前回、アラントンハウスには鏡が多いと言う話をしましたね。
下の航空写真を見ていただくと、邸内に、陽のあたらない箇所が数多くあることが、容易にわかると思う。
二万四千坪…甲子園球場のほぼ二倍ある敷地は、林あり森ありで、様々な動物が住んでいる。
野ウサギ、キジ、リス、おこじょ(イタチの一種)、無数の野鳥、鷹や鷲、巨大なフクロウにモグラ、そして鹿など…
鹿は家の裏の森に住処があり、毎年、春になると親子で散歩している姿をみる。
しばらくすると娘たちバンビだけで散歩に出る。だけど、母さんから言われていると思う…
「変なおっちゃんがおるから相手しちゃダメよ」
しかし、ウブなバンビちゃんたち、興味津々で僕の部屋を覗く…
「…おっちゃん、何してんの?」
このアラントンハウスは、東京にある公益法人「五井平和財団」の全面的サポートを得て、ヨーロッパに於けるNGO活動の拠点として運営されている。
公益法人の資格は政府により厳正に審査されるので取得はかなり難しい。アラントンもそれに準じたスコットランドの資格を得ている。「チャリティ・ナンバー」と呼ばれるのがそれで、認可を受けるのは簡単ではない。NGO組織アラントンが、チャリティ・ボランティア団体として、政府からこの認可を得た時、その値打ちを知らなかった僕は、アラントンのスタッフが歓声をあげているのを不思議に思った。
この「チャリティ・ナンバー」を取得すると社会的信用度が断然違ってくる。取得してすぐに、地元ダンフリースの市長や警察署長からの挨拶があった。つまりアラントンは半ば公的存在だと認められたんですね。
アラントンハウスは、築二百年は優に越えるヴィクトリア時代の建築です(推定240年)。当時は豪勢な貴族が住んでいて、敷地は今の十倍はあったと言う。
ここで、彼我(ひが)の違い…英国の住宅事情を説明しておきましょう。
例えば、日本では…「家を建てるんです」「家を建てましてね」…こんな会話は珍しくないよね。
しかし、英国で、このようなコメントは、まず聞かない。なぜか?…
家は「既にあるものを買う」のが普通なんです。つまり、家はインフラ、社会資本だということです。木の家と石の家の違いも、これに影響している。
日本では年月を経た家の価値はどんどん下がるのが普通だけど、英国では、通常、古くなっても価値があまり下がらないんです。
特にヴィクトリア時代の家など、かなり人気があり、決して安くはなく、高価な物件も少なくない。
ついでに言うけど、日本人の間違い英語の筆頭が「ホテルのフロント」と共に「マンション」です。これは何度も述べてきたよね。昭和30年代に、無責任な不動産業者が勝手に名付けた。
「アパートよりかっこええ名前がないやろか?…そうや!マンションがええ」…で、日本じゅうのアパートがマンションになってしまった感がある。マンションは一戸建ての大邸宅のこと。2DKや3LDKのマンションなどあり得ない。アラントンハウスのような大邸宅がマンションなんです。
数年前だったかな?うちに初めて来た若いポストマンが、僕に郵便物を手渡しながら言った…「素晴らしいマンションですね」
日本のマンションを英語でいうとアパートメントです。
「ホテルのフロント」は、正しくは「レセプション」で、英語で言う「ホテルのフロント」は、ホテルの玄関、つまり建物の外です。ホテルのフロントで待ち合わせした外人さんは玄関の外で待ってるよ。
大阪の阿倍野にあった「ホテルエコー」…一階のロビーに入るとエスカレーターがあり、案内板に「フロントは二階にあります」とあった。ところが英語でも書いてあり「 Front of the hotel is upstair」…「ホテルの外は二階にあります」…なんじゃこれ?
僕の地元ダンフリースの街には、創業四百年以上のパブが何軒かあり、当時の建物を今でも維持している。そして、そこら中に、築二百年〜二百五十年の家があるよ。10年ほど前かなあ、街に住む一人住まいの婆さんを訪ねた時…「婆さん、この家も古いね」…ところが婆さん…「いや、ウマ、まだ新しいわよ。百年ぐらいじゃない?」もちろん、住宅開発業者による新築の分譲住宅もあるけど、古い住宅の「使い回し」がごく普通だということですね。家はインフラ…わかってもらえた?
アラントンハウスのようなビクトリア時代の大きな邸宅に住んでいるのは、例外なくお金持ちです。古い分、その維持管理にかなりのお金がかかるからです。我々は決して金持ちじゃないので維持管理は自分たちでやる。外壁の高い場所での修復作業など、クレーン車を借りてきて自分たちでする。
つまり、僕、ウマ自身は、NGO活動のお手伝いをするかたわら、家の維持管理、家の内外の修理修復、ガーデンでの野菜類の栽培・収穫、それに主夫として、毎日、結構忙しくしています。
一日の仕事を終えた夕べ…お香を焚き、レコードに針を落とすひとときが、至福の時間なのでございます…(急にお上品になっちゃったりして…)
「宵のひととき…脇に、ちべた〜いシャルドネをはべらせ、椅子に深く腰掛ける…漂い流れ来る音楽…その心地よい響きに、我、一人ため息をつく…」
わーい、ウマさんて、詩人かい?
ところで、あんた…「大きな家に住めていいじゃない…」と思ってない? …ところがね…
家の中でケータイが要るのでござるよ…「どこにおるー?」「ゴハンやでー!」
塔があるから城だと言った方がいる。塔のてっぺんからの景色は360度絶景です。
猫のマルコは森にあるモグラの巣で寝込んでしまったのか、朝帰りしたことがあるよ。
門限は9時〜5時だけど、守らないねえ、この娘…
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南スコットランド在住の「ウマさん」はこのブログの読者として、とてもありがたい存在である。
このブログに関してもメールをちょくちょく頂いており、もちろん抜かりなく、「ウマさん便り」として「カテゴリー」を設けて、その都度ご紹介させていただいているが、何しろ国際的な視野からの文面なので(ブログの)「彩」(いろどり)が豊かになって大いに助かっている。
しかも大好きな「大英帝国」ですからね~(笑)。
このブログの読者ならご存知のように、我が家のスピーカー群の9割方は英国製のスピーカーだが、そのサウンドを一言でいえば「思慮深くて気品のある音」に尽きる、明らかにどことは言わないけど他国とは違うようで・・(笑)。
その「ウマさん」から3日前にこういうメールが届いた。
「新年のご挨拶がかなり遅くなりました。
で、次のように返信。
「実はしばらく音信が無いのでご病気かも・・、と心配しておりました。結局アクセス不能ということでしたか、不幸中の幸い(?)でした。
たしか去る2日のことでしたか、「グー」(NTT系)がハッカーから攻撃を受けて閲覧不能となりました。こちらは半日後に回復しましたが、その余波が続いていると思います。早く良くなるといいですね。
ふと思いついたのですが、メールの交換ができるのですから、ブログをコピーして送りましょうか。
それほどには及ばないというのなら、別ですが・・。いずれにしても早くネット環境が回復するといいですね。」
そして、昨日になって待望の「復活」のメーが届いた。
「朗報です。インターネットの回線が復活しました。久しぶりに「音楽とオーディオ」の小部屋を嬉々として開きました。
ご心配をおかけしました。もう大丈夫だと思います。
で、元旦からのブログを一気に読ませていただきました。もっとも感銘したのは鎌田實医師のお話しです。
ネットで日本の週刊誌や雑誌を読めるようになって久しいですが、日本の高齢化者社会を反映した記事が目立ちます。病気の話、医者や病院の話、病気を予防する食べ物の話などなど…。しかし、玉石混交で、医者によって言うことが違ったりと、誰を信用して良いのか迷います。そんな中で、この人ならと常に信頼をおいてきたのが鎌田實さんなんです。
かなり以前、「人間には魔性の面がある」と、父親との確執を正直に書いておられたのを読み、この人は信頼出来るなと感じたわけです。彼のコメントを見て、凶悪犯罪者の過去を調べて見たら興味深い結果が出るのではと思ったこともあります。そのような人間が「音楽を愛し読書に励む」ことがあったのか? ですね。で、「音楽とオーディオ」の小部屋の主や僕などは、決して凶悪犯罪者にはならねえよなあ…と (一応) 安心?もするわけですね。
長野県の短命の村を指導し、長寿村に変えた功績は、そこらの医者では無理でしょう。なぜなら、鎌田實さんは、医療行為ではなく、生活の習慣や食事を指導することで、それを成し遂げた稀有な医者だからです。
医学部では食べ物と健康に関する授業はほとんどないと思います。しかし、健康の85パーセントは食事によると僕は思っているので、友人の医学部教授に「食と健康」の授業は必要だよとコメントしたことがありました。
ごく最近、中学高校同期で、とても仲良しだった人物と56年ぶりに連絡が取れました。音楽大好きな彼は、タンノイの「エディンバラ」をマランツで駆動していると、その写真を送ってくれました。そして70歳になってヴァイオリンを習い出し、現在、東京の武蔵野市市民交響楽団のメンバーと言います。嬉しいじゃないですか。で、早速、彼に「音楽とオーディオ」の小部屋のブログを紹介しました。」
さっそく返信~。
「ありがとうございます。それにしても復活してよかったですね! 実はホンネを申し上げますと、これで今まで通りブログのネタを提供していただけそうだと、内心 ほくそ笑んで おります(笑)。」
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この拙ブログに無くてはならない存在になっている「ウマさん便り」(南スコットランド在住)。
お便りをいただきだしてから早2年近くになるが、今ではオーディオ関係記事を軽く凌ぐ勢い(アクセス)になっているので、「庇(ひさし)を貸して母屋(おもや)を取られる」状態といっても過言ではない(笑)。
とはいえ、ブログ主にとっては「労少なくして功多し」なので、とてもありがたい存在である。
1週間ほど前に、「メリークリスマス」のコラム(万人向け)をいただいたものの、少し登載のタイミングが遅れましたがお許しください。
「メリークリスマス !」
さらに、渋谷駅周辺のあちこちに「ノー・ハロウィン」のポスターが貼ってある。毎年、大騒ぎしてケガ人まで出るんやね。これね、こっちの人が知ったらビックリ仰天するよ。
そもそも、渋谷に集まるそんな烏合の衆 (と敢えて言う) は、ハロウィンの意味を知ってるのだろうか?
