「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

モーツァルト効果

2013年10月26日 | 音楽談義

一週間ほど前の10月17日(木)に我が家のオーディオシステムの試聴にお見えになったY先生から昨日(25日)になってメールが届いた。(抜粋)

「お伺いしたときにお聞きした Mozart Violin Concertos No. 3/5は教えて頂いた演奏者、指揮者の組合せでCD版とLP版がオークションで見付かり、両方とも入手しました。LP版も又違った味があって楽しめます。

クラシックは日頃あまり聴いていないので名盤ならではの味は分かりませんが、名演奏には違いないと思いました。ヴァイオリンには他の楽器とは違う肉声を感じます。」

経緯を説明しよう。出発点はY先生が我が家に持参された次の本である。

                  

この本の一節に次のような記述がある。(155頁~)

「JBL者の社長、ポール・ベンテがJBLの(最高機種の)エベレストD66000を設置したリビングで最初にかけた一枚は何だったのだろうか? と気になったので聞いてみると、すぐに立ち上がって取り出してきた一枚のCDがモーツァルトのヴァイオリン・コンツェルト3番&5番だった。」

なぜ、この曲目だったのかというわけだが、実に興味深い話なので少々長くなるが引用させてもらおう。

「耳鼻咽喉科医のトマティス博士による研究によると、人は生まれたばかりのときは完全な聴力を持っているが、成長する過程でひどく叱られたときの先生の声や嫌な思いをしたときの音、何か衝撃的なことが起こったときの雰囲気や人の声などに対して、耳はひとりでにその周波数をシャットアウトしてしまう習性がある。

いつのまにか知らない間に身体に聴こえていない音(周波数)の部分が出来てしまう。イヤだという思いを耳が体に入れまいとするからである。そのことが自律神経を正しく刺激しなくなり、具合の悪い箇所を呈してしまう。

トマティス博士はこの聴力の障害を回復するために音楽を用いる。そのため、人間の身体に影響を及ぼす音について、地球上のあらゆる音源を研究したのである。

風の音から水の音、各国の民族音楽、ジャズからポップス、バッハやベートーヴェンやワグナーなどを辛抱強く丁寧に試してみたのである。50年にもわたるその臨床と実験の結果、体に効果のある音は、何とモーツァルトただ一人だけであり、”モーツァルトの音楽でなければならない”という結論であった。(正しくはグレゴリオ聖歌とモーツァルト)」

そのモーツァルトの音楽の中でも顕著に効果があったのが「ヴァイオリン協奏曲の3番と5番」というわけ。これは大のモーツァルトファンにとって、実にうれしくなる話。

そういう経緯があって、Y先生から「モーツァルトのV協奏曲の3番と5番の名盤はどれですか?」と訊かれたので「不滅の名盤として今なお君臨しているのはコリン・デービス指揮、グリョミオー演奏のものでしょう」と、お答えしておいた。

そこで冒頭のY先生のメールにあったように、このコンビによるCD盤とレコード盤の両方を手に入れられたというわけで「いやあ、先生良かったですねえ!」

ただし、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は1番から5番まであるが、いずれも似たようなものでそれぞれの特異性はなく、すべてひっくるめてヴァイオリン協奏曲だとの思いをずっと持っているが、あの霊妙な美しさを湛えた5番の第二楽章は別格。

現在、手元にあるのはグリョミオーをはじめ、パールマン、オイストラフ、オークレール、クライスラー、ハイフェッツ、レーピン、メニューイン、ムターなど新旧入り乱れてのメンバーで、いずれも愛着があるが本書を読んだ後は“なおさら”のこととして毎日聴き耽っている(笑)。

ちなみに一説によると(モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は)6番と7番があると聞いたので、カントロフの演奏するものを購入して聴いてみたが、「これはとてもモーツァルトの作曲とは思えない。まったく似て非なるものだ。」との感を深くした。
           

 


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途方もない楽器の値段

2013年10月24日 | オーディオ談義

去る10月4日(金)に我が家に試聴にお見えになったYさん(別府)。

その時に「このほどパワーアンプをマークレヴィンソンに代えます。明日にも到着の予定です。」との話を伺った。

あれからおよそ2週間が経過したので、セッティングも終えてひととおり「慣らし運転」も済んだ頃合いだろうと、20日(日)の午前中にYさんに電話してみた。

「マークレヴィンソンの調子はいかがですか。よろしかったら、聴かせていただきたいのですが。」

「ええ、いいですよ。今からでも構いませんのでどうぞ」と、気持ちよく応諾してくれた。

クルマで10分ほどなので、すぐに到着。

           

           

「ヘーッ、これがマークレヴィンソンのパワーアンプですか」、と部屋に入るなりしげしげと眺めさせてもらった。以前は、たしかアキュフェーズのセパレート・アンプを使っておられたはず。

持参したCD「パガニーニのヴァイオリン協奏曲1番」(庄司紗矢香)、「エラ&ルイ」、「日本歌曲集」(米良美一)をさっそく聴かせてもらった。

それぞれに聴きどころがあって、順に「低音域の力強さ」「録音現場の雰囲気の再現性」「ブレス(息継ぎ)が明瞭に聴こえるか」といったところ。

マークレヴィンソンといえばプリアンプが有名で、その特徴は無色透明の一言に尽きるが、しいて言えばベジタリアン系の印象を持っている。このパワーアンプも血筋は争えずその傾向を受け継いでいるように思った。

