「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

300B真空管の寿命テスト

2025年01月19日 | オーディオ談義

前々回のブログ「真空管の反乱~続編~」の中で述べていた「WE300B」(1967年製)の寿命について、さっそく我が家の真空管の主治医「北国の真空管博士」からご連絡があった。



「画像を拝見しましたが、あの程度のゲッターがあれば十分です。安心して使っていいですよ。ただし、フィラメントの状態については真空管試験機でテストしないとなんとも申し上げられませんね。ついでのときに送っていただいたら測定して差し上げます。」

「ハイ、ありがとうございます。」

ということだったけど、ふとオーディオ仲間のNさん(大分市)が真空管試験機を持っておられる事を思い出した。たしか「HICOCKモデル533型」だったと思う。

そこで、さっそく問い合わせて「WE300Bの寿命をはかってもらいたいんですけどご都合はいかがでしょうか?」

「ああ、いいよ~。Gmならすぐに測れるよ」

「Gmって何?」 

情けないことに、こういう方面はサッパリである(笑)。

ググってみると、

「真空管のGm(相互コンダクタンス)とは、真空管に電圧を印可した時に陽極電流がどのように変化するかを表す値です。真空管の増幅や検波能力を把握するために使用されます。」

Nさんによると「Gm × 真空管の内部抵抗 =μ(増幅率)」だそうで、内部抵抗は一定値なので、Gmが高ければ高いほど元気のいい音が出るということらしい。

え~い、この際だから手持ちの300Bをすべて測っててもらうことにした。

「WE300B」では「1967年製 1本」「1988年製 2本」
「エレハモ300B 2本」 「中国製300B 2本」「スヴェトラーナ 1本」

全部で計8本。

このうち「スヴェトラーナ」(ロシア)については思い出がある。

数年前のこと「スヴェトラーナ」は「WE300B」に優るとも劣らないという評判を聞きつけて2本購入したんだけど、音はまあまあだったけど1年も経たないうちに1本が故障して使いものにならなくなった。



やっぱりねえ~(笑)。ちなみに「スヴェトラーナ」はあの恐怖の独裁者「スターリン」(ソ連邦)の娘の名前ですね。

「スターリン」の独裁ぶりは際立っていたという。自分の地位が乗っとられるのを恐れるあまり、「当日の朝、アイツの笑い方が不自然だった」という理由でその日の夜に逮捕して粛清したというのだから恐れおののく(笑)。

それはさておき、一昨日(17日)の午後のこと、いそいそと大分市に向けて車を走らせた。いつも通り45分ほどで到着。



これが「HICOCK モデル533型」である。

慣れた手つきで操作をしていただいて、後は真空管を順次差し込んでいくだけとなった。

で、「300B」真空管の場合Gmの適正値は「3000~4000」だとされているが、総じて結果はガッカリ~(笑)。

3000に辛うじて到達したのは「WE300B」の1988年製1本だけで、他の真空管は軒並み「2500前後」だった。まあ、廃棄処分するほどのことはないけど、十分な状態ではないようだ。

なにしろ「1967年製」なんか、50年以上も前の製造だから長期にわたって管内の真空度が自然と落ちてきても当然だよね~。

ということで、ま、いっか~(笑)。

そこで、ふと思い出したのが昔のオークションに出品されていた「WE300A」。



おそらく100年ほど前の製造だと思うが、落札価格はたしか160万円前後だったはず。ガラス管の内部の真空度の高さを表すブルーの輝きが何とも妖しい雰囲気を醸し出しているが、はたして無事に稼働しているんだろうか・・。

当時は真空管の部品に現在では使用禁止となっている「放射性物質」を使っていたという ”まことしやか” な噂があるが、丈夫で音さえ良ければなんでもよろし~(笑)。

とまあ、以上のような顛末記でした。

今回の反省点として「出力管」よりも「整流管」の寿命の方を測ってもらった方が正解だったかな~(笑)。



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諸事雑感

2025年01月18日 | 独り言

☆ 「私の履歴書」が久々に面白い

元旦から今月いっぱい続く「日本経済新聞」最終面の「私の履歴書」がすこぶる面白い、自身の半生を赤裸々に開陳しているのは伊藤忠商事の岡藤正広代表取締役会長CEO(75歳)である。2010年に社長となって以来、同社に君臨する経営者だ。

このところの「私の履歴書」は少々飽き足らなかったですね。最後に感銘を受けたのは、「映画俳優」山崎 努氏だったかなあ。一言でいえば、人生の酸いも甘いも噛分けた余裕のある実に洒脱な文章だった。

「私の履歴書」は周知のように、各界で名を成した人が1カ月にわたって自身の半生を振り返るシリーズだが、特に無味乾燥なのが、創業者でない大企業の会長や名誉会長、相談役らが出てくる月だ。

彼らの「サラリーマン出世物語」はとかく凡庸で、かつご当人が所属する企業の社員向けに述べているのがミエミエ。一般読者の人生の糧(かて)になるものは少なく、「そんな話は社内でやってくれ」と、文句の一つも言いたくなる。

ところが、今月連載中の岡藤会長の半生は、無性に痛快なのである。大阪の貧しい家に生まれ、若くして大病を患い、2浪もして東大に入り、商社に入社しても芽が出ず……。七転び八起き、紆余曲折、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、一発逆転……そこには、「昭和の野武士」とでも呼ぶべき精神が、通奏低音のように響いている。

たとえば・・、



攻成り、名を遂げた一流の財界人のあまりにも飾らない内容に少々驚いた。よほどご自身に自信のある方なんだろう。毎日楽しく読ませてもらっているが、ガッツのある生き方にはいつも感心する。皆様も機会があれば痛快な生き様について、ご一読をお薦めしたい。

☆ 散歩は冬こそ面白い!



新聞記事の広告欄で、ふと目が留まった「散歩は冬こそ面白い!」

さっそく昨日(17日)、本屋さんに駆けつけたところ予想外の「売り切れ」にガッカリ。

仕方がないので、我が家の「冬の散歩」をご披露させてもらおう。

「ウォーキングはあらゆる病に利く」そうだけど、我が家では毎日「8000歩」を目標にしている。午前中と午後でそれぞれ4000歩を割り振っている。

歩き出しはたしかに寒いけど、そのうち身体が温まってくると気分爽快になります。冬の散歩は汗を一切かかないところが素敵ですね。

そして、必ず午前午後の両方に「急峻な坂道」をコースの一部に取り入れている。フーフー、ハーハーいいながら近くの「貴船城」の坂を上り詰めて「別府湾」を一望のもとに眺めていると、ときどきオーディオのアイデアが閃くことがありますよ~(笑)。

快食、快眠、快便・・、ぜひ冬の散歩をお薦めします。

ちなみに、この「貴船(きふね)城」は「白蛇」様が祭ってあります。今年は「蛇年」とあってこの正月は県外ナンバーがひっきりなしに登っていました。



☆ 発声法の重要性

先日のブログ「もっと声が良かったらなあ・・」で、「声を読む」重要性に言及したころ、メル友の「K」さん(横浜)からお便りをいただいた。

「発声法について・・、確かに声質は多分変えられないと思いますがその出し方発声法?」は重要と思います。

高校同期でキリスト(プロテスタト)教牧師になった友人はイエール大に留学しましたが彼から「牧師の発声法」指導があったと聞きました。

声を変えるのではなく「深い」、「静か」など・・・
また直接確かめてはいませんが「米国政治家で喉涸らす者はいない。
それは演説訓練で発声法も習うから」だと。」

さっそく返信。

「成程「発声法」が重要なんですね! 声は人間の一生に付きまとう運命共同体のようなものですからとても大切です。
そういう基礎的なものをぜひ「義務教育」で習うといいでしょうね!」

するとすかさず・・、「確かに! 学校では弁論大会などがあるので教えるべきでしょうね」

以上、諸事雑感でした。ご意見のある方は大いに歓迎します(笑)。



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ブログにアクセスできない・・、そして復活~「ウマさん便り」~

2025年01月17日 | ウマさん便り

南スコットランド在住の「ウマさん」はこのブログの読者として、とてもありがたい存在である。

このブログに関してもメールをちょくちょく頂いており、もちろん抜かりなく、「ウマさん便り」として「カテゴリー」を設けて、その都度ご紹介させていただいているが、何しろ国際的な視野からの文面なので(ブログの)「彩」(いろどり)が豊かになって大いに助かっている。

しかも大好きな「大英帝国」ですからね~(笑)。

このブログの読者ならご存知のように、我が家のスピーカー群の9割方は英国製のスピーカーだが、そのサウンドを一言でいえば「思慮深くて気品のある音」に尽きる、明らかにどことは言わないけど他国とは違うようで・・(笑)。

その「ウマさん」から3日前にこういうメールが届いた。

「新年のご挨拶がかなり遅くなりました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。ですが…
 
実はちょっと困った事態になっております。
新年1月1日、いつものように「音楽とオーディオ」の小部屋のブログを拝見しようとしたのですが、なんと…
アクセス出来ないんです。他に週に1回ほど開けさせてもらってる札幌在住の方のブログも開けることが出来ません。
こんなこと初めてなので、大いに困惑し、たまたま家にいた、コンピュータに詳しい長女のくれあに相談しました。
 
パソコンの問題はいつも娘たちが解決してくれました。今回も、いつものように、即、直してくれるだろうと楽観してたんですが、くれあは、ほぼ半日がかりの作業の末「おとーちゃん、これ、日本のサーバーの問題や。こっちで直すのは無理」…
 
で、日々の楽しみであるブログを覗くことが出来なくなってるんです。まことに残念な事態です。ああ困った!
 
