「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

ポートレート~ウマさん便り~

2025年01月31日 | ウマさん便り
先日、久しぶりにロンドンへ行きました。
スコットランドの田舎から行くと、ほんと、おのぼりさんですね。

…うわー、大都会だあ!…あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ…
おのぼりさんのことを「カントリー・ンプキン」って言うけど、僕は冗談で「カントリー・ンプキン」と言ってます。
 
ロンドンで、時間があれば必ず寄るのが、トラファルガー広場にある「ナショナル・ギャラリー」です。
その圧巻の展示内容には、毎回、我を忘れる。事実、我を忘れて、帰りの電車に乗り遅れたことがありました。

いつも、その作品の前で動けなくなるのが「ターナー」です。あの、光と水、そしてその陰影の表現は他にはないと思う。
同じ「光と影」でも、レンブラントとは全然タッチが違います。
 
英国の画家ターナーを知ったのはレコードジャケットだった。



かなり昔、そのLPジャケットの絵を見た僕は、即、レジにそのレコードを持っていった。ジャケットの裏には、ベニスを描いたその素晴らしい絵がターナー作だと書いてあった。

さらに、MJQ (モダンジャズカルテット)によるその演奏「One Never Knows(人知れず…)」も、ストーリー性を帯びた実に素晴らしいもので、今でもちょくちょくCDで聴いています。その中の一曲「ベニス」では、ドラムのコニー・ケイが、スティックではなく、ブラシでスネアドラムを擦り(こすり)、ザーッ…ザーッ…と水の音を表現している。見事な職人芸ですね。
 
今回、そのナショナルギャラリーのお隣りの「ポートレイト・ギャラリー」を初めて訪れた。ポートレイト、つまり肖像画です。
歴史上の人物や有名人など、貴族趣味を感じる作品が圧倒的に多く、市井(しせい)の人々を描写した作品はない。ま、当然かもね。
ナショナル・ギャラリー同様、入場無料だけど、僕にすれば一回訪れたら十分です。

英国の美術館・博物館は、特別な催しを除いて、通常、入場は無料です。でも、僕は、毎回、少しだけど寄付金を置いてきます。だってさあ、素晴らしい多くの作品群…タダだなんて罰が当たりますがな。

英国の美術館・博物館は入場無料だけど、英国は医療も無料です。この事実に、国としての矜持あるいはポリシーを感じると言うと大袈裟やろか?
 
さて、実は、そのポートレイトなんだけど…
僕の娘たち、くれあとらうざ(ローザ)…この二人、かなり絵が上手なんです。くれあがパステルで描いたローザなど、表情を実に上手く捉えている。
そのローザが初めて描いた油絵など、その巧みで精緻な描写に写真だと思ったほどです。


 
で、ローザが描いたウマ、つまり、僕のポートレイトがあるんやけど、まつ毛が長くてさあ、ちょっと可愛いんだよね。照れちゃうなあ。
あとでお送りするけど、どんなポートレイトか、ちょっと想像しておいて下さいませませ。
 
複製画をよく見ると、CDの写真が反転していることが分かる。単なるミス?

             

追伸


 
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「AXIOM80」+「超高音」~最終回~

2025年01月30日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

いきなりの話だけど、ネットを見ていると「小出し」にして「続く」を連発している記事をときどき見かけるが、2回ぐらいならいいけど、3回以上も続くとなるとイライラしてくる。

そう、「勿体ぶるな!」と叫びたくなるのだが、その原因となると年齢のせいで気短になったせいか、or「小出し」そのものに読者をいたずらに引きずる不純な意図を感じるせいか・・、皆様もそういうご経験がありませんか。

というわけで、この「オーディオ記事」も、徒にひきずることなく2回までに留めておきます(笑)。

さて、久しぶりに舞い込んできた興味ある「オーディオ実験」・・、人間の耳に聴こえるはずがない超高周波音を加えると、音が「生き生き」してくるという話に、感化されてさっそく試してみた。



ご覧の通り「AXIOM80」+「075ツィーター」の組み合わせだが、これまでの経験上、とかく愛好家は「音が変わった=いい音になった」と錯覚しがちである。

ここは冷静な第三者の耳を借りようと、オーディオ仲間の「Y」さんに来ていただいた。フルートの生演奏を楽しまれるだけあって音にはとても敏感な方で、いわば信頼のおける方である。

「音楽ソースはどうします? ジャズにしますかクラシックにします?」

「クラシックがいいです。ジャズはこのごろまったく聴く気がしなくなりました。後に残るものが無いです、あれは芸術じゃなくて娯楽ですね・・。」

「私も昔は音響実験のときにサキコロは定番だったのですが、このところまったく聴く気がしなくなりました」と、すかさず同調した、付和雷同・・ゴメンね(笑)。

というわけで、テストソースはモーツァルトの「ヴァイオリン・ソナタ」に決定。



最初に「075」を付けた状態で聴いていただきながら、途中から「075」専用のアンプのスイッチを切って「どうですか?」・・、

すると「あった方が断然いいです、高音域の抜けが違います。AXIOM80単独で聴いているときは、まったく高音不足が気になりませんでしたが、こうやって比較して聴いてみると高音域が随分と淋しくなりますね」

「それにしても不思議ですね。聴取不可能な高周波音が加わるだけでこんなに変わるなんて・・、075のマイカコンデンサーがボリュームの役割をしているんでしょう。

本格的なスーパーツィーターに代えると、もっと変わる気がします。ただし、AXIOM80本体の透明感があってこそスーパーツィーターが引き立つ印象を受けます。ほかのスピーカーではそれほど目立たないでしょうし、あまり効果が感じられないと思いますよ」

極めて的確なご指摘だと思います(笑)。

そこで、率直な思いでマイナス面を打ち明けた。「実は超重量級の075を載せたせいで箱の響きが弱くなったような気がします。台を別途つくってその上に075を載せようかと思ってます」

「そこまでしなくていいでしょう。075は所詮は雰囲気づくりなんですから、何も縦一文字にしなくてもスピーカーの横に台を置いてそれに載せたらいかがですか」

「成程! グッドアイデアです」と、すぐに飛びついた。



当面、あり合わせの材料で即席の台を作って横に置き、その上に075を載せてみた。

「これで言うことなし!」の音になりましたぞ。

メデタシ、メデタシ・・(笑)。

なお、今回ありがたいことにYさんからお土産として清酒をいただいた。



篤志家(とくしか)のお父さんの代から営々と運営してこられた「老人福祉施設」が百周年を迎えたので、先日「記念パーティ」を開催し、そのときの引き出物がこの清酒だったというわけ。

その種の仕事をしている家人からは「名実ともに県内でトップクラスの施設で、とても評判がいいわよ」と、つとに聞かされている。

なにしろ、クラシック音楽好きの理事長さんが運営しているんだから納得です!(笑)。



こういう施設が大分市・別府市に幾つも点在しています。

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「AXIOM80」+「超高音」~その1~

2025年01月29日 | オーディオ談義

図書館で「音」と名がつく本を見かけたら、とりあえず借りてきて一通り目を通すことにしている。

で、先日「新刊コーナー」で目に触れたのがこの本。



さして期待もせずにペラペラと頁をめくっていたら、150頁に「超高周波音が音楽の印象を変える」との項目立てがあった。

オッ、これは面白そう!