我が家の「AXIOM80+真空管アンプ」のコンビとは随分傾向の異なる音で、これほどの音は滅多に聴けないと思うものの「いい音」と「好きな音」の違いを改めて考えさせられた。

ところで、Yさんは以前からフルートを吹かれているが、このほど「ノマタ」に特注してプラチナ製を新調された由。口当てのところに独自の彫り込みがしてあって世界に1台の代物だそう。

           

さっそく生演奏を聴かせてもらったが、もうウットリ!”ふっくら”として”粒立ち”や“音色”が良くて、こんな音はとても電気回路では出せない(笑)。

「いやあ、素晴らしい。生の楽器の音を堪能しました。ちなみにいったいどのくらいするもんですか。どうか参考までに・・・」

しばし、ためらわれた後に「クラウン1台分です。材質によってやはり音が違いますね」。

ウ~ン。

ちなみに先般亡くなったウィーン・フィルの首席フルートだったウォルフガング・シュルツのフルートもたしか日本製で800万円くらいする代物と聞いたことがある。

音楽にはいろんな楽器があってそれぞれピンからキリまであるが一流の楽器、たとえばストラディヴァリ(ヴァイオリン)ともなると億単位だし、ピアノもスタンウェイやベーゼンドルファークラスとなると1千万円は軽い。

こうした途方もない楽器の値段と比べると、オーディオシステムの値段なんてトータルとしても安いものである。

とはいえ、いろんな考え方があるのも事実。

極端に言えば次の二つに分かれる。

「どうせ“生の音”には及びもつかないのだからオーディオシステムなんかには期待しない。そこそこの音でいいんだからお金を突っ込むなんて愚の骨頂。」

もう一つは、「生の臨場感に少しでも近づいて、たとえ錯覚でもいいからうまく騙されたい。財力の許す限りシステムにどんなに投資しても惜しくない」。

後者の代弁をするわけではないが、昔の王侯貴族(ヨーロッパ)は自前の楽団や演奏家を抱えて音楽を楽しんでいたが、現代ではオーディオシステムがそれにとって代わっている。

一流の楽団として機能させ、それもオーケストラからボーカル、小編成の室内楽まで幅広いジャンルを家庭で十全に聴こうと思ったら、オーディオシステムにお金がかかるのは当たり前。楽器の値段に比べれば安い、安い(笑)。
 


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千客万来

2013年10月19日 | 独り言

秋も段々と深まりつつあって、実に過ごしやすい季節になった。当然のことながら人の動きも活発になる。

17日から18日(金)にかけて、我が家に相次いでお客さんがお見えになった。

17日の午前中が市内のY先生、その日の午後がAXIOM80(以下、「80」)の同好者のKさん(福岡)。そして18日(金)の午前中が超弩級アンプの製作者のMさん(太宰府)。

まずY先生から。

今年の猛暑の間はすっかり鳴りをひそめられていたご様子だったがつい2~3日前にメールが入ったばかり。いつぞやのブログで紹介したように70歳台後半、三菱重工業~大学教授を経て悠々自適の生活を送られている。

専用の地下室を利用しての木工や絵画、音楽と幅広く趣味を楽しんでおられ、豊富な社会経験に裏打ちされた人生の四方山話が実に楽しい。

「趣味に没頭するとどうしても道具が増えてしまいます。生前のうちにある程度整理しておくなんて話をよく聞きますが、遺品の整理をするのは遺族の勤めですよ。割り切って存分に楽しむことにしています。」

「いやあ、先生のお言葉を聞いて安心しました。死んだ後の道具なんて“野となれ、山となれ”ですよね。元気なうちに精一杯楽しむことにします。」

ちなみに持参していただいたのが次の本。

                 

背筋がゾクゾクしてきそうな本で、しばらくお借りして読後の感想をいずれブログに登載してみよう。

午後1時近くには予定どおりKさんがご来訪。「80」をグッドマンのオリジナル・エンクロージャーに収めてからは始めての試聴となる。さあ、試聴後のご感想はいかに。

「まだまだですね。80の実力はこんなものでありません。エージング不足を感じます。うまく鳴らすのに少なくとも3年は覚悟する必要がありますよ。」とKさん。

「80」はこれまで、ずっと周波数200ヘルツでローカットして聴いてきたので、低音域を含めたフルレンジとしての鳴らし込みが不足しているのは十分承知。その辺をズバリと指摘されてしまった。

オーディオ・システムの中でもスピーカーは別格的な存在でまるで楽器と同じところがある。ピアノもヴァイオリンなども含めてすべて楽器は馴染んでくるまでにどうしても時間がかかるがそれと同じことで、鳴らせば鳴らすほど音がこなれてくる。

この辺は消耗品そのもののアンプなどとはまったく性格が違うようで、システムにおいて改めて「王様と家来」の認識を深めた。まあ、そういうわけで我が家の「80」も気長に鳴らし込むことにしたが、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」(笑)。

「80」のあとに今度は「JBLの3ウェイシステム」を聴いていただいたところ、「いやあ、実にうまく鳴ってますねえ。375でこんなに艶やかなヴァイオリンを聴けるとは思いませんでした。」

現在「375+075」を駆動しているのは、小出力の2A3真空管シングルアンプだが、久しぶりに例によって「球転がし」をやってみた。

マルコーニ(カナダ)、RCA、そしてKさん持参の1枚プレートの稀少管「アクチュラス」。

             

