「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

魔笛の指揮者・歌手達~夜の女王編~

2007年06月30日 | 魔笛の指揮者・歌手達

オペラ魔笛は主役クラスの5人の歌手達による歌唱力、表現力次第で全体の雰囲気が千変万化する。

たとえば、
ザラストロ役(バス)は荘厳と叡智
夜の女王役(コロラトゥーラ・ソプラノ)はきらびやかな美しさとヒステリー
タミーノ役(テノール)は気品、勇気、情熱
パミーナ役(ソプラノ)は可憐、優しさ、従順
パパゲーノ役(バリトン)はメルヘン的な趣

という具合だが、この5人は男性陣でバス、バリトン、テノール、女性陣でソプラノ、コロラトゥーラ・ソプラノとなっている。女声のメゾ・ソプラノとアルトが欠けているが、まずヒトの声域のほとんどをカバーしているといってよい。

したがって、これらの声域ごとに、魔笛に出演した歌手達を現在から過去までたどっていけば、それはそっくりそのまま”声楽の栄光の歴史”をひもとくことになる。

ヒトの肉声は究極の楽器とも称されており、その意味では歌手は最高の演奏家でもある。

「栄光のオペラ歌手を聴く!」(2002年4月刊、音楽之友社編)、「オペラ名歌手201」(2000年9月刊、新書館)を格好の手引き本として引用させてもらって、声楽の歴史に名声を残す歌手達に焦点を当ててみよう。

まず最初に登場するのは、コロラトゥーラ・ソプラノの「夜の女王」役だが、その前に基礎知識として女声の種類をチェックしておこう。

ソプラノ → 女性の歌う高い方の声域
コロラトゥーラ・ソプラノ → 最も高いソプラノ(夜の女王役)
スーブレット → 最も軽いソプラノ
リリック・ソプラノ → その次に軽いソプラノ(パミーナ役)
リリコ・スピント → その次に軽いソプラノ
ドラマティック・ソプラノ → 最も重量級のソプラノ
スーブレット以下の区分は、音色と音質の差であり、音域はあまり関係ない

メゾソプラノ → 女声の中間声域、ソプラノより暗く低い音域

アルト → 女性の最低音域

≪CDの部21セット分≫

♯1 ビーチャム盤(1937年)
エルナ・ベルガー(1900~1990) ドイツ

歌手達のアメリカ流出が続く中で珍しくドイツに留まり、戦後に至るまで第一人者の地位を保ち続けた息の長い歌手。

♯2 カラヤン盤(1950年)
♯3 カイルベルト盤(1954年)
♯5 ベーム盤(1955年) 
ヴィルマ・リップ(1925~ )オーストリア
50年代、ウィーンとザルツブルクで夜の女王を独占状態。後のグルベローヴァのような超絶技巧ではないが、玉を転がすような声とどこかおっとりしたウィーン風の雰囲気はこれといった後継者が出なかった。

♯4 フリッチャイ盤(1955年) 
リタ・シュトライヒ(1920~1987) ドイツ
技巧を前面に出すよりは味わいで聴かせるタイプ。その後の歌手のような威嚇的な要素はまったくなく、むしろ軽快で可愛らしい印象。「魔笛」というメルヘンオペラに登場する不思議な国の「星の輝く女王」だった。

♯6 クレンペラー盤(1964年) 
ルチア・ポップ(1939~1993) スロヴァキア
リリック・ソプラノながらレパートリーが非常に広く、ウィーンやミュンヘンではパミーナやゾフィー(バラの騎士)などは独壇場だった。線が細いのによくはずむ可愛らしい声が魅力。最後は癌に冒されて現役のまま亡くなりオペラ界に衝撃が走った。

♯8 ショルティ盤(1969年) 
クリスティーナ・ドイテコム(1931~ ) オランダ

活動期間は短かったが、その超絶技巧はグルベローヴァでさえ一歩を譲る。

♯9 スイトナー盤(1970年) 
シルヴィア・ゲスツィ(1934~ ) ハンガリー
ほかに例のないドラマティックなキャラクターを持ったコロラトッーラ・ソプラノ。ツェルビネッタ役(ナクソス島のアリアドネ)でも人気を博した。

♯12 ハイティンク盤(1981年)
♯14 アーノンクール盤(1989年)
エディタ・グルベローヴァ(1946~ )スロヴァキア
70年、夜の女王役でウィーン・デヴューを果たしその後同役で一世を風靡した。「静止した緊張感」とも言うべき空気を場につくりだす独特の個性がある。史上最高の夜の女王である。多くのコロラトゥーラ歌手が年齢とともに声が重くなりレパートリーを変えていく中で今なお第一人者であり続けている。なお私生活上の伴侶は指揮者のハイダーである。

♯13 デービス盤(1984年) 
ルティアーナ・セッラ(1946~ ) イタリア
生国のイタリアでは評価されず外国でのデヴューとなった。夜の女王は得意な役でメトやウィーンなど様々な劇場に出演した。謙虚な努力家で「椿姫」から「ホフマン物語」など晩年に至るまで幅広い役をこなしている。

♯15 マリナー盤(1989年)
チェリル・スチューダー(1955~ )アメリカ
リリック・ソプラノのほとんどのレパートリーを世界の主要歌劇場で歌っており、メトロポリタンのプリマドンナ。93年の産休後から高音の不備に伴う慢性的不調に陥り、その後新しい方向性を開拓している。

♯17 マッケラス盤(1991年)
ジューン・アンダーソン(1952~ ) アメリカ
イェール大学でフランス文学を学んだ才媛。幼少のときからソプラノで注目を浴びていた。役に打ち込む熱心さには定評があり、その技術・美声が日本であまり馴染まれていないのは惜しい。