大要、次のとおり。

先に、唐揚げが食べ頃になると(油がはじける音に)超高周波音が含まれると述べた。超高周波音それ自体は通常聴くことができない「非可聴音」である。

このような空気振動は人の聴こえに本当に影響するのだろうか。

このことを確かめるために、楽曲音に超高周波音を付加するとその印象がどのように変化するのかを調べてみた。

つまり、同じ楽曲に「22~60KHz」を付加して聴取してみたところ、8名の印象評価の集計は次のとおり。



ご覧のとおり、1項目を除いてすべてプラス評価となった。

これらの結果が示唆するのは本来感じることができない超高周波空気振動が付加されるとその影響を受けて可聴音の空気振動の近くが変化するということである。

つまり、人は非可聴音を含めて音源の空気振動を知覚しているという可能性が考えられる。

考えてみると、可聴音は周囲に存在するごく一部の周囲の空気振動に過ぎない。自然界には人には音として聞こえない超高周波空気振動も多く存在している。

木々の葉のこすれる音、虫や鳥の鳴き声、潮騒や川のせせらぎなどの自然環境音には超高周波音が豊かに含まれている。これらの音源から可聴音を感じるときに同時に超高周波音も身体に受けていると考えることはごく自然であろう。


以上のとおりで、周知のとおり人間の可聴帯域は「20~2万ヘルツ」とされている。

しかるに人間には聞こえないはずの2万ヘルツ以上の帯域を追加することによって「可聴音の上限近くの空気振動が変化」し、音の印象が変化するというのだからこれは聞き捨てならないですな(笑)。

オーディオは理屈では説明できないこと、言い換えると現象に理論が追い付いていないことに遭遇することが極めて多い分野だがこれは最たるものだろう。

むらむらとオーディオ魂が沸き起こってきて、さっそく実験してみたくなった。

「スーパー・ツィーター」っていったい いくら ぐらいするんだろう。オークション・サイトを覗いてみると有名な「ムラタ」製があった。



お値段は7万円・・、もっと値上がりしそうなので実験するにはちょっと高いなあ(笑)。それに肝心の能率が「88db」と低くて明らかに真空管アンプ向きではない。

ちなみに、「中高音域を鳴らすのには絶対に真空管アンプを使う」は我が家のレーゾン・デートルである。その理由は・・、もうお分かりですよね、そう「倍音」の存在です(笑)。

そこで窮余の一策として我が家の「075ツィーター」(JBL)をスーパー・ツィーターとして活用してみることにした。

なにしろ能率が「110db」とメチャ高いので小出力の真空管アンプで対応できるので大いに助かる。

どういうシステム構成にしようか・・、とはいっても、もちろん答えは決まっている(笑)。



「AXIOM80」にまったく高音不足は感じないが、「超高音」の追加によって起きる全体的な音の変化には大いに興味がある。

ポイントはツィーターの「075」のクロス・オーバーをどのあたりで設定するか・・、ここで極小値のマイカ・コンデンサー「0.075μF(マイクロ・ファラッド」の出番となる。



「クロスオーバーネットワーク早見表」で計算すると理論上はローカットが「26万5千ヘルツ」となる。無論、人間の耳で聴きとるのは不可能な範囲である。

ところが・・、「075」専用の真空管アンプで鳴らしてみると、ちゃんと音が聴こえるのである。むしろ、出過ぎるくらいなのでアンプのボリュームを6割程度に絞るほどだった。



で、問題はこの追加した「075」で全体的にどう聴こえるかということになるわけだが、たしかに高音域の輝きが増した気がするし、低音域も引き締まった印象を受ける。前述した実験通りの結果が出た。

これで万歳といきたいところだが、オーディオはそんなに甘くないです(笑)。プラスとマイナスの差引き勘定が付きまとうことが多い。

で、この場合のマイナス面としては重量級のホーンを箱に載せたせいで、(箱の)響きが抑えられたような印象を受ける。

差し引きしてどちらを選択するか・・、実に迷うがブログ主は変化を求めて075を追加する方に軍配を上げた。

とはいえ、いささか心許ないので素直に第三者の耳を借りることにした。ここで、オーディオ仲間の「Y」さんのご登場である。

「お仕事中に済みません。AXIOM80に075ツィーターを追加してみたんですが、一度聴いて頂けませんか‥、出てこれますか?」

「ハイ、いいですよ。20分後ぐらいにお伺いします」 さすがに大の「AXIOM80」ファンである(笑)。

そして・・、その後にまったく「予想だにしない展開」が待ち受けていようとはそのときは知る由もなかった。

以下、続く。



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金は かたち に残らないものに遣え

2025年01月28日 | 独り言

その昔、といってもおよそ50年ほど前のことだが、当時のベストセラーに「間違いだらけのクルマ選び」という本があった。中高年の方々の一部には懐かしいタイトルだと思う。

薄給のサラリーマンにとってクルマは値が張る大きな買い物なので、失敗しないようにと参考にさせてもらった記憶があるが、その本の著者が「徳大寺 有恒」氏。

その徳大寺氏のエッセイ集が図書館の「返却専用」の書架にあったので何気なしに手に取ってみた。

2015年の刊行なのでもう10年も前のこと、別に目新しいことも書いてなさそうだがと、立ち読みしてパラパラとめくっていたところ、「金は   かたち に残らないものに遣え」(163頁)という「項目」があった。これは面白そうだと借りることにした。



要約すると、

「喫煙が好きだ・・、タバコは吸うと同時に煙となって虚空に消えてしまう。その時間ははかない、しかしその短い時間の中に、くつろぎと、贅沢と、優雅さが高密度に凝縮している。こんな素敵なお金の遣い方はほかにない。かたちに残るものは買わない、それが私の一番好きな金の使い方である。」

「土地を買って家を建てる。それを人生の最大の目標にしている人たちもいる。しかし、私の趣味ではない。どんなに高い土地に高級な家を建てても、それ自体がとても貧乏くさく感じられる。そういう財産を一度つくっておけば、子や孫も安心できるだろう、などと思うのかもしれないが、子孫は子孫でがんばればいいのだ。」

以上、「間違いだらけの・・」がヒットした一因に、
氏独特の歯切れの良さがあったわけだが、ここでもそれが存分に発揮されており、その決めつけ方に全面的に賛同するわけではないが、なかなか考えさせられる事柄ですね。

「子孫に美田を残さず」(西郷 隆盛)という言葉があったけど、今ではすっかり「死語」になってしまった感がある。たとえば、今の政治家なんか苦労せずに地盤を引き継いだ跡継ぎのボンボンだらけなので、日本の政治劣化の一因もそこにありそうだとは思いませんかね・・。

とはいえ、舞台の主役は「時空を駆ける遺伝子か、それとも本人自身か」という答えの出ない命題が後ろに控えているわけですが。

で、なぜこうい話を持ち出したかというと、つい最近購入したウィスキー「ラガヴリン16年」も、タバコと同様に飲んだ後は何にもかたちに残らないけど、気持ちだけは刹那的に随分贅沢になるんですよね~(笑)。



こういう芳醇なウィスキーはストレートに限りますね・・、夕食時に舐めるように少しずつ舌の上に載せながら、肴を食べていると独特の風味が程よく刺激して気分的にすごくハイになります。

大いに気に入ったので継続しようと思っているが、このくらいの贅沢は許されてもいいよねえ・・、ちなみにお値段は「角瓶」のたったの「7倍」くらいです(笑)。

というわけで「金はかたちに残らないものに遣え」に「その意気(粋)や良し!」と共感するわけだけど、これを別の観点からとらえると「刹那的な生き方」を取るか、将来を見据えた生き方を取るかを問われているような気がするわけで、いわば、前者は「無頼」派、後者は「優等生」派といえそうだ。

「優等生」派は無難だけど、傍(はた)からみてあまり魅力がないのはたしかですね~、ちなみにブログ主はどうなんだろう・・、あまり偉そうなことは言えないか(笑)。

それから、もう一つ。

<トランプ大統領の就任>

トランプさんが大統領に就任してから早くも1週間以上が経ち、さっそくいろんな波乱を巻き起こしている。

で、ネットで見かけた意見だけど・・、

「現状に生きづらさを感じて、変化を望む人々がトランプに期待するのは理解できる。ただ、人権・民主主義より経済を、国際協調より自国の利益をはっきり優先させるリーダーにあれだけ熱狂する社会に、とてつもない怖さを感じる。

アメリカのみならず、日本にも一定の期待の声があるのがさらに恐ろしい。不法移民の強制送還等、大統領令の乱発でとりあえずは外科治療的に目に見えた変化をもたらし、功績をアピールしてくるのは間違いない。

ただその先の未来…人々の心の分断や置き去りにされる人権、ないがしろになる地球温暖化対策…。私にとってもあの国のことと傍観していられない。 胸苦しい。」

以上、同感だけど、個人的には政治は「長期的な視野」をもとにしながら「短期的な視野」を上手くミックスさせて展開することが好ましいと思っているが、トランプさんを見ているとどうも「短期的な視野の損得勘定」ばかりを優先させているように思えてならない。たとえば、国際社会における孤立がこれから有形無形の影響をどう及ぼしてくるか・・。