なんとか直したあとでご報告するつもりだったんですが…
ま、取り敢えず、ご報告しておきます。う〜ん、なんとかならんかなあ?」

で、次のように返信。

「実はしばらく音信が無いのでご病気かも・・、と心配しておりました。結局アクセス不能ということでしたか、不幸中の幸い(?)でした。

たしか去る2日のことでしたか、「グー」(NTT系)がハッカーから攻撃を受けて閲覧不能となりました。こちらは半日後に回復しましたが、その余波が続いていると思います。早く良くなるといいですね。

ふと思いついたのですが、メールの交換ができるのですから、ブログをコピーして送りましょうか。

それほどには及ばないというのなら、別ですが・・。いずれにしても早くネット環境が回復するといいですね。」

そして、昨日になって待望の「復活」のメーが届いた。

「朗報です。インターネットの回線が復活しました。久しぶりに「音楽とオーディオ」の小部屋を嬉々として開きました。
ご心配をおかけしました。もう大丈夫だと思います。

で、元旦からのブログを一気に読ませていただきました。もっとも感銘したのは鎌田實医師のお話しです。

ネットで日本の週刊誌や雑誌を読めるようになって久しいですが、日本の高齢化者社会を反映した記事が目立ちます。病気の話、医者や病院の話、病気を予防する食べ物の話などなど…。しかし、玉石混交で、医者によって言うことが違ったりと、誰を信用して良いのか迷います。そんな中で、この人ならと常に信頼をおいてきたのが鎌田實さんなんです。

かなり以前、「人間には魔性の面がある」と、父親との確執を正直に書いておられたのを読み、この人は信頼出来るなと感じたわけです。彼のコメントを見て、凶悪犯罪者の過去を調べて見たら興味深い結果が出るのではと思ったこともあります。そのような人間が「音楽を愛し読書に励む」ことがあったのか? ですね。で、「音楽とオーディオ」の小部屋の主や僕などは、決して凶悪犯罪者にはならねえよなあ…と (一応) 安心?もするわけですね。

長野県の短命の村を指導し、長寿村に変えた功績は、そこらの医者では無理でしょう。なぜなら、鎌田實さんは、医療行為ではなく、生活の習慣や食事を指導することで、それを成し遂げた稀有な医者だからです。

医学部では食べ物と健康に関する授業はほとんどないと思います。しかし、健康の85パーセントは食事によると僕は思っているので、友人の医学部教授に「食と健康」の授業は必要だよとコメントしたことがありました。


ごく最近、中学高校同期で、とても仲良しだった人物と56年ぶりに連絡が取れました。音楽大好きな彼は、タンノイの「エディンバラ」をマランツで駆動していると、その写真を送ってくれました。そして70歳になってヴァイオリンを習い出し、現在、東京の武蔵野市市民交響楽団のメンバーと言います。嬉しいじゃないですか。で、早速、彼に「音楽とオーディオ」の小部屋のブログを紹介しました。」

さっそく返信~。

「ありがとうございます。それにしても復活してよかったですね! 実はホンネを申し上げますと、これで今まで通りブログのネタを提供していただけそうだと、内心 ほくそ笑んで おります(笑)。」



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「真空管の反乱」の続編

2025年01月16日 | オーディオ談義

はるか昔の記事「真空管の反乱」が、たまたま昨日(15日)の過去記事ランキングに珍しく登場していた。

改めて一読してみると、まさに絶好のタイミングの内容なので以下の通り再掲させていただこう。なぜ「絶好の・・なのか?」は後半で明らかにします(笑)。

「ギャー、ガリガリ、バリバリッ!

PX25シングルアンプのスイッチを入れたとたんに右チャンネルのスピーカーから空気を鋭く切り裂くような大きなノイズが出た。いきなりのことなので肝っ玉がぶっ潰れんばかりになって急いでアンプのスイッチをオフ。

「いったい何が起きたんだろう?」と、戸惑うばかり。

とりあえずスピーカーのボイスコイルの破損が心配になったので、別のアンプに繋いで音出ししたところ、すんなり音が出てくれてひと安心。幸い、比較的耐久入力の有る「3ウェイシステム」だったので事なきを得た。

これがもし繊細極まりない「AXIOM80」だったらと思うと背筋がぞっとした。

スピーカーの無事を確認すると、今度は異音の原因究明だ。

アンプに原因があることは間違いないし、それも右チャンネルだけからなのでおそらく真空管、それも出力管だろうとおよその見当がついた。

SPコードを外しているので改めてスイッチオンして、右側の「PX25」真空管を真上から覗いてみたところ、プレートの光の周りが紫色になっている。左側のPX25にそういう症状は見られないのでこれが故障の原因に違いない。

さっそく古典管の泰山北斗「北国の真空管博士」に問い合わせて症状を説明すると、こういう答えが返ってきた。

「ああ、それは真空管内の真空度の低下による故障でしょう。おそらく寿命が来たと思います。真空管はスイッチ・オン・オフ時が傷みやすいので要注意ですよ。しかし、万一大きな異音が出てもスピーカーに衝撃を与えないように回路に対策を施しておきましたので大丈夫だとは思いますが。」

「何しろこれまで全然故障の兆候もなかったのでビックリしました。音が出なくなったり、だんだんと小さくなるような故障ならいいのですが、急に大きな異音が出るのはほんとうに驚きました。こういうケースは初めてですよ。」と返答。

「かなりレアなケースなのでぜひ見てみたいですね。」との博士の言葉に後押しされて後日、症状を確認していただくために該当の真空管を送付することにした。



ご覧のとおりかなり濃い目のゲッタがちゃんと残っているのでうまく復活出来たら「めっけ物」だが、まず無理だろう・・・。

いずれにしても、このアンプの整流管には直熱管を使っていたので、今後、傍熱管(WE422A)を使用することにした。まあ、気休めかもしれないが。

いつも素直に言うことを聞いてくれる真空管だが持ち主へのこういう反乱は珍しい。ちょっと ”いじめ過ぎ” かもしれないので ”働き方改革” が必要かもねえ(笑)。」

という記事でした。

で、なぜこんな古い話を持ち出したかというと、実は現在使っている「WE300B」(1967年製)の寿命と見事にリンクするからです~。

  

これは、同じ「300B」を角度を変えて撮ったものです。

ご覧の通りガラス管の下の方にちょっぴり「ゲッター」(黒ずんだ色)が残っていますね。長寿命で有名な「300B」だけど、このくらいのゲッターではたしてどのくらい寿命があるのだろうかというのがそもそもの疑問です。

ちなみに、ゲッターが十分残った状態での「1967年製のWE300B」のオークション相場は少なくとも「25万円」(1本)くらいはするでしょう・・、かなりのお値段ですよ!(笑)



この300Bアンプはスピーカー「AXIOM80」とメチャ相性が良くて、切り札的な存在になっているが、もし用事で部屋を離れでもしたときに前述したように「ギャー・・」ときて、大切な「AXIOM80」が壊れでもしたら大変~。

そこで、真空管の手練れの方々にお願いです。

この画像から推測して「300B」の寿命と「往生際」が想像出来たらご教示ください。(このアンプでは300Bに対する負荷を極めて低く抑えて長寿命の設計にしてあります)

静かに眠るように大往生してくれるのなら大歓迎だけど、ギャー・・と大騒ぎされるとメチャ高くつきますのでね~、もちろん使わないのが一番だけどそれじゃもったいないしねえ・・(笑)。



