犬神スケキヨ~さざれ石

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

Toward the alliance of hope 2

2016-05-29 19:00:59 | 草莽崛起
今回のオバマ大統領広島訪問には紆余曲折ありました。

まず「謝罪」はしない。

被曝者には合わない。

こんな条件がアメリカ側からあった。

しかし、ケリー国務長官の訪問で米国はアドバルーンを上げて国民の反応を見たのです。

すると、アメリカ国内に反発があまりなかった。

オバマ大統領の思い

日本の報道は、まるで米国側の意のみで今回の広島訪問が決まったかの様に報道しています。
しかし、事実は違う。当たり前です。

もちろん、安倍晋三首相の水面下での交渉があり、オバマ大統領の思いがあり実現したのです。

そもそも、オバマ大統領が学生時代に「核廃絶」について学生新聞に寄稿していることを考えれば、或いはこの訪問への道筋は当然のこと、いや必然であったのかもしれません。

現に鳩山政権下で広島訪問を日本側へ打診しているからです。
それをアホの鳩山由紀夫は「まだ早い」と蹴ったのです。

それは誤解を恐れず申すならば、チェコプラハでの「核無き世界」という演説でノーベル平和賞を受賞してしまったオバマ大統領の政治的思惑があったのは事実です。
そして、今回の訪問も、その様な思惑は事実としてあります。
任期終盤に自らの花道を飾る。
この意図はあります。

しかし、アホの民進党小西某などは今般の広島訪問を批判していますが、ならばその民進党、前民主党の党首で首相だった人間のクズ鳩山由紀夫は断わったではないか!

わざわざ米国側からの打診であったのに。
それを断わった。

一体何の批判をしようと言うのでしょうか?

日本側もアメリカ側もギリギリの折衝を重ねた。
しかし、アメリカ側の返答は相変わらずで謝罪や被曝者面会はしないと。
本当に来日直前までギリギリの折衝をしていました。

それが突然です。

米国のインタビューで大統領副補佐官であるベンジャミン・ローズ氏は原爆投下の必要性は変えない姿勢ながらも「多大な代償があった」と言いだした。
さらに「大統領が個人的に述べることはあり得る」と言いだしました。

これは大変な話しです。

このベンジャミン・ローズ氏は大統領のスピーチライターでもあるのです。
その人物の発言は「謝罪はないが多大な代償についての責任を述べるかも…」と、これまた米国民へのアドバルーンを上げたのです。

つまり、これはチェコプラハでの演説の中身「道義的責任」を盛り込むと言うことで、これを広島で述べることは実質的に謝罪だと取られてしまうかもしれない、しかしそこに踏み込むと言うことです。

改めて申しますが、私自身は「謝罪無き訪問」には反対の立場をとっていました。

しかしこのベンジャミン・ローズ氏の発言で、米国はギリギリの妥協点を打ち出したのだな、そう考えました。

日米双方が具体的な謝罪などは盛り込まないが、ギリギリの妥協点、ギリギリの一致点を見つけたのだと受け止めました。

これは私が前記事に示した「仲直り」と言う日本人の文化だと思いました。

ロジカルにぶつかり合うより、一致点を見出し「和解」をする。
対立をするより遥かに難しく、遥かにお互いの利益になる。
この日本精神が、この難題を解決するのだと捉えました。
参考世界基準は我が祖国

私の今般のオバマ大統領広島訪問の懸念は

一、プラハでの演説によりノーベル平和賞を受賞した、その最後の仕上げとしての引退の花道に利用されるのではないか?

一、「核無き世界」はありえない。それを広島で述べるならば、それは嘘であるから被曝者の苦しみをさらに増すのではないか?

この二点が特に懸念でありました。

どちらの懸念も払拭することはありません。
何故ならば、どちらも事実だからです。

ノーベル平和賞を受賞し引退の花道に、大統領としての仕上げとしての広島訪問。
これも事実です。
広島を花道に利用することになります。

また、核無き世界もありえません。
真実は「核少なき世界」であって、核無き世界ではありません。

核と言うのは維持費がべらぼうに掛かります。
だから、管理出来る数にまで減らし実質的に「使える核」にすることが「核無き世界」の真実です。
これは恐ろしい話しです。
実際に必要な核だけを保有する、つまり使わない兵器ではなく「使うかもしれない兵器」になってしまいます。
核廃絶の逆を行く事になります。

