沖縄強行弾丸旅行記も前回の番外編で一応終了となりました。
そこで、今思うこと。
目の前にある事実を考えてみようと思います。
10月5日は我々日本人が皆、考えねばならない日でもあります。
13歳で拉致され、未だ家に帰れずに51歳の誕生日を迎えた横田めぐみさんの誕生日です。
この北朝鮮による日本人拉致事件は今も未解決。
更に、このことで誰一人逮捕すらされていません。
あの硫黄島の戦い。
沖縄地上戦。
日本人拉致。
全て繋がっているのです。
我々に問う
昨日は京都にて「ヒゲの隊長」改め「パンチ佐藤」こと佐藤正久参議院議員の安保法制に関する講演会に参加しました。
そして、拉致被害者は救えるのか?
なども含めてじっくり話を聞くことができました。
さすがは元自衛官だけあります。
安全保障に対して隠さず現実と現状を話しておられました。
例えば、尖閣を守る為に自衛隊を派遣し中国海警を追い払えるのか?
答えは当然に無理です。
相手は警察権で出て来ている。
日本の自衛隊は警察権で運用されてはいるが、やはり他国から見れば軍隊である。
軍隊には軍隊が対抗する。
無用な戦闘を誘発する恐れがありますし、更に自衛隊の護衛艦などは小回りも効かず不利であると。
やはり最初は海保で対抗するしかないと。
これは、簡単な話です。
それは、日本は国連敵国条項国であること。
日本は国連から見れば敵国です。
この条項には敵国には安保理決議無しの攻撃が認められていることが最大の問題です。
支那はこれを盾に日本に攻撃が出来ます。
例えば、尖閣を支那は自国の領土だと主張しています。
だから海警局とか言う、日本の海保みたいなものを出しているのです。
これは、支那の警察権の範疇だとアピールしているのですら。
警察権が及ぶ地域は領土だからです。
そこへ無闇に海自の護衛艦が出向けば理不尽ながら「侵略された」と主張し安保理決議無しの軍事行動を取る理屈を与えてしまいます。
これをさせない為には海保や警察により、警察権を行使して日本の領土を主張し続けなければなりません。
そして警察権行使で竹島や北方領土奪還を主張する方もいらっしゃるのですが、それは自衛隊に警察権を行使させると言うものですが、結論からいけば不可能です。
幾ら警察権をベースに運用されている自衛隊とは言え、それは日本国内で通じる論理であり、世界的には自衛隊は軍隊です。
先に述べた理由でロシアは軍事行動を取ります。
韓国も同じ理由で個別的自衛権を行使するでしょう。
では、拉致被害者を奪還できるのか?
これは全てを話すことは出来ないと前置きされていましたが、自衛隊はあらゆることを想定した訓練をしていると話しています。
しかし、運用や法律上では厳しいとの事。
もちろん誠に残念ですが、今般の安保法制でも拉致被害者奪還に自衛隊を出せるかと言えば「無理」だと言っていました。
ただ、これは議員らしい答えだなぁと感じました。
自分の考えは、例えば「自衛隊派遣を検討する」為の法解釈を準備するだけでも交渉のカードになると考えます。
国会審議
この安保法制審議については、とにかく「違憲」か「合憲」かの話しばかりでした。
また集団的自衛権の話しばかり。
これについては集団的自衛権と共に実は話しの焦点が間違っているのですが、以前にそれはこのブログ内で触れています。
ここです。
そして何故か訳の解らぬ憲法論をする。
憲法学者が出て来て違憲だ合憲だと話す。
憲法学者が違憲か合憲かを決めるものではありません。
憲法学者がやらなければならないのは、違憲合憲の判断ではなく、憲法が正しいのか?正しくないのか?を考える事です。
だいたい、人間は神ではありません。
神ならざる人間が作った憲法には良いところも悪いところもあります。
その憲法のどこが悪いのか?
どこが良いのか?