どうせ4年後には大統領の任期が切れるわけだけど、それから先の展開が見ものですね。

つまり「修正路線」になるのか、あるいは「継続発展路線」になるのか・・、政治家の評価は「棺を覆うて事定まる」、いわば「後世の史家」がどう判断するかにかかっているが、はたしてトランプさんのケースはどうなんだろう。



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「嬉しさ半分、悲しさ半分」の心境とは

2025年01月27日 | 独り言

つい先日のブログで紹介した、日経新聞の「私の履歴書」だが、主人公の「岡藤」氏(現「伊藤忠商事」会長)がいよいよ社長に就任し、マンネリ化した社風に大ナタを振るう佳境に入った。

この1か月ほど「断られてからがほんとうの仕事だ!」という商社マンの意気軒昂たる姿に煽られっぱなしだった。

世の中にはガッツに溢れた凄い人が居るもんです・・、自分のような迫力の無い人間なんて繊細な「趣味の道」に生きるのが精一杯だなあ~(笑)。

「私の履歴書」で、ふと思い出したのが指揮者の「リッカルド・ムーティ」氏で、もはや長老の域に入っていると言えるが、過去にこんなことを書いていましたよ。


☆ 指揮者「リッカルド・ムーティ」氏の「私の履歴書」




ムーティ氏の記事はなにしろクラシックに関することばかりなので、毎回興味深く読ませてもらっていたが、こういう箇所があった。

90歳になる音楽家のヴィットリオ・グイ氏が当時30歳のムーティに対して次のように述べた。

「なんて残念なんだ。人生の終わりが近づいている今になって、やっとどうやって指揮をするのか分かり始めるなんて・・」

ふと「江戸時代」の稀代の浮世絵師「葛飾北斎」(享年89歳)が臨終のときに「天がせめてあと5年の命を与えてくれたら本物の絵師になれたのに・・」を思い出した。

「芸術」の本質に肉迫するためにいかに時間がかかり、そして難しいことなのか・・、それを物語るエピソードだと思うが、
実は我が「音楽&オーディオ」もそうなんです~。

「人生の幕がそろそろ終わりに近づこうとしているときに、ようやく満足できるサウンドが出るようになるなんて・・」、うれしさ半分、悲しさ半分といったところかな~(笑)。

いずれにしても、ようやく本命のシステムが固まってきたのでそろそろ「断捨離」に入らないと・・、「遺された時間は無限ではない」とわかっちゃいるけど思い切りがねえ~。

さしずめ、第一次候補に挙がるのは、

JBLの「175ドライバー」(小型ハチの巣ホーン付き)、「075ツィーター」(削り出しステンレスホーン付き)、「D123ユニット」(口径30cm:箱付き)



どなたかに有効活用して欲しいのは山々だが、いったいいつになることやら・・、ものすごい熱意にほだされると話は別ですけどね(笑)。



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「黄金の組み合わせ」のスペアを求めて

2025年01月26日 | オーディオ談義

先日のブログ「このシステムの音を聴いて感動できないとすれば、それはあなたの耳が悪いからです」は、ガチのオーディオ記事なので、さぞかし「評判の悪いことだろうて・・」と期待していなかったところ、予想外のクリ~ンヒット(アクセス)に唖然~。

どうも読者の嗜好の傾向がよく分からんなあ~(笑)、ま、結果良ければオーライといこう。

ここで、ふと「ユートピア」(「湊 かなえ」著)の一節を思いだした。

「何で多くの人から認められたいなんて思うんだろうな。他人の評価が欲しくて作品に向き合っているうちは、多くの人どころか自分自身ですら心底満足できるものが作れないってことに、どうして気が付かないんだろう」           

なかなか含蓄のある言葉だと思うが、そうはいってもやはり読者あってのブログだからね・・(笑)。

それはさておき、冒頭の過去ブログで紹介した(オーディオ機器の)「黄金の組み合わせ」についていささか思うところがあります・・、というのもブログ主はかなりの「心配症」というか、用心深いタイプなんですよねえ。

どういうことかというと、日頃から命の次に大切にしているつもりのオーディオシステムだけど、所詮はモノなので寿命とか故障とかは宿命のように付きまとうもの。

で、そういうときの対処法も慌てないように日頃から頭の片隅に叩き込んでおきたい・・、つまり「スペア」を前もって準備しておくに越したことはないという思考の持ち主なので~す(笑)。

というわけで、具体論に入ろう。

<スピーカー>



レギュラーの「AXIOM80」(オリジナル:画像左)の代替品として、修繕期間のうちは「復刻版」(画像右)を使用すればいい。繊細さにおいてやや劣るけど、やはり「同じ穴の狢(むじな)」として十分我慢できるレベルにあるのは頼もしい。
 

<パワーアンプ>

レギュラーの「6A3シングル」(モノ×2台)の代替品候補は実はかなり恵まれている。

まずは「PP5/400シングル」、「WE300Bシングル」、「2A3シングル」、「6AR6シングル」(三極管接続)と枚挙に暇がないが、最近実験して見直したのが「171Aプッシュプル」だ。



さすがに「プッシュプル」だけあって、中低音域の量感が「シングル」に比べて分厚い印象を受ける。このアンプだと、サブウーファー(ウェストミンスター)はもう要らないんじゃないかな・・、そういう気がする。

ちなみに、昔、交流のあったオーディオ仲間が「71系真空管に限っては、シングルもプッシュプルも音の差がありません」と言ってたことを思い出す。

それに、真空管が全部で9本あってすべて点灯すると、冬場なので暖房の助けになる。つまり「暖房器具」としても使えるので、これこそ「一石二鳥」だね~(笑)。

<DAC>



現用は「エルガー プラス」(英国:dCS)で、音質の繊細さは近代の「D2R」(SMSL)に一歩譲るけど、たっぷりとした量感は確実に「一頭地を抜いて」いる。つまり「AXIOM80」独特の「線の細さ」を見事に補っていて、これこそ「黄金の組み合わせ」といえる~。

万一、故障したときは絶対に「即修理」だけど何せ「旧石器時代の産物」みたいなもので受け付けてくれる会社があるかなあ~。こればかりは唯一の不安要素だけど、これまで10年以上使ってきて故障は一度もないんだから取り越し苦労だよなあ~、と思うことにしている。

ほかに残るのは「プリアンプ」だけど、実力伯仲のスペア(3台)が目白押しなので、故障してもさして絶望の淵に沈むことはなかろう。

以上、スペアには不足していないのでどこかが故障しても、むしろ「ピンチはチャンス」になるかも・・、と前向き思考だけど、やはり故障しないのが一番だよなあ~(笑)。



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ウィスキーの名品「ラガヴリン16年」

2025年01月25日 | 独り言

つい先日のブログ「脳を麻痺させて音楽を受け入れやすくする工夫」の中で、「音楽とウィスキー」の関係性に言及したところ、さっそく南スコットランド在住の「ウマさん」からメールが届きました。

タイトルは「アイラ島」

「ウィスキー大好きな僕は陰口を言われたことがあります…「あいつはウィスキー好きが昂じてスコットランド人を嫁に貰った」

14歳の時に父親の部屋で見つけたボトルをこっそり飲んでみると、これがなかなかいけるじゃないですか?