そうやって数を減らして、使うかもしれない兵器となれば、数発しか持たない劣悪な核の価値を上げることに繋がるのです。
つまり、北朝鮮の粗悪品の価値を上げてしまうことになります。

それでも我々日本は、その核の傘に守られているのです。

このジレンマを抱えてのオバマ大統領訪問、そして演説。
どれほどの意味と成果があるのか?
私は疑問を持っていました。
案ずるより産むが易し
この様な言葉がありますが、今回はある意味そうではなかったかと感じます。

この被曝者の笑顔

抱き合う姿

被曝者の方々が、これで長きに渡る苦しみから少しは解放され、癒されたのだと受け止めました。



さて左に曲がった連中はと言うと。

早速難癖をつけています。

「具体的な政策がない」

「安倍晋三の選挙対策」

「資料館への訪問時間が短い」等々。

具体的な策がないとか、先に述べたアホの小西某も言っていますが…
この場所は慰霊をする場所であって、その為の演説を行なったのです。

何かを宣言したりすることも重要ではあるでしょうが、今回は違います。
あくまで慰霊が目的で、被曝者との面会、更に先の大戦の「和解」への一歩です。

また、選挙対策だとの批判もありますが、選挙対策だとして一体何の問題があるのですか?

我々日本人とて、政権終盤のオバマ大統領の花道に利用された側面は間違いなくあります。

それで何か問題があるのですか?

私は政治利用されることに懸念を抱いてきたし、そう発言して来ました。
しかし、被曝者の方々が「これで癒された」と仰るのですから、それが全てです。

利害が絡むのが外交で、そのギリギリの擦り合わせをやって一つの成果を出すのが外交での当たり前の事です。

また、我が国の「国柄」は一致点を見いだすことにあるのです。

日米双方は「謝罪無き和解」を模索して、今回その成果を得た。
これがこの広島訪問の事情でしょう。

具体的に今現在、出来ることをやった

元広島市長などは「謝罪と賠償」を求めろ!と発言しています。

そんなものは日本精神に反します。

支那朝鮮人じゃあるまいし。

我々は日本人です。

日本精神は金など求めません。

我々が求めるのは「未来」です。

被曝者の方がオバマ大統領に仰った言葉。

「あんたノーベル平和賞を取ったんだから、遊んどったらイカンよ」

この言葉に込められているでしょう。

Toward the alliance of hope3へ続く

Toward the alliance of hope 3

2016-05-29 19:00:55 | 草莽崛起
我々日本人には「和解」という文化があります。

それは二千年を超える歴史の中で培われたもので、それこそが日本のオリジナルの民主主義です。

意見の相違を乗り越え、立場の違いを乗り越えて、一致点を見いだすことです。

多数決にのみ頼らず、一致点絡む解決する。

今回の米国大統領広島訪問は、そういうことではないか。
私はそう考えます。

世界に見せつけた

世界の歴史を見れば、和解から始まります。

例えば、ドイツとフランス。
長年に渡るわだかまりはまず「和解」から始まりました。

「謝罪」から始まったのではありません。

被曝者の方は「誰が悪い、これが悪いなんて恨みはもういい、未来志向でやろう」
これがオバマ大統領への言葉でありました。



今回の訪問は、やはりオバマ大統領が「アフリカ系」であったこと。
民主党であったこと。

これは大きかったでしょう。

白人には、なかなかこれは出来ない。

肌の色で差別を受けた、共通の歴史をもつアフリカ系と日本。

政権終盤とは言え、政治的リスクを乗り越えて訪問した事は評価しなければなりません。

今回の訪問、世界のメディアは一様にポジティブな報道をしています。

また、戦争も広島長崎も知らない世代に、丁寧に説明している報道が多い事はびっくりします。

これは、世界がもう一度「歴史」を考える時期に来たのかもわかりません。



「核なき世界」は実は「核少なき世界」であって本質的には「核抑止力」が弱まる世界と変わって行くのです。

核兵器は無くそうとして無くなるものではありません。
アホの左翼が主張する様な「核兵器廃絶」などは絵空事です。

世界は手放しで「核」を捨てない。

ならば、どうするのか?

