去る5月11日は
私とサルバドール・ダリの誕生日でございました。
サルバドール・ダリと言えば、このような作品を作っていた芸術家です。
私も大好きな芸術家で、誕生日が同じとは光栄です
ノーベル平和賞
またもやアホの反日左翼の連中は今回も我々日本人にとって屈辱の「憲法9条」をノーベル平和賞に推薦しました。
これで3回目で、今回も受理されてしまいました。
そもそも、ノーベル平和賞なるものは政治的意味合いが強く、我々が考える「平和」の概念とは違います。
世界を、或いは紛争地を平和にしたから「平和賞」あげる!
と、言うものではありません。
むしろ、紛争がある、争いがある、未だ実現していない事柄に対して受賞させることが多々あります。
このノーベル平和賞への推薦をした反日左翼団体並びに野党議員などの代表は「憲法平和への国民の機運が高まって来た」と発言しています。
完全に頭が狂っています。
平和?
憲法9条が平和の為に生かされているなら、それが現実ならば世界は皆同じ憲法を掲げるはず。
しかし、こんな憲法を持っているのは日本だけです。
日本は平和なのか?
平和とは何か?
これに答えられた人を私は知りません。
平和なる曖昧な概念と文言をふりかざせば何をやっても良い!
その様に考える人々がいます。
平和とは何でしょうか?
「日本は平和だ!」と考える人がいたら、頭の検査を受けることを勧めます。
我が国は平和ではありません。
平和ならば竹島で44人も殺されません。
平和ならば拉致被害者もいません。
平和なら外国からやって来て日本人と同じ権利をよこせと言われません。
では、平和とは何でしょうか?
むしろ憲法9条のおかげで拉致や竹島や在日の問題が起きているのは明らかです。
平和と言うなら、例えば横田めぐみさんは一体何でしょうか?
他の拉致被害者は一体何でしょうか?
立憲主義
憲法96条には憲法の改正事項が明記されています。
手続きを踏めば憲法を改正して良いのです。
それを、クソ反日団体は「改正するな!」と言っているのです。
その上で「ノーベル平和賞」と言う外国の手を借りて輪っかを掛けて改正を阻もうとしています。
よくアホの左翼団体は「立憲主義」と言う言葉を叫びます。
これは日本以外の諸外国においての「王政」に対して言う事であって、日本は王政ではありません。
例えば、西洋における王は絶対君主であるが為に好き勝手をやりかねない。
ウシハクとシラスです。
だから、それを縛る為に憲法を作り王様の動きを封じるのです。
それを「立憲主義」と言うのです。
ウシハクには「立憲主義」と言う事です。
我が国は王様はいません。
おられるのは天皇陛下です。
我々の天皇陛下は政治に関わりません。
絶対君主でもありません。
それは我々の天皇陛下はウシハクではなくシラスだからです。
つまり暴走などしないのです。
また、明治天皇陛下、大正天皇陛下、昭和天皇陛下においても間違いなく憲法を正しく理解され従われて来ました。
今上陛下においても同じで、更に天皇陛下を始め皇族方は皆様、憲法を必ず守っておられる。
政治に関わらない、憲法を必ず守る我々の皇帝は暴走などしないのです。
ですから私は、日本における「立憲主義」は必ずしも正しいとは思いません。
そもそも現憲法は我々日本人が作ったものではありません。
我々日本人の理念ではない。
それを絶対と言うならば、それは作ったアメリカが絶対だ!と言う事です。
そう言うならば
二言目には「立憲主義」とか言う腐れ政党民進党のコレまた、アホ議員小西某などは「立憲主義」を理解出来ていません。
憲法改正するな!
平和憲法!
と、聞こえはよく、さも「平和主義」とか「護憲」が正しいとか言うのですが…
ならば、改正条項は一体何でしょうか?
我々は手続きを踏めば憲法を改正して良いのです。
それをノーベル賞なるものを使って、足枷をつけ改正出来ない様にしようと考えているのです。
これこそ「立憲主義」に反します。
わざわざ外国の手を借りてまで護持せねばならない現憲法は一体何でしょうか?
聖書ですか?
絶対不変の原則ですか?
立憲主義と言うならば、憲法96条の改正条項は一体何でしょうか?
絶対に変えてはならない!と、するなら憲法96条を改正して「絶対不変」としなければならない。
しかし、その様な運動はありません。
事程左様に、左翼団体なる連中は矛盾しているのです。
我々には憲法96条に則り憲法を改正する権利があるのです。
それをノーベル平和賞とか言うアホなものを利用して改正出来ない様にしようと考える。
これこそ立憲主義に反するだけでなく、人権侵害です。
この様な行為が正しいのか?
そこが問題です。
これは権利侵害の話しなんです。
他人の権利を侵害しておいて「平和」もヘッタクレもありません。
左翼と言うのは、詰まる所自らの都合の為には人権侵害をする連中なんです。
憲法改正と憲法96条は主権者の権利です。
これを外国の手を借りて阻もうとするならば
明らかな主権侵害であり外患誘致です。
これは立派な犯罪行為です。
拉致被害者家族が、自分達の愛する者を取り返す権利を侵害しています。
我々の愛する人を守る権利を侵害しています。
そして、この左翼団体の行為は
憲法違反
主権侵害を受け、人権侵害を受けて黙って見ていられるほど私は人間が出来ていません。
私は私の権利を侵害する者を許すほどの慈悲は持ち合わせていません。
私は私の愛する人を守る権利を侵害する者を生かしておくことが出来ない。
私はガンジーではありません。
だから、実力行使を否定しません。
私は愛する人々、囚われた同胞、殺された日本人の為に自衛権を必ず行使します。
私は愛する人を守る為に反日左翼、反日団体、反日議員を必ず駆逐します!
私とサルバドール・ダリの誕生日でございました。
サルバドール・ダリと言えば、このような作品を作っていた芸術家です。
私も大好きな芸術家で、誕生日が同じとは光栄です
ノーベル平和賞
またもやアホの反日左翼の連中は今回も我々日本人にとって屈辱の「憲法9条」をノーベル平和賞に推薦しました。
これで3回目で、今回も受理されてしまいました。
そもそも、ノーベル平和賞なるものは政治的意味合いが強く、我々が考える「平和」の概念とは違います。
世界を、或いは紛争地を平和にしたから「平和賞」あげる!
と、言うものではありません。
むしろ、紛争がある、争いがある、未だ実現していない事柄に対して受賞させることが多々あります。
このノーベル平和賞への推薦をした反日左翼団体並びに野党議員などの代表は「憲法平和への国民の機運が高まって来た」と発言しています。
完全に頭が狂っています。
平和?
憲法9条が平和の為に生かされているなら、それが現実ならば世界は皆同じ憲法を掲げるはず。
しかし、こんな憲法を持っているのは日本だけです。
日本は平和なのか?
平和とは何か?
これに答えられた人を私は知りません。
平和なる曖昧な概念と文言をふりかざせば何をやっても良い!
その様に考える人々がいます。
平和とは何でしょうか?
「日本は平和だ!」と考える人がいたら、頭の検査を受けることを勧めます。
我が国は平和ではありません。
平和ならば竹島で44人も殺されません。
平和ならば拉致被害者もいません。
平和なら外国からやって来て日本人と同じ権利をよこせと言われません。
では、平和とは何でしょうか?
むしろ憲法9条のおかげで拉致や竹島や在日の問題が起きているのは明らかです。
平和と言うなら、例えば横田めぐみさんは一体何でしょうか?
他の拉致被害者は一体何でしょうか?
立憲主義
憲法96条には憲法の改正事項が明記されています。
手続きを踏めば憲法を改正して良いのです。
それを、クソ反日団体は「改正するな!」と言っているのです。
その上で「ノーベル平和賞」と言う外国の手を借りて輪っかを掛けて改正を阻もうとしています。
よくアホの左翼団体は「立憲主義」と言う言葉を叫びます。
これは日本以外の諸外国においての「王政」に対して言う事であって、日本は王政ではありません。
例えば、西洋における王は絶対君主であるが為に好き勝手をやりかねない。
ウシハクとシラスです。
だから、それを縛る為に憲法を作り王様の動きを封じるのです。
それを「立憲主義」と言うのです。
ウシハクには「立憲主義」と言う事です。
我が国は王様はいません。
おられるのは天皇陛下です。
我々の天皇陛下は政治に関わりません。
絶対君主でもありません。
それは我々の天皇陛下はウシハクではなくシラスだからです。
つまり暴走などしないのです。
また、明治天皇陛下、大正天皇陛下、昭和天皇陛下においても間違いなく憲法を正しく理解され従われて来ました。
今上陛下においても同じで、更に天皇陛下を始め皇族方は皆様、憲法を必ず守っておられる。
政治に関わらない、憲法を必ず守る我々の皇帝は暴走などしないのです。
ですから私は、日本における「立憲主義」は必ずしも正しいとは思いません。
そもそも現憲法は我々日本人が作ったものではありません。
我々日本人の理念ではない。
それを絶対と言うならば、それは作ったアメリカが絶対だ!と言う事です。
そう言うならば
二言目には「立憲主義」とか言う腐れ政党民進党のコレまた、アホ議員小西某などは「立憲主義」を理解出来ていません。
憲法改正するな!
平和憲法!
と、聞こえはよく、さも「平和主義」とか「護憲」が正しいとか言うのですが…
ならば、改正条項は一体何でしょうか?
我々は手続きを踏めば憲法を改正して良いのです。
それをノーベル賞なるものを使って、足枷をつけ改正出来ない様にしようと考えているのです。
これこそ「立憲主義」に反します。
わざわざ外国の手を借りてまで護持せねばならない現憲法は一体何でしょうか?
聖書ですか?
絶対不変の原則ですか?
立憲主義と言うならば、憲法96条の改正条項は一体何でしょうか?
絶対に変えてはならない!と、するなら憲法96条を改正して「絶対不変」としなければならない。
しかし、その様な運動はありません。
事程左様に、左翼団体なる連中は矛盾しているのです。
我々には憲法96条に則り憲法を改正する権利があるのです。
それをノーベル平和賞とか言うアホなものを利用して改正出来ない様にしようと考える。
これこそ立憲主義に反するだけでなく、人権侵害です。
この様な行為が正しいのか?
そこが問題です。
これは権利侵害の話しなんです。
他人の権利を侵害しておいて「平和」もヘッタクレもありません。
左翼と言うのは、詰まる所自らの都合の為には人権侵害をする連中なんです。
憲法改正と憲法96条は主権者の権利です。
これを外国の手を借りて阻もうとするならば
明らかな主権侵害であり外患誘致です。
これは立派な犯罪行為です。
拉致被害者家族が、自分達の愛する者を取り返す権利を侵害しています。
我々の愛する人を守る権利を侵害しています。
そして、この左翼団体の行為は
憲法違反
主権侵害を受け、人権侵害を受けて黙って見ていられるほど私は人間が出来ていません。
私は私の権利を侵害する者を許すほどの慈悲は持ち合わせていません。
私は私の愛する人を守る権利を侵害する者を生かしておくことが出来ない。
私はガンジーではありません。
だから、実力行使を否定しません。
私は愛する人々、囚われた同胞、殺された日本人の為に自衛権を必ず行使します。
私は愛する人を守る為に反日左翼、反日団体、反日議員を必ず駆逐します!