「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

ベートーヴェンのピアノソナタ「作品111」

2024年11月30日 | 音楽談義

「クラシック音楽がすーっとわかるピアノ音楽入門」(山本一太著、講談社刊)に、「ベートーヴェン晩年のピアノ・ソナタ」について次のような記述(95~96頁)があった。

          

~以下引用~


『ベートーヴェンは、1820年から22年にかけて「第30番作品109」、「第31番作品110」、「第32番作品111」のピアノ・ソナタを書き、これらがこのジャンルの最後の作品となった。

この三曲をお聴きになったことのある人なら、これが現世を突き抜けた新しい境地で鳴り響く音楽だとして理解していただけると思う。

とにかくこういう超越的な音楽の神々しさを適切に美しく語ることは、少なくとも著者には不可能なので、簡単なメモ程度の文章でご容赦ください。
ベートーヴェンの晩年の音楽の特徴として、饒舌よりは簡潔、エネルギーの放射よりは極度の内向性ということが挙げられる。

簡潔さの極致は「作品111」でご存知のようにこの作品は序奏を伴った堂々たるアレグロと感動的なアダージョの変奏曲の二つの楽章しか持っていない。ベートーヴェンは、これ以上何も付け加えることなしに、言うべきことを言い尽くしたと考えたのだろう。

こんなに性格の異なる二つの楽章を、何というか、ただぶっきらぼうに並べて、なおかつ見事なまでの統一性を達成しているというのは、控え目にいっても奇跡に類することだと思う。

もっとも、この曲を演奏会で聴くと、何といっても第二楽章の言語に絶する変奏曲が私の胸をしめつけるので、聴いた後は、第一楽章の音楽がはるかかなたの出来事であったかのような気分になることも事実だが。』

以上のように非常に抑制のきいた控え目な表現に大いに親近感を持ったのだが、「音楽の神々しさを適切に美しく語ることは不可能」という言葉に、ふと憶い出したのがずっと昔に読んだ小林秀雄氏(評論家)の文章。

「美しいものは諸君を黙らせます。美には、人を沈黙させる力があるのです。これが美の持つ根本の力であり、根本の性質です。」(「美を求める心」より)

いささか堅苦しくなったが(笑)、自分も「作品111」についてまったく著者の山本氏と同様の感想のもと、この第二楽章こそは数あるクラシック音楽の作品の中で「人を黙らせる力」にかけては一番ではなかろうかとの想いは20代の頃から今日まで一貫して変わらない。

とはいえ、ベートーヴェン自身がピアノの名手だったせいか、ハイドンやモーツァルトの作品よりも技術的には格段にむずかしくなっているそうで、標記の本では「最高音と最低音との幅がドンドン大きくなっている」「高い音と低い音を同時に鳴らす傾向が目立つ」といった具合。

言い換えるとピアニストにとっても弾きこなすのが大変な難曲というわけで、聴く側にとっては芸術家のテクニックと資質を試すのにもってこいの作品ともいえる。

以前のブログでこの「作品111」について手持ちのCD8セットについて3回に分けて聴き比べをしたことがある。

そのときのお気に入りの順番といえば次のとおり。

  1 バックハウス  2 リヒテル  3 内田光子 4 アラウ  5 グールド  6 ケンプ  7 ミケランジェリ  
8 ブレンデル

         

       

ちなみに、天才の名にふさわしいピアニストのグールドがこのベートーヴェンの至高のソナタともいえる作品で5番目というのはちょっと意外だけど、これは自分ばかりでなく世評においてもこの演奏に限ってあまり芳しくない評価が横行しているのだがその原因について先日のこと、音楽好きのオーディオ仲間が面白いことを言っていた。

『グールドはすべての作品を演奏するにあたって、いったん全体をバラバラに分解して自分なりに咀嚼し、そして見事に再構築して自分の色に染め上げて演奏する。モーツァルトのピアノソナタはその典型だと思う。

だが、この簡潔にして完全無欠の構成を持った「作品111」についてはどうにも分解のしようがなくて結局、彼独自の色彩を出せなかったのではないでしょうか。』


グールドの演奏に常に彼独自の句読点を持った個性的な文章を感じるのは自分だけではないと思うが、この「作品111」の演奏にはそれが感じられないので、この指摘はかなり的(まと)を射たものではないかと思える。

天才ともいえる演奏家がどんなにチャレンジしても分解することすら許さない、いわば「付け入る隙(すき)をまったく与えない」完璧な作品を創っていたベートーヴェンの晩年はやっぱり楽聖としか言いようがない



クリックをお願いね →      
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家の「ベスト1」はこれだ!

2024年11月29日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

いよいよクライマックスの「AXIOM80」の「オリジナル版」(旧)と「復刻版」(新)の聴き比べである。いわば「新旧の対決」といえる。

ちなみに、クルマなどは新型ほど走行性能や燃費に優れているに決まっているが、オーディオの世界は真逆である。たとえば真空管は古いものほどツクリも音もいいし、スピーカーだって古いものほどいい。

タンノイは、古い方からマグネットのカバーの色の違いにより「モニターブラック」 → 「シルバー」 →「レッド」→ 「ゴールド」の順に変遷してきているが、音質はその逆で古いものほどいいとされている。もちろん「お値段」の方も見事にそれに準じている。

なぜか・・、筆者が憶測するに当時は音楽芸術が今とは比較にならないほど重要視されていた、そしてそれを聴く道具もそれに呼応するかのように、コストを度外視して念入りに作られていた・・、これに尽きるんじゃないかな~。

これについて、ほかにご意見があればぜひお聞かせ願いたいですね。

余談はさておき、音出しをしてみると、いきなりデカい音がしたので慌ててプリアンプのボリュームを絞った。能率は明らかに「オリジナル版」の方が上ですね。マグネットが違うしコーン紙も軽そうなので当然かな。

「違いはどうですか?」

「ハイ、こちらの方が細かい音をよく拾いますね、微かな音の余韻が音響空間の彼方にス~ッと尾を引いて消えていく感じが何とも言えないです。音色そのものは変わりませんけどね・・」

やはり、オリジナルの方に一日の長があると感じられているご様子。個人的には、補欠扱いとして気楽に聴きながせるという点で「復刻版」の方が好きだけどね。

言い換えると、物事には「分相応」というものがある・・、いい加減な人間の「ブログ主」には「オリジナル」の音はあまりにも立派過ぎる・・、この音を失いたくないという不安が入り混じった畏怖感、そういう気持ちを抱かせる音ともいえる。

オーディオはどっちに転んでも難しいです(笑)。

ただし、「復刻版」を使っている方がわざわざ「オリジナル版」を買い直すほどの必要はないと思いますよ。ほんの「わずかな差」ですからね。

そして、次はアンプの対決といこう。スピーカーは「オリジナル」のままで、アンプを「PP5/400」から「WE300B」へ変更。

これは・・と、思わず絶句された。

「両方のスピーカーの間に見事なステージが出来上がって楽器の位置や奥行き感などの表現力が素晴らしいです。音に底力があって浸透力の方も違う気がします。やはりモノ×2台が効いているんですかね~」

「こんなに素晴らしい音は滅多に聴けないです。ウェストミンスターで補完する低音もまったく違和感がありません。この音ならどんなにつまらない音楽でも退屈しないで聴ける感じがします。お宅のオーディオはこれで完成したのではないですか!」

   

いやはや・・、ここまで来るのに紆余曲折を経て何と50年以上もかかりましたからね~(笑)。

なお、球そのものの比較、つまり「PP5/・・」と「WE300B」の能力差はまた別次元の話なのでどうか誤解なきように~。「モノ×2台」とか回路とか出力トランスなどの他の要因にも左右されますからね。

最後に同じアンプで出力管の比較をしてもらった。「WE300B」(1988年製)と「6A3」(シルヴァニア:刻印)の対決である。

「6A3は音像(被写体)のエッジがくっきりしていてなかなかの表現力です。それに比べて300Bのほうは被写体を含めて周りの雰囲気を上手く醸し出してくる響きに特徴があります。どちらを取るかと言われたら300Bでしょうか」

やっぱり、300Bか・・、やれやれ~(笑)。

以上、これで雌雄が決した。アンプは「WE300B」シングル、スピーカーは「80」のオリジナル版の組み合わせが我が家のベスト・コンビである。

あっ、そうそう「300B」真空管に関してつい先日「北国の真空管博士」とこういう会話を交わした。

博士曰く「300Bという球にはプレートの大きさ故に欠点があります、それは・・・です。したがって前段管に何を使うかが非常に重要になります。あなたのアンプに使っているエジソンマツダのSP〇〇はそういう意味で理想的な前段管です。この球で300Bを駆動しているのは世界中であなたのアンプだけですよ」(・・・の内容が知りたい方はメールください)



