないから平和だ!
このまま行けば、その利己主義が「一体何時からか解らぬ」時からそうですからねぇ…
と、いう事になりはしませんか?
一体何処の国の安全保障の話しをしているのでしょうか?
混沌とする世界情勢に合わせ自国を、自国民をどうまもるのか?
世界の秩序が変わる中でどう存立させていくのか?
其れを現憲法下でギリギリ出来る事は何なのかを示し、其れを審議するのが国会です。
憲法
今般の法制案が違憲か合憲か?なんて言う話しを、憲法学者まで呼んでやっています。
こんなもんに大した意味はありません。
憲法学者なんてのは憲法を考えるのであって、安全保障なんか知るはずもありません。
以前から申している様に、違憲か合憲か?と言うならば安全保障全般が違憲です。
日本国憲法第二章戦争放棄
第九条
一項、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二項、前項の目的を達するために、陸海空軍その他戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
さぁ、これをぐじゃぐじゃとくだらぬ解釈をせずに素直に読んで下さい。
読めばわかるぜ
一項は戦争放棄です。
戦争を放棄するのはもちろん、威嚇も武力行使も国際紛争を解決する手段として放棄しています。
二項では前項、つまり一項の戦争放棄の目的を達成する為に陸海空の軍隊更に他の戦力すら持たないとあり、戦う事も認めていません。
これをこのままやると、尖閣諸島に支那の公船が来ても例えばその公船が明らかに接岸しようとし、更に武器を準備していようと日本側は相手に銃口を向ける事が出来ません。
支那やロシアの軍隊が日に何度となく領空侵犯をしていますが、この際我が国の航空自衛隊はスクランブル発進をします。
しかし、この際に撃墜などは一切出来ません。
それどころか、実際は「出て行け!」と翼を振り実は威嚇射撃をしています。
明らかに憲法違反です。
二項を考えれば、陸海空の軍隊は持っていません。我が国に軍隊はない。
ならば自衛隊は何でしょうか?
自衛隊は国際的には軍隊であると認識されていますし、そうでなければなりません。
軍隊でなければ有事、つまり戦時に国際法で守られないからです。
では国内法では、軍隊ではありません。
建て前ではそうです。
軍隊ではなく、自衛の為の実力組織とされていますね。
チョット待って下さい!二項には軍隊以外にもその他戦力も保持しないとされてますよ!
戦闘機、潜水艦、戦車、イージス艦やミサイル艦。巡航ミサイルに魚雷に地雷に…
これが戦力でなくてなんでしょうか?
先のスクランブル発進では戦闘機を使っていますよ!
戦闘機は兵器であり武力ですよ!更に威嚇も禁じていますよ!
又、以前に北朝鮮の工作船を海保の巡視船が撃沈しました。
北朝鮮工作船と言うのは明らかで只の領海侵犯とは違います。
北朝鮮はこの工作船を使い我々の同胞を拉致していたのです。
しかし武力を以って撃沈しました。
「それは正当防衛だ」と言うのはもちろんですが、しかし交戦権は放棄していますよ。
正当防衛だろうと武力行使をしたんです。
交戦権を禁じているのにです。
このままで良いと?
さぁ何だか憲法云々が馬鹿らしくなりますね?
そこで護憲派と呼ばれる人間と話すと「九条はあるが自衛権を否定していない」とか「自身を守るのは自然権だ」と言います。
それはその通りでしょうね!と百歩譲ってみますが、しかし憲法に明記されているじゃないですか?全ての武力も交戦権も、更に威嚇すら放棄していますよ!
この事実をどうするんですか?
全ては解釈なんです!更にその解釈は如何様にも取れる。
これは、この憲法を考えたアメリカ人が語っていた事実を見ねばなりません。
「憲法を考えるにあたり、兎に角占領中は全ての武装を解除させて置く必要があった。その上で日本の国体を考える上で1~8の条文はかなり悩んだ」と。
更に憲法改正のハードルが高い事に関しては「いずれ主権回復した後に必ず日本は憲法を改正するだろう、それは勿論国民総意であるはずだから、この程度のハードルは高くもない」
つまり、主権回復したら我々日本人が日本人の手で憲法改正をするはずで、一見高い様に見えるハードルも決して高くはない。
占領下でそれをさせない為のものだと言っているのです。
しかし原案を作った側も驚きの未だ改正は一回もしていません!
