「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

百見は一聴にしかず

2013年03月31日 | オーディオ談義

明日は4月1日の月曜日。お役所をはじめ大半の組織では新たな会計年度としての平成25年度の始まりの日である。

わが町の自治会の会計年度もその例に漏れない。この自治会には渋々ながらも4年間、会計役として貢献したが、無事後任が見つかって、昨年の総会の開催日(4月中旬)をもってようやく辞めることが出来た。ただし、会計役は役目を終えても引き続き監査役(1名)に就任するというのが我が町内の暗黙のルール。

昨日(30日)の午前中、24年度の新たな会計役となったYさんが、事前鑑査用の資料をわざわざ持ってきてくれた。このYさんは年の頃、40歳前後だろうか。社会の酸いも甘いもひと通り経験して、すべての面で脂の乗り切った働き盛りとお見受けした。

ご丁寧にも収支決算書、収入収支明細書、現金出納帳、領収書綴りなど会計書類一式を持参してきて、「これらを預けておきますので目を通しておいてください」とのこと。

これは非常にありがたいことで、暇なときにマイペースで検証できるし、肝心の本監査(4月7日)の方は短時間のセレモニー程度で済ませることが出来るので役員全員が助かる。

玄関先で昨年の役員全員の退任後の運営状況などについての立ち話をしていると、いろいろそれなりの苦労話があるみたいで、当方も事情が分かっているだけに同情すべき点も多々あって、
どうやら話が長引きそうになった。

「まあ、中に上がってゆっくり話しませんか」と、いうわけでオーディオ・ルームにご案内すると「ワァーッ!」と驚嘆の声があがった。

           


つい、本題の話はそっちのけになって目の前の装置にピッタリ釘付け。あまりの驚き様に乗せられて「何か曲を聴いてみますか」と、お伺いすると、「ぜひお願いします。」

「そうこなくっちゃあ~」(笑)

まず、奈良のMさんからお借りしている「MJオーディオテクニカルCD」のうちの、大のお気に入りの13トラック「天堂」(テンゲル→内モンゴルのシンガーソングライター)をかけてあげた。システムは「AXIOM80」3ウェイ・システム。

「日頃聴いている音とまったく違います。音が澄んでいて深みがあります。驚きました。」と、目を丸くされている。そこで、調子に乗って、今度はJBLの3ウェイシステムを聴いてもらった。

このシステムの生命線は低音域の豊かさに尽きる。となると12トラックの「トッカータ」(バッハ)が筆頭。

タンノイ・ウェストミンスターの長大なバックロードホーンがオルガンの床を震わすような豊かな重低音の響きをいとも簡単に鳴り響かせる(ただし、ウーファーのハイカット周波数を200ヘルツにしているのがミソである!)。これには心から感銘を受けられたご様子。

「オーディオ装置からこんなに素晴らしい音が出るとは夢にも思いませんでした。同じ町内の方々の中にはきっと音楽が好きな方がいると思いますのでもっと宣伝されたらいかがでしょう。自分もぜひオーディオをやってみたいです。何から、どう手を付けたらいいんでしょうか?」

正面切って、こう問われると不思議なことに咄嗟に言葉が出てこない。我が家に試聴にお見えになる方は全員がそれなりに心得のある方ばかりだから無理もない。

端的に言えば「オーディオとは気に入ったスピーカーの能力を最大限に引き出すために、その方法(アンプなどの選択を含めて)を考え、実行に移すことです。」が長年の持論だが、こんなことをYさんに言ってもチンプンカンプンだろう。

そもそも「気に入ったスピーカー」を見つけることから始めるとなると、それなりの時間と授業料が必要なことは言うまでもない。

「とりあえずテレビの音を聴くのならこういうシステムだって充分聴けますよ」と、テレビ用システムの音を聴かせてあげた。

テレビチューナーの出力端子に「プリアンプ(真空管) → パワーアンプ(真空管) → リチャードアレンの20センチフルレンジ(ボックス自作)」を繋いだシンプルなシステムで、ちょうど春の高校野球を中継していたが「広い甲子園球場の雰囲気がよく出ています。これで十分です。我が家のテレビの音は少し距離をおくと聴こえずらくなりますが、この装置では離れるほどうまい具合に聴こえますね。」


結局、Yさんの手始めとしては別途、市販のプリメインアンプとスピーカーを購入ということになるのだろうが、有難迷惑の可能性もあるので差し出がましいことは遠慮しておくが、出来ることならスピーカーだけは単独のSPユニットを購入し、SPボックスの自作をお薦めしたいところだ。

SPユニットの背圧の逃がし方や吸音材の使い方など、基本的な勉強が出来るし、将来2ウェイ、3ウェイへの発展性やネットワークの構築などを通じてオーディオの真髄に触れることが出来るのがその理由。

それにしても実際に音を聴いていただくことで、素人同然の方がこうしていとも簡単にオーディオ・ファンとなってその素晴らしさに気付いていただけることにいささか驚いた。

世間では「オーディオマニアとは単なる音キチだ。それほどまでしなくても音楽は十分楽しめる。」としか映っていないだろうが、こうして実際に聴いていただくとその偏見がアッサリ覆るのだから、ちょっと考えさせられる。

周知のとおりオーディオ人口は減る一方だが、もしかして「食わず嫌い」が多いのではあるまいか。

オーディオは自分さえ楽しんでいればそれでいいし、何もお節介をやく必要もないわけだが、こんな“楽しい”趣味だからこそ、もっと賛同者を増やし、豊かな人生を送ってもらう手段の一つとして広く普及させていくのもマニアとしての役目なのかもしれないと思ったことだった。何せ、実際に音を聴かせてあげればいいのだから簡単なことである。

「百見は一聴にしかず」。

とりあえず、町内の有志を募って我が家で「音楽鑑賞会」を開催してみようかな。その時はYさんが、いの一番に馳せ参じてくれると確約してくれたが、はたしてあと、どのくらいの人が呼びかけに応じてくれるのだろうか。

ここは思案よりも行動が先かな(笑)。
 


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大量に見つかったVHSテープ

2013年03月30日 | 独り言

3週間ほど前のことだった。

家の中に飾っていた「お雛様の道具」(大きな箱2つ)をカミさんに加勢して倉庫に収納していたところ、邪魔になる段ボール箱がいくつか目についた。

いったい何が入っているんだろうかと中身を覗いたところ、これが何と一昔前の大量の「VHSテープ」。

これらの、いかにも旧式の録画媒体はすべて廃棄したものと思っていたのだが、どうやらVHS戦争に敗北したベータテープ(ソニー)の方だけ一方的に処分していたものらしい。

内容の方はテレビで放映された映画の録画がほとんどで大したことはないのだが「漢詩紀行」(10巻:NHK)など、わざわざ買い求めたものもいくつかある。そういえば「江守 徹」さん独特のドスの利いた声による解説・朗読と漢詩の味わい深い余韻に浸って、視聴のたびに大いに心を揺り動かされたことを想い出す。

          

上記の写真にはほんの一部しか映っていないのだが、仔細に検閲してみると「トム・ジョーンズの華麗な冒険」「五つの銅貨」「わらの女」などの名作群が続々と出てきた。とりわけ、昔からジェームス・スチュアートの大ファンだが「遠い国」は昨今の多チャンネル時代の映画放映にもかかわらず、絶対と言っていいほどお目にかかれない稀少な作品。

おまけに一作年の9月に亡くなった懐かしい母(94歳)の名前が書かれた思い出のテープまで出てきた。

すっかり忘れていてゴメン!

これではとても廃棄するに忍びず、場所は取るけれど保管しておこうと決心した。しかし、これらVHSテープはすっかり忘却の彼方にあったので、2年ほど前に(ビデオデッキを)巡回してきた廃品業者に渡して処分したのが何とも口惜しい。

次から次に知人に電話をかけてみた。

「VHSビデオデッキを持っていたら譲っていただけませんか。多少のお礼はいたしますが。」

しかし、残念なことに既に処分済の方々ばかりでアウトの連続。そりゃそうだろうねえ。今では録画といえばHDD(ハードディスク)かブルーレイだもんねえ。

ようやく、お一人から反応があって、三菱のビデオデッキをいただくことができた。テスト後にお礼をするつもりで、家に持ち帰って電源を入れたところカタカタと異音がしてきて、そのうち薄い煙が電源部から漂ってきた。

これは危ない!すぐにスイッチを切った。専門店に修理を依頼することにして、大分市の三菱のサービスセンターへ持参し、修理の見積もりを依頼したところ、受付のお嬢さんが型番をパソコンで調べていたが、「なにぶん古くて部品の在庫がありません。修理できない可能性が大いにありますが、とりあえず診てみます。」

「はい、よろしくお願いします。修理にあまりお金がかかるようでしたら、中古の製品を買い直しますので、とりあえず見積額を教えてください。」

そして、サービスマンからその回答があったのが28日(木)の夕方のことだった。

「懐かしい製品でしたので丹念に見てみました。残念ですが、コンデンサーなど一連の部品が役に立たない状況です。基盤全体を交換しないといけませんが、もう部品がありませんので修理は不可能です。どうしてもVHSにこだわるのであればブルーレイとVHS一体型のデッキがありますので今のうちに購入されておいたらいかがでしょう。」

ウ~ン、成る程。しかし、また「物入り」か~(笑)。

ネットで「ベルーレイ VHS一体型」でググってみると、東芝の製品などがあったが、オープン価格とあってサッパリ値段が闇の中。

いろいろ調べるうちに、どうもこの一体型と称される製品の評判がよろしくないようで、画質が悪いのか、故障が多いのか、値段が高すぎるのか、いろいろあるのだろう。

そこで一案。

まず、中古のよく整備されたビデオデッキを購入する。それを別途「ブルーレイデッキ」に接続して、再生しながらブルーレイに録画すればいい。幸いソニーから「VHSリマスター」といって短時間で録画できる機能が付いた「ブルーレイデッキ」が発売されているようである。

もっとも、何もブルーレイに録画しなくてもVHSデッキと液晶テレビ(アクオス)のチューナーに接続すればいつでも視聴できるのがこの方式のいいところ。

どう考えてもこれが一番合理的なので、採用することに決定!