古典管アクチュラス(刻印)が欲しいの一言だが、もはやどこにも売ってないとのことで残念。同じ2A3でもこう違うと考え込まざるを得ない。

Kさんとの試聴は5時間以上に及んだ。「ここに来るといつも時間を忘れてしまいます」。夕闇の気配が漂う中を「どうか、道中お気をつけてください」と見送った。

そして、最後に大宰府のMさん。あれは4年ほど前のことだっただろうか。

我が家で試聴していただいたときに「この音は間違っとる!」と血相を変えて怒鳴られたことがある。当時はサブウーファーを使って、「低音=命」みたいな鳴らし方をしていたときで、こうして面と向かって指摘されたのは始めてだが、むしろ清々しさを覚えたことだった。

いわば非常に正直な方なのである。

しかし、緊張するのも事実で、何だかお師匠さんに「これでいいでしょうか」と、恐るおそる答案用紙を差し出すような気になる(笑)。

はじめに「80」そして「JBL3ウェイ」を聴いていただいた。

「どちらも曇りのない音だね」との一言に、ほっと一息。

この機会だとばかり率直に伺ってみた。「どちらのシステムがお好きですか」

「80の雰囲気をJBLのスケール感で鳴らせるといいのだが・・・。オーケストラはJBL、ボーカルや室内楽などの小編成は80というところかな。」

「まったくその通りだと思ってます」と、自分。

さて、昨日の午後からはkさんの助言にしたがって「80」をなるべく日常的にエージングを進めるためにフル稼働させることにした。つまりテレビ視聴のときもアルテックを外して「80」で聴くことにしたわけだが、現在「80」を駆動しているのは名管「WE300B」アンプ(モノ×2台)。

いくらなんでもテレビの音ごとき(?)に1950年代物の「WE300Bオールド」を使うわけにはいかない。プリアンプの真空管「7308」だってそう。そうなんです、我が輩は本質的にケチなのです(笑)。

現在日本と非常に仲の悪い某国製の真空管をスペアとして持っていたので、これを挿してみることにした。「おっ、なかなかいけるじゃない。オリジナルじゃなくてもこれで十分だ」

ところが、2時間ほどぶっ続けで聴いていると、どうも耳(脳)が疲れてくる。これ以上どうしても生理的に受け付けない感じ。

「やっぱり、そうか」と、球を元に戻した。

WE300Bは太平洋戦争当時に軍事用通信管として使われていたこともあって長寿命で知られている。

現在手元にあるのは、1950年代製、1960年代製、そして1988年製の計3ペアだが、自分の寿命とを考え合わせてみると、耐用年数は十分お釣りがくる計算になる。

これじゃあ、今のうちにジャンジャン使わないと損をするなあ(笑)。


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フォーレの「ノクターン6番」

2013年10月17日 | 音楽談義

去る10月5日付のブログ「余禄」で取り上げたように五味康祐さん(作家・故人)が秘かにメモしていたという個人的なクラシック・ベスト20。

お忘れの方も多いと思うのでもう一度再掲してみると、

1位
 モーツァルト「魔笛」(カラヤン)  2位 ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」(アンセルメ) 3位 バッハ「平均律クラヴィーア曲集(ランドフスカ) 4位 「空欄」 5位 バッハ「無伴奏チェロソナタ第1番、2番」(カザルス) 6位 「空欄」

7位 バッハ「三つのピアノのためのコンチェルト」(カサドジュ) 8位 ヴィオッティ「ヴィオリン協奏曲」(ペーター・レヴァー) 9位 フォーレ「ノクターン6番」(エンマ・ボワネ) 10位 モーツァルト「フィガロの結婚」(カラヤン) 

11位 バッハ「ゴールドベルク変奏曲」(ランドフスカ) 12位 ミヨー「子どもと母のカンタータ」(ミヨー) 13位 「空欄」 14位 ベートーヴェン「ピアノソナタ第30番 作品109」(バックハウス) 15位 バッハ「パルティータ」(ランドフスカ) 16位 モーツァルト「弦楽四重奏曲第19番“不協和音”、17番“狩”(クロル四重奏団)

17位 ハイドン「弦楽四重奏曲第77番“皇帝”」(クロル四重奏団) 18位 ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」(バックハウス) 19位 ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」(フランチェスカッティ) 20位 シベリウス「ヴィオリン協奏曲ニ短調」(カミラ・ウィックス)

そして、このブログの終わりに次のように記していた。

「2位の「ペレアスとメリザンド」、9位の「フォーレのノクターン6番」、12位の「子どもと母のカンタータ」は残念なことにこれまで聴いたことがない。さっそく“HMVオンラインで注文”といきたいところだが、名演には違いないものの何せ当時のことなので録音状況が問題で、どうせ古いモノラル録音に決まっている。レコードならともかくCDで鑑賞するとなると、ちと考え込む。音質を無視して演奏をとるか、演奏を無視して近代のデジタル録音をとるか、実に悩ましい!」

散々悩んだ末に「エーイ、面倒くさい!」と、HMVに注文したのは結局、新旧2枚の「ペレアスとメリザンド」。アンセルメ指揮とハイティンク指揮のものだった。そして「フォーレのノクターン6番」(ハイドシェック)も併せて注文。「子どもと母のカンタータ」はとうとう見つからずじまい。

