「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

女の勘はなぜ鋭いのか~読書コーナー~

2025年02月12日 | 読書コーナー

オークションで落札した製品などが自宅に届く曜日は、なるべく土、日曜を避けるようにしている。なぜなら家人(天敵)の仕事が休みで家にいることが多いから~。つまり、徒に目に触れさせて刺激しない方がいい(笑)。

ちなみに、天敵は長い文章が苦手のようでこのブログを読むことがないのはひと安心(笑)。

ところが意外にもかなりデリケートなところがあって・・、ずっと以前のことだが娘からこう言われたことがある。

「お父さんはけっして悪いことはできないよ。お母さんは勘が鋭くて細かいことによく気が付くからね~」。

たしかに、そういうところがある~。たとえば、つい最近購入した「真空管」も、段ボールの空き箱が目について気が付いているはずだけど何も言わない。

箱が小さいので、たかが知れてると思っているのだろうが、ところがどっこい・・、こうして、はてしなく駆け引きが続いていく(笑)。

それはともかく、何も家人だけではなく総じて女性は男性と比べて細かいことによく気が付くように思える。


『「女の勘」はなぜ鋭いのか』(PHP新書刊)

                 

著者の赤羽建美(あかばね・たつみ)氏は早大卒、二十代から四十代にかけて主婦向け雑誌、若い女性向け雑誌の編集者を務めてきた人で、自称だが女性たちのものの考え方の本質的な部分を知ったという。

男性の眼から見た女性論ということで、
本書の表紙の裏に書いてある内容紹介(概要)には次のようなことが書いてあった。

『なぜ女性は男の嘘を見抜くのか。実は、嘘をつくとき、男はべらべらしゃべるのに対し、女性は黙り込む。女性は肝心なときには余計なことを言わない。~中略~。女性たちは男に何を求めているのか。女性が望む「優しさ」を、男は勘違いしている?女性向けエッセイの名手が女心の本質に迫る。』

本書の構成は次のとおり。

第一章 「女の勘」が鋭いホントの理由

第二章 女性は自分自身をどう思っているか

第三章 女性は男に何を求めているか

第四章 男が「女の勘」から学ぶべきものとは 

このうち、興味を引かれたのは第二章「女性は自分自身をどう思っているか」。

男性は絶対に女性にはなれっこないのだから、こればかりは未知の分野でよく分からないところがある。そして、一読して「そういうものか!」と目が開かれた思いがした。とっくにご存知の方もいるかと思うがそのひとつを紹介。

☆ 女性は同性の目を強く意識する(要旨)

男女に関係なく人は他人の目を意識する。他人の目に自分がどう映っているか、他人からどう思われているかを気にする癖がいつの間にかできている。

しかし、他人の目を意識するときに「気にする部分」が男女で異なる。女性たちは決して口にはしないが、もっとも意識を向けているのは美醜ではないだろうか。

「同性と比べたときの外見上の差異」。

しかし、子供のころからそのことについてふれるのはタブーだったに違いない。試しに美人の女性に「美人だからさぞもてるだろうね?」と訊くと、決まって「そんなことありません」という答えが返ってくる。

こうした返事は謙遜のようにも受け取れるが、実は決してそうではない。彼女たちは質問した男に対してではなく、そこにはいない同性に向かって答えている。少しでも認めるような返事をすれば、そのことを男がほかの女性に言いふらすかもしれない。彼女たちはそれを極度に恐れている。

女性たちは子供のころから美醜によって分け隔てされるという体験をイヤというほどしてきている。可愛らしい女の子は男の子にもてるし、ていねいに扱ってくれるが見た目が可愛くない女の子はまるで相手にされない。

男性とは違って女性はこういった差別を子供のころから何度となく体験し、大人になるころには見た目がいかに大切かを痛感している。

しかし、生まれもってきた美醜は当然のことながら本人のせいではない。いわば謂(い)われなき差別なのである。つまり理不尽の世界に生きていかなければならない運命にあるのが女性たちといっていい、これが共通の土壌となってある種の連帯感と互助の精神が女性たちの中に存在しているのだ。

したがって、自分が美人であるとの意識を同性に気付かれまい、隠そうとする本能が生じてくるのは必然の流れ。

なぜかといえば妬みなどの屈折した思いが含まれる同性の目は異性のそれよりもずっと厳しいので一人でも敵に回したくないのが本音であり、女性は同性の美醜には決してふれないことを鉄則としている。

以上のような内容だったが、これがすべての女性に該当するわけでもあるまいが何となく思い当たる節もあって「女性⇔女性」の視点が自分の目には非常に新鮮に映った。

「同性に嫌われたくない」・・、
とにかく女性の内面で「美醜」の感覚がそれほどの比重を占めていることにこれまでまったく気が付かなかったが、男性と女性とではその価値観がかなり違うというのは新しい発見。

つまり、男性側の一般的な見方として女性は美人に越したことはないが「気立てがよければそれでよし」というのが多数派のような気もするし・・・、否、そうでもないか(笑)。

「ルッキズム」・・、外見や容姿を基準に人を判断したり、差別的な扱いをすることを意味する言葉で、日本語では「外見至上主義」とも呼ばれています。

世の男性諸君、ネットでスタイル抜群の子を見るとつい見惚れてしまう・・、これは争えない事実ですよね(笑)。


理不尽にも生まれつきの容姿に左右される女性の運命を考えると、つくづく男性に生まれてきてよかったと思う。

男性には美醜よりももっと大切なものがありますからね・・、それが何かはご想像にお任せします(笑)。


    

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夢を見る脳は~読書コーナー~

2025年02月04日 | 読書コーナー

ときどき おかしな夢 を見る。

たとえば「クルマで坂道を登っているのに逆に下がり続けてブレーキを踏んでも止まらない」という冷や汗が出るシ~ン、さらには「病気になって療養を終えて職場に復帰したところ、見知らぬ顔ばかりで自分の机さえも見当たらない」、こうなるとほんとうに心臓に悪い(笑)。

「どうしてこんな重苦しい夢ばかり見るんだろう」というのが長年の疑問だったが、それに終止符を打てそうな本に出会った。



期待しながらざっと一読してみたが、どうやら専門家向きの内容みたいでとても素人には歯が立たなかった。

とはいえ、分かったことが一つ。

つまり「夢に関してはまだ未解明のことばかり」ということだった。たとえば106頁。

1 脳はどうやって夢を生み出すのか

2 夢にはどんな役割があるのか

3 その役割を果たすために、なぜ夢を見なければならないのか

答えはこうだ。「すべて、わからない」。

終わりに男女を含めて「今まで見たことのある典型夢の順番」というのがあった(182頁)。

1 追いかけられるが無事だった夢

2 性的経験の夢

3 学校/教師/勉強の夢

4 落下する夢

5 遅刻する夢(列車に乗り遅れたなど)

6 生きているはずの人が死んでいる夢

7 落ちる寸前の夢

8 空を飛ぶ、あるいは空高く上昇する夢

9 試験で失敗する夢

10 何度も試みるがうまくいかない夢

11 恐怖で身体が凍りつく夢

12 身体的な攻撃を受ける夢(殴られる、刺されるなど)

13 死んだ人が生きている夢

14 部屋に何かの存在を強く感じるが見えたり聞こえたりはしない夢

15 子どもに戻った夢

これらから類推できるのは「日頃から抑圧された感情」が元になった夢が多いということで、結局「楽しい夢を見るのは期待しない方がいい」ことがわかった(笑)。

次の本はこれ。



読んでいてとてもご機嫌になれる本で一気読みしてしまった。こういう本は珍しい。


小説家、逢坂剛、77歳。

直木賞をはじめ数々の受賞歴を持ち、小説家として第一線で活躍し続ける一方、フラメンコギター、スペイン語、古書収集、野球、将棋、西部劇などの映画に精通し、多芸・多趣味でも知られる。

ユーモラスで温厚な人柄から、敬意と親しみを込めて「剛爺(ごうじい)」と呼ばれる小説家の<上機嫌生活>指南書。

人生100年時代。仕事も趣味も楽しみ尽くして、日々を機嫌よく過ごすためのヒント満載。

以上のとおりだが、人生の岐路となる大学受験、そして就職試験と失敗を繰り返しながらも、いっさいめげずに前向きに取り組む姿勢に感心するし、損得を抜きにして「好きなことに一生懸命打ち込む」ことに大いに共感を覚えた。

「趣味を楽しみ尽くす」 いいですねえ!(笑)