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もっと「声」が良かったらなあ・・

2025年01月15日 | 独り言

「演奏家が語る音楽の哲学」を読んでいたら面白い記事があった。(67頁)



「顔の悪い結婚詐欺師はいても、声の悪い結婚詐欺師はいない」という俗な諺があるそうだ。電話によるオレオレ詐欺などとは違い、多くの場合本人と間近に顔まで合わせているのに、結婚詐欺が成立する余地があるのはなぜなのか。

それはもっともらしい話の内容にではなく、声に騙されるからだという。よく響く声には、矛盾をはらむ内容をあたかも真実を語っているかのように思わせる効果があるらしい。

言われてみれば、確信をもって人が真実を述べるとき、その声はしっかりと身体に共鳴している。皆が無意識に持っているその経験則を詐欺師は利用する。自信に満ちたよく響く声がいつのまにか被害者の心に潜り込み、彼女の心を詐欺師の心に同化させる。つまり、心が響き合う。

こうなれば詐欺師はしめたものだ。良い響きの声は心を双方向に解放させる。そう考えると器楽奏者以上に歌手がモテるのもいたし方なかろう(フルート奏者(著者)としては残念だが・・)」

とまあ、以上のような内容だった。

巷間よくいわれる「女性は耳で恋をし、男性は目で恋をする」にピッタリの逸話ですね。

娘によく言い聞かせておかねば・・(笑)。

ちなみに、本書は「楽器の響き」、たとえばスマホのプアな音などに言及しながら、その響きの重要性について事細かく述べられていて、オーディオ愛好家には心強い一冊です。興味のある方はぜひ・・。

で、人の「声」の魅力についてはこのブログでもずっと以前に「声を読む」というタイトルで投稿したことがあります。ご記憶でしょうか?



その中で紹介した著書「声の秘密」のあとがきに次のようなことが書いてありました。

「声は人間の社会で大きな役割を果たしているのに驚くほど顧みられていない。そのもどかしさが本書を書くきっかけとなった。

言語やボディーランゲージについては詳しく調べられ、その重要性が高く評価されている。一方、声は(少なくとも学問以外の世界では)なおざりにされ、称えられることはほとんどない。

声は文字にとって代わられ、画像にその地位を追われて<目が耳に勝った>といわれているがそれは間違い。人は家庭や職場で、あるいは友人知人との交流において、”声を読む”という優れた能力を利用している。

声を正しく理解するためには、鋭い感性を身につけなければならない。 ”深く聴く” ことが必要だ。」

というわけです。

たしかに「声を読む」というのは実に ”言いえて妙” でいろんな情報が声から得られるのは事実ですね。

自分の場合に例をとると、人と接するときに話の内容よりもむしろその人の表情とか声音で「ホンネかどうか」とか、いろいろと判断していることが意外と多いことに気付く。

その一方、近頃の若い人たちはSNSの情報に振り回されて、対面関係における表情とか声音の細かな気配を察知する経験が少なくなり、感度がおろそかになるのではと心配ですね、ま、要らん世話だけど~(笑)。

ちなみに、聴覚が視覚よりも情動的になぜ有利なのかについては、あの「養老孟司」氏(解剖学者)の著書
「耳で考える~脳は名曲を欲する~」に次のような箇所があって科学的な根拠が示されています。

「耳の三半規管は身体の運動に直接つながっているので退化せずに残っており、情動に強く影響する<大脳辺縁系>と密接なつながりを持っている。そしてこれと一番遠いのが<目>。だから、目で見て感動するよりも耳で聴いて感動する方が多い。」

あ~あ、もう少し度胸があって、そしてもっと「声」が良ければ、大いに人生を楽しめたのかもしれないのになあ~(笑)。



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どうしても往生できない「豊かな響き」への憧れ

2025年01月14日 | オーディオ談義

今朝起きたときに家人が開口一番、「昨晩(13日)地震が起きたのを知っている?」「何時ごろだ?」「9時ごろだったかしら」「ぐっすり寝ていてわからなかったなあ、大きかったのか?」「かなり大きかったわよ」

すぐにパソコンで確認・・、震源地は宮崎県で「震度5」、大分県中部(別府市を含む)では「震度4」だから、かなりの揺れである。

単発なら怖くないけど、いずれ確実に来るとされている大規模な「東南海地震」の前触れだとするとちょっと怖いですね。

なるべく高いところに物を置かないようにしようと心掛けているが、ことオーディオばかりはそうもいかない(笑)。



こういう風に配置換えしたのは、つい2日前のことだった。

このところ、重箱の隅を突っつくような繊細な音が続いていたので、その反動というのか、たまには低音がたっぷりとした「豊かな響き」が聴きたくなりました(笑)。

まあ「魅力的な音」とか「正しい音」とか言ったところで、初めから終わりまでどうせ理屈では割り切れない混迷の世界なんだから、その日の気分次第で臨機応変というのが我が家のポリシーである。

で、このウェストミンスターを導入してからもはや30年以上になるが、当時その購入を巡って家人としばらく冷戦状態が続いたのも今となっては懐かしい思い出だなあ(笑)。

さて、拙い経験から言わせてもらうと、このスピーカーから豊かな低音を引き出そうと思ったら、まずオリジナル仕様の「クロスオーバー1000ヘルツ」のままでは無理である。

ムンドルフ(ドイツ)のコイルを使い、200ヘルツあたりでハイカットしてやると、ようやく満足できる低音が出てくる・・、主観的な話ですけどね。

もちろん、ユニットの交換は必須で、現在付けているのはワーフェデール「スーパー12」(赤帯マグネット)だが、質感と量感が上手くマッチングしていると勝手に悦に入っているところ。

とはいえ、タンノイのオリジナル仕様を弄るなんてとても怖くてできないというのがホンネのところだろう・・、そういう方々には「オーディオはメーカーに不信感を抱くことから始まる」という金言を捧げたい(笑)。

ともあれ、このシステムで600ヘルツ以上を受け持っているのは「コーラルのドライバー+マルチセルラー・ウッドホーン」だけど、これを真空管アンプ「6A3シングル」で駆動してやると水も滴るようなヴァイオリンが聴けるのが不思議・・、普通「金属のダイヤフラム」を使ったホーンはヴァイオリンが苦手なんだけどな~、いずれにしろ「うれしい悲鳴」である。



というわけで、たっぷりとした低音の響きのもと「You Tube」でモーツァルトのヴァイオリン曲集を聴いていたら、身も心も奪われるような美しい旋律が聴こえてきた。

慌てて、確認してみると「ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ K261」だった。



モーツアルトに本格的にのめり込んでから軽く40年以上になるが、まだこんな名曲があったなんてと、思わず胸が打ち震えた(笑)。

急いで、「K261」でググってみると、ヴァイオリン協奏曲の中でも白眉とされる「第5番の第二楽章」について、親しいヴァイオリン奏者のために「代替曲」を二十歳の時に作曲したとのこと。

オリジナルの第二楽章は巷間「霊妙な美しさを誇る」と讃えられているが、この代替曲もそれに劣らない、いや上回るほどの出来栄えである。

「重さが浮かび、軽さが限りなく重い音楽」(カール・バルト)

とまあ、そう感じさせてくれるのも豊かな低音の響きが「ピラミッド型」となって曲目全体を支えているせいかもしれませんね。

低音の響きの大切さについては、メル友の「K」
さん(横浜)からもちょくちょく示唆をいただいている。つい先日も次の様なメールをいただいた。

「瀬川冬樹氏、彼の文章好きでした。当時(私が知るのは1967年ころからですが)山中氏含め数人の評論家は本物と初心者の私でも感じてました。

瀬川氏のAXIOM80も読んでいましたが「鳴らすのが難しい」。この言葉に評論家でも”そういうこと言ってよいのか”とその素直さに感じいりました。とにかく彼の文章は美しかったですね。
晩年「堕落」の意味は知りえぬことであれど確かに変わってしまった気が・・、レビンソンに入れ込み過ぎた?かな。

ところで、先日聴力確認したところ一万ヘルツまでやっとと分かり愕然としました。ほんとに驚きましたよ、どうしちゃったの・・・

しかし,まあ聴くことは支障ないかと(慰めてます)。
 
実は私も小さな優れたSPをと考えることもありますが、基本的に本格的な低音が土台に欲しいので食指が動きません。特にクラッシックはドイツ・スイスのホールでの、あの低音域をベースとした響きが忘れられません!!」

以上のとおりだが、コンサートホールでの低音域の豊かな響きを電気回路を通したシステムで聴こうというのが、どだい無理な話だと思うけど、少しでも近づきたいという気持ちはよくわかります。

ブログ主なんか、とうの昔からその辺を割り切ってますが、こうやってときどき「豊かな響き」に憧れるのも、まだ往生しきっていない名残りかもしれませんね(笑)。



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優れた芸術とは奥深い疑問を我々に付きつけるテキストのことだ

2025年01月13日 | 音楽談義

つい先日、家人がドキリとするようなことを言った。

「昔は、お父さんはモーツァルトの音楽を聴いて ”涙が出るほどいいなあ~” とよく感激していたのに、この頃はなんだかオーディオのことばかり熱中してちっとも音楽を話題にしなくなったね~」。

ウーム、言われてみるとそうかもしれない。このところ、どうも音楽にのめり込む気がしないのも事実でいったいどうして?