♯18 エストマン盤(1992年)
スミ・ジョー(1962~ ) 韓国
カラヤンに「仮面舞踏会」のオスカル役に抜擢されて名を挙げた。コロラトゥーラ・ソプラノとしてレパートリーが広く「バラの騎士」のゾフィー役はぴったり。オペラ歌手として活躍している東洋人の中でも最も成功している一人。

♯19 クリスティ盤(1995年)
ナタリー・デッセイ(1965~ ) フランス
フランスが生んだ久々の世界的オペラ歌手であり、グルベローヴァ以後最高のコロラトゥーラ歌手とも呼ばれる大変な逸材。その美声と美貌で世界中のオペラハウスから引っ張りだこ。声、テクニック、演技力と美貌に鑑み、実演に接する機会があれば絶対に逃してはならないとのこと。たしかに、このクリスティ盤でも出色の出来だったが、彼女の夜の女王の公開録音は今のところこれだけであり、この盤の値打ちは高い。しかも、極めてレパートリーが広いので夜の女王役はこれだけになる可能性がある。

♯20 ガーディナー盤(1995年)
シンディア・ジーデン(生年不明) アメリカ
シュヴァルツコプフに師事した。デヴュー後は世界各地のオペラ・ハウスに客演。この夜の女王役もバイエルンを始めパリ、ウィーン、サンタフェなどで出演し絶賛を博している。また、コンサート歌手としてもキャリアを広げている。

結局、夜の女王役でひときわ高い峰はグルベローヴァであり、その峰に追いつき、あるいは追い越すかもと目されているのはナタリー・デッセイである。

                       



 













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釣り紀行♯4~久しぶりの大漁~

2007年06月28日 | 釣り紀行

沖縄の梅雨が終了し、前線が北上して現在鹿児島に停滞し大雨を降らせている。一方、九州中部はカラリと晴れているが、いずれ前線が北上してくるのは必至の情勢。

今のうちにということで、前回の21日(金)から、あまり間をおかず27日(水)の釣行となった。
ウチの奥さんはオーディオの趣味については何も言わないけれど、内心やや眉をひそめ気味なのはよく承知しているが、魚釣りは獲物があるのでなかなか理解がありご機嫌がいい。

「行ってらっしゃい」という明るい声を背に受けて、いざ出陣。高速道を利用しようか、どうしようかと迷う。料金は片道1450円。エサ代の約5割になる。結局一般道にする。何故かときどき(?)ミミッチクなる自分!

前回の釣り場Y半島のT防波堤に着いたのが8時55分。高速利用と比べると約35分の差がある。結局、35分=1450円ということで、秤にかけて自由時間をたっぷりと持った素浪人の身なのでこれからは、「帰り」だけ高速道利用にすることにした。

今日の狙いはもちろんクロ(学名メジナ)。クロの旬は、梅雨グロと寒グロと二つある。おいしいのは、厳寒期の寒グロで海苔を主食とする時期なので臭みがなく実に味がいい。しかし、残念なことに深みに潜っていてあまり数が釣れない。

一方、梅雨グロはちょうど今の時期にあたり、数はよく釣れるが主食が虫などの生きえさになるのでやや血が生臭い。これは刺身ではあまり差が分らないが吸い物にするとよく分かる。しかしY半島のクロは不思議に生臭くない。人家が少ないうえに川もなく海水が澄み切っているせいだろうか、自分がY半島に行く理由の一つ。

さて、本日は大漁だった。型はあまりよくなかったが、なにせ数だけはよく釣れた。クロがマキエに興奮して浮いてきたのが原因。普段の黒褐色が灰色に変色するのでよく分かる。ウキ下約50cm程度で錘をつけたり外したりしながら、間断なく釣れる。

ウキに独特の工夫をしているのがミソだが、これは釣りというよりも、引っ掛け漁というべきかもしれない。勝負の早いのが特徴だが釣趣はない。手の平サイズ以下は全てリリースしたがそれでも約50匹前後は釣った。結局、足の裏サイズ以上は15匹程度だろうか。マキエが無くなったので納竿は14時30分。

久しぶりの大漁に気をよくして、鼻歌を歌いながら家に到着したのが16時15分。とても家族3人では食べきれないのでまず、お隣さんにはいつもどおり”Y半島からのクール宅急便でーす”の決まり文句でおすそ分け。”主人が刺身が大好きで”といつも喜んでくれるので、こちらも張り合いがある。

そのほか、ひととおり配り終えてから道具を洗い、刺身と吸い物と焼き魚でクロを堪能した。90になる母が珍しく食欲をみせて吸い物がおいしいと喜ぶ。家庭円満になるうえにご近所から喜ばれ、しかも新鮮かつ由来のはっきりした魚を食べれるのが釣りのいいところ。
自分だけの楽しみのオーディオと比べて両極端なのがなかなか面白い。

                   
          手の平クラスはスペースが足りないので省略。

と き   2007年6月27日(水)  天気晴れ   海上無風
ところ   Y半島田ノ浦防波堤
釣り時間 9時10分~14時30分
汐     小潮
ツケエ   オキアミ(中粒)
マキエ   オキアミ1角、アミ2角、米ヌカ 
集魚剤   チヌパワー
タックル  がま磯プレシード、6.3m、5.1m
ウキ下   50cm
釣果    クロ 足の裏サイズ以上約15匹、手の平クラス約35匹
メモ     特になし

 


 

 



 

 


 




 


