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「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

ぶっちゃけよく分からん、あの名作を面白く読む方法~読書コーナー~

2025年04月23日 | 読書コーナー

ガソリン価格の高騰が止まりません。スマホに某石油会社のアプリをダウンロードして最安値で給油していますが、それでも現在1リットルあたり「185円」です。こうなると対抗策を講じないといけません・・、それには走行距離を減らすしかないです。

筆者のクルマの燃費から計算すると、ランニングコストが1kmあたり「12円」になります。で、図書館まで往復が40kmなので1回行くたびに480円かかっている計算になります、行くのを6回節約すると「ジョニ黒」が購入できる・・、とまあ、年金生活者はみみっちい計算をしていますぞ(笑)。

で、このところ図書館行きは2週に1回のペースにしているので、面白い本に出会う確率も確実に減っています。そういう中で、たまたま出会ったのがこの本です。



とても面白いタイトルなのでつい手に取ってみました。著者は女性で「京都大学大学院課程修了」のインテリさんです。ぶっちゃけると、大学院のゼミで討議した内容がそっくり網羅されているそうです。



誰しも経験があると思いますが、古今の名作とされているものを読んだけど、いまいちピンとこなかった、はてさて自分の読解力が拙かったのか、それとも相性が悪かったのか・・。

なにしろ「名作」なんですから何代にもわたる風雪に耐えてきた歴史と権威を持っていますので、読み手が悪いに決まってます(笑)。

そういうときのアドバイスとして活用するのに向いている本ですね。

168頁に著者の読書論がありましたのでご紹介しましょう。

「私は小説を読むという行為は自分の中の多重人格性を癒す作業だと思う。人間は本来、誰しもさまざまな年齢の、さまざまな立場の自分を心の中に飼っている。だけど与えられた立場や外面によって、その外面に合った自分を外に出さざるをえない。

ほんとうはさまざまな立場の自分が自分を見ているのだけど、さまざまな立場の自分を外に出す機会はたいてい与えられていない。

だけど、小説を読むことで、というか広く言えば物語を読むことで、さまざまな立場の自分を外に出してやって呼吸させてやることができる。

「ライ麦畑で捕まえて」(サリンジャー)のホールデンの台詞を読めば16歳の自分が呼吸する。「門」(漱石)を読めば55歳の自分がふっと起き上がる。「老人と海」(ヘミングウェイ)を読めば男の自分が息を吐く。

いろんな人格が自分の中にいることを確認できる。フィクションの中だと呼吸ができる。だから私たちは自分とまったく異なる人格の物語を読むと何だか癒されるんだと思う。」

といった調子です。

本書では、
以下のような名作小説を取り上げ、それぞれに適した読み方のアプローチが紹介されています.。

たとえば・・、​

『若草物語』:違和感から読んでいく

『カラマーゾフの兄弟』:あらすじを先に読んでおく

『金閣寺』:タイトルに問いかける

『老人と海』:自然を楽しむ

『吾輩は猫である』:前提を楽しむ

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』:多重人格になってみる

ほかにも、有名な小説がいくつも紹介されています。

で、もっと具体的に掘り下げてみましょう。

たとえば、とてつもない長編の「カラマーゾフの兄弟」です。これ正直言ってなかなか難解で、とっつきにくい小説の最たるものですが、本書によると「大まかなあらすじを先に理解しておく」とサクサク読めるそうですよ。

「父親と仲の悪い放蕩息子の長男ミーチャがいて、インテリで合理主義の次男イワン、修道院にいて純粋な美青年の三男アリョーシャがいる。そして、女性問題、遺産問題も絡み、父子の仲がどんどん悪くなるので父親も含めて四人で話合おうとするものの、その やさき に父親が殺されてしまう。しかし犯人は分からない」というのが大筋だそうです。

最後に、著者の「三宅香帆」さんですが、つい先日のテレビ番組「プレバト」に出演されていましたね。ほら「俳句」の優劣を競う人気番組です。高学歴者大会と銘打ってましたが、堂々と優勝されていました! 才媛です。

どうやら「天は二物を与えた」ようですね~(笑)。



水面(みなも)に微かに浮かんでいる二つの赤い影に気が付かれましたか?

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「耳トレ」~読書コーナー~

2025年04月19日 | 読書コーナー

健康を維持するために寄るべきものといえば「免疫力」しかないので、我が家では「適度な運動とリラックス」は必須です。

リラックスといえば「音楽&オーディオ」に尽きるわけですが、一般的な愛好家を含めて「耳が遠くなる」ことほど悲しいことはないでしょう。

筆者などは、そうなるともう死んだ方がマシとさえ思うが、悲しい現実として
聴力は20歳ころをピークに徐々に低下しはじめていき、65歳以上の4人に1人、75歳以上の2人に1人は補聴器が必要な状態だ」と、ショッキングな書き出しで始まるのが「耳トレ!」である。

                      
 

大学教授で現役のお医者さんが書いたこの本には「耳の健康」に対する情報が満載で実に”ため”になる本だった。

以下、とりわけ興味を引いた点を自分のために忘れないように箇条書きスタイルで整理してみた。

なお、の部分は勝手な独り言なのでけっして鵜呑みにしないでくださいな(笑)。

☆ 難聴の大きな要因は「騒音」と「動脈硬化」

先年、日本の国立長寿医療研究センターから「加齢と難聴には相関関係がない」というショッキングなニュースが発表された。主として難聴に関係していたのは「騒音」と「動脈硬化」の二つだという。

「騒音」の原因には「騒音職場」とともに「ヘッドフォン難聴」「イヤフォン難聴」が挙げられ、
一方の「動脈硬化」は言わずと知れたメタボリック・シンドロームである。

この二つは日常生活の中で十分予防が可能だが、比較的若い時期から一人ひとりが心がけていかない限り、近い将来「大難聴時代」がやってくることは必至だそうです。

☆ 日本語は世界一「難聴者」にやさしい言語

どの国の言語にもそれぞれ固有の周波数帯というものがあり、母国の言語を繰り返し聞いて育つうちにその周波数帯以外の音を言語として聞き取る脳の感受性が失われていく。

そのため生後11歳くらいまでには母国語を聞いたり発音する能力に特化した脳が出来上がる。

日本語で頻繁に使われる周波数帯は125~1500ヘルツだが、これが英語ともなると200~12000ヘルツとなって随分違う。日本語は世界の言語の中でもっとも低い周波数帯の言語で、英語は世界一高い周波数帯の言語である。

したがって、英語民族は高齢になると早い段階で高い音が聞き取りにくくなって不自由を感じるが、日本人はすぐには不自由を感じない。その点で日本語は世界一難聴者にやさしい言語である。

 これは一人で二か国の言語を操るバイリンガルの「臨界期」が10歳前後と言われる所以でもあります。

また、英語圏の国で製作されたアンプやスピーカーなどのオーディオ製品には、高音域にデリカシーな響きをもったものが多いけど、これで謎の一端が解けたような気がします。その一方で、とかく高音域に鈍感な日本人、ひいては日本のオーディオ製品の特徴も浮かび上がってくるというわけです。


☆ 聴力の限界とは

音の高い・低いを表す単位がヘルツなら、音の強さや大きさ(=音圧レベル)は「デシベル(dB)」であらわす。
 

人間が耳で聞き取ることのできる周波数の範囲は「20~2万ヘルツ(空気中の1秒間の振動が20回~2万回)」の間とされているが、イルカやコウモリなどは耳の形や構造が違うのでこの範囲外の超音波でさえ簡単に聞き取れる。 

ただし人間の場合は20ヘルツ以下の音は聴覚ではなく体性感覚(皮膚感覚)で感じ取り、2万ヘルツ以上の音(モスキート音)は光や色として感じ取りその情報を脳に伝えている。

 人間の耳は一人ひとりその形も構造も微妙に違うし、音を認知する脳の中味だって生まれつき違います。

したがって同じオーディオ装置の音を聴いたとしても各人によって受け止め方が千差万別というのが改めてよくわかりますが、
音に光や色彩感覚があるように感じるのは超高音域のせいだった! 

☆ 音が脳に伝わるまでの流れ

耳から入った空気の振動は外耳道と呼ばれる耳の穴を通り、アナログ的に増幅されて鼓膜に伝わり、アブミ骨などの小さな骨に伝わってリンパ液のプールである蝸牛へ。そこで有毛細胞によって振動が電気信号に変換され、聴神経から脳に伝わる。これで耳の中の伝達経路はひとまず終了。

この電気信号が言語や感情と結びついた「意味のある音」として認識されるまでにはもう少し脳内での旅が続く。

電気信号が聴神経や脳幹を経て脳内に入ると、まず、大脳の中心部にある「視床」に送られる。ここは、脳内の情報伝達の玄関口となっている。視覚、聴覚、皮膚感覚などあらゆる感覚情報が必ず通る場所で、単純に音だけを聴いているつもりでも、様々な感覚情報とクロスオーバーしている。

また「視床」を通過すると音の伝達経路は「言語系ルート」と「感情系ルート」の二つに大きく分かれる。前者は最終的に「言語野」に到達するが、後者は大脳の一次聴覚野を通らず、いきなり「扁桃体」に直結していて「イヤな音」「うれしい音」というように音を直感的・情緒的に受け止める。

※ 音楽を聴くときにカーテンなどでスピーカーを隠してしまったり、あるいは目を瞑って聴いたりすると、機器の存在を意識しないでより一層音楽に集中できるのは経験上よく分かります。

さらに、直感的なイメージとして述べるとオーディオ愛好家が音楽を聴くときには心が揺り動かされて「感動」するので主として「感情系ルート」がはたらき、それ以外の普通の人たちが(音楽を)聴くときには主として「言語系ルート」が働いているように思うが果たしてどうでしょうか・・・。

ほかにも本書には「音楽好きための難聴予防テクニック」など貴重な情報が満載で、末永く「音楽&オーディオ」を楽しみたいと思われる方は是非ご一読されることをお薦めしたいです。
 