世界中のゴルファーの憧れ、ゴルフ発祥の聖地セントアンドリュース…そのオールドコースは世界一の憧れのコースと言える。しかし、このオールドコース、日曜日はキリスト教の安息日で、なんと!お休み。ゴルフ場の日曜日って、かきいれ時じゃないの? やっぱり金儲けよりキリストの教え優先なんですね。
東京にいる次女のらうざ (ローザ) が三年ぶりにスコットランドに帰ってくる。歓迎せんといかんので、LEDのイルミネーションで 「ROZA」をこさえた。びっくりするやろなあ。
ちなみに、おとーちゃんが音楽を聴く部屋では、年がら年中、輝いてまっせ、イルミネーションが! …もう、毎日がクリスマスでございます。ルンルン気分でミュージックでっせぇ〜♫〜
ところで、あのLEDの光やけど、長いこと「青」だけは存在しなかったの知ってる? 世界中の専門家が試行錯誤したけど「青」だけは出来なかったんです。そんな「青」のLEDを日本人が発明して久しい。四国の中村さん、ありがとう!
ハイ、ありがとうございました。
ちなみに、ウマさんが最後に触れられていた四国の中村さんの青色LED開発の件です。
先年のこと、ノーベル賞受賞者となった彼のサクセス・ストーリーを読んだところ、次のようなこと(要約)が強く記憶に残っています。
「在籍していた徳島大学は地方大学のため非常に予算が少なかったので、開発の手順をコツコツと一からこまめに手掛けざるを得なかった。ところが、何とその初期的な段階に鍵を握る大きな発見があったのには驚いた。その点、予算が潤沢にあった他の大学や企業はお金に任せてその手順を省いていたのがネックとなって青色LEDの端緒を発見できなかった。まったく何が幸いするか分からない」
つい、我が家の「ビンボー・オーディオ」を連想しましたねえ~(笑)。
こちら(南スコットランド)のお葬式は教会で執り行われるが、その昔、驚いたことがあった。
教会に入った途端、びっくりや! なんと大音量でロックが流れているのよ。なんで?
葬儀で、故人の好きな音楽を流すことは珍しくないと知った。
僕がメルヘン爺ちゃんと呼んでいたヒュー爺さんは、星を観察しながらモーツァルトのソナタを聴く人だったので、葬儀では、ピアニストがずっとモーツァルトのピアノソナタを演奏していた。
それと葬儀では、必ずB5サイズほどのチラシが配られる。
故人の写真やプロフィールなどに加え、故人作の俳句が紹介されていることも珍しくない。
Haiku は、もう日本だけのものではない。
俳句の授業がある中学校があるし、毎年、師走に入ると、スーパーや本屋のカレンダーコーナーに、俳句カレンダーが並ぶ。まず、草書で書かれた俳句(もちろん縦書き)…それの読み方(ローマ字)…その意味…そして、七五調で英語に訳したもの…
ところで…
地元ダンフリースの市営ジムにはちょくちょく行く。ま、たまには筋トレもするけど、いちばんの楽しみはサウナ。銭湯大好き人間が、銭湯のない国で、せめて銭湯代わりに行くのが、ジムのサウナというわけやね。
いつだったかなあ…サウナで派手な花柄ビキニを着た婆さんと出逢った。
とても立派な体格に花柄ビキニ…いいじゃない!自分の体型を気にせず、派手な花柄ビキニを着用しておられる。
こんな方って、裏おもてのない方じゃないか?と、とても好印象を抱いたね。
ついでに言うと…
人間ってさあ、体形と年齢を気にするのが必要な場合と、それらを忘れていい場合があるように思う。
それらを気にして節制したり体力作りに励むのはいいことだけど、それらを全然気にすることなくやりたいことをやる…これもいいことだと思う。例えば…
僕の大好きな画家、堀文子さん…
100歳まで作品作りに励んだ彼女、ご自分の年齢を気にしたことないんじゃないかなあ。
69歳でイタリアへ移住、トスカーナ地方にアトリエを構える…(イタリア語は出来ない…)
77歳の時、アマゾン旅行、マヤ遺跡、インカ遺跡など探訪…
82歳の時、ヒマラヤ登山、念願だった幻のブルーポピーを探しに行く…(のちに作品となる)
どお? 年齢を気にしてたら、こんな行動ちょっと無理じゃない?
で、サウナの婆さん、自分の年齢と体型を顧みず、派手な花柄ビキニ…立派だと思うなあ。
挨拶を交わしてすぐ、その婆さん、僕に…「あなた、日本人?」
ええ、そうですと答えると、エライコッチャ、あんた、とんでもないことが起こったのよ…
いや、驚いた。
そのビキニの婆さん、僕が日本人だとわかると、もう、ニコニコ…
なんと、俳句を暗唱しだした。しかも日本語や!
「フルイケヤ〜…カワズ…トビコム…ミズノオト〜…」
もう、びっくり! 呆気にとられてしもた…
そして、僕は、彼女が語る「俳句が変えた人生」に惹き込まれてしまった…
学生時代は、バイロンやジョン・キーツ、ボードレールなどの詩に親しんだとおっしゃる。
だけど、エドガー・アランポーの詩にも惹かれたと言うので、あれ?と思った。
「エドガー・アランポーって、詩人じゃなく推理小説家じゃないんですか? ほら、モルグ街の殺人…」
「そう、でも、彼は素晴らしい詩人でもあるのよ」
「エドガー・アランポーが詩人? 初耳や。昔、日本の推理小説家が、自分のペンネームをエドガワ・ランポにしましたよ」
俳句を知ったのは、今から50年以上前、造船所に勤めていた御主人が事故で亡くなった頃だという。
落ち込んでいた彼女に、友人がくれた一冊の本が「俳句入門」だった。
そして、その本で、芭蕉を知ったことが大きな転機になったとおっしゃる。言葉の戯れごとだった俳句を芸術の域まで高めたのが芭蕉だった。芭蕉なくして俳句はない。
こちらの俳句ファンは、芭蕉をニックネームのバナナと呼んでいる。昔、僕の祖父が果物のバナナをバショウと言ってたのを思い出す。
ビキニ婆さんは言う…
その「俳句入門」を読んでるうちに、シンプルな表現の中に様々な感情が込められているのが分かるようになった。
そして次第に俳句に惹かれるようになり、とうとう自分でも俳句を詠むようになった。
すると、過去を振り返ることがなくなり、悲しみとサヨナラすることが出来たとおっしゃる。そして常に前を向くようになったとも…
俳句なくして今の自分はないとまでおっしゃる。
僕の友人の数学者で芭蕉の研究家として知られるロナルド・ターンブルを紹介してあげたらすごく喜んでいた。
後日、彼が芭蕉のことを書き、僕の書が掲載されたトレッキング雑誌を彼女に進呈することになる。
ほかに人がいなかったせいか、サウナで汗を拭きふき、随分話し込んじゃった。
別れ際、彼女の名前を尋ねた…
その次に彼女に会ったとき、彼女の名前を筆で和紙に書いたのをプレゼントした…
彼女の名前ティナのティを「茶」とし、古池のある奈良の「奈」を加えて「茶奈 (ティナ)」…
緑茶が大好きだと言うティナ、もう飛び上がらんばかりに喜んでくれた。そしてハグハグ、ハグ…ちょっときついハグだったけど…
PS: 僕の葬式のチラシに載せる俳句はもう決めてまっせ…
「…まあ、しゃーない、三途の川のお出迎え…」(季語なし)… 上田敏子さんや、これ英語に訳してくれへん?
僕には俳句を詠む素養はないなあ。学生時代、友人のK君と車で北海道へ行った。
札幌から旭川を過ぎ、最北端の街、稚内(わっかない)を目指した。途中、サロベツ原野で、雲にかすむ利尻島の利尻富士を望んで詠んだ一句…
「利尻富士…見えるかどうか…わっかない…」…K君、ドテッ!…
おあとがよろしいようで…。
最後に、ブログ主から~、
俳句じゃないけれど、文豪「スタンダール」(フランス)の墓碑銘は「書いた、愛した、生きた」と簡潔なものですが、もしかしてウマさんにピッタリじゃないかなあ。
ちなみに、ブログ主では「聴いた、読んだ、生きた」でしょうか。
読者の皆様も3語で己の人生を表すとしたらどうなんでしょう。
まさか「食べた、飲んだ、生きた」じゃないとは思うけど~(笑)。
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「I love you…」→「好かんタコって言わないでね …」
心斎橋・日本楽器のレコード売り場をウロウロしてた時に流れていた。思わず、おっ!…聴き惚れてしもた。で、売り場の人に「この歌ください」…ビリー・ホリデイのレコードを買ったのは、その時が初めてやった。で、毎晩、聴いてましたね。
調べてみると「また、会いましょう」だって。挨拶言葉かいな? しかし「I’ll be seeing you」に続く歌詞を訳すと「かつて尋ねた場所で、一日中ずっと、想い出を愛(いと)おしんでしまいそう…」…するとや「また、会いましょう」は、ちょっと違うよね。未来進行形として「私はあなたを見ています」も、なんかおかしい。以来、その適訳を考え続けて今に至っている。
そうそう、ある時、高校同期で、クラスでいっちゃん英語が出来た中村敏子嬢に尋ねたけど「う〜ん、ちょっとわからない」…そらそうやろ、歌の一節だけ取り出して訊くのは無茶だわ。
ところが、あんた、最近、ネットでググったら、なんと、素晴らしい訳を見つけた。
今まで何度か言ってきたけど僕は英語があかん。中学三年間、英語の試験で50点を超えたことは数えるほどやった。せやけど、和訳とか英訳とかは、人によって出来が違うからクリエイティブな要素があるやろ? だから、和訳とか英訳とかを「クリエイト」することには興味があるわけです。
スタンダード曲「I’ve got you under my skin」を「あなたはしっかり私のもの」と訳した方がいた。偉い! 世界的な空手ブームを巻き起こしたブルース・リーの「燃えよドラゴン」…この訳は、原題の「Enter The Dragon (ドラゴン登場)」よりはるかにいい。どお? 和訳・英訳にクリエイティブな要素があるってわかってもらえる?
エディンバラに住んでるジュリア…めっちゃ美人…
ま、そんなわけでね…しょっちゅうジュリアを思い浮かべて、つぶやくのでございます…「I’ll be seeing you」
もちろんビリー・ホリデイもいいけど、僕が、最近、よく聴いてるのが、ロサンゼルスのシンガー・ソングライター、Lauren Coleman (ローレン・コールマン)。彼女がギターの弾き語りで唄う「I’ll be seeing you」…下をクリックして聴いてみてね。ええよ…
南スコットランドの粋人「ウマさん」からメールが届きました。前回の「くちなしの花」の最終回です。
「いいですね、ストレート・ノーチェイサー!」
その方が口にした言葉に、思わず仰け反りそうになった。
確かに僕のウィスキーの飲み方はストレート・ノーチェイサーだけど、まさか、ジャズのスタンダードになっている曲のタイトルを彼が口にするとは思ってもいなかった。
ジャズの歴史における巨人の一人で、数多くの名曲を書いたのが、ピアニストのセロニアス・モンク。その代表曲の一つが「ストレート・ノーチェイサー」です。彼のそのコメントを聞いて、この方はジャズを知ってるなと思った。さらに、そのあと、彼が言ったことには膝を叩いてしまった。
「くちなしの花って、ほら、ビリー・ホリデイが、よく耳に飾っていた花ですよ」
そうか!あの花、くちなしの花だったのか。
ビリー・ホリデイはよく花を耳に飾ってステージに立った。そんな写真は数多く残っている。
僕は、店のマスターとそのお客さんに、なぜ、僕がこのバーに入って来たかを説明した。
「1970年春に、すぐそこの南青山4丁目に住み始めたんですが、その頃から、この石垣沿いにあるこの店の木のドアが気になってたんです。今、スコットランドに住んでるんですけど、実に久しぶりにこの街に来て、この通りを歩いてみたら、なんと、昔のままにドアがあるじゃないですか。いやあ、もう、驚くやら嬉しいやら…。それで少し迷ったんですけど、思い切ってドアを開けたんです。そしたら、素晴らしいバーだったんで、もう感激してしまって…」
「それは良かったですね。このバーの創業者が、周りに店などないこの地を選んだのは卓見だったと思います。私は知人に連れられて来たんですけど、中に入って目を見張りました。まるで船のキャビンですからね。人が人を連れて来る…創業者はきっとそう考えて、この場所を選んだんでしょう」
彼とは、ビリー・ホリデイや、そのほかのミュージシャンの話題でかなり盛り上がった。とても楽しいひとときだった。自分の考えを押し付けることもなく、僕の話をまばたきもせずに聞いてくれた。もちろん、上から目線など全然ない。そんな態度に、とても気遣いする方だと好印象を持った。
やがて彼が席を立ち「じゃあ、私はお先に。どうぞゆっくりしていってください」
「お相手してくださってありがとうございます。またいつかお会い出来たら光栄です」
すらっと僕より背の高い彼は、ドアのところで僕を振り返り、軽く手を挙げてくださった。僕は立ち上がって頭を下げた。
思いがけず楽しいひとときを持てたので、当然、マスターに言った。
「あのかた、かっこいいですねえ。すごくダンディーで言葉使いも丁寧で、しかも、とても気遣いされるので嬉しくなりました。彼、きっとモテるんじゃないですか?」
「ええ、そうなんです。彼のファンは多いですよ。でも、ここには誰彼なく連れて来ないですね。彼が連れてくる方は、どなたもいい方ばかりです」
「何をされてる方ですか?」
「う〜ん、いろんなことをしてきた人だけど、今は作家ですね。元々CMディレクターをしておられたけど、作詞もしてましたよ。近藤真彦って歌手知ってます? 彼のヒット曲で〈ギンギラギンにさりげなく〉ってのは彼の作詞です」
三代目だというマスターは、やや躊躇したあと、思い切ったように言った…
「夏目雅子ってご存知ですか?」「ああ、カネボウのポスターのモデルだった方ですね。懐かしいですね。砂浜での小麦色の肌、すごく新鮮だったのを覚えています。あのポスター、よく盗まれたんですってね」
「今の彼、その夏目雅子のご主人だった方です」
「エッ!?」
その時、僕は、その彼、伊集院静氏の名前は知らなかった。が、後年、週刊誌などに連載されていた彼のエッセイはよく読むようになった。常に、見識のある、しかも心遣いを感じる文章だった。
伊集院静氏は、昨年、2023年11月に逝去された。ご冥福を…
以上でした。
夏目雅子とくれば栗原小巻も思いだす・・、懐かしいですね。
昭和は遠くなりにけり~。
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粋人「ウマさん」(南スコットランド在住)から、久しぶりにお便りが届きましたのでご紹介します。
タイトルは「くちなしの花」
前々回の訪日だから、もう数年前のことになるかな。
東京で所用を終えたあと、時間があったので、昔住んでいた懐かしい南青山を訪れた。4丁目11番地の吉田さん宅の二階の四畳半に4年住んだけど、その家は跡形もなく、綺麗なファッションビルに変貌していた。
住んでいた当時から気になっていたことがあったので、外苑西通りから一つ西に入った通りに向かった。
この通りにはほとんど家がなく、人通りも少なく静かで、通りの西側には、やや傾斜した石垣が続いていた。
1970年春、この街に住み始めた頃、この通りを歩いて六本木へ行こうとしたことがあった。
しかし、途中で道に迷い、前を歩いている方に尋ねた。振り返ったその顔を見てびっくりや。なんと、伊丹十三さんなんです。彼は笑顔で丁寧に説明してくれた上「私もあっち方面へ行きますから、途中までご一緒しましょう」だって! 緊張したなあ。
「ヨーロッパ退屈日記、読ませて頂きました。とても面白かったです」
「ああ、あれ、読んでくれたんですか。嬉しいですねえ。ありがとう」
「美味しいスパゲティの作り方と食べ方、LとRの発音のコツ、それと、ジャガーではなくジャギュアですよ…は初めて知りました」
「あの本は、私の初めての本だったんですけど、最初ボツにされたんで、出版された時は嬉しかったですね」
その時の伊丹さんの装いは、迷彩服に編み上げブーツ…なんでそんな格好をしておられたのかな? 懐かしい想い出です。
さて、久しぶりの東京で、なぜ、石垣が連なるその通りを歩いたのか?
実は、その通りに、ポツンと、バーらしき店のドアがあり、ここはなんだろう?と興味を持ったのを覚えてたんです。いや、バーかどうかはわからないけど、とにかく、重厚な木のドアがあったんです。にじり口ほど低くはないけど、丸く弧を描くドアの上端は、僕の背丈ほどだった。当時、静かなその通りには、店などなかったように記憶している。
で、何年か振りで、その石垣が連なる通りを歩いたんだけど、あった! ありました。あの分厚そうな木のドアが、昔のままにあったんです。
いやあ、懐かしいなあ。縦に何列か鋲を打った厚そうなドアの上の方に、丸い船舶用の窓が、鉄格子と共にしつらえてある。
窓はうっすらとスモークがかけられていて、向こう側はよく見えないけど、ほのかに明かりが見えた。時間は午後7時過ぎ…バーを示す看板やサインがないどころか、なんの店かよくわからない。いや、店かどうかもわからない。
いったいこのドアの向こう側はなんだろう?興味をそそられるそのドアの前で僕は躊躇した。どうしよう?ドアを開けてみようか?
ドアは内側に開いた…
左右にカウンターが広がっている。やっぱりバーや。
カウンターの右のほうにバーテンダーとおぼしき初老の方がいた。カウンターの、向かって左側はL字型に折れていて、そこに一人の男性客がいた。オーセンティックなバーでは常連客の席はほぼ決まっている。だから僕は勝手に席に着くという無作法はしない。
「初めてお邪魔します」
僕の顔を見て、一瞬、怪訝な顔つきになったバーテンダーは「どうぞこちらへ」と、カウンターのほぼ中央の席を示した。怪訝な顔つき…やはり一見の客は入ってこないバーなんですね。
店内は船のキャビンを模したウッディな造りで、やはり船舶用のランプが、天井から、程よい明るさでカウンターを灯している。バックバーの棚を眺める…なるほどシングルモルトの逸品が並んでいる。
が、ボトルの数を誇る雰囲気がないのは好感が持てる。いいバーだなあ…その落ち着いた雰囲気に非日常性を感じた僕は嬉しくなった。音楽はない。大の音楽好きの僕だけど、時に、音楽がない静寂もいいもんです。
「何になさいますか?」「まず、ビールを少しください」
バーでビールを注文する時、僕は「まず」を付ける。つまり、他のものも注文しますよというサインですね。
で、すかさず「ラガブリンの16年をよろしく」…バーテンダーは、一瞬、僕の顔を凝視した。そして「どのように入れましょうか?」「スニフターグラスに注いでください」「チェイサーはどうしましょう?」「いえ、結構です…」
僕の反応に、バーテンダーがやや微笑んだように見えた。
バックバーの棚にスニフターグラスを見た時は嬉しかった。スニフターグラスというのはウィスキーの香りを楽しむためのグラスで、ワイングラスをかなり小さくして上部を内側に絞り込んだ形をしている。もちろんストレートで飲む。
ウィスキーをストレートで飲む場合、水をチェイサーとして飲むのが普通だけど、僕はあまり好きじゃない。舌や喉を程よく刺激するウィスキーの芳香を水で台無しにしたくないんだよね。
ラガブリン16年は、ウィスキー評論家として世界的な評価を得ていた、故・マイケル・ジャクソン氏が、ウィスキー年鑑で最高点を与えた、スコットランドのウィスキーの聖地、アイラ島のウィスキーです。アイラには二度訪れたことがある。
バーテンダーの僕を見る目つきが明らかに変化した…(この客、知ってるな…)
この一連のやりとりを自慢話として受け取ってもらうのは本意じゃない。いつもの僕の作法なんです。
さて、L字型カウンターの端にいる客のそのすぐ向こう側に、かなり大きな寸胴型の花瓶があり、いくつもの大きな白い花が、ほのかな灯りの店内に、可憐ではあるけど、何かしら自己主張をしているように咲き誇っている。
ラガブリンを僕の前に置いてくれたバーテンダーに「きれいな花ですね。なんて言う花ですか?」
「ああ、これですか…」バーテンダーが花の名前を言おうとした、まさにその時、その白い花のそばにいた客が「これ、くちなしの花ですよ」と告げた。
僕はバーにいるほかの客に声をかけることはまずない。同様に、まともな客ならほかの客に声をかけない。この人は、僕とバーテンダーのやりとりを聞いていて、ひょっとして僕に興味?或いは好感を抱いたのではないか?
そして、そのあと、彼とは、非常に興味深い話を交わす展開となる…
が、彼が直木賞作家で、後年、僕が、彼が週刊誌などに書くエッセイを楽しみにすることになるとは、その時は夢にも思わなかった。さらに、僕がとても好感を持っていたモデル兼女優が、彼の奥さんだったことなども、まったく知るよしもない…(以下、続く…)
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前回のブログ「イギリス人の おちょぼ口」と題して紹介したイギリス人気質について、いちばん詳しいのは長年日本人として現地に暮らされている「ウマさん」のはず・・、そこで、拙文の末尾に「ご意見をお聞かせくださいな」と、あつかましくも勝手に振ったところ、さすがに 筆まめ なウマさん・・、すぐにメールをいただきました。
ついでといっては恐縮ですが、この際最近いただいたお便りをまとめて「3題」紹介させていただきます。
☆ 「忍耐」
「ご意見をお聞かせくださいな」…と言うことだけど…
長年住んでて思うんだけど、英国人には、間違いなく忍耐強さがあると思うなあ。そして、それが社会的規範にまで昇華していると感じる。
どう言うことか?
例えば、スーパーのレジ(英語→キャッシャー)で客が並んでいる…
ある客がレジのおばちゃんの知り合いなのか、どうでもいい世間話をぺちゃくちゃやっている…並んでる他のおばちゃんたち、きっとイライラしてると思うよ。
だって人間だもんね。ところがや、文句を言うおばちゃんを見たことは今まで一度もない。これが僕の出身の大阪やったら…「ちょっとちょっと、あんたらええ加減にしなはれ!ンとにもう…」英国のおばちゃんたち、なぜ文句を言わないか? …「文句を言うのはハシタナイ」と言う社会的規範があるからとちゃうやろか?
何年か前の年末…僕の姉が大阪から来ていた時…
クリスマス後に二人で街に買い物に出た帰り…近郊では最大のランダバウト(交差点代わりの大きなサークル)に入った途端、車が動かなくなった。
年末、しかも夕方のラッシュ時で、何台もの巨大なトレーラーを始め、ひしめく多くの車で混乱を極めてしまった。姉が「押してみる」とは言うものの、僕の車は1.8トンもある。交通が完全に麻痺した状態の中、元中学体育教師だった姉の(火事場の)馬鹿ちからで、車をランダバウトの外に押し出すことが出来た。よかった。
帰宅後、姉が言った。「ウマなあ、あんな交通渋滞で大混乱やったのに、クラクションを鳴らす車が一台もなかったなあ」
「クラクションを鳴らすのははしたない」…英国人は忍耐強いと言うことですね。
そうそう、ブログの主どのも忍耐強いと思うなあ。だってさあ…
毎日毎日、取っ替え引っ替え、ああでもないこうでもない…かくもアンプやスピーカーをいじり倒す忍耐強さ!スゲェー
☆ 「ソプラノ歌手 レグラ・ミューレマン」
いやあ、癒されますねえ、レグラ・ミューレマン。
カラヤン指揮のオーケストラによる「ソルヴェイグの歌」は、時々聴いているようですが、そんな彼女にレグラ・ミューレマンを聴かせました。
すると…「癒されるなあ…」
☆ 「ヴァイオリンの名器」
「ストラディバリウス」「グヮルネリ」「アマティ」などの名器は広く知られてますけど、そのほかにも多くの名器があるようですね。
上記のシゲティの1724年製「ストラディバリウス」ズッカーマンの「カルロ・ジョゼッぺ・テストール」なども、うちのキッチンで鳴りました。ズッカーマンから、当時の金額で6千万円で譲ってもらったそうですが、後年、彼から返して欲しいと言われた木野は「ダメ!」(笑)
でいくらだった?「千二百万円!」ギョッ! 馬のしっぽが千二百万円?
以上、ウマさん・・、このブログに彩を添えていただき大変ありがとうございました!
南スコットランド在住の「ウマさん」からときどきメールをいただく。
いずれもが、気の利いた洒落に思わずにっこりするような微笑ましい内容なので、こういう人こそ「粋人(風雅を好む人)なんだよなあ・・」といつも思う。
幾つか紹介してみよう。
昨日(13日)の「ボーカルの再生」について
「小さな口を小さく説明しようとしましたが長くなりました」…笑っちゃった。こんな方には会って見たいなあ。
ご本人さんに言っといてください。スコットランドの田舎で、おっさんが笑ってます。
さて、ヴォーカルの口のサイズには、常々、かなり気になっています。やはり同軸ですかね。
僕の理想の口のサイズは、まさに、キッスしたくなるような臨場感を感じるサイズです。
そう、目の前に唇が見えるような…
音量にもよるけど、唇が3メートル先にあるか? 1メートル先にあるか?
キッスしたくなるような唇と声には、思わず…「も、もっと、寄ってぇ〜」
次に~「名盤サキソフォン コロッサスの呪縛」(11日付)から
…いわく言い難いような ” 微妙な感情の揺れ ” が訪れてくる…
まさに同感です。いい音楽にはこれがありますよね。その「揺れ」の瞬間に感動を覚えます。
かなり昔ですがNYCでロリンズ氏と握手したことがあります。
彼のアルバムはほぼすべて所有していますが、聴くたびに彼の手の温もりを感じてニヤッとしています。
コンテポラリー盤「WAY OUT WEST」に、カルフォルニアの抜ける空のような録音の良さを感じますが、「SAXOPHONE COLOSSUS」は、ニューヨークを感じさせるモダンジャズ史上の金字塔ですね。
次いで「ヒューマンエラーを防ぐ知恵」(9日付)について
いい本を紹介してくださった。
これ、久しぶりに「読まなければ」と思わせる本です。
ハルバースタム氏の著書、早速注文しました。ありがとうございます。
頭の良い偉い方が間違いを起こす事実は、歴史上、何度もありましたよね。
大学同期で外務省など国の機関に就職した優秀な友人が何人かいます。
僕がアフリカのタンザニアに所用で滞在していた時、日本政府のODA基金が正しく使われていない現実を見ました。大臣クラスの官僚が自分のポケットに入れてるんです。
「日本政府はありがたい」と、平然と僕に云うのには呆れてしまいました。こんな程度の低い人間が政治家をしている国から難民が先進国に押し寄せるのも無理はないとつくづく思いました。
で、そのODAの件を外務省にいる友人に伝えたけど、その返事にも呆れてしまったんです。「ODAを送ったら我々の仕事はおしまい。その先のことは関知しない」。で、思わず「人間としてどう思ってるのか?」と言ってやりましたね。
そして最後に「夜想曲集」について。
「いつも映画の最後のタイトルバックに注目する。まず監督、それからプロデューサーをチェックする。次いで音楽かな。魅力的な女優さんが出てる場合はその名前をメモしておく。
かなり昔の話だけど、映画「日の名残り(ひのなごり、The Remains of the Day)」を観た理由は、怪優?のアンソニー・ホプキンスと、英国の名女優エマ・トンプソンの共演という、この二人の組み合わせに興味を持ったからです。
貴族階級の豪奢な屋敷に仕える執事と女中頭との心の葛藤を描いた映画で、英国の上流階級の様子などもかなり描かれていた。スリラーやサスペンス、そして、アクション物が好きな僕にはかなり地味な映画だったが、しみじみとした余韻が残る良い映画だと判断した。
因みに、僕が今住む家は、中世の貴族が住んだ大きな邸宅だけど、僕ら家族が住んでいるのは、かつて執事やメイドたちが住んでいたテリトリーで、貴族たちが住んだ部分とははっきり分かれている。当時は豪勢な庭園があったけど、庭師の家は別にあり今でも残っている。
で、例の如く「日の名残り」のタイトルバックを見た。そして、まあ驚いた。その原作者の名前にびっくりしたんや。カズオ・イシグロ…誰や?これ?