すぐにネットで調べてみると関東地区の中古のビデオデッキ専門店が見つかった。オークションで求めるのもいいのだが、後々の保証を考えると修理システムがしっかりした専門店から購入した方が長い目で見ると得のような気がする。

10台前後の整備済みのビデオデッキの中から選んだのがビクターの「HR-VX8」(S-VHS)。これは以前、自分が持っていたものと同一機種である。録画と再生は同じ機種の方がきっといいはず。

メールでやり取りした後、代金引き換え払いで注文したので31日(日)の午前中には到着の予定だが、よく考えてみると、この日はカミさんの仕事が休みで、家に居る日だった。

何というタイミングの悪さ!「また、何か買ってる」の怒声(?)が飛んできそうだ。

到着日の変更は可能だが、早く観てみたいしなあ。無用の刺激は“与えない”に越したことはないのだが、やれやれ(笑)。


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名誉挽回のチャンス

2013年03月24日 | 独り言

現役時代と違って今では何ら制約もなく時間はたっぷりあってやりたい放題の生活で、いわば完全にストレス・フリーなのだが、どうしたことか心理的な面ではいまだに公私にわたって過去のいろんな失敗体験を引き摺っている。

たとえば、ふとしたときに、それも何の脈絡もないままに当時の赤面ものの失敗や気まずい思いをしたことなどをふっと想い出したりするのがその証拠。

成功体験もかなりあるのに不思議なことにそちらの方はあまり思い浮かばないのだから、なかなか困った性格の持ち主である。

まるでプロ野球の選手がホームランを打った記憶よりもチャンスで凡退したことをいつまでも覚えているようなものかな。

さて、今回はミスといってもまことに他愛ないミスに対して高校時代の同窓生たちが名誉挽回するチャンスを与えてくれたという話である。

昨年の11月上旬に福岡からわざわざ我が家に試聴にやってきてくれたオーディオ仲間たち。(以下、「福岡組」)

もちろん、その時点では自分なりに「人に聴かせても恥ずかしくない音」だと思って来てもらったわけだが、現時点で振り返ってみると、けっしてそうではなかった。

当日の試聴を終えて、おそらく福岡組は「何だ、いい歳をして40年以上かかって到達した音がこの程度か」と、思ったことだろうと想像するだけで何だか身が細るような気持ちがするのである。

システムから醸し出される音はその持ち主の知的かつ美的センスを洗いざらい映し出すところがあるので、人にお聴かせするときはゆめゆめ油断できないのだ(笑)。

つまり自分にとってオーディオとは人生航路の縮図みたいなものというわけだが、この4か月ほどは過去の経験の中でもかってないようなしっかりした歩みを遂げているような気がする。

JBL375ドライバー(16Ω)のダイアフラム(ダイアモンドエッジの純正品)を入れ替えての導入、高性能のボリュームを擁したプリアンプの導入、超シンプルな回路を持った出力管2A3アンプの導入、ネットワークに使用しているオイルコンデンサーの定数の見直しなど、それこそ改善点は枚挙にいとまがないほど。(これもひとえに奈良のMさんのおかげです!)

そういうわけで、最近、福岡組の一人のU君に「今となっては、あの時の音は反省だらけだった。随分良くなったと思うので何とか名誉挽回のチャンスを与えてくれないかな。このままでは死んでも死にきれないよ」と、率直に気持ちをぶつけたところ、さすがに頼りがいのある親友たち。

おそらく、それほどまでに〇〇君が言うのならと同情してくれたのだろう。仕事を持つ忙しい現職組なのにバタバタと試聴の日程を設定してくれて、3月20日(水)の春分の日に決定した。

いやあ、ありがたい、ありがたい!

18日(月)には、つい最近のブログに記したように同じ福岡県から「AXIOM80」ユニットの愛好家であるKさんがお見えになって、なかなかの評価をしていただき(おそらく遠慮していろんな欠点に目を瞑ってくれたのだろうが!)、自信への追い風となって今や順風満帆。

よし、今度こそは恥ずかしくない音を聴いてもらうぞ~。

当日は天気にも恵まれ、一人の欠員もなく、特段の機器のトラブルにも遭うことなしに4時間ほどの試聴が無事済んだ。我が家のように一室にシステムが二つあるのは音響上決していいことではないが、交互に聴くので比較が出来て長所短所が把握しやすいし、長時間使用する真空管の負担も軽くて済むので大いに助かる。

席を替えて夕方からの「飲み会」では、オーディオ談義に大いに花が咲いた。

「この前よりも音が明るくなっている」「一言でいえばワイド(JBLシステムのレンジ)とディープ(AXIOM80の奥行き感)の違いだね」「チェロの音が胸に迫ってきた」と、うれしくなるような講評が続々。

「しかし、この前の音も決して悪くなかったよ~」と、誰かが慰めてくれたが本当かな?

持参してくれたCDのうち、2枚ほど好みがあったので借りることにした。

            

「後日、すぐに郵送するよ」と言ったところ「次回に行く口実になるのでずっと持っておいてくれ」。これが本音なら実にうれしいことだが、おそらく思いやり深い皆さんはシステムの様々な欠点に気付きながらそっと胸に仕舞い込んでくれているに違いない。

この言葉に、よし、次回までには工夫して「もっといい音にしてやるぞ」というヤル気が大いに湧いてきた。

談論風発、非常に楽しい飲み会だったが、福岡組は21時発の最終バスで無事帰宅の途に就いた。

これで、名誉挽回のうち一つが済んだ。しかし、あと三つ残っている。それは小郡市にお住いのNさんたちの御一行と、うきは市のKさんと大宰府のMさんのお二人、そして奈良にお住いのMさんである。

Mさんは遠距離なのでおいそれとは無理だろうが、前二者には「近いうちに」電話してみようかな。


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音が良くなったCD盤

2013年03月22日 | 音楽談義

「ソニーからグレン・グールドの新装盤が発売されています。送りますので一度試聴してみてください。」と、オーディオ仲間のMさん(奈良)からメールが届いた。

        

言わずと知れたグールドの「モーツァルト・ピアノソナタ全集」(以下、新盤)である。そういえば、半年ほど前の週刊誌に「グールドの一人勝ち」という小見出しが踊っていた。

幾多の名ピアニストたちが時間の経過とともに次第に忘れられていく中、没後30年以上にもなるのにいまだに高い人気を誇っているピアニストのグレン・グールド。一流の演奏家たちがスランプに陥ったときは「ひたすらグールドの演奏に耳を傾ける」と書いてあったのを読んだ記憶がある。

バッハの「ゴールド・ベルク変奏曲」で衝撃的なデヴューをはたしてからその快進撃は留まることを知らなかったが、比較的短命で50歳前後で亡くなってしまった。しかし、周知のとおりスタジオ録音主義に徹していたので残された作品は数多いが、その中でも特に人気が高かったのがこのモーツァルトのピアノソナタ全集である。

「世界中のグールドファンの愛聴盤」とされており、自分もその例に漏れない。というかそれ以上の存在で、座右の盤としてもう何度聴いたか分からない。おそらくレコード盤なら擦り切れてしまっていることだろう。

手元にあるマリア・ジョアオ・ピリス、内田光子さん、クラウディオ・アラウ、ワルター・ギーゼキングなど、いずれも「歌心」たっぷりな名盤の中でも飛びぬけた存在である。独特のハミング交じりで、ただひたすら音楽の中に没入していく演奏はまるで麻薬のような吸引力を発揮する。しかも胸が切なくなるほどのロマンチック性があるのだからこたえられない。

            

この盤は10年以上も前に購入したもので、通常のCD盤は16ビット録音だが、20ビット並みの録音とされる「SBM」(スーパー・ビット・マッピング)だったので、飛びつくように購入した。ちなみに、それまで持っていた同じグールドのCD盤は知人に進呈した。

結局、今回の新盤は同じグールドが演奏したものとしては3度目となる改装盤になるわけだ。

前置きが長くなったがさっそく、この新盤と旧盤とを聴き比べてみると、これがまったく同じ演奏かと思うほどの違いがある。

一言でいうと「音の粒子の一粒づつが極めてきめ細やかで非常に滑らかに聴こえる。しかもレンジが随分広くなっているし、録音スタジオの空気感までが伝わってくるほどの静けさが漂っている。」

これは、素晴らしい!