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音楽談義~「巨匠たちの音、巨匠たちの姿」~

2007年06月24日 | 音楽談義

6月9日の湯布院でのコンサートから2週間あまり、目の前で実演を聴いた余韻がまだ耳に残っている。もちろん演奏にではなくて生の音に。

今更という気もするが、音の瑞々しさ、あのフワリと音が空気中を漂う感覚などはどうしても我が家のオーディオ装置では再現不可能のような気がする。

電気回路を通じた音ではしょせん生の音は出せないと割り切ってしまうと身も蓋もないが、頭の片隅にこの考えを忍ばせておくとオーディオに対する接し方も考え方にも何か見えてくるものがあるようにも思う。

さて、このコンサートで魔笛の話が縁で偶然知り合ったS県のKさんとは、この日以降、ときどきメールを通じて情報交換をしているが、そのKさんから是非読んで欲しいと紹介されたのが
「巨匠たちの音、巨匠たちの姿」(1996年9月20日、東京創元社刊)である。

約10年前の発刊なので絶版かも知れないと思い、まず図書館に行って検索してみたところ
在庫とのうれしい表示で所定の書棚を探し当て借りることができた。

この本の著者「植村 攻」氏は1950年に富士銀行に入行し1950年代後半にロンドン支店に勤務されその機会を利用して当時のヨーロッパ各地の演奏会を聴き歩かれ、その貴重な体験を本にまとめられたものである。

1950年代といえば、いろんな意味でクラシックの黄金時代といってもよいくらいで幾多の名指揮者が綺羅星のように輩出され、活躍した時期である。フルトヴェングラー、ワルター、クレンペラーなど。こんな巨匠たちの生の演奏会を実際に聴かれたという得がたい体験は当時の日本人としてはごく一握りの恵まれた方であろう。

それに、音楽の専門家ではなくどちらかといえば一般の音楽愛好家の視点から書かれているのが親しみやくて分りやすい。一気呵成に読んでしまった。

本書の構成は、
第1章 ザルツブルク音楽祭(1956年)
第2章 バイロイト音楽祭(1958年)
第3章 指揮の巨匠たち
第4章 ピアノの巨匠たち
第5章 弦の巨匠たち
第6章 室内楽~見事なアンサンブル~
第7章 素顔の名歌手たち
第8章 ブルーノ・ワルターのこと

貴重な体験を素直に文章にされた内容ももちろんいいが、途中ところどころ挿入されている写真がすごい。特に156頁に5人の指揮者が一同に並んで写っている。その指揮者たちとは、何とワルター、トスカニーニ、E・クライバー、クレンペラー、フルトヴェングラーの巨匠たちでまるで気が遠くなりそうなメンバー!

本書で一番興味があったのはやはりザルツブルク音楽祭での「魔笛」の演目。
1956年8月2日
指揮者   ゲオルグ・ショルティ
ザラストロ  ゴットロープ・フリック
夜の女王  エリカ・ケート
タミーノ   アントン・デルモータ
パミーナ   エリザベート・グリュンマー
パパゲーノ ワルター・ベリー

この配役なら、ヨーロッパは無理としても日本公演があればどこにでも必ず駆けつけたくなるような超一流の布陣である。特にタミーノ役の
デルモータとパパゲーノ役のベリーの肉声を一度は聴いてみたかった。デルモータは1950年のカラヤン盤、ベリーはベーム、クレンペラー、サバリッシュ盤に出演しているが、じぶんの視聴レポートでもこの二人は文句なく特上扱いのA+である。

この演奏はCD化されていないので、実演の模様は当日の聴衆の頭の中だけにしか痕跡をとどめていないが、一過性の芸術が音楽の身上とはいえ実に惜しい気がする。

著者の魔笛に対するアプローチも全面的に共感できるものだった。引用すると、

「魔笛」というオペラは、単にきれいだとか面白いとかいうことを超えて、なにかしら我々の心を浄化し天上的な高みにまで導いていく力を持っているのだということを、この夜、私はしみじみと考えていた。(同書64頁)

また、第8章では指揮者ブルーノ・ワルターについてわざわざ1章を丸ごと割いておられる。入院中のワルターに向けて著書「主題と変奏」の翻訳依頼の手紙を出され、本人の署名入りの返事がきた話も興味深い。

最後に名音楽家であり一大教養人であったワルターの現代文明に対する深い憂慮のことばを紹介しておこう。約50年前の考察だが現代にも十分通じる話である。

今や芸術に対し、社会生活の中で今までよりも低い平面が割り当てられるようになって、その平面では、芸術と日常的な娯楽との水準の相違はほんど存在しないように思われる。本来、芸術作品が持っている、人の心を動かし魂を高揚させるという働きに代わり、単なる気晴らしとか暇つぶしのための娯楽が追い求められている。
これらは、「文明」の発達によりテレビやラジオを通じて洪水のように流れ、いわゆる「時代の趣味」に迎合することに汲々としている。こうなると文明は文化の僕(しもべ)ではなくて敵であり、しかもこの敵は味方の顔をして文化の陣営にいるだけに危険なのだ。(同書288頁)
 
                    

                   



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釣り紀行♯3~覆面パト~

2007年06月23日 | 釣り紀行

ここ数日、パットしない天気が続き、釣りに行けなくて“うずうず”していたが、21日朝、ようやくチャンス到来、天気がいいようで梅雨の合間を縫って釣りに出かけてみた。

因みに6月21日のNHKの夕方の気象情報では沖縄の梅雨が終わり、梅雨前線が北上して九州が本格的な梅雨に入るとのこと。

さて、釣りに行く日は週の後半と決めている。土、日に釣り人がエサを撒き散らしているので週の前半は魚が満腹になって食いが悪いだろうとの単純な考えによるもの。

今日は木曜日で天気も晴、前回の釣行は8日(金)だったので12日振りである。ヤル気十分だが、自分の経験では沢山釣ってやろうと気がはやるときは大漁だった記憶があまりない。