これら3組のCDがようやく昨日(16日)になって我が家に届いた。

           

さっそく、はじめにフォーレの「ノクターン6番」を聴いてみた。「ハイドシェック」(フランス)はあまり好みのピアニストではないが、検索してもこれだけしかなかったので仕方がない。

なかなか“しっとり”とした趣があって、いかにも玄人好みの曲だというのが第一印象。五味さんは対面する相手の印象を曲目のイメージで結びつけるのが習慣だったが、この曲目の一音、一音の響きが誰かの面影をなぞっていくのに適した曲風のような気がした。

こんなことを書いてもチンプンカンプンだと思うので、もっと分かりやすいように五味さんの著作「西方の音」の一節を引用させてもらおう。(14頁)

「対人関係で誰かに初めて会ったとき、彼(もしくは彼女)に似かよった音楽が不意に、彼の方から鳴り出してくることがある。私の人間評価はその鳴ってきた音楽で決定的なものとなる。たとえば或る男にあった。彼はファリアの三角帽子を鳴らしてきた。こんな程度の男なのか、と思うようなものだ。概して男性はまだいいが、女性となると、かりそめごとで済まない。直感はあやまたない、誤るのは判断だとゲーテは言ったが、当てにならない。一人の未知な女性が、目を見交わしたときフランクのヴァイオリン・ソナタを鳴らしてきたために、私はどれほど惨めになったことか。」

というわけで、この曲目が9位に位置付けられている理由とは当時、思い入れのあった女性との記憶が(この曲目と)いわく言い難く結びついているに違いない。

まあ、人がずっと記憶の中に留めておく曲目とはおおかたそんなところだろう。たとえば卑近な例だが青春時代にデートしていたときにたまたま鳴っていたり夢中になっていた曲がずっと思い出として残っていたりする。

それは非常に個人的な領域に属するものなので余人がとても立ち入る隙がないのはお分かりのとおり。

ちなみに、自分だって「ピアノ・ソナタ32番」(ベートーヴェン作品111)を聴くたびにある面影が浮かんでくる。おっと、これは誰かさんには内緒の話(笑)。

結局、そういうわけでフォーレのノクターンをひとしきり聴いてみた結果だが、五味さんご推薦の「6番」にはさほど興を覚えず自分の好みは「2番」だった。

次に、ドビュッシーの唯一のオペラ「ペレアスとメリザンド」に移ろう。

以下、続く。


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小説 「銀の匙(さじ)」

2013年10月12日 | 読書コーナー

昨日(11日)は午前中の雨上がりの中、久しぶりに「紙とインク」の匂いを吸わせてもらおうと図書館へ行ってきた。             

             

例によって3か所の図書館を巡って、興味が湧いたものをアトランダムに10冊選んだ。すべて新刊。

今回の注目の1冊は、(写真の)上段中ほどの文庫本「銀の匙(さじ)」(中 勘助著、角川文庫)。明治時代に書かれた本である。

この本にまつわる経緯を記してみよう。

およそ1か月ほど前の9月12日付朝日新聞の「死亡告知覧」(朝刊)に次のような記事が載っていた。非常に興味が持てたので切り抜いて保管しておいた。

灘中・高「伝説の教師」

橋本 武さん(神戸市の灘中学・高校の元国語教師) 11日死去 101歳

京都府生まれ。21歳から71歳まで教壇に立ち、小説「銀の匙(さじ)」を3年かけて読ませる独特の授業法で知られ、「伝説の国語教師」と呼ばれた。

「未来への果てしない可能性を秘めた多感な若者たちに文学を素材にした授業を50年間に亘って行うなんてとても素晴らしいこと。最高の職業である。こんな仕事にずっと携わっていたら心穏やかに101歳まで長生きできるはずだよなあ!」。これが、この記事を読んだときに思ったことである。

文部省が定めた教育課程にしばられない私立学校ならではの実践的な授業だろうが、爾来、教科書代わりになったというこの「銀の匙」を一度読んでみたいものだと思っていたので、今回、図書館の新刊コーナーでたまたま見つけたときはまったくラッキー!

本書の裏表紙に次のような解説があった。

「書斎の本箱に昔からしまってあるひとつの小箱。その中に、珍しい形の銀の小匙があることを私は忘れたことはない。その小匙は小さな私のために伯母が特別に探してきてくれたものだった。病弱で人見知りで臆病な私を愛し、育ててくれた伯母。隣に引っ越してきた“お恵ちゃん”。明治時代の東京の下町を舞台に成長していく少年の日々を描いた自伝的小説。夏目漱石が“きれいだ、描写が細かく、独創がある”と称賛した珠玉の名作。」

このところ“流し読み”のクセが身についているので、この本くらいは熟読玩味しなければなるまい(笑)。

さて、この「伝説の国語教師」にちなんで、似たような話としてつい思い出したのが“音楽の権化”五味康祐さんの著作の中の一節である。

「もし自分(五味さん)が音楽教師なら授業時間のすべてを使って“宗教音楽”を生徒に唄わせる」という“くだり”が、たしか「西方の音」「天の声」のどちらかにあったはず。

宗教音楽と言えば五味さんの場合に思い浮かぶのは「マタイ受難曲」(バッハ)か「メサイア」(ヘンデル)のどちらかなので、項目を目当てにこの二冊の本をザットめくってみるとすぐに該当箇所が見つかった。