いったい、ソニーはこの新盤の製作に当たってどこをどう変えたんだろうか?

それはともかく、これは絶対買わずばなるまいて。ヤレヤレ、また物入りになってしまった。トホホ。

Mさん、お願いですからこれ以上私にいろいろ”ちょっかい”を出さないでください(笑)。


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値千金のひととき

2013年03月20日 | オーディオ談義

「いやあ、こういうメールをいただくとはとてもうれしいですね~。つくづくブログをやってて良かったと思います。〇〇市(福岡県)にお住いなんですね。高速道路を使えば別府とはもう目と鼻の先じゃありませんか。私がお伺いしてもいいし、もちろん当方までお越しいただいても構いません。おたがいに、気難しい“AXIOM80”を使っている者同士、苦労話が尽きることはないでしょう。是非一度お会いしたいものですね。」        

「K」さんという、見ず知らずの方から突然メールをいただいたのは3月14日(木)のことだった。いつもこのブログに目を通していただいているというから実にありがたいこと。即座に上記のメールを返信し、その後2回のやり取りを通じて、「善は急げ」とばかり、我が家での試聴会を3月18日(月)午後に設定した。

Kさんから伺った予備知識を整理しておくと、


 25年前から「AXIOM80」(オリジナル)を愛用してきたが、現在は、事情があって待機中。

 プリアンプに使用しているミニチュアの電圧増幅管「6DJ8」とは30年の付き合いがあり、銘柄によって品質格差があって、大いに泣かされた。高信頼管の「6922」「7308」でようやく満足をみた。当日は数種類持っていきたい。

 「AXIOM80」をうまく鳴らすには出力管「2A3」を使ったアンプがベスト。オリジナルのRCA以外にも「アークチュラス1枚プレート」「シルヴァニア刻印」「レイセオン4ピラー刻印」「ナショナル・ユニオン」を集めた。よろしかったら、当日これらの“球ころがし”をお願いしたい。

これは、これは!

どうやらとてもウマが合いそうな方とメチャ楽しい時間が過ごせそうである。

待ちに待った当日はあいにくの雨降りだったが、予定どおり別府インターを抜けてすぐの「Sドライブイン」で12時過ぎに落ち合った。一目拝見しただけで、いかにも根っからの「音楽とオーディオ」愛好家みたいな方である。何だか自分と同じ匂いがする(笑)。お互いに簡単な自己紹介の後、すぐに我が家まで先導。

オーディオ・ルームでしばらくシステムの流れを説明した後、今度はKさんから、持参された沢山の真空管のご説明を受けた。試聴をはじめたのが13時頃からで、終了したのが18時過ぎだった。「値千金」
という言葉があるが、この5時間は久しぶりに音楽とオーディオの楽しさを心から満喫した時間だった

大まかに言えば前半は「球ころがし」をして音の変化を楽しみ、後半はベストと目される真空管をアンプに挿した状態でクラシックを中心に音楽鑑賞に専心した。

Kさんが持参されたCDが30枚ほどあって、それぞれサワリの部分を二人で熱心に聴きまくったが、リパッティの弾くショパンやシェリングの弾く無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(バッハ)などいずれも「通」好みで、Kさんの筋金入りの音楽愛好家ぶりと、そして心から音楽に感動されるご様子に思わず胸を打たれた。


はじめにJBL3ウェイ・システム、次に「AXIOM80」を聴いてもらったが今回の「球ころがし」の状況について述べておくと、

 JBL375ドライバーを鳴らしている「2A3」真空管アンプが好評だった。超シンプルな回路は、球のクセをすぐに出してくれるので実に気持ちがいい。「アンプは増幅する電線であればいい」をまさに体現しているようなアンプ。

出力管「2A3」にもこんなに沢山種類があることに驚いたが、上述した
5セットをそれぞれ挿し替えて聴いてみたところ、いずれ劣らぬ銘管ぞろいだが、個人的な好みでは「アークチュラス」「シルヴァニア刻印」が一頭地を抜けており、「RCA」「ナショナル・ユニオン」「レイセオン刻印」が横並び一線といったところ。同じ「2A3」でも、製造年代によってこれだけ音が違うとなるとちょっと考え込まざるを得ない。

 「AXIOM80」を鳴らしているWE300Bアンプだが、当初は1988年製を使っていたが、途中から温存していた1950年代の「オールド」に替えてみたところ、まるっきり別次元の世界に入った。「値段が高いばかりだと思っていたWE300B(オールド)の真価がようやく分かりました。」と、アッサリ兜を脱がれたKさん。それにしてもその辺の違いを恐ろしいほどシビアに表現する「AXIOM80」もこれまた凄い。

           

ヴァイオリンのすすり泣くようなヴィヴィッドな響きに「まったく、後にも先にも現れない空前絶後のユニットですね~。」と二人で深い、深い“ため息”をついたことだった。ただし、Kさんによると「AXIOM80はもっと可能性を秘めたユニットです。エージング次第でさらによくなりますよ。」

お互いの感性が似ている者同士の“よもやま話”は尽きず、あっという間に時間が過ぎていき、ようやく夕闇の気配が漂う時間帯となった。

「この次は、午前中からどうぞお出でてください。一日中、音楽に浸りましょう。」「そうですか、まだ聴かせていただきたいCDが沢山ありますのでありがたいですね。」

その日の夜、無事ご自宅に帰還されたKさんからさっそく次のようなメールが届いた。了解を得ぬままの無断引用、お許しください。

「本日はおかげ様で楽しく、充実した1日を過ごすことができ本当に有難うございました。時が経つのも忘れ、ついつい長居をしてしまいました。 
 
しかし、すごい経験をさせていただいたんですね。PX25に300Bそれもオールドビンテージ球、JBLオールホーン、AXIOM80“3ウェイ”、正に夢のような顔ぶれですよ。一生のうちに何度もある事じゃありません。また出てくる音が只の音ではなく人生の喜怒哀楽を見事に表現していました。
 
一般的にJBLはクラシック向きではないといわれていますが、そんなことはないと、自分の経験から分かっています。375から出てくる弦楽器の音はAXIOM80とは違う、含蓄のある持続的感動と深味がありますね。
 
2A3チビちゃんアンプにも驚きました。小さなトランスで華奢な外見からは想像も出来ない能力の持ち主ですよ。
 
刻印と一枚プレート球の透明感・キレの良さがある程度は出るだろうと予想していましたが、あれ程の違いを見せるとは思いませんでした。
 
300Bの88年物とオールドビンテージ球の鳴らし比べも以外な程の変化で、まるで直熱管と傍熱管との違いに匹適するくらいです。オールド球を皆さんが目の色を変えて探される気持がわかりました。まるでアンプを変えたような変化でした。 
 
久しぶりにAXIOM80で咽び泣くような、すすり泣くバイオリンの音色を堪能させていただきました。真空管オーディオをやっていて本当に良かったと思います。 
 
宜しければまた聴かせてください。今後とも宜しくおねがいします。本日は有難うございました。」

すぐに「こちらこそ、年代物の貴重な真空管の“球ころがし”をさせていただき、たいへん勉強になりました。また、いつでもどうぞ。楽しみにお待ちしてます。」と、返信したのは言うまでもない。

オーディオは自分の楽しみのためにやっているわけだが、人に聴かせてあげてこんなに喜んでもらえるとは想像だにしなかった。

気に入った音で音楽を聴いて胸を震わせ涙を流すほどの深い感動に包まれる。誰か、これ以上の趣味があったら何でもいいから教えてくれ~(笑)。 

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久しぶりの生演奏会~最終回~

2013年03月18日 | 音楽談義

前回からの続きです。

さあ、いよいよ演奏会当日の15日(金)がやってきた。朝から快晴だが、このところしばらく続いた陽気がすっかり収まってしまい冷たい風が吹きすさんで少々肌寒い。今日の夕方は少し厚着して出かけた方が良さそうだ。

ところで隣県の福岡では例年よりも2週間ほど早く桜の開花をみたそうで、どうやら2月下旬から3月上旬にかけての記録的な暖かさが利いたらしい。

さて、Aさんが我が家にお見えになったのは15時過ぎだった。

はじめにJBLのシステムでロストロポーヴィッチが弾く「無伴奏チェロソナタ第2番」を聴く。およそ20分足らずで終了し、次に、そっくり同じ曲を「AXIOM80」(以下、「80」)で聴いてみた。