ここでブログ主の人生に置き換えてひとくさり~。

第1期 0歳から22歳までは社会に出るまでの準備期間

第2期 22歳~59歳までは趣味に打ち込むための準備期間

第3期 59歳以降~ 趣味三昧の本当の充実した人生

大いに眉を顰める向きがあるかもしれませんね・・、父親に似ず真面目一辺倒の娘だけには軽蔑されたくないなあ(笑)。



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心が洗われる作品 「木挽町のあだ討ち」~読書コーナー~

2025年01月24日 | 読書コーナー

この元旦に神社にお参りした時の「7つのお願い」をご記憶でしょうか。

「お前の勝手だろ、知ったことか!」と返されるのがせいぜいだが(笑)、その中の一つ「面白い本やドラマにもっと出会えますように」がさっそく実現しました。

経緯を述べてみましょう。

つい先日のこと、面白いミステリーを読みたいものだがと、いそいそと図書館に出かけた。



参考にしたのが年次版の「このミステリーがすごい!」だが、最新の「2025年版」は、「まだ図書館が購入していない」 or 「予約者が殺到してお鉢が回ってこない」・・、したがって「2024年版」の「ベスト10」をメモして出かけたところ、見事に読みが当たった。

上位にあった「木挽町(こびきちょう)のあだ討ち」がそれである。



作者もタイトルもまったくの初見なので先入観なしに読み始めたところ、初めの1/3ほどは少々退屈気味だったが、それを過ぎてから俄然リズムに乗ってきてストーリーの展開に強力に引きずり込まれてしまった。

本書の解説にはこうある。

「疑う隙なんぞありはしない、あれは立派な仇討ちでしたよ。

語り草となった大事件、その真相は――。

ある雪の降る夜に芝居小屋のすぐそばで、美しい若衆・菊之助による仇討ちがみごとに成し遂げられた。父親を殺めた下男を斬り、その血まみれの首を高くかかげた快挙はたくさんの人々から賞賛された。二年の後、菊之助の縁者だというひとりの侍が仇討ちの顚末を知りたいと、芝居小屋を訪れるが――。

新田次郎文学賞など三冠の『商う狼』、直木賞候補作『女人入眼』で今もっとも注目される時代・歴史小説家による、現代人を勇気づける令和の革命的傑作誕生!」

たしかに「令和の革命的傑作」に恥じない内容だと思いますよ~。

主人公の「過酷な運命」と、取り巻く人たちの「薄幸と隣り合わせの厚い人情」、そして「誠実」さとが見事に絡み合って最後の「真相」に収斂していく展開は見事というほかないです。

ブログ主もすっかり騙されました! キーワードは初めから終わりまで「お芝居」の一言に尽きます!!

ただし、個人的にはこの作品を単なる優れたミステリーだけで片付けるのはもったいないような気がするのも事実。

なぜかと言えば「文学的な香り」の方が「ミステリーの雰囲気」を確実に上回っているからだが、何と、この本は後にあの「直木賞」「山本周五郎賞」をダブル受賞していることがわかって二度ビックリ・・、やっぱりねえ~。

ネットから「読者レヴュー」を3件ご紹介。

一件目

「若侍が立派にあだ討ちを成し遂げたいきさつを、現場近くの芝居小屋の人々にそれぞれ聞いて回るある人物。諸々わけありで芝居の世界に流れついた、答える人それぞれの来し方で綴られる短編ひとつづつにも充分な読みごたえがあるのだが、積み重なっていくピースであだ討ちそのものの真相が浮き彫りになるという構成が見事。じんわりと染みる読後感。とても良かった。」

二件目

「木挽町の芝居小屋で働く人々が語り手となって、それぞれの人生や仇討ちのことを語っていく。テンポの良い話し言葉が楽しくて、江戸の町の活気や芝居小屋のガヤガヤした雰囲気を想像しながらぐいぐい読めた。

芝居小屋の面々は過酷な環境に生まれついて必死で生きてきた者もいれば、武家に生まれても心の中で葛藤し続け、やっと自分らしい生き方に出会った者も。表面だけでは分からない、悲しみ切なさを抱えているからこその優しさや温かさが語り口から滲み出ている。 そして人情と武士道との葛藤で苦しんだあだ討ちは、素晴らしい芝居で一件落着!」

 

三件目

「なるほど、よくできたとても面白い一冊でした。タイトルの「あだ討ち」や章タイトルの「一幕」「二幕」にも改めて納得。大きな悩みを持ちながら仇討ちのために上京した主人公菊之助が芝居小屋の面々の異なる生き様に触れることで成長している。

一人称語りはどうしても俯瞰して読むので序盤は少し入り込みずらかったけど、義兄との泣き笑いのエンディングが最後までいかにも時代物っぽくて、雰囲気を堪能できるグッとしまった良作でした。事の顛末を亡き父にも伝えたい!」

以上のとおりです。ご一読されれば「心が洗われる」こと間違いなし・・、この世知辛い世の中で一服の清涼剤をぜひ味わってほしい!



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家庭での音楽鑑賞は冬よりも夏の方がいい

2025年01月20日 | 読書コーナー



本書の副題に「最大の臓器が身体と心の内を映し出す」とある。最大の臓器とは「皮膚」のことである。

そういえば、私たちは相手と対面するときに無意識のうちに顔色やしぐさなどから、会話に役立つ情報を得ようとしていることに気付く。

たとえば「久しぶりに会ったけど肌の色艶が良さそうなので元気そうだな」とか、瞬時に判断したりするのはどなたにも覚えがあると思う。

余談になるが、昨日(19日)のこと、朝のウォーキングを終えて休んでいたら、家人が「あなた顔色が悪いわね、どうかしたの?」「そうか・・、何ともないぞ」と、さりげなく返したものの持病の心臓病が気になって思わずドキリとした。

早朝の厳寒の中でのウォーキング、しかも急峻な坂道登りは止めておいた方がいいかもしれない・・、せいぜい11時ぐらいからがいいかもなあ~と、思った次第。

運動は やり足りなくても、やり過ぎても 良くないが、その判断の境目が実に難しい・・、以前のブログで「脈拍が判断材料になる」と記載したことがあるが、いちいち測るのも面倒くさいしねえ~(笑)。

というわけで、おおむね健康状態が皮膚に反映するので、(皮膚は)ゆめゆめ無視できない臓器といえるが、本書の102頁に「皮膚は聞いている」という項目立てがあった。

「耳(脳)が聞く」のなら当たり前だが、「皮膚が聞く」とはどういうこと?

ちょっと長くなるが引用してみよう。

「寒くなったり、耳に息を吹きかけられたり、撫でられたりすると鳥肌が立ちます。この現象を「立毛」と読んでいます。立毛が起こるといつもは寝ている毛が垂直に立ち、毛を取り巻いている皮膚の層が盛り上がって反り返ります。

毛包の奥にも小さな筋肉が存在するからです。この筋肉は立毛筋と呼ばれ、自律神経によりコントロールされています。そのため私たちの意思ではコントロール不可能です。

鳥肌が立つと同時に寒気が走ります。理由は鳥肌が立つことで皮膚の表面積は拡大し、熱発生と発汗が促され、汗が蒸発する際に体温が奪われるからです。~中略~

感動的な恋愛映画を観たり、素晴らしい音楽を聴いたりしても鳥肌が立ちます。その理由はまだ完全には明らかにされていません。胎児期に皮膚と神経系は同じ外胚葉から形成されるため両者は密接につながっています。それが理由の一つであることは間違いないでしょう。

黒板にチョークで文字を書いたり、爪で発泡スチロールを引っかいたりするときに出るキ~ッという音を聴いても鳥肌が立ちます。鳥肌の研究者はキ~ッという音の周波数が、母親を亡くした動物の子供の泣き声の周波数とほぼ同じであることが、鳥肌が立つ理由ではないかと考えています。

また、陶器の皿をフォークやナイフでこすった時に出るギ~ッという音を聞いても鳥肌が立ちます。この音は進化の過程で危険な状況と結びつき、危険を知らせる合図となったため、鳥肌を立たせるのではないかと言われています。要するに音は私たちの心と皮膚に大きく作用するようです。

科学者はさらなる発見をしました。何と、皮膚は音を聞くことができるのです。少なくとも毛の生えた脚にはそれができます。脚は話しかけられると、皮膚と体毛が微妙に刺激され、風を感じます。

ある実験で被験者は遮音性のヘッドホンが脚にあてがわれたにもかかわらず、脚の感覚だけで音の大きさを判断することが出来ました。また、脚だけでなく首筋や手も空気の流れから音を聞き分けられることがわかっています。

さらには、毛の生えた脚は脱毛した脚より聴力が高いこともわかりました。ということは男性の脚の方が優れた聴力を持っているということです。それなら女性は脚の脱毛をしない方がいいでしょう。男性の言葉にもっと耳を傾けてあげられるからです。一方、男性は女性にすすめられても脱毛しないことが多いのですが、それにも根拠があったのです。」

とまあ、以上のとおりだがこの学説を素直に受け止めるとすれば、音楽を聴くときはできるだけ肌の露出を多くする方がいいということになる。

なぜなら、耳以外の「皮膚」でも音を感知しているので音の情報量が多くなるから。

もちろん、マスクなんて論外である。男性の場合はできるだけ半そで姿で足の脛(すね)を出して聴く方がいい・・、となると「家庭での音楽鑑賞は冬よりも夏の方が適している」、というわけだが、皆さまはどう思われますか?