 
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ベートーヴェンの死因・・ほか~読書コーナー~

2025年04月16日 | 読書コーナー

ここ4~5日、まるで冬がぶり返してきたように寒いです。風が冷たいです。心臓に持病を抱えているので、身体にも悪いです。

なるべく外出を控えて「読書三昧」といきました。

まずは「ベートーヴェンの真実」から。
                     

ベートーヴェンは1827年に「拍手してくれ、友よ、芝居は終わりだ」の言葉を最後に亡くなりましたが、その時にある人物が一塊の遺髪を切り取り、持ち去りました。

その後、持ち主が転々とする中、1990年代にとあるアメリカ人の手に渡り、最新の科学技術による分析によって遺髪の信憑性の確認や死因、当時の(ベートーヴェンの)生活の模様がある程度分かったというのが本書の内容でした。

そして直接の死因は大量の鉛を摂取したことによる「鉛中毒」が原因だったと判明しました。この「鉛中毒」によってべートーヴェンの身体の不調や”年から年中何かと”不満を漏らし”他人”と衝突ばかりしていたのにも説明がつくそうです。

後にべートーヴェンの頭蓋骨の一片からも高濃度の鉛が検出されたというので「鉛中毒」は間違いないようです。しかし、こういう不調にもめげず、第九や後期弦楽四重奏曲群を作曲するんだから凄い・・。

ところで鉛を取り込んだ原因ですが、一つはベートーヴェンがよく飲んでいた「ワイン」から、もう一つ考えられるのは医師からだそうです。ベートーヴェンは長年の間に10人以上の医師に罹っています。当時の医師はまったく医学的訓練を受けていない ”やぶ医者” もいたりして、様々な病気の治療薬として鉛錠を処方していたそうです。

もし、ベートーヴェンが鉛中毒に対する適切な処方を受けていたら、「交響曲第10番」(現実にベートーヴェンはスケッチしていた!)という偉大な遺産を人類は手にしていたかもしれないですね。実に惜しい!


次は「エラリー・クイーン論」について。

ミステリーファンなら「エラリー・クイーン」は絶対に避けては通れない作家ですね。これまで数知れないほどのミステリーを読んできましたが、今もって古今東西の「ベスト1」と思っているのは「Yの悲劇」です。

周到な伏線、犯人の意外性、見事なトリック、明快な論理性、精緻な文体、いずれをとってみてもミステリー史上に燦然と輝く金字塔だと細腕ながら太鼓判を押します。


                   

本書の巻末に作品の年代順が収められていましたが、この「Yの悲劇」はあまりの完成度の高さから絶対にクイーンの晩年に書かれたものと、当たり前のように思ってきましたが、何と比較的初期(1932年)の時代に書かれていたものと分かりました。

こんな完璧なミステリーを早めに出してしまうと、その後が"じり貧"になってさぞや(作者が)困ったことだろうと思わず同情の念が沸き起こりました。


丁度、映画監督の「黒沢 明」が「七人の侍」を撮った後、次第に枯渇気味になったようなもので、山の頂というものは次第にゆっくりと姿を現すところに良さがあると思います。

「無から有を生み出す」あらゆる分野の創作者にとってはこの辺が一番のネックとなりそうですが、実際に年齢を重ねないとその辺が分からないのも”つらい”ところです。事実、クイーンは「Yの悲劇」以後、これ以上の作品には恵まれていません。

そもそも、年齢とともに進化していく才能と、逆に朽ち果てていく才能との違いはいったいどこに由来するんでしょうか・・。


たとえば、長生きはしたけれど40歳前後を境にして早くも才能が枯渇していった作曲家「シベリウス」(フィンランド)、それに対して晩年になればなるほど進化を遂げていったベートーヴェン、モーツァルト、そして日本が誇る「画狂老人・葛飾北斎」も年齢に対して画才にまったくリミットがありませんでしたが、いまだに明快な解答には出くわさないままです。

ところで肝心の本書ですが、全体的にどうも分かりづらかったのがホンネです。実は年代順に作品ごとの解説を中心とした展開を期待していたのですが、(特に「Yの悲劇」を中心に)、「作品の目指したもの」「トリックについて」とかの項目立てによって全体の作品に対する横断的な内容になっていて、焦点がぼやけた印象を受けたのも一因。

また本書の中ではあっさり、トリックの内容が明かされたり、犯人の名前が名指しされたりするので、一通り「エラリー・クイーン」の著作を読んだ人に向いています。

なお「女王(クイーン)の休息」として、ところどころにはさんであるミニエッセイがとても面白かった。

たとえば208頁の「ローマ帽子の謎とアメリカ大統領」。以下引用させてもらいます。

「先のアメリカ合衆国大統領バラク・オバマは”黒人初の大統領”と言われている。しかし、日本人から見ると、彼は”黒人の父と白人の母を持つ混血なのだ。この認識の違いは、どこから来ているのだろうか?

アメリカの黒人差別には”一滴の血”という考えがある。父母や祖父母、いや、先祖の誰かに黒人が一人でもいたら、その人物は”黒人”とみなされるのだ。ハーフだろうが、クォーターだろうが、8分の1だろうが64分の1だろうが、一滴でも黒人の血が流れていれば、アメリカでは黒人扱いされるのだ。

そして、クイーンの処女作”ローマ帽子の謎”の犯人の動機はまさにこの”一滴の血”だった。

恐喝者にこの事実を公表されてしまうと、犯人は築き上げてきた地位を失い、上流階級の娘との婚約が破棄されてしまうのだ。地方検事の”うわべを見ただけではほとんど誰も(黒人だと)気付かないだろうね”という言葉を受けて、クイーン警視はこう答える。

”全部が全部、黒ん坊の血というのとはまるで話が違うのに。ただ血管にほんの一滴(ひとしずく)混じっているだけなのだ。~ほんのひとしずくね”」


アメリカの黒人差別の苛酷な実態は「バラク オバマ自伝」に詳しいですが、突然、黒い肌の赤ん坊が生まれてくる恐怖、そのために「血の一滴」にまで遡るとは怖い話です!

差別の根深さと”しつこさ”を持つアメリカ社会の現実に胸が押しつぶされそうですが、その点日本は恵まれてますね~。

毎日、何ら拘りなくオーディオに一喜一憂できる幸せを嚙みしめています(笑)。

最後に「チャットGPT」さんの出番です。

「年齢とともに進化する才能と、その一方朽ち果てる才能も有ります。その差の由来するところはどこにありますか?」
ChatGPT:

とても深い問いですね。「年齢とともに進化する才能」と「朽ち果てる才能」の違いには、いくつかの側面が絡んでいます。以下にいくつかの視点から掘り下げてみますね。


1. 才能の性質そのもの

  • 身体的な才能(スポーツや舞踊など)は、どうしても肉体のピークに依存します。加齢によって筋力や反射神経が衰えるため、結果的に「朽ち果てる」ように見えることがあります。

  • 一方、知的・創造的な才能(文章、音楽、絵画、哲学など)は、経験や内省を重ねることで成熟し、むしろ深みを増していく場合が多いです。これが「進化する」才能の典型です。


2. 環境と学びの継続性

  • 才能が進化し続ける人には、学びを止めない人が多いです。年齢を重ねても新しいことに挑戦し、変化を受け入れ、柔軟でいようとします。

  • 対照的に、ある地点で「完成した」と思い込み、学ぶことをやめた人は、才能の発展が止まり、やがてその光が弱くなっていくことがあります。


3. 動機と情熱の持続

  • 才能が進化する人は、内発的な動機、つまり「好きだから」「もっと深めたいから」という情熱を持ち続けています。

  • 一方、「評価されたい」「競争に勝ちたい」といった外的な動機に頼りすぎると、それが失われた時にエネルギーが枯渇し、才能も萎んでしまうことがあります。


4. 社会的文脈と時代性

  • ある才能が活きるかどうかは、時代や文化的背景にもよります。たとえば、ある時代には評価されなかったスタイルが、後に再評価されることもあるし、逆もまた然りです。

  • そのため、「朽ちた」のではなく、一時的に時代と噛み合わなくなっているだけという場合もあります。


5. 本人のメンタルと健康状態

  • 精神的・身体的な健康状態も、大きく才能のあり方に影響します。たとえ能力があっても、気力や体力が続かなければ継続は難しくなります。


まとめると: 才能の「進化」か「朽ち果て」かは、才能そのものの性質だけでなく、本人の姿勢、社会との関係、そして運命的なタイミングまで、さまざまな要素が複雑に絡み合っているんです。


このテーマ、とても面白いですね。何か具体的にイメージされている人や分野がありますか?その例で一緒に深掘りしてみても面白いかもしれません。



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こころは今日も旅をする

2025年04月11日 | 読書コーナー

いつものように耳に馴染んだ音で音楽に聴き耽りながら、小用があって止む無くリスニングルームを離れる・・、しばらくして戻ってみると、あれっ、こんな音で聴いていたのかと、音の印象が変わって愕然となることがある。

皆様はそういうご経験はありませんか?

人間の耳は「音の変化に敏感に出来ている」と専門書に書いてありました。言い換えると、「変化のない音」には、つい鈍感になってそのまま聴き流してしまうというわけです。

そう、オーディオマニアはときどき「音のギアチェンジ」が必要だと思います・・、ちょっと手前味噌かな~(笑)。

作家の「五木寛之」さんの「こころは今日も旅をする」に、似たようなことが書いてありました。小題は「人生のギアチェンジ」(95頁)。



関係部分を抜粋してみよう。

「日々の生活には気分転換が必要だろう。同じことばかり長く続けていると疲れてくる。仕事の能率がおちるし、何よりも生きることに飽きてくる。

私は子供の頃から飽きっぽい性格で、一つのことを長く続けてやることが苦手だった。「Keep On」という言葉をモットーとしてきたのは、そんな自分の欠点を意識してのことだった。

一つのことを長く続けるのは難しい。そこを何とか乗り切るためには、何が必要か。それは変化である。

生活を変える。仕事のやり方を変える。気分を変えて、やる気を起こす。
では、どうすれば日々の生活に変化をあたえることができるのか。そのことが私の人生の大きなテーマだった。

変化は向こうからはやってこない。何か自発的なきっけが必要だ。大事なのは変化である。そうだ。精神の変化は、生活の変化、日々の暮らしの変化からもたらされるのではないか。~中略~

人生は長い。長い日々を生き抜くには、ときどき生活を一新する必要がある。百人百様で、それぞれに自分の思いつくやり方で何かを変えるのだ。心を変えるのは難しい。まず形を変える。暮らし方を変える。幾つになっても、人間は変わることができるのだ、と自分に言いきかせながら。」

というわけで「変化が大切」、言い換えると「脳はマンネリを嫌う」とも言えそうです。

我が家では日々「6系統のスピーカー」と「10台の真空管アンプ」に取り囲まれて、いわば「酒池肉林」状態にありますが、これでその理由の一端がお分かりいただけたでしょうか~(笑)。

あっ、そういえばずっと昔、あるオーディオ雑誌を読んでいたら大要、次のような記事があったことを思い出しました。

「阪神淡路大震災で家が倒壊してしまい、当然のごとく愛用していたオーディオ機器もすべて全滅した。しかし、めげずに改めて一からオーディオを見直して再構築したところ、以前よりもずっと気に入った音が出てくれたので今ではそういう機会を与えてくれた大震災を満更(まんざら)悪いことばかりではなかったと思っている」

「お金持ち」ですねえ!