その時の体験をスコットランド人にいうことがあります。

「14歳で初めて飲んだスコッチウィスキーに感激した僕は、自分の血にスコットランドのスピリッツがあると思うようになったんです」

スピリッツには「精神」と「蒸留酒」の意味があるので、このジョークは結構ウケますね。
 
スコットランドの西方に浮かぶアイラ島はウィスキーの聖地と言えます。ISLAYと書いてアイラと読みます。

このアイラ島にあるすべての蒸溜所を、やはりウィスキー好きの親友、日本フィルのソロ・コンサートマスター木野雅之と訪れたことがあります。彼はどの蒸溜所でもヴァイオリンを演奏しました。

彼の最愛のウィスキー「ラガブリン」の海辺で演奏したバッハ「シャコンヌ」は見事でした。蒸溜所で働いている方々が、聞こえて来るヴァイオリンの音色に惹かれて次々と外に出て来ました。蒸溜所所長が感激して、蒸溜所限定の特別な「ラガブリン」をプレゼントしてくれたのはいい想い出です。


 
さっそく返信~。

「素敵なお話、ありがとうございました。ラガヴリン・・、量販店ではまず見かけませんけど一度飲んでみたいものですね(笑)。」

すると、すぐに往信が・・。

「もう故人ですが、かつてウィスキー評論家として最も権威のあった方がマイケル・ジャクソン氏です。

彼は、ウィスキーブックと言う本を出していて、その中で、ウィスキーの順位を付けていました。
僕も含めたウィスキー愛好家は、その順位を大いに気にしたものです。
その中で、彼が最高点をつけたのが「ラガブリン16年」でした。
 
ぜひ一度、探して見てください。やや海藻の薫りがする独特の味に最初は戸惑うかも知れませんが…」

ハ~イ・・、こうまでご親切に誘導していただくと乗らざるを得ませんね~(笑)。

田舎の量販店では絶対といっていいほど見当たらないブランドなのでネットで探したところ、すぐに見つかった。しかも「送料無料」ときている。

かなり高価だけどお金を持ったまま息を引き取るわけでもないしねえ~、たまにはいっか(笑)。

注文すると、見事に2日後の一昨日(23日)に到着。


 
さあ、興味津々で夕食前のひと時、この初見のウィスキーを味わった。

独特の風味と香りがする・・、極めて個性的なテイストといっていい。

ウマさんは「海藻の薫り」と仰ったが、自分には古い木材の匂いが染みついた樽の独特の匂いがしてくる感じ・・、しかし、これは慣れてくると「病み付き」になりそうな風味だよなあ~(笑)。

なぜ高名なウィスキーのお値段があんなに高いのか・・、やっとその理由の一端がわかった感じ、「このウィスキーじゃないと絶対に出せない風味があるから」。
 
改めて「個性」の大切さに思いを馳せた。

音楽では「一小節」聴いただけですぐに「モーツァルト」の作品だとわかるし、オーディオも音を聴いただけで想像できるスピーカーがあるし、人間だってそう・・、「この人ならでは」の個性あふれるタイプになりたいものです。平々凡々としたブログ主に偉そうなことを言う資格は無いけどね(笑)。

それはさておき、チビリチビリやりながら、「絶対個性」の持ち主のスピーカー「AXIOM80」で、モーツァルトの「ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ」(K261:You Tube)を聴いていると、まさに「バラ色のパラダイス」が出現しましたぞ!

ちょっと大袈裟だけど、このまま息が止まってもいいくらい(笑)。

ウマさん、素敵な「ウィスキー」をご教示いただいてどうもありがとうございました。


 
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心が洗われる作品 「木挽町のあだ討ち」~読書コーナー~

2025年01月24日 | 読書コーナー

この元旦に神社にお参りした時の「7つのお願い」をご記憶でしょうか。

「お前の勝手だろ、知ったことか!」と返されるのがせいぜいだが(笑)、その中の一つ「面白い本やドラマにもっと出会えますように」がさっそく実現しました。

経緯を述べてみましょう。

つい先日のこと、面白いミステリーを読みたいものだがと、いそいそと図書館に出かけた。



参考にしたのが年次版の「このミステリーがすごい!」だが、最新の「2025年版」は、「まだ図書館が購入していない」 or 「予約者が殺到してお鉢が回ってこない」・・、したがって「2024年版」の「ベスト10」をメモして出かけたところ、見事に読みが当たった。

上位にあった「木挽町(こびきちょう)のあだ討ち」がそれである。



作者もタイトルもまったくの初見なので先入観なしに読み始めたところ、初めの1/3ほどは少々退屈気味だったが、それを過ぎてから俄然リズムに乗ってきてストーリーの展開に強力に引きずり込まれてしまった。

本書の解説にはこうある。

「疑う隙なんぞありはしない、あれは立派な仇討ちでしたよ。

語り草となった大事件、その真相は――。

ある雪の降る夜に芝居小屋のすぐそばで、美しい若衆・菊之助による仇討ちがみごとに成し遂げられた。父親を殺めた下男を斬り、その血まみれの首を高くかかげた快挙はたくさんの人々から賞賛された。二年の後、菊之助の縁者だというひとりの侍が仇討ちの顚末を知りたいと、芝居小屋を訪れるが――。

新田次郎文学賞など三冠の『商う狼』、直木賞候補作『女人入眼』で今もっとも注目される時代・歴史小説家による、現代人を勇気づける令和の革命的傑作誕生!」

たしかに「令和の革命的傑作」に恥じない内容だと思いますよ~。

主人公の「過酷な運命」と、取り巻く人たちの「薄幸と隣り合わせの厚い人情」、そして「誠実」さとが見事に絡み合って最後の「真相」に収斂していく展開は見事というほかないです。

ブログ主もすっかり騙されました! キーワードは初めから終わりまで「お芝居」の一言に尽きます!!

ただし、個人的にはこの作品を単なる優れたミステリーだけで片付けるのはもったいないような気がするのも事実。

なぜかと言えば「文学的な香り」の方が「ミステリーの雰囲気」を確実に上回っているからだが、何と、この本は後にあの「直木賞」「山本周五郎賞」をダブル受賞していることがわかって二度ビックリ・・、やっぱりねえ~。

ネットから「読者レヴュー」を3件ご紹介。

一件目

「若侍が立派にあだ討ちを成し遂げたいきさつを、現場近くの芝居小屋の人々にそれぞれ聞いて回るある人物。諸々わけありで芝居の世界に流れついた、答える人それぞれの来し方で綴られる短編ひとつづつにも充分な読みごたえがあるのだが、積み重なっていくピースであだ討ちそのものの真相が浮き彫りになるという構成が見事。じんわりと染みる読後感。とても良かった。」

二件目

「木挽町の芝居小屋で働く人々が語り手となって、それぞれの人生や仇討ちのことを語っていく。テンポの良い話し言葉が楽しくて、江戸の町の活気や芝居小屋のガヤガヤした雰囲気を想像しながらぐいぐい読めた。

芝居小屋の面々は過酷な環境に生まれついて必死で生きてきた者もいれば、武家に生まれても心の中で葛藤し続け、やっと自分らしい生き方に出会った者も。表面だけでは分からない、悲しみ切なさを抱えているからこその優しさや温かさが語り口から滲み出ている。 そして人情と武士道との葛藤で苦しんだあだ討ちは、素晴らしい芝居で一件落着!」

 

三件目

「なるほど、よくできたとても面白い一冊でした。タイトルの「あだ討ち」や章タイトルの「一幕」「二幕」にも改めて納得。大きな悩みを持ちながら仇討ちのために上京した主人公菊之助が芝居小屋の面々の異なる生き様に触れることで成長している。

一人称語りはどうしても俯瞰して読むので序盤は少し入り込みずらかったけど、義兄との泣き笑いのエンディングが最後までいかにも時代物っぽくて、雰囲気を堪能できるグッとしまった良作でした。事の顛末を亡き父にも伝えたい!」

以上のとおりです。ご一読されれば「心が洗われる」こと間違いなし・・、この世知辛い世の中で一服の清涼剤をぜひ味わってほしい!