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2025年版「このミステリが凄い!」

2025年01月05日 | 読書コーナー

昨年(2024年)の12月28日に帰省して、本日(5日)午前中に戻っていく予定の娘。今回は休日の日程が都合よく嵌って、9連休というパラダイスを満喫した様子。

「上げ膳据え膳」は言うに及ばず、日課のように午後から近くの公園で二周半のランニング、残りの時間はこれまで買い溜めたミステリを炬燵(こたつ)に入って読み耽っている。

そう、父娘そろっての大のミステリーファンなのである・・、残念なことにオーディオにはまったく興味がないけどね(笑)。

今年も「2025年版 このミステリがすごい!」を持って帰ってきた。



国内編と海外編に分けて年間のベスト20までが紹介されている。         

いつも上位で紹介されたミステリをチェックして大いに参考にさせてもらっているが、物事にはすべて「当たりはずれ」があるようにミステリも例外ではなく、下位の順位でも逆転現象があったりするので図書館でランク内の本を見かけたら借りることにしている。

とりあえず本書による「ベスト5」を記録しておこう。


<国内編のベスト5>(順位 書名 著者 得点)

1位 「地雷グリコ」 青崎 有吾 367点

大量得点による「ぶっち切り」の一位を占め、さらに日本推理作家協会賞と山本周五郎賞を受賞した今期を代表する作品。「人生はゲームじゃないの」・・、ギャンブル小説であり青春小説なおかつ超絶面白ミステリー集。


2位 「冬季限定ボンボンショコラ事件」 米澤 保信 132点

主人公は高校生のカップルで、ひき逃げ犯を追う過程で次第に事件に巻き込まれていく。

3位 「桧垣澤家の炎上」 永崎 恵美  119点

「相手の本質を見抜け」という亡き母(芸者)の教えのもと、妾の子供「かな子」がしたたかな生き様を展開していく。刊行直後から評判を呼んだ大河小説である。


4位 「少女には向かない完全犯罪」 方丈 貴恵 98点

SFまがいの特殊な条件設定の下で、犯罪解決にあたる男女のコンビの怒涛の展開。


5位 「伯爵と三つの棺」 潮谷 験 97点

時代設定はフランス革命直後、銃で撃たれた吟遊詩人(フランス)にまつわる謎解きが「四つ首城」のもとで展開されていく。


次に<海外編のベスト5>

1位 「両京(りょうきょう)十五日」 馬 伯庸 226点

著者は20年近い作家歴を誇る中堅作家で、短編集や随筆を含めると20作あまりの著作があるという。血湧き肉躍る冒険小説の醍醐味と、ミステリーの妙味を併せ持つ,全ての読書家を魅了する超大作だ。

 
2位 「ビリー サマーズ(上下)」 スティーブン・キング 194点

殺し屋の名前はビリー・サマーズ、凄腕の狙撃手として悪人ばかりを仕留めてきた。今回は、破格の報酬をもらって最後の仕事に取り掛かったが、そのうち奇妙な違和感に囚われていく。筆衰えぬ巨匠の犯罪小説!


3位 「死はすぐそばに」 アンソニー・ホロヴィッツ 189点

高級住宅地で起きた殺人・・、闇の部分が前面に出てきたホーソーン・シリーズ第5弾。


4位 「ボタニストの殺人(上下)」 M・W・クレイヴン 163点

連続毒殺事件と密室殺人に敏腕刑事が挑む


5位 「ウナギの罠」 Y・エクストレム 117点

我が国と料理法こそ異なるが、スウェーデンでもウナギは食卓に上る食材だ。ある秋の晩、強欲地主がウナギ漁用の箱型の捕獲装置の中で死体となって見つかる。奇妙な密室殺人の謎解きに主任警部が挑む。

以上のとおりだが、行きつけの図書館(3か所)はいずれも7日(火)が開館日なので、上記の本をメモって探してみよう。

否・・、むしろ、昨年(2024年版)のベスト5の方が狙い目かもねえ~。



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「世田谷一家殺人事件」ほか~読書コーナー~

2024年12月25日 | 読書コーナー

☆ 世田谷一家殺人事件

年末になると、何となく思いだすのが「世田谷一家殺人事件」である。事件が起きたのは2000年の12月30日で、幼い子供を含めて一家4人皆殺しで、刃物によるその凄惨な殺され方も話題を呼んだ。

しかも事件後、犯人が長時間居座って、パソコンをいじったり、アイスクリームを食べたりと、異様な行動も明らかとなっているが、今年で24年経ったもののいまだに犯人は見つからず「迷宮入り」となっている。



その未解決事件に対して、フリージャーナリストの著者が事件の真相に迫った力作だといえる。

結論から言えば、犯人像は軍人上がりの韓国人で、もはや死んでいて日本に墓もある、そして事件の背景には土地の立ち退きに迫る利害関係があって、黒幕が居た・・、ということになる。

指紋を始めとして、沢山の遺留品があるのに杳(よう)として犯人の行方が分からないので、死亡説も頷けるところ。

ただし、本書によって警察が動いた形跡もないので、あくまでも参考意見の一つなのだろう。

事件に興味のある方はぜひご一読をお薦めしたい。

いずれにしても、とかく年末は物騒なので日中でも家のカギ閉めを怠らないようにしましょうね(笑)。

☆ 言語学者も知らない謎な日本語



一言でいえば、日本語の研究をしている言語学者が近年の「若者言葉」を解説した本である。

〇 「親ガチャ」

「日本社会の所得格差と教育格差を背景に世間に広まったのが2021年ごろ~。ガチャというのはインターネット上のゲームのガチャで自分の欲しいアイテムが自分で選べず、運任せになるように、どの親のもとに生まれるかもまた自分で選べず、運任せになることを指す。

つまり、ハズレの親を引いてしまうと、自分の能力や努力では容易に越えられない壁が生まれ、それによって自分の
将来が決まってしまうことを指す。

で、親のみならず会社では「配属ガチャ」「上司ガチャ」など、自宅では「隣人ガチャ」、大きな病院では「医者ガチャ」などが起こる。

結局、運の良し悪しが人生を左右することを意識するきっかけを「親ガチャ」が作り出したといえるのかもしれない。

というわけです。せめて、娘から「親ガチャ」だと思われたくないなあ~(笑)。

〇 よく調べてみると新語だった

たとえば「タメ口」は上下関係のある相手と対等な口の利き方をするときに使う言葉、視線が置き換わった「目線」、立脚点を表す「立ち位置」などを新語と意識せずに使っている。

他にも「一択」がある。実は「四択」「三択」「二択」はあっても「一択」は辞典に載っていない。

選択肢が表面上は複数あっても、諸条件を考慮すると事実上他の選択肢は選べずに一つに決まることを指す。

振り返ってみると、人生の3大岐路ともいえる「志望校の選択」「就職先の選択」「伴侶の選択」において、すべて「一択」だったなあ~(笑)。

〇 「神」

いつからか、日本語の世界に「神」という言葉が溢れるようになった。人の心を揺さぶるような奇跡のような出逢いには「神」がつくようになった。

スポーツなどで神がかったプレイは「神ってる」、料理では「神的な美味しさ」、落とした財布が無事に戻ってきたときには「マジ神」と称される。

ちなみにキリストのことを「マジ神」とは言わない。日本語における神は人間の延長線上にある神のような存在である。つまり、絶対神であるキリスト教の神に対し、日本の伝統的な神は比喩としての神であり、奇跡に近いような「やばい」存在であれば人でも物でもすべて神になれるのです。

せめて我が家では「この音は神ってる!」といきたいものすね~(笑)。

本書にはほかにもたくさんの「若者言葉」が羅列されているので、興味のある方はぜひご一読をお薦めします。

「推し」「限界オタク」「ブーメラン」「モブ」「フラグ」「罪の味」「崩壊」「誰得」「マジレス」「リアタイ」「やばい」「えぐい」

わかります?

〇 漢文で知る中国 名言が教える人生の知恵

現代中国は大嫌いだけど古代中国は好きという方が多いのでなかろうか。古来、中国が日本文化に多大の影響を与えたことは否めませんからね。



67頁に「遊戯三昧」(ゆげざんまい)という言葉があった。副題として「喜びも苦しみも含めて人生というゲームを楽しもう」

「仏教の言葉。時代や使う人ごとに意味用法は微妙に異なる。現代においては、

<この世はゲーム。自分はゲームの中のキャラクター。生老病死、喜怒哀楽、幸運も不運も、酸いも甘いも、みな人生というゲームの一部だ。挫折や苦労も含めて、一度限りの人生を楽しもう>

と達観した境地を意味することが多い。

で、文豪「シェイクスピア」は「すべてこの世は舞台、人はみな役者」と言ったそうだが、なんだか共通点があるとは思いませんか?