釣り人の殺気が魚に伝わるのかも、というのは冗談だが、釣りはあらゆる局面で細かい選択の積み重ねである。たとえば竿、ウキ、糸の細さ、錘の大きさ、釣り針、ウキ下、エサ、マキエの打ち方などだが、張り切りすぎると冷静な判断力を失いこれらの選択ミスや粘りが無くなることはたしか。

釣れなくても”もともと”という大らかな気分が大切、海の新鮮な空気を吸うだけで十分と自分にそう言い聞かせながら、前回の釣り場Y半島の狩床の防波堤に着いたのは8時30分。

ところが釣り始めてがっかり。エサ盗りの小あじの大群である。日曜日のマキエの影響がまだ残っているようだ。こういう状況で釣果が上がったためしがない。案の定、エサを入れるたびに小あじから齧りとられて底の方に届かない。12時近くまで粘ったがさっぱり。おまけに、ボラが数匹群れをなして海面のマキエを食い荒らす。

頭にきたので、ウキ下40cm、極小の釣り針とウキなどの仕掛けを換えてボラ狙いに変更。見事に功を奏して、強力な引きを5分ほどいなしてようやく1匹ゲット。海が綺麗なところのボラは、信じられないほどおいしい。これでお土産ができたので途端に気が楽になる。

これをしおに、場所替え。隣の田ノ浦の防波堤までクルマで10分。この場所替えは結果的にOKだった。30cmクラスをはじめバタバタとクロが釣れたが、残念なことに折角の大物を1匹取り逃がした。先手が取れず根に潜り込まれためだが一番愛用している”ウキ”ごともっていかれたのでガッカリ。

仕掛けを作り直すうちに地合もすぎてしまい、後は不適切なウキの使用もあってサッパリ。15時になってこの辺が潮時と納竿。今日は釣り場の選択に失敗したので獲物は少なかった。

家に着いたのは16時30分 。釣りの行き帰りはどうしてもクルマを飛ばしがち。数年前にスピード違反で釣りの帰りに罰金を頂戴した苦い経験がある。

この日の帰りはスピード違反取締りが多かった。高速道で覆面パト、別府市内の一般道でレーダー取締りに遭遇。覆面パトは追い越すときに運転手のkeisatuの制服を感知し急ブレーキ。レーダー探知のときは、たまたま大型バスと並走になったので命拾い。今日は釣れなかったわりには運がよかった。

                  

と き     2007年6月21日(木)、  天気晴れ、海上の風強烈な突風
ところ     Y半島:狩床~田ノ浦
釣り時間    8時45分~15時
汐       小潮(満潮11時前後)
ツケエ     オキアミ小粒、ゴカイ
まきえ     オキアミ1角、アミ2角
集魚剤     チヌパワー
タックル    サオ(0.8号、6.3m)、がま磯プレシード、NFTチヌ竿
浮き下     2ひろ
釣果      ボラ1匹、クロ(30cmクラス2匹、手の平クラス8匹)その他小鯛
メモ       次回からはツケエはオキアミ中粒に変更
          ”どんぐり浮き”新規調達のこと
          サオは”がまかつ”以外はこれから使用しないこと
          ゴカイが小さすぎる

   


 


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健康コーナー~”不老不死”=”ナノ医療”の実現性~

2007年06月19日 | 健康コーナー

18世紀後半に始まった産業革命は人々の生活を一変させ、個人のレベルでは平均寿命が倍になり、国家のレベルではグローバルな文明社会が誕生した。そして、次代の技術の鍵を握るナノテクノロジーはそれに匹敵する規模に到達するのだろうか。

「ナノフューチャー」~21世紀の産業革命~(2007年3月、紀伊国屋書店刊)。

著者:J.ストーズ.ホールは大学卒業後、ナノテクノロジー(以下、ナノテクという)に黎明期から関り、多数の専門家の意見を聞ける立場からナノテクの現状と未来像を語るにふさわしい最も適したガイドとのこと。

まずナノテクとは何か。その定義はまだ完全に意見の一致を見ていない。

広義では、100ナノメートル以下(ナノは10億分の1の意味)のスケールでの材料や現象の研究・制御を指す。

狭義では、原子や分子を操作して微小な装置を組み立てる技術といわれており本書では、この立場をとっている。

ナノスケールでのもの作りの手段を初めて理論的に提唱したのがノーベル賞物理学者のリチャード・ファインマンで1959年のこと。

しかし、近年ナノテクの負の側面を訴える声が上がり始めており、反ナノテク運動も生まれている。本書の著者は危険性を認めながらも、研究を抑制することによる危険の方がより深刻だと主張している。例えば、ナノ医療など生死にかかる重要な技術まで阻害されてしまう悪弊を心配している。

本書で提示されるナノテクの未来像は下記のとおり想像もつかない驚きと希望に満ちている。
たとえば、
・「分子サイズ」のエンジンによって、自動車に沢山の足がつき、どんな路面でも軽々と滑っていく
・歯ブラシの毛の1本1本にモーターがつく
・超薄くて軽いナノスーツを着れば、アラスカの屋外でテニスができる
・各家庭に空を飛ぶ車が普及する
・ナノロボットはペンのサイズでポケットにそして自分の分身を使えば複数の場所で同時に仕事ができるなどなど

一番興味があるのはこれらが実現できる時期だが、著者によると、ひょっとしたら10年以内に、おそらくは25年以内に、そしてほぼ確実に21世紀中には訪れるとのなかなか微妙な表現である。(同書33頁)

さて、人類にとって最後の聖域”不老不死”の時代の到来をも予想させる
「ナノ医療」の実現性について紹介しておこう。

老年学の第一人者O.D.グレイは、老化につながる細胞レベルの主な問題として次の七点を挙げている。(要約)