やはり集中力と根気(持続性)が少なくなったことは否めないようで、たとえば長時間のオペラをずっと聴きとおすことはほぼ無くなっていることに気付かされる。肝心の感受性が鈍くなったとは思っていないけどね~(笑)。

このブログでもこのところ、好きな曲目の紹介など音楽関係の記事とはほぼ無縁の状態で「スピーカーをどうしたこうした、いい音とは・・」とかのオーディオ関係の記事が氾濫しているのはご承知の通り。

で、丁度いい機会だからここで改めて「音楽&とオーディオ」の関係について考えてみよう。

今さら述べるほどのことでもないが、これはいわば「主従の関係」であり「目的と手段」の関係でもある。

もちろん王様が音楽、オーディオが召使いである。音楽を聴くためにオーデイオが存在するのだから当然至極。

そして、音楽がおろそかになってオーディオが主になっている人は俗にいう「音キチ」とされ、これは道を踏み間違えて倒錯している人に対する蔑称となる。

で、当然のごとく「音キチでいいじゃないか!」と開き直る方がいてもちっとも不思議ではない。

あまり大きな声では言えないが、実は自分もその心境に近づいているのだ(笑)。

若干言い訳めくが「好きな音楽をいい音で聴きたい」と、一心不乱にシステムの一部を代えたり、ちょっとした工夫で「いい音」になったときの快感が忘れられず、それは名曲に親しむときに覚える快感に勝るとも劣らないといえる。

とはいえ、「キリがない」のも事実で、いくら「いい音」を手に入れたとしても何回も聴いているうちに何かしら不満が出てきてどこかをいじりたくなる、その繰り返しが延々と続いていく。いわばずっとトンネルの中にいて出口の明かりが見えないし、むしろ見ようともしないのかもしれない。

対比するとしたら、音楽は完結の世界になるが、オーディオは永遠に彷徨を続ける未完のような世界となる。

で、どちらが飽きがこないかといえばそれは後者でしょう(笑)。どんなに気に入った音楽でも何回も聴いていると飽きてくる経験をどなたでもお持ちのはずだから。

と、ここで堂々巡りの混迷の中、何らかの指針を得る意味で「村上春樹」さんの言葉を引用しよう。

「 僕は思うのだが、優れた芸術とは多くの奥深い疑問を我々に突き付けるテキストのことだ。そしてたいていの場合、そこには解答は用意されていない。解答は我々一人ひとりが自分の力で見つけていくしかない。

おまけにそのテキストは~もしそれが優れたテキストであればだが~休みなく動き続け、形を変え続ける。そこには無限の可能性がある。時には間違った解答も出てくることもあるかもしれない。そこにはそんな危険性もある、しかし可能性とは危険性の同義語でもあるのだ。」(バイロイト日記:文芸春秋)

音楽作品に対する奥深い疑問を自分なりに持ち続けてコツコツとその解答を見つけていく・・、まさに「頂門の一針」(ちょうもんのいっしん)で平和ボケした頭をガツンと殴られたような衝撃を受けましたよ(笑)。

で、その「奥深い疑問」とは、たとえば「神の存在」「信仰」あるいは「死」・・、「一流の芸術はその底流に死を内在させている」(河合隼雄氏)といったことになるんでしょうか。

音楽自体は芸術に昇華できるけどオーディオはどんなにいい音を出そうと不可能だという冷徹な事実を前に、チマチマした「音楽&オーディオ」論議なんか軽く吹き飛んでしまいますね~。

しかし、その一方では「面倒くさい話は抜きにして音楽もオーディオもそれなりに楽しめばいいんじゃない」という声が囁いてくる~、アハハ(笑)。



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音には「無難な音、魅力的な音、そして正しい音」の3つがある

2025年01月12日 | オーディオ談義

かって交流があった懐かしいオーディオ仲間が我が家に試聴にお見えになったときの言葉をいまだにときどき思い出す。

「魅力的な音というのは絶対に”野太い音”ですね。以前聴いたWEー205D真空管のプッシュプル・アンプで鳴らしたウェスタンの大型ホーンの音が忘れられません。まるで実像が眼前でリアルに再現されたような印象を受けました。205Dは最近、中国製の復刻版が出ていますので是非試してみたいですねえ。」

おそらく我が家の「プアな音」が反面教師となったのだろうが、何気なしに呟いた仲間の言葉にオーディオへの飽くなき探究心を垣間見た気がして印象深かった。「野太い音」の定義については、お付き合いを通じて感覚的に分かるのであえてお訊ねしなかった。

翻って、「お前は野太い音のような明確な音のポリシーがあるのか」と、問われるとはたと困ってしまいますねえ(笑)。

あえて、言えば「現状よりも少しでもいい音を」ぐらいでしょうかね。

ポリシーが無い証拠が現状の6系統もあるスピーカーに現れていると指摘されても仕方がないですね、甘んじて受け入れます(笑)。

とはいえ、オーディオは「百人百様」で、100人の愛好家が居れば100人とも音の好みも違えば考え方も違う。もちろん趣味の世界だからご本人さえ楽しければそれでいい~。


そういうことを前提にしながら、無粋な自分なりに勝手に「音の交通整理」をしているつもり。

端的に言えば「音」を
「無難な音」「魅力的な音」そして「正しい音」
の3つに振り分けている。

これには解説が必要ですね(笑)。


「無難な音=音楽鑑賞をするうえでそれほど違和感を感じない
音」

デジタル時代になってからのオーディオ装置は平準化が進み、今やどこのご家庭でも「無難な音」を確保しているのはまず間違いないと思う。

人間の耳は環境への順応性が高く、そこそこのオーディオ機器であれば全うな音に聴こえるはず。

「魅力的な音=聴いていて振るいつきたくなるような色気のある音」

魅力的とくれば、俗な言葉で申し訳ないが「色気」という言葉がすぐに思い浮かぶ。我が家の音でいえば「真空管アンプ」と「箱」が見事にマッチした時の「AXIOM80」の音だと言える。背筋がゾクゾクっときてムラムラと・・(笑)。

そして、「正しい音」・・、

その昔、「オーディオ・テクネ」というオーディオメーカーが専門誌に
「原音に近づく正しい音とは」と題して記載していたものをそっくり引用させてもらおう。

もちろん、信用するのもしないのも貴方の自由です。押し付けるつもりは毛頭ありませんからね(笑)。

 
ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる

 音は前には出ない。後方に広がり自然に消える

 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない

 
小さな音でも明瞭度が下がらない

 スピーカーの近くでも離れた後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない。音は波紋である!

6 音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない

 視聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる

 長時間聴いても疲れない、連室でも音が邪魔にならない

以上のとおりだが、音響に対する専門的な知識があるわけでもないが、これまでのオーディオ経験を通じて、かなり思い当たる節が多い。


ちなみに、「正しい音」を得るために、これらの項目群に対して順番に個別に撃破すればいいのだろうが、そうはいかないところがつらいところで、たとえば、ひとつの項目が実現できなければその他の項目も総じて同じレベルに留まってしまうという厳しい現実が待っている。

そして、主観的な存在としての「魅力的な音」と客観的な存在としての「正しい音」が一致すればこの上なく理想的なのだろうが、まずありえないのではないかな~。

オーディオはつまるところ各自の感性の世界ですからね。

最後に、「心なき 身にも哀れは・・」(西行法師)で、せめて日頃から聴いている音に何がしかのプライオリティ(優先権)を設けていることだけは申し添えておこう

それは、

「システム全体の音が澄んでいて柔らかい雰囲気で楽器の音色がそのまま素直に表現されているような音。それに音像に奥行き感があること。彫りの深さとでも言うべきか。それぞれの楽器の前後の位置関係が明瞭に分かればこの上なし。」

はてさて、完璧に実現できるのはいつのことやら・・(笑)。



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「酒はアンプ」って何のこと?