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ミステリー2冊~読書コーナー~

2024年12月18日 | 読書コーナー

「杉江 松恋(Sugie Mckoy)」氏の著作「日本の犯罪小説」を一読したところ、たいへんな力作だと思った。



あまりにも丹念かつ詳細な考証に「書き下ろし」ではこうも行くまいと思っていたところ、やはり「ジャーロ」というミステリー雑誌に隔月で3年間に亘って連載されたものを集大成した本だった。

ミステリー・ファンには一読の価値ありです。

ちなみにペンネームの「松恋」を「マッコイ」と読ませる粋なネーミングに感心しました(笑)。

たしかジャズ・ピアニストに「マッコイ・タイナー」という人が居ましたよね。

それでは、ネットレヴューから2件引用。

「帯文の言葉を借りると、本書は〝18人の作家の創作の秘密に、「犯罪」のキーワードから迫る、迫真の文芸評論〟だ。まったく手を出していなかった作家さんもいれば、既読ながらすっかり忘れている作品もあったが、読んでみたくなったり、読み返したくなった作品がわんさか。

この作家さんはこんな経緯であのスタイルに辿り着いたのか、なども興味深く、とにかくなるほどの連続だった。杉江氏の豊富な知識と真摯な眼差しで記された作家論・作品論集であり、自分にとっては、めちゃくちゃおもしろい「犯罪小説」の参考書兼副読本。付箋まみれですわよ。」

2件目

「普段からYouTubeでわかりやすくミステリを紹介されているので、ついつい作者の本も買ってしまうが犯罪小説という切り口の本はあまりなくて、ミステリの書評は数あれどあまり取り上げられてこなった作家も読めて興味深いですが、本人のせいではないが、労作だと思うけどやや高い値段設定が悔やまれる。」

次いで、「松本清張はよみがえる~国民作家の名作への旅~」


国民的作家といえばイメージとして浮かぶのはまず「司馬遼太郎」さんだが、「松本清張」さんだって引けを取らないと思う。

本書の前書きにこうある。

「戦後日本を代表するベストセラー作家であり、映像メディアの世界にも巨大な足跡を残した国民作家だった。映画化された作品が36本、ドラマ化された作品は無数にあり、放送回数は千回をゆうに超える。「張り込み」「一年半待て」「霧の旗」「天城越え」「わるいやつら」「黒革の手帳」などの映像作品が時間を経ても変化しない人間の欲望や感情を巧みにとらえている。」

たとえば、毎月、1か月間のテレビ番組を紹介した「デジタルTVガイド」を購入しているが、頻繁に見かけるのが「清張ミステリー」と銘打った2時間番組で、膨大な量に上るミステリー作品をもはや録画する気になれないほど繰り返し、繰り返し放映されている。

しかも社会派という色彩が色濃く反映されており、ありふれた市井の人間がふとしたきっかけで犯罪者や被害者になる怖さといったら・・、いつの時代にもありそうな話なので古びた感じがしないところも、今でも重宝されている理由だろう。それに「タイトルの命名」が実に巧いと思う。

「ゼロの焦点」「点と線」「波の塔」「歪(ゆが)んだ複写」「球形の荒野」「時間の習俗」「Dの複合」「砂漠の塩」「砂の器」

次いで、ネットレヴューから4件紹介。

「清張の代表作50作を紹介した入門書。作品のテーマ、当時の世相、題材となった事件、作者の思想を一作一作丁寧に解説している。面白いのは作品ごとに他の作家の類似作を挙げていること、例えば「張込み」には角田光代の「空中庭園」のように。これが50作全部に。それから文中しきりに「感情の訛り」という言い回しが使われているがこれは清張の文章にはないように思うので、著者の造語だろうか。特に注釈もなくて気になる表現だ。清張の作中人物に見られる特有の感情の動きを指しているようで、分かったような分からないような不思議な表現だ。」

「2022~3年にかけて西日本新聞に連載されたものとのこと。筆者の印象に残る50作を、年代順に並べて粗筋や見どころの紹介をしている。なかなか読み応えがあって良かった。あと表紙もそうだけど鉛筆画?の挿絵のインパクトと味がすごい。時々恐い。連載時にも掲載されていたのかな。 未読作品中、気になるものを図書館のリストに登録していたら、『花実のない森』が2冊とも貸出中だった。きっとこの本の影響だ!」

「オススメの清張作品を50個、挿し絵付きで紹介している。作品の概略と、類似した現代小説も紹介されており読書体験が広がりそう。また、清張さんが作家になる前の戦中戦後の苦難がどのように作品に影響しているかという言及もあった。

私は、松本清張記念館でそのような苦難を初めて知り、それがきっかけで作家本人を好きになった経緯があるのでここは興味深かった。挿し絵もとても良い!ポストカードがあれば買いたい!まず挿し絵だけ見て作品名を当てるゲームをひとりでしていた。難問多し(笑)『西郷札』は秀作だった。」

「清張の作品解説として面白く読み通した。ドラマや映画などの映像が清張作品を高めたのは確か。未だに時代に合わせた変化を持たせながら発展しているのもすごいと思う。筆者が挙げた類似作を読んでみようと思う。」

清張さんに興味のある方は一読の価値ありです。

厳冬期は出歩く機会が少なくなるので、「読書とオーディオ」にピッタリの季節だと思うんだけどなあ~(笑)。



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「指揮のおけいこ」~読書コーナー~

2024年12月15日 | 読書コーナー

指揮者の「岩城(いわき)宏之」さん(1932~2006)といえば、N響の指揮者を中心に活躍された方だが、亡くなられてからもう18年が経つことに驚いた・・、光陰は矢のごとし。



指揮者の傍ら洒脱な「音楽エッセイ」を何本も執筆されている。このブログでも過去に「オーケストラのいじめの風景」を取り上げたことをご記憶でしょうか。

指揮者ならではの独特の見方は一読するに値すると思うので、たまたま図書館で見かけたこの本を読んでみた。



まずはネットのレヴューから。

「12冊目は名指揮者によるエッセイ。音楽家で文章もうまい人といえば山下洋輔ですがクラシック界ならこの人がピカイチです◆一日の指揮棒を振る回数を数えたり「大物指揮者に見える秘訣」を考えたり、さらには暗譜をめぐる議論から引退の時期まで「言われてみれば気になる」指揮者をめぐるトリビアが満載です◆印象的だったのは言葉をめぐる話。

どの指揮者も、母国のオーケストラを振るのが一番難しい。理由は「母国語だとリハーサルでしゃべりすぎるから」。不自由な外国語のほうが、かえって言いたいことを端的に伝えられるのだそうです。」

もう一つ。

「指揮者というお仕事紹介エッセー。オチョクリ四分の三、専門的な本音四分の一で、指揮台から落ちた話やらお菜箸を削って指揮棒を作る話など裏話から舞台上の失敗まで面白く教えてくれる。その根底には音楽への情熱がしっかりと読み取れる。

オーケストラの指揮に興味がある人向きとは思うが、昭和ヒトケタ生まれ男子が世界進出していく物語としても面白かった。昭和ヒトケタパワーは凄い。このエッセイの最終話が書かれたのが1998年。8年後、2006年に亡くなっている。晩年に書かれたものがあれば、また読んでみたい。」

続いて、ブログ主が興味を惹かれた部分を抜粋してみよう。

 大物指揮者になるための一番の近道はユダヤ人になることだ。指揮者に限らず世界的な演奏家の90%以上はユダヤ人である。どうしてあれほど音楽の才能、特に演奏の才能があるのだろう。

作曲家の場合はそれほどのパーセンテージではないかもしれないが、ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器の大物の99%はユダヤ人だといっていだろう。

 もう一つ、世界的な大物の音楽家であるための強力な資格があるのだ。ホモセクシャルである。この割合も過半数をはるかに超える。チャイコフスキーをはじめKもBも、あの人もこの人もそうかと、うんざりするほど、偉大な男の音楽家のホモセクシャル率は大きい。

 30年ほど前、アメリカのあるオーケストラを客演した時、練習を終えて廊下を歩いていたら一枚の紙が落ちていた。アンケ―ト用紙だった。

質問は25項目あった。

「この指揮者の耳はどうか」「バトン・テクニックはどうか」「練習の時間の使い方はどうか」「たびたびゲストとして招くに値するか」「将来、常任指揮者になって欲しいか」・・、それぞれに10点までの採点をかくようになっている。アメリカのオーケストラはこうやって指揮者の勤務評定をしているのかと感心した。

最後の二つの質問が凄かった。「オーケストラメンバーのミスに追い打ちを掛ける、イヤな性質があるか」もう一つは「この指揮者はユーモアを理解する人間であるか、適当なジョークでリハーサルを円滑に行うか」

ぼくがこれまでに知っている大指揮者たちは、誰もが素晴らしいユーモアのセンスの持ち主だった。普段ニコリともしないコワーイ人でも、時にはちらっとジョークを飛ばして、硬い雰囲気をガラッと変えてしまうのだ。