それを考えるのが憲法学者の仕事です。
法律が憲法に合っているか否かなどは憲法学者が決める事ではない。
まして、日本国民の命をどう守るのか、日本の主権をどう守るのかという安全保障を憲法学者が決められるはずはありません。
それをやるならば憲法は聖書かそれ以上のものです。
日本の憲法は日本人が作ったものでもない。
憲法とは本来、義務教育が修了しておれば読んで簡単に理解出来なければおかしいのです。
憲法学者が出て来て、解釈に解釈を重ねなければ理解出来ない憲法など、その憲法そのものが欠陥であるということです。
憲法とはその国の理念を現すものです。
国はその理念を実現する義務を負うのです。
では、その理念である日本国憲法にどう国民を守るのか?が、どこに書かれてあるか?
答えは一文も書かれていないということです。
日本の憲法は103条まであります。
1~8条までは天皇と皇室について書いてあります。
そして9条が唯一、安全保障について書いてあります。
しかし、戦争放棄と武力の放棄しか書いていない。
国民をどう守るかは一切書いてありません。
唯一書いてあるのは憲法前分です。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
唯一、読めなくはないこの一文だけです。
日本人は日本人の安全と、更に生存までを、どこの誰ともわからぬ諸国民に任せたのです。
これは例えば、あなたの子供の安全と生存を隣のオッサンに任せて、あなたは子供の安全と生存には寄与しない!と言う事です。
いや、むしろ隣のオッサンは多少なりとも知り合いです。
今、すれ違った見ず知らずのオッサンに子供の安全と生存を頼む様なものです。
見ず知らずのオッサンをあなたは信用できますか?
この前分は更に読み解くならば「諸国民の公正と信義」とあります。
素直に解釈するならば、世界の諸国民は何故か公正、つまり常に正しく、信義つまり信用出来るとあります。
世界の諸国民は絶対に正しく信用出来ると言うのです。
ならば支那のチベット侵攻、ウイグル侵攻、内モンゴル侵攻、南シナ海の埋め立て。
更に支那が主張する尖閣支那領土も全て正しいと認めねばなりません。
何せ公正と信義に信頼するんですからね!
アホらしい過ぎます。
そして、何故か世界の諸国民は日本人を守ってくれるのです。
もうここまで来ると気が狂っているとしか言い様がありません。
これがアホの民主党議員小西某が、これまたアホの一つ覚えの様に唱える憲法前分平和主義です。
たった一回
我々は何時からそんな事になってしまったのか?
そんな絵に描いた餅の様な、いやもっと酷い平和主義を唱えることを始めたのか?
それは、敗戦後です。
間違いなく敗戦後です。
たった一回戦争に負けただけで、自らの手で自らの同胞(はらから)を守ることすら捨ててしまった。
その結果、領土や領海、更に領空を他国に侵され様とも、自国民が他国に誘拐されようと取り返す事も取り戻す事も出来ないのです。
水曜アンカー硫黄島は生きるヒント貞岡氏出演
水曜アンカー硫黄島は生きるヒント金井氏出演
硫黄島で戦った栗林忠道中将は本土にいる女子供を守る事で日本の未来を守ろうと命を捧げた。
大田實少将は沖縄県民と共に祖国としての沖縄を守り未来を守ろうとした。
まだ恋も知らぬ少女達も、命がけの戦いをする先達のお世話をする事で日本の未来を守ろうと命を捧げた。
負けても、再起し日本を白人の好きにさせないために特攻隊はその身を兵器とし十死の攻撃をした。
我々はその先達の守ろうとした未来を受け継いだはずなのに、奪われた同胞を取り返す事も出来ない。
当たり前に世界の国々がやっている事は、自国民は必ず自国が守るという事。
それを少しでも前に進める事が今般の安保法制です。
国連演説で安倍晋三は「常任理事国」を目指すと言った。
この安保法制で、負うべき義務を負う。
それは決して足りはしないけれど、加盟国が負うべき義務を果たすことで常任理事国に名乗りを上げられるのです。
それは、間違った戦争にNOを突きつける権利を得る事でもあるのです。
義務も果たさぬ者に権利はありません。
もし、アメリカが、中国が、間違った戦争をしようとする時。
世界が間違った戦争をしようとする時、日本は「間違っているぞ!」と声を上げる。
その権利を行使する為に必要な義務を果たす!