2025年01月11日 | 独り言

先日の「読売新聞」の朝刊に、芥川賞作家の「町田康」(まちだ・こう)さんが投稿されていた記事がこれ。



小見出しは「酒はアンプ 性質を増幅」。細かい字で読みづらいだろうから関係部分を抜き書きしてみよう。

「人によって酒とはなになのか、ということがある。ある人は酒は百薬の長といって酒を善きもののように言う。ところが別の人は命を削る鉋(かんな)と悪し様に言う。いったいどちらなのか。

自分が酒を飲んだときの状態をいま振り返ってつらつら考えるにこれはどちらも正しい。

どういうことかというと、酒はオーディオ装置などに組み込まれているアンプ、すなわち増幅器ということである。

増幅器は入ってきた信号を増幅、すなわち大きくしてスピーカーに伝える。これによって私たちは大きな音で音楽を聴くことができる。

同様に酒は、私たちの元々持っている性質を増幅する。もともと人が好きで人と仲良くしたいという心を持っているのだが、普通の状態だとそれが微弱でなかなか人に伝わらない。

そこで酒を飲むとこの気持ちが増幅され、人と心を通わせることができるようになる。これは酒の美点である。

ところがアンプは音量を上げるだけであり、その特性を変えるものではない。アンプを通したからといって嫌な音がいい音になるわけではない。

同様に酒は私たちの中にある、人間としての嫌な部分を増幅する。これが酒の難点である。嫌いな音楽を好きな音楽に変えたうえで増幅してくれるアンプがあればよいが、そんなものはない。

だから元々、よい性質を持っている人は酒を飲み、これを増幅するのがよい。そうでない人は止したほうがよい。

さて、私はどちらであったか。それは言わぬが花でしょう。」

というわけで、テーマは「酒」になっている。

私たちにとってはたいへん身近な存在で、誰にでも大なり小なり酒にまつわる失敗談があるはずだが「飲み方次第で毒にも薬にもなる」のは周知のとおり。

そこで「酒の功罪」について整理してみると、まず「功」の面から、

1 コミュニケーション・ツール(人間関係の潤滑油)

2 精神安定(リラックスとストレス解消)

3 生活習慣を予防(食欲の増進、血管の拡張)

4 「適量だけ飲む人」が「死亡率低下の効果」が最も高い

そこで適量というのは次のとおりとされている。

ビール(中瓶1本500ml)、日本酒(1合)、焼酎(コップ半分)、ウィスキー(ダブル1杯60ml)、ワイン(グラス2杯200ml)

次に「罪」の面からいくと、

多量の飲酒によって引き起こされるのが「身近な人に迷惑をかける」「交通事故や暴力」「アルコール依存症」「メタボ症候群」「生活習慣病」「ガンの誘発」

といったところだが、つい最近我が家では久しぶりに晩酌の「焼酎」を「芋焼酎」から「麦焼酎」に代えました。



というのも、この正月に娘が帰省したので少しでもうまい焼酎を飲ませてやりたいという親心が沸き起こった次第。猫の額ほどの庭に植えている「橙」(だいだい)の汁とお湯で割って飲むとこれが実に美味い!

娘も「これまでよりも2倍も3倍も品のいい味ね!」と大喜び~。

ただし、困ったことにはオーディオの音質と同じでいったんレベルを上げると、もう下げるのが難しい・・、日常のことなので出費がかさんでしまう~(笑)。


それはさておき、オーディオ愛好家の皆様は冒頭の町田氏の「酒はアンプ・・」を読んで どういうご感想 をお持ちですか?

そう、引っ掛かるのは「アンプは音量を上げるだけであり、その特性を変えるものではない。アンプを通したからといって嫌な音がいい音になるわけではない」の個所だ。

これは間違いだと思いますよ~。

我が家ではアンプを換えることはまさに「死活問題」で「嫌な音がいい音になる」のをこれまで数限りなく経験してきているし、さらには使用する真空管の種類によってさえも音の質感が明らかに違ってくる感想を抱いている。

いわば、アンプの違いはオーディオにおける「壺中の天」ともいうべき愉しみ方になるが、その一方で世間一般の認識とはそんなものかと、何だか淋しくなりますわいなあ(笑)。



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読者からの恩恵

2025年01月10日 | 独り言

これまで何度も書いてきたことだが、ブログで情報発信をやっていると読者からいろいろとメールをいただくのがありがたくて楽しい。現役を退くと、交流が少なくなって人が恋しくなるせいかな~(笑)。

今回もその恩恵に浴したので、いくつか時系列にご紹介させていただこう。匿名ということで無断掲載お許しください。

☆ 女性歌手「ナナ・ムスクーリ」(ギリシャ)

いつぞやのブログで「ナナ・ムスクーリ」の美声を紹介したところ、南スコットランド在住の「ウマさん」からご返信があった。

ナナ・ムスクーリ!

 
高校時代から聴いてます。もう、大好きで〜す!
昔はLPを数枚所有してたけど、CDの時代になって処分したのが悔やまれます。
でも、今でもちょくちょく二枚組LPは聴いてます。
 
大学5年生の時、ライブを聴きましたよ。中野サンプラザの一番後ろの席だったので、オペラグラスで彼女の顔を観ました。ジャケット写真同様、眼鏡をかけておられたのがとても印象に残ってます。

僕は、本来、低めのアルトが好みですが、彼女は唯一の例外です。
彼女の、あの夢見るような無垢の声には興奮しましたね。
 
実はね…パチンコで勝ってチケットを購入しました(笑)。」

以上、彼女の「夢見るような無垢の声」にまったく同感です。

☆ オーディオの衰退

あるメル友さんから次のお便りをいただきました。

「折に触れ、若者のオーディオ離れを指摘していらっしゃるブログ主様ですが、私はオーディオというより、スピーカー離れという方がしっくりします。

昨今、パソコンやスマホで音楽を聴く若者が大半の状態なので、音の出口はイヤホン、ヘッドホンということになります。
スピーカーで聴くとなると、ある程度の広さの部屋が必要ですから、手軽に聴けるイヤホン・ヘッドホンに特化したオーディオが人気になるのでしょうね。

おそらく私の世代(昭和40年代生まれ)が、最後のスピーカーで音楽を聴いていた世代でしょう。

なので、メーカーもヘッドホンオーディオに力を入れ、高級機器もバラエティー豊かになりました。

もちろんスピーカーで聴く音楽は素晴らしいですが、需要は少なくなって行くと思われます。残念ですね。」

以上、統計的に見て「音楽好き」は減っていないそうなので、これから「ヘッドフォン」と「スピーカー」の二極化が進むのでしょうか。

そういえば、10年ほど前に通っていた運動ジムでヘッドフォンで音楽を聴きながら「エアロ・バイク」を漕いでいましたが、とても澄んだ音色だったのが記憶に残ってます。現在はもっと性能が良くなっているんでしょうね。ブログ主が近い将来に長期入院した時の「切り札」として楽しみにしておきましょう(笑)。

☆ アルルの女

音楽好きで写真がとてもお上手なメル友さんからのお便りです。このブログでも感謝しながら、ちょくちょく使わせてもらっています。

先日の アルルの女ですが・・。

あの曲の最初に現れる旋律、あれを聞いていやな思いを抱く人も無かろうと思えるほどの心に響くメロディだと思います。

私も高校の時に 最初なんの曲だかわからないままに あの出だしの旋律のみが頭を離れませんでした。

どこで聞いたという記憶もないままでした。

親父も都都逸と地方の民謡を酔った時に歌う程度でしたので 頼りにはならず、結局自宅が商店街近くだったこともあって

おばさんが一人でやっている小さなレコード店に行って ラッタッター ㇻ ラッタッターと旋律歌って この曲は何ですかと聞いたところ

運よく その店主さんが知っていて それがビゼーのアルルの女と言う事がわかり 取り寄せてもらいました。懐かしい思い出です。

以上、たしかにこの「組曲」は名旋律が数多くあります。もっとファンが多くなっても不思議ではないと思うのですが「食わず嫌い」が多いのかな~(笑)。

☆ 小型スピーカー

とても長い交流が続いているメル友さんからのお便りです。察するに「ジャズ7割、クラシック3割」ぐらいの「筋金入り」の音楽・オーディオ愛好家さんです。

「先日の、小型SPの件ですが、徒に参戦して思わぬことになってもマズイので、おとなしくしています。

と言いながら、ちょっとだけ、私は大は小を兼ねる派です。

小さいSPは、ダイナミックレンジに限界があり、ピアノ伴奏つきアリアでも、聴きたい音量にすると歪が気になります。

大型マルチウェイでも良く調整されたものは、口?・・顔と言った方がいいかな?・・は大きくなりませんし、空気感に至っては、小型SPでは勝負にならないと感じています。

クラシックの歌手でもバイオリンでもそうだと思うのですが、実際の生演奏では、口の大きさよりも、顔・体から自然に伸びてくる音声は発生源の大きさとは関係なしに高エネルギーを発しています。