その結果は、「JBLの音も完成の域に近づいて素晴らしいと思いますが、80の方が表現力が一枚上手ですね。音の諧調が鮮やかです。」と、Aさん。現在はウェスタンの「555+15Aホーン」を鳴らしておられるが、以前は「80」を、ずっと愛用されていたので、その”酸いも甘い”も知り尽くされたうえでの弁である。

これは、内緒の話だがAさんは現在でも「80」(オリジナル)を所有されており、自分のは復刻版なので、譲っていただけないものかと、虎視眈々と狙っているのだが、手放す気配が露ほども感じられないのが非常につらくて、歯がゆくて、淋しい(笑)。

それはさておき、「80」が快走ペースに入ったので、次に「カザルス」が弾く、同じ第2番をかけてみた。

「鬼家迫る演奏ですね。弓の使い方がうまくて表現が極めて多彩に聴こえます。これに比べるとロストロポーヴィッチのはまるで一本調子に聴こえてしまいますね~。」と、軍配は明らかにカザルスに。「名人」と謳われた奏者でさえも神の領域に迫った奏者との差はことのほか大きいようである。

バッハの試聴が終わると、後はいろんな曲を聴きながら「腹ごしらえ」とともにオーディオについてのよもやま話。

演奏会場の大分市に向けて出発したのは17時過ぎだった。開演は18時半なのでちょっと早すぎるが、会場の「音の泉ホール」(定員720名)は指定席がないので、いい席を確保しようと思えば、早めに行くに越したことはない。

ちなみに「いいちこ総合文化センター」には別に「グランシアタ」(2000席)という本格的な大ホールがあるが、小編成の演奏や講演会などはこの「音の泉ホール」で開催されている。


そして、確保したのが前から9列目の中央付近で絶好の位置だった。

           

開演前に舞台でピアノの調律をやってたところをパチリ。

当初、空席が目立っていたものの直前になるとあっという間に客席が埋まった。予定どおり、6時半から演奏が始まって終わったのはアンコールの3曲を含めて8時半頃だった。

「チェロの音色が凄く魅力的でしたね。演奏者もパンフによるといろんな国際コンクールで優勝しているようで、一流のレベルに達していたと思います。」

「素晴らしい音色でした。おそらくストラディヴァリでしょう。あれほどの奏者ですから、公的機関から貸与されているんじゃないですか。無伴奏チェロは、非常に抑揚をつけて自分なりの個性を表現するように努めていたように思います。チェロを志す者ならカザルスの演奏が羅針盤となっているでしょうから、同様のスタイルを踏襲して同じ土俵で勝負する勇気はとても持てないでしょう。」
と、Aさん。

久しぶりに聴いた生演奏だったが、今回はすっかりチェロの音色に酔いしれてしまった。

生演奏なので「歪のない音」というのは先刻承知の上だが、あの深々としてゆったりした音は、電気回路を通した音ではちょっと無理かもしれない。もっとも、直接音と間接音が微妙に入り混じった音を生み出すあの広大な音響空間の効果も見逃せないので相乗効果もあるのだろう。

これから当分の間「チェロ熱」に浮かされそうだが、不思議なことに個人的に大好きなモーツァルトの膨大な作品の中にチェロ・ソナタや、チェロ協奏曲がないのはいったいどうしてなんだろう?

彼の音楽にはいささか高周波帯域への偏りが見られるので、低弦楽器には興味がなかったのだろうか。

そこで、いつものようにググってみると、どなたかのブログに実に理路整然とした理由が展開されていた。「モーツァルト チェロ嫌い」(興味のある方はクリックをどうぞ)。

それはともかく、今回は素晴らしいチェロの音に直に接することが出来たし、ブログのネタ切れにも困らなくて済んだ。しかも2回分も!(笑)。これも演奏会のチケットを頂いたウォーキング仲間のNさんのおかげである。何とお礼を申し上げていいことやら・・・。
 


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久しぶりの生演奏会~その1~

2013年03月16日 | 音楽談義

それは3月初めのことだった。

「音楽がお好きのようですが、コンサートに行かれることってあるんですか?」

「いやあ、わざわざチケットまで買って行くことはまずないですね~。」

「チケットが2枚あります。丁度、その日は用事が出来て行けなくなりましたので、よろしかったらいかがですか?」

「えっ、いいんですか!それはありがたいですね。お言葉に甘えて預からせてもらいます。」

朝のウォーキング仲間のNさんから実にうれしいお申し出。単に健康のために”良かれ”とやっていることに、こんな余禄が付いてくるのだから、交流の輪はじゃんじゃん広げるに限る(笑)。

                 

タイトル  「チェロとピアノのプロムナード」

演奏者 : レオニード・ゴロホフ(チェロ)&林ゆ美子・星野美由紀(ピアノ)

期 日 : 2013年3月15日(金) 18時30分~

場 所 : 「音の泉ホール」(いいちこ総合文化センター)

演 目 :  バッハ「無伴奏チェロ組曲 第2番ニ短調」

        グリーク「チェロ・ソナタ イ短調」

        ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ 第9番イ長調作品17“クロイツェル”」(チェロ版)

まさかチェロの生演奏を聴くチャンスがこんなに簡単にやってこようとは思わなかった。しかも名曲の誉れ高いバッハの無伴奏チェロ組曲とは願ってもないこと。

それに北欧のリリシズム漂うグリークの作品は好みである。「ペールギュント」「ピアノ協奏曲イ短調」は20代の頃の愛聴曲。しかしグリークにチェロ・ソナタの作品があるとは知らなかったのでこれも楽しみの一つ。

さて、頂いたもう1枚のチケットの相方を探すとなると、生粋のクラシック・ファンとしてすぐに思い浮かぶのがオーディオ仲間の湯布院のAさんである。お誘いすると、ちょうど当日は日程が空いているとのことでご快諾を得た。

そして、前日の14日(木)になってAさんにご連絡。

「明日のプログラムはバッハの無伴奏チェロ組曲第2番です。本番を聴く前に我が家で同じ曲を試聴したいと思いますのでよろしかったらちょっと早めにお見えになりませんか?カザルスとロストロポーヴィッチが演奏したCDを持っていますのでどうぞ。」

         

実を言うと、こういう機会じゃないとバッハの作品を聴こうって気にはならないのが本音。

この2組のCDのうち、カザルス盤は専門誌を読んで激賞してあったので購入したものの、まさに積ん読(つんどく)状態だし、ロストロポーヴィッチ盤に至ってはずっと昔、尊敬していたK先生(故人)からいただいたものである。

ここでK先生についてちょっと触れておくと、大分市の大病院の院長先生で、ご自宅の敷地に広大なリスニングルームを作られ、そこにタンノイ・オートグラフをドカンと据えられてクラシック専門に聴かれていた。当時は、まだまともなオーディオ・システムを持ってなかったので、ちょくちょくお邪魔してはよく聴かせてもらったものである。

それはさておき、バッハの音楽はいまだに自分の前に大きく聳え立つ未踏峰の険しい山である。「無伴奏チェロソナタ」は全6曲に分かれているが、すべてが同じように聴こえて番号の区別がつかないというお粗末さだし、歴史的な名演とされるカザルス盤とロストロポーヴィッチ盤の良し悪しもつかないという“体(てい)たらく”である。

今回の生演奏会でバッハが少しでも身近になる契機となってくれればいいのだが・・・。

さて、我が家の試聴会だがオーディオ的興味も捨てがたいところがあって、二つのシステム、「JBL3ウェイシステム」と「AXIOM80」のうち、いったいどちらがチェロの再生に向いているのだろうか。

JBLは「擦(こす)る音」には弱いが、我が家の場合はウーファーユニット(D130)をバックロードホーン付の大型ボックスに容れているので、全体のスケール感への不安はまったくないのが強み。片や「AXIOM80」の方はヴァイオリンやチェロなどの「擦る音」にはめっぽう強いが、低音域がボックスの容量のせいでやや貧弱気味。

その辺の兼ね合いが、チェロの再生に当たってどういう影響を及ぼすのだろうかと興味津々。はたして鋭い耳を持たれるAさんの所感はいかに?