それが安保法制です。
そこで、今思うこと。
目の前にある事実を考えてみようと思います。
10月5日は我々日本人が皆、考えねばならない日でもあります。
13歳で拉致され、未だ家に帰れずに51歳の誕生日を迎えた横田めぐみさんの誕生日です。
この北朝鮮による日本人拉致事件は今も未解決。
更に、このことで誰一人逮捕すらされていません。
あの硫黄島の戦い。
沖縄地上戦。
日本人拉致。
全て繋がっているのです。
我々に問う
昨日は京都にて「ヒゲの隊長」改め「パンチ佐藤」こと佐藤正久参議院議員の安保法制に関する講演会に参加しました。
そして、拉致被害者は救えるのか?
なども含めてじっくり話を聞くことができました。
さすがは元自衛官だけあります。
安全保障に対して隠さず現実と現状を話しておられました。
例えば、尖閣を守る為に自衛隊を派遣し中国海警を追い払えるのか?
答えは当然に無理です。
相手は警察権で出て来ている。
日本の自衛隊は警察権で運用されてはいるが、やはり他国から見れば軍隊である。
軍隊には軍隊が対抗する。
無用な戦闘を誘発する恐れがありますし、更に自衛隊の護衛艦などは小回りも効かず不利であると。
やはり最初は海保で対抗するしかないと。
これは、簡単な話です。
それは、日本は国連敵国条項国であること。
日本は国連から見れば敵国です。
この条項には敵国には安保理決議無しの攻撃が認められていることが最大の問題です。
支那はこれを盾に日本に攻撃が出来ます。
例えば、尖閣を支那は自国の領土だと主張しています。
だから海警局とか言う、日本の海保みたいなものを出しているのです。
これは、支那の警察権の範疇だとアピールしているのですら。
警察権が及ぶ地域は領土だからです。
そこへ無闇に海自の護衛艦が出向けば理不尽ながら「侵略された」と主張し安保理決議無しの軍事行動を取る理屈を与えてしまいます。
これをさせない為には海保や警察により、警察権を行使して日本の領土を主張し続けなければなりません。
そして警察権行使で竹島や北方領土奪還を主張する方もいらっしゃるのですが、それは自衛隊に警察権を行使させると言うものですが、結論からいけば不可能です。
幾ら警察権をベースに運用されている自衛隊とは言え、それは日本国内で通じる論理であり、世界的には自衛隊は軍隊です。
先に述べた理由でロシアは軍事行動を取ります。
韓国も同じ理由で個別的自衛権を行使するでしょう。
では、拉致被害者を奪還できるのか?
これは全てを話すことは出来ないと前置きされていましたが、自衛隊はあらゆることを想定した訓練をしていると話しています。
しかし、運用や法律上では厳しいとの事。
もちろん誠に残念ですが、今般の安保法制でも拉致被害者奪還に自衛隊を出せるかと言えば「無理」だと言っていました。
ただ、これは議員らしい答えだなぁと感じました。
自分の考えは、例えば「自衛隊派遣を検討する」為の法解釈を準備するだけでも交渉のカードになると考えます。
国会審議
この安保法制審議については、とにかく「違憲」か「合憲」かの話しばかりでした。
また集団的自衛権の話しばかり。
これについては集団的自衛権と共に実は話しの焦点が間違っているのですが、以前にそれはこのブログ内で触れています。
ここです。
そして何故か訳の解らぬ憲法論をする。
憲法学者が出て来て違憲だ合憲だと話す。
憲法学者が違憲か合憲かを決めるものではありません。
憲法学者がやらなければならないのは、違憲合憲の判断ではなく、憲法が正しいのか?正しくないのか?を考える事です。
だいたい、人間は神ではありません。
神ならざる人間が作った憲法には良いところも悪いところもあります。
その憲法のどこが悪いのか?
どこが良いのか?