フッ、フッ、フ・・、毎日心ゆくまで「世界で唯一の音」を堪能しているところだが、こうなると「WE300B」に加えて英国版の「4300B」(STC)が欲しくなったなあ・・。

おっと、つい話が逸れてしまった。

二人して秋の好日に「80」に心ゆくまで酔い痴れたが、2時間ほど経ってから「仕事中を抜け出してきたのでボチボチ帰ります」とYさん。

「本日はどうもありがとうございました。理事長がまたどこかでサボっていると職員が噂しているかもしれませんね」「アハハ」~。



クリックをお願いね →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

両雄並び立たず~いざ決戦~

2024年11月28日 | オーディオ談義

昨日(27日)の夕刻、小雨交じりの中をウォーキングしていたら空に虹が浮かんでました。まるで我が家のオーディオを祝福しているみたいなので思わずパチリ(笑)。



さて、「両雄」という言葉を聞くと、中国古代の「項羽」(こうう)と「劉邦」(りゅうほう)の対決を思い出す。紀元前205年前後に、武勇に優れた「項羽」と、情に篤い「劉邦」が覇権を争ったが最後は「劉邦」が勝って漢帝国の始祖となった古事。

「ペンは剣よりも強し」(東大合格者数で有名な高校の校是です)の一例と言えないこともないかな。

あの有名な「四面楚歌」(しめんそか)という言葉は、最後の決戦「垓下(がいか)の戦い」で項羽側が立てこもった城を劉邦側(楚の国)から取り囲まれて四方から広がる「楚歌」を聴かされ「周りは敵だらけ」だと敗北を悟る諺ですね。

で、当のブログ主の「四面楚歌」とは・・、「家人、金欠、持病、高齢化」でしょうかね(笑)。

高校時代の「漢文」の時間で、劉邦が事あるごとに部下の参謀に対して「如何(いかん)せん?」(どうしようか?)と、「丸投げ」していたのが妙に記憶に残っているが、いずれにしても、この両者は「両雄並び立たず」の典型的な事例として紹介されることが多い。

で、前々回のオーディオ記事で「両雄並び立つ・・」と、有頂天のあまり書いては見たものの、やはり「並び立たず」が常識なので「雌雄を決する」必要がありそうですね~(笑)。

つまりスピーカーでは「AXIOM80」の「オリジナル版」と「復刻版」の優劣を決める、そしてアンプでは「PP5/400シングル」と「WE300Bシングル」の戦いに決着をつけるとしよう。

こういうときは、思い入れの無い第三者の冷静な耳を活用するに限るのでオーディオ仲間の「Y」さんに「判事役」を務めてもらうのがいちばん(笑)。

25日(月)の午後1時ごろ連絡してみた。

「お昼ご飯は済みましたか?」「はい、たった今済ませたばかりです」「眠気覚ましに聴きに来ませんか? AXIOM80の復刻版を復活させたのでオリジナルとの聴き較べです、いかがでしょう」「ハイ、今から行きます」

「AXIOM80」(以下「80」)が大好きなYさんのことだから、一つ返事なのは予想どおりだった(笑)。

はじめに、「復刻版」の方を聴いてもらった。

ここで、システムの流れを忘れないように記載しておくと、

「CDトラポ」(CEC TL3 3.0:ベルトドライブ方式) → 「DAC」(dCS:エルガー プラス) → プリアンプ「12AU7×2」 → パワーアンプ「PP5/400シングル」

100ヘルツ以下の低音域は、CDトラポとDACは同一(DACのバランスアウトから変換ケーブルで繋ぐ)、プリアンプ「E80CC×2本」 → パワーアンプ「TRアンプ」 → スピーカー「ウェストミンスター」(改)

音楽ソースは「女性ボーカル」を主体に「スパニッシュ・ハーレム」ほか

「とてもいいですねえ~。鮮度といい、ハーモニーの自然さといいフルレンジじゃないと出せない音です、そして独特の透明感は80の独壇場ですね。」と、のっけから大好評。

ちなみに、Yさんは圧倒的なフルレンジ派である。

曰く「周波数帯域の主要な部分(およそ200~7000ヘルツ)にマグネットの違うユニットを混ぜ合わせるべきではないです、そもそも音色が違うんだから~。

また、コイルやコンデンサーを使うと音の鮮度が落ちます、さらに「チャンデバ」ともなると内部に音を不自然に加工する素子がいっぱい詰まっているので、それ以上に「××」です」

あくまでも個人的なご意見なので気にしないようにね(笑)。

20分ほど聴いてもらってから、スピーカーを「オリジナル」に変更した。いよいよ雌雄を決するときがやってきたようだ・・。

以下続く。



クリックをお願いね →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「AXIOM80」で広がる交流の輪

2024年11月27日 | 独り言

ブログで勝手気ままに情報発信していると、全国津々浦々の見知らぬ方からメールをいただいたりするのでとてもありがたく思っている

とりわけ希少なスピーカー「AXIOM80」繋がりで、交流の輪が広がるのは引退して閉鎖的な身分にとってはたいへんうれしいこと。

このほど、「あなたのブログに触発されてAXIOM80を手に入れました」という方からメールをいただいた。仮にHさんとしておこう。なんでも、大先輩にあたるオーディオマニアを拝み倒して手に入れられたという。



手前味噌になるけど、数あるスピーカーの中で「AXIOM80」に目を付けられるとはまことに「慧眼(けいがん)の至り」だと思いますよ。

どなたかのブログに「傾城(けいせい)の美女」(「楊貴妃」のこと)ならぬ「人生を狂わせる傾城のスピーカー」という言葉がありましたが、いったんその魅力に嵌ると、それがけっして大げさな表現ではないことがわかります・・。

「それは良かったです、一生ものですよ。」と、素直に喜び合ったが、ただし、鳴らすコツとなると一筋縄ではいかない・・、要は「箱のツクリ」と「アンプ」さえマッチすれば攻略できると思うが、やはりある程度の試行錯誤が必要でしょう。

というのも、うまく鳴らせないまま諦めて手放す事例もよく見受けますのでね・・、とりあえず「愛情」と「根気」という月並みな言葉を捧げておきます(笑)。

そして、突然そのHさんから次のメールが飛び込んできた。

「今日は、ご在宅ですか。クロネコ便が午前中には行くかと思います。試食程度の少量です。同じ米でも味が合わないと無駄にもなりサンプル程度になります。すみませんがAXIOM80をゲットしたきっかけのお礼ということです」

エ~ッ、お米をいただけるんですか! いくら少量でもタダで頂けるんですから文句を言ったらバチが当たりますよね(笑)。



実際に届いたのがこの画像だけど、まことにありがとうございます! さっそく食味しましたが新米だけにたいへん「美味」でした。

お返しに、さっそく「種なしカボス+生しいたけ」を送りました。少量ですけど勘弁してくださいね。



昨日(26日)の午前中に届いたそうだが、奥様に喜んで頂けたようでホッとひと安心。

「これからも付かず離れずでよろしくお願いします」と、メールにあったがさすがにオーディオのベテランだけあって「交流が長続きするコツ」を、よくわかっていらっしゃる(笑)。

そして、「AXIOM80」繋がりでもう一件~。

「神戸ファッション美術館」のHさんから、昨日(26日)メールが届きました。

「毎日のブログ、楽しく拝見しております。

〇〇さんと違って、私はAxiom80の完全キャビネット無し、完全フローティングマウントでの音出しの追求を続け、先日新しい実験のためにベリンガーのアナログ2ウェイチャンネルデバイダーを購入し、減衰が始まる200Hzでのクロスオーヴァー、ウーファーボックスのドローンコーンへの改造、ウェルフロートボードを購入したのでSP全体のフローティングなど実験前夜という感じです。

実験が遅れているのは、この2か月籠りきりで以下の展覧会の準備をしていたことが原因です。

30年間の構想がやっと形になったと思っています。

11月23日「ファッション写真が語るモード」展がスタートしました。

写真230点、ドレス50点、小物・書籍、映像等20点の計300点のフルサイズ展覧会です。

ファッション写真が語るモード展は、

①映像を含めたファッション写真展

②世界最高のドレス展

③マネキン展(H作)