                   

「天の声」の
100頁の中ほどにこうある。(抜粋)

「重ねて言う。(メサイアは)素晴らしい音楽である。私が中学校程度の音楽教師なら授業時間のすべてをこの“メサイア”第二部にあるいくつかの合唱曲を生徒に唄わせ続けるだろう。退職するまでそうして、私は、音楽教師たる天職をまっとうしたと思うだろう。」

「はたして自分が選んだ職業が正しかったのかどうか、もっと“やりがい”のある職業が別にあったのではないか」と、誰しもが晩年になって思うことだが、「人の心を動かす」という面からすると教育者というのは捨てがたい職業のような気がする。

「人づくりは国家百年の大計」とはよく聞く言葉で、教育の意義は極めて大きい。

つい最近のネットには「痴漢行為で中学校長を逮捕」「28歳小学校教諭、車内で14歳少女に淫行容疑」などとあった。

教職員の不祥事が後を絶たないようだ。いやはや~。


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朝飯前の仕事

2013年10月10日 | 独り言

このところ夜の8時半ごろに寝て翌朝の3時半ごろに目覚める「睡眠パターン」が続いている。

「えらい早く寝るんだなあ」と思われる向きがきっとあるに違いない。理想は夜11時に寝て翌朝の6時起きだが、どうも切り替えがうまくいかない。こういう早寝早起きでも睡眠時間は7時間程度を確保しているのでまあ、良しとしなければいけないのだろう。

作家の村上春樹さんを引き合いに出すのはまことに畏れ多いが、彼の執筆作業はいつも早朝の4時ぐらいからだそうで、ま、世の中いろんなタイプがあるとご理解していただこう。

さて、早朝の3時過ぎに目覚めてから何をするかというわけだが、隣近所が寝静まっている時に(騒音が迷惑だろうから)音楽を聴くわけにもいかず、仕方なくブログの作業に取り掛かっている。しかし、現在2日に1度の投稿ペースだから当然書き溜めになる。

ブログは公序良俗に反しない限りどんなに私的なことを書いても許されるわけだが、後になって「しまった!あんなことを書かねばよかったのに」と、思うことがたびたびあるので慎重を期してなるべくなら原稿を書いてからせめて一晩は寝かせることにしている。

そういうわけで、いつも前日書いた原稿を再度ザット読んでから「ま、これでいっか」となって、
ブログのup時刻はいつも午前4時過ぎとなる。

前回のブログ「戻ってきたアルテック403A」(10月8日付)もそういう流れだったが、末尾に「オット、ここで凄い名案(?)が浮かんだ」と、つい“付け足し”で書かせてもらった。

ホントに書いているうちに急に閃いたのである。パソコンを閉じるとすぐに取り掛かった。

朝の4時過ぎから、ゴソゴソとゴキブリ
みたいに室内を這い回る人間はきっと珍しいに違いないが、頭も新鮮、体もハツラツでヤル気十分。自分にとってはまさにゴールデンタイム(笑)。

                  

全体で2時間ほどかかったろうか。まったく「朝飯前の仕事」だった。

これまで長いこと使ってきたフォステクスのウーファーユニット「SLE-20W」から「アルテックの403A」に交換という荒業である。見た目も随分良くなった!

このエンクロージャーは自作だが、使い道が山ほどあってまったく楽しませてくれる。ちなみに内部空間の丁度真ん中辺りに厚い3センチほどの板の仕切りをガッチリ入れていて、上下二つに分けているが、同じアルテックの「403A」を2本使って鳴らしてみようという算段である。

特性が同じユニットを使って周波数を分けて鳴らすというのはまあ、理想的な分け方と言っていいだろう。

鳴らし方は次の3通りある。

 上部の403Aをフルレンジで(真空管アンプ)鳴らして、下部の403Aは200ヘルツでハイカットして(DCアンプ)サブウーファーとして使う。

☆☆ 上部の403Aを200ヘルツあたりでローカット、下部の403Aは200ヘルツでハイカットして両者を一体的に使う

☆☆☆ 上部、下部の「403A」2発をフルレンジとして1台のアンプで鳴らす

はじめにで聴いてみたが、これで十分というほどの仕上がりでこれ以上“いじる”必要性を感じなかったが、そこはマニアとしての興味があるので、☆☆も試してみた。

200ヘルツでローカットするとなるとLCネットワークの出番となってコンデンサーの登場となるが、コンデンサーは必要悪で音質に影響を及ぼすのでなるべく使わないに越したことはないのだが仕方がない。

これで鳴らしてみるととは雲泥の違いで、明らかにレンジが広くなって断然こちらの方が聴きやすい。やっぱりねえ~。

最後に☆☆☆
を試してみたいところだが、この低音域の403Aは我が家の本命である「AXIOM80」用のサブウーファー(200ヘルツ以下)としても活用しているので変えるわけにはいかない。ま、後日の愉しみとしてとっておこう。

ところで、手元にある「403A」8本をそれぞれテストしてみたところザザッと雑音がするものが2本、まったく音が出ないのが1本あった。いやあ、オークションで売れなくて幸いだった!クレームがついて面倒なことになるところだった。

ザザッという雑音についてはこれまでの経験からおそらくフレームの歪みによるコーン紙の変形に起因するものだろうと推察できる。この403Aは非常に簡易なツクリでフレームがお粗末なのが難点。