日系人のようなので驚いたわけやけど、調べてみたら、なんと生粋の日本人や。七歳の時に家族と共に渡英している。さらに、原作の「日の名残り」が、英国最高の文学賞であるブッカー賞を受賞しているのにも驚いた。
シェークスピアやディッケンズを生んだ文学の故郷と言っていい英国では、ブッカー賞にノミネートされるだけでも凄いことやって聞いたことがある。じゃあ、とんでもない人じゃないか、カズオ・イシグロって。
余談だけど、ラグビー仲間だった山下夫妻と改発がうちに来たとき、一緒に寿司を食べた英国最高のラップ・ミュージシャン、ケイト・テンペストも、初めて書いた小説がブッカー賞にノミネートされた。彼女も、とんでもない才女です。
ま、そんなわけで、映画のタイトルバックで、カズオ・イシグロの存在を知ったわけやけど、その作品をいくつか読んでみた。
面白い。不思議なプロットで退屈しない。この先、どうなるのやら?とページをめくって、一気に読み終える。何か浮遊感を覚える作風だとも感じた。のちに、イシグロ氏が音楽に深い憧憬を抱いていることを知り、その作品の通底に音楽の流れを感じたりもした。
彼は、ボブ・ディランの影響を大きく受け、シンガー・ソングライターを目指し、デモテープを音楽会社に送ったこともあるらしい。ボブ・ディランがノーベル賞を受賞した翌年、カズオ・イシグロ氏もノーベル賞を受賞した。憧れの人の次に受賞したことに、本人はとても驚いたと言う。
そんなカズオ・イシグロ氏の初の短編集が「夜想曲集」です。
こんなにしみじみとする読後感の小説はあまりないと思う。プロットの設定が、ありそうでない、或いは、なさそうで実はある…とでも云えばいいのか? 絶妙としか言えない舞台設定なんです。その場にいるような臨場感さえ感じるイシグロ氏の巧みな描写力に驚嘆する。
ほら、覚えてる? 作家・丸谷才一氏の「星のあひびき」…その中に「短編小説は音楽と夕暮れによく似合ふ」と題した一項があり、イシグロ氏の「夜想曲集」が紹介されている。僕がもっとも信頼する書評家でもある彼の批評を一部紹介させていただく。
…このカズオ・イシグロ最初の短編集は、ミュージシャンが語り手の、音楽にゆかりのある話を並べる作り。
「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」といふ副題の通り、哀愁と抒情が基調だが、イギリス小説の伝統に従って喜劇性とユーモアを忘れず、むしろそのことによって憂愁の味を深める。その作風はなんとなくあの「もののあはれ」を連想させ、この日系イギリス作家の血にはやはり日本文学が流れていると思ひたくなる…
名翻訳家・土屋政雄氏の翻訳も素晴らしい。この「夜想曲集」のレビューをアマゾンで見た。概ね評価が高かったけど、この短編集の最初のストーリー「Crooner(クルーナー)」を、土屋氏が「老歌手」と翻訳していることに対し「クルーナーに老歌手の意味はない」と抗議している方がいた。
確かにその通りだけど、この物語を読み「老歌手」以外の適訳はないと僕は思った。ちなみに「クルーナー」というのは、男性歌手でクールな声でクールな唄い方をする歌手のこと。
フランク・シナトラをクルーナーの代表とする音楽評論家が多いけど、僕は、ジョニー・ハートマン(Johnny Hartman)こそ最高のクルーナーだと思っている。サブスクで聴いてみてください。納得してもらえると思う。
「老歌手」の舞台はベニスです。ラグビー仲間だった山下が「海外旅行で一番気に入ったのがベニスやった」とコメントしてたのを思い出した。
ぜひ、ベニスに行って「老歌手」の面影を探してみたい。イシグロ氏の巧みな表現で「老歌手」が狭い運河のどこで歌を唄ったか、大体のイメージは出来ている。
イシグロ氏の奥さんは、僕の女房と同じグラスゴー出身です。彼は、ギターを抱えて、ちょくちょくロンドンから電車に乗り、スコットランド西海岸沿いにある自分のコッテージにやってくるそうですよ。
スコットランドの海を眺めながらギターを奏でる作家っていいよね。柿の種でビールを呑みながらええ加減な文章を書いてる奴とえらい違いや。
カズオ・イシグロ初の短編集「夜想曲」(ハヤカワ文庫)…とても味わい深い五つのストーリー…
脇によく冷えたシャルドネなどをはべらせ、秋の夜長にぜひページを開いてみてください。エッ? 今、春か? ほんだら梅酒でもええなあ。」
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久しぶりに南スコットランド在住の「ウマさん」からメールが届きました。
以下、海外から見えてくる日本の独自性・・、独特の「ウマさんワールド」をお愉しみください。
作家の五木寛之さんが、昔、「ベテラン」を間違って「ベラテン」と読んでいた事があったとのこと。僕も、女優の「岩下志麻」を「イワシマシタ」と、勘違いしていたのを思い出す。
あなたが、日本の事情をよく知らない外国の方に「私のマンションに来ませんか?」と言うと、彼、びっくりするよ。そして「この人、金持ちか?」となる。そして、あなたの2LDKのマンションを訪ねて驚く。「えっ? これがマンション? …なんで?」
広すぎるのも困りものでっせ。毎日、家の中でケータイが要る。「今、どこにいるー?」「ゴハンやでー!」浮世離れしてるよね。…郵便配達のお兄さんが「立派なマンションですね」
すっかり日本語になった「マンション」だけど、正しく言うと「アパート」「アパートメント」或いは「フラット」になる。でも僕は、日本では、マンションのことを、アパートなどと言わず、やはり、 マンションと言ってる。
NHKも民放も「昨夜、港区のマンションで…」などとニュースで言ってるし、新聞や雑誌も常にマンションと書いている。つまり「マンション」も、日本では、やはり人口に膾炙(かいしゃ)している、いや「膾炙してしまっている」からです。もし、上記のニュースを正しい日本語訳で言うと「昨夜、港区の大邸宅で…」となり、意味が違ってくる。
どっかの不動産業者が「アパートよりカッコええ名前がないやろか? そうや!マンションがええ。大邸宅のことやけど、 かまへんかまへん、マンションにしちゃえ!」
で、高級分譲アパートや高級賃貸アパートを「マンション」と呼びだした。これを考えた奴、いや、考えた方の責任はとても重い。 だって、日本中に間違った名前を広めてしまったんやからね。
ここで思い出すのが「バランタインデー」のチョコレート騒動です。東京大田区のメリーチョコレートの社長の思い付きが、あっと言う間に日本中に広まった。「バランタインデーにはチョコ」ってのは日本だけの現象です。商売!大成功!この珍現象や、さらに、アホらしゅうて悲しくなるのが「ホワイトデー」…商売商売!
これらの思い付きに、日本中、踊らされてる事実に気がつかなければいかんと思うけどなあ。これらの現象は、まさに右に倣え主義で、戦争に突き進んでいった時代の日本人のメンタリティーが、今でも変わっていないことを示している。
ごく稀に、見た目を言うケースもあるけど、通常、「あの人はスマート」は「あの人は頭が良い、賢い」の意味です。これ、覚えててね。見た目じゃないの。洋画の字幕にもちょくちょく出てくるよ。「She is very smart!」…彼女はすごく頭が切れる…
広辞苑はやはり間違っている…「からだつきや物の形がすらりとして格好が良いさま」…広辞苑はこの項の冒頭に「スマート(smart)」と英語を添えているんや。だから「本来は頭が切れるの意味」を添えなければ、皆さん必ず誤解する。広辞苑ってスマートじゃないねえ。
その後、この「カツカレー」と言う名称は、間違った使われ方をしたまま一人歩きしている。相変わらず「カツのないカツカレー」です。「カツ」の意味をわからないまま使ってるのは明らか。こちらの人に「カツの意味はポークやビーフカツレツのことです」と言うと、皆さん「へえー、知らなかった」と驚かれる。単に日本風カレーのことを「カツカレー」と呼んでるのかなあ?
だから、皆さんがこちらのパブなどで「ポテトチップス」をオーダーすると、間違いなくフライドポテトが出てくるよ。クリスプスにもいろいろあるけど、代表的なものが、塩味、オニオン味、ビネガー味などです。ところが、最近、スーパーで「カツカレー味」を見た。一体、どんな味やろ? もちろん「カツ」の意味をわかっていないネーミングですね。
久しぶりに南スコットランド在住の「ウマさん」から長文のお便りが届きましたのでご紹介させていただこう。昨夜、Spotifyで、久しぶりにシドニー・べシェのクラリネットを聴いた。
便利な時代になったもんです。様々なミュージックをネットで聴けるなんて、実に有難い事だよね。
1920年代から活躍した黒人ジャズ・クラリネット奏者シドニー・べシェは、トランペット」奏者の「サッチモ」ことルイ・アームストロング同様、かなりの人気ミュージシャンだった。
ヨーロッパにも呼ばれ、彼の地でも人気奏者となり、何度もヨーロッパで演奏機会を持つようになる。
そして、1949年、とうとうお気に入りのパリに移住することを決意した。51歳だった。
ヨーロッパでは、ジャズ・ミュージシャンは芸術家として尊敬される風土があり、アメリカのように酷い人種差別もなかったので、多くの黒人ミュージシャンがヨーロッパに移住し活動の場とした。シドニー・べシェもそんなミュージシャンの一人だった。
彼が吹くクラリネットの、細かく震える独特のビブラートを、パリの知的マジョリティーが愛したんやね。
そして、シドニー・べシェの人生で最大の出来事が起こった…
52歳になったべシェ、なんと、17歳のパリジェンヌに恋をしてしまったのでござるよ。
愛があれば年の差なんて…、ええ歳こいて…なんて言ってるばやいとちゃいまんねん。えらいこっちゃ!でっせ。
彼は、親子ほど年齢差のある彼女に対するその想いを、如何に伝えたのか?
そう、べシェは、その溢れんばかりの恋心を、クラリネットに託して表現したのでござるよ。で、誕生した曲が「Petite Fleur」プチ・フルール…小さな花…
愛する17歳の娘を「小さな花」に例えたんやね。べシェが心を込めて作曲したこの「小さな花」は、後年、日本でも鈴木章治や北村英治など、クラリネット奏者が好んで演奏することとなる。
そして「可愛い花」の題で、あの「ザ・ピーナッツ」のデヴュー曲ともなったので、皆さん、聞いたことあるんじゃないかな?
おのおの方も、べシェの「小さな花」を聴くと「ええ歳こいて…」なんて言えなくなると思うよ。素晴らしい曲です。
あとで、べシェ自身の演奏による「小さな花」と、僕のお気に入りのフランス娘ララ・ルイーズが唄う「小さな花」のYouTubeを、おのおの方に送るんで聴いてみてね。
YouTubeのララの写真を見てると、べシェが愛した若きパリジェンヌって、こんな娘じゃなかったやろか?との思いがする。
ザ・ピーナッツ「可愛い花」も懐かしいね。これもYouTubeでご覧ください。
僕はパソコン操作に疎く、この三つのYouTubeを全部一緒に送る技術を今のところ持ってないので、一つ一つ別々に送ります。送った順番に見てくださいね。
PS: 実はね、ここだけの話なんやけどさ、僕も、ええ歳こいて、今、可愛い小娘に恋してまんねん。女房も公認で、一緒に暮らしてるんやけど、もう、彼女なしの生活なんて考えられないのよ。めちゃシアワセ…ウフッ…
ところがや…
この娘な、午前9時から午後5時までの門限は守らんし夜遊びが過ぎる。ほんで、時々、ちっちゃなモグラの赤ちゃんをくわえて家に帰ってきよるのよ。ほんでな、モグラの赤ちゃんを僕の前に置いて「ウマ!これでイッパイやってね!」だと! 困ったもんや、いやはや。
私も猫が好きです。ずいぶん栄養状態が良さそうですね(笑)。小窓の上の「9~5!」(9時から5時)に思わずアハハ・・。
で、肝心の「シドニー・ベシェ」のクラリネットです。さっそく「You Tube」で聴いてみましたけど、独特のビブラートに痺れ上がりました。
ずっと昔、こんな素敵なクラリネット奏者がいたなんて・・。
最高で~す!
前々回のブログ「イギリス社会入門」を投稿したときに、ふと閃いたのが「南スコットランド在住のウマさんからタイトルに関連したお便りが来るとうれしいんだけどな・・」。
なにしろ実際にイギリス在住の方からのお話となるととても参考になる。
ところが・・、これを「以心伝心」というのか、すぐにウマさんからメールが届いた。
「イギリス入門」…
面白そうですね。僕も、いずれ、そんな文章を書いて見たいですね。
「スコットランド在住のおっさんが見た英国」ってなタイトルになるかな?
親しい友達に貴族がいるし、毎日のように貴族の私有地を車で通るし、僕の目から見た貴族の存在などなど、書いて見たいことはかなりあります。
皆さん、きっと驚かれる内容になるんじゃないかなあ?
とりあえず、英国について書いた「ウマ便り」を添付しておきますが、すでにお送りしたかと…
PS: 感謝感謝! ローラ・ボベスコ女史のヴィオッティ 22番 素晴らしい!(美女だし…ウフッ…)
では、その「ウマさん便り」をご紹介。
「英国はイングランドではない」
初めてスコットランドを訪れたのは1980年の夏だった。
グラスゴーのキャロラインの実家で、弟のマーティンが、ある日、やや興奮して言った。「今夜、スコットランドとイングランドのサッカーの試合がある」
そして、ビールやらウィスキーやらポテトチップス(英語ではクリスプス、ポテトチップスはフレンチフライのこと)などをしこたま用意しテレビの前に座った…
いよいよゲームのスタート、ところがそのタイトル画面を見て僕は首をかしげた。「スコットランドvsイングランド」、これはわかる。が、そのタイトルの下に「国際試合」とあるんや。なんなのコレ? 「マーティン! なんで国際試合や?」
「当たり前や。イングランドは外国や!」「エッ? スコットランドもイングランドも同じ英国とちゃうのか?」 「同じ英国やけど、違う国や!」
英国が「連合国家」であることを知るのに時間はかからなかった。
英国は四つの国で成立している。「イングランド」 「スコットランド」 「ウェールズ」 「北アイルランド」…
この国は、歴史上、ケルト人、ローマ人、それにゲルマン人であるアングロサクソン人やノルマン人その他が入り乱れ、他の欧州の国々同様に、様々な王国を築き集合離散を繰り返してきた。現フランスのほとんどが英国の領地だった時代もある。
18世紀はじめにイングランドに併合されたスコットランドは、それまではれっきとした独立国家だった。だから、イングランドへの対抗意識や気風・気概は今に引き継がれ、スコットランド独自の法律や銀行制度(独自の紙幣を発行)、或いは教育制度や医療制度など、イングランドとは違う行政制度がある。さらに立派な国会もあるし首相も存在する。
「英国」と「イギリス」、この国を呼ぶのにこの二つの名称が日本にはある。ここらもちょっと事情をややこしくしているんじゃないかな。
「英国」は、ブリテン島と北アイルランドを示し、文字通り英国全体を現している。ところが問題は「イギリス」や。もともと「イングランド」が語源のこの言葉、
「英国」も表わすが「イングランド」を示す場合も多い。
だから僕は、英国全体を示す場合、イギリスという言葉は極力使わないようにしている。
さてここで、日本の学校の英語の授業をちょっと振り返ってみよう…
「英国は英語でイングランド、英国人は英語でイングリッシュ…」
僕は中学で確かにそう習った。いまでもこう教えている先生は多いんじゃないかな。でも、これ、明らかに間違いなんだよね。
イングランド人 → イングリッシュ
ウェールズ人 → ウェーリッシュ
スコットランド人 → スコティッシュ
北アイルランド人 → アイリッシュ
イングリッシュってのはイングランド人のこと。同じ英国人であるスコットランド人はスコティッシュであり、間違ってもイングリッシュとは云わない。もちろん、ウェールズ人はウェーリッシュでありイングリッシュじゃない。だから、英国人のことをイングリッシュと呼ぶのは間違いだってわかるよね。
英国には四つの国があり四種類の国民がいる(現実にはおびただしい移民との共生社会だけど)。この四国民を総称して、つまり英国人は「ブリティッシュ」が正解となる。
でも国籍を尋(たず)ねられた場合、「入管」など公的な場以外で自分のことをブリティッシュとみずから言う英国人はあまりいないと思う。「私はイングリッシュです」 「私はスコティッシュです」…が普通でしょう。
「私はイングリッシュです」と云う方を、この人英国人だと捉(とら)えずに、この人、イングランド人だ…と認識すべきでしょうね。
「英国人はイングリッシュ」、これが間違いだということ、わかってもらえました?
じゃあ「英国」は英語でなんと呼ぶのか?
英国の正式名称、実はコレ、世界で一番長い国名なんです。「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」
「グレートブリテンと北アイルランドによる連合王国」 コレ長すぎるよね。だから通常は「United Kingdom」(ユナイテッド・キングダム)と呼ぶ。
キングは王様、ダムは領地のこと、つまり、キングダムは王国の意味。だから、ユナイテッド(連合)とキングダム(王国)で「連合王国」となるわけ。これは御存知の方も多いでしょう。
これをさらに省略して「U.K.」となる。「英国はユナイテッドキングダム」、これが正解となります。もっとも慣習的に昔から「グレートブリテン」と呼ぶ場合も多いけど、正式名称ではない。
スコットランドで暮らす僕に、日本からの手紙のほか、時に、本や雑誌、あるいは様々な日本食材を送ってくださる方がかなりいらっしゃる。
手間隙(てまひま)かかる梱包(こんぽう)、そして決して安くはない郵送料…、非常にありがたいことだと、いつも心より感謝している。でもその郵便物を見ると、僕への宛名として、スコットランドのあとにイングランドと記入しておられる方が実は少なくない。つまり国名が二つ並んでいるんですね。
だから皆さん、僕に何か郵送してくださる場合(催促してるんとちゃうよ)、どうか宛名のスコットランドのあとに「U.K.」とご記入くださいましね。
いつだったか、大阪のラジオで、英国製紳士服地のCMを聞いたことがある。ナレーターが格調高い語り口でこうおっしゃった…
「イングランドの誇り…最高級ウール…それが〇×紳士服地…」
ところが、そのCMのバックに流れていたのはバグパイプなんです。もちろんバグパイプはスコットランドの誇りでイングランドのものじゃない。笑っちゃうよねコレ…
御存知だとは思うけど、UやKのあとに付いているピリオドは、省略の意味です。そこで思い出した…
大阪に置いてある僕の自転車は、自転車屋の友人が組上げてくれた特製です。で、彼、わざわざ、フレームに「U.M.A.」とレタリングしてくれた。
それは嬉しいんやけど、なんでピリオドが付いてるんや? ピリオドなんかいらん筈や。で、その理由を訊いた…
「コレなあ、Uは胡散(うさん)くさい、Mはマヌケ、Aはアホ。胡散臭(うさんくさ)いマヌケのアホ…」
…あ、あのなぁー…
さてさて、日本の英語の先生方! もうやめましょうよ。
「英国はイングランド、英国人はイングリッシュ」と教えるのは、ネッ!
と、以上のとおりでした。
さらに、今朝(16日)いちばんのメールがこれ。
いろんなオーディオ関連の記事を見るけど、「噴火炎上!」「♪人生いろいろ♪ 男もいろいろ」こんなコメント見たことない。後にも先にもこのブログだけやろ。もう、笑うてしまう。
やっぱりおもろいお方や、笑笑笑…
南スコットランド在住の「ウマさん」からお便りがありました。
「コロナのせいで自粛していたホリデーを四年振りで再開し、今、地中海はアドリア海に浮かぶ小さな島パクソスに滞在している。
こちらの人が、懐具合いに応じて地中海に出掛けるのは、ごく普通のこと。座席指定さえない激安航空が、ほんの2、3時間で、天気の悪いスコットランドから、太陽燦々の地中海へ運んでくれるんや。
おのおの方、地中海をお安く楽しんでいるウマさんが羨ましいかい?チッ、ちゅうかい?
ギリシャ領のこの島パクソスは、観光客誘致の為のインフラ整備など特にしていないせいか、その素朴さがとても快適な雰囲気を漂わせている。コートダジュールのカンヌやニース、モナコなどのスノッブなリゾートより、このパクソスのほうがよほど良い。
ビーチの美しさ、海の水の透明度の高さには目を見張ってしまう。それに、連日、雲ひとつない蒼穹の空。ま、この世の楽園と言えるかな。
ビーチに於ける僕の楽しみはね、何と言っても読書です。
今回携えた本は「音楽とオーディオ」の小部屋の主に教えて頂いた、ミステリーの蘊蓄?満載の「米澤屋書店」…..もう、めっちゃ楽しみでござるのよ。
そして、ワクワクニコニコしながらビーチに座った。脇にビールとワインをはべらせて…..
さ、さあ、読むぞー!
と、ところがや!
な、なんちゅうこっちゃ!
僕の読書の邪魔をする方がおるんや。それも一人や二人とちゃう!
腹が立ったんで、思わず叫びそうになってしもた…..
ちょっと!ちょっとちょっと!
オタクらええ加減にしなはれ!
そこら、ウロウロすんのやめてんか!
ト、ト、トップレスで!」
ということでした。
ウマさん、久しぶりのバカンスを大いに満喫してくださいね~。
それにつけても、南スコットランドから地中海へ ”一っ飛び” (ひとっとび)・・、日本でいえば九州から北海道へ行くような感覚ですかね(笑)。
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「ウマさん」(南スコットランド在住)からのお便りです。
「ケイト・テンペスト」
ラップミュージックって知ってるよね?
音楽に乗せて、速射砲みたいに詩やメッセージを歌う(語る?)んやけど、それ自身にメロディーはほとんどない。アメリカで生まれた音楽の一つのジャンルやと思うけど、この手の音楽、僕は苦手で、とんと興味はない。なぜか?
そもそも、言ってる内容がわからないと聴いてる意味がないからや。自分の奥さんのしゃべる英語がわからなくて聞き返すことは毎日のことです。そんな僕が、ラップミュージシャンの語る早口の英語がわからんのは当たり前や。
ほんでな、普通、音楽ってさあ、メロディ、リズム、そしてハーモニー、この三つの要素があってこそ音楽じゃないの?だから、歌詞にメロディーが付かないラップミュージックって音楽やろか?とも思う。
ところがね、そんな考えを根底から覆したのが、ケイト・テンペストなんです。2015年6月、世界最大の音楽祭、グラストンベリーフェスティバルで、数万人の前で演奏する長女のくれあをBBCの実況中継で観た。
その時、くれあのすぐ前で歌って(?)いたのが、英国、いや、世界的にも珍しい女性のラップミュージシャン、ケイト・テンペストだったんです。
テレビカメラが映す観客・聴衆の様子を見て僕はびっくりした。中高年が圧倒的に多いその広い会場で、なんと泣いてる人が少なからずいるんや。
僕にはケイトの歌ってる(語ってる)言葉の意味はわからない。でも、その内容が、聴衆の胸に響いている、いや、迫っている事実は十分理解出来た。
ラップミュージックというのは、韻を多く含んだ歌詞を、音楽、特にリズムに乗せて語る、ま、ダンス用ミュージックやろと思ってた僕に衝撃を与えたのがケイト・テンペストだったのね。
BBCのその映像を観てて、もちろん彼女が語る内容は理解出来なかったけど、僕は思った。この人、ラップミュージシャンとちゃう、詩人、いや、メッセンジャーや! 彼女の語る言葉に涙を流す聴衆は、間違いなく彼女のメッセージに心打たれているんやとも思った。
ラップミュージックは音楽とは言いにくいと云った僕やけど、数万人の聴衆を惹きつけ、さらに涙を流させるケイト・テンペストは普通じゃない。さらに、こんなミュージシャンって、そうそういるもんじゃないと、ある種の感銘さえ覚えた。ステージで彼女が語る(歌う?)その意味がほとんどわからないにもかかわらずですよ…
その後、ケイトと頻繁にワールドツアーに出たくれあが、彼女の価値を述べたことがあった…
「おとーちゃんな、本を丸一冊暗記してそれを朗読出来る人っておるか?ケイトはな、それに近いことをやってるんや。彼女が自分で書いた長い詩やメッセージは、社会、政治、経済、歴史、文化、恋愛、戦争、性、貧困、あらゆるテーマを含んでる。
それらを30分40分、ときには1時間近くぶっ続けで語るんや、いっさいメモを見ずにやで。わたし、毎回、彼女の後ろで伴奏してて、この人天才ちゃうかと思うねん」
詩人?ケイトが初めて書いた小説は、出版社の間で取り合いになり、結局、出版社間で入札したそうや。これ、前代未聞とちゃうか?そして、その小説は、英国最高の文学賞にノミネートされた。
とにかく言えることは、ケイト・テンペストは才女、いや、超才女だと云うことですね。さらに、ケイト・テンペストのCDは、毎年、英国で発売されるベスト50に必ず入ってるそうです。
いつだったか、ケイトがグラスゴーで公演したとき、僕やキャロラインを招待してくれた。開演前、会場のコーヒーショップでくつろいでいたとき、なんと、ケイトがわざわざ僕らのテーブルに来て挨拶したんや。これにはびっくりした。普通、スーパースターはそんなことせえへんやろ。その時、ケイトは僕の寿司の差し入れに、めっちゃ感激してくれた。
その後、縁があったんやろか、今や、世界的なカリスマメッセンジャーと言えるケイト・テンペスト、そんな彼女がアラントンを訪ねてくれた。もちろん、ウマは、お寿司を作りましたで。細巻きで書いた彼女のキャッチフレーズ「LOVE MORE」を見た彼女、もう目を丸くして、なんとウマにビッグハグやった。
この人は、間違いなく英国社会、いや、そのほか多くの国で、少なからず影響を与えていると思う。その証拠に、彼女が何か政治的発言をすると、必ずメディアが取り上げる。
2019年のグラストンベリー音楽祭で、ケイトはくれあだけの伴奏でパフォーマンスした。というのは、それに先立つヨーロッパツアーで、くれあだけの伴奏が、より自分を表現出来ると判断したようなんです。
で、今回のBBCの実況中継、巨大なメインステージは、ケイトとくれあだけだった。だから、くれあのアップが頻繁に出てきたんで、親としては嬉しかったですね。
そして、ケイトが大観衆に向かって「クレア・ウチマー!」と紹介した瞬間、大歓声が上がった。で、ウマはテレビ画面の観客に向かって叫んでしまった。
「クレア・ウチマのおとーちゃんはここにおるでぇー!」
いかんいかん、やっぱりミーハーおやじでござるなあ。反省自省…
BBC実況中継2019年グラストンベリーフェスティバル、くれあとケイト
南スコットランドからの寄稿「ウマさん便り」の「ミーハー交遊録」は盛況なアクセスのもと、残念なことに今回が最終回です。
それでは、まず「藤原紀香」さん…
神戸に住んでいた故ダンカンさんには、女房のキャロライン共々ずいぶんお世話になった。スコットランド人の彼とは、東京にある「日本スコットランド協会」が関西で催した会で知り合い、急速に親しくなった。
「ウマとキャロライン、おいしいビールを呑みに来ない?」 達者な関西弁を喋(しゃべ)る彼に、時々三宮に呼び出されたりした。もちろん彼が大阪に来た時もよく会っていた。いつも袖(そで)が擦(す)り切れたよれよれのジャケットに、同じくよれよれのネクタイ、靴もゴム底のドタドタ…そしてカシオの黒いプラスチックの安っぽい腕時計…
ある時、用事があって彼に電話をした。電話に出た女性が「リプトンティー・ジャパンです」と応えた。紅茶で成功したリプトンさんがグラスゴー出身のスコットランド人だというのは知っていた。ダンカンさんってリプトン紅茶にお勤めだったんだ…。で、「ダンカンさんをお願いします」そのあとの彼女の言葉には驚いた。
「会長は、ただ今、外出しております」 エッ?! ダンカンさんて、リプトンティー・ジャパンの会長?!あの擦り切れた袖のよれよれのジャケットを着ている人がリプトンティージャパンの会長? あとでキャロラインが云ってた。
「ほんとのジェントルマンって、もう格好なんて気にしないの…」
神戸の西北にある広大なスポーツパークで催された、日本スコットランド協会主催の、スコットランドの伝統行事「ハイランドゲーム」に家族一同で出かけたことがあった。
ジェイミーが三歳ぐらいやったと思う。ダンカンさんの娘で当時高校生だったあやちゃんが、同級生のお友達と来ていた。この二人、ジェイミーの面倒をよく見てくれたなあ。あやちゃんとはその時がきっかけでずいぶん親しくなり、日本スコットランド協会の様々な催しで、ダンカンさんやキャロライン共々いつもいっしょだった。
さて、時は流れ、六甲山をトレッキング中のダンカンさんが急逝(きゅうせい)し、その後キャロラインと子供たちはスコットランドへ移住、ウマがせっせと日本でアルバイトに精を出していたある日、そのあやちゃんから電話があった。
「ウマさん、わたし東京で結婚式を挙げたんですけど、地元の神戸でも披露パーティーをするんで来てくれませんか?」 キャロラインと子供達はスコットランドに移住したのでボクだけだけど…「ウマさんだけでもぜひ来てください」
ダンカンさんには本当にお世話になったので、せめてあやちゃんのお祝いの席には顔を出さんとあかんよなと判断した僕は、パーティー会場の、あの有名な北野クラブへ出向いた。
席に着いて驚いた。めちゃ驚いた! 僕のとなりのとなりに、なんと藤原紀香がいるんです。なんでここにあのスーパーアイドルが? もうウマさん、そわそわソワソワ…、アカン、やっぱりミーハーや…
やがて各テーブルに挨拶回りをしていたあやちゃんが僕らのところに来て藤原紀香に云う。
「紀香、ホラ、むかし、ハイランドゲームの会場で、交通標識の赤いコーンを頭からかぶってウロウロしてた男の子、覚えてる?」
「ああ、私がダッコしたあの可愛い子」
「そうそう、こちら、あのジェイミーのお父さんのウマさんよ」
だんだん思い出してきた…。そうや、あの時、あやちゃんといっしょにいて、ジェイミーの面倒を見てくれた同級生…。まさか、その高校生がのちに有名タレントになるなんて、そりゃ、あんた、夢にも思いませんよねえ。
藤原紀香とあやちゃんは、なんと幼稚園から大学まで一緒だったという。
ま、こうして、同じテーブルの紀香さんとはけっこう話が弾んだんです。
彼女と同じテーブルにいて感心したことがいくつかある。ウマと彼女の間に一人おられたせいもあるんやけど、テーブルが長方形だったので、紀香さん、いちいち身を乗り出し、顔を傾けてウマの話を聞いたり話したりするんや。ツンと澄ましたところなどまったくない。
このパーティー、圧倒的にあやちゃんと紀香さんの同級生が多かった。ところが、懐かしい同窓会みたいな雰囲気のこのパーティーで、紀香さんのほうから同級生に声を掛けてるのを何度も見た。
「ダレダレ、元気やった? 今、なにしてんの?」
ふつう、こんなスターは、ほかの方からワインなど注(つ)いでもらうよね。ところが彼女、ボトルを持ってほかのテーブルへ行き、ワイワイ言いながら元同級生たちに注(つ)いであげてんの。もちろん、ウマにも何度も注いでくれた。
アイドルやスターと一緒に写真を撮りたいのは皆いっしょだよね。ところが、紀香さん、自分が撮られたあと、「わたしが撮ったげるから、みんな並び!」 まるでスター気取りがない。
関西弁の藤原紀香なんて想像も出来なかったんで、あっと云う間に打ち解けちゃった。エエ人や。人気があるのがよ~くわかった。その昔、ジェイミーがあやちゃんの同級生にダッコしてもらった光景はよく憶(おぼ)えている。たしか写真も残ってる筈や。それが、まさか藤原紀香とは知らなんだよなあ、まったく。
で、ミーハーのおとーちゃん、さっそくスコットランドにいるジェイミーに電話をした。「もしもーし、おい、ジェイミー! ええか!よ~く聞けよ! 驚くなよ! 君なあ、三歳のとき、なんと、あの藤原紀香にダッコしてもらったんやで!」
ジェイミーの返事…
「ダレや、それ?…」
藤あや子さん…
2001年に英国で大々的に催されたジャパンイヤー…
その一環の音楽使節として、臨時に編成され、英国全土をツアーしたのが「アンサンブルトーザイ」だった。僕の旧知のヴァイオリニスト木野雅之を始めとする日本を代表する素晴らしいカルテットだった。
和太鼓をヨーロッパに広めたロンドン在住の廣田丈二、同じくロンドンで活躍するピアニスト藤澤礼子、そして、唯一(ゆいいつ)日本から参加したのが、若き尺八(しゃくはち)の名手、加藤秀和さんだった。
それから、数年後だったかなあ…、ある日、その尺八の加藤さんから思いがけない電話があった。
「ウマさん、今、大阪にいるんですけど、今週末、よかったらイッパイ呑りませんか」…そしてその週末、アラントンでも素晴らしい尺八を吹いてくれた彼と、難波は歌舞伎座すぐそばの地酒の店で、実に久しぶりに会った。
いやあ、久しぶりやねえ、どうして大阪へ?
「ウマさん、歌手の藤あや子って知ってる? 彼女の公演では、僕、かなり以前からずっとレギュラーで尺八を吹いてるんです」
エッ? 藤あや子って、いつも和服の、めちゃ別嬪(べっぴん)さんの演歌歌手とちゃうの?「そうそう、彼女の歌舞伎座公演が今日で終わって、今、スタッフたち全員が打ち上げしてるとこ。で、ウマさんに会うチャンスは今夜しかないんで、僕だけ抜け出して来たんです。でもね、彼女、お酒大好きなんで、スタッフとの打ち上げが終わったらここに来るよ」
エーッ!? ほんとぉー? ミーハーのウマ、もう、ドキドキやー…
そして夜10時半ごろ、和服のイメージとはまったく違う、ジーンズにTシャツ、眼鏡(めがね)をかけた御本人さんが現れた時は、もう、びっくりしてしもた。二十歳過ぎぐらいの女性と一緒に来られたんやけど、やっぱりめっちゃ別嬪さんや。
加藤さんが僕を彼女たちに紹介した。
「ウマさんと初めて会ったのはスコットランドなんです」
乾杯したあと、ひとしきり、スコットランドに関する話題で盛り上がった。
ところがや、すごく海外に興味があるというその若い女性、なんと、あや子さんの娘さんというんでびっくりしてしもた。こんな大きな娘さんがいるなんて、あや子さんの年齢を想像するととても信じられへん。もちろん、プライベートなことを訊くのは遠慮したけど、かなり若い時に結婚しはったんやろか?
お酒の好きなあや子さんは、歌舞伎座での公演がある時は、いつもこの店に来るそうです。なるほど、地酒の品揃えが素晴らしい。秋田出身のあや子さん、秋田の銘酒「飛良泉(ひらいずみ)」が大好きだとおっしゃる。いやあ僕も大好きですよ!と調子を合わせるウマは、やっぱりミーハーでござるなあ。
「私の公演には、加藤さんの尺八は、なくてはならないんですよ」
加藤さんをすごく高く評価されているんで、僕もすごく嬉しかった。
楽しくお酒をいただき盛り上がっていた時、加藤さんが云ったことには驚いた。
「ウマさんね、あや子さんはね、ほんとはロックが大好きなんですよ」
エーッ? 一瞬驚いた僕に、彼女もニコニコして云った。
「そうなんです。私ね、ロックが一番好きなんです」
ほんまかいな? いやあびっくりしてしもた! 演歌専門だと思ってたら普段はロックばっかり聴いているんだって!自分でロックっぽい曲を作ることもあるともおっしゃる。完全にイメージが狂てしもた。いつも和服の藤あや子とロック!?
化粧を落としておられたにもかかわらず、やっぱり綺麗な方やなあ。
でも、よくしゃべり、よく呑み、ぜんぜん気取らないその明るい性格は、僕が抱いていたイメージとは大いに異なっていた。娘さんとも、まるで姉妹みたいで、とても親子には見えなかったなあ。
人間ってね、会って話をしてみないとわからんもんやなあとつくづく思いましたね、その夜は…
ステージから降りた有名歌手の、その素顔に接っすることが出来た忘れられない夜となりました。加藤さん、また、呼んでや!
次に御登場の方も、まったくそう…、完全にイメージが狂いました、ハイ…
八千草薫(やちぐさかおる)さん…
革命前の不穏(ふおん)なイランで、慶応大学のイスラム学者K教授と知り合ったことが、女房のキャロラインさんが日本に来るきっかけとなった。来日直後は、千葉の田舎のK教授の実家にしばらくお世話になったが、その後、彼の妹さんが住む渋谷区代々木上原に引越し東京での生活が始まった。
ある日、キャロラインは、何かとお世話になっているK教授の妹さんに、ランチに呼ばれた。で、ついでに僕も誘(さそ)われたのね。
妹さん宅のダイニングキッチンには先客がいた。
その顔を見た途端、ウマは、もうビックリしてしもた。なんと女優の八千草薫さんなんです。K教授の妹さんのごく親しい友人だとおっしゃる。近くの代々木公園でテレビドラマのロケがあったので寄ったそうなんです。
いやあ、イメージが狂っちゃったなあ、この有名な女優さん。
八千草薫っていうと、なんか物静かで日本的、おしとやかなイメージがあるんだけど、ぜんぜん違うのこの人…。まあ、べらべら喋(しゃべ)りっぱなし笑いっぱなしなんです。キャロラインは、彼女のことなどまったく知らないからいいとしても、ウマはこの有名な女優さんを映画やテレビで何度も見てますがな。だから最初は緊張しましたよ。でも、すぐ打(う)ち解(と)けちゃった。
この女優さん、めちゃ面白い人なんや。日本語がまだまだ不自由だったキャロラインに、八千草さん、一生懸命英語を喋(しゃべ)ろうとするんです。ところがや、まあ、そのとんちんかんな英語に、自分でずっこけて笑ってるんです。
夏の暑い日だったので、食卓に冷奴(ひややっこ)が出てたのね。それを八千草さん、キャロラインに英語で説明しようとされる…
「あの、キャロライン、これね、ヒヤヤッコ、えーとー、そうそう、コールドヤッコ! わかる? コールドヤッコ!」 わかるわけないでしょうが…
そして、キャロラインに食べ方を説明される…
「ほら、生姜(しょうが)をね、えーとー、そうそう、ジンジャーね、ジンジャーをこう乗っけてね、それでね、えーとー、ウマさん、お醤油(しょうゆ)って英語でなんて言うの? そうそうソイソース、それでね、ジンジャーを乗っけたコールドヤッコにソイソースをこうかけてね…ベリーデリシャスよ!」
ま、こんな調子で、ず~っとしゃべりっぱなしでございましたねこの有名な女優さん…
でも、駄(だ)じゃれを言い、自分のずっこけ英語に高笑(たかわら)いされたりと、まったく気取りのないその人柄には、ウマは、とても好印象を持ちましたね。大好きや、こんな有名人…
さらに、いや、驚いちゃった。僕が大阪出身とわかるやいなや、八千草さん、突然、流暢(りゅうちょう)な大阪弁を喋り始めたんです。もう、びっくりしましたがな。彼女、なんと大阪出身だとおっしゃるんや。ぜんぜん知らんかった。
「エッ!ウマさん大阪? ほんま?」
大阪弁をしゃべる八千草薫…、K教授の妹さんも、目の前で大阪弁をペラペラしゃべる八千草薫さんに「ひとみ(八千草薫さんの本名)が大阪弁をしゃべるの初めて聞いたわ」と、もう目を白黒させておられましたねえ。
有名人のイメージって、ずいぶん違うことがあるんやなあと、僕はランチをご一緒して思いましたね。
K教授の妹さんが八千草さんをキャロラインに紹介した時
「キャロライン、こちら、私の親友のひとみよ」と、本名で紹介したもんだから、キャロラインは、八千草薫さんのことを、ずっと「ひとみ」って呼んでましたね。
で、キャロライン、「ひとみって本当に女優なの?」って、本気で疑ってた。
でもその後、何年も経(た)って、大阪の自宅のテレビで、ドラマに出演していた八千草薫さんを見たキャロライン 「あっ、ひとみ!」
やっと、彼女が女優だと信じたみたいですね。
以上、ウマのミーハー交友録でございました。
あのー…、ミーハーって、ダメ?