の優れた3つの展覧会が共鳴し、補完し合うことによって、ファッション(人間の営み)を眼前に出現させる展覧会だと考えています。

①と②だけでは、人が服を着ること、ファッションショーの感動が不足します。

なので、自慢じゃないですが、③私という存在は意味を持つと考えています。

4章に分かれます。

ご参考までに。(写真は露出オーヴァで見苦しいですが)

初日、写真家の大石一男さんが来館され、凄く褒めてくれました。ありがたかったです。

正直、神戸ファッション美術館での展示では断トツに最も完成度と気持ちがいい展覧会になりました。

本当に期待して来館してもらっても今回はOKです。時間があれば覗いてください。

当館でも世界中のどの館でもこのカテゴリーではこの展示はもう超えられないと思ってやっています。

1日でも何日でも1点ずつずっと作品と対峙できる快適な展覧会だと思っています。

今回展示の写真はすべてオリジナルで(写真のオリジナルという概念は難しく、一番高いヴァージョン、サイン有、番号付き)

日本人作家以外、100万円超え、500万以上も相当数あります。写真と音楽はとてもよく似ていると思っていましたが、ドレスも同じで、今回の大半が1000万円超えのオートクチュールドレスです。一般ドレスとの違いも感じていただけると思っています。」

少しでもお役に立てたらうれしいです。ファッションにご興味のある方は「神戸ファッション美術館」へぜひ~、ゴージャスな気分も味わえそうですね。



クリックをお願いね →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素敵な「あいまい・ぼんやり語」

2024年11月26日 | 読書コーナー

「あいまい・ぼんやり語辞典」というのがある。



日常的にそれほど「詰める」タイプではなく「アバウト人間」なのを自覚しているので「曖昧さ」があってもあまり気にならない。大好きな「音楽&オーディオ」は別ですけどね~(笑)。

いつも「ま、いっか」が口癖だし、
この世知辛い世の中で何もかも「白黒」をはっきりさせない方がいい場合だってある、ときにはぼんやりした灰色もあっていいんじゃないか、それが「大人の知恵」というものだろう。

というわけで、本書は自分にとって格好の本である。

興味を惹かれた言葉をピックアップして記録しておこう。

トップバッターはこれ。(以下、引用)

1 「どうも」(118頁)

「どうも」はお礼でもお詫びでも使える。出会いでも別れでも一応のあいさつになる。まことに便利な言葉である。

「ありがとうございます」「申し訳ありません」などのしっかり内容の定まった言葉ではない点でお礼やお詫びとしては軽いが、逆に、軽いことに対してもしっかり挨拶をするという意味で失礼な挨拶ではない。

また、出会いや別れでも気を遣う相手に対しての挨拶として成立している。曖昧といえば曖昧な、逆に言えばきわめて便利な言葉である。

(独り言:たしかにいつも「どうも」を常用しているのでこのくらい便利な言葉はないと思う。自分にピッタリの言葉だと思う)

ただ、「どうも」には謎がある。なぜか家族などの親しい関係ではあまり使わないのである。子供もあまり言わないのではないだろうか。三、四歳くらいの幼児が「どうも!」という挨拶をすることはまず考えられない。

「どうも」だけで終わる挨拶は大人くさくなるのである。これには次のような理由が考えられる。

「どうも」は「どう+も」だが本来この副詞には「どうもうまくいかない」「どうも変だ」のような使い方がある。

いわば気がかりなことがすっきりおさまっていない感情を表すのである。

それが「いやはや、どうも何と言っていいか・・」などというように感謝、謝罪の気持ちを表す際の「簡単にお礼やお詫びを言うだけではうまく解決できない言い表せない気持ち、そのままでは済ませられないという気がかりの強調」という使い方になったものと考えられる。

「いやはやどうも何と言ったらいいか、(むにゃむにゃ・・)というような感じで、いろいろと相手への思いを巡らすというのは大人の心遣いである。

またあとに来る実質的な感謝や謝罪の表現がなくても「どうも」だけでそういう気配りがあるということが示せる。いわばよそ行きの言葉と言って良い。この「よそ行き」感が出会いや別れの軽い挨拶にもなると考えられる。

(そのとおり!)

「どうも」だけだと実質的な感謝や謝罪の表現がないので、きちんとした謝罪やお礼にはならない。しかし、気を遣っていることはよくわかる。出会いや別れでの「お世話になっています」感や「失礼します」感といった気遣いのこもった軽い挨拶をするにはぴったりとも言える。

気を遣っている相手への挨拶になるのだと考えると、家族間であまり言わないということ、子供があまり使わないということの理由がわかってくる。

「どうも」の奥には、どうも(?)大人っぽい深い気配りがありそうなのである。

2 やれやれ(192頁)

「やれやれ」を「新潮現代国語辞典」で引くと「深く物に感じた時、疲れた時、失望した時などに発する声」とある。

(自分もよく使っており、ネット記事などを見ながら、「やれやれどうしようもないな~」とか独り言を洩らしている~笑~)

というわけで、現代では「やれやれ、くたびれた」(疲れ)、「やれやれ、ようやくメドが立った」(安堵)、「やれやれ、また失敗か」(失望)といった用方が主であろう。

こうしてみると否定的な意味で用いられることが多いように見えるが、必ずしもそうではない。

「あなたにしかできない仕事ですよ」などと頼みごとをされた場合に、「やれやれ、しかたがないなあ」と、まんざらではない表情をして引き受けることもある。

表向きは「失望」のように見せながら、その実は相手に対して優位に立っていることに心地よさを感じているものである。「やれやれ」には少し余裕がある。

「やれやれ」に類似する感動詞として「あ~あ」があり「あ~あ、くたびれたorまた失敗か」(疲れ・失望)のように言うことはできるが、「あ~あ」に安堵の用法はない。

「やれやれ」の表す感情の領域はなかなかに複雑な形をしているようである。

3 ちょっと(100頁)

「ちょっと」の用法は、ちょっと(?)多岐にわたっている。

A この服はちょっと大きい。ほかにも、ちょっとお腹がすいた、ちょっと遅れます、など

B (上司が部下に)この書類、ちょっとわかりにくいね。

C 「今夜飲みに行かない?」「今夜はちょっと無理かな」

A、Bの用法では「ちょっと」を「少し」と置き換えることができる。その一方、Cのちょっとは断りによる相手の負担への配慮と考えられる。

「ちょっと映画でもどうですか」のように勧誘の場合に使うのも同様である。これは具体的な時間や量を想定しているのではなく、依頼や勧誘によって生じる負担が大きくないことを表そうとして「ちょっと」を使っていると考えられる。

「ちょっと~、なんでそんなことを言うのよ」のように文句を言うときにも使われるがこれらも相手に負担をかけない場合の用法から広がったものだろう。

さらには「今日はちょっと・・」「彼はちょっと・・・」などと曖昧にして続きの理解を聞き手に委ねることもある。

「ちょっと」の用法は幅広く、ときにちょっと(?)曖昧な印象をもたらしている。

以上、3つの「曖昧・ぼんやり言葉」を挙げてみましたがいかがでしたか?

「どうも」も含めて、外国語でこれらの用語に直接該当する言葉はないようですよ。

今さらながら日本人独特の繊細かつ微妙な気配りに満ちた「社会感覚」に驚かされる・・、やれやれ~(笑)。


クリックをお願いね →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「両雄並び立つ」理想的な展開

2024年11月25日 | オーディオ談義

そもそもの始まりは、およそ1か月前にはるばる岡山県からお見えになった「YO」さんのご来訪からだった。

そのときに持参されたのがかの有名な「PM-6A」(ローサー)。



まず、ギター用の薄板に独特の細工が仕掛けられたボックスに驚き、そしてその奏でる音に仰天した。

「このスピーカーを譲ってください」と、思わず叫んだが、とうてい適うはずもなかった。

何とか「AXIOM80」を似たような音にできないものか、それから「薄板バッフル」への挑戦にとりかかった。

それからの悪戦苦闘はもうご存知ですよね~(笑)。



念のために書いておくと、まずは「AXIOM80」(オリジナル)のバッフルを「薄板5.5mm」に変更し、バッフル全体の響きを良くするために「ARU」は底板に取り付けた。

その結果はGOOD! 着実に以前より前進している、と思った。

で、バッフルの板が大量に余っていたので、味をしめて次に取り掛かったのが厚さ4cmの箱で、せめてバッフルだけでもと入れ替えたのがこれ。



だがしかし・・、ワーフェデールの「スーパー10」(口径25cm)も、なかなか良かったが所詮は「AXIOM80」と同列に論じることは無理で、率直に言わせてもらうと「やはりどんなに頑張ってみても普通の音の域を出ないんだよなあ」。

「普通の音」・・、具体的に言葉で表現しろと言われても困るが、長年培ってきた自分なりの感覚としか言いようがない(笑)。

で、このところ良かれ悪しかれ「普通の音」かどうかを判断基準の尺度にしているが、オーディオを50年以上やってきて、今さら「普通の音」で終わるわけにはいかないしねえ・・。

というわけで、「スーパー10」を外して他のユニットを取り付けてみたが、似たりよったりで、悪くはないんだけどいずれも「普通の音」に収まってしまう。

こうなるともう仕方がない、目には目を・・、大切に保管していた「AXIOM80」の「復刻版」を付けてみように思い至った。

別に「オリジナル」(初期版)が控えているので実験用として気楽な気分でとりかかった。一昨日(23日)のことである。



必須とされる「ARU」(背圧調整器)は付けない、その代わり下側から逃がす背圧の隙間を僅か5mm程度にして「タメ」を作るようにした。

比較的簡単に作業が済んでいよいよ「音出し」へ~。さあ、どんな音が出てくれるんだろう‥、まさにオーディオの醍醐味ですね!