というわけです。

芸術の殿堂であるはずのクラシック音楽界・・、外から見るのと内から見るのとでは様相が随分違うようで、かなり人間臭いところがありますな(笑)。



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「江戸川乱歩賞」受賞作に思う

2024年12月10日 | 読書コーナー

「江戸川乱歩賞」とは・・、1954年、日本ミステリー界の始祖ともいえる江戸川乱歩が私財を投げ打ってつくった基金を運用して、日本推理作家協会により探偵小説を奨励するために制定された文学賞。

今年で創立70年を迎えており、過去に受賞した作家の一部を挙げると、

「西村京太郎」「森村誠一」「井沢元彦」「高橋克彦」「東野圭吾」「桐野夏生」「池井戸 潤」「荘田 寛」

といった、錚々たる作家を輩出している。

ちなみに、個人的に歴代の最高傑作と思うのは「写楽殺人事件」(高橋克彦)ではないかな~。今だに正体不明の謎の人物とされる浮世絵師「写楽」の人物考証と殺人事件が見事に融合した歴史ミステリーの快作だった。

そして、この賞の魅力は何といっても多額の「賞金」で随分長いこと「1000万円」だったが、近年は「500万円」に落とされている模様・・、随分と世知辛い世の中になった(笑)。

それが原因かどうかはわからないが、どうも最近の受賞作はイマイチの感が強いんだよねえ~。昔は受賞作といえば「百発百中」のように優れた作品が目白押しだった。

もちろんブログ主の読解力が衰えている可能性も十分考えられるので、以下あくまでも個人的な意見として読んで欲しい。

オーディオで本人がいくら「いい音」だと主張しても、他人が聴くと「それほどでもない」という、よく似たケースがごまんとありますからね(笑)。

で、はじめてそういう気にさせられたのが「カラマーゾフの妹」という受賞作だった。当時、「こういうのが受賞作とは乱歩賞も落ちたもんだ」とガッカリしたことだったが、これを皮切りに次から次に「こんな作品が・・」と出現してくるのだ。

たとえば、「蒼天の鳥たち」「老虎残夢」と枚挙に暇がないが、令和6年受賞の最新の「遊郭島心中譚」には本当にがっかりした。



読み進んでいくうちにワクワクさせるものがない、もう救いようがない作品だと思うが、こんな作品を7名の「審査員」(現代作家)たちが寄ってたかってよくもまあ推したものだと不思議~。

で、大いに期待して読んだだけに、その反動も大きくなる(笑)。

くそっと思いながら、過去の受賞作品をまとめて4冊借りてきて改めて検証することにした。これはオーディオで思うような音が出ないときの荒療治に等しい(笑)。



女性作家が3名を占めている! この世界でも女性の進出が目覚ましいようだが、結論からいえば、少し救われた思いがした。どれもこれも結構面白いのだ(笑)。

それぞれの感想はネットから引用。

「北緯43度のコールドケース」

「博士号を持っている警察官、沢村は、事件解決までの糸口を見つけたり、監察官調査での対応などで知性を感じさせる。しかし、どこか不器用で他の人とのやり取りや社会に対する不信感などは共感する。

終盤の展開はすべてが繋がっていって大変面白かった。古びた倉庫で見つかった少女の遺体が、事件に巻き込まれてとはいえ、あまりにも悲しく辛い。次巻の数学の女王も読んでみたい。」

「此の世の果ての殺人」

「2ヶ月後、地球に落下する隕石のために破滅が確定している世界で起きた殺人事件。それを追う小春とイサガワはどちらも名前の一部しか明かされないので性別誤認トリックかと思ったけど違いました。

人物の造形にやや極端さと掘り下げ不足を感じるのと、ポストアポカリプスの一歩手前の世界観のはずなのに、この日本でここまでイカれた状況になるかなという疑問はあるものの、総じて言えば面白かったです。史上最年少での乱歩賞受賞者とのことで、これからに期待します!」

「完盗オンサイト」

「オンサイト(=クライミング用語で、初めてのルートを一切の情報を持たずに初見で完登すること)をタイトルに掲げた通り、クライミングの話ではあるが、その対象が岩山ではなく皇居というのがユニーク。子供を置いてくる部分は酷い気がしたし、そのほかにもいくつか気になる部分はあったものの、全体的には読みやすく面白かった。」

「襲名犯」

「連続殺人犯の死刑執行後、同じ異名を現場に記した事件が発生。犯人は何を継いだのかが気になり読み進めた。過去の事件記録から主人公との接点が浮かび、時折挟まれる回想シーンでは誰が誰かを考えさせられ推測する面白さがあった。

しかし被害者の数は多く、主人公が抱える心の闇が物語全体を覆っていてどんよりと重い、乱歩賞らしいムードだ。後半オリジナル犯の足跡が明らかになると、主人公との共通点を意識させられ、さらに類友というワードが浮かんだ。模倣犯だけれど、動機はすべからく本人のものとして犯行に至った同化が興味深かった。」

結局、以上を通して「江戸川乱歩賞」受賞作品ははじめから完成された作品として読むのは不適当で、まさにプロ野球の「新人賞」クラスとして扱うべきものだと悟った。

「いまさら気付くのが遅い!」と言われそうだが(笑)

そりゃそうだよねえ、過去の蓄積と人生経験に乏しい新人が最初から「MVP」並みの力を発揮できるはずがないもの。

で、過去の受賞者から推測すると売れっ子作家に成長するのは1/10くらいで、プロ野球のドラフト上位選手がその後に活躍するのと同じくらいの確率でしょうか。

「筆力=書く才能」も「運動神経」と同様にやはり難しい世界だと思いました。

その意味で、まったくアイデアなどの発想の枯渇が感じられない「東野圭吾」さんは敬服に値しますね~。



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優雅な暮らし方=クラシック音楽

2024年12月07日 | 読書コーナー

日本経済新聞の「土曜・日曜」版は、日頃のお堅い「経済記事」のほかに読書や音楽などの誌面が充実していてなかなか楽しい。

こういう記事があった。



「文豪 芥川龍之介のご子息「芥川比呂志」さんのエッセイは話題に滋味があるだけでなく、上質なユーモアとウィットに富んでおり、そして文章に魅力がある」とくれば、放っておくわけにはいかない。



さっそく2冊のエッセイを借りてきてここ2日ばかり読みふけった。

タイトルは「憶えきれないせりふ」「肩の凝らないせりふ」

読後感想としては、期待したほどではなかったが「流石!」と頷けるものだった。

どういうエッセイか試しに小編をご紹介するので気が向いた方はご一読を。

タイトルは「優雅散録」。(「憶えきれないせりふ」255頁)

「優雅についてあれこれと論じるのは、どうもあまり優雅なことではないような気がする。

やさしく気品があって、しとやかで、美しいだけでは優雅とはいえない。

言葉づかい、立ち居振る舞い、生活のあらゆる面にわたって世俗の気を帯びず、前代の良い慣習や遺風をごく自然に身をつけている人でなくては、優雅な人とはいえない。すなわち優雅は、風流や伝統と切り離せない。


したがって、優雅は、人間ばなれや時代ばなれを起こし易い。優雅は薄気味悪さや滑稽と紙一重であり、鼻持ちならぬ嫌味とぴったり背中を合わせている。

イギリス人にとって優雅な狩猟とはたとえば次のようなものだ。

友人としかるべき話題(政治や宗教、とりわけ狩猟を除く)について、楽しいおしゃべりをしながら、ゆっくり歩いていく。

「今度のオリヴィエのシャイロックは少し悲劇的すぎやしないかい?」

「そう。しかし思い切って現代風にしたところがなかなか面白かったじゃないか」と、茂みから鳥が飛び立つ。それを横目で見ながら、平然と会話を続ける。(ここが大切)

「まあ、悪くはないがね」

それから素早く銃を構え、射程距離に逃れようとする寸前の鳥に向けて、引き金を引く。(この行動は一瞬のうちに行われなければならぬ。ここも大切)、再び会話をつづけながら、またゆっくりと歩き出す。

ある成果を上げるために費やした努力を、できるだけ隠し、人に感じさせぬこと。優雅はいつも涼しい顔をしていなければならぬ。

~以下、省略。

が~んと頭を殴られた感じがした。

そういうイギリス人がつくったスピーカー「AXIOM80」・・、たしかに「優雅の極み」ともいうべき音を出してくれるのだが、溺愛している自分はといえば「優雅」とは程遠く、あまりに落差が激しすぎる・・(笑)。

涼しい顔どころか、ギラギラした一連の「オーディオ闘争録」がそれを物語っている。

とはいえ、あからさまに書かないと、とうてい読者にはわかってもらえそうもないしね~。どういう表現が適切でベターなのか、このエッセイを読んでちょっぴり考えさせられました。