ちなみにチェロの周波数帯域を確認すると、倍音を含めておよそ「70~1万ヘルツ以上」である。意外に高域方向によく伸びていることに驚く。ちなみにピアノはおよそ「30~6千ヘルツ」だからこちらは低域方向への伸びが凄い。もう一つ、個人的に大好きな音色のヴァイオリンはおよそ「180~1万ヘルツ以上」である。

試聴の結果と生演奏会の模様は次回で~。
 


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角を矯(た)めて牛を殺す

2013年03月14日 | オーディオ談義

出力管「2A3」(RCA:アメリカ製)を使った新しい真空管アンプが到着してからおよそ1か月が経過した。

非常にシンプルな回路のせいか色付けがなくスッキリした音で、それかといって無味乾燥の音でもなく独特の味わいがあって非常に重宝している。

「製作者(奈良のMさん)がうまいですね」と、オーディオ仲間のAさんのお墨付きを頂いているが、改めて感謝である。それに、パワーアンプにしては小さくて軽く、持ち重りがしないので設置場所のスペースも助かるし、移動させるのが苦にならないことも非常にありがたい。

             

今のところJBL3ウェイシステムのうち、周波数300~7000ヘルツあたりを担当している「375ドライバー」(16Ω)に使用しているがまったく不満なし。

とはいうものの、1か月も経つとそろそろ浮気の虫がぞろりと這い出てくるのがマニアのならい(笑)。軽くて動かしやすいので、それに拍車をかけてしまうのも皮肉。

ものは試しに「2A3」アンプの代わりに「PX25・1号機」を持ってきたら、どういう音がするんだろう?

このアンプの出力管「PX25」はヨーロッパの名三極管として定評があるものだし、出力トランスもデンマーク・オルトフォン社が採用した「JS」社のものなので、「375」にとってはまったく不足なし。いったん、考え出すともう止まらない。

             

交換作業は軽く10分ほどで終了。これで試聴してみると、音が奥の方に引っ込んで何やら佇まいが貴族風で品の良さが漂いだした。一聴しただけでクラシック向きだと分かった。たとえて言えばアメリカとヨーロッパが合体したような音かな。ウ~ン、これはこれで悪くない。大いに迷うところだがしばらくこのアンプで聴いてみるとするかな。

しかし2~3日聴いているうちに、どうも落ち着かなくなった。そこで、つい先日、「2A3」アンプでこのシステムを聴いてもらったばかりの大分組のお二人に、まだ記憶が新しいうちにご意見を伺ってみようかと、試聴の日程をお任せしていたところ10日(日)の午後に決定。今回はお二人に加えて、自宅で豪華なJBLシステムを楽しまれているNさんが新たにご参加。

我が家の試聴会の特徴は、システムが2つあり、それにアンプとSPユニットのいろんな組み合わせが出来るので、それらを比較したうえで、「ああでもない、こうでもない」と遠慮のない意見が出やすいことが挙げられる。

オーディオはシステムや機器同士の比較試聴をすることで音の特徴がより把握できることはたしかである。単独の固定したシステムでは、おそらく「いい音ですねえ」で終わってしまうのが相場だろう。

この日も、例によって歯に衣を着せない意見が続出。オーディオ・マニアは打たれ強くなければ「いい音」が手に入らない(笑)。

先ず、はじめに聴いてもらったJBL375とPX25・1号機の組み合わせの評価はまずまずだったが、これを先日の試聴のように改めて2A3アンプと組み合わせて聴いてもらったところ、こちらの方が圧倒的に大好評。

「音に躍動感が出てきました。JBLらしさを出すのならこのアンプが正解でしょう。両方ともお国柄(アメリカ)が一緒の効果が出てますよ。」と衆目の一致をみた。

ウ~ン、やっぱりそうか!

「JBLらしさ」といえば、「叩く音」であり、「弾(はじ)く音」であり、そして管楽器の「鳴りっぷり」かな。それにボーカル(人声)も悪くない。しかし、「擦(こす)る音」は明らかに苦手である。「擦る音」といえば、ヴァイオリンをはじめとした弦楽器群が対象となる。

今回はなまじJBLに弦楽器の響きを求めたばかりに、逆に折角の良さを殺してしまって、結局中途半端な結果に終わった気がしてならない。

たとえて言えば、受験生が不得意科目を克服しようと勉学に励んだものの、一方では得意科目が落ち込んでしまい、結局、総合点は以前と変わらなかったというケースが該当する。没個性的な平均点主義は無難だが趣味としては面白みに欠けるような気がするが、どうだろうか。

「角を矯(た)めて牛を殺す」という”ことわざ”がある。広辞苑によると「少しの欠点を直そうとして、その手段が度を過ぎ、かえって物事全体を駄目にしてしまう」という意味である。

どんなスピーカーだって大なり小なり欠点はあるものである。少々の欠点には目を瞑ってスピーカーの持ち味を最大限に生かすことが、あれこれ迷わなくて済む賢いやり方のような気がする。

言い古されたことだが、オーディオ・システムの主役はあくまでもスピーカーであり、他の機器はその盛り立て役に過ぎないと改めて気付かされたのが今回の試聴会だった。


これからアンプの交換は思慮深く慎重に取り掛かることにしよう。



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「余命わずか」の宣告

2013年03月12日 | オーディオ談義

「余命わずか」の宣告といっても、自分の命ではなくて真空管の寿命の話である。

中には「よし、こいつは余命わずかなのか。しめしめ、これで目の上の”たんこぶ”が無くなるぞ~」と、喜んだ方がいるかもしれない(笑)。

昨年の7月に奈良のMさんから整備(電解コンデンサーなどの交換)していただいた真空管アンプ「WE300Bシングル」(モノ×2台)だが、その時に「片方のWE300B真空管がもう寿命のようです。「ゲッター」も非常に薄くなっています。余命わずかといったところでしょう。」との無情な宣告をいただいた。

 「ゲッター」というのは真空管内のガラス面に張り付いている鏡面状の灰銀色をしたもので、その働きはガス分子と反応・結合して壁面に吸着させ、空間から除去するものでガス分子をゲット(捕獲)するという働きから出た言葉。これが薄くなったり白くなったりすると管内の真空度が保てなくなるので寿命となる。

                            

お金のことを持ち出すのはけっして本意ではないが、ショックの大きさを知っていただくためにあえて記載すると、いまから50年以上も前に製造されたWE300B(オールド)は、今では1本でたしか10万円以上するはず。痛いッ、懐が!

また、それ以上に大困りなのが程度のいいものが非常に手に入りにくいこと。

オークションという手もあるが写真からではとても程度の判断が難しいので、こういう貴重な真空管ばかりは見ず知らずの方から求めるのはまさに「蛮勇」という言葉がふさわしいだろう。

それなりの信頼のおけるルートを通じて購入するのがベストだが、そのルートといっても生身の人間が介在しているわけで、日頃あまりお付き合いがないのに困ったときだけ三拝九拝するのもちょっとカッコ悪い。

たかがオーディオのために大切なプライドまで捨てていいのか!(笑)。

もちろんWE300Bの類似品として、中国製をはじめ沢山の安価な近代管が出回っているもののすべて聴いたわけではないが、手持ちの種類の違う2ぺアでは明らかに「艶めいた響き」の面でどうしても不満が出てくる。やはりオリジナルにはそれだけの値打ちがあるのはたしかである。

そういうわけで、いろいろ考えだすと気が重くなるので、出来るだけ日頃から思考の範囲外に置くようにしているが、先日、心臓がドキッとするようなことが起こったのでその経緯を記してみよう。

前述したように昨年の8月以降、「余命わずか」を常に念頭に置きつつ毎日愛用しながら、早いものでおよそ8か月が経過した。

改めて、長寿命との定評があるこの真空管の驚異の粘り腰に感心しながら、おそらくMさんからアンプの整備時に真空管に負担をかけないように適正なプレート電圧の設定などの見直しをきちんとしていただいた効果なのだろうと感謝していたものの、事件は先週の3月7日(木)に起こった。

午前中、運動ジムに出かけるまでに時間に余裕があったので音楽でも聴いていこうかとスイッチを入れた途端に、右チャンネルのスピーカーからガサゴソと大きめの雑音が出てきた。

「何じゃこりゃ?」

真っ先に浮かんだのは「ついに寿命が来たか!」という絶望感。右チャンネルの300Bは、丁度「余命わずか」と指摘された方の該当物件である。しかし、まあ、ここは冷静に、冷静に。

念のためこの300Bを左チャンネルと入れ替えてみると、やはり右チャンネルから同じように雑音がする。ということは、出力管の故障ではなかった。ああ、良かったあ!高価な300Bのご臨終に立ち会わなくて済んだのでまずはひと安心。

次の疑いは「AXIOM80」ユニットの故障。「繊細さが売り」だが壊れやすいことでも定評があり、低音域への過大入力は細心の注意を払っているので”まさか”。

そこで、こういうときのために今年の正月早々「300円」で購入したSPユニットの出番である。

             

SPコードを繋ぎかえて試聴してみると、やはりこのSPからも雑音がするので「AXIOM80」の故障ではないことが分かって、これで二つ目のひと安心。

結局、犯人はアンプの初段管の「12AT7」だった。ミニチュア管で銘柄は「シーメンス」。ドイツ屈指の総合電機メーカーである。ちなみに、大学の工学部機械科を卒業した甥っ子によると工作機械を作る工作機械(マザーマシン)の工作精度ではいまだにドイツ製が幅を利かしているという。

この「12AT7」は長期間使用した覚えもないし、ドイツ製の真空管は丈夫という先入感があったので盲点を突かれた印象だが、やれやれ、一番安上りの故障で済んだのはまったく僥倖だった。