そして・・、おお、これは素晴らしい、ARUなんか要らないじゃないか、というのが第一声だった。バッフルだけを薄板にするだけでこんなに効果があるなんて~。

で、オリジナルとの音の違いだが、「コーン紙」が軽いというだけあって羽毛のような軽くて繊細な表現力はさすがにオリジナルの独壇場だが、復刻版にはオリジナルにはない良さがあって、やや暗めの湿り気のあるしっとりとした趣がある。

たとえて言えば、親しい知人の葬儀に出席した後に、しんみりとなって聴ける音だといえよう。むしろ「ネクラ」のブログ主には似合っていそうだね(笑)。

で、この状態でも低音域は十分だと思うが、オーケストラやオペラなどの音楽ソースにはもっと欲しくなるのがホンネ。そこで背後に控える「ウェストミンスター」で、100ヘルツ以下を補強してやる。

大きな箱から出す低音は全体を包み込むような豊かな響きになるので「木に竹を接いだ」ような違和感はまったくしない。

かくして、繊細さと透明感、そしてスケール感の「三位一体」となった響きに、もうこれで「我が家のオーディオは完結だね」との感を深くした(笑)。

最後に、スピーカーと運命共同体のアンプに触れておこう。



「WE300Bシングル」(モノ×2台)で聴いたが、何ら過不足の無い緻密な表現力はさすがだと唸った。整流管を「北国の真空管博士」の助言で「CV378」(英国コッサー:太管)に代えたのも効果ありかな。



「昔は安かったのに今ではオークションで4万円してますよ」「えっ、そんなに・・、2本持ってますのでさっそく入れ替えましょう」

「値段も音の内=値段が高いと音も良くなる」という錯覚人間がここにいる(笑)。

ウットリと聴いているうちに次第に不安を覚えてきた。「万一エースが故障したときの代役をどうしようか」

というわけで、登場したのが「PP5/400シングル」アンプ。



初段管が「3A/109B」(英国STC)、出力管が「PP5/400」(英国エジソンマツダ:初期版)、整流管「WE422A」(ウェスタン(1957年製)、インターステージトランス「A19」(UTC)

知る人ぞ知る「希少品」ばかりである。

こうして自慢たらたらなのも記述者の特権だね~、汗水流して書いてるんだからこれぐらいは許されていいだろう(笑)。

で、肝心の音なんだけど、このアンプは「WE300Bシングル」に比べて「緻密」さはやや劣るけど「色気」の方は上だね、「両者相譲らず」・・、もうウットリと聴き耽った。

こうして、スピーカーは「AXIOM80」のオリジナルと復刻版、真空管アンプは「WE300B」と「PP5/400」と、「両雄が並び立つ理想的な展開」となったのはうれしい限り。

現代野球ではないが、投げてはエースが二人、打ってはホームラン・バッターが二人というのが理想だろう。

これから、安心して音楽の方に専念できるかもねえ~(笑)。

最後に、こういうきっかけを与えてくれた「YO」さんに心から感謝です。「ものごと」の探求には「異文化との接触」が必須だとつくづく感じてます。どうもありがとうございました。



クリックをお願いね →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞記事「三題」に思う

2024年11月24日 | 独り言

日経新聞に興味を惹かれた記事が三題あった。

☆ 真理の錯誤効果



嘘でもなんでも繰り返し吹き込まれると、それが段々と真実に思えてくるという話で、言わんとするところはこの度の「兵庫県知事選挙」における「SNS」効果を念頭に置いてるのじゃないかな~。

読売新聞には、



ああいう人物が再選するなんて、県民はいったい何を考えているんだろうかと嘆きたくなるが、他県の人間が発言できる権利はないけどね・・。

そして、大統領選挙でのトランプの圧勝・・、トランプが勝ったというよりも相手のハリスという球が悪かったと思う。女の武器を利用して出世したという噂が出るようじゃ、ダメだね~。アメリカ大統領ともなると「カリスマ」性が必要なんだから、その点で大きな差がついたように思う。

世界中が首をすくめて「この台風を4年間辛抱すればいいさ」と静観するとみているが、その一方では大胆な現状改革も期待できるかもしれない。

まずは、ウクライナ紛争の終結。ロシアはこの紛争で7万8千人の兵士の命を失ったそうなので、それに見合った領土となるとどのくらい・・?

最後に、嘘も繰り返すと真実になるということなので、このブログでもしょっちゅう「タンノイの音はイマイチ」と指摘していると、影響される人が出てくるかもしれないですね。

いや、むしろ逆効果でせいぜい嫌われるのがオチかな~(笑)。

☆ ミラーレス、ソニーが猛追



オーディオで手いっぱいなのに、このうえカメラまでにはとうてい手が回らないけれど、興味があるのは事実である。

ついでの話だが「絵画が好きか、それとも写真が好きか」という問答をよく聞く、どちらも視覚に訴える分野に属するが、芸術性が色濃く出るのは前者ですよね。

オーディオでいえば、絵画は自分の好みに仕上げた音に該当し、写真は原音に該当するともいえそう。

はたして「絵画」の方の道を選ぶのか、それとも「原音に近づく」道を選ぶのか、価値判断は人それぞれといったところだが、ブログ主はもちろん絵画の方です(笑)。

で、昔のカメラは「ニコンとキャノン」の二強時代だったが、デジタルの時代になってからソニーが加わって「三強」の時代になったみたい。

ソニーとキャノンの最上位機種ともなると100万円前後のようだが、真空管でいえば、ウェスタンの「300B」(刻印)といったところですか(笑)。

どちらを選択するかと問われたらどうしようか。オーディオはもう満腹状態なので、カメラの方が新鮮味がありそうだなあ~。

☆ デジタル遺品



デジタル空間に残る遺品・・、ブログ主の場合でいえばこのブログが該当する。曲がりなりにもコツコツと続けてきて、ようやくこの10月から19年目を迎えました。

記事の件数からすると、本日(2024.11.24)現在で「3619」件なり~。ただし、内容は大したことがないものばかりです(笑)。

さあ、この遺品をどうするかは一人娘の胸三寸次第だが、少額なりともブロヴァイダーに毎月経費を差し引かれているので、更新しないブログをこのまま放っておいても詮無き事、そこで脱退したとたんにこのブログは「雲散霧消」(うんさんむしょう)となる運命
でしょう。

ま、それもいいでしょう・・、とうとうこの世に何も功績が残せなかったなあ~(笑)。

あっ、そうそう、今度の正月休みに娘が帰省した時に、パスワードの一覧表、それに通帳や印鑑の保管場所を教えておかなくちゃ~。

後日・・、通帳の金額を見たら娘がきっと「ため息」をつくことだろう、あはは!