もうひとつ、口が大きくなる(不自然に)というのは、左右のSPの周波数特性の違いがその音の形の歪みを生むのだと思います。そういう意味では小型も大型もあまり関係ないように思います。」

以上、こういう議論は大賛成です。反対意見が無いと先に進みませんからね(笑)。

まことにごもっともなご意見だと思います。ほかにも「よくぞ言ってくれた!」と快哉(かいさい)を叫んでいる方もいらっしゃるかと思いますよ~。

で、いちいち反論するのも大人気ないし、泥仕合にもなりかねません(笑)。

そこで、ちょっと違った視点からたった一言だけ・・、「少なくともクラシック音楽を聴くのならハーモニーの面から点音源に優るものは無いと思いますけどねえ」

これまた議論を呼びそうですが・・(笑)。



前述の「アルルの女」がらみで、ご提供していただいた「雪景色」です。

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「終わりよければすべて良し」?

2025年01月09日 | 独り言

流石に冬も真っ盛りになるとメチャ寒くなってきますね。早朝のオーディオルームで、ブログを震え上がって書いてます(笑)。

さて、毎日大好きな「音楽&オーディオ」を楽しみ、読書三昧の日々でまったく不満はなく、
「人生終わり良ければすべて良し」と単純にいきたいものだが、何の脈絡もなくふと過去の失敗が蘇って身を苛むことが時々あります。

家内や娘にこんな話をすると「お父さんは真面目すぎるのよ~、私なんか嫌なことはすぐに忘れてしまうわ!」と、異口同音に能天気な返事が返ってくる。

男性と女性では違うんだろうか~(笑)。

いずれにしても、不愉快な過去をすっかり「忘れきる能力」も必要みたいですね。

あるテレビ番組で「晩年は人生の総決算」で、マラソンを人生にたとえるとヤマ場は後半にあってラストで勝負が決まると言っていたが、
その重要な人生後半の指針を36名の著名人が記載している本がある。

 
                 

それぞれに読み応えがあったが、作家などの自由業が多いためか「人生後半は楽しく遊んだ人の勝ち」
みたいな論調が多かった。

たとえば、浅田次郎(作家)
さん
「定年まであと何年」と考えるから苦しくなる。「100歳まで生きる」と思い込めば、人生が楽しくなるんです。」

次に、大前研一(経営コンサルタント)
さん
「50歳になったら成仏して、好きなことだけをやる生き方に目標を変える。」

といった具合。

たしかに共感を覚える部分もあるが、後半期になっても人それぞれの環境が違うので、こういう自由人たちの意見を紹介しても意味がなさそう。もっと精神的に指針となる生き方を問いたいものだ。

そして、36人の中で一番印象に残ったのが「鎌田 實」(医師)
さんだった。

「どん底の人生でも、投げ出さない人が幸せになれる」
と題した小文。ややシリアスな内容だが自らの体験を率直に綴っただけにズシリと心に響いてくるものがある。

~以下引用~。

『人間の中には”獣”
がいるって僕はそう思っているんです。実際、僕は18歳のときにオヤジの首に手をかけているんです。

親父はタクシーの運転手をしていて、心臓病を患った女房を抱えて少しでもいい治療を受けさせたい、医療費を稼ごうと苦労して毎日15時間くらい働いていた。家も貧しかった。

高3の春に親父に「大学にいかせてくれ」と言ったら「うちは大学なんかにいかなくていい、いく必要はない」とつっぱねられた。泣きながら何度言っても、ただ「ダメだ」とだけ。理由すら説明してくれない。反対されるなんて考えてもいなかったからたいへんなショック。

だけど夏休みになっても、どうしても進学をあきらめきれなくて・・・。自分の人生だから投げ出すわけにはいかない。もう1回泣きながら、親父と対決するんです。「どうしても大学にいきたいんだ」と言いながら首に手をかけた。でも、締めあげなかった。首をゆすりながら、泣き叫んだんです。

そしたら、親父も泣き出してふたりで床にへたりこんだ。そのあとで親父に言われたんです。「好きなようにしろ。だが、何もしてやれないぞ」「うちみたいな貧乏人、弱い人のための医者になれ」と。

先年、関西で16歳の子が父親の首を斧で切断した事件がありましたがほんのわずかな差なんです、18歳の僕とその16歳の子と・・・。僕にはいまも18歳のときに現われたその獣
が潜んでいるんですから。

は16歳の子だけじゃなくて、誰にも潜んでいると思うんです。人間の中の獣を暴れさせないために、感動するような音楽や小説、素晴らしい絵があり、いい家族が必要なのではないか。

その獣
を暴れさせないための仕組みがもともと日本には豊かにあったのに、地域社会が壊れたし、成果主義を前面に押し出してからますます社会がギスギスしてそのうえ家族までもがうまくいかなくなった・・・。

世の中の獣
が暴れださない仕組みがものすごく弱まっていると思うんです。』 

~以下略~。

※ 鎌田さんが両親の実子でなかったことをはじめて知るのは35歳のときだった。

「獣が暴れ出さない仕組み」・・、鎌田さんが仰るように芸術、文化、スポーツなどに興味を持たせる息の長い環境づくりが必要だし、けっして無駄な投資ではないと思いますけどね。

ほかにも、根本的な施策として「格差の是正」も必要な気がしますね。恵まれた人と恵まれない人の格差、端的に言えばお金持ちと貧乏人との差が益々広がっているとは思いませんか。

年末に「買い出し」に出かけた家人と娘が言うことには、昨年と比べて今年はお客さんの賑わいが大幅に減っていたという。

その一方、都会では人が氾濫して景気がめちゃいい様子なので「都会と地方の格差」も開くばかりのような気がしている。

総理の石破さんが、この正月に都会と地方の格差を埋めるために、「令和の列島改造」論を提唱していたが、着眼点がよろし、大賛成で~す(笑)。



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お値段次第で印象が変わるスピーカー

2025年01月08日 | オーディオ談義

年頭の「今年のオーデイオ展望」で触れたように、我が家のオーディオはオークションの掘り出し物次第で大きく左右される傾向にある。

常に、コスパが良いものを求めて日頃からチェックしているわけだが、ふと目に付いたのがこのスピーカー。

タイトルが長ったらしいけど、次の通り~。

スピーカー グッドマン GOODMANS SK115 A ,Latayette Radio 3WAY HIGH FIDELITY SPEAKER 箱有り

       

何が言いたいかといえば、我が家の同じグッドマンの「TRIAXIOM」にそっくりなのである。

口径30cm、同軸3ウェイ、高音域専用のアッテネーター付属、そしてマグネットカバーの形状も同じ~。

さっそく、スペアとして1個持っておくのも悪くないなあ・・、3万円ぐらいなら落札してもいいけど~。

すぐにウォッチリストに入れて注目していたところ、何とまあ落札直前にお値段が爆上がりして、最終的には「121,000円」という高値がついた。

これには驚いた! ペア(2個)ならともかくたった1個の値段ですよ~。しかも業者出品の保証なしでこれだからね。

ちなみに、我が家の「TRIAXIOM」を数年前にオークションで落札した時のお値段をおぼろげながらに覚えている。

たしかぺアで6万円ぐらいで落札し、到着早々その1個にノイズが出てきて、その修繕代が3万円余りで、結局諸費用併せて9万円くらいだったはず。

そうかそうか・・、今にして思えば「お安い買い物」だったなあ、メデタシ、メデタシ(笑)。

急に愛着が出てきて、正月早々から聴いていた「PL100」(英国:モニターオーディオ)を外して「TRIAXIOM」を据えつけた。

よしよし、愛(う)い奴、愛い奴・・(笑)。



あえて、並列して置いてみました。左側が「TRIAXIOM」、右側が「PL100」。

以前の印象は、「PL100」がきちんとネクタイを締めた英国紳士みたいな上流階級の音、然るに「TRIAXIOM」はそれに比べてちょっと粗っぽい感じで音に統率感と締まりがない印象を抱いていた。