それにしても不測の事態が起きたときにいつも最悪のケースから順番に考えるクセがついた人間は、あまり心臓によろしくないのでおそらく長生きは無理だろうて(笑)。


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モーツァルト雑感

2013年03月09日 | 音楽談義

1月下旬に購入したモーツァルト全集を、このほどようやくすべて聴き終えた。

          

55枚に亘るCDだったが当初は2~3週間で聴く意気込みだったものの、途中で知人からいただいた「MJオーディオテクニカルCD」の録音があまりにも良くて、収録されているポピュラーや歌謡曲を熱心に聴いたりしたので予想外に時間がかかってしまった。

しかし、クラシックに限っては他の作曲家に脇目も振らずにこうしてモーツァルトばかり1か月以上集中的に聴いてみると、改めて自分と極めて相性のいい音楽だと思った。と、同時に新たな発見もあったので二点ほど列挙してみよう。

とはいっても、決して大上段に振りかぶるつもりはない。どうせ、きちんとした音楽教育を受けたわけでもなし、楽譜さえも読めない素人の「戯言」に過ぎないので軽く読み流してくださいな(笑)。

☆ 「魔笛」と肩を並べる最高峰のオペラ「ドン・ジョバンニ」

この全集にはオペラが6曲収められていた。「クレタの王イドメネオ」(3枚組)「後宮からの逃走」(2枚組)「フィガロの結婚」(3枚組)「ドン・ジョバンニ」(3枚組)「コシ・ファン・トゥッテ」(3枚組)「魔笛」(3枚組)で、計17枚のCD。

55枚の中で17枚のCDということはおよそ1/3の割合。モーツァルトの音楽に占めるオペラの比重は明らかにそれ以上だと思うがまあ、量と質は別ということにしよう。


「イドメネオ」と「後宮からの逃走」は初めて聴くオペラだったが、成熟度一歩手前の感を強くしたものの、それなりに楽しませてもらった。取り分け、後者は”雰囲気”が最後のオペラ「魔笛」にそっくりだったので驚いた。モーツァルトほどの天才でも、いざとなると過去の作品を大いにフィーチャーしている!

そういえば、55枚の一連のCDを聴いていると、似たような旋律がいろんな局面に登場してくることに気付かさせられた。彼の頭の中には過去から現在までいくつもの旋律が折り重なって渦を巻いて流れていたのだろう。

それはさておき、彼の三大オペラとされているのは周知のとおり「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」である。

個人的にもそう思うが、その順番としては「魔笛」が一頭地を抜いており、「フィガロの結婚」と「ドン・ジョバンニ」が同列でそれに続くという意識を持ってきたが、今回改めて本腰をいれて「ドン・ジョバンニ」を聴いてみると、その劇的性、登場人物の心理描写を音楽で表現する巧みさに大いに感じ入った。

まるで手紙を書くみたいに鼻歌まじりで五線譜に音符を記したとされるモーツァルトにとって、音符と言葉を感情表現の伝達手段として同列に位置づけできるのが最大の特色だが、このオペラにもその強みがいかんなく発揮されている。

そもそも「オペラとは何か」ということで、ご承知の方も多いと思うがネットから引用すると、
 

オペラは、舞台上で衣装を着けた出演者が演技を行う点で演劇と共通しているが、台詞だけではなく、大半の部分(特に役柄の感情表現)が歌手による歌唱で進められることを特徴とする。歌手は器楽合奏により伴奏されつつ歌い演じる。伴奏は、多くの場合交響楽団模の編成に及ぶ。 

初期ロマン派までのオペラでは、歌唱には二つの様式がある。一つはレチタティーボ(朗唱)で、会話を表現するものであり、普通の朗読に近い抑揚で歌われる。もう一つはソロ(独唱)で歌われるアリア(詠唱)や複数の歌手が歌う重唱(アンサンブル)あるいは大勢で歌う合唱で、通常の歌唱である。これらの様式はみな伴奏を伴う。

端的に言えば役柄の感情表現を音楽で行うのがオペラというわけだが、登場人物の生身の人間臭さを音楽で強烈に“しゃべらせる”点で「ドン・ジョバンニ」は出色の存在である。旋律の美しさでは「魔笛」に一歩譲るが、ドラマ性では明らかに上回っていて今や両者は“甲乙つけがたし”。

年齢を重ねるにつれて、ますますその「凄さ」に心打たれる「ドン・ジョバンニ」である。

☆ 孤高の作曲家「モーツァルト」


今回の一連の試聴でモーツァルトと他の作曲家ではまったく音楽の作風が違うことにはっきりと思いが至った。音楽の成り立ちがそもそも違っている。

遺されたモーツァルトの有名な書簡によると、「(作曲するときに)全体の構想が一気に頭の中に浮かんできて各パートの旋律が一斉に鳴り響きます。大したご馳走ですよ。まるで一幅の美しい絵画を観ているみたいです。後で音符を書く段になれば、脳髄という袋の中からそれを取り出してくるだけです」(趣旨)という驚くべき体験を述べているが、他の音楽家とは作曲する過程がまったく異なっていることがこれで分かる。

過程が違えば結果もまるっきり違う。あまりにも他とは隔絶した音楽なのでクラシックは孤高の作曲家「モーツァルト」をまったく別物として「その他作曲家たち」と、大きく区分すべきではなかろうか。

ただし、こういう分類はこれまで聞いたことがないし、読んだこともないので極めて乱暴な「珍説」。この「その他作曲家たち」には、まことに畏れ多いがモーツァルトに匹敵する存在として長く語り継がれてきたバッハも、それからベートーヴェンでさえも入るのできっと大勢の顰蹙を買うことだろう。

しかし、あの600曲以上にもわたるモーツァルトの膨大な作品を指揮者や演奏などを違えながら、じっくり鑑賞するとなると、「その他作曲家たち」の作品に時間を割くには人生はあまりにも短すぎるのだ(笑)。


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神頼み!

2013年03月07日 | 独り言

昨日(6日)の早朝から、ガサゴソと家の中を動き回る我が家のカミさん。

何をしているのかと思ったら、米・酒・塩・水”の「お供え」だった。そういえば、今日は病院に行って1年に1回の定期的な内臓のCT検査をやると言ってたなあ。”今どき、何と古風なことを”と、きっと苦笑される方もいることだろう。

           

数年前に胃の大病を患い、手術後に幸い回復したもののそれから何かといえば「神頼み」で、家族それぞれの病理検査の日ともなると欠かさずこの“おまじない”をしている。現在までのところまったく異常はないので霊験あらたかといったところかな?

「神頼み」で、つい連想してしまったことがある。

先日のこと、このところ音信がないオーディオ仲間のMさん(奈良)が気になって、「お元気ですか?」とメールを差し上げたところ、「元気ですよ」と次のようなメールが返ってきた。

「〇〇さん(自分のこと)と、ご同様に隠居生活にも関わらずに大忙しでご無沙汰です(笑)。

医療控除作成、家内のピアノデュオのチラシ、そのプログラム作成、等々で忙しいです。昨日は、義弟と京丹後の木下酒造に商売の潤滑を兼ねて試飲と酒倉見学をしてきました。


ここは、杜氏がフィリップ・ハーバーという英国の方です。発酵の世界で人間には制御し切れないところがあるせいか至る所に神頼みの”お札”が貼ってあるのが、印象的でした。」

あまりにも科学の進歩が著しいと、その一方で「人知」の及ばない”神秘の世界”につい憧れてしまう。

「発酵の世界」もさることながら、陶磁器を窯に入れて焼くときに釉薬(ゆうやく)の溶け方次第で独特の紋様が出来る現象も似たようなものだろう。

代表的な事例としてすぐに想い出すのが「曜変天目茶碗」。

                    

ネットの解説によると、

「曜変天目=ようへん てんもく

 曜変というのは、漆黒の釉面に結晶によるさまざまの斑紋が群 をなして現れ、その周りが瑠璃色の美しい光りを放っているものを言う。

 曜変は”窯変”からきている。つまり窯の中の偶然の変化、窯変(ようへん)で釉面に 種々の美しい自然の文様が現れることがあり、茶人はこれを曜変(ようへん)と呼んだ。中国で宋時代に作られたが、残っているのは日本の3点だけ。非常に貴重なものである。

 日本には留学僧が持ち帰ったとされ、藤田美術館蔵のものは徳川家康が一時所有していたとか。現代の技術で復元しようとしても復元できない。従ってニセモノも出まわらない。天目(てんもく)とは、黒い釉薬のかかつた焼き物を広く一般に天目と呼んでいる。

中国・南宋時代12-13世紀に作られた。 

毎日、「いい音」へ向けて熱心に勤しんでいるオーディオも、このところどうも人知の及ばない世界のような気がしてならない。これから毎日、オーディオ・ラックの上に「お供え物」をしてから聴こうかな。ひよっとすると「神がかりの音」が出るかもしれないぞ(笑)。

最後に、カミさんはCT検査の結果、「これで完全に喪が明けましたね、まったく心配いりません。」と、医師から太鼓判を押されたとかで、実にうれしそうだった。

これも「神頼み」のおかげかな!?