クリックをお願いね →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メーカーのお仕着せの音よりも自分の感覚を優先する

2024年11月23日 | オーディオ談義

オーディオの華は何といってもスピーカーだと思っている。ここが一番音を支配する要素になっているといっても過言ではないし、ここがダメだとほかのDACやアンプをいくら頑張ってみてもアウトだろう。

ただし、このスピーカーも構成する要素がいろいろあって、ユニットの性能、そして箱のツクリ、ネットワークの性能、設置場所など枚挙に暇がない。

で、メーカー既成のスピーカーについてだが、初めからある程度疑惑の眼を向けていているのがホンネ。

もちろん、その製品の値段と見合った範囲内での話だし、自分の耳にそれほど自信を持っているわけでもないが、好みの音か或いはそうじゃないかぐらいは分かる。

こういうクセがついたのも、けっして責めを負わせる積りはないが、当時交流のあったオーディオ仲間の影響も否定できない。

仮にMさんとしておくが、若い頃は実際に首都圏のオーディオ・メーカーに勤めておられた方で、どちらかといえばオーディオよりも音楽を優先される方だった。

メーカーに勤務されている時代、周囲で大学の電気系を出たてのホヤホヤの技術者や、何ら音楽への興味を持っていない技術者の連中が企画設計の段階からアンプづくりに携わり、コストダウンと物理特性だけをたよりに「音楽性に欠けた」製品を次々に量産化していくのをずっと目(ま)の当りにしてこられ、「メーカー製品はまったく当てにならない」というのが持論である。

そういうわけで、裏事情にも詳しいMさんからオーディオ評論家たちも含めてメーカーの実状を散々聞かされたこともあるし、実体験上でもメーカー既成のスピーカーのネットワークのお粗末さ加減を認識していたので「一事が万事」というわけでもないが、どんな有名ブランドであろうと「あまり当てにならない」という気持ちが植えつけられたことは否定できない。

そこで、実践論に移って我が家のタンノイ「ウェストミンスター」を血祭りにあげてみるとしよう(笑)。



購入したのはおよそ40年前ぐらいかなあ~、そのときはとても恐れ多くて改造するなんて夢にも思っていなかった。何せクラシックを鑑賞する上で世界的に有名なスピーカーですからね~。

だがしかし・・、月日が経つうちにどうも自分が狙う方向とは違うんだよねえという疑問が脳裡の片隅をよぎり、それが段々と膨らんでいった。

こんな音と一生付き合ってそれで満足できるんだろうか・・、まるで「伴侶」並みの扱いですね(笑)。

え~い、人生一度きりなんだから思い切ってやっちゃえと、乾坤一擲の大勝負(改造)に出たのはたしか20年前ぐらいかな~。

当然眉を顰める向きも多くて、「タンノイを改造するくらいなら、他のスピーカーを買いなさいよ」「改造すると下取りに出すときは二束三文になりますよ」などの忠告を沢山頂いた。

しかし「メーカーのお仕着せの音よりも自分の感覚を優先する」という不屈の信念は揺るがなかった・・、ちょっと大げさですけどね~(笑)。

たとえて言えば「注文住宅とプレハブ住宅」、背広でいえば「オーダーとぶら下がり」の違いといえないこともない。

そして、オリジナルのユニット(口径38cm)やネットワークを追放し、大きな箱の内部のバックロードホーンの構造も幾分単純化してシンプルに仕上げた。

ただし、爾来、迷走はしましたね~。

容れるユニットも「D130」(JBL)や「AXIOM80」、フィリップスの口径30cmのフルレンジなど多士済々だったけど、ようやく現在のワーフェデールの「スーパー12」(赤帯マグネット付き)で落ち着いた。

そして現在は「100ヘルツ or 200ヘルツ」以下の低音域専用として使っているが、はたしてこれで良かったのかどうか、判断に迷うところだが後悔はいっさいしていないつもり。

ちなみに、巷間「ウェストミンスター」を使っている方で、「どうも低音域が物足りない」という使用者の感想をオーディオ雑誌で以前見かけたことがあるが、「オリジナル仕様のクロスオーバーが1000ヘルツだと絶対に本格的な低音は出ませんよ」と、率直に申し上げておこう。

オーディオに「絶対」という言葉は禁句だけどねえ~(笑)。


結局、音楽愛好家にとっては日頃使っているオーディオ製品に対する信頼感と愛情を抜きにして音楽を語れないわけだが、「メーカーの音を心から信頼してそれに従うのか=ブランド信仰も音楽鑑賞の範囲内」、あるいは「メーカーよりも自分の好みを優先させるか」大きな分岐点のような気がする。

果たして、どちらが幸せなんでしょう~? 

これはとても自分の手に負えそうもない難題なので、逃げるわけではないが解答のほうは読者の皆さんに下駄を預けた方がよさそうですね。

えっ、自分の好みそのものがハッキリわからない・・、それは困りましたね~(笑)。



クリックをお願いね →      

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Yの哀しみ」 → 「女やもめに花が咲く」

2024年11月22日 | 独り言

アルファベットの「Y」という文字を見ると大のミステリーファンの一人として、エラリー・クィーンの傑作「Yの悲劇」をすぐに連想する。

それはそれとして、今回は同じYでも「Yの哀しみ」という遺伝子の話。

ご承知のとおり男性は「XY」の染色体(女性はXXの染色体)を持っているが残念なことにそれは基本仕様ではなく、生まれたときに片方にそのY遺伝子という貧乏くじを引いたばかりに女性よりも短命になっているという話である。

    「本が好き」(光文社月刊誌)    

本誌に「できそこないの男たち~Yの哀しみ~」というのがある。著者の福岡伸一氏は青山学院大学理工学部(化学・生命科学科)教授。

最新の時点で日本人男性の平均寿命(生まれたばかりの男子の平均余命)は81歳であり、対して女性の平均寿命は87歳。ゼロ歳の時点ですでに6年もの差がある。

「女性の方が長生きできる」
この結果はすでに人口比に表れている。現在、日本では女性の方が270万人多いが、今から50年たつとその差は460万人にまで拡大する。

男女数の差は年齢を経るほどに拡大する。80歳を超えると男性の数は女性の半分になる。100歳を超える男性の数は女性の5分の1以下にすぎない。中年以降、世界は女性のものになるのである。

どうして男性の方が短命であり、女性のほうが長生きできるのだろうか。

男の方が重労働をしているから
危険な仕事に就くことが多いから
虐げられているから
男の人生の方がストレスが大きいから

いずれももっともらしい理由だが、6年もの平均寿命の差を生み出す理由としては薄弱である。

著者が着目したのは上記の理由がいずれも環境的要因に限られていることで、むしろ
生物学的な要因
に原因があるのではと焦点を当てて検証が進められていく。

その結果、世界中のありとあらゆる国で、ありとあらゆる民族や部族の中で、男性は女性よりも常に平均寿命が短い。そして、いつの時代でもどんな地域でも、あらゆる年齢層でも男の方が女よりも死にやすいというデータが示される。

結局、生物学的にみて男の方が弱い、それは無理に男を男たらしめたことの副作用
とでもいうべきものなのだという結論が示される。

その証として、取り上げられるのが日本人の死因のトップであるガン。

ガンは結構ポピュラーな病だがそれほど簡単にできるものではない。細胞がガン化し、際限ない増殖を開始し、そして転移し多数の場所で固体の秩序を破壊していくためには何段階もの「障壁」を乗り越える必要がある。

つまり多段階のステップとその都度障壁を乗り越えるような偶然が積み重なる必要があって、稀なことが複数回、連鎖的に発生しないとガンはガンにはなりえない。

それゆえに、確率という視点からみてガンの最大の支援者は時間であり、年齢とともにガンの発症率が増加するのは周知のとおり。

もうひとつ、ガンに至るまでに大きな障壁が横たわっている。それが個体に備わっている高度な防禦システム、免疫系
である。

人間が持つ白血球のうちナチュラルキラー細胞が、がん細胞を排除する役割を担っているが、何らかの理由でこの防禦能力が低下するとガンが暴走し始める。

近年、明らかになってきた免疫系の注目すべき知見のひとつに、性ホルモンと免疫システムの密接な関係がある。

つまり、主要な男性ホルモンである
テストステロンが免疫システムに抑制的に働く
という。

テストステロンの体内濃度が上昇すると、免疫細胞が抗体を産生する能力も、さらにはナチュラルキラー細胞など細胞性免疫の能力も低下する。これはガンのみならず感染症にも影響を及ぼす。

しかし、テストステロンこそは筋肉、骨格、体毛、あるいは脳に男性特有の男らしさをもたらすホルモンなのだ。

男性はその生涯のほとんどにわたってその全身を高濃度のテストステロンにさらされ続けている。これが男らしさの魅力の源だが、一方ではテストステロンが免疫系を傷つけ続けている可能性が大いにある。

何という両刃の剣の上を男は歩かされているのだろうか。

以上が「Yの哀しみ」の概略。

結局、「男性がなぜ女性よりも早死に?」の理由は「遺伝子の基本仕様はXXなのに男性に生まれたばかりにYというありがたくない染色体を無理やり持たされ、男らしさを発揮した挙句に早死に」というのが結論だった。

で、ブログ主が居住している団地(160戸程度)は高齢者が非常に多い。すると、夫婦そろって同時に死ぬことはないのでどちらかが生き残る。

つまり、「男寡夫(やもめ)」と「女寡婦(やもめ)」が出来上がるし、当然後者の比率の方が高い。

毎日のウォーキングなどで、ちょくちょくそういう方たちと遭遇するが、前者は一様に寂しそうな顔をしてうなだれ気味の様子、その一方、後者は明るい顔をして元気溌剌としている。それはもう、例外がまったく無いほどで女性の生命力に改めて感心する。

そういえば・・、「女やもめに花が咲く」→「夫に先立たれ女はかえって身ぎれいになり、世の男にもてはやされる」という言葉があるのも実感できますね~(笑)。



クリックをお願いね →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラシック専門の音楽喫茶「アマデウス」

2024年11月21日 | 音楽談義

指揮者「ウォルフガング・サバリッシュ」(1923~2013)についてどのくらいの方々がご記憶だろうか?