ところが、今回聴いた印象は様変わりして英国の貴族家庭の応接間で洒落た着こなしでくつろぎながら聴いているような音に聴こえた。

「お前はお値段次第で音の印象が変わるのか」と、その変節ぶりを責められても仕方がないなあ(笑)。

つい、「イワシの頭も信心から」という言葉を思い出した。

「イワシの頭のようなつまらないものでも信心する人には尊く思われる。物事をかたくなに信じる人を揶揄 (やゆ) するときなどにもいう。」

例えに出して悪いけど、つい同じ英国のあるブランドを連想してしまったが、敵が増えるだけなので具体名を挙げるのは遠慮しておこう(笑)。

続いて、オークションついでの話になるが昨晩(1月7日)「AXIOM80」のオリジナル版が落札されてましたね。

    

紛れもなく「マグネット」の形状から「初期版」ですね~。

これについて、先日(5日)メル友さんからお電話があって「AXIOM80の初期版がオークションに出品されてます。現在24万円ですがどうなんでしょう?」

「ハイ、20万円台ならお買い得だと思います。おそらくもっと上がるでしょうが・・。ただし、仮に落札したとしても駆動するアンプから、容れる箱まで気を使いますので、使いこなすのにそれなりの覚悟が要りますよ」

で、最終的な落札価格は「35万円」・・、奇しくも、10年ほど前にブログ主が落札した価格と一緒でした!

おそらく、この辺が上限ということでしょうかね(笑)。


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人間の情念の深さを物語る名曲

2025年01月07日 | 音楽談義

ずっと昔の学生時代の話だが、長兄が持っていたレコードの中にオッテルロー指揮の「アルルの女」(ビゼー作曲:フランス)があった。

当時のことなのでまことにチャチなステレオ装置だったが、音の良し悪しなんかにはいっさい興味がなく、ひたすら音楽だけで十分満足していた頃で、レコードのライナーノートを繰り返し読みながらこの曲を聴き耽ったものだった。

そして「三つ子の魂百までも」で、どうしてももう一度聴いてみたいと、すでに「廃盤」となっていたが、やっとの思いでオークションでオッテルロー指揮のCD盤(外盤)を見つけて競り落としたのはまだ記憶に新しい頃だった。

急いで長兄に連絡してそのライナーノートをコピーして送ってもらったのは言うまでもない。


           

余談だが、このオッテルローさんはジャケットにあるとおりの自動車狂で、スピードを出し過ぎて交通事故で亡くなってしまった。当時からすでにオランダ最高の指揮者として君臨し、さらに将来を嘱望されていたのに惜しいことをしたものだ。

さて、このライナーノートから、かいつまんで要点を記してみよう。

≪アルルの女≫はドーデが書いた「風車小屋だより」(短編集)の第六番目に出てくる物語で、自ら脚色して三幕物の芝居として仕立てあげた。これに作曲したのがビゼーだったが、初演は大失敗。ドーデはこう嘆く。

「ああ!もうだめだ。半年の骨折りと、夢と、疲労と、希望、これらいっさいが、たった一夜のガス燈の焔に、焼けて、消えて、飛び去ってしまったのだ。」

しかし、本当に価値のある作品はいつまでも埋もれているはずがなく、初演から13年後に再演され、今度は大当たりをとって今日までフランス演劇の重要なレパートリーとなっている。

芝居の「あらすじ」は、ご存知の方も多いと思うが次のとおりである。

「アルル近郊の町の旧家の長男”フレデリ”は20歳の青年。父はすでに亡く、母と白痴の弟、それに老僕の4人暮らし。

あるとき闘牛場で知り合った妖艶な”アルルの女”に心を奪われてしまう。しかし、その女は牧場の番人の愛人だった。

フレデリは家族の猛反対にあって、仕方なく諦めて幼馴染の農家の娘との結婚話を進めるが、アルルの女が牧場の番人と駆け落ちすると知り、嫉妬と絶望のあまり塔の頂上から身を躍らせて自殺する。

その亡骸を見ながら老僕がつぶやく。”ごらんよ。恋で死ぬ男があるか、ないか・・・・”」


もちろん音楽も良かったが、当時まだ未成年のスレていない初心(うぶ)なハートにはストーリーの方がショックで、いまだ知らぬ大人の世界への憧れも手伝って「人間は恋のために死ねるのか!」と、その狂おしいまでの情熱に大いに心が揺り動かされたものだった。

こういう思い出があるから、長じても「アルルの女」にはひときわ”こだわり”があり、小林利之氏(音楽評論家)が推薦する名盤をコツコツと収集した。

オッテルロー盤以外にも、トスカニーニ盤、クリュイタンス盤、マルケヴィッチ盤、オーマンディ盤、デュトワ盤。
            

いずれ劣らぬ名演だと思うが、真打となると前述の「オッテルロー」盤と並んでケーゲル盤となる。「許 光俊」氏の評論を読んで共感を覚えた勢いでオークションで外盤を手に入れた。

オッテルロー盤を購入したときと同様に、当時このケーゲル盤は「廃盤」になっていて、それは、それは高値で取引されていた。
           

この曲はクラシックには珍しくサキソフォンが使われており、それが実に牧歌的な”いい味”を出しているが、賑やかさの中に悲しい結末に収束していく物悲しさが全編に漂っている。

共産党の体制側の幹部だったケーゲル(東ドイツ)はソ連邦の崩壊とともに拳銃自殺を遂げた指揮者だが、まるでそれを予感させるかのように全体に哀愁を帯びて心の中に染み入ってくる味わい深い演奏。

たとえ架空の物語にしろ「恋のために死ぬ人間がいる」かと思えば、実際に「イデオロギーの違いで死ぬ人間」もいる。「死は僕の最良の友達です」と言ったのはモーツァルトだが、とかく人間の死は操りがたい。

そして、これら幾多の名演の中で一番好きなのはやはりオッテルロー盤だ。


感受性豊かな若い頃にひとたび脳裡に深く刷り込まれた演奏は、その後どんな名演が出てこようと、覆るのは難しい。

どうやら個人的な「記憶」と「音楽」とは「情念」という深い部分で分かち難く結びついているものらしい。 



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小型スピーカーの選択にセンスの良さが光る?

2025年01月06日 | オーディオ談義

昨年(2024年)の秋から同じ「AXIOM80」の愛好家として交流が始まった「H」さん。

毎日のように、過去の様々な資料を添付メールでご教示いただいている・・、言い換えると、
このブログ主をはるかに凌ぐほどオーディオに詳しくて、ご熱心な方である(笑)。

つい最近の資料では、次のようなものがあった。

「瀬川冬樹さんは創刊まもない頃のSS誌で、ゴッホ美術館で手持ちの複製画の本物を見た時その本物は所蔵の複製画の複製に見えた、という小林秀雄の有名な一文を引いてオーディオ論を展開していました。今日眺めても極めて優れたオーディオ論で、瀬川畢生の名論文だとおもいます。

瀬川冬樹氏の名論文は1960年頃のラジオ技術誌の「私のリスニングルーム」、しばらくあとの「M夫人のクレオさん」(クレデンザのこと、M夫人は福岡で御健在)、1960年代半ばのラ技連載の一連の「これからのステレオ装置」などであり、個人的には1970年代の瀬川さんは抜け殻としか思えないのです。

それは瀬川さんも分かっていたようです。お亡くなりになる直前のことですが倉敷在住のIさんに、

ぼくはもうだめなんだ、体もだめだしオーデイオも堕落してしまったんだ、今一度昔に帰りたい、45とアキシオム80に戻りたい、そのために80は8本用意しているんだが、、、、と述懐されたそうです。」

往年のオーディオの黄金時代を知っている方にはオーディオ評論家「瀬川冬樹」さんの名前を知らないとは言わせませぬぞ~(笑)。

1981年にわずか46歳で早世されたが、もっと長生きされて健筆を振るわれていたら、今日のような惨めなオーディオの時代を迎えてはいないはずだがと、ときどき思うことがある。

それほどの存在感を示されていた瀬川さんが、息を引き取る間際になって「堕落してしまったオーディオ・・、昔の45とAXIOM80に戻りたい」と述懐された話を始めて知ったわけだが、実に興味深い!