①細胞が死に、代わりが生産されない
②脂肪細胞の暗躍
③DNA変異によるガン化
④ミトコンドリアDNAの変異
⑤長年の間に細胞内にゴミがたまる
⑥細胞の外にゴミがたまる。その一つがプラーク(斑)で動脈で形成されるとアテローム動脈硬化症 、脳ではアルツハイマー病になる。
⑦目の水晶体など物理的機能を担う細胞外のタンパク質が長期にわたり化学的な損傷を受ける。

このリストは発表以来20年以上変わっていないとのことだが、ナノテクにできることを七つの病変に対応させるとやや専門的になるが次のとおり。(要約)

①ナノマシンにより幹細胞がなくてもテロメアを長くして細胞分裂をさせる
②細胞をチェックしながら体内を巡るナノロボットが有効
③ナノマシンで細胞のP53システムやDNAを修復する
④いくつかの方法がある。たとえば修復、指定タンパク質の作成、機械製のものへの取替えなど
⑤細胞修復マシンの活用
⑥たまったゴミを物理的に掃除する大きめのマシンで十分
⑦大きめの組み立て・修復ナノロボットでの活用

以上に加えて専門家は、老化停止にとどまらず”デクロフィニケーション”(時計の針を戻すこと)つまり”若返り”というアイデアにまで踏み込んでいる。

①年に一度の細胞の大掃除
②染色体交換法
③恒久的な細胞組織の損傷を、修復デバイスを使って直す

このように、老化は謎に包まれてはおらず、理解できる現象の結果であり、戦う手立てがもうじき手に入りそうなのだ。あと数十年頑張れば、きっとはるかに長いこと生きていられるようになるだろう。(同書335頁)

最後に読後感想だが、これまで人間は死ぬことによって新しい可能性を次世代に託してきたが、”ナノ医療”によりこの大原則が崩れるとなると社会のあらゆる価値観がもう一度見直されることになる。果たしてこれは人類にとって幸福の扉なのか、それとも悪魔の扉なのか。 

                     



 



 





 


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オーディオ談義~オーディオ訪問記~

2007年06月16日 | オーディオ談義

以前、我が家に来ていただいたK市のMさんがどんな音を出されているのか興味があるので、ご都合を伺い出かけてみた。アポジーというリボン型の平面スピーカーも是非聴いてみたい。

こうやって全然見も知らない人間同士に接点ができて交流が出来るのもネットのおかげと感謝しながら小雨の中、約35分で道に迷わずに到着。海が近くて開放的な環境でこれなら真夜中に少々大きな音で音楽を聴いてもご近所に気兼ねは必要ないと思わせるほどの閑静で空間に余裕のある住宅街。

因みにMさんの試聴装置は次のとおり。
CDトランスポート  ヤマハCD-1
DAコンバーター   真空管式
アンプ         ケンウッド(アキュフェーズの前身)L-01A(2台:バイアンプ)
スピーカー      アポジーカリバー(2ウェイ、クロス500ヘルツ)

目を引いたのは、アンプのボリュームは音質に悪影響を及ぼすとのことで、L-01Aのボリュームやその他の機能を一切使用せず、別に自作されていること。それに、製造中止の01Aのスペア部品も確保されていていつでも修繕OKでありメカに詳しい方がうらやましい。

ところでMさんは中央で音響関係の仕事をされていたのでメーカーと評論家の内情に実に詳しい方である。いろんな実情を聞かせていただいた。

売らんがために余計な機能をつけて音質を悪くしたり、表面に出てこない部分にコストを優先して劣悪な部品を使って平気なメーカーや、親族にラジカセで聞かせてCD評を書かせ、そっくりそのまま公表する音楽評論家などが一部にいるそうだ。

専門誌でのCDやオーディオ製品の評価も業者におもねって実力以上に褒めたたえ、あるいは気兼ねして毒にも薬にもならない表現に終始し、まったく頼りにならない例が多い。民間だから法律には触れないが、リベートは当たり前の世界。芸術の世界といっても損得抜きの状況かどうかよく考慮しておかないとうかつに信じられない世の中だ。

したがって、Mさんはオーディオ製品やCD盤の購入にあたってはネットでお気に入りのホームページやブログを見つけておいて、利害とは関係ない生のクチコミ情報を最優先にされるそうだ。とにかく、音楽誌でもオーディオ誌でもまるっきり書評を信用されていないのには驚いた。

たしかに、利益優先は当然だとしても音楽愛好家をないがしろにするメーカーや手抜きをしたり良心を失った評論家(全てとは言わないが)から身を守るためにはこれ以外に方法がないだろう。

閑話休題。

さて、アポジーの置きかたも実にユニークで、背後の空間が2m以上必要とのことで2部屋通しの境目部分に設置してある。

試聴は始めにグールドが55年に録音したバッハの「ゴールドベルク変奏曲」をパソコンソフトによりヤマハのピアノに再録音したCD盤「グールドの再創造」。

ボリュームを必要最小限にしぼった中でピアノの音がくっきりと浮かび上がった。とにかくSN比が抜群。拙宅のアンプは真空管なのでその点少し弱い。グールドの演奏もあの独特のうなり声は録音時にカットされているが、まさに最新の録音で現代に蘇った印象。

グールドが録音した「ゴールドベルク変奏曲」については旧録音(55年)と新録音(81年)のどちらが良いか長い間論議の的になっているが、個人的な意見としては音楽への挑戦、そして純粋なひたむきさにかけては旧録音に軍配を上げたい。新録音には功なり名を遂げた芸術家の妙な落ち着きがある。