方法は
核を無効化出来る技術を作る、或いは核兵器に変わる兵器が出来るこれしかありません。

戦争を無くすにも「戦争をやる意味がない世界」を作る以外にありません。

戦争をやる意味のない世界とは
しっかりとした抑止力と他国間での連携をする以外ありません。

世界で「正直さ」を求める国は実は日本とアメリカだけです。

上手く嘘をつく人間が評価されるのが世界です。

その中にあって、やはり正直である事を重んじる社会を持つのは実は日米だけなのです。

日本の正直さとは「誠実」さにあります。
米国の正直さとは「率直」さにあります。

この日米が本気で手を組む事は、実はアジアの安定、世界の秩序に大きく関わります。

支那や朝鮮はこれが一番怖いのです。

今般、具体的な謝罪などはありませんでした。
しかし、あのオバマ大統領と被曝者の方々の関わりあった時間には少なくとも「嘘」はなかったのではないかと思います。

私は「謝罪なき訪問」には反対の立場をとって来ましたが、被曝者の方々が「これで良い」と言った言葉を尊重したいと思います。

そして、いつの日にか日米双方が連携し先の大戦を含めて「歴史の見直し」が出来た時、謝罪を超える両者の和解となるその様に出来れば良いのでは?
と、考えます。

それは「我々は今、戦争をしているがお前達は平和を希求してくれ」と命を捧げた先達の思いを達成することになるのではないでしょうか。

Toward the alliance of hope

2016-05-29 19:00:31 | 草莽崛起
サミットが開催されました。
皆さんも各メディアやネットも駆使しながら、ご覧になった事でしょう。



サミットの会議そのものは、まぁ言わば役人が作ったペーパーを話す程度で、実際に重要なのは実は「雑談」の中にある。
皆さんもよくご存知ですね。

この雑談については、一切我々には伝わらないものです。

しかし、7か国首脳が伊勢神宮を歩く姿には少なからず日本人の中にある何かを震わせたのではないでしょうか?


このサミットが終わり、マスコミは「意味がない」という報道をするでしょうし、実際左寄りの連中はそう報道しています。

本当の意味は今後わかるのです。

しばらく経って、このG7各国が政策を転換したりする、それがサミットの成果です。
例えばドイツやイギリスが財政出動などを始めれば、それが「雑談」から生じた成果です。
我々はその時に初めてサミットの漏れない雑談の成果を知るのです。

そして5月27日。

歴史が変わる瞬間に我々は立会いました。

我々日本人の長きに渡って培ってきた「日本人の心」が世界を駆け巡りました。

米国大統領広島訪問

そしてこれは、アメリカの率直さの表れでもあるのです。

世界が変わる

今回のオバマ大統領による広島訪問、賛否あるでしょう。

しかし、間違いのない事実は後に歴史となることです。

ニュースとは、そのまま歴史の1ページです。

我々はその歴史の1ページに立会い、そして生き証人となったのです。

戦争に勝った国と戦争に負けた国が「和解」の道を歩んでいくのです。

私は「謝罪無き訪問」には反対の立場でした。
それは、この拙いブログにも示しました。

世論調査を見れば「謝罪」を求めないが多数ですから、その意味では私は少数派です。

しかし、今回のオバマ大統領の演説を聞いて率直な感想は「よく、ギリギリの妥協点を見つけた」と思います。
これは良い意味の妥協点です。

直接的な謝罪の言葉ひありませんでした。
しかし、事実上の「謝罪」に近いギリギリのラインでの内容だったと思います。
以下が演説日本語訳を全文です。


71年前、よく晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わりました。閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊しました。
これは我々人類が、自分たち自身を破壊する手段を手に入れたということを意味します。

なぜ私たちはここにいるのでしょうか?なぜ広島に来たのでしょうか?

私たちは、亡くなった方々を悼み、恐ろしい力がそれほど遠くない過去に解き放たれたことを深く考えるためにここにやって来ました。

10万人を超える日本の国民の方と、そして何千人もの朝鮮の人々が命を落としました。

その魂が、私たちに語りかけています。もっと内側を見て、私たちが一体何者なのかを振り返るように。そして、どのようになろうとしているのか語りかけています。

広島だけが特別なのではありません。暴力的な争いは古くから行われています。石や槍などが扱われました。これはただ狩りをするためだけではなく、人間同士の争いにもこのような武器が使われてきました。どの大陸においても、どの歴史においても、あらゆる文明は争いの歴史に満ちています。
富をもとめ、また民族や宗教的な理由からもこうした争いが起こってきました。帝国が台頭し、また衰退しました。そして人々が同じ人間に支配され、また解放の道もたどってきました。それぞれの歴史の転換点において、罪のない人たちが苦しみました。多くの人たちが犠牲になりました。その犠牲となった人たちの名前は、時が経つと忘れ去られました。それが人類の歴史であります。