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オーディオ仲間のご来訪

2013年03月05日 | オーディオ談義

オーディオシステムの一部を入れ替えると、一時的に音が良くなった気がするものの時間が経つにつれて、それほどでもなかったと首を傾げるケースがよくある。マニアならかなりの方が経験済みのはず。

あまりにも毎日、身近に接触し過ぎて「木を見て森を見失う」面もあるかもしれない。したがって、そういうときはなるべくオーディオ仲間の耳を借りることにしている。

システムの主役はあくまでも自分なので、自分さえ気に入った音が出てくれればそれでいいのだが、何ごとも過信は禁物。

仲間から「素晴らしい音ですね~」なんて後押しされると、一層心地よく音楽を聴けるようになるから心理的効果もバカにならないが、一方では「どうもイマイチですね。この部分がおかしいです。」と具体的にポイントを指摘されると、ついグラッときてヨロメイテしまう(笑)。

先週の27日(水)の試聴会がそうだった。

新年早々にプリアンプを入れ替えたり、つい最近では新しい真空管アンプを導入したりで、音が随分改善されたような気がするので、昨年お見えになったオーディオ仲間たちに確認のつもりで、久しぶりに声をかけてみた。

大分市にお住いのMさんとSさんのお二人である。日頃お付き合いしている年齢層の方々よりは比較的若くて40歳前後の方たち。我が家には年に1~2回お見えになっている。

はじめにJBLの3ウェイシステムを聴いていただくと、これが大好評。

「スケール感が大きいのに音像が膨らまずにシャープになりますね。さすがにJBLのユニットです。ウェストミンスターのボックスにオリジナルのタンノイのユニットではこの音は無理だと思います。これならクラシックも十分聴けますねえ。」

中音域の「375」ドライバー
を担当している新しい真空管アンプ「2A3」も「抜けがいい」と大好評。

ところが、その次に我が家の本命として位置づけしている「AXIOM80」(以下、「80」)システムを聴いていただくと評価が一変。

「何だかツィーター(高域ユニット)の音が目立ち過ぎて、音が”きつく”感じます。全体的なバランスも低音域が勝ち過ぎている気がして、折角の「80」の良さが殺されているように思います。」と、お二人とも口をそろえて大合唱。一人だけならまだしも・・・。

他家で聴かされた音に普通は遠慮して、その場ではなかなか本音は言わないものだが、このときはお二人とも実に真剣な眼差しで真摯な態度だった。「80」のファンだからこそのご意見だろうと素直に受け止めることにした。

実はハハァ~ンと思い当たる節がある。

人間が聴ける周波数の帯域は低音域の20ヘルツから高音域の2万ヘルツまでとされているが、低音域はさておき、高音域に限っては年齢を重ねるとともに段々聞えずらくなるのは周知の事実。

現在の自分の年齢ではおそらく1万2千ヘルツ前後まで聞えれば上出来だろう。クラシックならこの帯域でも十分鑑賞できる範囲だからいささかも悲観してはいないが、そういう理由もあって聞えずらくなった高音域を補強しようと、つい高音用ユニット(ツィーター)のボリュームのレベルを上げ過ぎていた可能性が大いにある。

高音域に限っては「老いては若い人の耳に従え」ということかもしれない(笑)。

冒頭に述べたようにオーディオはシステムの主役の自分さえ良ければそれでいいわけだが、やはり「気に入った音=正しい音」であることに越したことはない。

オーディオを長くやってる人ならご承知の通り、ツィーターのボリュームのレベル設定は実に難しい。「あまり目立ち過ぎないように、しかし適度に存在感は発揮してもらわないと」がポイント。このあたりはまるでその人のオーディオセンスが凝縮された観がある。

もちろん、我が家もそこは承知のうえで、ツィーターのレベルを出来るだけ目立たせないように用心しいしい極小値のマイカコンデンサー(0.15μF)で、理論上では可聴帯域外の10万ヘルツ以上もの値でローカットしているのに、それでも押しつけがましく聞えたのだから若い人たちの高域への耳は敏感そのものである。

「もうJBLのシステムだけで十分ですよ。「80」の方はいろいろと試されたらいかがでしょう」と、励ましとも慰めともつかない言葉を最後にご帰還されたお二人。

何だか気になって、また、そぞろ「オーディオの虫」が動き出してしまった。現在の「80」のシステム構成も4~5年経過しているし、そろそろマンネリ化してきた頃なのでこの辺で、新しい編成の可能性を探ってみるとするか。

な~に、しばらく聴いてみて悪けりゃ元に戻すまで。とにかく実験あるのみ!時間はたっぷりあるんだから(笑)。

翌日は早朝から作業に没頭した。「もっと聴きやすい音になるかもしれない」と、そちらの方の期待が優ってちっとも苦痛ではないのが大好きな趣味のいいところ。

SPボックスも自分であつらえたものだから、自由自在に扱えるので大いに助かる。これが市販のボックスでは、大切にしようという気が先に立ってとてもいじる気にはなるまい。

作業に3時間程かかっただろうか。

                        

以下、ちょっとマニアックな話になるので退屈な方は末尾のランキングのバナーに直行して「ポチッ」を、お願いしますね~。             

☆ ウーファー(低域用ユニット)を3発から2発へ

これまでウーファーユニットを3発と4発を交互に入れ替えてきたわけだが、こうして思い切って2発にしたのは初めてである。この狙いは低音域の量感をやや犠牲にして、その一方で分解能の向上を図るため。おそらく「80」との音のつながりが、より自然になるに違いない。

もともと「80」はフルレンジとして単独で使用するSPユニットだが、あまりにも繊細なツクリのため(そういうツクリでないと繊細な音が出てこないのも事実である!)、低音域の信号をちょっとでも過大に入れすぎると、すぐにザザッといった擦れるような雑音が出だす非常にヤワな代物。お蔭さまで、これまでに2回ほど修理専門店のお世話になっている。

そのため低域信号(200ヘルツ以下)をコンデンサーでカットして、ウーファーユニットを容れているわけだが、両方のユニットのバランス面からすると、2発が適正なところかもしれない。

ただし、そうはいっても、そこそこの量感は必要なのでボックスの内部空間をうまく利用することにした。

これまで各ユニットを仕切っていた内部の分厚い板をとめていたネジを外して撤去して、2発が広い空間を共有できるようにした。ユニットを外した箇所には共振しないように内部から板をがっちりネジ止めした。

ちなみに「80」とウーファーユニットの間には内部から5センチ厚の重たい板で斜めに仕切っているが、これはもちろんそのままである。

☆ ツィーター周りの改変

ツィーターをローカットしているコンデンサー(マイカ)を2個から1個(0.075μF)に減らして、さらに控え目な態度をとってもらった。「万事に控え目」は自分の生き方に似ている(笑い)。

一方で
、「80」(メカニカル2ウェイ)の高音域をそのまま生かすことにして、ハイカットしていたムンドルフのコイルを外し、その代わり「80」のやや神経質な響きを持つ高音域をカットする目的で、直径5センチ大のボール(木製)を吊り下げてみた。

この高域拡散効果で、ツィーターとの「被(かぶ)り」が少なくなるはずである。

さあ、これで試聴に入ったわけだが、ユニットの背圧を逃がすためにSPボックスの下部に開けた4つの穴の塞ぎ方でもコロコロ音が変わるのが面白かった。結局、写真のとおり3か所を塞ぐのが締まった低音が出てきてベストのようである。

結論だが小編成の室内楽やボーカルはリアルな雰囲気がよく再現できて明らかに向上したものの、オーケストラなどの大編成となると、いま一息といった感じ。やはり、こちら立てればあちら立たずかな~。

ま、いっか。当分、この状態でいろいろ遊んでみるのも悪くはあるまいて。とにかく実験、実験!

 


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うれしい悲鳴!