しかし、帝国憲法も一回も改正していない。
これは日本人独特の、日本という国独特のものなんです。
我々日本人は日本という国が何時からあるのかよく解りません。
日本人が何時から日本にいるのかすらよく解りません。
いつの間にか、我々が存在し。いつの間にか哲学があり、租税制度があり、国家観や理念がよくわからないうちからあった。
これは、この国の歴史が世界一長い、そして世界一長い歴史の皇帝を戴き、その中でいつの間にか国がある。
だから神話がある。
例えばアメリカの様な若い国はその建立の経緯やいつから国始まったのかハッキリと解ります。
1776年7月4日です。
ですから、憲法も法律もそこが起源で、出来た物が良くないとか時代に合わなければどんどん変えていきます。
フランスも支那もそうです。
しかし日本は戦争に負けたが、日本という国は無くなっていません。
紀元は2675年ですが、それは神武天皇が即位した年であって国家としてはそれ以前からあった。しかしそれが解らない。
文化も哲学もモラルも日本人としての理念もいつからあるのか解らないが、何故か上手くやって来た。
そこへ明治維新となり、急速に近代国家へと変貌し近代国家ならば持っている憲法を作った。
世界の憲法を見本に作った憲法は曖昧で、更にその曖昧な憲法を敗戦後まで一切改正していません。
その曖昧な憲法の最たる部分が「天皇統帥権」で天皇に指揮権はない。
それどころか行政の責任が誰にあるのかすら書かれてはいない。
だから、戦争を始めるにも辞めるにもハッキリしなかった。これが悲劇の一因にもなったのです。
其処までの日本に憲法なるものは必要なかったのです。
日本人は憲法なるものがなくても上手くやって来たのです。
それはいつからあるのか解らない日本の根幹があったからです。
だから立ち返る
本来の日本、日本人の姿を考えるならば憲法は103条も要らない。
多くて20条もあれば充分です。
何故ならば、本来の我々の姿を考えれば解ります。我々のオリジナルの民主主義にあります。
この国のオリジナルの民主主義とは毎回申していますがそれは他者の為に生きる、他者を生かすことが優先と言う生き方です。
その生き方をいつからあるのか解らないけれども皆んながやっている。
そこへ立ち返るならば、憲法なんてもんは20条もあれば充分です。
第1条なんか「和をもって尊し」でよろしい!
ぐじゃぐじゃと解釈しなければいけない憲法なんて要りません!
学者が此れだけ議論して結論が出ない憲法なんか間違いです!
くだらぬ解釈で国を守る、国を営むことにはもう無理があるのです。
世界は変わっているのです。
この国の憲法はそれに既について行けていないのです。
だから憲法を改正しなければならない!
それは北朝鮮による拉致を見ても解ります。
無理な憲法を有り難がっている間に我々の同胞を北朝鮮如き国に拉致され、されたばかりか救出も出来ない。
アメ公様から頂いた憲法で、その憲法を有り難がっている間に日本人が他国にさらわれ、さらわれたまま取り返せない。
更に、その事実を知っていながら「平和」だなどという。
それは見て見ぬふりと言うのです。
そうやって無理を見て見ぬふりで過ごして来た結果です。
そこを金正日も心得ていた、だから「国家が拉致した」と認めたのです。
そう認めた時から、この国は憲法が邪魔をして拉致被害者を奪還出来ないのです。
金正日と北朝鮮はそれを知っている。
だから「国家が拉致した」と認めたのです。
帰結
何故、我々は自らを守るのに国論が二分するのでしょうか?
何故、拉致被害者を奪還出来ないのでしょうか?
我々は敗戦後、自らの理念を棄ててしまいました。他人の価値観に身を委ね生きてきました。
また、その様な教育を受けて「理念」を持つ事を悪としてきました。
日本と言う祖国がありながら帰るべき場所を自ら棄てました。
つまり帰結点を失っているのです。
祖国があるのにです。
例えば、フランスでは風刺画新聞社にテロがありました。
しかしフランスはこのテロに対し国論は二分どころか一致団結しました。
「テロには屈しない!」と国論は一致団結。
普段は個人主義な国がテロに対し一致団結するのです。
だから世界中の首脳を呼び手を繋いで行進したりできるのです。
それは帰結点がハッキリしているからです。
フランス革命に帰結することができる。
その革命の帰結点は「自らの平和と自由と権利は武器をとり血を流しても自らの手で守る」と言う理念です。
その理念に立ち返るならば国論は一致団結するのです。
戦前の日本にもそれはありました。
天皇の元、我々国民は平等で、そして他者の為に生きると言う理念です。
だからこそ、先の大戦で命を捧げた日本人がいた。その為に一致団結して戦った。
戦えたのです。
そう考えるならば、我々と同じ日本人が、我々の同胞が北朝鮮にさらわれたままで良いのか?
たまたま、自分じゃなかった。
たまたま、あなたではなかった。
たまたま自分の家族じゃなかった。
たまたまあなたの家族じゃなかった。
それだけのことです。
それだけのことで、見て見ぬふりをするのか?
今般の法案に反対する人達はこのままの日本で良い!と言っているのです。
我々の同胞が何十年も捕らわれたままで構わない!自分には関係ない!
今日、私が死んでないから平和だ!
このまま行けば、その利己主義が「一体何時からか解らぬ」時からそうですからねぇ…
と、いう事になりはしませんか?