彼はN響の桂冠名誉指揮者だったので、全国放映の機会も多くもしかして演奏風景をご覧になった方があるかもしれない。




いかにも大学教授然とした風貌の持ち主で享年89歳だったので行年に不足はないがとても好きな指揮者の一人だった。

周知のとおり、本家、ヨーロッパのクラシック界ではオペラが重要な演目になっており、「オペラを振らせると指揮者の実力が分かる」とまで言われているが、彼が指揮したオペラ「魔笛」は大のお気に入り~。

極めてオーソドックスな解釈のもと、どこといって破綻のない、まことに中庸を得た演奏だったので安心して「魔笛」の世界に浸れたものだった。

改めて手持ちを確認してみるとサバリッシュ指揮のものはCD盤(2枚組)とDVD、それぞれ一組あった。



「魔笛」の主役級の歌手は5人いるが、全て粒よりのメンバーが揃うことは不可能に近く、どういう盤にも何らかの配役に憾みを残す。

このサバリッシュのCD盤では、高僧役に「クルト・モル」、王子役に、「ペーター・シュライアー」、道化役に「ウォルター・ベリー」と、男性陣に最高のメンバーを得ているものの、女性役二人がちょっと物足りない。

その一方、DVD盤では女性陣として夜の女王に「エディタ・グルヴェローヴァ」、王女役に「ルチア・ポップ」と、この上ない豪華な顔ぶれだが、今度は男性陣2名が物足りないといった具合。

巷間、「魔笛に決定盤なし」と言われている所以がこれらサバリッシュ盤にも如実に伺われるところ。

ところで、サバリッシュのフルネームは「ウォルフガング・サバリッシュ」である。ピンと来る方がきっといるに違いない。

そう、あのモーツァルトのフルネームが「ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト」である。ちなみにかってのウィーンフィルの首席フルートは「ウォルフガング・シュルツ」(故人)だった。



いったい「ウォルフガング」とはどういう語源を持つんだろうか?こういうときにはググってみるに限る。

すると、「Wolfgangは主にドイツ語圏などで見かけることができる人名で「Wolf Gang」(”狼の牙”)という意味を持つ」と、あった。

英語でも狼のことをウルフと呼んでいるので、おそらく狩猟民族に由来する名前なんだろう。

モーツァルトの「天馬空を駆ける」音楽と「狼の牙」のイメージがどうも結びつかないけどねえ(笑)。


なお、「アマデウス」とは「神に愛されし者」という意味だが、この「アマデウス」という言葉には思い出があって、ここでちょっと過去を振り返らせてもらおう。

大なり小なり「人生は山あり谷あり」なので、誰にでもスランプや不遇の時代があると思うが、そういうときには自分の場合、転職を考えるのが常だった。

まあ、一種の逃げみたいなものですね~(笑)。

当時を振り返ると、往年のベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子さん著)なんて、高邁で強い精神にはなれなかったことを今でも恥ずかしく憶い出す。

そして、逃げ道候補の一番手はクラシック専門の「音楽喫茶」を開くことだった。

当時は、「ブランド信仰」丸出しのタンノイ・ファンだったのでオートグラフをドカンと店内に据えて真空管アンプで鳴らそうなんて夢みたいなことを考えていたが、その時の音楽喫茶の名前を一貫して心に刻み込んでいたのが「アマデウス」だったというわけ。

奇しくも、2セット目の「AXIOM80」を譲ってくれた千葉のSさんも音楽喫茶を開くのが夢で、その時には店名を「アマデウス」にしようと決意されていたそうで、「音楽好きは似たようなことを考えますね~」と二人で苦笑(ネット間で)したものだった。


さて、この音楽喫茶の顛末だが「こんな田舎でどれだけクラシック・ファンがいると思っているんですか。食べていけるわけがないでしょう!」との家人の凄い剣幕に気圧されて、結局諦めざるを得なかった。常識的に考えても、おそらく誰もがそう言うに違いない。

こうして、今となっては引退後に何不自由なく音楽・オーディオ三昧の日々が送られているのだから、当時の選択はおそらく正しかったのだろうがやはり一抹の寂しさは拭えない。

残り時間が音を立てて崩れていく状況のもと、人生は一度きりというのがつらいなあと、秋が深まる中でとみに思う今日この頃~(笑)。


クリックをお願いね →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

適材適所 そして 二転三転

2024年11月20日 | オーディオ談義

 ご存じのように「適材適所」とは、その人の能力や才能、資質などを考慮して、適した部署や任務に配することにある。

官庁や企業で「人事異動」が行われるたびに、「適材適所です」と「決まり文句」のように当局から発表されていますよね。

我が家のオーディオも、恒常的な読者ならご存じのようにかなりのスピーカーや真空管アンプに恵まれているので常に「適材適所」を心掛けているが、現在いちばん取り扱いに困っているのが、JBLの「075」ツィーターである。



ちなみに、オリジナルがこれ。



この大型ホーン付きツィーターとお付き合いを始めてからもう軽く20年以上にはなるだろうか。

当時、交流があったオーディオ仲間から強力に薦められたのが一因。

「能率は110dbと極めて高いし、小出力の質のいい真空管アンプが使えますからとても重宝しますよ。オリジナルのホーンは刺激的でやや粗い音を出しますが、この超重量級のステンレス削り出しホーンをまとってやると、とても澄んだ音が出てヴァイオリンなどの弦楽器も巧くこなしてくれます。一生ものですよ、これに優るツィーターはないと思います」

当時、このホーンだけで「AXIOM80」(オリジナル)と同じくらいの値段がしたが、まだ元気な現役時代ということもあって「清水の舞台」から飛び降りる思いで飛びついた(笑)。

ところが・・、今や、片方はエース・スピーカーとして君臨し、片方は決定的な出番がなかなか来なくて「髀肉之嘆」(ひにくのたん)をかこっているのが現状。

というのも、日頃からクラシックを主体に聴いており、それだと「ハーモニー」が一番重要になるし、するとどうしても「フルレンジ」を重用することになるというわけ。シンバルの響きは「ピカ一」なんだけどねえ・・、近年ジャズにもすっかり縁遠くなったし~。

というわけで、常に喉に引っ掛かった小骨のような思いを抱いていたが、ようやくこのたび愁眉が開ける展開となりホット一息ついている。

そのきっかけは遠路はるばる来てくれた友人たちのために「AXIOM80」を一緒に聴いたことだった。

やっぱり、これは我が家で羅針盤になるスピーカーで、この音を基準に他のスピーカーを活用していけば間違いないという思いを強くした。

そこで、目を付けたのが「スーパー10」である。箱に容れて鳴らしていたが、どう もがいて みても所詮「AXIOM80」には敵いっこないので、再び「植木鉢」に取り付けて、次のように鳴らしてみた。



植木鉢は後面開放なので、音がいっさい籠らず解放感に優れている。重低音はウェストミンスターで100ヘルツ以下を補強する。そして高音域は「075」で「1万ヘルツ以上」を心持ち補強してやる。

つまり「フルレンジ」を基本に、重低音と超高音を補強するという図式になる。

一聴してみて、これは驚いた!

100kgを軽く超える箱(バックロードホーン)から出てくる重低音はやはり次元が違う。それにチャンデバではなくてムンドルフ(ドイツ)のコイルで押し込んでいるので効果てきめん~。

そして、075ツィーター・・、在るのと無いのとでは大違いで音響空間が果てしなく広がっていく印象を受ける。もちろんハーモニーもいっさい違和感がない。

これこれ・・、やっと「075」の居場所が見つかったなあ~、感慨もひとしおだね(笑)。

ブログ主はすぐに調子に乗るという悪癖の持ち主である。

「柳の下の二匹目のどじょう」を狙ってグッドマンの「TRIAXIOM 」も同様に試してみた。



これもGOODでした! フルレンジのユニットに対してこういう使い方をするともう無限大ですね~。

そして、「3匹目のどじょう」がこれ。



コーラルのドライバー + マルチ・セルラー・ウッドホーンを持ってきた。このドライバーは500ヘルツまで使えるところが助かる。

箱に取り付けているユニット「D123」は使用せず、ウェストミンスターを今度は200ヘルツでハイカット。

これは思わぬ収穫でした。「AXIOM80」では出せないスケール感です~、一気に形勢逆転!