とはいえ・・、文中にあるように

優雅は、人間ばなれや時代ばなれを起こし易い。優雅は薄気味悪さや滑稽と紙一重であり、鼻持ちならぬ嫌味とぴったり背中を合わせている。

現代は「SNS」に象徴されるように「質よりも量」が重視され「できるだけ早く広範に」が売り物になっている、それに出世するためにはアピール力も必要だ・・、こういう時代には優雅な言動はますます縁遠くなるばかりで、第一「かったるい」よね(笑)。

とはいえ、視点を変えて、老いも若きも、そしてお金持ちや貧乏人の区別なくクラシック音楽を聴くことは「優雅な暮らし方」の象徴ではないですかね~、そう思いませんか?(笑)。



※ 芥川比呂志さんは1981年に61歳で死亡(肺結核)。「劇団四季」の創設者で演出家兼俳優。「ハムレット」の名演技は今でも語り草になっているとのこと。



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人生に必要なすべてをミステリーに学ぶ

2024年12月03日 | 読書コーナー

小さい頃からなぜかミステリーが大好きで、江戸川乱歩やコナン・ドイルにはじまって、名作「Yの悲劇」で有名なエラリー・クィーン、あるいは推理作家の登竜門といわれる江戸川乱歩賞受賞作品まで内外の話題作はほとんど読んでいるつもり。

我が読書の原点になるわけだが、もちろん謎解きの面白さに加えて雑学的にもタメになることが多いのも特徴だ。


で、偶然読む機会があって面白いと思ったのが次の本。



  著者は馬場啓一氏。この中の「古今東西”音のエチケット”」が特に印象に残ったので紹介しよう。

さて「マフィアに”おなら”」とかけて何と解く?

ご承知かと思うが欧米では身体から発する音は全てエチケット違反である。おならに限らず、ゲップもダメ、お腹が鳴る音もだめ、ものを飲み込む音でさえもアウト。

これらを我慢するのは日本人にとっては結構苦労するものだが、なにしろ生活上のルールだから彼らとお付き合いをする以上従わなければしようがない。

当然スープを飲む音もダメでバリバリとかバシャバシャと噛む音も絶対ダメなのである。欧米人には民族的歴史や経験の違いがあるのだろうが、彼らは固いフランスパンだって音もなく食べてしまう。

深田祐介氏のエッセイに部下にラーメンを音を立てて食べろと命令するのがある。ところがこの部下が英国人であったから、この命令がとてつもなく大きな意味を持ってくる。

取り澄ました紳士の代名詞である英国紳士に、音を立ててラーメンを食べさせようというのである。さあ、どうなる?

結果は英国人の負けで、彼はどうしてもズルズルと音を立てて食することが出来なかったのである。もちろん、英国人だってラーメンをズルズル食べることは可能である。

しかし、それは英国人である誇りとメンツを失うに等しい、というのがその部下の本音だったのであろう。彼の歯と口には音を立ててものを食するというデータがインプットされておらず、それを行うには民族としての誇りを失う必要があったのである。こうして「エチケット=マナー」には意外と深い意味が込められているのだ。

冗談でよくいわれるのは、もし日本が太平洋戦争に勝っていたら、食後に歯を楊枝でシーハーする作法を世界中の人々が学ばねばならなかっただろうという話で、この逸話はマナーというものには絶対的な基準というものがなく相対的な存在であることを示している。

戦争に強いアングロ・サクソン系のマナーが、幸か不幸か世界の一般的常識となってしまったのでやむなく我々東洋人もこれに右を倣えしなくてはならないのだ。

さて随分と寄り道をしたが「マフィアに”おなら”」への解答である。

リチャード・コンドンの書いた「プリッツイズ・ファミリー」でいつでも好きなときに低音から高音まで自由自在に音を発する”おなら”の名人が登場し、マフィア・ファミリーの余興の人気者になる。

西洋人にとって大切なルールを平気で破る芸をあえて賞賛することで治外法権といえば大げさだが”ムラ”的な存在であるマフィアと”おなら”とが、彼らの中で一本ちゃんとつながっているのが分る。

したがって「マフィアに”おなら”」とは、「ファミリー独自のルール=マナーでお互いに結束を確認し合っている」と解く

これを敷衍すると、よく洋画などで登場人物がヒックをしたりゲップをしているシーンを時折見かけるが、あれはその人物がルールに従わない人間であることを暗示しており、またその場に相手がいる場合にはその人物を軽んじていることを示唆していると受け取れる。

で、そもそも論だが「なぜ身体から発する音はタブーなのか?」

久しぶりに「チャットGPT」の出番です。

身体から発する音がタブーとされる理由は、文化的、社会的な要因が大きく影響しています。具体的には以下の点が考えられます。

1 社会的なマナーと礼儀: 多くの文化において、身体から発する音(例えば、げっぷ、音を立てて食べる、排泄音など)は、公共の場で不快感を与えるとされています。これは、周囲に不快感や不快を与えることを避けるため、個人の礼儀や社会的なマナーとして重視されているからです。

2 他者への配慮: 身体から出る音(特に食事中や会話中)には他者への配慮が求められます。音が大きい、または不快な場合、他の人々に迷惑をかけることになるため、そのような行為を避けることが推奨されるのです。例えば、げっぷやおならなどは、周囲の人々に対して不快感を与えかねないため、できるだけ避けるべきだとされます。

3 「自然なもの」としての捉え方: 身体から出る音は自然な現象であるにもかかわらず、それを公然と聞かせることは、不自然であるとされることがあります。これには、社会的なルールや常識が影響しており、「静かにするべき」という価値観が根底にあるといえます。

 恥の文化: 日本をはじめとする多くの文化では、他人の前で恥をかかないようにすることが重要視されています。身体の音もその一環として、他人に聞かれることが恥ずかしいと考えられることが多いです。特に、プライベートな部分に関わる音(例えば、おならやげっぷ)は、その発生が恥ずかしいとされる傾向があります。

5 清潔さと衛生意識: 排泄音やげっぷなどが公共の場でタブー視されることの一因として、清潔さや衛生に対する意識もあります。身体から発する音が「不衛生」や「不快」と結びつけられ、タブーとされることがあります。

以上のように、身体から発する音がタブーとされる背景には、社会的な規範、他者への配慮、文化的な価値観が大きく影響しています。

ということでした。

話は変わるけど、我が家の近くに「観光名所」として「別府湯煙展望台」があり、バス停終点から徒歩(10分程度)で歩いてくる欧米人がしょっちゅう自宅の前を通っていく。



で、感心なことにきちんと「右側通行」を守っている人たちが大半である、その一方日本人を含めて東南アジア風の人たちとなると「てんでんばらばら」で左側通行もかなり見受ける。

おそらく、欧米人は日頃から「左側通行時の交通事故の責任割合」などに配慮している可能性が高い。

意識の高さ・・、こりゃやっぱり戦争に負けるはずだわいなあ(笑)。


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素敵な「あいまい・ぼんやり語」

2024年11月26日 | 読書コーナー

「あいまい・ぼんやり語辞典」というのがある。



日常的にそれほど「詰める」タイプではなく「アバウト人間」なのを自覚しているので「曖昧さ」があってもあまり気にならない。大好きな「音楽&オーディオ」は別ですけどね~(笑)。

いつも「ま、いっか」が口癖だし、
この世知辛い世の中で何もかも「白黒」をはっきりさせない方がいい場合だってある、ときにはぼんやりした灰色もあっていいんじゃないか、それが「大人の知恵」というものだろう。

というわけで、本書は自分にとって格好の本である。

興味を惹かれた言葉をピックアップして記録しておこう。

トップバッターはこれ。(以下、引用)

1 「どうも」(118頁)

「どうも」はお礼でもお詫びでも使える。出会いでも別れでも一応のあいさつになる。まことに便利な言葉である。

「ありがとうございます」「申し訳ありません」などのしっかり内容の定まった言葉ではない点でお礼やお詫びとしては軽いが、逆に、軽いことに対してもしっかり挨拶をするという意味で失礼な挨拶ではない。

また、出会いや別れでも気を遣う相手に対しての挨拶として成立している。曖昧といえば曖昧な、逆に言えばきわめて便利な言葉である。

(独り言:たしかにいつも「どうも」を常用しているのでこのくらい便利な言葉はないと思う。自分にピッタリの言葉だと思う)

ただ、「どうも」には謎がある。なぜか家族などの親しい関係ではあまり使わないのである。子供もあまり言わないのではないだろうか。三、四歳くらいの幼児が「どうも!」という挨拶をすることはまず考えられない。

「どうも」だけで終わる挨拶は大人くさくなるのである。これには次のような理由が考えられる。

「どうも」は「どう+も」だが本来この副詞には「どうもうまくいかない」「どうも変だ」のような使い方がある。

いわば気がかりなことがすっきりおさまっていない感情を表すのである。

それが「いやはや、どうも何と言っていいか・・」などというように感謝、謝罪の気持ちを表す際の「簡単にお礼やお詫びを言うだけではうまく解決できない言い表せない気持ち、そのままでは済ませられないという気がかりの強調」という使い方になったものと考えられる。

「いやはやどうも何と言ったらいいか、(むにゃむにゃ・・)というような感じで、いろいろと相手への思いを巡らすというのは大人の心遣いである。

またあとに来る実質的な感謝や謝罪の表現がなくても「どうも」だけでそういう気配りがあるということが示せる。いわばよそ行きの言葉と言って良い。この「よそ行き」感が出会いや別れの軽い挨拶にもなると考えられる。

(そのとおり!)