2013年03月03日 | 読書コーナー

今日は楽しい3月3日の「ひな祭り」。              

                   

昨日の2日(土)、今年の正月以来久しぶりに「娘」が帰省した。

「はい、お父さん、お土産」と、手渡してくれたのが推理作家「横山秀夫」さん(通称「ヨコヒデ」)のべストセラー「64」(ろくよん)。

「あれっ、買ったのかい?お父さんが先に読むと、もしかして字が薄くなるかもしれないぞ(笑)」

「今、”カラマーゾフの兄弟”を読んでるから、お先にどうぞ~」

「ふ~ん、今、流行(はやり)の亀山郁夫さんの訳かな?」

「ううん、亀山さんのじゃなくて岩波の米川正夫さんのが正統派として改めて評価されているみたいよ。」

あの4冊(文庫本)にもわたる「カラマーゾフ・・・」ともなると、読了するのに相当時間がかかるはず。どうやらマイペースでゆっくり「64」を読めそうだ。

以前のブログ(2013.1.19)で、この「64」のことを記載したことがあり、どうやらきちんと娘が読んでくれていたらしい。その内容というのは、

「ところで、長いこと療養していた横山秀夫さんの最新作「64」が凄い人気だ。図書館にネットで予約したところ、何と順番が36番目。これではとても待てない。早くても1年後以降になるだろう。よし、娘に購入させるとするか(笑)。」

実は現在、我が家で一番の稼ぎ頭となっている娘に購入してもらおうと、半分以上、下心を持って記載していたわけだが、こちらの読み通りで作戦は大成功というわけ。なかなかの孝行娘で、親に似ぬ子である。

ちなみに、我が家のカミさんは自分専用のパソコンがあるにもかかわらず、当方のブログをいっさい読むことがない。内容について意見を求められたら面倒くさいとでも思っているのだろうか。しかし、どんなに悪口(?)を書いても反応がないのでこっそり読んでいる気配もまったく感じられない。どうやら書いた人間そのものに根っから興味がないようである(笑)。

とにかく読書は大好きなので、読みたい本が次々に押し寄せてくるのはまことにうれしい悲鳴」!これで、じっくり腰を据えて読まねばならない本が4冊になった


             

いずれも頂いた本で「21世紀ドストエフスキーがやってくる」は、スペアとなるSPユニット「AXIOM80」を譲ってくれた千葉のSさんの愛読書だったが、経営されていた出版社の廃業記念としていただいたもの。

「海賊とよばれた男」(上、下巻)は昨年のオーディオ試聴でお伺いして素晴らしい音(「スーパーマニア訪問記:ウェスタン555+16Aホーン)を聴かせていただいたお寺のご住職さんのKさん(福岡県うきは市)からいただいたもの。作家の百田尚樹さんのファンだそうで、いつでも読めると思っていたのについズルズルと日が延びて・・・。Kさん、ゴメンなさい。そのうち絶対に読みますからね~。

あまり理由にもならないが、何せ、音楽とオーディオで忙しいし、テレビ番組から興味のある情報を得なければいけないし、図書館から借りてきた本を貸出期限内に読み上げねばならないので連日大忙し。

ほかにも有酸素運動が日課となっており、運動ジムへの行き帰りを含めてかなりの時間を要するが、これだけは絶対に欠かせないので最高レベルの優先事項。

これについて、ちょっと一言。

2月28日(木)の夜10時~11時のNHK・BSハイでアルツハイマー病の特集をやっていたので録画した。「人類の宿命 アルツハイマー病に挑む~ここまでわかった驚異の事実~」。

この病気は遺伝性も関連しているようだが脳の中に「アミロイドベータ」という物質が溜まって悪さをするのが根本原因で、これは誰にでも起こりうる可能性があるとのこと。

その対策としては、一にかかって脳内の血流を盛んにすることにあり、まず習慣的な有酸素運動によって全身の血流を良くすることが挙げられていた。また、脳細胞は糖分を栄養にしているので、それを活用しやすくなるように鼻からインシュリンを直接注ぎ込むといった療法も紹介されていた。

この病気は、突然発症するわけではなく、ガン細胞みたいに20年以上もの長い時間をかけてジワジワと進行していくことが分かったので今や「治療から予防へ」の時代になったとのこと。

アルツハイマー病になったら、音楽を楽しむどころじゃなくなるし、第一、周囲に迷惑をかけるので、皆さん、適度な運動だけは欠かさないようにして、脳内に「アミロイドベータ」が蓄積しないようにしましょうね~。


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新しい真空管アンプ~最終回~

2013年03月01日 | オーディオ談義

以前の「新しい真空管アンプ~第3回~」からの続きです。

参考までにこれまでの途中経過を述べておくと、

新しい真空管アンプキットの組み立てをオーディオ仲間のMさん(奈良)に依頼し、とりあえず(組み立てが)終了したものの、その試聴結果の報告が一向に入ってこない。不安な気持ちとMさんへの慰めを兼ねたメールを送ったところまで記載していた。

すると、すぐに次のようなメールが返ってきた。

「実は14日まで、〇〇さん(自分のこと)の予想が的中していました。紹介した責任もあるし・・・。ところが、15日に蒸留水から変身して旨み、コクが出てきました。エージングがかなり必要なアンプ部品あるいは真空管だったのか、やっとお返しできる音になりました。初段の真空管は、4種ともに見るからに銘球の風格があり、音の差がジャッジ出来ないくらいです。ということで、19,20日あたりに発送いたします。もうしばらくお待ちを!」

どうやら、「超シンプルな回路のため、蒸留水のような無味乾燥な音になっているのでは」という当方の予想が半分的中していたようである。実は、昔から論理的思考は苦手だが”カン”は動物並みに冴えているほうだと自負している(笑)。

期待していた初段の4種の真空管の試聴結果については、きっとMさんが遠慮されたに違いない。Mさんは何しろ物事の順番を付けたり、決めつけたりすることを絶対と言っていいほどされない方である。この辺は、いつも断定口調を避けて選択の範囲を広げ何らかの含みを残す作家の村上春樹さんの作風とよく似ている。

そして、順調にエージングが済んだと見えて、新しいアンプが我が家に届いたのが先週の20日(水)の夕方だった。

梱包を解くと、意外と軽くて小さいアンプだなあというのが第一印象。昔から「音質は(機器の)目方に比例する」という不滅の方程式のもとで育ってきたマニアなので、「こんな小さな出力トランスで大丈夫かいな?」と、正直思ったのだが、真空管を挿し込んで鳴らしてみたところ驚いた。

           

想像以上に”たくましい音”が出てきたのである。しかも音が澄んでいる。使ったSPユニットはJBL3ウェイシステムのうちの中域部分を担当する「375ドライバー(16Ω)+ウッドホーン」。何しろ能率が高くて100db以上あるので出力3ワット程度でも充分鳴ってくれた。しかもこれまで使ってきたPX25・2号機とまったく遜色はなく、むしろクセのない素直さにかけては上回っているほどの出来栄え。

(ちなみに、写真では右側にボリューム端子が映っているが、これはもちろん回路配線からは外してあって、その代わりにダミー抵抗が挿入してある。)

375が見事に合格したので、今度はひときわ繊細なSPユニット「AXIOM80」に繋ぎかえてみた。このユニットは相性の悪いアンプを遠慮会釈なく跳ねつけるので有名だが、はたして?

「おお~、なかなかいけるじゃない!」、雰囲気の再現力は現在使っているWE300Bシングルアンプ(モノ×2台)にやや劣るが、万一故障したときの代役は十分果たせると思った。


さあ、これでアンプを作ってもらった当初の目的を十分に達成したことが分かってひと安心。ここからがハイライトとなる初段管4種類の真空管の聴き比べである。超シンプルな回路なので真空管の性格がモロに反映されるのがこの上ない楽しみ。

ささやかなポリシーの一つだが中・高域に限っては絶対にトランジスターアンプを使わない理由も実はここにある。

ここで、ふと思い付いたのだが、Mさんがあえて順番付けを遠慮されたのは、当方が先入観を持たないようにとの親心だったのかもしれない。

            

左から順に銘柄を並べるとGE、シルヴァニア、RCA、(以上アメリカ製)、そしてイギリス製のSTCの「CV569」だが、この順番で挿し替えて、SPユニットのJBL375ドライバ-でクラシックからジャズまでじっくり試聴してみた。

ちなみに古典管の泰斗である大宰府のMさんによると、6SL7GTで一番音がいいのはイギリスのメチャ旧いエジソン・マツダ製だそうで、この球はこれまでオークションでも見かけたことがないので幻の球的な存在。

さて、試聴の結果だが実を言うと、プレートがニッケル製のGE(1950年代)に一番期待していたのだが、まだエージング不足のせいもあってかそれほどでもなかった。次に、シルヴァニアは少し淡泊過ぎるようだ。RCAは多彩な響きで情報量も多いと感じた。STCはさすがにイギリス製だけあって、音の佇まいや雰囲気に一日の長があった。

結局、情報量ではRCA、品の良さではSTCが双璧でいずれを選ぶかはまったくお好み次第。出力管(RCAの2A3:アメリカ製)との相性を考えるとRCAがいいような気がして、当分の間、同じ銘柄でいくことにした。

こうして、改めて聴いてみると以前から気になっていたJBL特有のヴァイオリンの音色が随分と艶やかな響きになり、クラシックがそこそこ聴けるようになったのは大きい。アンプや真空管の銘柄次第でこんなに変わるのだからつくづくオーディオは怖いなあ。

ちなみに、このアンプキットにもともと付属している球は、ソブテックの2A3(出力管)とロシア製の6SL7GTだが、これだけでは少々物足りないと思うのは自分だけではないはず。

これから、オーディオ仲間に来てもらってご意見を伺うことにしよう~。

 


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