したがって、この2本についてはバッフルにがっちりネジ止め(4か所)してフレームの変形を矯正することにした。1か月もすれば良くなることだろう。

            

音が出ない1本については玄人の領域になるので、いつもの岡山の修理専門店行き~。

これで我が家のシステムは「アルテック2発」「JBL3ウェイ」「AXIOM80」となった。全体的に完成度が上がったと思っているが、はたしてどうかな~(笑)。


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戻ってきたアルテック「403A」3ペア

2013年10月08日 | オーディオ談義

先日「この前オークションで委託を受けて出品していたもののうち、落札が済んだ分の清算をしたいと思いますが、今日の午後はご在宅ですか?」と、オーディオ仲間のMさん(大分市)から電話

「ええ、おりますよ。本当はこちらからお伺いしなければいけないのに、わざわざ持ってきていただくとはありがたいです。」

今後まったく使う見込みのない不要になったオーディオ機器をぼちぼち整理しようと、オークションの代理出品をMさんにお願いしたのは8月中旬のことだった。

そのときにお預けしたのは、ジェンセンの1950年代のSPユニット「P8P」(ペア)、ヤマハのサブウーファー(ペア)、そしてアルテックのSPユニット「403A」(3ペア)。

アルテックの「403A」は4ペア持っていたうちの1ペアだけ手元に残しておいたわけだが、今回落札されたのはジェンセンとヤマハの分。予想以上にかなりの高値で売れて思わぬ臨時収入にホクホク。

しかし、アルテックはオークション市場でまったく見向きもされなかった。Mさんと相談の上、1セットづつ出品してもらったが最初は「28000円」で流したところまるで反応なし。次の2週目は仕方なく出品価格を下げて「25000円」にしたところ、これまた反応なし。

どうも人気が悪そうだ。このユニットは結構いい音がするのになあ。

購入したときはたしか1セット平均で30000円を下らなかったので泣きの涙。とうとう思い切って「18000円」のバーゲンセール。今度こそ落札者が出るだろうと思っていたら、これまた反応なし。フ~。

Mさんも「高い値段で購入されたそうですがお気の毒です」と、同情してくれた。こうなれば仕方がないと、とうとう泣く泣く「15000円」まで下げて出品することにしてもらった。

この話はひとまず置いといて、この日(3日)はMさんから清算代金を頂いた後に折角の機会なので我が家のシステムを試聴していただいた。

グッドマンのオリジナルエンクロージャーに「AXIOM80」を納めたシステム(「第三システム」)を聴いていただいたのは、今のところAさん(湯布院)だけで、先日のブログに記載したように大好評を博したわけだが、はたしてMさんはいかに。

「まったくオーディオ・システムの存在を意識させない音ですね。凄く自然な雰囲気を醸し出しています。こういう音は大好きです!」

Mさんはご自宅でタンノイ・オートグラフをレコードで愛用されている。プリアンプはマーク・レヴィンソン、パワーアンプはM・フィデリティのA級100ワットのコンビで凄くいい音で聴かれていて、これまでいろんなお宅でオートグラフを聴かせてもらったが、その中で自分が一番好きな音だと言っていい。そのMさんの折り紙が付いたわけだからうれしくなる。

それに持ってきていただいた試聴盤が実に良かった。タイトルは「エラ・アンド・ルイ」。

          

ジャズ史上に燦然と輝くお二人さんだが、さすがに“うまい”の一言でこれほど肩の力が自然に抜けてウットリと聴き耽ったCD盤も珍しい。これはたいへんな名盤。ジャズファンにはすでに周知のことだろうが。

ひとしきり試聴していただいた後に、次は旧来の「AXIOM80」(「第一システム」)を聴いていただいたところ、Aさんとまったく同様に「音の差は大きいですね、エンクロージャーでこんなに音が変わるものですか。AXIOM80が狭い中に押し込まれて何だか気の毒になりました。」とMさん。

「そうですね、よく考えてみるとAXIOM80が2セットも必要ないですね。旧来の分は入れ替えて別のユニットを納めることにしましょうかね」。

非常に思い出深い第一システムだが、これほど歴然とした違いを示されると未練も何も失くなってしまう。マニアとは用済みとなれば手の平を返したように冷たくなる人種のことである(笑)。

翌日の早朝からさっそくSPユニットの入れ替え作業に取り掛かった。はじめに、かねて用意していた補助バッフルにリチャードアレンの「ニューゴールデン8」を取り付けて聴いてみた。

「悪くはないんだけど、ちょっと音がSPユニットにベタッと張り付くなあ」。たぶんエンクロージャーとの相性が悪いに違いない。総じてイギリス系のSPユニットは(エンクロージャーの)えり好みが激しい。

次に取り付けて聴いてみたのが先述のアルテックの「403A」。手元に1セット残しておいた分である。

                    

明るく開放的でスカッと音が抜けきっていてさすがにアルテック。ジャズ・ボーカルなどは実にいい線をいっている。テレビ視聴などにはもってこいで、やはり自分の目に狂いはなかった!

同時に、こんなに素性のいいユニットを安値でオークション市場に出すのが何だかバカらしくなった。

急いでMさんに電話して、「403Aを売るのは止めました。3セットすべて引き取りたいのですがいいですかね」

「ちょっと待ってください。パソコンを開いて入札者がいるかどうか見てみましょう。(入札者が1名でもいるとオークション途中の停止は無理らしい。)大丈夫です、今のところ入ってませんのでこれから引き上げます。」

いやあ、売れなくてよかった、よかった!

