小さい頃からミステリーが好きで、江戸川乱歩やコナン・ドイルにはじまって、名作「Yの悲劇」で有名なエラリー・クィーンや推理作家の登竜門といわれる江戸川乱歩賞受賞作品まで内外の話題作はほとんど読んでいる積もり。いわゆる謎解きの面白さに加えて人生にとって有益なことも結構書いてあるのがいい。
最近、偶然読む機会があって面白いと思ったのが次の本。
「人生に必要なすべてをミステリーに学ぶ」(1994年:同文書院)
著者は馬場啓一氏である。ご覧になった方もあるかと思うが、この中の「古今東西”音のエチケット”」が特に印象に残ったので紹介しよう。
さて「マフィアに”おなら”」とかけて何と解く。
ご承知かと思うが欧米では身体から発する音は全てエチケット違反である。おならに限らず、ゲップもダメ、お腹が鳴る音もだめ、ものを飲み込む音でさえもアウト。
これらを我慢するのは日本人には結構大変なことだが、なにしろ生活上のルールだから彼らとお付き合いをする以上従わなければしようがない。
当然スープを飲む音もダメでバリバリとかバシャバシャと噛む音も絶対ダメなのである。欧米人には民族的歴史と経験の違いなのだろうが、彼らは固いフランスパンだって音もなく食べてしまう。
深田祐介氏のエッセイに部下にラーメンを音を立てて食べろと命令するのがある。ところがこの部下が英国人であったから、この命令がとてつもなく大きな意味を持ってくる。
取り澄ました紳士の代名詞である英国紳士に、音を立ててラーメンを食べさせようというのである。さあ、どうなる?
結果は英国人の負けで、彼はどうしてもズルズルと音を立てて食することが出来なかったのである。もちろん、英国人だってラーメンをズルズル食べることは可能である。
しかし、それは英国人である誇りとメンツを失うに等しい、というのがその部下の本音だったのであろう。彼の歯と口には音を立ててものを食するというデータがインプットされておらず、それを行うには民族としての誇りを失う必要があったのである。こうして「エチケット=マナー」には意外と深い意味が込められているのだ。
冗談でよくいわれるのは、もし日本が太平洋戦争に勝っていたら、食後に歯を楊枝でシーハーする作法を世界中の人々が学ばねばならなかっただろうという話で、この逸話はマナーというものには絶対的な基準というものがなく相対的な存在であることを示している。
戦争に強いアングロ・サクソン系のマナーが、幸か不幸か世界の一般的常識となってしまったのでやむなく我々東洋人もこれに右を倣えしなくてはならないのだ。
さて随分と寄り道をしたが「マフィアに”おなら”」への解答である。
リチャード・コンドンの書いた「プリッツイズ・ファミリー」でいつでも好きなときに低音から高音まで自由自在に音を発する”おなら”の名人が登場し、マフィア・ファミリーの余興の人気者になる。
西洋人にとって大切なルールを平気で破る芸をあえて賞賛することで治外法権といえば大げさだが”ムラ”的な存在であるマフィアと”おなら”とが、彼らの中で一本ちゃんとつながっているのが分る。
したがって「マフィアに”おなら”」とは、ファミリー独自の「ルール=マナー」でお互いに結束を確認し合っていると解く。
敷衍して、洋画をみていると登場人物がヒックをしたりゲップをしているシーンを時折見かけるが、あれはその人物がルールに従わない人間であることを暗示しており、またその場に相手がいる場合にはその人物を軽んじていることを示唆しているのだとこれで納得。
ところで先般、ネットでヤンキースの松井選手が居並ぶ外人記者の前で大きな音で”おなら”をして平然としていたとの記事をみかけた。本年で契約切れとなる松井には高額年俸に見合う実績が伴なっていないとかでシーズン当初から放出の噂みたいな記事が絶えない。
松井ほどの男が西洋人のエチケットを知らぬはずがないので、これはそのウップン晴らしなんだろうか。それとも単に神経が図太いだけなんだろうか。真相は松井のみぞ知る。