「どうも」だけだと実質的な感謝や謝罪の表現がないので、きちんとした謝罪やお礼にはならない。しかし、気を遣っていることはよくわかる。出会いや別れでの「お世話になっています」感や「失礼します」感といった気遣いのこもった軽い挨拶をするにはぴったりとも言える。

気を遣っている相手への挨拶になるのだと考えると、家族間であまり言わないということ、子供があまり使わないということの理由がわかってくる。

「どうも」の奥には、どうも(?)大人っぽい深い気配りがありそうなのである。

2 やれやれ(192頁)

「やれやれ」を「新潮現代国語辞典」で引くと「深く物に感じた時、疲れた時、失望した時などに発する声」とある。

(自分もよく使っており、ネット記事などを見ながら、「やれやれどうしようもないな~」とか独り言を洩らしている~笑~)

というわけで、現代では「やれやれ、くたびれた」(疲れ)、「やれやれ、ようやくメドが立った」(安堵)、「やれやれ、また失敗か」(失望)といった用方が主であろう。

こうしてみると否定的な意味で用いられることが多いように見えるが、必ずしもそうではない。

「あなたにしかできない仕事ですよ」などと頼みごとをされた場合に、「やれやれ、しかたがないなあ」と、まんざらではない表情をして引き受けることもある。

表向きは「失望」のように見せながら、その実は相手に対して優位に立っていることに心地よさを感じているものである。「やれやれ」には少し余裕がある。

「やれやれ」に類似する感動詞として「あ~あ」があり「あ~あ、くたびれたorまた失敗か」(疲れ・失望)のように言うことはできるが、「あ~あ」に安堵の用法はない。

「やれやれ」の表す感情の領域はなかなかに複雑な形をしているようである。

3 ちょっと(100頁)

「ちょっと」の用法は、ちょっと(?)多岐にわたっている。

A この服はちょっと大きい。ほかにも、ちょっとお腹がすいた、ちょっと遅れます、など

B (上司が部下に)この書類、ちょっとわかりにくいね。

C 「今夜飲みに行かない?」「今夜はちょっと無理かな」

A、Bの用法では「ちょっと」を「少し」と置き換えることができる。その一方、Cのちょっとは断りによる相手の負担への配慮と考えられる。

「ちょっと映画でもどうですか」のように勧誘の場合に使うのも同様である。これは具体的な時間や量を想定しているのではなく、依頼や勧誘によって生じる負担が大きくないことを表そうとして「ちょっと」を使っていると考えられる。

「ちょっと~、なんでそんなことを言うのよ」のように文句を言うときにも使われるがこれらも相手に負担をかけない場合の用法から広がったものだろう。

さらには「今日はちょっと・・」「彼はちょっと・・・」などと曖昧にして続きの理解を聞き手に委ねることもある。

「ちょっと」の用法は幅広く、ときにちょっと(?)曖昧な印象をもたらしている。

以上、3つの「曖昧・ぼんやり言葉」を挙げてみましたがいかがでしたか?

「どうも」も含めて、外国語でこれらの用語に直接該当する言葉はないようですよ。

今さらながら日本人独特の繊細かつ微妙な気配りに満ちた「社会感覚」に驚かされる・・、やれやれ~(笑)。


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麻雀の極意は人生全般に通じる

2024年11月12日 | 読書コーナー

ミステリーを読むのも大好きだが、エッセイにも大いに心を魅かれる。

いわば、「虚構」と「リアリティ」の二刀流使いともいえる~(笑)。



このエッセイの著者は作家の「黒川博行」氏、(以下「氏」)。まだ一冊も読んだことがないが、直木賞を受賞されているとのこと。

何の前知識もないまま読む続けていくと、何とまあ、ありとあらゆる博打にのめり込む姿が映し出されている。いやあ、こんなハチャメチャな豪快な人が居るんだと驚きました!

誰かが「氏」を称して「黒い川を渡って博打に行く」(氏名から連想)という言葉に思わず腹を抱えて笑った。

さて、その博打の中でもいちばん熱中し歴史が長いのが「麻雀」だった。

ブログ主も学生の頃は大好きで友達と4人で卓をかこっていたが、概してカモられることが多くて弱かった。そのうち才能が無いことがわかって縁遠くなったが、今でも麻雀が強い人は「仕事が出来る」人が多いように思っている。

なぜなら、麻雀を打たせると性格がよく出ると言われており、「アクセル(攻撃)とブレーキ(防御)の適度な調整」「場の雰囲気の読み方」「運勢を味方にするコツ」などが必要とされている競技だから~。

以前のこと、どこかの会社が入社試験で「麻雀大会」をして、上位者に「特別枠」を設けて入社させていると読んだことがあり、この会社の上層部は非常に分かっていると、思わず膝を叩いたことだった(笑)。

さて、本書である。

氏は「麻雀の達人」である。何しろ、他の賭け事で負けた損失を麻雀で一挙に取り返すんだから恐れおののく~。

本書の中に小節「麻雀は運を予想するゲーム」という下りがある。(126頁)

要所を抜き書きすると、

〇 星占いも血液型診断も信じないし、方角がどうとか干支がどうとかいうゲン担ぎもジンクスもいっさい信じません。ただ、麻雀に関してはその日のツキとか場所のツキといったもは確かにある、と思います。

〇 将棋も大好きだが運が勝負を決めることはほとんどない。でも麻雀はツイてれば勝てる。将棋は初心者が高段者に勝つことは絶対にないが、麻雀ならあり得る。だから面白い。

〇 ただツキはずっと続くわけではない。長時間打ち続けると必ず上級者の方が勝つ。技術の差が出る。麻雀の技術には手牌を切る、止めるといった「手牌の技術」と「運を扱う技術」がある。ツイているときはその波に乗り続けて運を落とさない、ツイていないときは傷を最小限に抑えて運を呼び込む、といった、テクニックです。そこで大事なのが「いかにミスをしないか」

〇 ツイているときにミスをすれば自分のツキが落ちて相手に移ってしまう。ツていないときは傷が深くなる。つまるところ麻雀は運のやり取り、奪い合いです。

〇 麻雀って予想のゲームやと思うんです。この牌がきたからこう打つではなくて、どの牌が来たらどう打つか、どの牌が場に出たらどう対処するかをずっと予想しながら打つ遊びなんですよ。

〇 麻雀は想定した一番いい形になるかどうかが運、ツキですよね。ただ基本的には想定しないことが起きるという前提のもとに打たないといけない。自分が想定した最上ではなく、何番目かの牌が来たときにどうするかを考えて準備しておくのが麻雀における技術です。

という調子で延々と続く。

結局・・、「運」のやり取りって麻雀だけではなくて世の中や人生全般に言えることじゃないかあ~、ブログ主には思い当たることが多いです(笑)。

あっ、そうそう、先日の「ワールドシリーズ」のヤンキースとドジャースの対戦の第5戦目、ヤンキースが5点リードしていたのに、守備のミスを3つ続けたせいで運を手放してしまい、同点に追い付かれ最後には敗戦に追い込まれたことは記憶に新しい。

イチローさんが現役時代に「野球はミスをした方が負け!」と言ってたが、その通りとなった。

ミスをする、しないが運を取り扱うコツのようですね~。

なお、本書の中で、「麻雀仲間」として「鷺沢 萌」(さぎさわ めぐむ、通称「めめ」)という女流作家が登場する。氏を相手に堂々と勝つのだから相当な打ち手である。

「めめは生き急いだ。35年の人生に多くのことを凝縮しすぎた」とあったので、ふと興味を覚えてググってみた。

「最年少で文学賞を受賞するなど注目の作家だった。当初は心臓麻痺との発表だったが、実は縊死だった。長年、うつ病を患っていた。在日韓国人で、祖母の隠しておきたい部分に触れたことを書いたら親族から総攻撃にあった。」

歴史作家の「吉村 昭」さんも、エッセイの中で「親族に触れたことを書いたら、えらく腹を立てられた」というのがあったので、「迷惑をかえりみず、つい筆が走ってしまう・・」これは作家の業というものかもしれないですね。

まったく次元の低い話だがこのブログでは小心翼々として他人の傷口には絶対に触れないように心掛けているが、それが本格的な「物書き」になれない証左のようなものかな~(笑)。



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いい音 いい音楽 そして 良質のミステリー

2024年11月08日 | 読書コーナー

つい先日のブログ「ミステリーの手練れ」にこう記していたことをご記憶だろうか?