オーディオは状況次第で二転三転するところが非常に面白いですね~、やはり「絶対」という思い込みは禁物のようです。

「先入観は罪、固定観念は悪」とは、このことでしょうか(笑)。


クリックをお願いね →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸術的な価値はコストで割り切れるものだろうか

2024年11月19日 | 音楽談義

いつぞやの「読売新聞」に掲載されていた記事がこれ。
         

ストラディバリウスといえば周知のとおり数あるヴァイオリンの中でも王様的な存在だが、この種のネタは旧くて新しいテーマとしてこれまでも度々提起されている。

その理由は「数億円もするヴァイオリンが、はたしてそれに見合う音を出しているのか?」の一点に尽きる。

煎じ詰めると
「藝術的な価値をコストで割り切れるのか」というわけで、結論の出しようがない不毛の議論が性懲りも無く何度も何度も繰り返されている~(笑)。

この新聞記事では演奏者の正体が明かされていないところがポイントで、たとえば一流の演奏家が弾くのと二流の演奏家が弾くのとではいかなる名器であっても違った響きを出すのが当たり前だから随分と無茶な話のように思える。

ちなみに、ずっと以前に「名器ストラディバリウスの真価とは」と題して投稿したことがある。


「よく分かる音響の基本と仕組み」(2007年、岩宮真一郎著)  

音の正体、聴覚の仕組み、など興味深い項目について分りやすく解説されていた。それに頁のところどころにはさんである”コラム”も面白い。193頁に以下のコラムがあった。

ヴァイオリンの世界では「ストラディバリウス」や「ガルネリ」といったいわゆる「名器」がとてつもない値段で取引されている。中には10億円以上のものがある。こういった神格化された名器の音は、はたしてその値段にふさわしいものだろうか。
 

きちんとした聴き比べ実験が試みられている。ストラディバリウス(数億円)、プレッセンダ(数千万円)、中級品(50万円)、低級品(5万円)の4種類のグレードのヴァイオリンが使われた。

一流の演奏家による演奏を録音し、被験者に何度も聴かしてそれぞれの音の特徴を覚えさせる。そして、音だけ聴かせてどの楽器かを回答させた。その結果、ストラディバリウスの正答率は53%だった。あまり高い正答率とはいえないが、全然分らないというものでもない。少なくとも「中級品」「低級品」と間違えることは少なかった。

「音の伸びがいい」「音の厚みがある」ことがストラディバリウスと判断する手がかりだったという。

ところがである。同じ被験者で生演奏で同じ実験をしたところ、正答率は22%に下がってしまった。これはほぼ偶然にあたる確率である。演奏者の素晴らしい演奏に聴き入ってしまい聴き比べがおろそかになってしまったのだろうか?名器の秘密に迫るのは難しそうだ。

この話、オーディオ的にみて実に興味深いものを含んでいるように思う。

電気回路を通した音では聴き分けられたものが、生の音では聴き分けられなかったいうのがポイント。

このことは目の前でじかに聴く音の瑞々しさ、生々しさは楽器のグレードの差でさえも簡単にカバーしてしまうことを示唆している。

したがって、オーディオにはあまり熱を入れず生の演奏会を重視する人たちがいるというのも一理あるのかもしれない。

ちなみにブログ主はオーディオシステムから「生の音」を出そうとはゆめゆめ思ってません。どうあがいても無理です!(笑)。それよりも「システムの存在を忘れて音楽に純粋に浸れる音」を目指しています。


それはさておき、ストラディバリウスの真価は果たしてこの程度のものだろうか。 

日本の女流ヴァイオリニスト千住真理子さんがストラディバリウスの中でも名品とされる「デュランティ」を手に入れられた経緯は、テレビの特集番組や著書「千住家にストラディバリが来た日」に詳しい。

テレビの映像で、彼女が「デュランティ」を手にしたときの上気してほんのりと頬に紅がさした顔がいまだに目に焼き付いて離れない。

千住さんによると、凡庸のヴァイオリンとはまったく響きが違い、いつまでも弾いていたいという気持ちにさせるそうである。

やはり、プロの演奏家にしか真価が分らないのが名器の秘密なのだろうか、なんて思っていたところ・・、逆に「ストラディヴァリは神話に過ぎない」とバッサリ一刀両断している本に出会った。               
                          

    「贋作・盗作 音楽夜話」

著者の「玉木宏樹」氏は東京芸大の器楽科(ヴァイオリン)を卒業されて現在は音楽関係の仕事をされている方。

本書は表題からもお分かりのとおり、音楽の裏話を面白おかしく綴った本だが、その57頁から75頁まで「ヴァイオリンの贋作1~3」の中でこう述べてある。 

「ではストラディヴァリは本当に名器なのでしょうか?私の結論から申し上げましょう。それは神話でしかありません。値段が高いからいい音がするわけではなく、300年も経った楽器はそろそろ寿命が近づいています」

「ヴァイオリンの高値構造というのは一部の海外悪徳業者と輸入代理店によってデッチ上げられたものですが、ヴァイオリニストというものは悲しいことに最初から自分独自の判断力を持つことを放棄させられています」

「ヴァイオリニストにとっての名器とはいちばん自分の身体にフィットして楽に音の出るものと決まっているはずなのに、その前にまずお金で判断してしまうのです」といった調子。

芸術家としての千住さんの話もご尤もだと思うし、玉木氏のドライな説もなかなか説得力があり、どちらに妥当性があるのか結論を出すのがなかなか難しいが、この問題は冒頭に述べたように「芸術的価値をコストで割り切れるのか」に帰するようで、つまるところ当のご本人の価値観に任せればそれで良し!

オーディオだって似たようなものだからね(笑)。



クリックをお願いね →      
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「骨まで愛して」と「台湾つまようじ」

2024年11月18日 | 独り言

☆ 「骨まで愛して」

前々回のブログ「I’ll be seeing you」(ウマさん便り)は、英訳・和訳のクリエイティブな妙味をご教示いただきました。

たとえば、「ビリー・ホリデーが歌った
「I’ll be seeing you」→「あなたを思い浮かべるでしょう…」これや! いやあ嬉しかったね。「seeing」って「見る」にこだわってたらあかんわけや。…心の中で seeing…→「思い浮かべる…」なるほどなあ。」

続いて、「スタンダード曲「I’ve got you under my skin」を「あなたはしっかり私のもの」と訳した方がいた。偉い!」

これに対して、メル友さんからさっそく反応がありました。

「 I`ve  got  you  under my skin  の訳ですが、こういうのはいかがですか? 「骨まで愛して」

もちろん、私のオリジナルではありません。

20代の頃に聴いたDJ「芥川隆行」さんの解釈です。ヒットソングの題名ですから、DJさんのオリジナルとは言えませんが、当時、うまいなあと感心したものです。」

言わずもがなですが、「skin」は「皮膚、肌」の意味ですから、これは実に巧い!