何をもって堕落したオーディオと言われたのか・・、意味深ですね~。

これは憶測の範囲を出ないが、ご本人の意に添わないシステム、いわば売らんがために宣伝した「見せびらかし」オーディオの存在が背景にあると考えるのは見当違いだろうか。

ちなみに、「45」とは古典管「45」を出力管にしたアンプのことで、現在でも「AXIOM80」を鳴らすのには最適のアンプだと言われている。

そう、やはり瀬川さんには「大掛かりなシステム」よりも「AXIOM80」の方が相応しいと思いますね~。

で、この際「大掛かりなシステム」について話題を移そう。

前述の通り「H」さんからのご提供を受けて「You Tube」の「オーディオ愛好家」のサイトを観ることが多くなった。

誰もが羨むような豪華で巨大なシステムに「凄いなあ!」と思わず感嘆の声を上げるんだけど、その反面、個人の家庭で音楽を聴くのには「ちょっと仰々しいんじゃないかなあ・・」という思いも付きまとう。

巨大なシステムじゃないと出せない音があることは確かだけど、その一方では小型スピーカーじゃないと出せない音があることも事実なんだから。

たとえばボーカルにおける歌手の引き締まった口元をはじめ、シャープな音像は小型スピーカーの独壇場ではないかしらん。

どちらを選択するかはまったく個人の自由なんだけど、小型スピーカーを選択する方にセンスの良さを見出すのはブログ主だけだろうか~(笑)。

というわけで、もろに「我田引水」のもと、元旦からずっと聴き耽っているのがこの小型スピーカー「PL100」(英国:モニターオーディオ)。



ホントは見栄えがパッとしないので、デッカの「リボンツィーター」は置きたくないんだけど、素のままだと高齢者の耳には少し高音域の輝きが不足しているように聴こえてしまう。若い人の耳ならおそらく不要だろう。

そして、この「PL100」はクロス「2800ヘルツ」を境に別々のアンプで鳴らせるように設計されている。

そこで、2台のアンプで鳴らすか、それとも全体をまとめて1台のアンプで鳴らすか、大きな分岐点となる。前者では「周波数レンジ」の面で有利となり、後者では「ハーモニー」の面で有利となる。

当然のごとく、我が家では「ハーモニー優先」だから1台のアンプで鳴らすことになった。

その駆動するアンプがこれ・・、「WE300B」シングルアンプ(モノ×2台)。



「PL100」はインピーダンスが低負荷の「4Ω」、能率が「88db」と、圧倒的に高出力の「TRアンプ」向き仕様だけど、不思議なことにTRアンプと聴き比べてみると、この「WE300B」アンプの方が骨太で情報量が多く聴こえるのだから不思議~。カタログ数値は当てになりませんな(笑)。

で、左側のWE300B真空管は「1967年製」だけど(右側は1988年製)、ゲッターがすっかり無くなって、もはやいつ「お釈迦」になってもおかしくない状況だけど、はたしてどのくらい寿命が持ってくれるかという興味もある。

倉庫に保管していたのを思い出して、使い始めてから2か月ほどになるが、今のところビクともしないほどの丈夫さを誇っており、長寿命で有名な「WE300B」のことだから、ブログ主の寿命を上回る可能性もあって毎日がスリル満点~(笑)。

いずれにしてもこの「PL100」はアンプが良くなればなるほど、上手く鳴ってくれる「法華の太鼓」のような存在で目下のところ「痺れっぱなし」ですぞ~。

家庭でクラシック音楽を聴くのならこれで十分だと思うんだけどなあ~(笑)。

あっ、そうそう最後になるが前述した瀬川さん絡みの資料の中で「40ヘルツ以下の低音は要らない」という言葉があった。

周知のとおり人間の可聴周波数帯域は「20ヘルツ~2万ヘルツ」とされており、実際に低音を30ヘルツも出せれば御の字ではないだろうか。

ここで・・、拙い経験だけど「低音の処理」はオーディオの最大の課題ではないかと思っている。音の収束に優れた低音をどこまで出せるかに関係してくるが、出し過ぎると中高音域に被ってきて曖昧模糊とした音質になるし、その一方少な過ぎると「こじんまり」と、まとまりすぎてスケール感が失われる。

そのバランスが実に難しい・・、もちろん音楽ソースによりけりで一概には言えないけど、せいぜい「40ヘルツ」ぐらいで手を打つのが一番「賢い」かもしれませんね~。

ちなみに、この「PL100」の低音の下限は都合よく40ヘルツに設定されています(笑)。

以上、所詮は「迷える羊」(ストレイ・シープ)の身勝手な独り言です。反論・所感があれば歓迎します~。新春早々から「カウンターパンチ」を浴びるのも爽快でしょう(笑)。



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2025年版「このミステリが凄い!」

2025年01月05日 | 読書コーナー

昨年(2024年)の12月28日に帰省して、本日(5日)午前中に戻っていく予定の娘。今回は休日の日程が都合よく嵌って、9連休というパラダイスを満喫した様子。

「上げ膳据え膳」は言うに及ばず、日課のように午後から近くの公園で二周半のランニング、残りの時間はこれまで買い溜めたミステリを炬燵(こたつ)に入って読み耽っている。

そう、父娘そろっての大のミステリーファンなのである・・、残念なことにオーディオにはまったく興味がないけどね(笑)。

今年も「2025年版 このミステリがすごい!」を持って帰ってきた。



国内編と海外編に分けて年間のベスト20までが紹介されている。         

いつも上位で紹介されたミステリをチェックして大いに参考にさせてもらっているが、物事にはすべて「当たりはずれ」があるようにミステリも例外ではなく、下位の順位でも逆転現象があったりするので図書館でランク内の本を見かけたら借りることにしている。

とりあえず本書による「ベスト5」を記録しておこう。


<国内編のベスト5>(順位 書名 著者 得点)

1位 「地雷グリコ」 青崎 有吾 367点

大量得点による「ぶっち切り」の一位を占め、さらに日本推理作家協会賞と山本周五郎賞を受賞した今期を代表する作品。「人生はゲームじゃないの」・・、ギャンブル小説であり青春小説なおかつ超絶面白ミステリー集。


2位 「冬季限定ボンボンショコラ事件」 米澤 保信 132点

主人公は高校生のカップルで、ひき逃げ犯を追う過程で次第に事件に巻き込まれていく。

3位 「桧垣澤家の炎上」 永崎 恵美  119点

「相手の本質を見抜け」という亡き母(芸者)の教えのもと、妾の子供「かな子」がしたたかな生き様を展開していく。刊行直後から評判を呼んだ大河小説である。


4位 「少女には向かない完全犯罪」 方丈 貴恵 98点

SFまがいの特殊な条件設定の下で、犯罪解決にあたる男女のコンビの怒涛の展開。


5位 「伯爵と三つの棺」 潮谷 験 97点

時代設定はフランス革命直後、銃で撃たれた吟遊詩人(フランス)にまつわる謎解きが「四つ首城」のもとで展開されていく。


次に<海外編のベスト5>

1位 「両京(りょうきょう)十五日」 馬 伯庸 226点

著者は20年近い作家歴を誇る中堅作家で、短編集や随筆を含めると20作あまりの著作があるという。血湧き肉躍る冒険小説の醍醐味と、ミステリーの妙味を併せ持つ,全ての読書家を魅了する超大作だ。

 
2位 「ビリー サマーズ(上下)」 スティーブン・キング 194点

殺し屋の名前はビリー・サマーズ、凄腕の狙撃手として悪人ばかりを仕留めてきた。今回は、破格の報酬をもらって最後の仕事に取り掛かったが、そのうち奇妙な違和感に囚われていく。筆衰えぬ巨匠の犯罪小説!


3位 「死はすぐそばに」 アンソニー・ホロヴィッツ 189点

高級住宅地で起きた殺人・・、闇の部分が前面に出てきたホーソーン・シリーズ第5弾。


4位 「ボタニストの殺人(上下)」 M・W・クレイヴン 163点

連続毒殺事件と密室殺人に敏腕刑事が挑む


5位 「ウナギの罠」 Y・エクストレム 117点

我が国と料理法こそ異なるが、スウェーデンでもウナギは食卓に上る食材だ。ある秋の晩、強欲地主がウナギ漁用の箱型の捕獲装置の中で死体となって見つかる。奇妙な密室殺人の謎解きに主任警部が挑む。

以上のとおりだが、行きつけの図書館(3か所)はいずれも7日(火)が開館日なので、上記の本をメモって探してみよう。

否・・、むしろ、昨年(2024年版)のベスト5の方が狙い目かもねえ~。



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