第二次大戦は、広島と長崎で、とても残虐的な終わりを迎えました。これまで人類の文明は、素晴らしい芸術を生み出しました。そして偉大な思想や、正義、調和、真実の考えを生み出してきました。しかし、同じところから争いは出てきました。征服をしたいという思いも出てきました。古いパターンが新しい能力によってさらに増幅されてきました。そして、そこには制約が働きませんでした。

ほんの数年の間に6000万人ものたちが亡くなりました。男性、女性、子供達。私たちと全く変わらない人たちです。撃たれ、殴られ、あるいは行進させられ、飢えさせられ、拘束され、またはガス室に送られ亡くなりました。

世界中にはこの争いを物語るところが沢山あります。慰霊碑が、英雄的な行いなども含めて、様々なことを示しています。空っぽな収容所などが、そういうことを物語っています。

しかし、空に上がったキノコ雲の中で、私たちは人類の非常に大きな矛盾を強く突きつけられます。私たちの考えや想像、言語、道具など、私たちが自然とは違うということを示す能力、そのものが大きな破壊の力を生み出しました。

いかにして物質的な進歩が、こういったことから目をくらませるのでしょうか。どれだけたやすく私たちの暴力を、より高邁な理由のために正当化してきたでしょうか。

私たちの偉大な宗教は、愛や慈しみを説いていますが、それが決して人と争う理由になってはいけません。国が台頭し、色々な犠牲が生まれます。様々な偉業が行われましたが、そういったことが人類を抑圧する理由に使われてきました。

科学によって私たちは海を超えてコミュニケーションをします。また空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとします。そのような科学が、効率的な争いの道具となってしまうこともあります。

しかし現代の社会は、私たちに真理を教えています。広島は、私たちにこの真理を伝えています。
技術の進歩が、人類の制度と一緒に発展しなければならないということ。原子力が破裂することによって、色々な文明が生まれて、そして消えてゆきました。

だからこそいま私たちはここに立っているのです。

私たちは今、この広島の真ん中に立ち、当時に思いを馳せています。子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。

私たちたちは罪のない人々が、むごい争いによって亡くなったことを記憶します。これまでの争い、そしてこれからの争いの犠牲者に思いを馳せます。

言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。しかし私たちには共有の責任がります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。

いつの日か、当時を経験された人たちの声も消えていくことになるでしょう。しかし、「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。

あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。

アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。欧州では連合(EU)ができました。国々は、商業や民主主義で結ばれています。

国、または国民が解放を求めています。そして争いを避けるための様々な制度や条約もできました。

制約をかけ、交代させ、ひいては核廃絶へと導くためのものであります。それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。

私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。しかし我が国を含む保有国は、他国から攻撃を受けるから持たなければいけないという「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。

私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。

このような破壊をもたらすような核保有を減らし、この「道具」が狂信的な人たちに渡らないようにしなくてはなりません。

それだけでは十分ではありません。世界には、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。争いに対する考え方を変える必要があります。それを外交手段で解決することが必要です。争いを終わらせる努力をしなければなりません。

平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。

人類の共通性、争いが起こらない世界を作っていくことができます。物語は当時を経験された方たちが語ってくださっています。当時のパイロットに会った女性がいました。そのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています。

アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのは決してアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。

しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。例えば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。

亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは争いは望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。

国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。この未来こそ、最悪の未来の夜明けではないということを、そして私たちの道義的な目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれたのです。


昨年の安倍晋三首相の米国上下両院議会演説に並ぶ歴史的演説てなった事は間違いないでしょう。

「道義的な目覚めである」それを教えてくれたのが広島であり長崎であると締めくくりました。

私はこれがギリギリの「謝罪」と思います。

これは、オバマ大統領が大統領就任直後にチェコのプラハで行なった演説。
そこに述べられた「道義的責任」を何とかギリギリのところで入れた。

これは、米国民にとってはかなりのショックだったようです。

原爆投下は正しい行為だと教えられてきたアメリカ国民にとってはショックだったでしょう。
この広島の演説は間違いなく広島長崎の原爆を指しており、それを「道義的な目覚め」と言った事はアメリカの歴史に逆らう話しだからです。

Toward the alliance of hope2へ続く