「本書の中で冒頭に「押さえておきたい古典10選」というのがあった。

秋の夜長にミステリーに読み耽るのも一興です。未読の方はぜひ~。

ヴァン・ダイン「グリーン家殺人事件」、アガサ・クリスティー「ABC殺人事件」「杉の柩(ひつぎ)」、エラリー・クイーン「エジプト十字架の謎」「Yの悲劇」、ウィリアム・L・デアンドリア「ホッグ連続殺人」、ドロシー・L・セイヤーズ「ナイン・テーラーズ」、横溝正史「獄門島」、高木彬光「刺青殺人事件」、島田荘司「奇想、天を動かす」

このなかでブログ主の未読は「杉の柩」「ナイン・テーラーズ」「奇想、天を動かす」の3冊です。

というわけで、「善は急げ」とばかり図書館に駆けつけて、ようやく未読の内の2冊をゲットしました。



そして、2日がかりでまず「奇想、天を動かす」の方を読破しました。いやあ、実に面白かった。読者レヴューから引用させてもらおう。

「奇想天外・驚天動地・天変地異 不可能犯罪ここに極まれりですね。 今まで密室殺人、死者の亡霊、人間消失、列車消失と数々の不可能状況を演出してきた作者はシリーズ10作目で「もうこれ流石にオカルトに頼らないと解決不可能だろ」ってレベルの謎を提示してきます。

特に"トイレからの人間消失"の不可能っぷりには蟻の這い出る隙間もありません。あるけど。 遊郭の情景描写や社会的背景の蘊蓄、『冤罪』や『日本人の罪』をテーマにした社会派要素、最後の吉敷竹史(刑事)の信念など島荘ベストに上げる方がいるのも納得です。」

たしかに奇想天外、壮大なトリックの展開に著者がいったいどういう「落とし前」を付けていくのか、興味津々のまま夢中で読み耽りました。

さすがに「中山七里」さん推しの「ミステリーの古典ベスト10」
に入るほどの傑作です。否応(いやおう)なく納得させられました。

やはり「読書の秋」には良質のミステリーが似合っている。きっと「杉の柩」(クリスティー)も面白いことだろう。

そして、読書の最中に聴き耽っていたのが「レグラ・ミューレマン」のソプラノ特集。「You Tube」はメチャ便利がいいです。放っておいても次々に歌ってくれます。安定した音程、美しい声・・、まったく非の打ちどころのない歌手ですね。



そして、肝心のオーディオ~。

久しぶりに「薄板バッフル」から解き放されて大型システムに回帰しました。



ウェストミンスターを「ムンドルフ」(ドイツ)のコイルで100ヘルツあたりでハイカットして超低音域だけを受け持たせる。

その上の周波数は「コーラル」の「ドライバーM103」と「マルチ・セルラー・ウッドホーン」で受け持たせる作戦が見事に功を奏した。(と、思う~笑~)

金属のダイヤフラムの音はせいぜい1000ヘルツ以上で受け持たせるべきだと思っていたが、それは間違いでしたね。

実に、スッキリ爽やかな音で懸念していた弦楽器も十分こなしてくれるのには驚いた。

これは駆動するアンプのせいかもしれない。



右側が「100ヘルツ以下」を受け持つ「TRアンプ」。

左側が「600ヘルツ以上」を受け持つ小出力の真空管アンプで「オールなす管」仕様。

左から「AC/HL」(英国:エジソン・マツダ)、出力管「LS7」(英国:GEC)、整流管「OKーX213」(メッシュ・プレート)

知る人ぞ知る「古典管」のオンパレードで、佇まいが良くて上品な雰囲気の再現に秀でたアンプです。高能率の「100db」クラスのドライバーにはもってこいですね。

オーディオ仲間の「Y」さんが「高音域の鮮度がいちばん素晴らしい」と、一押ししてくれたアンプです。

いい音、いい音楽、そして良質のミステリーが「三位一体」(さんみいったい)となった「至福のひと時」を過ごせました。

晩年になって こういう幸せ に恵まれるなんて実に運がいい人生だと、ようやく思えてきましたぞ・・(笑)。



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ミステリーの「手練れ」

2024年11月02日 | 読書コーナー

「読書の秋」にふさわしく3か所の図書館、つまり県立図書館、地元の別府市図書館、そして隣町の日出(ひじ)町図書館を巡回しながらほとんど目いっぱいの借り入れ限度(1館あたり10冊)近く借りてくる。

タダだと思って多少意地汚いところがありますな~(笑)。

で、隔週、30冊近く新刊本を中心に目を通しているが、実は最初の1/3ほど読んで「これはダメだな」あるいは「相性が悪い」とそのまま読み捨てにする本がほとんどである。

特に、若手のミステリー作家にはガッカリすることが多い。

導入部の書き出しがいかにも堅苦しい印象を受ける。おそらく、会社勤めなどの組織に縛られたくない自由人を目指して、机に張り付いて一生懸命に頭を絞って書き下ろしたのだろう・・、そういう熱意は感じ取れるものの残念なことに筆力が追い付いていない。

モーツァルトのように自由奔放で自然な楽想みたいなものが欲しいなあ~(笑)。

ま、「未完の大器」なんだろうが、現代は皆、気が立って忙しい世の中になっているので時間が悠長には待ってくれない、デビュー作で(売れ行きが悪くて)脚光を浴びないとそのまま埋もれていく可能性が高いだろう。

その点、ベテラン作家の作品には安心して目を通せる。

日本のミステリ―作家では、「東野圭吾」さんに次いで「中山七里」さんにも大いに注目している。とにかく多作なのに余りハズレがないのには感心する~。



つい最近、これら3冊の本に目を通したがいずれも読み応えがあって、まさに「手練れ」(てだれ)という表現がピッタリ~。

まずは「ネメシスの使者」から「ネットレヴュー」を引用、

「極刑とは果たして死刑なのか…無残に殺された被害者とその家族が犯人に求めるものは何なのか…復讐が認められない法治国家で、死刑を回避した犯罪者に対する憎悪の気持ちをどうすればよいのか… 塀の中で守られている犯罪者に代わって、その家族を同罪とみなし仇討ちを行う行為に世間は同調する。

ネメシスの使者の正体に驚くが、本当の目的は別にあった…うーん、やはり中山作品は一筋縄では終わらない。重たいテーマだけど、読む手が止まらず一気読み。復讐する側の執念と計画の緻密さにため息がでる秀逸な作品だと思った。」

刑務所に収監されている凶悪な殺人犯の家族が次々に残忍な殺され方で復讐されていく、はたして「犯人は?」「共通の動機は?」・・。

単なるミステリーに終わらず、「死刑制度」を真剣に考えさせる社会派作品である。

続いて「アポロンの嘲笑」の「ネットレヴュー」を、

「東日本大震災から5日後に発生した殺人事件。被疑者が移送中に余震の混乱に乗じて逃走。失態を演じた刑事が被疑者の行方を追うが、原発の下請けで働いている被疑者は避難指示が出ている福島第一原発に向かって逃走する。そして追跡する刑事の前になぜか公安の影が。

放射能に曝されるリスクを冒してまで被疑者が守ろうとしたものは何か。被疑者には阪神淡路大震災で建屋の下敷きになり両親が命を賭して守ってくれたことにより自分だけが命をつなげたという過去があった。今度は自分が命をかけて大事な人を守る。その決意を秘めた逃避行が日本を救う。」

これも、社会的なテーマとミステリーを上手く溶け合わせた作品でした。

そして、最後に「超合理的!ミステリ―の書き方」がとても面白かった。

要諦は「結末を考えずに書き記していくと、自然にアイデアが浮かんでくる」というもので、先年亡くなられた「内田康夫」
さんが「浅見光彦シリ~ズ」でも同じことを述べられていた。

人間の頭はそれほどヤワでなく、追い詰められば追い詰められるほど順応性が出てくるそうだ。

引き合いに出すのはまことに恐れ多いが、この拙ブログだって書いていくうちに何とか恰好がついていく感じ~(笑)。

なお、本書の中で冒頭に「押さえておきたい古典10選」というのがあった。

秋の夜長にミステリーに読み耽るのも一興です。未読の方はぜひ~。

ヴァン・ダイン「グリーン家殺人事件」、アガサ・クリスティー「ABC殺人事件」「杉の柩(ひつぎ)」、エラリー・クイーン「エジプト十字架の謎」「Yの悲劇」、ウィリアム・L・デアンドリア「ホッグ連続殺人」、ドロシー・L・セイヤーズ「ナイン・テーラーズ」、横溝正史「獄門島」、高木彬光「刺青殺人事件」、島田荘司「奇想、天を動かす」

このなかでブログ主の未読は「杉の柩」「ナイン・テーラーズ」「奇想、天を動かす」の3冊です。

で、古今東西の「ミステリー・ベスト1」は誰が何と言っても「Yの悲劇」でしょう。 

「ありあえない犯人」の意外性にビックリ仰天!(笑)。



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