「善は急げ」とばかり、さっそく4日(金)の午前中にMさん宅へ回収にお伺いした。

もちろんモノはついでとばかり、最新のシステムも併せて試聴させてもらった。

つい最近メリディアン(イギリス)のCDプレイヤー(セパレート型)を購入されており、いつものレコードとは違ってCDでオートグラフを聴かせてもらったが、これがまた実に惚れ惚れするような音だった。

内蔵のHPD385(38センチ口径)はとかくの噂があるユニットだがこういう音を出してくれるのなら、我が家のウェストミンスターも現在のD130(JBL)から入れ替えてもいいと思ったほどだった。

2時間ほど試聴させてもらってお礼を述べて、自宅に到着したのがお昼過ぎ。

           

な~に、3セットの使い道はいろいろある。

左右2~3発で鳴らすのも面白いし、先日のブログ「オーディオ予備軍の育成」(10月3日付)に記したように、若者のK君用として保管しておくのもいい。

オット、ここで凄い名案(?)が浮かんだ!


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余禄

2013年10月05日 | 独り言

去る10月1日(火)は月1度の検診日。

クリニックの待合室で診察の順番が来るまで何気なく備え付けの毎日新聞(朝刊)を手に取って読んでいると、第一面のコラム≪余録≫に目が留まった。つい先日亡くなられた作家「山崎豊子」さんの追悼記事である。

一読して、「おっ、これはブログの材料になりそうだ!」。

顔見知りの受付嬢にそっと、「たいへん勝手なお願いですがこのコラムの部分をコピーしていただけませんか?」と、平身低頭でお願いした。

「今回限りですからね、ほかの患者さんに分からないようにしてくださいね。」と、迷惑顔で渋々応じてくれた。どうも、ありがとさん。次回に行くときはお礼にお菓子でも持参しよう。仲良くなれればもっといい(笑)。

山崎豊子さんといえば医学界の腐敗をテーマにした「白い巨塔」をはじめ、商事会社の内幕を鋭く追及した「不毛地帯」、中国残留孤児問題を扱った「大地の子」などが強烈に印象に残っている。現代社会の病巣を鋭くえぐった話題作が多く、大半が映画化、テレビドラマ化されているほどの人気作家。

さて、≪余録≫の中に次のような箇所があったので引用させてもらおう(抜粋)。

『「あなたはおそらく生涯、原稿用紙と万年筆だけあればいい人なんだ。臆せず書くことですよ」。新聞社を離れた山崎さんへの週刊新潮の名編集者、斎藤十一の助言である。~中略~

常に時代を代表する話題作を世に送り続けた山崎さんが亡くなった。先の斎藤に言われた「藝術家に引退はない。書きながら柩(ひつぎ)に入るのが作家だ」との言葉そのまま、週刊新潮に「約束の海」を連載中の訃報だ』

山崎さんの話題はこの辺にして、実は興味があったのは文中に再三登場する「斎藤十一」氏のことである。この斎藤氏は、自分の無二の愛読書である「西方の音」(五味康祐著)の中で「S氏」として頻繁に登場してくる方である。

五味さんが浮浪者同然の時代に物心両面にわたって援助し、同時に当時は貴重品だったレコードを心ゆくまで聴かせてあげた人として広く知られている。後年、五味さんが「喪神」という作品で芥川賞を受賞されたが、まさに「育ての親」であり「恩人」とも言うべき方だった。

ずっと昔から五味康祐さんのような音楽の聴き方をしたいと憧れてきたので、つい懐かしくなって「斎藤十一 五味康祐」でググってみると、まさに≪余録≫ならぬ余禄≫で五味康祐氏が秘かにメモしていた愛好する曲目「ベスト20」なるものを発見した。

あまり世間に流布(るふ)されていないと思うので参考までにそれらの曲目を挙げてみよう。

1位 モーツァルト「魔笛」(カラヤン)  2位 ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」(アンセルメ) 3位 バッハ「平均律クラヴィーア曲集(ランドフスカ) 4位 「空欄」 5位 バッハ「無伴奏チェロソナタ第1番、2番」(カザルス) 6位 「空欄」

7位 バッハ「三つのピアノのためのコンチェルト」(カサドジュ) 8位 ヴィオッティ「ヴィオリン協奏曲」(ペーター・レヴァー) 9位 フォーレ「ノクターン6番」(エンマ・ボワネ) 10位 モーツァルト「フィガロの結婚」(カラヤン) 

11位 バッハ「ゴールドベルク変奏曲」(ランドフスカ) 12位 ミヨー「子どもと母のカンタータ」(ミヨー) 13位 「空欄」 14位 ベートーヴェン「ピアノソナタ第30番 作品109」(バックハウス) 15位 バッハ「パルティータ」(ランドフスカ) 16位 モーツァルト「弦楽四重奏曲第19番“不協和音”、17番“狩”(クロル四重奏団)

17位 ハイドン「弦楽四重奏曲第77番“皇帝”」(クロル四重奏団) 18位 ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」(バックハウス) 19位 ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」(フランチェスカッティ) 20位 シベリウス「ヴィオリン協奏曲ニ短調」(カミラ・ウィックス)