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「家はインフラ」~ウマさん便り~

2025年01月23日 | ウマさん便り

前回、アラントンハウスには鏡が多いと言う話をしましたね。
下の航空写真を見ていただくと、邸内に、陽のあたらない箇所が数多くあることが、容易にわかると思う。



二万四千坪…甲子園球場のほぼ二倍ある敷地は、林あり森ありで、様々な動物が住んでいる。
野ウサギ、キジ、リス、おこじょ(イタチの一種)、無数の野鳥、鷹や鷲、巨大なフクロウにモグラ、そして鹿など…
鹿は家の裏の森に住処があり、毎年、春になると親子で散歩している姿をみる。
しばらくすると娘たちバンビだけで散歩に出る。だけど、母さんから言われていると思う…
「変なおっちゃんがおるから相手しちゃダメよ」
しかし、ウブなバンビちゃんたち、興味津々で僕の部屋を覗く…
「…おっちゃん、何してんの?」

このアラントンハウスは、東京にある公益法人「五井平和財団」の全面的サポートを得て、ヨーロッパに於けるNGO活動の拠点として運営されている。

公益法人の資格は政府により厳正に審査されるので取得はかなり難しい。アラントンもそれに準じたスコットランドの資格を得ている。「チャリティ・ナンバー」と呼ばれるのがそれで、認可を受けるのは簡単ではない。NGO組織アラントンが、チャリティ・ボランティア団体として、政府からこの認可を得た時、その値打ちを知らなかった僕は、アラントンのスタッフが歓声をあげているのを不思議に思った。


この「チャリティ・ナンバー」を取得すると社会的信用度が断然違ってくる。取得してすぐに、地元ダンフリースの市長や警察署長からの挨拶があった。つまりアラントンは半ば公的存在だと認められたんですね。


アラントンハウスは、築二百年は優に越えるヴィクトリア時代の建築です(推定240年)。当時は豪勢な貴族が住んでいて、敷地は今の十倍はあったと言う。

ここで、彼我(ひが)の違い…英国の住宅事情を説明しておきましょう。
例えば、日本では…「家を建てるんです」「家を建てましてね」…こんな会話は珍しくないよね。

しかし、英国で、このようなコメントは、まず聞かない。なぜか?…

家は「既にあるものを買う」のが普通なんです。つまり、家はインフラ、社会資本だということです。木の家と石の家の違いも、これに影響している。

日本では年月を経た家の価値はどんどん下がるのが普通だけど、英国では、通常、古くなっても価値があまり下がらないんです。

特にヴィクトリア時代の家など、かなり人気があり、決して安くはなく、高価な物件も少なくない。

ついでに言うけど、日本人の間違い英語の筆頭が「ホテルのフロント」と共に「マンション」です。これは何度も述べてきたよね。昭和30年代に、無責任な不動産業者が勝手に名付けた。

「アパートよりかっこええ名前がないやろか?…そうや!マンションがええ」…で、日本じゅうのアパートがマンションになってしまった感がある。マンションは一戸建ての大邸宅のこと。2DKや3LDKのマンションなどあり得ない。アラントンハウスのような大邸宅がマンションなんです。

数年前だったかな?うちに初めて来た若いポストマンが、僕に郵便物を手渡しながら言った…「素晴らしいマンションですね」

日本のマンションを英語でいうとアパートメントです。

「ホテルのフロント」は、正しくは「レセプション」で、英語で言う「ホテルのフロント」は、ホテルの玄関、つまり建物の外です。ホテルのフロントで待ち合わせした外人さんは玄関の外で待ってるよ。

大阪の阿倍野にあった「ホテルエコー」…一階のロビーに入るとエスカレーターがあり、案内板に「フロントは二階にあります」とあった。ところが英語でも書いてあり「 Front of the hotel is upstair」…「ホテルの外は二階にあります」…なんじゃこれ?


僕の地元ダンフリースの街には、創業四百年以上のパブが何軒かあり、当時の建物を今でも維持している。そして、そこら中に、築二百年〜二百五十年の家があるよ。10年ほど前かなあ、街に住む一人住まいの婆さんを訪ねた時…「婆さん、この家も古いね」…ところが婆さん…「いや、ウマ、まだ新しいわよ。百年ぐらいじゃない?」もちろん、住宅開発業者による新築の分譲住宅もあるけど、古い住宅の「使い回し」がごく普通だということですね。家はインフラ…わかってもらえた?

アラントンハウスのようなビクトリア時代の大きな邸宅に住んでいるのは、例外なくお金持ちです。古い分、その維持管理にかなりのお金がかかるからです。我々は決して金持ちじゃないので維持管理は自分たちでやる。外壁の高い場所での修復作業など、クレーン車を借りてきて自分たちでする。
つまり、僕、ウマ自身は、NGO活動のお手伝いをするかたわら、家の維持管理、家の内外の修理修復、ガーデンでの野菜類の栽培・収穫、それに主夫として、毎日、結構忙しくしています。

一日の仕事を終えた夕べ…お香を焚き、レコードに針を落とすひとときが、至福の時間なのでございます…(急にお上品になっちゃったりして…)

「宵のひととき…脇に、ちべた〜いシャルドネをはべらせ、椅子に深く腰掛ける…漂い流れ来る音楽…その心地よい響きに、我、一人ため息をつく…」
わーい、ウマさんて、詩人かい?

ところで、あんた…「大きな家に住めていいじゃない…」と思ってない? …ところがね…
家の中でケータイが要るのでござるよ…「どこにおるー?」「ゴハンやでー!」

塔があるから城だと言った方がいる。塔のてっぺんからの景色は360度絶景です。

猫のマルコは森にあるモグラの巣で寝込んでしまったのか、朝帰りしたことがあるよ。
門限は9時〜5時だけど、守らないねえ、この娘…



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このシステムの音を聴いて感動できないとすれば、それはあなたの耳が悪いからです

2025年01月22日 | オーディオ談義

60年ほど前のオーディオ専門誌「ステレオサウンド」の記事に「黄金の組み合わせ」という言葉があった。

当時のことだが、スピーカーが「タンノイⅢLZ」、アンプは管球式の「ラックスの38F」アンプの組み合わせがそうだった。たしか、五味康佑さんがこの組み合わせを強力に後押しされていたと記憶している。

当時は大のタンノイ・ファンだったので、我が家でもこの組み合わせを導入して大いに楽しませてもらったが、そのうち あさはか にもオーディオ評論家の口車に乗せられて「ⅢLZ」(イン・オリジナル・キャビネット)を下取りに出しヤマハの「1000モニター」を購入してしまった。

今となっては、とんでもないことを仕出かしたわけだが、これは
いまだに後悔していることの一つである。

たとえば、現在でもたまたま見かけるオークションに出品されている「ⅢLZ」(箱付きのモニターレッド)は落札価格が30万円前後だが、片や「1000モニター」となると今の相場は2万円前後だから月とスッポンだ(笑)。

振り返ってみるとタンノイの中ではこの「ⅢLZ」(口径25センチ)が一番バランスが取れていた。

その後、「インパルス」や「ウェストミンスター」の口径38センチに換えてから、あのスピード感のない「ぼんやりした低音域」が嫌になって、いつのまにか「タンノイ嫌い」になってしまったが、もしかしてあのまま「ⅢLZ」を使っていたら、こうも迷路の中を彷徨しなかったかもしれない。

とはいえ、いたずらに過去を悔いても仕方がないので我が家の現在の「黄金の組み合わせ」に移ろう。

そう思った「きっかけ」とは・・、

このところ音信の無いオーディオ仲間の「Y」さん、歯に衣を着せぬ辛口というのか「忖度の無い」言い方というのか・・、それが良くもあり悪くもありだけど、やはり2か月も会わないと淋しくなる、まあ「碁敵」みたいな存在かな(笑)。

ただし、Yさんは年季の入ったフルート奏者として日頃から「生演奏」を楽しまれており「音の鮮度」に関しては間違いのない耳を持っておられるので、そのアドバイスは大いに参考にさせてもらっている。

で、こちらから連絡を入れてみた。「お元気ですか?久しぶりに聴きに来ませんか」「いやあ、風邪でダウンしてました。治りかけですがそれでいいですか?」「ハイ結構ですよ・・」、急いでマスクを着けて待ち構えたのは言うまでもない(笑)。

で、久しぶりに聴いていただいた「AXIOM80」に、絶賛、また絶賛・・。

楚々とした麗しいヴァイオリンの音色におおいに触発された模様で「絶対にこのスピーカーしか出せない音があるというのは物凄い強みですね!片チャンネルだけで100万円以上するといっても私は納得します」

Yさんは以前から大の「AXIOM80」ファンだけど、2か月間も遠ざかっているとひときわ感銘を受けられたらしい。

ブログ主は元々「扇動されやすいタイプ」だと自認しているが、こうまで絶賛されると不思議なほど自信が込み上がってくるのでありますわいなあ(笑)。

これこそ、我が家の「黄金の組み合わせ」だな。

というわけで、忘れないように整理しておこう。

<音の入り口>

CDトラポ「TL3 3.0」(CEC:ベルトドライブ方式) → DAC「エルガー プラス」(英国:dCS) → プリアンプ「真空管式 12AU7×2本」

<スピーカー>



「AXIOM80」のオリジナル・ユニットで、箱は「板厚1.5cm」の自作、ただし後(のち)にバッフルだけ「板厚5・5mm」の薄板(49・5cm × 95cm)の一枚板に変更したが、これがメチャ利いた模様。ちなみにグッドマン社独自の「ARU」(背圧調整器)は底板に穴を開けて取り付けている。