若づくりのときの掘り出し物は一流の芸術家にはよくみられる現象という話をよく聞くが、Mさんもまったくの同意見で、特にチェンバロ演奏からピアノ演奏に移行させた意義はきわめて大きいと言われる。

この盤は是非欲しいが、そのうち輸入盤がネットで放出されるのでそちらの方が安価とのこと。それにしても国内盤はどうしてこんなに高いのだろう。

さて、アポジーはやはり期待通りでクラシック好きな方が好まれそうな音である。長時間聴いても疲れない音でホールトーンの表現にも優れている。たしかにMさんが言う”後方に広がる音”になっている。

以下試聴盤としては次のとおり。
内田光子:シューベルトの即興曲
シミズ・ヤスアキ:無伴奏チェロソナタ(テナーサックス)
ペトレ:無伴奏バイオリンソナタ
ジュリーニ:交響曲「田園」

選曲を見ても分かるように、内田光子さん以外は世評に埋もれた演奏家やCD盤であり、こうしたものを発掘して楽しまれる傾向がお好きのようである。
始めての訪問であまり長居してはと2時間足らずで辞去したが、これでMさんが好まれている音が大体分った。

帰途につきながら、Mさんの音と拙宅の音とが両極に位置する中で、対極にある自分の音の長所、短所がひときわ鮮明になって浮かび上がりつくづく勉強になった1日だった。

              












 


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愛聴盤紹介コーナー~ピアノ・ソナタ32番追加試聴♯3~

2007年06月14日 | 愛聴盤紹介コーナー

ベートーベンのピアノ・ソナタ32番の試聴については既に5セットが終了している。あくまでも自分の好みの範囲であることを前提にするとバックハウスが一頭地を抜いている。

今回新たに内田光子、ケンプ、ブレンデルの3セットを追加購入し試聴してみたので感想を記してみる。

☆ ウィルヘルム・ケンプ(ドイツ・グラモフォンPOCG-90111)

朴訥というべきか、人間味溢れる眼差しともいうべきか、穏やかな演奏が基調となっている。ケンプの人間性そのもののような気がして好感がもてるがややタッチが弱く厳しさが足りない印象がする。このソナタの主題はこの盤のライナーノーツによると「闘争と平和」と書いてあったが、何だか平和だけに肩入れした感じ。世の中、平和だけで成り立てばそれに越したことはないのだが・・。

☆ アルフレッド・ブレンデル(フィリップスUCCP7086)

ブレンデルといえば、知的ということばで代表され、あのグールドがかなり買っていたという記事を読んだ記憶があるので、今回の対象盤に組み込んでみたが一言でいって期待はずれだった。

全体的に考え込みすぎてリズムに乗り切れていない感じがする。もともと説教味を帯びた第一楽章がますます堅苦しい。それに一番大切な第二楽章に躍動感が足りない。無味乾燥で、音楽学校の生徒さんが一生懸命に楽譜をなぞっている印象。

☆ 内田光子(フィリップス475 6935)

これはなかなか聴かせる演奏だった。内田節とでも言うべきか、曲の内面に深く入り込んで自然に糸を紡いでいく趣が感じ取れる。これなら「葛藤と安息の境地」が両立していると思った。

肝心の第二楽章の”聴きどころ”のクライマックスから段々と潮が引いていく感じのところはバックハウスに匹敵するほどロマンチック。しかし、惜しいことにそれからエンディングにかけてがやや間延びした印象を受けるのが残念なところ。高揚感と虚脱感の落差がもっと欲しい。やはりこのソナタの世界は男の悔恨と侘しさがふさわしい。女流ではこの辺が限界かも。しかし、孤軍奮闘、全体的に好演の印象で録音はこの盤が一番良い。(なお、彼女の「30番作品106」は絶品だった)

結局8セットの自己流での分類は次のとおり。
上位グループ
バックハウス、リヒテル、内田光子
中位グループ
アラウ、グールド
下位グループ
ケンプ、ミケランジェリ、ブレンデル
となった。

これで、32番のソナタを弾いた著名ピアニストはほとんど聴き尽くしたので当分打ちとめ。あとは成長株キーシンあたりを見守るぐらいだろうか。

なお、最近NHKBSハイでベートーベンのピアノ・ソナタ演奏の特集に出演しているピアニスト兼指揮者ダニエル・バレンボイムも実力からいって有資格者なのだが、彼には何の恨みも無いのだが、昔、芳しくない噂の記事を読んだことがあるのが引っかかっている。

その噂とは、
彼の奥さんは世界的なチェリスト”ジャクリーヌ・デュ・プレ”(1945~1987)だった。彼女は可哀想なことに多発性脳脊髄硬化症という難病に苦しみぬいて42歳で非業の最期を遂げたが、夫であるバレンボイムはその闘病生活に対してどうも冷たい態度に終始しケアが十分ではなかったらしい。

当時”デュ・プレ”の才能に大注目していたのでそういう趣旨の記事を読んだ記憶が鮮明に残っている。もちろん、ケアの程度の問題もあるし、そもそも真偽の程は確認できないのだが、根も葉もない噂ではないような気がする。何故なら、こんな噂を広めても誰も得するものがいないから。

もちろん、これは、彼の芸術性とは何ら関係の無い話であり、世間にはよくある話なのだが、その記事を見てからは彼の演奏とは自然に距離ができてしまって遠ざかるばかりである。

               
  内田                 ブレンデル             ケンプ








 


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音楽談義~東急湯布高原ブライトコンサート~

2007年06月10日 | 音楽談義

F県に住んでいる兄から、コンサートの切符が1枚余ったから聴きに行かないかと電話があった。場所が別府の近くの湯布院とのこと。

近距離だし、日ごろ地方の田舎にいるせいで生演奏に接する機会もあまりなく耳を鍛える意味で行ってみようかという気になった。

と き    2007年6月9日(土) 19時~21時

ところ    湯布高原ゴルフクラブ クラブハウス

主 催    東急電鉄(株)、湯布高原(株)

演奏者    ローゼントリオ
        申 愛聖(ヴァイオリン)東京音楽大卒
        中村里子(ヴィオラ)東京芸術大学卒
        三間早苗(チェロ)桐朋学園大卒

曲  目    第一部
         愛の喜び、愛の挨拶、G線上のアリア、トロイメライ、白鳥「動物の謝
         肉祭」誰も寝てはならぬ 歌劇「トゥーランドット」、チャール・ダーシュ
         第二部
         80日間世界一周、ムーンリバー、ニュー・シネマ・パラダイス、日本
         の童謡メドレー、涙そうそう、川の流れのように、サウンド・オブ・ミュ
         ージック・メドレー

ご覧のとおり、ややポピュラーな曲ばかりなので親しみやすく聴けた。それこそ、かぶりつきの目の前の席で聴いたが、やはり電気回路を通さない生の音の良さが十分認識できたのが収穫だった。

この音を頭に刻み込んで持って帰って、我が家のオーディオ装置に生かさねば・・。

なお、妙齢かつ容姿端麗の3名の演奏者のプロフィルでは、日本を代表する音楽関係の大学が3校たまたま記されている。日本の総合大学では東大、京大と続く明確な序列があるが、音楽の世界ではどんな序列になっているのかしらんと思わず興味を覚えた。

兄の知人のピアノの調教師のTさんにお尋ねしたところ、音楽の世界では大学名だけではなくて誰に師事しているのかが重要とのことで納得。

また、思わぬ収穫もあった。開演前に周囲と魔笛の話をしていたところ、前の席にお座りの見知らぬ方が振り返られて、ワタシも魔笛が大好きですとおっしゃる。

音楽の好みが合致すると、すぐに百年の知己となる。ヨーロッパで魔笛の公演を実際に観劇されたとのことで筋金入りの方だった。S県の方で愛聴盤はクレンペラー指揮の魔笛だそうで、たしかにこれも名盤である。「夜の女王」のベストは誰かなど大いに話が弾み、住所、氏名、電話番号、メールアドレスを交換してお別れした。

やはり活動範囲は広げることが大切で実に収穫の多い一夜だった。


 


 




 




 


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釣り紀行♯2~鷲の襲撃~

2007年06月09日 | 釣り紀行

6月8日(金)、朝食後の散歩をしているうちにどうやら天気も崩れない気配なので急に釣りを思い立った。途中で自宅に引き返し早速釣具店に電話してエサの解凍を頼む。自宅を出発したのがちょうど8時30分。

前回の釣り場でお目当てのクロが不調だったので、場所を替えて,釣具店経由でT市の”狩床”に着いたのが、10時20分。
近くの小学校の駐車場にクルマを置かせてもらい、防波堤まで荷車を引いてようやく着いたのが10時30分。

人気釣り場なので土、日、休日は場所が取れないが、平日なのでこの時間でも誰も釣り人がいない。しめしめ、これが「毎日が日曜日」の人間の強み。

仕掛けを準備して、釣り開始は10時45分。なかなか快調でマキエを始めてすぐにアジがかかりだした。しかも前回のO島のときよりも型がいいようで、突っ込んでくるときの竿のしなりが気持ちが良い。

おまけに、12時30分ぐらいに浮き下1.5mぐらいで35cmクラスのチヌ(黒鯛)がかかった。この場所は以前、大物のチヌに釣り糸を切られて何匹か取り逃がしたことがある実績のある場所。

今回は小さめなので簡単にあがった。続いて30cmクラスのクロもかかる。こちらの方が引きが強かった。どうやら汐具合がよくて食いが立っているようだ。アジの方も間断なくポツポツきた。

14時ごろから、ぱたりと食わなくなる。つけたままのエサがそのままあがってくる。そして、ようやく釣れたと思ったら底魚のベラ。あまりおいしくないので歓迎されない魚だ。

捨てようかどうしようか、緩慢な動作で釣り針を外しにかかったら、いきなり手元に衝撃が走った。電光石火の早業とはこのことだろう。猛禽の中型の鷲が手に握っていた魚を強引に奪い取っていった。丈夫な釣り糸も一瞬のうちに切られた。

釣り歴は長い方だが、こんなことは初めての経験。これに味をしめたのか、しばらくするとおそらく”つがい”だろう、2羽で上空を低く舞いながら、釣り魚を狙ってくる。釣りをしながら、上空まで注意するので忙しいことこの上ない。今の時期はよほど食べ物がないのだろう。鷲も必死だろうがこちらにとっても少々危険。

段々興趣もそがれ、帰ることにした。かなり残っていたエサを海に蒔いて、納竿は15時30分。自宅着は17時10分だった。

今回は、前回よりも大きいのが釣れたので満足の一日だった。 

                   
2007年6月8日(金)、天気晴れ、海上の風ときどき突風

釣り開始:10時45分から15時30分

場所:T市狩床の防波堤

汐:?

