「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

実在感のある音

2013年05月30日 | オーディオ談義

(前回からの続きです)

主催者発表による今回のSPレコード試聴会のテーマを再掲してみると、


1 エジソン蝋管に始まる(長い)オーディオの歴史の中で、(音質的に)過去に何を捨てて何を追加してきたのか?

2 最良の状態で再生するSP音源は現在のデジタル音源全盛時代でも充分オーディオ的に通用するのか?

3 最新のオーディオ機器では再生されない実体感のある世界を現出できるのか?

の3点となる。

「今さら、SPレコードなんて雑音だらけで帯域も狭いし、それにステレオじゃないんだから聴けたもんじゃないよ」というのが、大方のオーディオマニアのご意見だろうが、そもそもSPレコードの音に対する姿勢と評価はマニアによって随分異なるように思う。

その分かつポイントは「周波数レンジ」に対する考え方にある。

人間が聴くことのできる周波数帯域は周知のとおり、20~2万ヘルツとされており、この範囲を再生装置からきっちり出したいと思うのがマニアの常というものだが、中には
レンジ以外の要素、たとえば音の力強さや佇まいなどを重視して「実在感のある音」をことさら優先するタイプがいてもちっとも不思議ではない。

いわば後者のタイプがSPレコード派ということだろうが、今回、こうして本格的な再生システムで聴くSPレコードの音はやはり格別のものがあった。

データ上では周波数帯域やSN比などにおいてCDに適うはずがないのに、実際に聴いてみると会場全体の空気が震え、肌で直接感じるような臨場感はとてもCDの及ぶところではなかった。とりわけツィーターもないのにヌケが良くて、厚くて生々しい中高音には惚れ惚れした。 

こういう音を聴かされると、「周波数レンジとはいったい何ぞや?」という気にさせられるから不思議。自分の知っている範囲で言わせてもらうと「レンジを追い続けてもきりがない」と、早々に見切りをつけて他の要素にこだわるマニアは極めてハイレベルの人たちに限られている。

ただし、今回の試聴会の曲目は1部、2部合わせて全体で23曲だったが、その内訳はボーカルが18曲、あとは単独楽器がほとんどで、オーケストラなどの大編成の音をどう再生できるのかという課題は残る。

スピーカー1個による再生に適したソースがほとんどというわけなので、まあ、選曲が意識的かどうかは別にしてSPレコードに最も適しているのはボーカルなのだろう。

まるで目の前に歌手が立って唄っているような錯覚をするほどの生々しさはとても忘れ難かった。また、肝心の針音があまり気にならなかったのはいったいどうして?

カートリッジ(ダイア&サファイア針)、EMTのプレーヤー、マッキンのプリとパワーアンプ、SPユニットすべての相性が良かったのだろうか。それとも、あまりに生々しい音過ぎて目立たなかっただけなのだろうか。

           

なお、この日はゲストとして「テイチク」の録音担当だった方が奈良から遠路はるばるお越しになっており、終わり際に往年の大スターたちのエピソードを披露されていた。

「石原裕次郎は吹き込みのときに、脇のテーブルにビールを3本置くのが常だった。それも銘柄指定でキ〇ン。先ず1本をラッパ飲みして完全に空けてから1曲目を吹き込む。それから、2本目以降はコップに移して随時飲みながら吹き込んでいく。3本目ともなると、もう吹き込み不可能な状態になることが多かった。当時のギャラは(吹き込み)1回あたり20万円で大学出の初任給が1万7千円の時代です。吹き込みが終わった後でよく飲みに連れていってもらいました。」
   

石原裕次郎といえば中高年齢層にとって永遠の大スターで、もう亡くなってから相当経つが、現在ではどのくらいの方々の記憶に残っているのだろうか?また、歌手の田端義夫がギターを持っていないと唄えず、ギターがないときはスコップでもいいという話には大いに笑えた。        

それから、試聴会が終わった後で会場元となったお寺のご住職さんの、別棟のオーディオシステムを拝見させていただいた。

           

実際に映像を観るときは次のとおり自動的にスクリーンが上がる仕組みになっている。

           

システムはアルテックの「A4」だとお伺いした。

一度でいいからこういうシステムで「クラシカジャパン」(CS放送)を観てみたい!

なお、最後にアンケート調査があったので「次回から有料にしてはいかがですか」と、提案しておいた。

試聴者は全体でたかだか30名程度だったが、オーディオ機器の運搬や会場の設営、資料作製などスタッフの方々のご労苦を偲びながら、金銭的な補償なんて問題外だろうが試聴させていただいた感謝の気持ちをせめて何らかの形で表したいところ。


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「失ったもの」と「得たもの」

2013年05月28日 | オーディオ談義

オーディオ仲間のAさんから「25日(土)に大分市でSPレコードの試聴会がありますよ。」と、耳よりの情報が入った。

SPレコードの78回転の威力、それは昨年の10月に試聴した「うきは市」(福岡県)のKさん宅で充分承知している。けっして広帯域ではないが、密度の濃い音源は現代のオーディオでは得難いものがあった。

これは是非聴きに行かねばならない!

主催者発表による試聴会開催の趣旨は次のとおり。

「一年半ぶりとなりますが5月25日(土)午後3時より第5回SPレコード試聴会を開催いたします。今回のSP盤試聴会は二部構成で第1部はマニア好みの曲、第2部は歌と演奏が中心の試聴会です。

第1部のテーマは「SP in HiFi」で一般的にSP愛好家といえば熱狂的なマニアの懐古趣味なる音響再生と捉えがちであります。

今回は敢えて「ハイファイ」というテーマでSP盤を試聴することにより、エジソン蝋管に始まるオーディオの歴史の中、 “過去に何を捨てて何を追加してきたのか?"を考える機会にしたいと思います。

最良の状態で再生するSP音源は現在のデジタル音源全盛時代でも充分オーディオ的に通用するのか?

最新のオーディオ機器では再生されない実体感のある世界を現出できるのか? をテーマとした試聴を行います。

第2部のテーマは「いつか聞いた歌と曲」で、前回大変好評でした曲を再度見直し ジャズ、クラシック、ポピュラー等の貴重な音源を中心に再生したいと思います。カザルスの「白烏」、ナット・キング・コール、サッチモ、石原裕次郎、美空ひばり、エディット・ピアフ、浜村美智子、他ジャンルを問わず試聴していただく予定で選曲中です。(特別ゲストも只今交渉中!)

自宅のオーディオ装置では体験できない100畳程の広い空間での "古き貴重な音源を豪放な音でゆったり
と聴きたい" という欲求から始めた取り組みも今回で5回目を迎えます。お時間の許す限り心ゆくまでお楽しみ下さい。皆さまのご来場をスタッフー同心よりお待ちしております。

「温故知新」(古きをたずねて新しきを知る)という言葉があるが、これはオーディオにもピッタリ当てはまる。

自分の知識の範囲内でオーディオの歴史を大まかに振り返ってみると、「SPレコード時代」 → 「LPレコード時代」 → 「CD時代」 → 「PCオーディオ時代(ハイレゾ音源)」となろうが、再生方式が変わるたびにそれぞれ「失ったもの」と「得たもの」とがあって、その積み重ねで現代に至っている。けっして「得たもの」ばかりではないことに留意する必要がある。

最新のテクノロジーを駆使したPCオーディオがSPレコードの音を全面的に上回っているとは限らないところにオーディオの奥深さ、面白さが存在している。

したがって、こういう古い音源を聴かせていただくことは今後の(我が)オーディオの方向性を探究するうえで願ってもないこと。


当日は駐車場が狭いとのことで大分市のオーディオ仲間のMさん宅に車を置かせてもらい、一緒に連れだって徒歩10分ほどの会場に着いたのが14時50分。

        

        

会場とシステムの概要を紹介しておこう。

 会場 お寺の本堂(およそ百畳)

 高域ユニット    ALTEC 288B
      〃 ホーン  ALTEC H1005

   低域ユニット   WEロンドン 2080H
      〃 ホーン  ALTEC H110

   ネットワーク    WEロンドン 純正

   プリアンプ     Mclntosh C-22

   パワーアンプ   Mclntosh MC-30

   ターンテーブル  EMT930

肝心の試聴結果のご報告は次回ということで。


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WE300Bオールドには手を出すな!