それを考えるのが憲法学者の仕事です。
法律が憲法に合っているか否かなどは憲法学者が決める事ではない。
まして、日本国民の命をどう守るのか、日本の主権をどう守るのかという安全保障を憲法学者が決められるはずはありません。
それをやるならば憲法は聖書かそれ以上のものです。
日本の憲法は日本人が作ったものでもない。
憲法とは本来、義務教育が修了しておれば読んで簡単に理解出来なければおかしいのです。
憲法学者が出て来て、解釈に解釈を重ねなければ理解出来ない憲法など、その憲法そのものが欠陥であるということです。
憲法とはその国の理念を現すものです。
国はその理念を実現する義務を負うのです。
では、その理念である日本国憲法にどう国民を守るのか?が、どこに書かれてあるか?
答えは一文も書かれていないということです。
日本の憲法は103条まであります。
1~8条までは天皇と皇室について書いてあります。
そして9条が唯一、安全保障について書いてあります。
しかし、戦争放棄と武力の放棄しか書いていない。
国民をどう守るかは一切書いてありません。
唯一書いてあるのは憲法前分です。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
唯一、読めなくはないこの一文だけです。
日本人は日本人の安全と、更に生存までを、どこの誰ともわからぬ諸国民に任せたのです。
これは例えば、あなたの子供の安全と生存を隣のオッサンに任せて、あなたは子供の安全と生存には寄与しない!と言う事です。
いや、むしろ隣のオッサンは多少なりとも知り合いです。
今、すれ違った見ず知らずのオッサンに子供の安全と生存を頼む様なものです。
見ず知らずのオッサンをあなたは信用できますか?
この前分は更に読み解くならば「諸国民の公正と信義」とあります。
素直に解釈するならば、世界の諸国民は何故か公正、つまり常に正しく、信義つまり信用出来るとあります。
世界の諸国民は絶対に正しく信用出来ると言うのです。
ならば支那のチベット侵攻、ウイグル侵攻、内モンゴル侵攻、南シナ海の埋め立て。
更に支那が主張する尖閣支那領土も全て正しいと認めねばなりません。
何せ公正と信義に信頼するんですからね!
アホらしい過ぎます。
そして、何故か世界の諸国民は日本人を守ってくれるのです。
もうここまで来ると気が狂っているとしか言い様がありません。
これがアホの民主党議員小西某が、これまたアホの一つ覚えの様に唱える憲法前分平和主義です。
たった一回
我々は何時からそんな事になってしまったのか?
そんな絵に描いた餅の様な、いやもっと酷い平和主義を唱えることを始めたのか?
それは、敗戦後です。
間違いなく敗戦後です。
たった一回戦争に負けただけで、自らの手で自らの同胞(はらから)を守ることすら捨ててしまった。
その結果、領土や領海、更に領空を他国に侵され様とも、自国民が他国に誘拐されようと取り返す事も取り戻す事も出来ないのです。
水曜アンカー硫黄島は生きるヒント貞岡氏出演
水曜アンカー硫黄島は生きるヒント金井氏出演
硫黄島で戦った栗林忠道中将は本土にいる女子供を守る事で日本の未来を守ろうと命を捧げた。
大田實少将は沖縄県民と共に祖国としての沖縄を守り未来を守ろうとした。
まだ恋も知らぬ少女達も、命がけの戦いをする先達のお世話をする事で日本の未来を守ろうと命を捧げた。
負けても、再起し日本を白人の好きにさせないために特攻隊はその身を兵器とし十死の攻撃をした。
我々はその先達の守ろうとした未来を受け継いだはずなのに、奪われた同胞を取り返す事も出来ない。
当たり前に世界の国々がやっている事は、自国民は必ず自国が守るという事。
それを少しでも前に進める事が今般の安保法制です。
国連演説で安倍晋三は「常任理事国」を目指すと言った。
この安保法制で、負うべき義務を負う。
それは決して足りはしないけれど、加盟国が負うべき義務を果たすことで常任理事国に名乗りを上げられるのです。
それは、間違った戦争にNOを突きつける権利を得る事でもあるのです。
義務も果たさぬ者に権利はありません。
もし、アメリカが、中国が、間違った戦争をしようとする時。
世界が間違った戦争をしようとする時、日本は「間違っているぞ!」と声を上げる。
その権利を行使する為に必要な義務を果たす!
それが安保法制です。