<パワー・アンプ>



アンプは「6A3シングル」(モノ×2台)で決まり~。このアンプは「WE300B」も挿せるのだが、「6A3」(刻印・スプリング吊り)と比べるとAXIOM80の爆速スピードに少し付いていけない面があることに最近気付いてきた。

アンプの製作者の「北国の真空管博士」によると「300Bは電極が大きい分だけ、やはりスピードの面では6A3に一歩譲るでしょう。そもそも、どんな音楽ソースにも例えばオーケストラからソロ楽器まで対応できる完全無欠な真空管ってありませんよ。このアンプは6A3をオリジナルとして設計してますからそれが本来の姿だと思います。」

<サブウーファー>

これが極めて大切な点になるが、「AXIOM80」だけだとどうしても重低音が淋しくなる。そこで、サブウーファーを活用している。

流れは、DACの [エルガー プラス」は共通だが「XLR」端子からプリアンプ「E80CC×2本」→ パワーアンプ「TR式」へ。

30ヘルツ以下を悠々と出すために「ウェストミンスター」を100ハルツでハイカットしている・・、つまり、長大なバックロードホーン付きの
世界一贅沢な「サブウーファー」であり、たっぷりとした余裕のあるサウンドは他の追随を許さない、と思う(笑)。



で、気になるので「サブウーファーの重低音に違和感がありますか?」とお訊ねしてみると、「いいえ、全然ありませんよ。まるでAXIOM80から重低音が出ているみたいです。」「それは良かった・・」

というわけでした。

「このシステムの音を聴いて感動できないとすれば、それはあなたの耳が悪いからです」と、いつか大見得(おおみえ)を切ってみたい・・、これって積年の思いだったが、どうやら我が家のオーディオもようやく「大団円」を迎えつつあるようだ。

帰し方50年以上・・、実に長い道のりだったなあ~(笑)。



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脳を麻痺させて音楽を受け入れやすくする工夫

2025年01月21日 | 音楽談義

いまだに「過去記事ランキング」にときどき登場するのが「バッハとウィスキー」。

もう2年ほど前の記事になるのに・・、、大半の記事が はかなくて もろい「打ち上げ花火」のようなものだからこういう事例は極めて珍しい(笑)。

よほど読者の共感を得るものがあるのだろうか。

念のため記事の内容を振り返っておくと、(要約)

「フランス発のミステリー番組(「アストリッドとラファエル」)の中でバッハの名曲「フーガの技法」の一部が登場していた。自分はモーツァルト一辺倒の人間だが、やはり音楽の母バッハには一目置かざるを得ない。

そこで、該当のCDを購入して聴いたところサッパリ馴染めず山の頂きに登る道筋さえも分からない。そこで、自棄(やけ)になって空きっ腹にウィスキーを流し込んで聴くと少し馴染みやすくなった」

という内容でした。

ちょっと話が逸れるが、実は夕食後にアルコールを嗜みながらゆったりクラシックを聴くのが一般的なのだろうが、ブログ主はなにしろ日頃から「血糖値が高目」なものだから、やむなく夕食前の「空きっ腹」のタイミングとならざるを得ないのが残念、無念(笑)。

そして、現在はウィスキーではなく、空きっ腹に「銀座のすずめ琥珀(麦焼酎)」を流し込んでいる。



で、本題に戻って、(読者の)興味の要因を推察してみよう。

 バッハ晩年の名曲「フーガの技法」の曲自体に興味を持った

 「バッハの音楽は難しいよね」と共感を覚えた

 いささか線香臭いバッハの音楽に馴染めずウィスキーまで持ち込むなんて・・、脳を麻痺させて音楽を受け入れやくする工夫に共感を覚えた

以上の3つぐらいかな~。もし、ほかにもあると思われる方はためらうことなくメールをくださいね。

ちなみに、「チャットGPT」に「バッハとウィスキー」と打ち込んでみたところ、つぎのような文章がスラスラと出てきた。

「バッハとウィスキーには直接的な関連はありませんが、それぞれは音楽と飲み物という異なる分野で重要な役割を果たしています。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、18世紀のドイツの作曲家であり、西洋音楽史上最も偉大な作曲家の一人とされています。

バッハは多くの教会音楽やオルガン曲を作曲し、その作品は技巧的で複雑な構造や美しい旋律で知られています。彼の作品は音楽愛好家や音楽家にとって、永遠の名作となっています。

一方、ウィスキーはスコットランドやアイルランドなどで生産される蒸留酒の一種です。ウィスキーは大麦やトウモロコシ、ライ麦などの穀物を発酵させて蒸留し、熟成させることで作られます。

さまざまな種類のウィスキーがあり、それぞれ特有の風味とキャラクターを持っています。ウィスキーは世界中で愛され、飲み物として楽しまれるだけでなく、一部の人々にとっては芸術のようなものとも考えられています。

バッハとウィスキーは、異なる形態の芸術としての楽しみ方を提供しています。バッハの音楽は聴く人々に感情や美を与え、ウィスキーは飲む人々にリラックスや楽しみをもたらします。それぞれの領域で、深い探求や研究が行われ、人々の生活に豊かさをもたらしています。

ただし、バッハの音楽を聴きながらウィスキーを楽しむことは、音楽や飲み物それぞれの個別の鑑賞に集中するために、お互いの楽しみを最大限に引き出す方法とは言えません。それぞれを個別に楽しむことをおすすめします。」

そうかな・・、「チャットGPT」の限界を知る思いがしました!

ウィスキーは脳をある程度麻痺させて「馴染めそうにない音楽」を受け入れる素地をつくってくれる大切な役割を担っている、とくれば満点を上げたのにね~(笑)。

さらには、若いころの瑞々しい感性が失われつつある高齢者になればなるほど「音楽」に対してますます夢中にさせる麻薬的な効果もある・・、つまり「音楽とアルコール」の相乗効果も期待できる!

というわけですが、周知のとおりアルコールは「もろ刃の剣」ですよね。

成功談と失敗談・・、読者の方々のうち「音楽とアルコール」に関するエピソードがもしありましたらお聞かせくださいな~。



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家庭での音楽鑑賞は冬よりも夏の方がいい

2025年01月20日 | 読書コーナー



本書の副題に「最大の臓器が身体と心の内を映し出す」とある。最大の臓器とは「皮膚」のことである。

そういえば、私たちは相手と対面するときに無意識のうちに顔色やしぐさなどから、会話に役立つ情報を得ようとしていることに気付く。

たとえば「久しぶりに会ったけど肌の色艶が良さそうなので元気そうだな」とか、瞬時に判断したりするのはどなたにも覚えがあると思う。

余談になるが、昨日(19日)のこと、朝のウォーキングを終えて休んでいたら、家人が「あなた顔色が悪いわね、どうかしたの?」「そうか・・、何ともないぞ」と、さりげなく返したものの持病の心臓病が気になって思わずドキリとした。

早朝の厳寒の中でのウォーキング、しかも急峻な坂道登りは止めておいた方がいいかもしれない・・、せいぜい11時ぐらいからがいいかもなあ~と、思った次第。

運動は やり足りなくても、やり過ぎても 良くないが、その判断の境目が実に難しい・・、以前のブログで「脈拍が判断材料になる」と記載したことがあるが、いちいち測るのも面倒くさいしねえ~(笑)。

というわけで、おおむね健康状態が皮膚に反映するので、(皮膚は)ゆめゆめ無視できない臓器といえるが、本書の102頁に「皮膚は聞いている」という項目立てがあった。

「耳(脳)が聞く」のなら当たり前だが、「皮膚が聞く」とはどういうこと?