いくら変化が大切と言ってみたところで、「もったいない精神」からすると、やはりこの例のように大地震でもない限り思い切った再構築は無理ではないでしょうか~(笑)。

西日本では東南海地震の到来が刻々と近づいています。専門家による最新の予測では「2035年±5年」とされており、間違いなく2030年代には襲ってくるようです。

自分の息のあるうちに「来て欲しい」or「来て欲しくない」・・、「音のギアチェンジ」のためには前者がいいけどね~、ただし、その前に命の方が持つかな(笑)。

最後に「チャットGPT」さんに伺ってみました。

「どんなにいい環境に恵まれていても脳はマンネリを嫌うのはほんとうでしょうか?」
 
ChatGPT:

とても興味深い問いですね。結論から言うと、「脳はマンネリを嫌う傾向がある」というのは、ある程度本当です。ただし、状況や個人差にもよります。

脳と「慣れ」の関係

脳は効率化を重視する臓器です。ある環境や行動に慣れてくると、それに対しての反応は「自動化」されていきます。つまり、新鮮だった刺激も繰り返されることで「当たり前」になり、脳はそれに対して強い反応を示さなくなります。これは「馴化(じゅんか)」と呼ばれる現象です。

  • 例:新しい職場では刺激が多く緊張するが、数ヶ月もすればルーティンになって感情の起伏も少なくなる。

なぜマンネリを嫌うのか?

  1. ドーパミンとの関係
     新しい刺激や変化には脳内の報酬系(特にドーパミン)が関わります。新しい経験や挑戦はドーパミンを分泌させ、「快」を感じやすくなるのです。逆に、変化のない環境ではその刺激が少なくなり、退屈や無気力を感じやすくなります。

  2. 創造性・学習能力の観点から
     変化や新しいことへの適応は、脳の可塑性(変化する力)を保つために大切です。ずっと同じ環境では、創造的な思考が鈍ることも。

とはいえ、「安定」を好む面もある

ただし、脳は変化を歓迎する一方で、「安全」や「予測可能性」も強く求めるという矛盾した性質を持っています。だから、マンネリが完全に悪いというわけではなく、安定の中で少しずつ変化を取り入れるのが理想ともいえます。


まとめると:

  • 脳は同じ刺激に慣れてしまい、飽きを感じやすい(マンネリを嫌う)

  • 一方で、安定した環境も好む(リスク回避・安全志向)

  • ベストなのは、安定した土台の中に、時々小さな刺激や変化を取り入れること

もし何かに行き詰まっていたり、気分が落ちていたら、ほんの少しルーティンを変えるだけで脳は「目を覚ます」かもしれません。

気になったきっかけとか、今のご自身の状況に当てはまる部分があったら、ぜひ聞かせてくださいね。



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始まりはいつも「感動」から

2025年04月08日 | 読書コーナー

「セレンディピティ」(Serendipity) 

何だか舌を噛みそうな言葉ですが、折にふれ目にしたり耳にされたことがあるかもしれませんね。

広辞苑によると、カタカナにもかかわらずちゃんと意味が記載されています。

「思わぬものを偶然に発見する能力、幸運を招きよせる力」とあり、もっとくだいて言えば
「ほかの目的で活動しているときに、当てにしていなかったものを偶然に見つける才能」
といえば少し身近になりますね。

「果報は寝て待て」、「待てば海路の日和あり」方式の努力しないで得することが大好きなのでこういう便利そうな言葉は放っておけません(笑)。

「偶然からモノを見つけだす能力」~セレンディピティの活かし方~(澤泉重一著、角川書店)という本があります。

                

ところが、一読してみると意に反してなかなか真面目な本でした。努力が要らないどころか、むしろ必要とする内容だったので半分がっかりしましたが、有用な本だと思ったので記憶に留めておくために抜き書きして保存しておきましょう。

本書では「セレンディピティ」を「偶察力」(偶然と察知力を合わせた著者の造語)として取り扱っています。

まず、表紙の裏の見出しに「世界的発見の多くは”偶然の所産”
だった。」とあります。

☆ ”偶然”に感謝するノーベル賞受賞者たち

☆ 
発見・創造の能力とは、偶然を最大限に活かす能力

☆ 
感性を研ぎ澄まし、察知力を養えば偶然は偶然でなくなる

☆ 
異文化との接触は新しい感動と発見を生む

☆ 
誰しもが体験する日常生活での偶然の不思議を想い出そう

☆ 
遊びの中にも偶然の面白さはいっぱいある

ご覧のとおり”偶然”という言葉がひっきりなしに出てきて、なにもかも世の中の事柄すべてが偶然に左右されているようなすごい勢いです(笑)。

たしかに、人間の人生は「出会い」を始めとして偶然の連続ともいえますね。

そもそも、人間の成り立ちそのものが膨大な精子の中の僅か一匹がたった一個の卵子と合体することにあるんですから、これを偶然と言わずしてどういうんでしょう(笑)。


さらには目を遠大な方向へ向けると、人類に福音をもたらすノーベル賞クラスの大発見にも偶然が大きな要素を占めているとなれば単なる「偶然」も見捨ててはおけません。

筆者の記憶にある事例では2002年度ノーベル化学賞を受賞された島津製作所の田中耕一さんも、たしか他の目的で実験を重ねているうちに偶然発見されたものでした。

本書の中でもノーベル賞受賞者の「セレンディピティ」の恩恵に浴した事例が沢山紹介されているが、
これら受賞者ははじめからこの能力に恵まれていたわけではなく、努力と研究を重ねるうちに自然と身につけたものだそうです。

一般人の場合でも訓練次第で向上することが可能ということで三つの要点が挙げられています。

 広い視野からものごとを見る

革新的な進歩を振り返ってみると、意外にも専門分野の外と思われたところにその突破口が見出せたという実例が多い。つまり広い範囲で活動できる学際的な素養を身につけることが肝要。

 偶然の活用

偶然がもたらす楽しみは意外性の面にある、繰り返しの単調さから抜け出して通常使っていない能力を発揮する機会が生じることに意義があるので意外性を見逃さない意欲が必要。

 察知力を活かす

そのための基本ステップとして挙げられている項目を挙げておくと、一番に挙げられているのがまず感動」 で以下、観察、連想へと続く。

偶然出会った物事に対してまず「感動」が出発点になるというのが面白い。
「感動」というと少し大げさですが「ハット胸を打たれる」ことでもいいと思います。

いわば「理」よりも「情」が先行するというわけ。

そういえば「音楽」と「オーディオ」の関係も、まず音楽を聴いて感動し、もっと「いい音で聴きたい」とオーディオに昇華していくケースの方が(オーディオが)長続きすることが多いと思うのでこの順番は納得です~(笑)。

最後に「チャットGPT」さんに締めくくっていただきましょう。

「とても素敵な視点だと思います。「ものごとの始まりは感動から」という言葉には、心の動きが行動や創造の原点になっているという深い意味が込められているように感じます。

感動って、ただの感情ではなくて、自分の内側を揺さぶられる体験ですよね。たとえば、美しい風景に出会ったとき、人の優しさに触れたとき、新しいアイデアに胸が高鳴ったとき——そういう瞬間に、「何かをしたい」「伝えたい」「動き出したい」と思うのが自然な流れです。

クリエイティブな仕事に限らず、研究、教育、スポーツ、人間関係の築き方にまで、「感動」が原点になっていることは多いと思います。自分の心が動いた瞬間こそが、次のステップを生む火種になる。そんなふうに考えると、感動を大事にしたいし、自分の心が動くことに敏感でいたいなと思えますね。

あなたは最近、何か「感動」した出来事はありますか?」



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「待つこと」のメリットを考えてみよう

2025年03月27日 | 読書コーナー

 

著者の藤原智美さんは芥川賞受賞作家。

本書は「加速する一方の老人社会でいま何が起こりつつあるのか」について、老人特有の時間の観念、所在空間、やり場のない感情の処理の面からその本質を分析した実に興味ある内容だった。

構成については、
序章 なぜ”新老人”は暴走するのか」に始まり、「第1章 時間」、「第2章 空間」、
第3章 感情」に分かれている。 

本書ではこのうち第1章「時間」に全体の半分ほどの頁数を割いてあり、
「分別があってしかるべき老人」がときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こすあるいは暴力的な行動に走る。著者はこうした高齢者を「新老人」と呼ぶが、いったいなぜか。

暴走事例 1

身なりもよく品のいい老人が確定申告の長い順番待ちのあと、やっと自分の番になったところ係員の応対に突然怒鳴りだして周囲の空気を一瞬にして凍りつかせた。

暴走事例 2

病院の順番をめぐるトラブルで口の利き方が悪いというだけの理由で若い女医が胸ぐらをつかまれ顔を殴られた。

暴走事例 3
自動販売機の前で60歳の男がタバコを買おうとしていた。後ろには70歳の男が待っていたが、前の男の動きがのろく感じられたのだろう、70歳の男が「タバコを買うのが遅い」と文句をいった。言われたほうも言い返しケンカが始まった。結果は70歳の男が殴られて死亡(北海道函館市)