ツケエ:オキアミ(小粒)、ゴカイ

マキエ:オキアミ1角、アミ3角

集魚剤:チヌパワー

タックル:さお、(0.8号6.3m)がまかつプレシード

浮き下:2ヒロ

釣果:チヌ1匹(35cm)、クロ4匹(30cm1匹、25cm3匹)、アジ20匹その他

メモ:ウキの選択、仕掛けの予備に反省点あり





 





 


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魔笛談義~43セット試聴結果の総まとめ~

2007年06月05日 | オーディオ談義

ようやく43セットの魔笛の試聴が全て終了した。CD盤、DVD盤、CDライブ盤と3種類あるがいずれを選択するかはそれぞれ一長一短で好みの差だろう。

音質重視派はCD盤、映像重視派はもちろんDVD盤、生の演奏会派はCDライブ盤というところだろうか。自分の場合はもちろんCD盤である。

さて、締めくくりの意味で改めて魔笛の魅力を振り返ってみたい。

モーツァルトは余程このオペラに共感したのだろうか、台本の作者シカネーダーとの友情もあったと思うが作曲家として最晩年の創作力が最も充実した絶頂期の6ヶ月間(1791年3月~9月:一時中断もあった)もの長期間をかけて、それも夢中になって専念しているが、その成果は期待にたがわぬものだった。

約2時間半に亘って天国的な名曲が次から次へと展開される。洪水のように押し寄せるアリア、重唱、合唱とレチタティーヴォ(歌うより語る方に重点を置く唱法)、しかもその歌詞と絶妙の旋律が見事に織りなす豊かなオーケストレーションの展開。

まるでモーツァルトがこれまで生きてきた証として持っているあらゆる要素を詰めこんだ集大成のような作品であり、魔笛が音楽史に輝く傑作と評されるのも当然かもしれない。

モーツァルト自身も魔笛には最後まで心を残したようで、「モーツァルト魔法のオペラ」(2005年6月20日発行、アニー・パラディ著、白水社刊)415頁によると次のとおり。

「死の前日にも、彼は妻に僕の魔笛をもう一度聴きたいなあと言っていた。そしてほとんど聞き取れない声で第一幕の”鳥刺しのアリア”を口ずさんだ。そこで、枕元にいたローザー氏は立ち上がり、ピアノに向かい、この歌を歌うと、モーツァルトは明らかに喜びの表情を浮かべた。」

あのベートーベンも魔笛をモーツァルトの最高傑作としており、心酔して「魔笛の主題による12の変奏曲」を作曲し献じている。

とりわけ、魅了されるのは楽しい「人間讃歌」(2006年12月放映NHK・ハイビジョン「毎日モーツァルト」から引用)でありながら、このオペラの底流に澄み切った秋の空のような何ともいえない清々しい晴朗さのようなものを感じるのである。

これは人によっていろんな受け止め方があり、あの文豪スタンダールはこの感覚を「疾走する悲しみ」と呼んでいるようだが、何だか潔い諦念ともいえる感覚に近いものを覚える。

何だか青くさい表現になるが、人間の存在の卑小さ、生命のはかなさなどが暗示されているかのようであり、魔笛に「はまる」か「はまらない」か、人によってわりと好き嫌いがはっきりと分かれる境界線が、本人が意識するしないは別としてどうもこの辺の感覚にありそうな気がしている。

自分は「はまった」方のクチであり、魔笛の音楽に無常観を覚えてしまって、縁起でもないがかねがね身体の自由が利かなくなったときには
ラジカセでもいいから枕元で魔笛を鳴らしてくれと家人に言い渡してある。

ベーム盤(1955年)、サバリッシュ盤(1972年)、ハイティンク盤(1981年)、デービス盤(1984年)のいずれかであれば思い残すことがなさそうである。

これから魔笛のどんな名盤が出てくるのか楽しみの一つだが、タミーノ役のテノール歌手が枯渇気味なのでやや期待薄である。

しかし、映画としてケネス・ブラナー監督による「魔笛」が完成し2007年7月に日本公開との情報がネットで飛び込んできた。

ケネス・ブラナーはイギリス出身でシェイクスピア俳優としても有名である。果たして音楽と映像の融合にどんな手腕を見せてくれるのだろうか。  
               

          
                      
 


 

    


 


 

 


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魔笛視聴コーナー~DVDの部~まとめ

2007年06月02日 | 魔笛視聴コーナー~DVDの部~

1971年収録のシュタイン盤から、2006年収録のムーティ盤まで13セットのDVD盤の視聴が終了したのでまとめてみる。

①格差の激しいDVD盤

21セットのCD盤も玉石混交だったが、DVD盤はそれ以上だった。音質はCDの方が良いのに決まっている(我が家の装置では)ので、DVDに求めるのは、音質はそこそこの範囲で演劇としての舞台装置、歌手達の歌い方や演技などだが、これは使用されている歌劇場によって格差が激しかった。

地方の音楽祭のまるで学芸会みたいな小さな会場から国を代表する歌劇場まで実にピンからキリまであり、舞台装置も歌手達の熟度もその会場のレベルに見事に付随していた。実際に観劇するのならともかくDVD 化して販売するのが非常識と思われる盤も見受けられた。CD盤に比べて随分高価なので要注意である。

例を挙げると、レスキー盤(1999)、トロタン盤(2000)などがそうである。


②パパゲーノの役柄

やや細かい話になるが、CD盤に比べて映像付きのDVD盤になるとパパゲーノ役が魔笛に欠かせないコミカルな役柄として実に印象が深かった。歌唱力はさほど必要とされない(?)役だが、演劇という面からみると主役にはなれないけれども実に重要な役なのだと再認識した。これが映像の持つ説得力だと納得。

③ベストDVD

最後にベストDVD盤だが、デイヴィス盤(2003)とメスト盤(2000年)の二つが抜きんでている。詳細はレポートのとおり。このどちらかがあればCD盤、DVD盤全てを合わせても十分にカバーできると思う。あとのDVD盤は横一線で好みになるが次点として、シュタイン盤(1971)、サバリッシュ盤(1983)、ゲンネンヴァイン盤(1992)といったところだろうか。特にシュタイン盤のザラストロ役ハンス・ゾーティン(バス)の歌唱と映像はこれだけなので実に貴重な盤。

                         
            13セットのDVD
 


 


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