ちょっと長くなるが引用してみよう。

「寒くなったり、耳に息を吹きかけられたり、撫でられたりすると鳥肌が立ちます。この現象を「立毛」と読んでいます。立毛が起こるといつもは寝ている毛が垂直に立ち、毛を取り巻いている皮膚の層が盛り上がって反り返ります。

毛包の奥にも小さな筋肉が存在するからです。この筋肉は立毛筋と呼ばれ、自律神経によりコントロールされています。そのため私たちの意思ではコントロール不可能です。

鳥肌が立つと同時に寒気が走ります。理由は鳥肌が立つことで皮膚の表面積は拡大し、熱発生と発汗が促され、汗が蒸発する際に体温が奪われるからです。~中略~

感動的な恋愛映画を観たり、素晴らしい音楽を聴いたりしても鳥肌が立ちます。その理由はまだ完全には明らかにされていません。胎児期に皮膚と神経系は同じ外胚葉から形成されるため両者は密接につながっています。それが理由の一つであることは間違いないでしょう。

黒板にチョークで文字を書いたり、爪で発泡スチロールを引っかいたりするときに出るキ~ッという音を聴いても鳥肌が立ちます。鳥肌の研究者はキ~ッという音の周波数が、母親を亡くした動物の子供の泣き声の周波数とほぼ同じであることが、鳥肌が立つ理由ではないかと考えています。

また、陶器の皿をフォークやナイフでこすった時に出るギ~ッという音を聞いても鳥肌が立ちます。この音は進化の過程で危険な状況と結びつき、危険を知らせる合図となったため、鳥肌を立たせるのではないかと言われています。要するに音は私たちの心と皮膚に大きく作用するようです。

科学者はさらなる発見をしました。何と、皮膚は音を聞くことができるのです。少なくとも毛の生えた脚にはそれができます。脚は話しかけられると、皮膚と体毛が微妙に刺激され、風を感じます。

ある実験で被験者は遮音性のヘッドホンが脚にあてがわれたにもかかわらず、脚の感覚だけで音の大きさを判断することが出来ました。また、脚だけでなく首筋や手も空気の流れから音を聞き分けられることがわかっています。

さらには、毛の生えた脚は脱毛した脚より聴力が高いこともわかりました。ということは男性の脚の方が優れた聴力を持っているということです。それなら女性は脚の脱毛をしない方がいいでしょう。男性の言葉にもっと耳を傾けてあげられるからです。一方、男性は女性にすすめられても脱毛しないことが多いのですが、それにも根拠があったのです。」

とまあ、以上のとおりだがこの学説を素直に受け止めるとすれば、音楽を聴くときはできるだけ肌の露出を多くする方がいいということになる。

なぜなら、耳以外の「皮膚」でも音を感知しているので音の情報量が多くなるから。

もちろん、マスクなんて論外である。男性の場合はできるだけ半そで姿で足の脛(すね)を出して聴く方がいい・・、となると「家庭での音楽鑑賞は冬よりも夏の方が適している」、というわけだが、皆さまはどう思われますか?



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300B真空管の寿命テスト

2025年01月19日 | オーディオ談義

前々回のブログ「真空管の反乱~続編~」の中で述べていた「WE300B」(1967年製)の寿命について、さっそく我が家の真空管の主治医「北国の真空管博士」からご連絡があった。



「画像を拝見しましたが、あの程度のゲッターがあれば十分です。安心して使っていいですよ。ただし、フィラメントの状態については真空管試験機でテストしないとなんとも申し上げられませんね。ついでのときに送っていただいたら測定して差し上げます。」

「ハイ、ありがとうございます。」

ということだったけど、ふとオーディオ仲間のNさん(大分市)が真空管試験機を持っておられる事を思い出した。たしか「HICOCKモデル533型」だったと思う。

そこで、さっそく問い合わせて「WE300Bの寿命をはかってもらいたいんですけどご都合はいかがでしょうか?」

「ああ、いいよ~。Gmならすぐに測れるよ」

「Gmって何?」 

情けないことに、こういう方面はサッパリである(笑)。

ググってみると、

「真空管のGm(相互コンダクタンス)とは、真空管に電圧を印可した時に陽極電流がどのように変化するかを表す値です。真空管の増幅や検波能力を把握するために使用されます。」

Nさんによると「Gm × 真空管の内部抵抗 =μ(増幅率)」だそうで、内部抵抗は一定値なので、Gmが高ければ高いほど元気のいい音が出るということらしい。

ちなみに、「Gm」が低い、内部抵抗が高い、そして「μ(ミュー)」が高い真空管は経験上、高音域は華やかだけど低音域の駆動力が弱いという印象を持っている。たとえば「12AX7」などその典型だ。

その一方、「Gm」が高い、内部抵抗が低い、そして「μ」が高い真空管となればかなりレアなケースである。


実は、我が家の「WE300B」アンプに使っている前段管の「SP〇〇」(英国:エジソン・マツダ)は「Gm」が高く、内部抵抗が低い、そして「μ」が高くて80ほどもあり、見事に気難しい「300B」にマッチングするのだ。おっと、また「我田引水」になってしまった(笑)。



それはさておき、エ~イと、この際だから手持ちの300Bをすべて測ってもらうことにした。

「WE300B」では「1967年製 1本」「1988年製 2本」
「エレハモ300B 2本」 「中国製300B 2本」「スヴェトラーナSV300B 1本」

全部で計8本。

このうち「スヴェトラーナ」(ロシア)については思い出がある。

数年前のこと「スヴェトラーナ」は「WE300B」に優るとも劣らないという評判を聞きつけて2本購入したんだけど、音はまあまあだったけど1年も経たないうちに1本が故障して使いものにならなくなった。



やっぱりねえ~(笑)。ちなみに「スヴェトラーナ」はあの恐怖の独裁者「スターリン」(ソ連邦)の娘の名前ですね。

「スターリン」の独裁ぶりは際立っていたという。メチャ猜疑心(さいぎしん)が強く自分の地位が乗っとられるのを恐れるあまり、「当日の朝、アイツの笑い方が不自然だった」という理由でその日の夜に逮捕して粛清したというのだから恐れおののく(笑)。

それはさておき、一昨日(17日)の午後のこと、いそいそと大分市に向けて車を走らせた。いつも通り45分ほどで到着。



これが「HICOCK モデル533型」である。

慣れた手つきで操作をしていただいて、後は真空管を順次差し込んでいくだけとなった。

で、「300B」真空管の場合Gmの適正値は「3000~4000」だとされているが、総じて結果はガッカリ~(笑)。

3000に辛うじて到達したのは「WE300B」の1988年製1本だけで、他の真空管は軒並み「2500前後」だった。まあ、廃棄処分するほどのことはないけど、十分な状態ではないようだ。

なにしろ「1967年製」なんか、50年以上も前の製造だから長期にわたって管内の真空度が自然と落ちてきても当然だよね~。

ということで、ま、いっか~(笑)。

そこで、ふと思い出したのが昔のオークションに出品されていた「WE300A」。



おそらく100年ほど前の製造だと思うが、落札価格はたしか160万円前後だったはず。ガラス管の内部の真空度の高さを表すブルーの輝きが何とも妖しい雰囲気を醸し出しているが、はたして無事に稼働しているんだろうか・・。

当時は真空管の部品に現在では使用禁止となっている「放射性物質」を使っていたという ”まことしやか” な噂があるが、丈夫で音さえ良ければなんでもよろし~(笑)。

とまあ、以上のような顛末記でした。

今回の反省点として「出力管」よりも「整流管」の寿命の方を測ってもらった方が正解だったかな~(笑)。



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諸事雑感

2025年01月18日 | 独り言

☆ 「私の履歴書」が久々に面白い

元旦から今月いっぱい続く「日本経済新聞」最終面の「私の履歴書」がすこぶる面白い、自身の半生を赤裸々に開陳しているのは伊藤忠商事の岡藤正広代表取締役会長CEO(75歳)である。2010年に社長となって以来、同社に君臨する経営者だ。

このところの「私の履歴書」は少々飽き足らなかったですね。最後に感銘を受けたのは、「映画俳優」山崎 努氏だったかなあ。一言でいえば、人生の酸いも甘いも噛分けた余裕のある実に洒脱な文章だった。

「私の履歴書」は周知のように、各界で名を成した人が1カ月にわたって自身の半生を振り返るシリーズだが、特に無味乾燥なのが、創業者でない大企業の会長や名誉会長、相談役らが出てくる月だ。

彼らの「サラリーマン出世物語」はとかく凡庸で、かつご当人が所属する企業の社員向けに述べているのがミエミエ。一般読者の人生の糧(かて)になるものは少なく、「そんな話は社内でやってくれ」と、文句の一つも言いたくなる。

ところが、今月連載中の岡藤会長の半生は、無性に痛快なのである。大阪の貧しい家に生まれ、若くして大病を患い、2浪もして東大に入り、商社に入社しても芽が出ず……。七転び八起き、紆余曲折、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、一発逆転……そこには、「昭和の野武士」とでも呼ぶべき精神が、通奏低音のように響いている。

たとえば・・、



攻成り、名を遂げた一流の財界人のあまりにも飾らない内容に少々驚いた。よほどご自身に自信のある方なんだろう。毎日楽しく読ませてもらっているが、ガッツのある生き方にはいつも感心する。皆様も機会があれば痛快な生き様について、ご一読をお薦めしたい。

☆ 散歩は冬こそ面白い!