順位に空欄(4位、6位、13位)があるところがミソで、熟慮に熟慮を重ねた順位であることが推し量られるが、凡庸な音楽評論家などが及びもつかないような鑑賞力を持った五味さんが「魔笛」を1位に挙げておられるとは、まったく小躍りしたくなるほどうれしくなる。

(ちなみに指揮はカラヤンになっているが、カラヤン嫌いの五味さんのことだからおそらくまだカラヤン色が出ていないデヴュー当時の1950年録音盤に違いない。究極の王子(タミーノ)役としてアントン・デルモータ(テノール)の熱唱が光る名盤中の名盤である。)

           

このブログでも再三再四取り上げているように「魔笛」の魅力はどんなに語り尽くしても足りないほどで、このオペラにはモーツァルトの音楽のすべてが詰まっている!

「魔笛を愛さずしてモーツァルトを語ることなかれ」とは、調子に乗ってちと言い過ぎかな(笑)。

しかし、2位の「ペレアスとメリザンド」、9位の「フォーレのノクターン6番」、12位の「子どもと母のカンタータ」は残念なことにこれまで聴いたことがない。

さっそく“HMVオンラインで注文”といきたいところだが、名演には違いないものの何せ当時のことなので録音状況が問題で、どうせ古いモノラル録音に決まっている。レコードならともかくCDで鑑賞するとなると、ちと考え込む。

音質を無視して演奏をとるか、演奏を無視して近代のデジタル録音をとるか、実に悩ましい!



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オーディオ予備軍の育成

2013年10月03日 | オーディオ談義

家内の学生時代の親友にKさんという方がいる。宮崎との県境に近い県南のS市在住だが、その息子さん(仮にK君としておこう)が4年前に縁あって別府市内の公的機関に就職された。

地元なので爾来、折にふれ何かと相談に乗ってあげているが、今回は仕事がらみのアンケート調査の依頼ということで29日(日)の夕方、我が家にご来訪。折角だからと、夕食を一緒にした後で定番のオーディオルームへご案内。

ハキハキした20歳代半ばの好青年である。
詳しく伺ってみると、お母さんはママさんコーラスで活躍、お父さんは地元のブラスバンド部ということで、血筋は争えず我が家のオーディオシステムにも興味津々。

                  

「ジャズファン」とのことなので、JBL3ウェイシステムを中心にいろいろ聴かせてあげた。

「カッコいいですねえ。僕もぜひこういうシステムを持ってみたいです。どんなに仕事で疲れて帰ってきても、音楽に浸ると癒される気がします。」

よく伺ってみると、今の部署は猛烈に忙しくて毎晩10時近くまで残業とのことで、そりゃ大変。

手軽に楽しめる趣味の一つや二つは持っておかないと、長いマラソンレースの途中で息切れしてしまう可能性がある。オーディオはいったん揃えておくと、手軽にスイッチひとつで音楽が楽しめるのだからそういう意味では最適の趣味だろう。

ふと「この際だからK君にオーディオの楽しさを教えてあげようかな」という気が湧き起こった。

若い人への(オーディオの)啓蒙なんかこれまで考えたこともないし、そういう資格があるとも思わないが「そういえば昔、ヘンな“おじさん”がいていろいろ教えてくれたなあ」と、K君の記憶の片隅に残るのも悪くはあるまい(笑)。

それに衰退の一途を辿る正統派(?)のオーディオだが、音楽を通じて人生を豊かにできる趣味なので微力ながら予備軍の育成にも貢献したいところ。


「おじさんは長いことオーディオをやってきたけど、随分回り道をして今思えば無駄遣いをたっぷりしてきたからね。もし、オーディオに興味があるのなら、自分の経験を踏まえてあまり損をしないようなアドバイスぐらいは出来ると思うよ。」

「ぜひ、相談に乗ってください!」と真剣な“まなざし”。

とりあえず、K君はまったくのオーディオ初心者なので、音の入り口から出口まで機器ごとに詳しく説明したが、何せシステムが3系統もあって複雑なのでどれだけ理解してもらえたか、いささか自信が無い。

当面、K君にとって一番いいのは「理屈よりも実践」で簡単な入門機器を揃えて好きなジャンルを沢山聴くことに他ならない。きっと、そのうち自分なりの座標軸が見えてくることだろう。

そこで、この際我が家の機器の中で使っていないものを有効利用するのも一案。

そういえば真空管式のプリアンプ、パワーアンプ、そしてスピーカーが1セット余っている!

実を言うとオーディオ機器は要らないと思った物でも、後になると必要になることがあるので“うかつ”に処分しない方がいい。これは長年の経験から得た自分なりの教訓である。まあ、気が変わりやすいという本人の資質の問題もあるのだが(笑)。

したがって、システム一式をK君にそっくり差し上げるのはちょっと“ためらう”。それに、長続きするかどうかも分からない。

「ま、とりあえず1年間ぐらいこれで聴いてごらん」と期間限定で貸し与えて、アドバイスはそれからというのがベストの方法だろう。

しかし、何ごとにつけ“押しつけ”はよくない。今一度K君の本気度を確かめたほうがいい。意欲を持って自発的に再度訪ねてきたら対応してあげることにしようかな。

ほら「叩けよ、されば開かれん」(聖書マタイ伝第7章)という福音(ふくいん)もあることだし。


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