2013年05月26日 | オーディオ談義

同じSPユニット「AXIOM80」を愛好しているKさん(福岡)とは今年の3月からのお付き合いだが、4月から5月にかけて通算して7回ほど我が家にお見えになっていただいた。

通常、オーディオマニア同士の行き来となると、かなり親しい間柄でもせいぜい半年に一度くらいだから、こう度重なるともう何年もの古いお付き合いをしているような気がしてくる。

そして一昨日の24日(金)は、5月5日以来だからおよそ3週間ぶりのご来訪となった。

「丁度、別府への到着時刻が11時頃になります。よろしかったらぜひ昼食をご一緒にいかがですか?関サバを食べたいのですが、どこかいい料理店を知りませんか?」

「エッ、関サバですか!(料理店を)知らないことはありませんが、メチャ高いですよ。二人前で軽く5桁はいきますが、それでもいいんですか。」

「任せておいてください。」

「社長さん」の力強い言葉に大船に乗った気持になった(笑)。

試聴を始めたのは13時ごろから。

今回の試聴のテーマは次の3つ。後日のために結果を記録しておくことにした。

 つい最近、ネットワークを交換したJBL375ドライバー用のアンプ(真空管)のベスト機種の選定

 新しい組み合わせのスピーカー(JBL-D130+AXIOM80)のご感想

 Kさんが持参した真空管(中国製の300B)の試聴テスト

まずについて

真空管アンプ「PX25・1号機」「PX25・2号機」「2A3・2号機」3台をテストしたが、Kさんによると明らかに以前よりも375が低音域の方向に伸びたことはたしかとのことで、まずは一段落。
 

2時間ほど試聴した結果、ベスト機種は2週間ほど前にMさん(奈良)から修繕していただいた「PX25・2号機」に決定。低音域までよく伸びたクセのない音質が375とベストマッチだった。ただし、「2A3・1号機」が修繕のためドック入りしているので、戻ってきてから再度テストしてみるつもり。

次にについて

「この組み合わせをブログで拝見したときに、正直言って〇〇さんは何を血迷ったことをされるんだろうと、思いましたが、実際に聴いてみると違和感はそれほど感じません。随分うまくまとめてあります。特に、ワーグナー(ワルキューレ)はこの長大なバックロードホーンでないと聴けませんね。しかし、私は自宅でAXIOM80をフルレンジで聴き慣れてますので、従来のフォステクス(低音用ユニット)との組み合わせの方がホッとします。音の密度も濃いような気がします」

ごもっとも!これはどちらがいい悪いではなく、好みの問題だろう。

そして最後のについて。

Kさんは真空管アンプを12台所有されているが、その中にはエレキットの300Bアンプも入っている。現在中国製とロシア製の2種類を交互に試聴されているとのこと。今回持参されたのは中国製の300B。

「〇〇さんはウェスタンのオリジナルの300Bで鳴らされているので、中国製の球を持参すると失礼ではないかと、これまで遠慮していましたが、今回は思い切って持ってきました。オリジナルのWE300Bと比べてどこがどう違うのか興味津々です。」

              

左側から順にWE300B(1950年代製造のオールド)、中国製の300B,そして1988年製のWE300Bで、この順番にテストした。スピーカーは「AXIOM80」。

結果から言えば中国製が大健闘だった。エレキットのアンプに付属してくる300Bは随分当たり外れがあるそうだが、艶の有無とかの贅沢を言わない限り、これで十分という鳴り方だった。

また、1988年製のWE300Bが予想以上にしっかりした音を出してくれた。

Mさんによると「私の(アンプの)お師匠さんが言ってました。これまで300Bアンプをいろんな回路で300台近く作ってきたが、ウェスタンの’80年代の球はすべての回路にきちんと対応できたものの、オールドはそうでもなかった。

どうもヘタっているのがかなり混じっているようだ。映画館などの興業用に使われていた300Bが毎日の酷使に耐えつつ10年間ほど経つと一律に交換され、そういう中古の球が市場に出回っている。中には2~3年で倒産した映画館などがあってそういう球に当たれば御の字だが、玉石混交なのでとにかくオールドだけはオークションなどで手を出さないように!」

オールドに比べて、とかく疎んじられる1980年代製造のWE300Bだが、安定感というメリットも大いにある。実際にこの日の試聴でもベストの鳴りっぷりだった。

さて、新しい発見を交えて次から次に試聴するうちに、あっという間に時間が経っていつの間にか5時近くになった。

「帰ってから一仕事待っています」というKさんを見送りながら、玄関先で「今日はどうもお御馳走になりました。いまだに舌が痺れています(笑)。」

翌日(25日)の午前中、Kさんから電話があった。「’88年製のWE300BとAXIOM80で聴いたヴァイオリンの彫りの深い音がいまだに耳に焼き付いて離れません。」

どんなに“
ささやか”でも、人の心にインパクトを与えることが出来れば、これほどオーディオ冥利に尽きることはない!


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ワーグナー生誕200年

2013年05月24日 | 音楽談義

周知のとおり今年(2013年)はリヒャルト・ワーグナー生誕200年に当たるが、22年前(1991年)の「モーツァルト没後200年」のときと比べると、メディアの騒ぎ方がまるっきり違うような気がする。

大のモーツァルトファンということもあって当時のことを鮮明に覚えているが、活気度において現在の比ではなかった。

「生誕」と「没後」の違いは無いに等しいから、これはひとえにワーグナーとモーツァルトの音楽の親しみ方への違いなんだろう。

片やクラシックのあらゆるジャンルの作曲を手掛け、生涯600曲以上も作曲したオールマイティーの総合診療医、そして一方はほとんど「楽劇」だけに絞った専門医みたいなものかな。

いったいワーグナーの音楽の魅力はどこにあるんだろう?

門外漢の自分がグダグダ言っても、しようがないのでググってみると、適切そうな質疑応答があった。

「ワーグナーの音楽には熱心な信奉者が多いと聞きました。彼の魅力を感じる部分はどこでしょうか?
また、ワーグナーを聴くには、どの曲から始めた方が良いでしょうか?また、ワーグナーの信奉者で有名な方には誰がいますか?」

これに対して、次のような回答が。(長いので抜粋)

「ワーグナーの音楽は「毒」「麻薬」などと例えられることもありますね。技法的な部分でいうと、調性の極限までの拡大。
「調性」とは、古典派~ロマン派のクラシック音楽の最も基本的な「お約束」のひとつで、あまりにめちゃくちゃに大雑把に言うと、「ソシレ」の和音が「ドミソ」の和音に進むことによって解決・安定をもたらす、ということです。

ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンといった作曲家は、これでもかというくらいにこのお約束を使いますが、ワーグナーは実はあまり使いません。(主に後期作品での話ですが)

それは調性を使っていない、ということでは決してなくてそのルールを熟知し巧妙かつ徹底的に使った上で、一番肝心かなめの「ソシレ」⇒「ドミソ」の部分(だけ)を絶妙にじらしたりはぐらかしたりします。

それにより,独特の「終わりそうで終わらない」という不安感や陶酔感を作り上げます。この手法は「無限転調」「無限旋律」などと言われ,「トリスタンとイゾルデ」がその代表的な例とされています。

楽劇全部だとかなり重く&長くなるので、まずは“さわり”だけという場合は、「前奏曲」「愛の死」などから入るのがよいかもしれません。(「愛の死」はオリジナルでは歌が入りますが,管弦楽曲集のCDなどでは「前奏曲と愛の死」という形でほぼ一曲のオーケストラ作品として扱われることも多いです)

次に歌劇・楽劇の内容で言えば、独特な人間観。
ワーグナーの歌劇・楽劇の登場人物は、常識的な倫理観から見ると、「ええっ!?」というような行動を取ることがしばしばあります。

もちろんイタリアオペラでも不倫や三角関係は定番中の定番なのですが、あくまでも道を踏み外しているという背徳感(?)がドラマのベースになっています。一方、ワーグナーの場合,特に「タンホイザー」や「ニーベルングの指輪」では,より確信犯的に行動しているというか、我々の知らない倫理体系があるというか、そうした特異なドラマ展開の中から,ある特定の価値観(≒キリスト教?)によらずに根源的な人間のあり方、愛と性のあり方、生と死のあり方、などを抉り出そうとしているようにも私は感じます。

なお、「リエンツィ」「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」などの初期作品では、上記のような特徴はそれほどは感じられず、より一般的なロマン派風の響きがしますが(ベルリオーズ、ウェーバー、リストなどの影響があるとされています、もちろんこれはこれで重厚・華麗・ダイナミックな管弦楽の響きやロマンティックな旋律などは十分に魅力的と思います。

ワーグナー独自の魅力(魔力?)は「タンホイザー」あたりからちらほら出はじめ、「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ニーベルングの指輪」「パルジファル」などに強くあらわれているように個人的には思います。

作品としては,上に挙がっているのが代表的なものというか、これでほぼ全部と思います。初期の普通に理解しやすいものからはじめるか、いきなり後期の魔境(笑)に突入するか、どちらでもよいと思います。

信奉者、と聞いて私がまず思い出すのが作曲家のアントン・ブルックナーです。交響曲をワーグナーに献呈したり(交響曲第3番),ワーグナーの訃報を聞いて,自分の交響曲の中に葬送の音楽を入れたりしています(交響曲第7番第2楽章の終わりの部分)。

実はフランスの作曲家には意外と多くて、一時期のドビュッシーの他にはフランク、,オネゲル、ショーソンなどもそうだったのではないかと思います。(どのくらい熱烈だったかは分かりませんが・・・)
作曲家以外はよくわかりません。小泉純一郎??(笑)」

折角の生誕200年を記念して、この際ワーグナーに耽溺してみようかな。

手持ちのCDを調べてみると、「ワルキューレ」(ショルティ指揮4枚組)、「トリスタンとイゾルデ」(フルトヴェングラー指揮4枚組)、「パルジファル(クナッパーツブッシュ指揮、4枚組)、「ジークフリート(ショルティ指揮、4枚組)、「ラインの黄金」(ショルティ指揮、3枚組)、「神々のたそがれ」(ショルティ指揮、4枚組)といったところ。

ただ、楽劇といえばぜひ映像付きで鑑賞したいところだがDVDを改めて購入するとなると、それほど熱烈なワグネリアンでもないし、ちょっと経済的にためらいを覚えてしまう。

そこで、恰好の解決策が登場した。昨年の6月から試聴をはじめたクラシック専門放送の「クラシカジャパン」(CS放送)がようやく「ワーグナー特集」を組んでくれた。

                  

今年の3月23日に開催された「ザルツブルグ・イースター音楽祭2013」で上演された「パルジファル」(ティーレマン指揮)が、早くも26日(日)の夜9時から5時間にわたって放映される!

この「クラシカジャパン」だが、1年近く視聴してきたものの、同じ番組の繰り返し放送がやたらに多くて、ヘキヘキしていたところだし、正直言って音質もCDの再生に比べると低音域が物足りない。

唯一のメリットと言えば「オペラ」を映像付きで鑑賞できることぐらいだが、ここ最近の「ジークフリート」(24日)、「ワルキューレ(26日)、「神々の黄昏」(28日)とワーグナー作品の放映が目白押しなのでようやく愁眉を開いた感じ。

視聴契約を解除すると、これまで録画した番組まで観れなくなるので改めてこれからも続行することを決意した。


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虎穴に入らずんば虎子を得ず

2013年05月23日 | 独り言

一昨日の21日(火)は、我が家のオーディオにとって記念すべき“一歩前進”の日になったので時系列にしたがって振り返ってみることにした。

このところ、朝早く目が覚めてしまうことが多くなり、この日も目が覚めたのが何と午前2時半。昨夜寝たのが8時頃だから、6時間半眠った勘定になるが、せめて4時ごろまではぐっすり寝て睡眠時間を8時間を確保しておきたいところだが、いったん目が覚めると冴えてきてどうしようもない。

まあ、日中眠くなってきたら昼寝をすることにしようと、潔く寝床から這い出た。

ただ、人気作家の村上春樹さんを引き合いに出すのはまことに畏れ多いが、この人は午前4時ごろから執筆作業にかかるというから、早朝型人間はけっして珍しくないのかもしれない。

さて、この日も先ず起き抜けにパソコンを起動させて、メールをチェックしたところ、いつものように大半が商品の宣伝やオークションのアラートで根気よく削除。

次に、知り合いの方のブログを拝見。この方はずっと以前からブログをされていたのだが、マンネリ化を防止する意味でブログランキングへの応募をお薦めしたところ、この10日ほどで何とランキングの2位にまで上り詰めておられるのには驚いた。

「競争するのは向いていない」そうだが、ランキングに加入すると新たに「読者側の心理」に配慮してブログを作成しよううとなるので、“頭の体操にはもってこい”なのもメリットの一つ。

該当のバナーに「ポチッ」と応援のクリックをしてから、自分のブログ(NTT系の「グー」)
へ移行。最近、迷惑沙汰があったとかで「パスワードを変更しろ」と、管理人からうるさく指令が来たので、長ったらしいのに替えたところ打ち込むのがたいへん。

すぐに昨日のアクセス数をチェックしたところ「陽のあたらない楽器ヴィオラ」が2日目だったので、初日よりもガクッと100件ほど減っている。初日と2日目のギャップを埋めるのがこのブログの課題だが、な~に、毎日更新しさえすればそれはたちどころに解消する。

しかし、毎日の更新となるとちょっとつらい(笑)。

本音を言わせてもらうと、思ったことをそのまま記載してすぐに投稿するのは自分の場合は危険極まりないことが多い。これまでの経験から、せめて一晩くらいは原稿をそのまま寝かせておいた方がいいのが分かっている。

実はupした後で「あんなことを書かねば良かったのに」と、後悔することが案外多いのだ!

したがって、いろいろと原稿作成後のチェックポイントを自分なりに設けている。

たとえば親しい方への当てこすりになっていないか、前後の脈絡がないままに単なる自慢げな話に陥っていないか、「地」をそのままさらけ出して短絡的な思考になっていないかなど、これでも結構、無い智恵をしぼっているのである。まあ、それでも他人の目からするとスレスレのことがあることだろう。

また、「本音と建前」の使い分けも少しは心得ているつもり。

たとえば、つい先日の橋下さん(日本維新の会・共同代表)の「従軍慰安婦発言」のように、事実を喋っても事柄によっては必ずしも正しいと受け取られないケースもある。物事の本質に歯に衣を着せずに言及するのが彼の武器の一つだったが、今回は、あまりにも微妙な問題だったので裏目に出てしまったようだ。

余談はさておき、作った原稿はなるべく一晩置くことにしている件については、もう一つ理由があって、それは一眠りした後の頭は、意外にしがらみのない新しい視点を提供してくれることが多いから。

そういうわけで、この日(21日)も前日から何度も推敲して原稿をあたためてきた「20~30ヘルツの再生」に、もう一度念のため目を通してから、いよいよup。

正直言って投稿時刻午前3時7分というあまりにも非常識な時間の表示をなるべくしたくないのだが、三つのランキングのうち二つはどうしてもこちらのコントロ-ルが利かない。

ブログがらみの作業がひととおり済むと、やおらオーディオ・システムにフラフラと近づいて行った。

実は、このところ同じ低音用ユニット「JBL-D130」(大型ボックス容り)を使っていながら、「AXIOM80」はこのユニットと繋がりがうまくいって、JBL「375」はなぜうまくいかないのかという素朴な疑問がずっとつきまとっていた。

この日、起き抜けにパッと閃いたのが、「375」のネットワークの交換。

ネットワークいじりはオーディオ・マニアにとってこの上ない醍醐味の一つである。
何せ、少ない投資でアンプを替えた以上の効果が出ることがあるのでたまらない。

たとえばタンノイのシステムだが、メーカーでは2ウェイのクロスオーバーを1000ヘルツにしているが、もちろんそれなりのメリットはあるものの、自分にはそれがどうも不満でクロスを200ヘルツとぐっと下げたところ、見違えるほどの低音に恵まれてハッピー!

メーカー既成のスピーカーシステムをそのまま使う人は、このネットワークと位相の問題は永遠に縁がないと思うが、まるで楽しみを半分放棄したようなもので実にもったいない。


さて、我が家で「375」(16Ω)用としてこれまで使ってきたオイルコンデンサー4個(片チャンネル分)の画像だが次のとおり。ウェスタンやサンガモなど信頼のおける銘柄が混じっている。

          

これらの容量を合計すると54μF(マイクロ・ファラッド)になる。「クロスオーバーネットワーク早見表」によると、54μFであればおよそ200ヘルツ(ローカット)の数値になるが、とてもその辺まで伸びているようには思われない。

そこで、これまで手元で保管していた電解コンデンサー(バイポーラ)を2個パラって「220μF+150μF=370μF」という、とても信じられないような値で、思い切ってSPコードの間に挿入したところ見事にグー。

            

オイルコンデンサーと比較して大きさや目方がまるっきり違うのが特徴だが、早く試聴したいものの何せ早朝のことなので、大きな音を出すわけにもいかず、カミさんがご近所の方と定例の早朝散歩に出かけた後の6時過ぎを見計らって、ようやく音出しをしたところ、見違えるほど低域用ユニットと「375」の繋がりが良くなっている!「375」がかなり、下の周波数まで侵入してきたのに相違ない。

しかし、370μFなんて数値は計算上では27ヘルツまで低域が出ることになっている。普通、そんな数値のコンデンサーをかませたら「そういう低域信号は受け入れられません」と、「375」が悲鳴を上げて一発でオシャカになるはずだが、そうならないのが不思議。

電解コンデンサーの数値は見かけ倒しなのかな?それとも低出力の真空管アンプで駆動しているせいかな?

困ったときのMさん(奈良)頼みで、「ご教示ください」とメールしたところ、次のような回答が返ってきた。

「これは想像の範囲内ですが、375の規格はクロスオーバー500Hzから10KHzとありましたから多分500Hz以下は急峻に減衰している特性と思います。メーカーが500Hzと謳っていますので、それ以下は何かしらの弊害が出るのではないでしょうか?でなければ、もし200Hzが使用良好であれば大々的に発表すると思います。メーカーの仕様は守るべきと思います。解答にはなっていないかもしれませんが。」

成る程です!どだい、ローカット500ヘルツが推奨のユニットにそれ以下まで出そうとするのは大いに無理があるところ。

Mさんのご忠告に素直に従うか、それとも不安なままに危険な綱渡りをこのまま続けるかどうか、ここは思案のしどころ。

しかし、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」
という“ことわざ”もあるし、なにも命を取られるわけでもないしね~。

もう、やるっきゃない(笑)!



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20~30ヘルツの再生

2013年05月21日 | オーディオ談義

前々回のブログで採りあげた新しい組み合わせのスピカーシステムについて、早くも第三者のご意見をお伺いする絶好の機会が訪れた。

ここ20年来のお付き合いで我が家の音を熟知しているオーディオ仲間のAさんがお見えになったのは18日(土)の午後のこと。

お仕事でたまたま近くにご用事があったとかで、「いやあ、ホントに日頃から気にかけていただき助かります!」

はじめに既存のJBL3ウェイ・オールホーンシステムを聴いていただき、次に「AXIOM80」3ウェイシステムを聴いていただいた。試聴盤は「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」(モーツァルト)。

「率直にお伺いしますが、どちらの音がお好きですか?」

「JBLは以前よりも随分良くなった気がします。ほとんど肩を並べると言っていいくらいですが、強いて言えばいつものことながらAXIOM80の方が好みですね。」

そして、いよいよ新品ほやほやの第三の組み合わせのシステムの試聴に移った。

ここで、ちょっと“くどい”ようだが改めてこのシステムの概要を記しておくと、

☆ 低音域(~200ヘルツ、6db/oct)

「JBL-D130ユニット(38センチ口径)」(ウェストミンスターのボックス容り)をアンプ「01-A」(ケンウッド)で駆動

☆ 中高音域(200ヘルツ~、6db/oct)

AXIOM80を真空管アンプ「WE300B」(モノ×2台)で駆動

☆ 高音域(20000ヘルツ~、6db/oct)

JBL-075ツィーターを真空管アンプ「2A3」で駆動

                           

しばらく傾聴されていたが「演奏会場で聴く音に近づきましたね。こういう低音域がしっかりしている音は好みです。3つの組み合わせの中ではこれがベストではないでしょうか。低音と中音がうまくマッチングしています。この音を聴くとJBL3ウェイシステムもAXIOM80も何だか普通の音のような気がしてきました。」

オーディオは自分さえ良ければグーの世界だが、やはり第三者からいい評価をいただくと自信がつく。次々にソースを替えてみた。「ベイシー・ビッグ・バンド」(ジャズ)、「日本歌曲集」(米良美一)、そして「ワルキューレ」(ワグナー)。

いずれもうまく鳴ってくれたようで、懸念していた音像定位の問題、低域ユニットと中高域ユニットのスピードの差もどうやら低音域の迫力でカバーしたようで「まったく違和感はありませんよ」に、勇気百倍。

最後に「内田光子とピリスを聴かせてくれませんか」とのご所望があった。Aさんは試聴に見えられると、必ずと言っていいほどピアノの再生音を求められるが、楽器の中で一番音域が広いので、帯域のどこかに不自然な響きがあればたちどころに分かるからだろう。

そこでピアノソナタ8番(モーツァルト)の第二楽章を順番に聴いていただくと「両方ともいいですけど、ピリスの方が凄くセンスが良くてお洒落な演奏の印象を受けます。」

「私もどちらかといえばピリスの方が好きですね。贅肉のない引き締まった演奏で、しかも躍動感があって歌心も十分です。これ以上の演奏となると、あとはグールドぐらいでしょうか」と、自然にグールド全集に手が伸びて、同じ8番の第二楽章をかけてみた。

「まるっきり、二人とは次元が違う演奏ですね!楽譜にまったく縛られないグールド独自の世界ですが、それでも“これぞモーツァルト”になっています。

それにしてもこれだけ低音域がしっかりしていると、改めて音楽の造形の重要性を痛感します。グールドの本当の良さはこういうシステムでないと味わえないのかもしれませんね。」

グールドの線の太いタッチのもとで、“ガツッ”とくるような打鍵音の鋭さと重量感を再生するには、システムに対してもそれなりの厳しい表現力が求められてくる。

五味康祐さんが名著「西方の音」の中で、「タンノイ・オートグラフはワーグナーの音楽を聴くためにある」みたいなことを仰っていた記憶があるが、これをもじって「我が家の第三システムはグールドを聴くためにある」と、言わせてもらおうかな(笑)。

ちなみに、Aさんがお帰りになった後でどのくらいの低音が出ているものかと、音響機器性能試験用テストCD「サウンドチェック」をかけてみたところ、通常の試聴レベル(ボリューム)のもとで、20ヘルツで「ブブッ」とした音声信号への反応があり、25ヘルツのときはたった5ヘルツ上がっただけで「ブブブブッ」と、より明確な反応があり、「31.5ヘルツ」では連続して完璧に再生した。

20~30ヘルツを曲がりなりにも再生出来るとなると音楽のピラミッド型構造の土台がしっかりしてきて、これが実在感と大いに関係してくる。

近年、ハイレゾ音源とか称してやたらに音の細部にこだわる聴き方が流行っているが、音楽を鑑賞するうえでは低音域の十全な再生の方が優先順位として上位ではなかろうかと思う次第だが、いかがだろうか。

ただし、「俺は低音があまり出ない方が好みだ」と言われればそれまでで、要らぬお節介にすぎないが(笑)。


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陽の当たることが少ない楽器「ヴィオラ」

2013年05月19日 | 音楽談義

数日前のブログに掲載したように、ピアノソナタ8番(モーツァルト)を6名の演奏者ごとに集中的に聴いてみたところ、改めて相性の良さを痛感して、このところ聴いているのはもっぱらモーツァルトばかり。

振り返ってみると、40年来、彼の音楽を愛好してきたが、どんな名曲でもしょっちゅう聴いていると倦んでくるのは否めない。したがって、周期的に彼の音楽に疎遠になったり、密着したりを繰り返してきたが、現在は熱愛中といったところ。

どうか、このまま当分、冷めないでほしい(笑)。

さて、ピアノ・ソナタをひと通り聴き終わると、次は弦楽器系に移ってヴァイオリン協奏曲(1番~5番)をじっくりと聴き、そして比類なき名曲とされている「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」(K.364)に行き着いた。            

解説を「名盤鑑定百科~モーツァルト編~」(吉井亜彦)から引用させてもらおう。(抜粋)

「この作品は永遠の生命を得た傑作として愛聴され続けてきている。独奏ヴァイオリンとヴィオラのためにかかれているが、この両独奏楽器のどちらかが主とか従になることなく整然としたバランスのもとに固有の持ち味がいかんなく発揮されている。

全体の構成も実にしっかりしている。三つの楽章がいずれも他にもたれかかることなく自立していて、それぞれがたいへん魅力的。その上で全体は何気ないひと息のような自然な流動感を保っている。水も漏らさぬ緻密な構成力といっていいだろう。書法も目を見張るばかりの充実ぶり。

独奏楽器とオーケストラとの協調も少しも力まずになされており、これ以外は考えられないほどである。転調の手法も効果満点。このように鮮やかに駆使できるのはモーツァルトの独壇場で、彼に匹敵できるのはシューベルトがいるだけだろう。

この曲が作られたのはモーツァルト23歳のとき。我が国の基準でいうなら大学を出たばかりの若者が、このような驚くべき傑作をかくとは~。」

以上、手放しの絶賛ぶりだが掛け値なしにそう思う。

この曲目は現在、「五嶋みどり&今井信子」と「パールマン&ズーカーマン」の二つの盤を持っている。後者は3か月ほど前に購入した「モーツァルト全集」(55枚組)のうちの1枚。

          

いずれ劣らぬ名演だと思うが、あえてどちらかと問われれば「五嶋みどりコンビ」を採る。

比較的ゆったりとしたテンポのうちに張り詰めた緊張感とモーツァルトらしい伸びやかさがほどよく調和して気持ちがいい。「(録音を振り返って)これほど気持ちを浮き立たせてくれたセッションはこれまで数えるほどしかない」(五嶋みどり)というのも充分頷けるほど。

さらに、この曲の特徴として挙げられるのが、日頃から伴奏に徹して滅多に陽の当たることが少ない楽器「ヴィオラ」が活躍していること。

その辺はさすがにモーツァルトで、それなりの仕掛けをちゃんと講じている。

「ヴィオラに独奏楽器としての華やかさを持たせるために、スコルダツゥ-ラ(「調子はずれ」の意味)と呼ばれる調弦法を指定していて、弦の張りを強めて半音高く、変ホ長調(ヴィオラ・パートはもともとニ長調)に調弦するようにしている。これにより、ヴィオラが特別な輝きと良く通る響きをもたらしている。」(CDライナーノート)

                            

ネットから画像を拾ってみたが、ヴァイオリン(左)よりも一回り大きいものの、チェロよりもぐっと小さく、何となく中途半端な大きさのヴィオラ。

基音(倍音を含まない楽器の音域)を見ても、チェロはおよそ80~900ヘルツ、ヴァイオリンはおよそ200~3000ヘルツ、そしてヴィオラはおよそ150ヘルツ~1500ヘルツだから、音域の上でも中途半端な存在を象徴している。

まるで、重厚で落ち着いた長男(チェロ)と華麗・優美でやんちゃな弟(ヴァイオリン)に挟まれて、自らの個性を発揮できず悶々としている次男みたいな印象を受ける。

その可哀想なヴィオラが珍しく独奏楽器としてヴァイオリンに伍して生き生きと躍動しているのが「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」というわけである。

ヴィオラの魅力に溢れたこの曲を、まだ聴いたことがない方は是非ご一聴をお薦めしたい。

 


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“何でもあり”の組み合わせ

2013年05月17日 | オーディオ談義

先日、久しぶりに我が家に試聴にお見えになったオーディオ仲間のAさん。

はじめにJBLの3ウェイ・オールホーン・システムを聴いていただいたところ、「凄く質のいい低音が出てますね。まるで45センチ口径のウーファーが鳴っているみたいです。」

よほど強烈な印象を受けられたとみえて、引き続き「AXIOM80」システムを聴いていただいたときにも、「中高音部はともかく低音部だけはJBLシステムに及びませんね。これだけでも何とかうまく利用する手はないものですか」

日頃の思いを改めてズバリと指摘されて、Aさんが帰宅された後もしばし考え込んだ。

我が家は2系統のシステムともにマルチ・アンプ(ひらくちに言えばSPユニット1個にアンプ1台の割り当て)なので、SP ユニット同士の位相の問題さえクリアできれば、どんな組み合わせだって“何でもあり”である。

以上、いきなり核心部分に入ったみたいでどういう意味か、おそらく“ちんぷんかんぷん”の方もおられるだろうから、具体的に説明しよう。

先ず現用システムの内訳を説明しておかないと話にならない。

☆ 「AXIOM80」3ウェイシステム

低音部 (~200ヘルツ、肩落ち6db/oct)  SPユニット「SLE-20W2発」(ケンウッド「01-A」アンプで駆動)

中高音部 (200ヘルツ~、肩落ち6db/oct) SPユニット「AXIOM80」(WE-300Bアンプで駆動)

高音部 (15000ヘルツ~、肩落ち6db/oct) SPユニット「JBL075ツィーター」(2A3アンプで駆動)

☆ 「JBL3ウェイ」オール・ホーン・システム

低音部 (~200ヘルツ、肩落ち6db/oct) SPユニット「JBL-D130」 ボックスは「ウェストミンスター」(ケンウッド「01-Aアンプで駆動)

中高音部 (400~8000ヘルツ、肩落ち6db/oct) SPユニット「JBL375」(PX25アンプで駆動)

高音部 (8000ヘルツ~、肩落ち6db/oct) SPユニット「JBL075」(2A3アンプで駆動)

結局、両システムとも低音部のクロス周波数が「200ヘルツ」だから、「AXIOM80」に「JBLーD130」とを組み合わせてセットで鳴らすことは出来ないことはない。

まあ、とりあえずやってみっか!

オーディオは必ずしも理論と現象が一致しないことをこれまでイヤというほど経験している。

そこで、思い切って「AXIOM80」システムを移動させて、できるだけ「JBL-D130」ユニットに際際(きわきわ)まで近づけてみた。

                

スピーカーのセッティングを行う場合、周知のとおり低音部から高音部までの各SPユニットの振動板の位置を合わせることが基本中の基本だから、このケースはまったくのセオリー無視で、「聴いてみて違和感がなければそれで良しとしよう」というわけ。

いわゆる自分が大好きな「大雑把」というヤツである(笑)。

必要のないSPユニットのメインアンプのスイッチをそれぞれ切るだけでいいので実に簡単な実験。まったく異色の組合わせとなるこのシステムをひとまず聴いてみると、これが“なかなかいけるじゃない!”というのが初印象。

通常は、「コーン紙」(低音部)+「金属製のダイアフラム」(中高音部)の組み合わせが多いが、このケースはコーン紙同士の組み合わせとなる。そのせいかユニット同士の繋がりが実にスムーズで聴き心地がいい。

豊かな低音部と繊細で分解能に優れた中高音部がなかなかのレベルで溶け合っている。

そういうわけで、第一、第二のシステムをいっさい損なうことなく、新たな第三システムの完成である。

☆ 低音部「JBL-D130」+中音部「AXIOM80」+高音部「JBL075」

しかし、手放しというわけにもいかない。それなりに聴取位置はスピーカーの位置から出来るだけ距離をとった方がいいし、ソースを選ぶことはたしかで、ワーグナーの「ワルキューレ」(ショルティ指揮)などのスケールの大きな音楽はもってこいだが、小編成となると音像定位の面で他のシステムに明らかに一歩譲る。

結局、使い分けが必要のようで第一システムは独奏などの小編成に、第二システムはジャズに、第三システムはオーケストラなどの大編成用ということになるだろう。

まあ、個人的な感想は別として、これから試聴にお見えになるお客さんたちに3系統のシステムを比較試聴してもらって、はたしてどういうご意見が飛び出すか、楽しみがひとつ増えた。

 


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「スピーカーの配置換え」速報第一弾

2013年05月16日 | オーディオ談義

これまでの我が家のスピーカーの配置は次のとおり。

何せ、それほど広くもないオーディオルームに3系統のシステムがあるので雑然としていて見苦しく、公開するのは少し恥ずかしいが、「百聞は一見に如かず」、文章で表現するのは限界があるのであえてご覧になっていただこう。

                  

そして、14日(火)にスピーカーの配置換えを行った結果、完成後の写真が次のとおり。

                    

この配置換えの狙いと試聴結果は次回で詳細にご報告予定。

「第4系統目の音が出現」にピーンとくる方は、カンが鋭い方である!


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棟上げ式の”餅まき”

2013年05月15日 | 独り言

我が家が住んでいる団地は150戸程度の区画で、市内ではそこそこの大きさだが、まだ空地もかなり残っているものの、ここ2~3年ほどかなりの建築ラッシュが続いている。

下世話的な発想で申し訳ないが、消費税率が上がる前に大きな買い物を済ませておこうという憶測もまんざら外れてはおるまい。

我が家の一軒隣りの空地も先日から基礎工事をやっていたが、昨日(14日)の午前中に、工事の責任者と新しい家主さんがご夫婦でお見えになった。

「今日の夕方5時から棟上げ式を行います。“餅まき”をしますのでご参集をしていただけたらありがたいです。」工事責任者の後ろでご夫婦が遠慮がちに頭を下げながら佇んでおられる。おそらく40代くらいかとお見受けした。

「いやあ、新しい家主さんですか。こちらこそ、よろしくお願いします~。5時頃に丁度自宅に居れば、そのときは餅まきに参加しましょう。」

少し勿体を付けたが、“餅”は好物なので内心では“やる気満々”である(笑)。

棟上げ式の“餅まき”は魔除けの意味があるそうだが、近年はすっかり廃れてしまったようだ。

余計な経費はいっさいかけないということだろうが、散歩のときなどに通りかかると、「この家が建つときに餅まきに参加したなあ」なんて、ときどき思い出したりして居住されているご家族ともども親近感が湧いてきたりする。これは自分だけではあるまい。

長年に亘って住むのであれば、はじめから周囲に好印象を与えておくことは、ほんのわずかの出費くらいには代えられない気もするところ。

そういえば我が家もおよそ33年前(1980年9月)に「餅まき」をしたが、こういう風習はおそらく都会のマンション住まいの方々には想像もつかないことに違いない。

さて、4時50分ごろになって、餅まきはなるべく多くの人が集まった方がいいだろうと思って団地の知り合いに連絡をしたところ、全員一つ返事で快く参集。

「さあ、明日の献立はお雑煮だ」と、雑談しながら待つ中、定刻ピッタリに餅まき開始。

          

写真にはあまり人間が映ってないが、実際は20人ほどが集まっていた。

およそ10分程度で終了して、収穫の方は次のとおり。

           

写真を撮りながらの餅拾いにしては上出来だった。家主さんが相当の量を準備されたに違いない。おまけに、奥様が餅を入れるビニール袋まで用意して全員に配られるほどのお心遣い。

少し見習ってほしいので(笑)、18時過ぎに帰宅した我が家のカミさんに逐一、報告すると「おそらく田舎の人じゃないかしら。ご両親も一緒にいたんじゃない?」

とにかく、非常にありがたいことだが実は餅の収穫よりも何よりももっと歓迎すべきことがある。

それは、新規加入者によって順番で回ってくる自治会の組長の就任が確実に1年遠のいたこと!

現在、組のメンバー16戸のうち組長の仕事を拒否される高齢家族が実に多い。中にはご夫婦そろって老人ホームというケースもある。

組長の仕事は毎月の定例会に出席し、市役所の広報紙を受け取って組内に配布回覧したり、地区の運動会などへの行事の参加、定期的な環境整備などへの出ごとがある。大したことはないが、心理的な負担もばかにならない。

拒否される方々に対して近所づきあいの手前もあって強制はできないので、やむなく7戸ぐらいで組長就任を回しているのが実状。

まさに高齢化社会の縮図を見る思いだが、しかし、中にはいくら高齢の一人暮らしの方でも頭も体もシャンとして組長をされる方もいるので、要は日頃の心がけ次第のようだ。

いいお手本を前にして、使わなければ退化する一方だと、趣味やブログで頭の体操をし、運動ジムで肉体を苛めている積もりだが、遺伝的な要素も無視できず、はたしてどのくらい効果があることやら。


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「ピアノ・ソナタ8番 KV310」(モーツァルト)

2013年05月14日 | 音楽談義

「高校時代の同窓」が取り持つ縁で、我が家にたびたび試聴に来てくれるオーディオ仲間たち3名(福岡)。

そのうちのU君がイングリット・ヘブラー女史のモーツァルトのピアノ・ソナタ全集を愛好していることから話は始まった。

U君からメールが来て「モーツァルトのピアノ・ソナタ全集のうち皆さんがお持ちの各ピアニストのCDの中で共通の曲あるいは楽章を選定して、出来れば1枚のCDに収めて聴き比べてみるのはいかがでしょう?」

もちろん、もろ手を挙げて賛成。しかし、企画段階はともかく、いざ実現の手段となると「?」。

とにかく、報告だけでもと7名のピアニストが集結した。

アシュケナージ、アラウ、内田光子、グールド、シフ、ピリス、ヘブラー
(アイウエオ順)。

そして、それぞれの手駒と演奏時間を検討した結果、選定されたのがピアノ・ソナタ8番(KV.310)の二楽章。7名の演奏時間を合計してみるとCD1枚分の丁度75分以内に納まるとのこと。

ところが、「ピアノ・ソナタ8番」と決まってみると、全集ものではないが往年の名ピアニスト「リパッティ」が弾いたのが我が家にもたしかあったはずだがと、探してみると、やはり「リパッティ全集」(4枚組)の中に収録されていた。

たまたま図書館から借りてきていた「名盤鑑定百科~モーツァルト編~」(吉井亜彦)によると、この8番は「モーツァルトの天才とリパッティの天才とが鋭く照射し合うような記念碑的名盤」とされている。

こういう“殺し文句”を目にすると、もう一刻も待てない。一足先に我が家でピアノ・ソナタ8番を聴き比べてみることにした。

アラウ、内田光子、グールド、シフ、ピリス、そしてリパッティの6名。いやあ、今さらながら凄い顔ぶれ!

             

シナリオ作家の石堂淑朗さんによると「一生の間、間断なく固執して作曲したジャンルに作曲家の本質が顕現している。ベートーヴェンは9つの交響曲、32のピアノソナタ、15の弦楽カルテットに生涯の足跡を刻み込んだ」(モーツァルトを聴く~私のベスト1~、70頁)とあるが、それをそっくりモーツァルトに当てはめると、オペラとピアノ・ソナタというジャンルになる。

とにかく昔から、彼の「オペラ」と「ピアノ・ソナタ」には目がなく、収集癖も相当なもので「魔笛」はCD、DVD合わせてとうとう45セットに到達。「お前はバカか!」という声がどこからか聞こえてきそう(笑)。

さて試聴に入る前に「ピアノソナタ8番(KV310) 三楽章構成」について、U君への報告ついでに各ピアニストの演奏時間を調べてみると実に興味深い事実が判明した。(順番は第一、第二、第三楽章)

アラウ「8分48秒 10分11秒 3分8秒 計22分7秒」、内田光子「8分4秒 10分42秒 2分48秒 計21分34秒」
グールド「3分16秒 6分19秒 2分27秒 計12分2秒」、シフ「5分37秒 7分52秒 2分55秒 計16分19秒」、ピリス「8分 9分11秒 2分49秒 計20分」、リパッティ「4分6秒 6分22秒 2分55秒 計13分23秒」

合計時間でいくとグールドが最短で12分2秒、最長がアラウで22分7秒と10分以上も大きな開きがある。同じ曲目でもこれだけ演奏時間に差があるとなると曲目の印象も演奏者によってすっかり変わってしまうはずである。

13日(月)は午後から来客予定だったので午前中にこれら6名のピアニストのソナタ8番にじっくり耳を傾けた。

ほとんどが演奏が気に入って購入したCDだし、自分ごときに大ピアニストたちを聴き比べする資格なんて毛頭ないが、それでも個人的には感銘の度合いが違っていた。

この8番(イ短調)は「ただならぬような悲壮感を漂わせた音楽」とされている。作曲された当時(1778年)、パリへの旅の途中で同行していた母親の死にみまわれているのでそのせいとも言われているが理由は定かではない。

以下は、あくまでも個人的な試聴結果である。

グールドの演奏に一番感銘を受けた。もっとも耳に馴染んでいるせいもあるが、何ともロマンティックな演奏でハミング交じりに弾かれるともうたまらない。心から降参。よく計算しつくされた演奏である。全体のストーリーを組み立てるうえで第二楽章を山場と踏んで、第一楽章はまるで序章並みの扱い。

それは演奏時間に端的に表れている。他の奏者がみっちり8分程度かけるところをわずか3分余と、目まぐるしく早く弾いていることでもよく分かる。

彼の十八番のバッハの「ゴールドベルク変奏曲」でさえ、部分的に「愚の骨頂みたいなところがある」と言って憚らないくらいだから、どんな作曲家でも気にくわないパートとなるとめちゃ早く流すのが彼のポリシーらしい。バッハ演奏と同様に独自の解釈に基づき「私のモーツァルトを聴いてください」というわけだが、メチャ説得力があるので文句のつけようがない。


そのほかの演奏者ではリパッティは正直言ってあまり共感できなかった。アラウはちょっと古臭い大家の印象を受ける。シフはピアノ・ソナタ32番(ベートーヴェン)に感銘を受けて、その余波で購入したものだが、やはり自由奔放、天真爛漫なモーツァルトよりもベートーヴェンに向いているようだ。

内田光子とピリスは良かった!ともに「歌心」に満ち溢れている。とりわけ前者のフィリップス・レーベルの録音の秀逸さにはいつものことながら感心。

ところで今回は最初に「JBL3ウェイ」システム、次いで「AXIOM80」システムとあわせて2回試聴したが曲目の印象はそれほど変わらなかった。クラシックでも、ことピアノの再生に関してはJBLなりの良さがあって実に頼もしい。

とにかく、今回はU君のおかげで久しぶりに8番をじっくり聴く機会が持ててありがたかった。


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「素数」へのこだわり

2013年05月12日 | 独り言

こまめに図書館通い(4か所)を続けていると「雑学大好き」人間にとってピッタリの本に出くわすのが楽しみの一つ。

10日(金)に隣町の図書館で見つけたのが「日本人の総疑問」(2012・12・刊)。

                

盛り沢山の質疑応答の中から特に興味を引かれたのが「なぜご祝儀は奇数がよいとされるのか?」

その答えは次のとおり。

「結婚祝いや入学祝を包むときに。いつも悩まされるのがその金額だろう。結婚祝いなら新郎新婦との関係や披露宴の内容、年齢によってずいぶん違ってくる。

ただし、いくら包むにしても共通しているのが奇数へのこだわりである。2万円、4万円より、1万円、3万円の方が縁起がいいとされる。

特に結婚祝いでは、偶数は「割れる」にも通じると、敬遠されている。このように、偶数よりも奇数にこだわるのは中国思想の影響である。

中国では昔から、陰陽の考えが基本になっており、奇数には、陽、明、表などのイメージがあるとされる。つまり積極的な面をあらわし、めでたい数字とされている。七五三の祝い、三々九度、三月三日の桃の節句、五月五日の端午の節句など行事や祝い事も、奇数にちなんでいる。

これに対して、偶数は陰となり、陽の当たらない数字とされた。この考えが日本にも伝わり、祝いの席では偶数を避けるようになったのである。」

まことにごもっともな答えだが、個人的には「縁起の良し悪し」だけではどうも説明がつかないように思う。

たとえば、身内や知人の葬儀に列席するときに「ご香典」を包むわけだが、4千円とか6千円とかの偶数を包む人は先ずいないはず。たとえば比較的近い縁者の場合なら3万円、ご近所などの知人の場合などは3千円、5千円といったところだろう。

葬儀とは亡くなった人を弔う儀式だからけっして縁起がいいとはいえないのに、ここでも奇数が用いられているので、これは上記の答えでは解釈できない。はたしてどう考えればいいのだろうか。

そこで、出てくるのが「素数」という概念である。


周知のとおり、「素数」とは「自分以外の数字でこれ以上割ることが出来ない数字」のことで、具体的には2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31・・・・・とアトランダムにずっと続いていく。ちなみに、2という数字は偶数では唯一の素数である。

この素数は若い数字では頻繁に出現するが数字の桁数が大きくなるにつれてまばらにしか出てこない。その出現する順番の法則を解明しようとしたのが、いまだに数学界最大の難問とされる「リーマン予想」である。

素数は「数の原子」とも呼ばれている。原子がはたして貴重かどうかは見解が分かれるところだろうが、モノの本質に行き着くという点では疑いを容れない。たとえば2、4、6などの偶数に比べて3、5、7の方が値打ちのある数字にみえないだろうか。

ちなみに自分の誕生日は3月7日。3と7は素数だし、膨大な数の精子の競争を経て奇跡的に生まれてきたわけなので、縁起をかついで日常生活では可能な範囲で「素数」を大切にすることにしている。

たとえば、まことに他愛ない話だが運動ジムでエアロバイクを漕ぐときの負荷は53、あるいは調子のいい時は59という素数を選択する、オーディオのスピーカーは3系統、真空管アンプの台数はすべて三極管7台にするといった具合。そういえば愛してやまないJBLの中域用ドライバーの型番は「375」(笑)。

とにかく考えてみると私たちの身の回りは四六時中、数字に取り囲まれているが皆さんもやむなく何らかの数字を選択しなければならない局面に至ったときは、「数の原子=素数」を頭の片隅に置かれたらいかがだろうか。

本書には、ほかにもたくさんの興味ある雑学があった。かいつまんでいくつか紹介すると。

「日本の地名は、なぜ漢字二文字が多いのか?」これに対して、

「いまから1300年ほど前に、地名は二字にせよという命令が国から下り、その名残である」

「会社に出す手紙はなぜ“御中”と書くのか?」これに対して、

『返信用のはがきや封筒にはよく「〇〇会社 行(宛)」と、印刷してあるが、そういう場合はその行(宛)を消して「御中」に直すのが常識である。なぜかというと、これは御社へ手紙を出すのですが、担当者などのお名前が分かりませんので、会社の中のどなたかにお出ししますという意味である。』

最後に「とてもヒマそうな古書店がつぶれないのはどうして?」これに対して、

「古書店にはふつうそれほどお客が入って繁盛しているとは思えないが、そうつぶれることもなく営業を続けている。いったいなぜだろう?実を言うと、古書店は店頭で売っている古書の売り上げで喰っているわけではない。売り上げの多くは研究機関や学者、作家らから注文があったときに、何十冊、何百冊もの本を持ち込み相当な額の商いを成立させているのだ。昔、作家の司馬遼太郎氏が歴史小説を書くとき、トラックで運ぶほどの古書を買い集め、古書の相場が動いたという話は有名だ。」


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戻ってきたPX25真空管アンプ

2013年05月11日 | オーディオ談義

昨年の12月にJBLの375ドライバーに新品の純正ダイアフラム(直径10.2センチ)を入れ替えてから、ジャズはもちろんだがクラシックもようやく聴けるようになった。

それはそれでいいとして、聴く機会が多くなったせいでアンプのアラも少々目(耳)につくようになった。この375はなにせ能率が108デシベルとメチャ高いために駆動するアンプの残留雑音が目立って、使う真空管アンプがどうしても限られてくる。

「AXIOM80」の場合に目立たなかったサーッというノイズがモロに出てくるのが難点。しかも、つい最近聴いた「ウェスタンサウンド」で中低音域の力強さという他動要因も加わってきた。そこで、とうとうこの2点の改善を目指して以前から気になっていた「Px25・2号機」を4月下旬に改造に出した。お願いしたのはいつものオーディオ仲間のMさん(奈良)。

およそ2週間をかけて、じっくりといじってくれたMさん(奈良)だが、修繕終了後の試聴でようやく「このアンプの実力が出てきました。」とのメールが先日到着

「出ました!!楽器の佇まいが・・・故に音楽を聴いている実感が出ています。ただ、残留ノイズが皆無とならずに我が家の94デシベルでのスピーカーシステムで耳を付けるとわずかに僅かに出ていますが、これが能率100デシベル以上ではどうかが不安要素です。ただし、出てくる音は、数段レベルアップしたように思います。低音もよく出ています。」

そして、このPX25アンプが我が家に到着したのは一昨日(9日)の16時過ぎ。

           

JBL375の専用アンプとして使うつもりなので、これまで繋いでいたWE300Bアンプを外して接続完了。

試聴盤はまずグレン・グールドの「フランス組曲」(バッハ)。「イギリス組曲」と並んで愛聴盤である。

グールドのバッハについてはいろんな見方があるが女流ピアニスト「熊本マリ」さんは「グレン・グールド」特集本の中でこう述べられている。

「彼の演奏は“バッハはこうでなければいけません”ではなくて“これが私のバッハです”と納得させられる。奏でる音一つ一つ、フレーズのすべてが彼独自の世界から生まれたものであり、音楽になっている。」(47頁)

                              

グールドを聴いていると、文章でいう句読点を音楽に持ち込んだ印象をいつも受けるが、妙に説得力があってこれが最上の選択肢だと思わせられるのが不思議。ちなみにグールドが一番入れ込んでいる作曲家はシェーンベルクである。

「音楽は楽譜で読むものだ。実際の音は邪魔になる。」と、宣うた“ご仁”で、文学は文字という記号で行間を読ませ意味を汲み取らせる仕組みだが、音楽も音符(♪)という記号で読ませると思えば成る程の話。                                  

さて、彼が弾くフランス組曲だが、10年ほど前に最初にCBS/ソニー盤(次の画像右側)を購入したものの、あまりの音の薄っぺらさにガッカリ。

          

グールドの演奏に限ってこんなはずはあるまいと、後に輸入盤(2枚組:画像左側)を購入したところ、やはり圧倒的に違っていた。端的に言えば、聴感上ピアノの音に芯があるかないかの差だがこれは音楽鑑賞上、非常に大きい。

同じ演奏の音質の悪い盤と良い盤を聴き比べてどういう差を出してくれるかも、アンプの能力を測る一つの目安である。

両方試聴してみると、このアンプはCBS/ソニー盤もそこそこ鳴らしてくれて当初予想していたほどの違和感はあまり感じなかった。かなりソースのアラをカバーする能力もあるようだ。しかし、やはり輸入盤の方が圧倒的にいい。

思わずテストを忘れて「グールドの演奏をこのままずっと聴いていたい」という気にさせてくれたが、オーディオ機器を意識せずに音楽の世界に没入できたという意味で、これでもう十分合格。

もう一枚の試聴盤は最近とみに嵌っている「日本歌曲集」(米良美一)。

           

優秀録音盤である。スピーカーの中央に歌手が地に足を付けてすっと立つ佇まいが何とも言えない。音のバランスが悪いとこうはいかない。中低音域までしっかり音が埋まっているのだろう。

こういうときに改めて、「好きな時」に、「好きな音楽」を、「好きな音」で聴けるオーディオのありがたみを痛感する。

しかも心配していた残留雑音も完全とまではいかないが見事に合格圏内に納まっていた。

あ~、よかった!Mさんに感謝である。

「いったい、どこをどう変えたんですか」との問いに対して、

「今回の変更で改善された一番の要因は、フィラメント電圧が上がったことです。以前のごく普通のシリコンダイオードのブリッジでは電圧降下抵抗なしで、やや少なめでしたが今回SBDブリッジに替えたところ電圧降下抵抗を追加しないと定格電圧4Vをオーバーしてしまいますので抵抗を追加して、約3.9Vにしました。あとは、値を少々変更してみました。回路図添付します。」
と、Mさん。

真空管アンプは出力管の銘柄の選択や、改造次第で生き返ることもあるので簡単に手放せない。


さて、手元のアンプのうち次の改造に向けて「まな板の上の鯉」として第一候補に挙がっているのがWE300Bアンプ。

いくら純正のWE300B(オールド)を使っているとはいえ、Kさん(福岡)が持参されたVT52(ウェスタン刻印)アンプに比べると、惜しいことに力強さに欠ける。綺麗で繊細な音を出すのだが、いわば「美人薄命」の蒲柳の質みたいなタイプを連想させる。これはこれで好みだが、あの「ウェスタンサウンド」のグラマラスなのに筋肉質の締まった音を一度でも耳にすると、ちょっと物足りない。

というわけで、回路の変更を伴う改造はもはや時間の問題。あとは矢継ぎ早の改造にMさんが応じてくれるかどうかである。

おそらく当分の間、「年次休暇」を要求されることだろうなあ(笑)。


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真空管の高騰

2013年05月09日 | オーディオ談義

このところ「ウェスタンサウンド」にすっかり参ってしまっている。

これもひとえにオーディオ仲間のKさん(福岡)が持参されたVT52(ウェスタン刻印)などのアンプの音を聴かされたせいである。どなたかが「ウェスタンサウンドは麻薬だ」と言っておられたが、こういうことを指すのだろう。

あの200ヘルツあたりから500ヘルツほどの、しっかりと分解能が利いた骨太の音が耳にこびりついて忘れられない。このあたりは音楽にとって一番おいしいところだし、そして耳にとっても極めて敏感な部分である。

「VT52」(ウェスタン刻印)が欲しいなあ!

Kさんの情報によると山口県に大量の古典管を売ってる店があるというので、さっそくググってみた。

お金のことを持ち出すとやや品が下がるが、ここは素直に現実を直視することにしよう。

まず、VT52(刻印)だがペアで13万円!いやあ、これはいくらなんでも素浪人にはちょっとねえ・・・。これでアンプを作るとなると良質のトランスなどをかませたとして確実に20万円は越えてしまう。

とにかく全体的に高い。真空管の高騰ぶりを改めて感じた。

たとえば、整流管だがウェスタンの422Aは自分が購入したときは1本が1万2千円だったが、今では6万円もする。同じく整流管のCV378(太管)はたしか3000円くらいで購入したものが、2万円も。

まったく信じられない価格のオンパレード。

いったいどうしてこんなに値上がりしたのだろう?

真空管の使い道はアンプ以外には考えられないので、TRアンプにはない良さが広く浸透してきた、また往時と同じ性能を持った真空管の再生産がまったくできないので、需要と供給のバランスが崩れてしまったことぐらいしか思い浮かばない。

とにかく買えないのであればこの上は、現在持っている真空管を後生大事に使うしかない。

そこでWE300B(オールド)を日頃使うのはもったいないような気がしてきて、急遽、中国製の300Bに差し換えて聴いてみたが、日頃聴くにはこれで十分のような気がする。

これなら、球が切れても大丈夫という気持ちで聴くと、音楽も安心して聴けるのが不思議(笑)。オリジナル管は自分ごときには勿体ない、お客さんが見えたときだけ聴くことにしようかな。

面白いことにKさんも同じご心境のようで2A3真空管の1枚プレート(刻印)を使用するのはもったいなくて、日頃は並品で聴いておられる由。

「お互いに似た者同士ですね」と、笑ったことだった。しかし、一方では「お客さんなんてどうでもいい、自分が一番大切なんだから日頃から銘管で聴く」という方もたしかにいらっしゃる。

皆さんの場合ははたしてどちらに分類されるんでしょう?

ところで、つい最近になって気が付いたのが整流管によってノイズの出方が違うこと。何気なくネットを見ていたら、直熱管よりも傍熱管の方がノイズの点で有利という記事をたまたまみかけた。

わがやの300Bアンプは、つい最近になってJBL375ドライバーに接続替えしたが、なにぶん108dbという高能率のユニットのため残留雑音がちょっと目立つのが気になっていた。

そこで、これまで使っていた5R4GY(STC:直熱管)に替えて、WE422A(傍熱管)に替えたところ、めっきり雑音が減った。おまけに、ややハイ上がりだった音がぐっと下がってきて非常に好ましい傾向になった。

          

真空管アンプを使っておられる方で、もし残留雑音が気になる方は直熱管に拘らず、傍熱管にするのも選択肢の一つですぞ。

 


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やった、三冠達成!

2013年05月08日 | 独り言

『「音楽&オーディオ」の小部屋』のタイトルでブログを始めてから7年半が経過する中、現在3つの「ブログランキング」に参加しているが、その動機といえばただ一つ。

折角書いたブログだからランキングの上位に入って、多くの人の目に触れ、読んでいただく機会を作りたかったから。

日頃あまり「目立ちたがり屋」ではないのだが、匿名の世界となると話は別(笑)。

そしてついに、これら3つのランキングで悲願の同時「1位」をようやく達成!(いずれも2013年5月8日14時現在)

これも、皆様が手間を厭わずランキングのバナーにポチッとクリックしていただいたからで、改めて感謝です。今後ともよろしくお願いします!

さて、この際なので3つのランキングを改めて紹介しておこう。

パソコン上で画像保存の仕方をオーディオ仲間のMさん(奈良)から「ブロガーはこのくらい覚えておいてくださいね」と、懇切丁寧に教えていただいたが、つい面倒くさくなってカメラでパチリ。そのせいで、電球が映っているがご容赦を。

まずはじめに「ボーダーレスミュージック」で参加者は991名。


            


「新感覚クラシック音楽情報サイト」と謳っており、最初に参加したランキングなので一番愛着を感じている。したがって、3つ並べたバナーの最初に位置づけしているが、全体的にクラシック愛好者が多い。いわばこのブログにとっての本命的な存在である。

その次が「ピュアオーディオ人気ランキング」。

           

読んで字のごとく純粋なオーディオファンが集結したブログで、参加者は144人。

年齢層が比較的若いようで、記事の内容も全体的に元気で若い印象を受けている。それからすると自分のブログは古色蒼然としており、明らかに周囲に溶け込んでおらず、いつも浮いてる気がしてならないが、なぜかこのところずっと1位。おかしいなあ?

小理屈を振り回さず、常に実践とリアリティを心がけているせいかな(笑)?

このランキングはオーディオ以外の記事になると途端に得票数が減って、読者の反応が実にシャープなのでその点は性格がはっきりしていて気に入っている。

そして、最後の3つ目がクラシック専門の「人気ブログランキング」で参加者は359名。

           

このランキングだけはいまだに性格がよく分からないところがあって、どちらかといえば、記事の内容よりも参加者個人の人気投票的な側面があるという印象を受けてしようがない。もちろん、いい、悪いの話ではないし、それはそれでどうせ当方に選択の余地はないのだから仕方ないのだが。

したがって自分のような組織票(?)をいっさい持たない人間が上位に食い込むのはたいへんで、3年ばかりいつも50位前後をウロウロしていた記憶がある。しかし「石の上にも3年」とはよくいったもので、ようやく最近コンスタントにベスト10入りを果せるようになった。

ちなみに、上記のランキングに掲載されている他の記事にはいっさい興味がないが、このランキングに限ってはただ一つだけ常に目を通させていただいている面白い記事がある。これぞ「本物のクラシックファン」といつも唸っているのだが、それははたしてどれでしょう?

さて、夕食のときにカミさんに「おい、ついに3つのランキングで1位になったぞ!」

すると「フ~ン、それで何か得することがあるの?」

まったく、これだから「縁なき衆生(しゅじょう)は度し難し」なのだ(笑)。
         


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