新聞記事の広告欄で、ふと目が留まった「散歩は冬こそ面白い!」

さっそく昨日(17日)、本屋さんに駆けつけたところ予想外の「売り切れ」にガッカリ。

仕方がないので、我が家の「冬の散歩」をご披露させてもらおう。

「ウォーキングはあらゆる病に利く」そうだけど、我が家では毎日「8000歩」を目標にしている。午前中と午後でそれぞれ4000歩を割り振っている。

歩き出しはたしかに寒いけど、そのうち身体が温まってくると気分爽快になります。冬の散歩は汗を一切かかないところが素敵ですね。

そして、必ず午前午後の両方に「急峻な坂道」をコースの一部に取り入れている。フーフー、ハーハーいいながら近くの「貴船城」の坂を上り詰めて「別府湾」を一望のもとに眺めていると、ときどきオーディオのアイデアが閃くことがありますよ~(笑)。

快食、快眠、快便・・、ぜひ冬の散歩をお薦めします。

ちなみに、この「貴船(きふね)城」は「白蛇」様が祭ってあります。今年は「蛇年」とあってこの正月は県外ナンバーがひっきりなしに登っていました。



☆ 発声法の重要性

先日のブログ「もっと声が良かったらなあ・・」で、「声を読む」重要性に言及したころ、メル友の「K」さん(横浜)からお便りをいただいた。

「発声法について・・、確かに声質は多分変えられないと思いますがその出し方発声法?」は重要と思います。

高校同期でキリスト(プロテスタト)教牧師になった友人はイエール大に留学しましたが彼から「牧師の発声法」指導があったと聞きました。

声を変えるのではなく「深い」、「静か」など・・・
また直接確かめてはいませんが「米国政治家で喉涸らす者はいない。
それは演説訓練で発声法も習うから」だと。」

さっそく返信。

「成程「発声法」が重要なんですね! 声は人間の一生に付きまとう運命共同体のようなものですからとても大切です。
そういう基礎的なものをぜひ「義務教育」で習うといいでしょうね!」

するとすかさず・・、「確かに! 学校では弁論大会などがあるので教えるべきでしょうね」

以上、諸事雑感でした。ご意見のある方は大いに歓迎します(笑)。



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ブログにアクセスできない・・、そして復活~「ウマさん便り」~

2025年01月17日 | ウマさん便り

南スコットランド在住の「ウマさん」はこのブログの読者として、とてもありがたい存在である。

このブログに関してもメールをちょくちょく頂いており、もちろん抜かりなく、「ウマさん便り」として「カテゴリー」を設けて、その都度ご紹介させていただいているが、何しろ国際的な視野からの文面なので(ブログの)「彩」(いろどり)が豊かになって大いに助かっている。

しかも大好きな「大英帝国」ですからね~(笑)。

このブログの読者ならご存知のように、我が家のスピーカー群の9割方は英国製のスピーカーだが、そのサウンドを一言でいえば「思慮深くて気品のある音」に尽きる、明らかにどことは言わないけど他国とは違うようで・・(笑)。

その「ウマさん」から3日前にこういうメールが届いた。

「新年のご挨拶がかなり遅くなりました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。ですが…
 
実はちょっと困った事態になっております。
新年1月1日、いつものように「音楽とオーディオ」の小部屋のブログを拝見しようとしたのですが、なんと…
アクセス出来ないんです。他に週に1回ほど開けさせてもらってる札幌在住の方のブログも開けることが出来ません。
こんなこと初めてなので、大いに困惑し、たまたま家にいた、コンピュータに詳しい長女のくれあに相談しました。
 
パソコンの問題はいつも娘たちが解決してくれました。今回も、いつものように、即、直してくれるだろうと楽観してたんですが、くれあは、ほぼ半日がかりの作業の末「おとーちゃん、これ、日本のサーバーの問題や。こっちで直すのは無理」…
 
で、日々の楽しみであるブログを覗くことが出来なくなってるんです。まことに残念な事態です。ああ困った!
 
なんとか直したあとでご報告するつもりだったんですが…
ま、取り敢えず、ご報告しておきます。う〜ん、なんとかならんかなあ?」

で、次のように返信。

「実はしばらく音信が無いのでご病気かも・・、と心配しておりました。結局アクセス不能ということでしたか、不幸中の幸い(?)でした。

たしか去る2日のことでしたか、「グー」(NTT系)がハッカーから攻撃を受けて閲覧不能となりました。こちらは半日後に回復しましたが、その余波が続いていると思います。早く良くなるといいですね。

ふと思いついたのですが、メールの交換ができるのですから、ブログをコピーして送りましょうか。

それほどには及ばないというのなら、別ですが・・。いずれにしても早くネット環境が回復するといいですね。」

そして、昨日になって待望の「復活」のメーが届いた。

「朗報です。インターネットの回線が復活しました。久しぶりに「音楽とオーディオ」の小部屋を嬉々として開きました。
ご心配をおかけしました。もう大丈夫だと思います。

で、元旦からのブログを一気に読ませていただきました。もっとも感銘したのは鎌田實医師のお話しです。

ネットで日本の週刊誌や雑誌を読めるようになって久しいですが、日本の高齢化者社会を反映した記事が目立ちます。病気の話、医者や病院の話、病気を予防する食べ物の話などなど…。しかし、玉石混交で、医者によって言うことが違ったりと、誰を信用して良いのか迷います。そんな中で、この人ならと常に信頼をおいてきたのが鎌田實さんなんです。

かなり以前、「人間には魔性の面がある」と、父親との確執を正直に書いておられたのを読み、この人は信頼出来るなと感じたわけです。彼のコメントを見て、凶悪犯罪者の過去を調べて見たら興味深い結果が出るのではと思ったこともあります。そのような人間が「音楽を愛し読書に励む」ことがあったのか? ですね。で、「音楽とオーディオ」の小部屋の主や僕などは、決して凶悪犯罪者にはならねえよなあ…と (一応) 安心?もするわけですね。

長野県の短命の村を指導し、長寿村に変えた功績は、そこらの医者では無理でしょう。なぜなら、鎌田實さんは、医療行為ではなく、生活の習慣や食事を指導することで、それを成し遂げた稀有な医者だからです。

医学部では食べ物と健康に関する授業はほとんどないと思います。しかし、健康の85パーセントは食事によると僕は思っているので、友人の医学部教授に「食と健康」の授業は必要だよとコメントしたことがありました。


ごく最近、中学高校同期で、とても仲良しだった人物と56年ぶりに連絡が取れました。音楽大好きな彼は、タンノイの「エディンバラ」をマランツで駆動していると、その写真を送ってくれました。そして70歳になってヴァイオリンを習い出し、現在、東京の武蔵野市市民交響楽団のメンバーと言います。嬉しいじゃないですか。で、早速、彼に「音楽とオーディオ」の小部屋のブログを紹介しました。」

さっそく返信~。

「ありがとうございます。それにしても復活してよかったですね! 実はホンネを申し上げますと、これで今まで通りブログのネタを提供していただけそうだと、内心 ほくそ笑んで おります(笑)。」



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