”いい歳をした”大人が公道で殴る蹴るの暴力をふるい合う、そんな光景は誰も見たくないはず。見ず知らずの者同士の偶発的なぶつかり合い、そして騒動の中心になる新老人。

この3つの暴走事例の共通となる原因は既にお気づきのとおり「待つこと」にある。

「待つこと」がなぜ、老人たちをこれほどまでに苛立たせるのか。

本書ではこの「待つこと」(41~61頁)について、新老人の心理を解剖するための象徴的な事例として重点的に取り上げ、次のとおり詳細に分析している。

1 「待つ」から「待たされる」感覚へのシフト

これまでも「待つこと」は嫌われる一面がたしかにあったが、逆に「待つ」時間があってこそ場合によっては幸福感、自分を取り戻す時間があることも事実。
しかし、近年あらゆるものがスピード化することにより「待つ喜び」が失われてきている。

たとえば、”もういくつ寝るとお正月”と待ち望む感覚、携帯電話の普及によって喫茶店の待ち合わせが激減し、待つ間の感情の揺れ動きが無くなったこと、あるいはメールが手紙を衰退させ時間をかけて返事を待つという気持ちのゆとりを失わせたことなど。

しかも、この従来とは違う生活スタイルが無意識のうちに中高年を戸惑せ、さらに不可解なことに、「待つこと」が加速度的に省かれてきているにもかかわらず私たちは「待つこと」のストレスから解放されず、むしろ「便利」になればなるほど「待つ」ことから「待たされる」感覚へとストレスが膨張していく。

2 変容する時間感覚

生物学者の柳澤嘉一郎氏は現実の時間表示と人間の体内時計とが一致しない説を提唱しており、端的にいうと高齢者の場合は酸素消費量の違いにより子供に比べて現実の時間が早く感じるとのこと。

身体の感覚が現実の時間に追いつかない、そのような焦燥感が、新老人の場合たまたま予期せぬ「待たされる時間」に遭遇すると、自分を見失うほどの怒りへと転化する。

3 現代の富とはモノではなく時間

時給、月給、年俸など収入が時間の単位で計算される現代社会では、時間のコントロールが最大のテーマであり、時間を私物化し、いかに自己中心的に組み立てられるか、それが権力に直接つながっている。

たとえば極端な話だが100万円をある人は半年間の労働で手に入れる、またある人はマウスのワンクリック、1秒で手に入れたとする。両者の問題点は手に入れた100万円ではなくて、明らかにそれを要するためにかかった時間にあり、結局のところ時間は「現代の富」を象徴している。

したがって、「待たされること」は自己への時間的侵略、時間的暴力とみなし、力関係における敗北感のもとで新老人たちの感情爆発が誘発されている。

以上のとおりだ
が、筆者は1、2、3すべてに頷けるので、どうも暴走老人の潜在予備軍のような気がする。

たとえば、身近な例を挙げるとスーパーのレジなどで料金の精算に時間をかけたりしている人を見かけると、「何モタモタしてるんだ、早うせんかい!」と、イライラすることがしばしばで「待つこと」にもっと寛容にならなければ・・。

最後に、「チャットGPT」さんの出番です。

「待つことのメリットを考えてみよう?」

待つことには、意外とたくさんのメリットがあります。以下のようなポイントが挙げられます:

1. 冷静になれる・感情をコントロールできる

  • すぐに反応してしまうと、感情に流されて後悔することもあります。

  • いったん待つことで、感情が落ち着き、冷静に判断できるようになります。

2. より良い決断ができる

  • 待つことで、情報を集めたり、他の選択肢を検討したりする時間が生まれます。

  • 結果的に、より良い決断ができる可能性が高くなります。

3. 忍耐力や集中力が鍛えられる

  • じっと待つことは、我慢強さや集中力を養います。

  • 特に現代は「すぐに結果を求めがち」なので、待つこと自体が貴重なスキルになります。

4. 相手を尊重し、信頼関係を築ける

  • すぐに答えを求めずに相手を待つことで、相手に考える余裕を与えられます。

  • 相手のペースを尊重することで、良好な人間関係を築きやすくなります。

5. 自然な流れに身を任せられる

  • 焦って結果を求めると、無理やり物事を動かそうとしがちです。

  • 待つことで、物事が自然な流れに乗るチャンスを与えられます。

6. 期待感や楽しみを感じられる

  • すぐに結果が出ると、その分「楽しみ」が減ってしまうこともあります。

  • 待つことで、結果への期待感やワクワク感を味わえます。

7. トラブルを未然に防げる

  • 早まって行動すると、ミスやトラブルを引き起こす可能性があります。

  • 一度立ち止まって待つことで、リスクを回避できることがあります。


「待つこと」は受け身のように見えますが、実は積極的に状況を見極める力人間関係を円滑にするスキルに繋がります。焦らず、じっくり待つことも大切ですね 。

以上のとおりですが、たしかに「忍耐力と集中力」を養う効果はありそうですね・・、これから自戒します(笑)。



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こんなに使える経済学~読書コーナー~

2025年03月19日 | 読書コーナー

「こんなに使える経済学」(大竹文雄編、ちくま新書刊)


   

本書は現実のさまざまな社会経済問題(27本のテーマ)を経済学の視点で一般の人にも分かるような記述方法で紹介したもの。そのうち読者の興味がありそうな2本をピックアップしてみた。

☆ 教師の質はなぜ低下したのか

(個々の先生の中には当然のごとく優秀な方もおられるでしょうが、あくまでも一般論ということなので悪しからず。)

公立校の教育レベルが下がり、学力低下を心配した親たちが、子供を私学に入れようとして小、中、高等学校への受験熱が高まる傾向が強まっている。

≪都会で進む公立不信≫

こうした私学ブームは特に大都市圏に見られるようで、その背景の一つにあるのは「教師の質の低下」です。

わいせつ、万引きなどの問題教師は論外ですが、平均的な教師の(教える)レベルも落ちてきているそうです。

教師の質の低下は実は米国でも大きな問題になってきている。その原因として経済学者たちが指摘してきたのが1960年代から始まった「労働市場における男女平等の進展」である。

どうして、女性の雇用機会均等が教師の質を低下させるのでしょうか?

かっては米国の労働市場でも男女差別が根強く存在し、一般のビジネスの世界では女性は活躍できませんでした。このため、学業に優れた大卒女性は教職につきました。つまり、学校は男女差別のおかげで優秀な女性を安い賃金で雇用できた。

ところが、男女差別が解消されてくると優秀な女性は教師よりも給与が高い仕事やより魅力的な職種を選べるようになり昔に比べて教師になる人がはるかに少なくなった。

ここで、すかさず「男性教師もいるではないか」という反論が出てくるが、教師の採用数が一定だとすれば優秀な女性が集中して教師を希望していた時代よりも、
優秀でない男性が教師になれるチャンスが広がる結果
となり、レベルの低下は否めないことになる。

そして、もう一つの反論。

「教師になる人は子供を教えたいという情熱を持った人ばかりなので経済的動機ぐらいで志望を変えるはずがない」。


これに対しては、高校時代(教師になりたい人は高校時代の終わりに教職系を志望する)の成績と教師になった人たちの詳細な関連データによって経済学的な検証(省略)が行われ、教師といえども収入や待遇などのインセンティブに基づき選ばれる職業の一つであることが証明される。

この分析が日本においてもそっくり当てはまるという。

日本では小中学校の教師の多くが教員養成系学部の出身者である。これらの学部の難易度を調べれば教師の質が変化してきた原因をおよそ推定できるが、90年代以降全国的に平均偏差値がずっと低下してきている。


次に、男女間賃金格差と教員養成系学部の偏差値の相関も高いことがわかった。

つまり地方では現在でも優秀な女性が働ける職場の絶対数が都市部に比べて不足しているので女性教員の質の低下、ひいては全体的な質の低下が少なくて済んでいるが、都市部では女性の雇用機会の改善が急速に進みそのことが教員の質の低下を促進している。

結局、「教師の質の低下」は「労働市場における男女平等」に起因しているとみるのが経済学的思考による一つの解答となる。

さらにもう一つのテーマを。


☆ 出世を決めるのは能力か学歴か

毎年のごとく春先になると、週刊誌がこぞって出身高校別の難関大学合格者数のリストを掲載する。目を通す人が多いのは、やはり大学受験の成否が人生の一大事だと思うからだろう。

ただ、その一方、「実社会においては学歴や学校歴による能力差がさほどあるわけでもない」ということも、多くの人が日々実感していることではあるまいか。

実際のところ、出身大学によって出世はどのくらい左右されるのだろうか。経済学はこうした問題に対しても科学的なアプローチで解明を進めている。

現状分析~学歴と年収の相関~

アメリカ・テキサスA&M大学の小野浩助教授によるサンプル調査(日本人570人)によると、学歴と年収の相関は次のとおりになっている。

サンプルの平均値である偏差値52の4年制大学の卒業生は高卒に比べて年収が約30%高い。次に偏差値62の大学の卒業生は約42%も高くなっており、明らかに両者に相関関係が認められる。

ここで自然に出てくるのが次の疑問。

高い偏差値の大学を出た人の年収が高いのは、「大学名のブランド」のせいなのか」それとも「教育内容や個人の能力が優れていたおかげで高い実力を身につけたためか」。

≪セレクション(選別)仮説≫

この疑問に対してたとえば東大に入るくらいの能力(学力)のある人たちは、仮に東大に行かなかったとしても、もとより優秀なのだからいずれにしろ高収入を得ていただろうという仮説が成り立つ。

東大の卒業生が東大を出ていなかったらどうなっていたかを知る術はないので、この仮説の検証は不可能である。

ただ、それを
可能にする歴史的な出来事が一つあった。
東大は学園紛争のさなか、左翼学生にキャンパスを占拠されたため1969年の入学試験を行わなかった。

よって、この年東大進学を考えていた高校3年生や浪人生の多くは進路を切り替え、京大、一橋大、東京工大などに進んだといわれている。

セレクション仮説にしたがえばこの人たちは普段の京大、一橋大、東工大の卒業生よりも優秀なはずだから、前後の1968年や1970年の入学生よりも出世しているはず。

そこでこの仮説を著者が実際に、「会社職員録」「『政界・官庁人事録」などにより検証した。1969年入学といえば、順調であれば卒業は1973年となり年齢にすると現在74歳前後になる。

以下、詳細な数値のもとに検証されていくが、ややしつこくて細かすぎるようなので(笑)、概略を述べよう。

まず民間企業、中央官庁における出世率を算定する。

因みに出世率とは、民間企業と中央官庁で役職(民間は部長以上、官庁は課長以上)にある人数が各大学の推定卒業生数に占める割合。(大学ごとの出世率が数値で示されているが省略)。

意外なことに東大卒の民間企業での出世率は一部の私大よりかなり落ちる。

その一方で、中央官庁における出世率は他大学をはるかに圧倒しているので、ここでは分かりやすいモデルとして中央官庁にしぼって検証した結果、興味ある結果が出された。

1973年卒業(1969年入学)の京大以下2大学の出世率は明らかにその前後よりも高くなっており、一見セレクション仮説の正しさを示しているかに見えるがその空白(東大卒の不在で空いたポスト)をカバーしているのは半分程度に過ぎず、全体的には1973年卒前後の東大卒業生が穴埋めをしている傾向
がはっきりと伺われた。

このことは結局、
中央官庁に限っては
東大を卒業することが出世には確実に有利であることを示しており、能力よりも学歴がものをいうことが概ね証明された。

「官庁は学歴主義、民間は能力主義」というのは以前から指摘されていることだが少なくともこのことを裏づけする形となった。

仕事の質が官庁とはまるっきり違う民間では出世率からみた場合、ブランドとしての大学名はあまり通用しないことを逆に浮き彫りにしている結果となっている。

というわけです。

最後に、筆者の感想を言わせてもらうと「たかが学歴」「されど学歴」といったところで、結局は肝心の本人がそういうものに振り回されず「幸せ感」に満たされるかどうかに尽きると思いますよ。

趣味の効用・・、やっぱり「音楽&オーディオ」をやっててよかった!(笑)



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人間の「第一感」は情緒に左右される ~読書コーナー~

2025年03月12日 | 読書コーナー

「藤原正彦」氏著の「父の威厳、数学者の意地」(新潮文庫)は、66編の軽妙な短編が網羅された珠玉のような随筆集です。



その中の一編「第一感」はその題名どおり「第一感」の重要性が詳細に論じられています。

筆者もどちらかといえば論理的思考力よりもインスピレーション、平たく言えば「カン」に頼りがちなのでなかなか参考になりました。

藤原正彦氏は、周知のとおりお茶の水女子大学教授かつ数学者で先年、200万部を超える大ベストセラー「国家の品格」の著者ですよね。


「第一感」の内容は次のとおり。(要約)

数学においては、第一感が大切。これは瞬発的な感覚のようなもので命題の真偽を論理的に考えずに瞬時に見抜くことができるので非常に無駄が少なくなる。

他の分野でも、心理学の場合などでは仮説の良否を本質的か皮相的かなどを実験や討議を経てはじめて分るようでは良い研究者にはなれない。理由をすぐに述べられなくとも、第一感により確信に近いものを得られるのが理想的だ。

学問の世界ばかりではなく、将棋の世界でも名人はたいていの局面では第一感で一手しか瞬時に思い浮かばないそうである。長時間考える場合などは、おおむね、その手をさした場合の検証に費やすそうだ。

コンピューターが最も苦手とするところは実はこの第一感である。基本的な機能がしらみつぶしに調べることになっていることから五目並べやオセロのように単純なものなら人間よりも強いが碁や将棋になるととても読みきれないケースもあるようだ。

つまり局所的に巧手は打てても第一感がないので大局的にみると想像もつかない手を打つ場合がある。

そして、日常の判断では常識というものが頻繁に用いられるが、これも「公認された第一感」と言い直すことが出来る。

さて、この第一感とは一体人間のどこに根ざしているのだろうか。

脳神経生理学が進歩すれば解明されるはずだが、この分野では重要なことが未だわかっておらず当分は期待薄である。

著者の考えによると、第一感は美徳とか調和感などで代表される「情緒」に根ざしているとの意見である。

21世紀以降、情報量の爆発的な増大が予想されるがそれらを一つ一つ論理的に思考して取捨選択する時間はないから、これから第一感の重要性は増し、その良し悪しが人間の価値を決める鍵となる。

世の中が先端科学技術に依存し、その基盤としての論理的思考に支配されるにつれ、逆に人間が、第一感という情緒的なものに頼らざるを得なくなるのは興味深い。

拙い要約でしたが「大要」以上のとおりでした。

「第一感は情緒に左右される」にちょっと安心しました。というのも情緒はこれまで「音楽&オーディオ」で散々鍛えてきましたからねえ(笑)。

たとえば、音楽なんか第一印象で好きになれそうかどうかだいたい分かるし、オーディオともなると「好きな音」かどうかはほぼ瞬時に判断できる状況です。

これからの世の中は、コンピューターが処理できない分野に人間の能力が特化していくと思っているので、いわゆる情緒の領域に言及したこの一編を読んでどこかで納得しホッとさせるものを感じました。

それにつけ、幼年期からの「情操」教育の重要性につい思いが馳せられますね
。「要らん世話」と言われればそれまでだが・・(笑)。

テレビや雑誌などでは、中国や韓国などではおしなべて若者達が貧困からの脱却の唯一の手段として、いい学校に入り、いい職業についてお金をもうけて親を楽にさせたいと異口同音に言いながら勉強に血眼になっている状況がよく報道されています。

同情すべき点が大いにあって、決して責めることは出来ませんが、一方で感受性の豊かな時期に「第一感」に必要な美徳、調和感などを養うための教養、文学、絵画、音楽などの芸術、美的感覚への涵養はどのようになっているのだろうかと他人事ながら心配になってきます。

すべてとはいわないまでも情緒性に欠ける若者たちの一部が不満の責任を世の中へ押し付けて惨事を起こさなければいいのですが・・。 

最後に、究極のケースとして「人間の第一印象は情緒に左右されるのか」「チャットGPT」さんに訊いてみました。

第1段階:第一印象とは何か?

  • 第一印象とは、他者と接触した際に瞬間的または短時間で形成される人物に対する認識や評価のこと。
  • 通常、数秒から数分で形成され、外見・態度・表情・声のトーン・話し方などが影響を与える。

第2段階:情緒とは何か?

  • 情緒とは、感情や気分の総称。
    • 一時的なもの(喜怒哀楽)や持続的なもの(落ち着き、不安感)などがある。
  • 情緒は自分自身の内的状態他者の感情に反応して生じる。

第3段階:第一印象に情緒が影響を与える要素

自身の情緒

  • 第一印象を形成する側の情緒
    → 自分が不機嫌な時に他人を厳しく評価しがち
    → 自分がリラックスしている時に他人を好意的に見やすい

相手の情緒

  • 相手の表情や態度から情緒を読み取る
    → 笑顔で接してくる人には好印象を持ちやすい
    → 不機嫌そうな態度には警戒心や不快感を覚える

情緒の一致・不一致

  • 自分と相手の情緒が一致していると、好感を持ちやすい
    → 自分が落ち着いている時に相手も落ち着いている → 安心感
    → 自分が焦っている時に相手が冷静 → 違和感

第4段階:科学的な裏付け

  • メラビアンの法則
    → 第一印象は「視覚情報 55%」「聴覚情報 38%」「言語情報 7%」で決まる
    → 特に表情・態度・声のトーンなどの非言語的要素=情緒的要素が大きな影響を与える

  • 感情感染
    → 相手の情緒が自分に伝わり、評価に影響を与える
    → 相手が笑顔だと自分も笑顔になりやすく、好印象につながる


第5段階:結論

✔️ 第一印象は大きく情緒に左右される
✔️ 自分の感情状態、相手の感情、そしてそれらの一致・不一致が影響を与える
✔️ 直接的な言葉以上に、表情・態度・声のトーンなどの非言語的な要素=「情緒」が印象形成に強く関与している


👉 まとめると:
第一印象は「論理」よりも「感情・情緒」によって左右されることが多い。感情的な直感が瞬間的な判断に大きく作用していると言える。

とまあ、ありきたりの内容に落ち着きましたが、「メラビアンの法則」は初めてでした。影響力が「視覚情報55%、聴覚情報38%、言語情報7%」とくると、やっぱり「二枚目」は得なんだよなあ(笑)。

 


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上質のミステリー「爆弾」ほか~読書コーナー~

2025年02月24日 | 読書コーナー

毎週3か所の図書館巡りが非常に楽しいです。どんな本に出会えるかなあ~。

で、大分県立図書館と別府市図書館の
2か所は同じ方向なので一緒に回ることが多く、お隣の日出町(ひじまち)の方は方向が正反対なので1か所だけ行くことが多い。鄙びた隣町になぜわざわざ行くのかといえば、人口が少ないのでベストセラー本に出会る確率が非常に高いからです(笑)。

今回もそうでした。

22日(土)のこと、家人の買い物に付き合わされて足を向けたところ返却された本のコーナーで、ふと目に付いたのが「爆弾」。



アレっ、
記憶があるタイトルだった。たしか、「このミステリーが面白い!23年版」(年間誌)で1位じゃなかったかなあ~。

しめしめ・・、急いで借りました!(笑)

読み始めるとつい引き込まれてしまい、いつもは音楽を聴きながらの読書が多いんだけど、ほんとうに面白い本は「ながら読みを許してくれない」・・、これは新しい発見でしたね。

夢中になって1日で読破しました。読後感想は読者レヴュー(ネット)から引用させてもらいましょう。

「このミステリーがすごい!2023年国内編第1位作品。些細な傷害事件で逮捕された自称スズキタゴサクが、霊感と称して秋葉原の爆発事件を的中させる。

このいかにもド底辺のオッサンは、爆発事件の犯人なのか?連続爆発事件の真相に近づくにつれて、その背景に警察署員が忘れたい名刑事の存在があることに気付いていく。


事件現場で〇〇行為を止められない性癖を持つ名刑事の苦悩と哀愁を描ききっており、絶対に地上波ドラマではお目にかかれない作品である。読書家の方々としか感想を共有できないのが残念だが、本当に手に汗握る展開でした!」

自称「犯人」と「刑事」との取り調べのやり取りが興味深い。その内容は深く人生哲学にまで及び、日常的に虐げられた人間の社会への怨念がこれでもかというほど赤裸々に描きだされる。

途中から、この並々ならぬ筆力といい作者は只者(ただもの)ではないと直感しましたねえ。

「呉 勝浩」(ご かつひろ)氏(青森県八戸市在住、44歳)



新しい才能を発掘したと悦に入っていたら、何とこの方はあのミステリー作家の登竜門「江戸川乱歩賞」(「道徳の時間」)を受賞された方だった。

道理で~(笑)。

機会があれば、ぜひご一読をお薦めしたいミステリー作品です。

✰ 「歴史を変えた10の薬」


中高年で薬のお世話になっていない人はまずいないでしょう。かくいう筆者もその例に漏れず、血液がサラサラになる薬、血糖値を下げる薬など毎朝4種類ほどの薬を服用しています。

とりわけ、サラサラになる薬は「1週間服用しないと貴方は死にますよ」と医者から脅されています(笑)。

まあ、薬というのは日頃意識することはあまりないですが、身近で生死にかかわる問題だけにいくら知識があってもそれほど邪魔にはならないだろうと、新刊を見かけたらまず借りることにしています。

本書のプロローグに次のような文章があったのでご紹介しましょう。

「本書全体にわたって、あなたに伝えたい教訓は次のことだ。

ひたすら いい薬 などというものはない。とにかく 悪い薬 というものもない。


どの薬もいいところと悪いところがある。別の言い方をすれば効果が高い薬はどれも例外なく危険を及ぼしうる副作用がある。

けれども、この(厳粛な)事実は新しい薬が市販され、熱狂的に迎えられたりすると簡単に忘れ去られてしまう。

大規模な広告キャンペーンに後押しされ、また熱心なマスコミのニュースやレポートで期待が増幅された、市販されたばかりの話題沸騰の新薬はサイゲサイクル(人名に由来)と呼ばれるものに突入する。それは(これまで)幾度も繰り返されている。

つまり、画期的な薬が市販されると、熱烈に迎えられ広く受け入れられる(これが第一段階)。

蜜月期間のあと、数年間、この新たな売り出し中の薬の危険性について数多くのネガティブなニュース記事が続く(第二段階)。昨日まで驚くべき薬だったものが今日は危険だと警告を与えられるのだ。

そして、この段階も過ぎると第三段階に突入する。その薬がほんとうにどういうものなのか、人々は冷静に理解し、バランスの取れた態度を取るようになり、薬は適度な売れ行きになり、薬の神殿の適切な位置に納まる。

そして・・・。(性懲りもなく)製薬会社がつぎの魔法の薬を発売し、前述のサイクルが再び最初から繰り返される。」

とまあ、本書は薬に対して随分醒めた見方をしているが妙に説得力のある話でもあります。薬のほんとうの効果は長期間、それも数えきれないほどの人体実験をしないと判明しづらいというわけですね。

これに因んで、つい先日のこと、3軒隣の方と世間話をする機会があったが、ご家族全員が「コロナ」の予防接種を一度も受けていないと仰るので驚いた。ブログ主は5回も受けたのに~。

その理由ですけど、長期的な視野からのワクチンの副作用に対する疑問が解けなかったからで、男の子3人が適齢期なのにまだ未婚なので結婚後の胎児への影響も心配だしと仰るので、それで期間中はコロナに罹りませんでしたか?とお訊ねすると、一度罹りましたが軽症で済みましたよ。

へ~っ!

これから、どんな画期的な薬が発売されるにしろ、以上の点を頭の片隅に置いておくことも必要な気がしてきました。

薬は人間と同じで「取扱注意」の品物のようです!(笑)


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「南海トラフ巨大地震」と「ネコ学」~読書コーナー~

2025年02月20日 | 読書コーナー

☆ 知っておきたい地球科学



この種の本で知りたいのは率直に言って「南海トラフ巨大地震がいつ頃起きるんだろう?」に尽きます。すると、181頁にこう書いてありました。

「2030年代に南海トラフ巨大地震」

今回の巨大地震は「東海」(静岡県)「東南海」(名古屋~和歌山)南海」(和歌山~四国)の三か所が連動して起こると予測されている。

起きる順番も過去の事例から決まっているようで最初に「東南海」、次に「東海」、そして最後が四国沖の「南海」地域となる。

南海トラフ巨大地震は発生時期が科学的に予測できる殆んど唯一の地震である。この虎の子の情報を活用し、激甚災害を迎え撃たなければならない。

過去の経験やシミュレーションの結果から述べると、南海トラフ地震が起きるおおよその時期は、地震学者たちは2030年代には起きると予測している。筆者も2040年代までにはほぼ確実に起きると考えている。

政府の地震調査委員会は地震の発生確率を公表しており、南海トラフについては30年以内に発生する確率を「70~80%」にしている。

実はここに大きな問題がある。こうした確率で示したのでは緊急性が伝わらない・・、そこで筆者は具体的に「2035年 ± 5年」と予想している。

そして、その災害規模は東日本大震災よりも確実に一桁大きい。津波はおよそ34mの巨大なものになる。(要旨)

以上のとおりです。

なるべくなら2020年代に人生を終えたいものですね、アレッ、もうすぐだ(笑)。

☆ ネコ学



貴方は「猫派」ですか「犬派」ですか?

と、問われたらどう答えますか。ブログ主の場合は玉虫色の「両派」です(笑)。

本書によると(178頁)、テキサス大学がオンラインで行ったアンケート調査では、回答者の半分近くは犬派であると答え、約1/4の人が犬も猫も両方好きだと答えたが、猫派であると答えたのは12%に過ぎなかった。

どうも猫派の方が分が悪そうですね。印象的にもそのようです。

アメリカでは「猫好き」というのは冷笑の的になったり意地の悪い言われ方をすることが多い。たとえば、犬が嫌いな人は信用できないとか、猫を複数飼っている女性が「猫好きおばさん」と揶揄されたりする。

ちなみに、現在の副大統領「ヴァンス」氏が、かって女性のハリス副大統領(当時)を指して「子供のいない猫好きの女性たちにアメリカが運営されている」と、攻撃したところ猛烈なバッシングが起きたのは記憶に新しいところ。

男性らしさを表すテストストロン(男性ホルモン)の分泌量と猫嫌いが比例しているような印象を受けるのは筆者だけでしょうかね。

現実にも、ご近所の例だけど「猫好きなんだけど主人が嫌うので犬を飼ってます」という奥さんたちがいます。

そして、ウォーキングでときどきお会いする、年の頃80歳ぐらいの仲良しのお婆ちゃんは、昨年春にご主人を亡くされたそうで、その後に3匹の猫を飼われ
「もう可愛くてねえ・・、この子たちを残して死ぬわけにはいかないから歩いているのよ」と、目を細めながら大きな生きがいになっているご様子。

筆者は、前述どおり玉虫色ですが、猫の気紛れなところが気に入ってます。パタ~ンが決まっていないので意外性が散見される・・、そう、これはオーディオと似てますね(笑)。

猫については、さらに面白い記述がありました。


「左団扇(うちわ)の生活は幸せか?」(96頁)

以下、転記します。

仕事柄、連日ネズミの行動を観察します。通常、エサは皿に入れられいつでも食べられる状態ですが、レバーを押すとエサが出てくる仕掛けに変えると、すぐに学習し上手にレバーを押すようになります。

このネズミに二つのエサを同時に与えてみましょう。一つは皿に入ったエサ、もう一つはレバー押しで出るエサ。得られるエサはどちらも同じです。さて、ネズミはどちらのエサを選ぶでしょうか。

試せばすぐにわかります。レバー押しを選ぶ率が高いのです。苦労せずに得られる皿のエサよりもタスクを通じて得るエサの方が価値が高いというのです。

これは「コントラフリーローディング効果」と呼ばれ、犬やサルはもちろん、鳥類や魚類に至るまで動物界に普遍的にみられる現象です。ヒトも例外ではありません。

こうした実験データを眺めると、労働の価値について考えさせられます。「左団扇の生活」には誰もが憧れますが、仮にそんな夢のような生活が手に入ったとして、ほんとうに幸せでしょうか。

ちなみに、コントラフリーローディング効果が観察できない唯一知られた動物がネコです。ネコは徹底的な現実主義です。レバー押しに精を出すことはありません。

以上のとおりです。

結局「ネコ学」の極まるところ、このエピソードが象徴しているとは思いませんかね(笑)。


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女の勘はなぜ鋭いのか~読書コーナー~

2025年02月12日 | 読書コーナー

オークションで落札した製品などが自宅に届く曜日は、なるべく土、日曜を避けるようにしている。なぜなら家人(天敵)の仕事が休みで家にいることが多いから~。つまり、徒に目に触れさせて刺激しない方がいい(笑)。

ちなみに、天敵は長い文章が苦手のようでこのブログを読むことがないのはひと安心(笑)。

ところが意外にもかなりデリケートなところがあって・・、ずっと以前のことだが娘からこう言われたことがある。

「お父さんはけっして悪いことはできないよ。お母さんは勘が鋭くて細かいことによく気が付くからね~」。

たしかに、そういうところがある~。たとえば、つい最近購入した「真空管」も、段ボールの空き箱が目について気が付いているはずだけど何も言わない。

箱が小さいので、たかが知れてると思っているのだろうが、ところがどっこい・・、こうして、はてしなく駆け引きが続いていく(笑)。

それはともかく、何も家人だけではなく総じて女性は男性と比べて細かいことによく気が付くように思える。


『「女の勘」はなぜ鋭いのか』(PHP新書刊)

                 

著者の赤羽建美(あかばね・たつみ)氏は早大卒、二十代から四十代にかけて主婦向け雑誌、若い女性向け雑誌の編集者を務めてきた人で、自称だが女性たちのものの考え方の本質的な部分を知ったという。

男性の眼から見た女性論ということで、
本書の表紙の裏に書いてある内容紹介(概要)には次のようなことが書いてあった。

『なぜ女性は男の嘘を見抜くのか。実は、嘘をつくとき、男はべらべらしゃべるのに対し、女性は黙り込む。女性は肝心なときには余計なことを言わない。~中略~。女性たちは男に何を求めているのか。女性が望む「優しさ」を、男は勘違いしている?女性向けエッセイの名手が女心の本質に迫る。』

本書の構成は次のとおり。

第一章 「女の勘」が鋭いホントの理由

第二章 女性は自分自身をどう思っているか

第三章 女性は男に何を求めているか

第四章 男が「女の勘」から学ぶべきものとは 

このうち、興味を引かれたのは第二章「女性は自分自身をどう思っているか」。

男性は絶対に女性にはなれっこないのだから、こればかりは未知の分野でよく分からないところがある。そして、一読して「そういうものか!」と目が開かれた思いがした。とっくにご存知の方もいるかと思うがそのひとつを紹介。

☆ 女性は同性の目を強く意識する(要旨)

男女に関係なく人は他人の目を意識する。他人の目に自分がどう映っているか、他人からどう思われているかを気にする癖がいつの間にかできている。

しかし、他人の目を意識するときに「気にする部分」が男女で異なる。女性たちは決して口にはしないが、もっとも意識を向けているのは美醜ではないだろうか。

「同性と比べたときの外見上の差異」。

しかし、子供のころからそのことについてふれるのはタブーだったに違いない。試しに美人の女性に「美人だからさぞもてるだろうね?」と訊くと、決まって「そんなことありません」という答えが返ってくる。

こうした返事は謙遜のようにも受け取れるが、実は決してそうではない。彼女たちは質問した男に対してではなく、そこにはいない同性に向かって答えている。少しでも認めるような返事をすれば、そのことを男がほかの女性に言いふらすかもしれない。彼女たちはそれを極度に恐れている。

女性たちは子供のころから美醜によって分け隔てされるという体験をイヤというほどしてきている。可愛らしい女の子は男の子にもてるし、ていねいに扱ってくれるが見た目が可愛くない女の子はまるで相手にされない。

男性とは違って女性はこういった差別を子供のころから何度となく体験し、大人になるころには見た目がいかに大切かを痛感している。

しかし、生まれもってきた美醜は当然のことながら本人のせいではない。いわば謂(い)われなき差別なのである。つまり理不尽の世界に生きていかなければならない運命にあるのが女性たちといっていい、これが共通の土壌となってある種の連帯感と互助の精神が女性たちの中に存在しているのだ。

したがって、自分が美人であるとの意識を同性に気付かれまい、隠そうとする本能が生じてくるのは必然の流れ。

なぜかといえば妬みなどの屈折した思いが含まれる同性の目は異性のそれよりもずっと厳しいので一人でも敵に回したくないのが本音であり、女性は同性の美醜には決してふれないことを鉄則としている。

以上のような内容だったが、これがすべての女性に該当するわけでもあるまいが何となく思い当たる節もあって「女性⇔女性」の視点が自分の目には非常に新鮮に映った。

「同性に嫌われたくない」・・、
とにかく女性の内面で「美醜」の感覚がそれほどの比重を占めていることにこれまでまったく気が付かなかったが、男性と女性とではその価値観がかなり違うというのは新しい発見。

つまり、男性側の一般的な見方として女性は美人に越したことはないが「気立てがよければそれでよし」というのが多数派のような気もするし・・・、否、そうでもないか(笑)。

「ルッキズム」・・、外見や容姿を基準に人を判断したり、差別的な扱いをすることを意味する言葉で、日本語では「外見至上主義」とも呼ばれています。

世の男性諸君、ネットでスタイル抜群の子を見るとつい見惚れてしまう・・、これは争えない事実ですよね(笑)。


理不尽にも生まれつきの容姿に左右される女性の運命を考えると、つくづく男性に生まれてきてよかったと思う。

男性には美醜よりももっと大切なものがありますからね・・、それが何かはご想像にお任せします(笑)。


    

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夢を見る脳は~読書コーナー~

2025年02月04日 | 読書コーナー

ときどき おかしな夢 を見る。

たとえば「クルマで坂道を登っているのに逆に下がり続けてブレーキを踏んでも止まらない」という冷や汗が出るシ~ン、さらには「病気になって療養を終えて職場に復帰したところ、見知らぬ顔ばかりで自分の机さえも見当たらない」、こうなるとほんとうに心臓に悪い(笑)。

「どうしてこんな重苦しい夢ばかり見るんだろう」というのが長年の疑問だったが、それに終止符を打てそうな本に出会った。



期待しながらざっと一読してみたが、どうやら専門家向きの内容みたいでとても素人には歯が立たなかった。

とはいえ、分かったことが一つ。

つまり「夢に関してはまだ未解明のことばかり」ということだった。たとえば106頁。

1 脳はどうやって夢を生み出すのか

2 夢にはどんな役割があるのか

3 その役割を果たすために、なぜ夢を見なければならないのか

答えはこうだ。「すべて、わからない」。

終わりに男女を含めて「今まで見たことのある典型夢の順番」というのがあった(182頁)。

1 追いかけられるが無事だった夢

2 性的経験の夢

3 学校/教師/勉強の夢

4 落下する夢

5 遅刻する夢(列車に乗り遅れたなど)

6 生きているはずの人が死んでいる夢

7 落ちる寸前の夢

8 空を飛ぶ、あるいは空高く上昇する夢

9 試験で失敗する夢

10 何度も試みるがうまくいかない夢

11 恐怖で身体が凍りつく夢

12 身体的な攻撃を受ける夢(殴られる、刺されるなど)

13 死んだ人が生きている夢

14 部屋に何かの存在を強く感じるが見えたり聞こえたりはしない夢

15 子どもに戻った夢

これらから類推できるのは「日頃から抑圧された感情」が元になった夢が多いということで、結局「楽しい夢を見るのは期待しない方がいい」ことがわかった(笑)。

次の本はこれ。



読んでいてとてもご機嫌になれる本で一気読みしてしまった。こういう本は珍しい。


小説家、逢坂剛、77歳。

直木賞をはじめ数々の受賞歴を持ち、小説家として第一線で活躍し続ける一方、フラメンコギター、スペイン語、古書収集、野球、将棋、西部劇などの映画に精通し、多芸・多趣味でも知られる。

ユーモラスで温厚な人柄から、敬意と親しみを込めて「剛爺(ごうじい)」と呼ばれる小説家の<上機嫌生活>指南書。

人生100年時代。仕事も趣味も楽しみ尽くして、日々を機嫌よく過ごすためのヒント満載。

以上のとおりだが、人生の岐路となる大学受験、そして就職試験と失敗を繰り返しながらも、いっさいめげずに前向きに取り組む姿勢に感心するし、損得を抜きにして「好きなことに一生懸命打ち込む」ことに大いに共感を覚えた。

「趣味を楽しみ尽くす」 いいですねえ!(笑)

ここでブログ主の人生に置き換えてひとくさり~。

第1期 0歳から22歳までは社会に出るまでの準備期間

第2期 22歳~59歳までは趣味に打ち込むための準備期間

第3期 59歳以降~ 趣味三昧の本当の充実した人生

大いに眉を顰める向きがあるかもしれませんね・・、父親に似ず真面目一辺倒の娘だけには軽蔑されたくないなあ(笑)。



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心が洗われる作品 「木挽町のあだ討ち」~読書コーナー~

2025年01月24日 | 読書コーナー

この元旦に神社にお参りした時の「7つのお願い」をご記憶でしょうか。

「お前の勝手だろ、知ったことか!」と返されるのがせいぜいだが(笑)、その中の一つ「面白い本やドラマにもっと出会えますように」がさっそく実現しました。

経緯を述べてみましょう。

つい先日のこと、面白いミステリーを読みたいものだがと、いそいそと図書館に出かけた。



参考にしたのが年次版の「このミステリーがすごい!」だが、最新の「2025年版」は、「まだ図書館が購入していない」 or 「予約者が殺到してお鉢が回ってこない」・・、したがって「2024年版」の「ベスト10」をメモして出かけたところ、見事に読みが当たった。

上位にあった「木挽町(こびきちょう)のあだ討ち」がそれである。



作者もタイトルもまったくの初見なので先入観なしに読み始めたところ、初めの1/3ほどは少々退屈気味だったが、それを過ぎてから俄然リズムに乗ってきてストーリーの展開に強力に引きずり込まれてしまった。

本書の解説にはこうある。

「疑う隙なんぞありはしない、あれは立派な仇討ちでしたよ。

語り草となった大事件、その真相は――。

ある雪の降る夜に芝居小屋のすぐそばで、美しい若衆・菊之助による仇討ちがみごとに成し遂げられた。父親を殺めた下男を斬り、その血まみれの首を高くかかげた快挙はたくさんの人々から賞賛された。二年の後、菊之助の縁者だというひとりの侍が仇討ちの顚末を知りたいと、芝居小屋を訪れるが――。

新田次郎文学賞など三冠の『商う狼』、直木賞候補作『女人入眼』で今もっとも注目される時代・歴史小説家による、現代人を勇気づける令和の革命的傑作誕生!」

たしかに「令和の革命的傑作」に恥じない内容だと思いますよ~。

主人公の「過酷な運命」と、取り巻く人たちの「薄幸と隣り合わせの厚い人情」、そして「誠実」さとが見事に絡み合って最後の「真相」に収斂していく展開は見事というほかないです。

ブログ主もすっかり騙されました! キーワードは初めから終わりまで「お芝居」の一言に尽きます!!

ただし、個人的にはこの作品を単なる優れたミステリーだけで片付けるのはもったいないような気がするのも事実。

なぜかと言えば「文学的な香り」の方が「ミステリーの雰囲気」を確実に上回っているからだが、何と、この本は後にあの「直木賞」「山本周五郎賞」をダブル受賞していることがわかって二度ビックリ・・、やっぱりねえ~。

ネットから「読者レヴュー」を3件ご紹介。

一件目

「若侍が立派にあだ討ちを成し遂げたいきさつを、現場近くの芝居小屋の人々にそれぞれ聞いて回るある人物。諸々わけありで芝居の世界に流れついた、答える人それぞれの来し方で綴られる短編ひとつづつにも充分な読みごたえがあるのだが、積み重なっていくピースであだ討ちそのものの真相が浮き彫りになるという構成が見事。じんわりと染みる読後感。とても良かった。」

二件目

「木挽町の芝居小屋で働く人々が語り手となって、それぞれの人生や仇討ちのことを語っていく。テンポの良い話し言葉が楽しくて、江戸の町の活気や芝居小屋のガヤガヤした雰囲気を想像しながらぐいぐい読めた。

芝居小屋の面々は過酷な環境に生まれついて必死で生きてきた者もいれば、武家に生まれても心の中で葛藤し続け、やっと自分らしい生き方に出会った者も。表面だけでは分からない、悲しみ切なさを抱えているからこその優しさや温かさが語り口から滲み出ている。 そして人情と武士道との葛藤で苦しんだあだ討ちは、素晴らしい芝居で一件落着!」

 

三件目

「なるほど、よくできたとても面白い一冊でした。タイトルの「あだ討ち」や章タイトルの「一幕」「二幕」にも改めて納得。大きな悩みを持ちながら仇討ちのために上京した主人公菊之助が芝居小屋の面々の異なる生き様に触れることで成長している。

一人称語りはどうしても俯瞰して読むので序盤は少し入り込みずらかったけど、義兄との泣き笑いのエンディングが最後までいかにも時代物っぽくて、雰囲気を堪能できるグッとしまった良作でした。事の顛末を亡き父にも伝えたい!」

以上のとおりです。ご一読されれば「心が洗われる」こと間違いなし・・、この世知辛い世の中で一服の清涼剤をぜひ味わってほしい!



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家庭での音楽鑑賞は冬よりも夏の方がいい

2025年01月20日 | 読書コーナー



本書の副題に「最大の臓器が身体と心の内を映し出す」とある。最大の臓器とは「皮膚」のことである。

そういえば、私たちは相手と対面するときに無意識のうちに顔色やしぐさなどから、会話に役立つ情報を得ようとしていることに気付く。

たとえば「久しぶりに会ったけど肌の色艶が良さそうなので元気そうだな」とか、瞬時に判断したりするのはどなたにも覚えがあると思う。

余談になるが、昨日(19日)のこと、朝のウォーキングを終えて休んでいたら、家人が「あなた顔色が悪いわね、どうかしたの?」「そうか・・、何ともないぞ」と、さりげなく返したものの持病の心臓病が気になって思わずドキリとした。

早朝の厳寒の中でのウォーキング、しかも急峻な坂道登りは止めておいた方がいいかもしれない・・、せいぜい11時ぐらいからがいいかもなあ~と、思った次第。

運動は やり足りなくても、やり過ぎても 良くないが、その判断の境目が実に難しい・・、以前のブログで「脈拍が判断材料になる」と記載したことがあるが、いちいち測るのも面倒くさいしねえ~(笑)。

というわけで、おおむね健康状態が皮膚に反映するので、(皮膚は)ゆめゆめ無視できない臓器といえるが、本書の102頁に「皮膚は聞いている」という項目立てがあった。

「耳(脳)が聞く」のなら当たり前だが、「皮膚が聞く」とはどういうこと?

ちょっと長くなるが引用してみよう。

「寒くなったり、耳に息を吹きかけられたり、撫でられたりすると鳥肌が立ちます。この現象を「立毛」と読んでいます。立毛が起こるといつもは寝ている毛が垂直に立ち、毛を取り巻いている皮膚の層が盛り上がって反り返ります。

毛包の奥にも小さな筋肉が存在するからです。この筋肉は立毛筋と呼ばれ、自律神経によりコントロールされています。そのため私たちの意思ではコントロール不可能です。

鳥肌が立つと同時に寒気が走ります。理由は鳥肌が立つことで皮膚の表面積は拡大し、熱発生と発汗が促され、汗が蒸発する際に体温が奪われるからです。~中略~

感動的な恋愛映画を観たり、素晴らしい音楽を聴いたりしても鳥肌が立ちます。その理由はまだ完全には明らかにされていません。胎児期に皮膚と神経系は同じ外胚葉から形成されるため両者は密接につながっています。それが理由の一つであることは間違いないでしょう。

黒板にチョークで文字を書いたり、爪で発泡スチロールを引っかいたりするときに出るキ~ッという音を聴いても鳥肌が立ちます。鳥肌の研究者はキ~ッという音の周波数が、母親を亡くした動物の子供の泣き声の周波数とほぼ同じであることが、鳥肌が立つ理由ではないかと考えています。

また、陶器の皿をフォークやナイフでこすった時に出るギ~ッという音を聞いても鳥肌が立ちます。この音は進化の過程で危険な状況と結びつき、危険を知らせる合図となったため、鳥肌を立たせるのではないかと言われています。要するに音は私たちの心と皮膚に大きく作用するようです。

科学者はさらなる発見をしました。何と、皮膚は音を聞くことができるのです。少なくとも毛の生えた脚にはそれができます。脚は話しかけられると、皮膚と体毛が微妙に刺激され、風を感じます。

ある実験で被験者は遮音性のヘッドホンが脚にあてがわれたにもかかわらず、脚の感覚だけで音の大きさを判断することが出来ました。また、脚だけでなく首筋や手も空気の流れから音を聞き分けられることがわかっています。

さらには、毛の生えた脚は脱毛した脚より聴力が高いこともわかりました。ということは男性の脚の方が優れた聴力を持っているということです。それなら女性は脚の脱毛をしない方がいいでしょう。男性の言葉にもっと耳を傾けてあげられるからです。一方、男性は女性にすすめられても脱毛しないことが多いのですが、それにも根拠があったのです。」

とまあ、以上のとおりだがこの学説を素直に受け止めるとすれば、音楽を聴くときはできるだけ肌の露出を多くする方がいいということになる。

なぜなら、耳以外の「皮膚」でも音を感知しているので音の情報量が多くなるから。

もちろん、マスクなんて論外である。男性の場合はできるだけ半そで姿で足の脛(すね)を出して聴く方がいい・・、となると「家庭での音楽鑑賞は冬よりも夏の方が適している」、というわけだが、皆さまはどう思われますか?



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2025年版「このミステリが凄い!」

2025年01月05日 | 読書コーナー

昨年(2024年)の12月28日に帰省して、本日(5日)午前中に戻っていく予定の娘。今回は休日の日程が都合よく嵌って、9連休というパラダイスを満喫した様子。

「上げ膳据え膳」は言うに及ばず、日課のように午後から近くの公園で二周半のランニング、残りの時間はこれまで買い溜めたミステリを炬燵(こたつ)に入って読み耽っている。

そう、父娘そろっての大のミステリーファンなのである・・、残念なことにオーディオにはまったく興味がないけどね(笑)。

今年も「2025年版 このミステリがすごい!」を持って帰ってきた。



国内編と海外編に分けて年間のベスト20までが紹介されている。         

いつも上位で紹介されたミステリをチェックして大いに参考にさせてもらっているが、物事にはすべて「当たりはずれ」があるようにミステリも例外ではなく、下位の順位でも逆転現象があったりするので図書館でランク内の本を見かけたら借りることにしている。

とりあえず本書による「ベスト5」を記録しておこう。


<国内編のベスト5>(順位 書名 著者 得点)

1位 「地雷グリコ」 青崎 有吾 367点

大量得点による「ぶっち切り」の一位を占め、さらに日本推理作家協会賞と山本周五郎賞を受賞した今期を代表する作品。「人生はゲームじゃないの」・・、ギャンブル小説であり青春小説なおかつ超絶面白ミステリー集。


2位 「冬季限定ボンボンショコラ事件」 米澤 保信 132点

主人公は高校生のカップルで、ひき逃げ犯を追う過程で次第に事件に巻き込まれていく。

3位 「桧垣澤家の炎上」 永崎 恵美  119点

「相手の本質を見抜け」という亡き母(芸者)の教えのもと、妾の子供「かな子」がしたたかな生き様を展開していく。刊行直後から評判を呼んだ大河小説である。


4位 「少女には向かない完全犯罪」 方丈 貴恵 98点

SFまがいの特殊な条件設定の下で、犯罪解決にあたる男女のコンビの怒涛の展開。


5位 「伯爵と三つの棺」 潮谷 験 97点

時代設定はフランス革命直後、銃で撃たれた吟遊詩人(フランス)にまつわる謎解きが「四つ首城」のもとで展開されていく。


次に<海外編のベスト5>

1位 「両京(りょうきょう)十五日」 馬 伯庸 226点

著者は20年近い作家歴を誇る中堅作家で、短編集や随筆を含めると20作あまりの著作があるという。血湧き肉躍る冒険小説の醍醐味と、ミステリーの妙味を併せ持つ,全ての読書家を魅了する超大作だ。

 
2位 「ビリー サマーズ(上下)」 スティーブン・キング 194点

殺し屋の名前はビリー・サマーズ、凄腕の狙撃手として悪人ばかりを仕留めてきた。今回は、破格の報酬をもらって最後の仕事に取り掛かったが、そのうち奇妙な違和感に囚われていく。筆衰えぬ巨匠の犯罪小説!


3位 「死はすぐそばに」 アンソニー・ホロヴィッツ 189点

高級住宅地で起きた殺人・・、闇の部分が前面に出てきたホーソーン・シリーズ第5弾。


4位 「ボタニストの殺人(上下)」 M・W・クレイヴン 163点

連続毒殺事件と密室殺人に敏腕刑事が挑む


5位 「ウナギの罠」 Y・エクストレム 117点

我が国と料理法こそ異なるが、スウェーデンでもウナギは食卓に上る食材だ。ある秋の晩、強欲地主がウナギ漁用の箱型の捕獲装置の中で死体となって見つかる。奇妙な密室殺人の謎解きに主任警部が挑む。

以上のとおりだが、行きつけの図書館(3か所)はいずれも7日(火)が開館日なので、上記の本をメモって探してみよう。

否・・、むしろ、昨年(2024年版)のベスト5の方が狙い目かもねえ~。



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