「初恋の想い出は、ちょっぴりほろ苦くて、せつなくて、時間の風化とともにひっそりと自分の胸だけにしまっておくもの」と世の中の相場がだいたい決まっている。
ところが、その初恋の相手がこともあろうにその成り行きを詳細に日記にしたためていて、後世になって白日の下にさらされ研究家から鵜の目鷹の目で詮索されたとしたら・・・。
他人の初恋の顛末はそっとしておけばいいのにという反面、あの文豪(ノーベル文学賞受賞)の作品にどういう影響を及ぼしたのかという興味も大いに湧いてくる。
2月25日NHKBSハイビジョン「坊やの初恋~ヘミングウェイと看護婦アグネス」はそういう番組だった。
番組のテーマは次のとおり。
1 ヘミングウェイの秘められた初恋
2ヘミングウェイが描く恋愛が悲劇で終わるのは?
3 トラウマになった初恋に注目
4 ヘミングウェイの恋愛観に迫る
当時19歳でジャーナリスト志望のヘミングウェイ(1899~1961)は戦争の現場に立ちたい思いから赤十字要員に志願し、第一次世界大戦のイタリア戦線に参加、足に負傷を受けてミラノの赤十字病院に入院する。そこで出会ったのが7歳年上の看護婦アグネスだった。
以後の経過は彼女の日記によって詳細な進行が明らかにされる(1985年公表)のだが、結局この恋愛は実を結ばずアグネスからの一方的な破棄で終わりを迎える。
7歳という年齢の差が最後まで障害になったようで、ヘミングウェイはショックのあまり1週間も床についたままだった(実姉の証言)とのこと。
アグネスの魅力は美、勇気、献身だったようだがこの激しくてひたむきな初恋に破れた悲惨な経験と深い傷が、大きな不信感を生じさせ、その後の彼の人生と文学に決定的な影響を与えた。
通常の初恋の破綻とはやや様相を異にするようで、それだけ作家としての資質と感性が成せる業だったのだろうが、以後、友人や妻(4度の結婚)との関係を常に自分の方から終わらせるなど、彼女から受けた屈辱が終生のトラウマとなった。
研究家によると、子供の恋愛ごっこと揶揄された彼女を見返すために、自分に何が出来るのかと発奮し、10年後に不朽の名作「武器よさらば」(1929年)を書き上げてアグネスに見せつけたとのこと。
アグネスとの実体験をモデルにしたこの作品は、ヘミングウェイ文学の原点ともいわれているが、最後は死産に伴う看護婦の死によって、救いようのない悲劇となり結末を迎えているが(終末2頁に亘る寂寥感は最高!)、研究家の間では作品の背景を知る上で現実の恋愛がどこまで進んでいたかが長い間議論の的になってきた。
ヘミングウェイの熱心な研究家は世界中で何と27か国650人(ヘミングウェイ協会)もいるとのことだが、二通りの意見が紹介されていた。
☆恋愛成就説
日中の病院の中では無理だが彼女には夜勤があったので愛し合えただろう。彼女の日記には”あの晩あなたはとても素敵だった”との記述がある。つまり小説どおりというわけ。
☆恋愛成就否定説
当時、看護婦は患者とそういう関係になれば即解雇となる厳しい規則だった。また、イタリアはカトリックの国であり現実には無理ではないか。小説の中身の方は作家が想像を膨らませた結果だろう。
初恋の破綻後、アグネスと二度と会うことのなかったヘミングウェイは1961年61歳で猟銃自殺(父親も過去拳銃自殺)を遂げたが、死の前日寝床に着くときアグネスとの恋愛中に覚えた愛の歌を口ずさんでいたという。最後まで初恋のイメージを追っていたのかもしれない。
なお、「武器よさらば」の映画は以前ロック・ハドソン主演のものを観たが、ゲーリー・クーパー主演(1932年)のものがあるとは知らなかった。
当時のヘミングウェイ 初恋の人アグネス