「骨まで愛して」という曲を歌ったのはたしか「城 卓矢」(じょう たくや)でしたね。「昭和歌謡」としてずいぶん流行りました~。

「唄は世につれ、世は唄につれ」というけれど、世が唄に 追随したことはない。歌謡曲は常に世相の裏で大衆が感じた ことを取り上げ、ヒットしてきたので、当時の世相が「人情が希薄になりがちなデジタル時代」を予感していたのかもしれませんね。

ああ、誰でもいいから「骨の髄まで愛して」くれないかなあ~(笑)。

☆ 台湾つまようじ

高校時代の同窓生が来てくれたことはすでに述べた通りだが、やはり「異文化」と接触すると新たな知見が増えることは間違いない。

「道の駅」のレストランで昼食を取り、つまようじで歯の隙間をほじくっていたら、1人が「自分はこれだ!」と、携帯用の小さなケースから取り出したのが独特のつまようじ。

何しろ、歯医者に行っても「歯垢(しこう)がありませんね」といつも感心されるという。

「へえ~、それ何というつまようじ?」「ああ、台湾つまようじといってるよ」

さっそく、翌日になってググり常用している「〇〇カメラ」(送料無料)に注文したところ、すぐに送ってきた。





自宅にいるときは「歯ブラシ」がいちばんだけど、外出した時には重宝しそうです。


クリックをお願いね →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

禁断の木の実(このみ)

2024年11月17日 | オーディオ談義

4日前に遠方からやってきた友人たちから、当然のごとく次のような質問があった。

「もう趣味の域を超えていると思うんだけど、どうしてそんなにオーデイオに熱心なのかな?」

「オーディオに夢中というよりも音楽が好きなんだよね。好きな音楽をできるだけ好みの音で聴きたいというそれだけだよ。音楽は聴く音によって印象がガラッと様変わりするからね~。したがって「音キチ」と思われるのがいちばん嫌なんだよね。」

閑話休題

「禁断の木の実」という言葉がある。その意味は「禁じられているけれど、きわめて魅力的な快楽や行動のたとえ。」だという。

我が家のオーディオにも似たような例がありまっせ~(笑)。

たとえば・・、

お金も力もない「か弱い老人」の心をいたずらに「かき乱す」ので、
日頃あえて遠ざけている「AXIOM80」スピーカー。

というのも、あまりにも魅力的な音を耳にすると、つい我を忘れてしまい「こんな素敵な境地にしてくれるのなら、いくらお金を突っ込んでもいいぞ~」と、いきなり暴走して「DAC」などに途方もないお金を突っ込みそうなのが怖い~(笑)。

しかし、今回ばかりはそうもいかなかった・・、横浜から遠路はるばる見えてくれた友達に、ついほだされて出番がやってきたのが運の尽き~。



友人達が辞去した後も、ついずるずると爛れた関係を続けてしまうのは、いつもの「だらしない癖」だね~(笑)。

聴いているうちに、だんだんと浮気心が出てくるのも相変わらずでアンプを変えてみようかな。

乾坤一擲の思いで「PP5/400」シングルアンプから、我が家のエース「6A3シングル」へ交換。



やっぱり違うなあ~、何だかスキがなくて細部までおろそかにしない緻密さを感じる。「モノ×2台」の物量的な影響もあるかもしれない。

やはり「AXIOM80」にはこのアンプが一番だよなあ~。

しかし、そのうちこのアンプを改造した北国の真空管博士(以下、「博士」)が言ってたことを思い出した。

「このアンプは6A3の代わりにウェスタン製のWE300Bも挿せるんですか?」

「はい、規格上挿せないことはないです。6A3が一段落したら挿してみてください」

実は「禁断の木の実」とはこの「WE300B」のことである。

というのも、博士によると

「WE300Bは評価も高くてメチャ高価な存在になってます。それにひきかえ2A3や6A3真空管はとてもいい音がするのに評価が低くてお値段も安いです。ぜひとも6A3でもWE300Bに負けず劣らずの音がするのを実証したいというのが今回の貴方のアンプを改造した理由です。」

稀代の名管とされる「WE300B」出力管・・。我が家では辛うじて「1988年製」がぺアで残っているが、新品の場合、オークション相場で25万円ぐらいはするかな~。

ちなみに、2年ほど前にオークションに出品されていた「WE300A」は「160万円」で落札されてました。

独特の妖しく煌めくブルーの光沢は管内部の真空度の高さを現わしているそうで、今では使用禁止となっている「放射能製物質」が使われているせいもあるという、まことしやかな噂がある。



で、博士の意地も十分わかるんだけど・・、その意地よりも実力の方を尊重するのが我が家のしきたりなんだよねえ~(笑)。



そして肝心の音は・・、ウ~ン、参った!

パワー感、躍動感、ぐぐっと押し寄せてくる音の浸透力が明らかに違う~。

これからは「WE300B」でいくことにしよう・・、博士、ゴメン!(笑)。



クリックをお願いね →      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「I’ll be seeing you」~ウマさん便り~

2024年11月16日 | ウマさん便り
南スコットランド在住のウマさんから投稿直前に「ホットメール」が届きましたので、ご紹介させていただきます。

タイトルは「I’ll be seeing you」
 
英文学者・夏目漱石は「I love you…」を「月がきれいですね…」と訳したそうやけど、これ、文学的「意訳」と捉えるか、単に「気障(キザ)」な表現ととるか、どうなんやろ?  僕やったらどう訳すかなあ? いろいろ考えてみたけど、これやね…

「I love you…」→「好かんタコって言わないでね …」
 
僕の好きな古いアメリカの歌「I’ll be seeing you」…この歌詞に「I love you」はない。だけど「I love you」の心は溢れている。初めて聴いたのは高校時代やった。

心斎橋・日本楽器のレコード売り場をウロウロしてた時に流れていた。思わず、おっ!…聴き惚れてしもた。で、売り場の人に「この歌ください」…ビリー・ホリデイのレコードを買ったのは、その時が初めてやった。で、毎晩、聴いてましたね。
 
そうこうするうちに、この「I’ll be seeing you」…どう訳すんやろか?…気になりだした。

調べてみると「また、会いましょう」だって。挨拶言葉かいな? しかし「I’ll be seeing you」に続く歌詞を訳すと「かつて尋ねた場所で、一日中ずっと、想い出を愛(いと)おしんでしまいそう…」…するとや「また、会いましょう」は、ちょっと違うよね。未来進行形として「私はあなたを見ています」も、なんかおかしい。以来、その適訳を考え続けて今に至っている。

そうそう、ある時、高校同期で、クラスでいっちゃん英語が出来た中村敏子嬢に尋ねたけど「う〜ん、ちょっとわからない」…そらそうやろ、歌の一節だけ取り出して訊くのは無茶だわ。

ところが、あんた、最近、ネットでググったら、なんと、素晴らしい訳を見つけた。
「I’ll be seeing you」→「あなたを思い浮かべるでしょう…」これや! いやあ嬉しかったね。「seeing」って「見る」にこだわってたらあかんわけや。…心の中で seeing…→「思い浮かべる…」なるほどなあ。

今まで何度か言ってきたけど僕は英語があかん。中学三年間、英語の試験で50点を超えたことは数えるほどやった。せやけど、和訳とか英訳とかは、人によって出来が違うからクリエイティブな要素があるやろ? だから、和訳とか英訳とかを「クリエイト」することには興味があるわけです。

スタンダード曲「I’ve got you under my skin」を「あなたはしっかり私のもの」と訳した方がいた。偉い!  世界的な空手ブームを巻き起こしたブルース・リーの「燃えよドラゴン」…この訳は、原題の「Enter The Dragon (ドラゴン登場)」よりはるかにいい。どお? 和訳・英訳にクリエイティブな要素があるってわかってもらえる?
 
ところで、おのおの方には「思い浮かべる方」っている?
実はね、ここだけの話やけどさ…僕には、密かに思い浮かべる方がいるのでござるよ。

エディンバラに住んでるジュリア…めっちゃ美人…
僕はグミが好きなんやけど、ジュリアが作るグミって最高なのよ。歯や歯茎にくっ付かない絶妙の柔らかさなんや。搾りたての果汁を入れ、人工添加物は一切なし。ちょくちょくうちにやってくるけど、そのたびに、最高のグミを、ぎょーさん持って来てくれるのよ僕のために…ジュリアって、その碧い瞳に吸い込まれそうな美人、そして、グミ作りの名人。
 
ジュリア…この名前を思い浮かべるだけで、もう、ワクワクドキドキ、ルンルン気分やでぇ〜。ええ歳こいて…
めちゃ美人でスタイル抜群、長〜い足にジーンズがすんごく似合う。ファラ・フォーセット風のブロンドが大きくウェーブして、キラキラ輝いている。

ま、そんなわけでね…しょっちゅうジュリアを思い浮かべて、つぶやくのでございます…「I’ll be seeing you」
彼女、今でも独身や。若い時は、めっちゃモテたんとちゃうか。エッ? ジュリアの歳?…そうやなあ? 今、85歳ぐらいかなあ?
 
ビリー・ホリデイの「I’ll be seeing you」は、村上春樹さんが「夜中に聴くと堪らない…」言うてはった。

もちろんビリー・ホリデイもいいけど、僕が、最近、よく聴いてるのが、ロサンゼルスのシンガー・ソングライター、Lauren Coleman (ローレン・コールマン)。彼女がギターの弾き語りで唄う「I’ll be seeing you」…下をクリックして聴いてみてね。ええよ…
 
ほな、おのおの方、まったね〜…I’ll be seeing you ! でっせぇ〜…ルンルンの (めでたい) おっさんより
 
 
クリックをお願いね →      
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする