「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

楽器の王様「ストラディヴァリ」

2024年12月31日 | 音楽談義

この1年を締めくくるのに相応しい話題として選んだのは「楽器の王様」です。

クラシック音楽を奏でる楽器の内で「どれが一番好きか?」と、問われたとしたら大いに迷うけどやっぱりヴァイオリンでしょうか・・。どこか物悲し気で愁いを含んだ音色がはるか過ぎ去った昔の郷愁を呼び起こしてくれる。

クラシック音楽に絶対欠かせない楽器として、我が家のオーディオシステムで少なくともヴァイオリンが上手く鳴ってくれないと即アウトである。

言い換えると、常にヴァイオリンひいては弦楽器が上手く鳴ってくれることを念頭において調整に励んでいる。

然るに、ジャズ音楽には滅多なことではヴァイオリンが登場しない・・、いわば音楽再生の形態がまったく違うともいえるが、このことはクラシック愛好家とジャズ愛好家との基本的に相容れない溝を物語っているような気がしてならない(笑)。

改めてヴァイオリンの特徴を羅列してみよう。「チャットGPT」の出番です。

〇 豊かな音色
非常に表現力豊かな楽器なので、さまざまな音色を作り出すことができる。深く響く音から、明るく軽やかな音まで、演奏者の感情を込めて表現できる。

〇 幅広い音域
ヴァイオリンは、低音から高音まで広い音域をカバーでき、メロディやハーモニーを自由に演奏することができる。特に高音域でのピッチの正確さが求められるが、これができると非常に魅力的な音を出せる。

〇 表現力
弓の使い方、指の圧力、ヴィブラートなど、演奏者の技術や感性が大きく反映される楽器です。音の強弱やテンポ、リズムの変化を細かく表現することができ、音楽に感情を込めやすいです。

〇 ソロとアンサンブル両方で活躍
ヴァイオリンはソロ楽器としてもアンサンブル(オーケストラや室内楽)での演奏にも非常に重要な役割を果たす。ソロ演奏では個々の才能を表現する場があり、アンサンブルでは他の楽器と調和し、音楽全体を支える役割を果たす。

〇 多様な音楽ジャンルで使用
クラシック音楽だけでなく、ポップスなど、さまざまなジャンルで使われており、ヴァイオリンは非常に多才な楽器です。そのため、さまざまな音楽スタイルを楽しめることが魅力の一つです。

〇 
見た目の美しさ
ヴァイオリンのデザインや構造も美しく、演奏する際の姿勢や動きも優雅に見えます。この視覚的な美しさも多くの人々に愛されています。

これらの特徴が、ヴァイオリンを魅力的な楽器としている理由です。

というわけだが、もう一つ付け加えることがある。

それは途方もないお値段がすること。まあ、ヴァイオリンといってもピンからキリだろうが、1714年に製作された「ストラディヴァリ」なんかは20億円以上もするのだから度肝を抜かれる。まさに楽器の王様に相応しいですね。

関連して、先日のネット記事をちょっと長くなるが引用しよう。



アントニオ・ストラディバリが「黄金時代」に製作した「ヨアヒム・マ・ストラディバリウス」がサザビーズに出品される。最後の所有者である名ヴァイオリニスト、シホン・マの遺志により、売上は全て母校ニューイングランド音楽院の奨学金に充てられる予定だ。

かつて19世紀を代表するハンガリーのヴァイオリン奏者ヨーゼフ・ヨアヒムが所有し、その後、アメリカで活躍した著名ヴァイオリニストで教育者でもあったシホン・マが受け継いだストラディバリウス「ヨアヒム・マ・ストラディバリウス」が2025年2月、ニューイングランド音楽院(NEC)から委託を受け、サザビーズに出品されることがわかった。

予想落札価格は1200万ドルから1800万ドル(約18億円〜約27億円)で、売上は全てNECの奨学金に充てられる予定。

このヴァイオリンは、アントニオ・ストラディバリが「黄金時代」にあたる1714年に製作したもので、マが2009年に亡くなるまで演奏し続けた。その後2016年に故人の意思を継ぎ、将来、母校NECの奨学金のために売却できるという条件で同校に寄贈された。NECへの寄贈後は、同院の上級学生数人によって演奏されてきた。今回の売却にあたり、NEC院長のアンドレア・カリンは、こう喜びを語る。

「私たちはこれにより、さらに多くの学生に投資し、彼らにチャンスを与える機会を得ることができます。NECに新たな才能を迎え入れ、次世代の音楽を支援し続けることができるのです。この楽器がこれまで、その音色を聞いた人、演奏した人すべてに影響を与えてきたように、今後もこの奨学金制度を通じて、その遺産をさらに多くの人々に広げることができることを嬉しく思います」

またサザビーズ会長兼アメリカ社長でグローバルビジネス開発責任者のマリ=クラウディア・ジメネスは、今回の出品について、「われわれが初めてこの楽器を目にしたとき、その存在感に圧倒されました」と語っている。卓越した芸術家や著名人が所有してきた美術品を数多く見てきたジメネスでさえ、これまで、ストラディバリウスを実際に見たり触ったことはなかったという。

「このヴァイオリンは300年以上前に作られたものですが、所有してきた伝説的な演奏家の影響で、クラシック音楽史に燦然と輝く楽器です。その長い歴史と世界に与えた影響について考えると、身震いする思いです」

サザビーズのプレスリリースによると、ヨアヒムは1879年、ブラームス本人による指揮のもと、ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調:作品77をこの楽器で初演したと言われている。

サザビーズの専門家は、確認されているストラディバリウス(約500本)の価格と、過去のオークション実績に基づき、並外れた品質と状態の「ヨアヒム・マ・ストラディバリウス」の推定価格を決定したという。ストラディバリウスの大半は、アントニオ・ストラディバリが生まれたイタリアの都市クレモナを中心に、博物館や文化施設に所蔵されている。

ジメネスは、「ヨアヒム・マは演奏可能な完璧な状態であると同時に、ストラディバリの黄金時代を象徴するもの。Lutier(弦楽器職人)としての頂点に君臨する楽器です。したがって、今回のオークションではストラディバリウスの新記録を樹立する可能性が十分にあると考えています」

オークションで落札されたヴァイオリンの現在の最高額は、かつてバイロン卿の孫娘が所有し、2011年にタリシオ・オークションハウスが落札したストラディバリウス「レディ・ブラント」の1590万ドル(現在の為替レートで23億8000万円)。

サザビーズは、幅広いコレクター、特に「恐竜や合衆国憲法、あるいは十戒の石版を落札するような」顧客層が入札に関心を示すと予想している。ジメネスは、「一生に一度あるかないかの逸品であり、楽器という枠を超越した存在。特別なヴァイオリンという以上の存在です」と興奮を隠さない。

「ヨアヒム・マ・ストラディバリウス」は、ロンドンと香港のサザビーズのオフィスで展示されたあと、2025年2月の「マスターズ・ウィーク」で競売にかけられる。」

以上のとおりで、来年(2025年)2月の落札価格が楽しみ~、しかるべき音楽関係者の手に落ちるといいのだが、当然のごとく「投資」ということも考えられる。

東南アジアの某国やアラブのお金持ちが暗躍する可能性大いにありだと睨んでいるがはたして・・(笑)。



最後に、どうか皆様「良いお年」をお迎えください。来年もよろしくお願いします。

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今年のオーディオを振り返って

2024年12月30日 | オーディオ談義

今年(2024年)も押し迫って、いよいよ残すところ2日となりました。

振り返ってみると、確実に馬齢を
重ねているもののまだ「音楽&オーディオ」に熱心に取り組めること、言い換えると情熱を失っていないことに大いに感謝したいですね。健康あってのことです。

で、音楽の方は「You Tube」によって音楽ソースが飛躍的に広がって、ちょっと大げさですが「狂喜乱舞」といったところです。昔好きだった曲が苦も無く検索で引っ張り出してタダで聴けるんですからまったく夢のような時代です。

そしてオーディオ・・、今年の特徴を一言でいえば新しい仲間との交流によって視野が広がったというところですか。

具体的に2例挙げてみましょう。

〇 AXIOM80のバッフルの改造

岡山県からお見えになった「YO」さんが持参された「ローサーの「PM6A」スピーカーの箱のツクリに大きな刺激を受けて「AXIOM80」のバッフルを改造したことが挙げられます。



この箱のまるで「楽器」のようなツクリに感心し、同時にサウンドにも驚嘆し、さっそく真似をさせてもらった。

「AXIOM80」のバッフルを「4mm」厚の薄板に交換して同じような細工をしたところ、これまで以上に「ふっくら」とした音が出てくれて大喜び~。マネーがほとんど掛からなかったことも特筆すべきでしょう(笑)。

         

〇 密閉箱への挑戦

新しく「AXIOM80」(以下「80」)を手に入れられたことで10月頃からメールをいただくようになった「H」さん。

「80」と並行して愛用されているのが英国ロジャースの「LS3/5A」だが、添付メールで音を聴かせていただいたところ、何だか「80」とそっくりの鳴りっぷりに驚いた。



何の変哲もない小振りの密閉型からこんな音が出るなんて・・、さすがに英国BBCモニター仕様ですね。

「密閉型」というところに大いに刮目してさっそく真似をさせてもらった。愛用している植木鉢入りの「スーパー10」(ワーフェデール:口径25cm)に裏蓋をして密閉してみた。

       

音速スピードがことのほか速くなって、まったく言うことなしの鳴りっぷり~、大成功でした。実験はやってみるものです。

そしてホットニュース・・、これに味をしめて、昨日(29日)英国グッドマンの「TRIAXIOM」(口径30cm:同軸3ウェイ)にも同様の密閉型にチャレンジしてみました。

      

そして聴いてみると、う~ん、これは・・と思わず絶句したほどの素晴らしさ~。後面開放時に比べて余計な響きが無くなり、スピード感あふれるサウンドへと変身。茶色のコーン紙がいかにも薄くて軽くてレスポンスの良さを反映している。

しかも自然で美しいハーモニーが醸し出す「音楽性」につい引き込まれてしまった。

あえて、「スーパー10」と「TRIAXIOM」とを比較してみると、前者がオーディオ的な方向へ寄った音、後者は音楽方向へと寄り添った音といえる。好き好きだろうが、ブログ主は後者に軍配を上げたい。

やはり、我が家では「ハーモニー」が一番、「周波数レンジ」は二番ですね・・、そういう印象を改めて呼び覚ましてくれたのがグッドマン!

さすがに音楽の何たるかを分かっている!

おっと、つい「上から目線」の物言いになったかな・・、「物言えば唇寒し」だけど、ま、いいでしょう、ときにはハッキリ言わないとね(笑)。



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メリークリスマス!~ウマさん便り~

2024年12月29日 | ウマさん便り

この拙ブログに無くてはならない存在になっている「ウマさん便り」(南スコットランド在住)。

お便りをいただきだしてから早2年近くになるが、今ではオーディオ関係記事を軽く凌ぐ勢い(アクセス)になっているので、「庇(ひさし)を貸して母屋(おもや)を取られる」状態といっても過言ではない(笑)。

とはいえ、ブログ主にとっては「労少なくして功多し」なので、とてもありがたい存在である。

1週間ほど前に、「メリークリスマス」のコラム(万人向け)をいただいたものの、少し登載のタイミングが遅れましたがお許しください。


「メリークリスマス !」

 
このコラム「日々是好日 (ひびこれこうじつ)」では、こちらと日本の違い、つまり、彼我(ひが)の違いなどもお伝えしてるけど、キリスト教の祝祭日にも、日本と大きな違いがあります。
 
先々月末やったか、YouTubeで日本のニュースを見てびっくり!
渋谷はかつて僕も親しんだ街だけど、その渋谷区の区長さんが、ハロウィンのために街に集まらないようにと強い口調で述べていた。

さらに、渋谷駅周辺のあちこちに「ノー・ハロウィン」のポスターが貼ってある。毎年、大騒ぎしてケガ人まで出るんやね。これね、こっちの人が知ったらビックリ仰天するよ。
 
ハロウィンはキリスト教の祝祭日の一つだけど、街に繰り出す習慣はまったくない。幼い子供達がよそのうちを訪ねてプレゼントを貰うという微笑ましい習慣や、魔女のコスチュームなど着てパーティーをすることはあるけど、街におおぜい集まって大騒ぎ…これはあり得ない。

そもそも、渋谷に集まるそんな烏合の衆 (と敢えて言う) は、ハロウィンの意味を知ってるのだろうか?
「キリスト教の諸聖人を祝する日の前日」…ちょいとオタクらね、これを分かってて渋谷に集合して大騒ぎしてんの?
 
こっちのハロウィン…スーパーのレジの婆さんが派手な化粧をして魔女の格好をしてるのは笑えます。いつやったか、そんな婆さんが背中にほうきを担いではった。もう、笑いをこらえるのに苦労しましたね。スーパーでみんなニコニコ…
 
今も見られるキリスト教の影響…
通常、こちらの普通のお店は午後5時か5時半には閉店する。これね、キリスト教が言う「安息」の影響なんです。仕事をそこそこ終えたら安息の時間を持ちなさい。じゃあ、お勤めしてる人の勤務後の買い物時間はどうなるの? つまり、商売 (金儲け) よりキリスト教の教えが優先なんやね。

世界中のゴルファーの憧れ、ゴルフ発祥の聖地セントアンドリュース…そのオールドコースは世界一の憧れのコースと言える。しかし、このオールドコース、日曜日はキリスト教の安息日で、なんと!お休み。ゴルフ場の日曜日って、かきいれ時じゃないの? やっぱり金儲けよりキリストの教え優先なんですね。
 
さて、クリスマス…
これはキリストの降誕を祝う、こちらでは、年間を通して文句なしの最大の「宗教行事」です。が、日本とは大きな違いがあります…

この日、街から人通りが消える目抜き通りに人影はないほぼすべてのお店がこの日は閉店する。開いてるのは一部のパブぐらいやね。つまり、クリスマスは家で祝うもので、街に繰り出すものではないんです。
 
自分の子供の頃を想い出してみる…
あの、ワクワクする、サンタクロースからのプレゼント…夢があったよねえクリスマスには…ウキウキ・ルンルン♫やった…(当時、ルンルンという言葉はなかったけど…)
 
で、結論…
だから、ハロウィンも、クリスマスがそうなったように、いずれは「子供達がワクワクするような催し」になればいいと僕は思ってます。ま、宗教はちょいと置いといて…さ。
 
玄関ホールのクリスマス・ツリーは、うちの裏の森に群生してるモミの木の枝を切って作ります。以前は3メートルぐらいの枝をカットしてたけど、もう、担ぐのがしんどいので、今は自分の背丈ぐらいの枝ですね。

東京にいる次女のらうざ (ローザ) が三年ぶりにスコットランドに帰ってくる。歓迎せんといかんので、LEDのイルミネーションで 「ROZA」をこさえた。びっくりするやろなあ。

ちなみに、おとーちゃんが音楽を聴く部屋では、年がら年中、輝いてまっせ、イルミネーションが! …もう、毎日がクリスマスでございます。ルンルン気分でミュージックでっせぇ〜♫〜

ところで、あのLEDの光やけど、長いこと「青」だけは存在しなかったの知ってる? 世界中の専門家が試行錯誤したけど「青」だけは出来なかったんです。そんな「青」のLEDを日本人が発明して久しい。四国の中村さん、ありがとう!

     

ハイ、ありがとうございました。

ちなみに、ウマさんが最後に触れられていた四国の中村さんの青色LED開発の件です。

先年のこと、ノーベル賞受賞者となった彼のサクセス・ストーリーを読んだところ、次のようなこと(要約)が強く記憶に残っています。

「在籍していた徳島大学は地方大学のため非常に予算が少なかったので、開発の手順をコツコツと一からこまめに手掛けざるを得なかった。ところが、何とその初期的な段階に鍵を握る大きな発見があったのには驚いた。その点、予算が潤沢にあった他の大学や企業はお金に任せてその手順を省いていたのがネックとなって青色LEDの端緒を発見できなかった。まったく何が幸いするか分からない」

つい、我が家の「ビンボー・オーディオ」を連想しましたねえ~(笑)。


 
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始まりはいつも感動から

2024年12月28日 | 独り言

その昔、日本のポップグループに「チャゲ&アスカ」という二人組がいて、「始まりはいつも雨」という歌があった。「晴れ」ではなくて「雨」というところに「しっとり」とした抒情性が感じられて好きな歌だった。

今回のタイトルはそれをもじって「始まりはいつも感動から」

「セレンディピティ」(Serendipity)という言葉がある。 

何だか舌を噛みそうな言葉だが、折にふれ目にしたり耳にされたことがあるかもしれない。

広辞苑によると、カタカナにもかかわらずちゃんと意味が記載されている。

「思わぬものを偶然に発見する能力、幸運を招きよせる力」とあり、もっとくだいて言えば
「ほかの目的で活動しているときに、当てにしていなかったものを偶然に見つける才能」
といえば少し身近になる。

「果報は寝て待て」、「待てば海路の日和あり」方式の、なるべく努力しないで得することが大好き人間なのでこういう便利な言葉は放っておけない(笑)。

「偶然からモノを見つけだす能力」~セレンディピティの活かし方~(澤泉重一著、角川書店)。

                

ところが、一読してみると意に反してなかなか真面目な本だった。努力が要らないどころか、むしろ必要とする内容だったので半分がっかりしたが、有用な本だと思ったので記憶に留めておくために抜き書きして保存しておこう。

本書では「セレンディピティ」を「偶察力」(偶然と察知力を合わせた著者の造語)として取り扱っている。

まず、表紙の裏の見出しに「世界的発見の多くは”偶然の所産”
だった。」とある。

☆ ”偶然”に感謝するノーベル賞受賞者たち

☆ 
発見・創造の能力とは、偶然を最大限に活かす能力

☆ 
感性を研ぎ澄まし、察知力を養えば偶然は偶然でなくなる

☆ 
異文化との接触は新しい感動と発見を生む

☆ 
誰しもが体験する日常生活での偶然の不思議を想い出そう

☆ 
遊びの中にも偶然の面白さはいっぱいある

ご覧のとおり”偶然”という言葉がひっきりなしに出てきて、なにもかも世の中の事柄すべてが偶然に左右されているようなすごい勢い~(笑)。

たしかに、人生は「出会い」を始めとして偶然の連続ともいえる。

たとえば自分の場合では就職先の選択ではたまたま出会った知人のアドバイスによるものだったし、通常2年配置の地方への配属期間がたまたま3年となり、1年遅れたばかりに幸か不幸か(笑)今の結婚相手と出会ったし、その後の友人・知人との交流のきっかけといった節目には偶然が遠因~原因となっている。

さらには目を遠大な方向へ向けると、人類に福音をもたらすノーベル賞クラスの大発見にも偶然が大きな要素を占めているとなれば単なる「偶然」も見捨ててはおけない。

自分の記憶にある事例では2002年度ノーベル化学賞を受賞された島津製作所の田中耕一さんも、たしか他の目的で実験を重ねているうちに偶然発見されたものだった。

本書の中でもノーベル賞受賞者の「セレンディピティ」の恩恵に浴した事例が沢山紹介されているが、
これら受賞者ははじめからこの能力に恵まれていたわけではなく、努力と研究を重ねるうちに自然と身につけたものだという。

一般人の場合でも訓練次第で向上することが可能ということで三つの要点が挙げられている。

 広い視野からものごとを見る

革新的な進歩を振り返ってみると、意外にも専門分野の外と思われたところにその突破口が見出せたという実例が多い。つまり広い範囲で活動できる学際的な素養を身につけることが肝要。

 偶然の活用

偶然がもたらす楽しみは意外性の面にある、繰り返しの単調さから抜け出して通常使っていない能力を発揮する機会が生じることに意義があるので意外性を見逃さない意欲が必要。

 察知力を活かす

そのための基本ステップとして挙げられている項目を挙げておくと、一番に挙げられているのがまず感動」で以下、観察、連想へと続く。

偶然出会った物事に対してまず「感動」が出発点になるというのが面白い。

「感動」というと少し大げさだが「ハット胸を打たれる」ことでもいいと思う。いわば「理」よりも「情」が先行するというわけ。

そういえば「音楽」と「オーディオ」の関係も、まず音楽を聴いて感動し、もっと「いい音で聴きたい」とオーディオに昇華していくケースの方が(オーディオが)長続きすることが多いと思うのでこの順番は納得です~。

何かと気忙しい世の中ですが、常に瑞々しい感性を持っておきたいものですね。



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名演はオーディオを駆逐する

2024年12月27日 | 音楽談義

ずっと以前のブログで「演奏をとるか、録音をとるか」をテーマにしたことがある。

つまり、「あなたは音楽愛好家ですか or オーディオ愛好家ですか」の「二択」のリトマス試験紙のような問いかけである(笑)。

この中でフルトヴェングラー指揮のオペラ「ドン・ジョバンニ」(モーツァルト)を例に挙げて、「録音よりも演奏優位」とコメントしたところ、すぐにジャズファンの方からメールが来て「ジャズの場合も演奏優先ですよ。」とあったのはちょっと意外だった。

ジャズファンといえば圧倒的にオーディオ愛好家が多くて、おそらく「音キチ」だろうから録音の方により一層こだわるはずと思っていたので・・・。どうやら勘違いしていたようでたいへん失礼しました(笑)。

それにしても、いくらCD盤といったって録音状態は周知のとおり千差万別だが、オーディオシステムの再生能力との関係はいったいどうなってるんだろう。

つまり、悪い録音ほど高級システムが必要なのかどうか・・、有識者の見解を一度訊いてみたい気がする。

ところで、このほど娘に貸していたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲がようやく手元に戻ってきた。近々帰省予定の正月用の荷物と一緒に送ってきたもので、音楽評論家によるランキングで最も評判のいい「グリュミオー」盤である。

久しぶりに「3番と5番」を聴いてみたが何だかやたらに甘美(技巧)に走り過ぎた演奏のような気がして、昔とは悪い方向に印象が変わってしまった。

このところオーディオシステムが様変わりしたせいかもしれないし、耳(脳)が成長したのかそれとも退化したのか・・(笑)。

ちなみにモーツァルトのヴァイオリン協奏曲の最後となる5番は作品番号(KV:ケッヘル)219だからわずか19歳のときの作品となる。一方、ピアノ協奏曲の最後となる27番はKV.595だから亡くなる年の35歳のときの作品だ。

「作曲家の本質は生涯に亘って間断なく取り組んだジャンルに顕われる」(石堂淑朗氏)とすれば、比較的若いときにモーツァルトはこの「ヴァイオリン協奏曲」のジャンルを放棄したことが分かる。

あのベートーヴェンだってヴァイオリン協奏曲の表現力に限界を感じて1曲だけの作曲にとどまっているので、このジャンルの作品はそもそも「大作曲家」にとっては「画家の若描き」(未熟だけどシンプルな良さ)の類に属するのかもしれない。

それはともかく、グリュミオー以外にもっとマシな演奏はないものかと手持ちのCDを眺めてみた。

フランチェスカッティ、レーピン、オイストラフ、ハイフェッツ、オークレール、シュタインバッハー、そしてフリッツ・クライスラー。

フルトヴェングラーのこともあって、この中から一番期待した演奏はクライスラー(1875~1962)だった。往年の名ヴァイオリニストとしてつとに有名だが、何せ活躍した時代が時代だから現代に遺されたものはすべて78回転のSP時代の復刻版ばかり。

近代のデジタル録音からすると想像もできないような貧弱な音質に違いないとは聴く前から分かるが、あとは演奏がどうカバーするかだろう。
            

このクライスラーさんは自分が作曲した作品を大家の作品だと偽っていたことで有名だが、通常は逆で「大家の作品を自分の作曲だ」というのがありきたりのパターンなのでほんとにご愛嬌。

「フリッツ・クライスラー全集」(10枚セット)の中から、1939年に録音された「ヴァイオリン協奏曲第4番」(モーツァルト)を聴いてみた。ちなみに昔の録音は少し大きめの音で聴くに限る。

音が出た途端に「こりゃアカン」と思った。高音も低音も伸びていなくて周波数レンジが狭く何だか押しこめられた様な印象を受けたが、段々聴いている内に耳が慣れてきたせいかとても滋味深い演奏のように思えてきた。

近年のハイレゾとはまったく無縁の世界だが、ときどきこういう録音に浸るのもいい。むしろ音質がどうのこうのと気にしないでいいから、つまり、はなっから諦めがついているので純粋に音楽を鑑賞するにはもってこいかもしれない。

はじめに「ウェストミンスター」で聴き、途中から「AXIOM80」に切り替えたが、このくらいの名演になると、もうどちらでもヨロシという気分になってきましたよ~。

名演はオーディオを駆逐する・・(笑)。


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まったく思いもかけない発想の「密閉型」

2024年12月26日 | オーディオ談義

新しいオーディオ仲間との交流は、いろいろと視野が広がることが多い。

今回もそうだった。実例を上げてみよう。

現在楽しんでいるのがこのシステム。



ぐだぐだとシステム構成の詳述は避けましょうね(笑)。

聴いているうちに、「スーパー10の代わりになるかも」と思いついたのが倉庫に保管しているこのスコーカー(口径12cm)。



ナショナル製で受け持ち周波数は「200~6000ヘルツ」である。まさにピッタリなんだけど箱の中に納められるように「金属」(鉄ではない)ですっぽり覆われている。

箱の中でウーファーの背圧を受けないようにという工夫だろうが、密閉型というのがどうも気になって予備役に編入していたものだが、「H」さんが「AXIOM80」と併用されている「LS3/5A」が密閉型なのがヒントになった。



密閉型といいながら「AXIOM80」と対等に勝負しているぐらいだからきっとそれなりのメリットがあるに違いない。

強力に後押しされて物は試しと設置してみた。



コイルもコンデンサーも不要なので簡単に接続~。肝心の音だけど、これが想像以上に良かった。僅か口径12cmといっても家庭で音楽を聴くのならこれで十分だよなあ~。

やっとこのスコーカーが生き返ったと喜ぶのも束の間、「密閉型でこれだけ良く鳴ってくれるのだからスーパー10を密閉型にしてみようかな」と思い付くのにそれほど時間はかからなかった(笑)。

丁度適当なサイズの丸形の木材をいくつも保管していたので、ご覧の通り
さっそく取り付けた。



ただし、そのまま裏蓋を取り付けるのは芸がないので、片方には紙製の突起物を取り付けてユニットからストレートに受け止める逆相の音を乱反射させることにした。



内部の定在波を少しでも防ごうという魂胆だが、素人の浅知恵かもしれず片方(右チャンネル)だけ取り付けて左右の比較試聴してみると、明らかに突起物を付けた右側の音の方が柔らかい・・、効果あり!

で、結局最終形はこのようになりました。



音のスピードが全体的に速くなりました・・、いやあ~、メデタシ メデタシ。

ケースバイケースだけど、密閉型を大いに見直しました。一定の低音が出なくなるのは織り込み済みで、ウーファーと違ってスコーカーの場合は(密閉型は)大いにありですね。

この発想のヒントになった「H」さんに陰ながら感謝です。

最後に久しぶりに「チャットGPT」の出番です。

投げかけた質問は「スピーカーの密閉型のメリットについて段階的に考えてみよう」

スピーカーの密閉型(バスレフ型と対比して)にはさまざまなメリットがあります。これを段階的に考えていきましょう。

1. 音の明瞭さとクリーンさ

密閉型スピーカーは、内部に空気の振動を反響させることがないため、音がクリアでクリーンに再生されます。特に低音の「締まり」が良く、過剰に響くことなく、音楽の詳細が鮮明に聞こえます。

2. 低音のコントロール

密閉型は、低音の制御に優れています。バスレフ型とは異なり、バックエア(後ろの空気)と密閉された設計により、低音が過度に膨らむことなく、安定感を保ちます。その結果、深くて力強い低音を出しつつも、他の音域とのバランスが崩れにくいのです。

3. 音の放射方向のコントロール

密閉型は、スピーカーからの音が比較的均等に広がります。これは、音がスピーカーの前面から一方向に出るためで、部屋全体に音が広がりやすく、リスニングポジションからも良好に音が届きます。

4. エンクロージャーの簡素さ

密閉型の設計は比較的簡単で、バスレフ型に比べてダクトや追加の構造が不要です。これにより、スピーカーの構造がシンプルになり、製造コストが比較的低くなる可能性があります。また、エンクロージャーのデザインも自由度が高く、美しい外観が作りやすいというメリットもあります。

5. 歪みの低減

密閉型スピーカーは、音の歪みが少なく、クリアで正確な音を再生します。これは密閉された内部空間が不必要な共振を避け、正確な音波を外部に放出するためです。特に高音質を求めるオーディオファイルに好まれます。

6. 過負荷に強い

密閉型のスピーカーは過負荷に強いという特性を持っています。バスレフ型のスピーカーは、過度な低音の出力を求めるとダクト部分で風切り音や歪みが生じやすいですが、密閉型はそのような問題を避けることができます。

7. 部屋での適応性

密閉型は部屋のサイズや音響環境に柔軟に適応します。特に小さな部屋や響きやすい場所では、密閉型の方が音が過度に反響せず、音がしっかりとした印象になります。

まとめ

密閉型スピーカーの主なメリットは、音質の安定性、低音のコントロール、歪みの少なさなどが挙げられます。特に音の精度を重視する環境や、過度な低音が不要な場合に非常に有利です。また、設計がシンプルであり、過負荷に強い特性も魅力的です。

以上のとおりでした。もちろん、盲信は禁物です。真に受けるのも受けないのも貴方の自由ですからね~(笑)。



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「世田谷一家殺人事件」ほか~読書コーナー~

2024年12月25日 | 読書コーナー

☆ 世田谷一家殺人事件

年末になると、何となく思いだすのが「世田谷一家殺人事件」である。事件が起きたのは2000年の12月30日で、幼い子供を含めて一家4人皆殺しで、刃物によるその凄惨な殺され方も話題を呼んだ。

しかも事件後、犯人が長時間居座って、パソコンをいじったり、アイスクリームを食べたりと、異様な行動も明らかとなっているが、今年で24年経ったもののいまだに犯人は見つからず「迷宮入り」となっている。



その未解決事件に対して、フリージャーナリストの著者が事件の真相に迫った力作だといえる。

結論から言えば、犯人像は軍人上がりの韓国人で、もはや死んでいて日本に墓もある、そして事件の背景には土地の立ち退きに迫る利害関係があって、黒幕が居た・・、ということになる。

指紋を始めとして、沢山の遺留品があるのに杳(よう)として犯人の行方が分からないので、死亡説も頷けるところ。

ただし、本書によって警察が動いた形跡もないので、あくまでも参考意見の一つなのだろう。

事件に興味のある方はぜひご一読をお薦めしたい。

いずれにしても、とかく年末は物騒なので日中でも家のカギ閉めを怠らないようにしましょうね(笑)。

☆ 言語学者も知らない謎な日本語



一言でいえば、日本語の研究をしている言語学者が近年の「若者言葉」を解説した本である。

〇 「親ガチャ」

「日本社会の所得格差と教育格差を背景に世間に広まったのが2021年ごろ~。ガチャというのはインターネット上のゲームのガチャで自分の欲しいアイテムが自分で選べず、運任せになるように、どの親のもとに生まれるかもまた自分で選べず、運任せになることを指す。

つまり、ハズレの親を引いてしまうと、自分の能力や努力では容易に越えられない壁が生まれ、それによって自分の
将来が決まってしまうことを指す。

で、親のみならず会社では「配属ガチャ」「上司ガチャ」など、自宅では「隣人ガチャ」、大きな病院では「医者ガチャ」などが起こる。

結局、運の良し悪しが人生を左右することを意識するきっかけを「親ガチャ」が作り出したといえるのかもしれない。

というわけです。せめて、娘から「親ガチャ」だと思われたくないなあ~(笑)。

〇 よく調べてみると新語だった

たとえば「タメ口」は上下関係のある相手と対等な口の利き方をするときに使う言葉、視線が置き換わった「目線」、立脚点を表す「立ち位置」などを新語と意識せずに使っている。

他にも「一択」がある。実は「四択」「三択」「二択」はあっても「一択」は辞典に載っていない。

選択肢が表面上は複数あっても、諸条件を考慮すると事実上他の選択肢は選べずに一つに決まることを指す。

振り返ってみると、人生の3大岐路ともいえる「志望校の選択」「就職先の選択」「伴侶の選択」において、すべて「一択」だったなあ~(笑)。

〇 「神」

いつからか、日本語の世界に「神」という言葉が溢れるようになった。人の心を揺さぶるような奇跡のような出逢いには「神」がつくようになった。

スポーツなどで神がかったプレイは「神ってる」、料理では「神的な美味しさ」、落とした財布が無事に戻ってきたときには「マジ神」と称される。

ちなみにキリストのことを「マジ神」とは言わない。日本語における神は人間の延長線上にある神のような存在である。つまり、絶対神であるキリスト教の神に対し、日本の伝統的な神は比喩としての神であり、奇跡に近いような「やばい」存在であれば人でも物でもすべて神になれるのです。

せめて我が家では「この音は神ってる!」といきたいものすね~(笑)。

本書にはほかにもたくさんの「若者言葉」が羅列されているので、興味のある方はぜひご一読をお薦めします。

「推し」「限界オタク」「ブーメラン」「モブ」「フラグ」「罪の味」「崩壊」「誰得」「マジレス」「リアタイ」「やばい」「えぐい」

わかります?

〇 漢文で知る中国 名言が教える人生の知恵

現代中国は大嫌いだけど古代中国は好きという方が多いのでなかろうか。古来、中国が日本文化に多大の影響を与えたことは否めませんからね。



67頁に「遊戯三昧」(ゆげざんまい)という言葉があった。副題として「喜びも苦しみも含めて人生というゲームを楽しもう」

「仏教の言葉。時代や使う人ごとに意味用法は微妙に異なる。現代においては、

<この世はゲーム。自分はゲームの中のキャラクター。生老病死、喜怒哀楽、幸運も不運も、酸いも甘いも、みな人生というゲームの一部だ。挫折や苦労も含めて、一度限りの人生を楽しもう>

と達観した境地を意味することが多い。

で、文豪「シェイクスピア」は「すべてこの世は舞台、人はみな役者」と言ったそうだが、なんだか共通点があるとは思いませんか?



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唯一のより所は「赤帯マグネット」にあり

2024年12月24日 | オーディオ談義

10日ほど前に投稿したオーディオ記事「優雅な音を求めて」の中で、あえなく脱落したスピーカー「スーパー10」(英国ワーフェデール:口径25cmフルレンジ)をご記憶だろうか?



2~3日経ってから、どうもおかしいなあ・・、このユニットが落後するはずはないんだけどなあ~、昔から往生際の悪い人間だと自認しているけど、どうもスッキリしない。

で、その拠り所といえば「赤帯マグネット」の持ち主ということだけ・・、実はこれまで「赤帯」さんに裏切られたことが一度もないんですよねえ~。

というわけで、「私見」を交えてその実例を展示といきましょうかね~。

私見・・、勝手な言い分です。何しろオーディオ愛好家の数だけ私見がありますからね。

オーディオの華といえば「姿かたち」といい、その機能からいって「スピーカーに尽きる」ことに誰も異論は挟むまい。野球でいえばエースであり4番バッターである。

ここがしっかりしていないと組織的にガタガタになる、たとえて言えばドジャースから大谷選手を除いたようなものかな(笑)。

仮に「しょぼいアンプに豪華なスピーカー」 VS 「豪華なアンプにしょぼいスピーカー」のいったいどちらが絵になるのか・・、もう言わずもがなですよね。

で、これまでSPユニットに対してああでもない、こうでもないと長いこと彷徨ってきたが、近年に至ってようやく一つに収斂してきた。

それは「古き良きブリティッシュ・サウンド」である。「音」ではなくて「クラシック音楽」を聴くのであれば最適のスピーカーといえる。

スピーカーにも明らかにお国柄というのがあって、「古き良き・・」には自己主張が控えめで、思慮深くて品のいい奥ゆかしさがあるのが素敵。

ただし、「ブリティッシュ・サウンド」といっても広うござんす・・、我が家では、今は無き「グッドマン」「ワーフェデール」にとどめを刺す。「オーディオは良心的なメーカーほど早く潰れる」という典型的な好例ですからね(笑)。

で、現在愛用しているのはグッドマンでは「AXIOM80」(2ペア)、「AXIOM150マークⅡ」、ワーフェデールでは「スーパー12」(口径12インチ=30cm)「スーパー10」(10インチ)「スーパー3」(3インチ=10cm)といった具合。

で、「スーパー12」をオークションで手に入れたときの解説を再掲しよう。


出品タイトルには水彩画のような気品あるイングランド・トーン 英Wharfedale12インチ~希少なアルニコ赤バンのフルレンジタイプ~」とあった。

    

イギリス Wharfedale社の12インチ ( 30cm )、フルレンジ (ウーハ-)、Super12系のユニット。前期の赤帯のアルニコ・マグネットを背負った希少なユニットです。pair での出品になります。

さすがに、このクラスのユニットになると、重量のあるがっしりとしたフレームが採用され、作りに手抜きは見られません。フルレンジがベースになっているようですが、センターキャップの大きさからボイスコイル直径を想像するに、ウーハ-として使用した方が無難なようです。

ただ、もともとの作りがフルレンジであるだけに、このサイズとしては、高域も比較的よく伸びています。(アメリカ系によく見受けられるワイドレンジ・ウーハ-といった感じです。)したがいまして、クロスもかなり広範囲で選ぶことができますので、2way構成も可能だと思います。

音質的には、水彩画的といいいますか、ウェットでありながらさらっとした音質が魅力的だといえます。自らをあまり主張し過ぎない、当時の、気品あるイングランド・トーンといえるかもしれません。」

「水彩画的」とは言い得て妙だと思いますね・・、やや淡白な音の中にそこはかとなく色香が漂っている感じでしょうか。

ちなみに、我が家ではこの「スーパー12」をクロスオーヴァー「100 or 200ヘルツ」に使い分けて、ウェストミンスターに内蔵しています。

ムンドルフのコイルを2個使い、100ヘルツのときは2個連結の端っこにSPコードを挿し込み、200ヘルツのときは1個にSPコードをさしこむ。

エッ、分かりにくい? え~い、「百聞は一見に如かず」なので画像でいこう。

これが200ヘルツでハイカットした状態~。



ちなみに、コイルでハイカットした時と、チャンデバでハイカットしたときの「低音域の重量感」、言い換えると「封じ込め感」が明らかに違う気がするのはブログ主だけだろうか・・。

それはさておき、これでオーディオの生命線ともいえる「低音域の分解能と量感のマッチングが絶妙です!」と、自画自賛しておこう(笑)。

これらを前提にして、冒頭の「スーパー10」の再起用です。



前回と違って「スーパー10」を駆動するアンプをいろいろ模索したところ、「6A3シングル」がいちばん相性が良くて、ようやく「赤帯マグネット」の名誉挽回となりました!

メデタシ、メデタシ・・(笑)



年末まであとわずか1週間余り・・、このまま年を越せるといいんだけどなあ~(笑)。


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日常生活で「素数」に拘る理由

2024年12月23日 | 独り言

12月19日からガソリン価格が上がるというので、18日はガソリンスタンドに長い行列ができていた。

1リットル当たり5円上がるとして、40リットル入れたとしてもせいぜい200円ぐらいの節約にしかならない・・、それよりはむしろ待つ時間の方がもったいないと考えるのはブログ主だけだろうか(笑)。

否・・、これはむしろ昨今のものすごい物価高を背景にそれだけ困窮の度合いが逼迫している証左かもしれませんね。

先日の総選挙における自民党の敗北は「党の裏金問題」よりも、むしろ物価高に対する政府の無策への怒りが原因かもしれないと睨んでいる。

おっと・・、つい話が逸れてしまった。

現在乗っている車の走行距離は4年半で43000kmなので年間でほぼ1万㎞走っている計算になる。総燃費は17.3km/リットルで、ガソリン代が175円だから、距離的には「10円/km」のコストになる。

で、県立図書館まで自宅から往復40kmだから、1回パスすると400円の節約になる。そっちの方が大きい。

それでも週一回の図書館通いは止められない・・、何せ、たったの400円で新刊書をどっさり読めるんだからね(笑)。

で、このほど、たまたま見かけたのが「日本人の総疑問」。雑学大好き人間には、よだれが出そうな本である。

                

盛り沢山の質疑応答の中から特に興味を引かれたのが「なぜご祝儀は奇数がよいとされるのか?」

その答えは次のとおり。

「結婚祝いや入学祝を包むときに。いつも悩まされるのがその金額だろう。結婚祝いなら新郎新婦との関係や披露宴の内容、年齢によってずいぶん違ってくる。

ただし、いくら包むにしても共通しているのが奇数へのこだわりである。2万円、4万円より、1万円、3万円の方が縁起がいいとされる。

特に結婚祝いでは、偶数は「割れる」にも通じると、敬遠されている。このように、偶数よりも奇数にこだわるのは中国思想の影響である。

中国では昔から、陰陽の考えが基本になっており、奇数には、陽、明、表などのイメージがあるとされる。つまり積極的な面をあらわし、めでたい数字とされている。七五三の祝い、三々九度、三月三日の桃の節句、五月五日の端午の節句など行事や祝い事も、奇数にちなんでいる。

これに対して、偶数は陰となり、陽の当たらない数字とされた。この考えが日本にも伝わり、祝いの席では偶数を避けるようになったのである。」

まことにごもっともな答えだが、個人的には「縁起の良し悪し」だけではどうも説明がつかないように思う。

たとえば、けっして慶事とはいえない葬儀に列席するときに「ご香典」を包むわけだが、4千円とか6千円とかの偶数を包む人は先ずいないはず。

たとえば比較的近い縁者の場合なら3万円、ご近所などの場合は5千円といったところで、慶事ではないケースでも奇数が用いられているのでこれは上記の答えでは解釈できない。はたしてどう考えればいいのだろうか。


そこで、出てくるのが「素数」という概念である。


周知のとおり、「素数」とは「自分以外の数字でこれ以上割ることが出来ない数字」のことで、具体的には2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31・・・・・とアトランダムにずっと続いていく。ちなみに、2という数字は偶数では唯一の素数である。

この素数は若い数字では頻繁に出現するが数字の桁数が大きくなるにつれてまばらにしか出てこない。その出現する順番の法則を解明しようとしたのが、いまだに数学界最大の難問とされる「リーマン予想」である。

素数は「数の原子」とも呼ばれている。原子がはたして貴重かどうかは見解が分かれるところだろうが、モノの本質に行き着くという点では疑いを容れない。たとえば2、4、6などの偶数に比べて3、5、7の方が値打ちがある数字にみえないだろうか。

ちなみに、俳句は周知のとおり基本的には「5・7・5」短歌は「5・7・5・7・7」と素数で構成されていることも意味があるように思えてならない。

そして11月15日に神社に詣でる「7・5.3」(しちごさん)。

11月は素数の月だし、15日を素数に分解すると「7・5・3」だし、3歳のときは「男女とも」、5歳のときは「男の子」、7歳のときは「女の子」の成長を祝う行事として、すべて素数が絡んでくるのが興味深い。


なお、自分の誕生日は3月7日。3と7は素数だし、膨大な数の精子の競争を経て奇跡的に生まれてきたわけなので(誰でもそうだが~笑)、縁起をかついで日常生活では折にふれて「素数」を大切にすることにしている。

ちなみに、現在乗っているクルマのナンバーはわざわざ指定して「11-29」。両方とも素数というわけだが、実は娘の誕生日(11月29日)なのだ・・、そして家人の誕生日は「4月18日」、何だかやたらに能天気で安っぽい数字なんですよね~(笑)。


とまあ、こうして、よく考えてみると私たちの身の回りは四六時中、数字に取り囲まれているわけだが皆さんもやむなく何らかの数字を選択しなければならない局面に至ったときは、「数の原子=素数」を頭の片隅に置かれたらいかがだろう。

本書には、ほかにもたくさんの興味ある雑学があった。かいつまんでいくつか紹介すると。

「日本の地名は、なぜ漢字二文字が多いのか?」これに対して、

「いまから1300年ほど前に、地名は二字にせよという命令が国から下り、その名残である」

「会社に出す手紙はなぜ“御中”と書くのか?」これに対して、

『返信用のはがきや封筒にはよく「〇〇会社 行(宛)」と、印刷してあるが、そういう場合はその行(宛)を消して「御中」に直すのが常識である。なぜかというと、これは御社へ手紙を出すのですが、担当者などのお名前が分かりませんので、会社の中のどなたかにお出ししますという意味である。』

最後に「とてもヒマそうな古書店がつぶれないのはどうして?」これに対して、

「古書店にはふつうそれほどお客が入って繁盛しているとは思えないが、そうつぶれることもなく営業を続けている。いったいなぜだろう?

実を言うと、古書店は店頭で売っている古書の売り上げで喰っているわけではない。売り上げの多くは研究機関や学者、作家らから注文があったときに、何十冊、何百冊もの本を持ち込み相当な額の商いを成立させているのだ。

昔、作家の司馬遼太郎氏が歴史小説を書くとき、トラックで運ぶほどの古書を買い集め、古書の相場が動いたという話は有名だ。」

司馬さんなら十分頷ける話ですね。



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付かず離れずでいきましょうよ

2024年12月22日 | 音楽談義

前々回のブログ「壺中の天地を求めて」からの続きです。

ここ2か月余り「AXIOM80」がらみでご厚誼を賜っている「H」さんだが、オーデイオ絡みのメールのやり取りに加えて音楽についての情報交換も頻繁に行っている。

そういう「やり取り」を通じて、お互いのことをよく知り合えるのはたいへんいいことには違いないが、あまり近付きすぎても危険な要素を孕んでいるような気もする。

というのも・・、来し方
50年以上のオーディオ歴を振り返ってみて、様々な方々との「離合集散」を繰り返してきたが(けっして褒められたことではないですけどね・・)、その原因ともなると交流の密度が濃くなるにつれ、いろんな「不一致」が顕在化していって段々と疎遠になっていった気がする。

で、その「不一致」を具体的に挙げてみると、

 「オーディオ=音質」の好みの不一致

〇 「音楽」の好みの不一致

 「考え方・生活習慣」の不一致

これらの違いによって、「所詮は分かりあえないんだよなあ~」、という隙間風がそこはかとなく吹いてくるわけだが、生まれも育ちも、したがって「感性」も違う人間同士が一致するのは至難の業(わざ)というものですよね!

よって、相互の 「無暗(むやみ)な深入り」 は禁物というのが「大人の知恵」みたいな気がするわけで、その辺はHさんもご承知の様で「付かず離れずでいきましょうよ」と仰るので、(交流が)長続きするコツを分かっていらっしゃる・・と、大いに感心した。おそらく人生の酸いも甘いも噛分けた方なんだろうと推察している(笑)。

そういう前提のもとでの話だが、交流が深まるにつれHさんとかなり好みが一致しそうな気がしてきている。

たとえば、音質の好みに関しては同じ「AXIOM80」愛好家だから言うに及ばず、そして音楽の好みもなかなかの一致レベルなのである。

たとえば、Hさんの愛聴盤「荒城の月」のCDを「聴いてみませんか」と送っていただいたところ、これがなかなかいい。



このCDには20種類にもわたる様々な演奏が網羅されている。

たとえば、「第7トラック」に「マルセル・モイーズ(フルート)」、「第15トラック」には「ピエール・ランパル(フルート)」、そして「第16トラック」には「ゲリー・カー(コントラバス)とハーモン・ルイス(オルガン)」などが含まれていて、聴いていて心が洗われる思いがした。

原曲は周知のとおり「滝 廉太郎」(たき れんたろう)作曲で、幼少期を大分県竹田市で過ごした明治期きっての作曲家だったが、23歳と11か月であえなく病没したのは返す返すも惜しい。

もう少し長生きしていれば、彼は「日本のモーツァルト」になれた可能性が大いにあると思う~。

「荒城の月」以外にも「花」(♪春のうららの 隅田川・・)なんか有名ですよね。

ほかにもHさんは「加藤登紀子」さんがお好きと仰るから「満州里小唄をご存知ですか?」と情報提供した。



「You Tube」で簡単に聴けるから、と挙げたのだが、哀愁を帯びた歌唱力にゾッコンで「琵琶湖周航の歌」と並んでこの曲は加藤登紀子さんの代表曲じゃないかな~。

ちなみに、Hさんはお気に入りの曲についてけっして「You Tube」で済まそうとはされない、必ずCDを購入されるほど念が入っており、この「満州里小唄」もわざわざCDを購入されたそう。

「100点で聴けるものを95点で済ますわけにはいきませんからね」とのことで「シビヤでいい耳をされてますね!」「ハイ、AXIOM80のおかげです」

ウ~ン、参りました!(笑)。

最後に、これはまだHさんにはご連絡していないが、「ナナ・ムスクーリ」(1934~)という往年のギリシャの名花を自信を持ってお薦めしたい。このところ毎日「You Tube」でアルバムを聴くのが定番となっている。



ネットにはこうある。

「全世界で300万枚以上のレコード、450枚のアルバムを発売し、15言語(ギリシア語、フランス語、英語などど)で約1500曲の歌を発表した。

また、世界中で230以上のゴールド及びプラティナディスクを記録している。世界で最も、レコードの売り上げが多い歌手の一人であり、その売り上げ枚数は、2億3000枚以上ともいわれる。

クラシックの素養に裏打ちされた歌唱力もあって、持ち歌のレパートリーは大変広く、ジャズからポップス、クラシック、ギリシャ音楽からラテン、各国の民謡・童謡まで、オールラウンドにこなす。

ヒット曲は「愛」をテーマにしたものが多く、憂鬱、切望、および感傷的な黙想を愛の歌によって、かもし出しているといわれている。」

明らかにクラシック出身と思わせるその歌唱力、琴線に触れてくる独特の声音・・、ヒーリング系の歌手として是非一度聴いてみる価値ありだと思いますよ。もうとっくの昔に知ってるよという方がいらっしゃるかもしれないが~。

このブログの毎日の読者がおよそ1000人余り、そのうちの2割が「You Tube」で実際に聴かれたとしてそれが200名、そのうちの2割の「40名」が「満州里小唄」や「ナナ・ムスクーリ」を気に入られたとしたらブログ主は上出来だと思っています。

えっ、なぜ2割か?ですって・・、ほら「パレートの法則」(20対80のバラツキの法則)ってのがあるじゃないですか!(笑)


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素敵な言い訳~そのときは一生懸命だったんだから~

2024年12月21日 | 独り言

人生は、大なり小なり「失敗の歴史」に彩られているといっても過言ではないと思う。振り返ってみると、あのとき、ああしておけばよかったのに・・、というのが誰しもあるはず~。

もちろん、各人それぞれの見方によると「成功の歴史」ともいえるわけだが、何だか失敗の記憶の方が「悔恨の情」として色濃く残りやすい気がする。

ブログ主の場合は、致命的な失敗は無かったが、小さな失敗はそれこそ数知れず・・、とりわけオーディオは金銭絡みの失敗の連続です。

その失敗を取り繕うために、ああでもない、こうでもないと毎日右往左往しています(笑)。

で、その失敗だが「失敗は成功の母」という言葉があるように、その失敗がその後の人生にどう実りをあたえたかということこそポイントでしょう。

先日のこと、メル友の「I」さん(東海地方)から次のようなメールをいただいた。

「先日仕事に出かける時にテレビから塩野七生さんの声がしたので、録画にして帰宅後観ました。高校生(母校にあたる学習院)との対話でした。
 
素敵な人ですね。
 
ずっと以前にテレビで対談(相手は たけし でした。誰が組み合わせたのか、てんで話にならない)を見て、「この人と一緒に旅行をしたい」と思いました。
 
そんなことはかないませんね(笑)、そのための著作ですね。
 
「五賢帝」の前で読書が止まっている「ローマ人の物語」を読むのを再開しようかと考え始めました。独り言です。お聞き流しを!」

歴史作家「塩野七生(しおの ななみ)」1937年7月7日生~



すぐに返信した。

「メールありがとうございます。あまりの符号に驚いてます。

わたしも、たまたまテレビから「塩野」さんの声がしてきたので観ました。

そして仰ることの素晴らしさについ胸が熱くなりました。明日の日本を担う高校生たちに「これ以上の教えがあるのか」という思いがしました。

ほんの後半部分だけでしたが、「(行動規範として)見苦しいことをするな」「自分が絶対正しいと思うな」などは特に記憶に残ってます。」

というわけだが、その点、ブログ主はあらゆる問題に亘って「自分だけが絶対正しい」と思ったことは一度もないですね、これだけは自慢できます。

さらには、個別に分け入って90点ぐらいまでは正しいかもしれないが残りの10点には疑問の余地があると思うようにしています・・、オーディオも例外ではありませんから念のため~(笑)。

さらに「I」さんによると、録画していない前半部分では、「免疫力」について述べられたとのこと。

「必ず役に立つことを言います。若いうちに失敗を恐れずにいろんなことを経験して免疫をつけることです。」とのこと。

う~ん、たしかにそうなんだけど・・。

失敗といってもピンからキリまであるだろうが、今になってもふとした時に数多くの中途半端な失敗の体験が思い出されてきて、ときどき苦~い思いをすることがあり、どうやら自分の場合は失敗が免疫になってくれなかった模様(笑)。

前述したように、幸か不幸かこれまでスケールの大きな失敗が無かったせいかもしれない。

そういえば・・、

先年の「私の履歴書」(日経新聞:1か月連載)に搭載されていた俳優の「山崎 努」さんの登場は、財界人たちのありきたりの「自慢話」とは違って「物の見方・考え方の多様性」が出色だと思った。柔軟な人間性は演技でいろんな役柄をこなしてきた賜物だろう。

その中で、山崎さんは若い頃の演技が今となってみるとあまりにも下手過ぎて見てられない、とても恥ずかしい思いをするばかりだと述べられたうえで、当時の黒澤明監督に「過去の映画を観て後悔することはありませんか」と訊ねしたら「どうして後悔すんの?、その時には一生懸命にやったんだから仕方がないじゃない、後悔なんかしないよ」との趣旨の回答があって、なるほどそれも一つの考え方だと納得されたとのこと。

どんな失敗でも「その時は一生懸命だったんだから」・・、素敵な言い訳ですよねえ。

とはいえ、ブログ主のように常々「一生懸命」じゃなかったとしたらどうすんのよ~(笑)。



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「壺中の天地」を求めて

2024年12月20日 | オーディオ談義

先月(11月)27日付のブログ「AXIOM80で広がる交流の輪」で紹介させていただいた「H」さん。

「あなたのブログに触発されて大先輩にあたるお師匠さんを拝み倒してAIOM80を手に入れました」とのことだった。

この拙ブログがお役に立てたとしたらありがたいことです(笑)。



「それは良かったですね、一生付き合えるSPですよ。今後とも情報交換を続けましょうよ」と、素直に喜び合ったことだったが、爾来、今でも日毎に平均2通ぐらいはメールを交換している。

お互いに熱心な愛好家なので音楽からオーディオまで話題は尽きない。

そのうち、「AXIOM80」(以下「80」)への熱意が嵩じるあまり漢字化されたのには恐れ入った。

それは「AXIOM=安喜志音夢」

「安」はいつも安心して聴ける、「喜」はいつも喜んで聴ける、「志」はブログ主の名前が「隆志」なので、その一文字を使用、「音夢」はまさに夢のような音、というわけです。

発想が素晴らしい!(笑)

それはさておき、「80」の前までずっとHさんが愛用されてきたのはロジャース(英国)の「LS3/5A」スピーカーだそうである。

まだ実際に聴いたことはないけど、きっと英国製らしい優雅な音がするんだろうなあ・・と、想像していたところ、たまたまオークションに出品されていたのが目についた。

    

こういっては何だが何の変哲もない密閉型の小型スピーカーである。

ところが・・、スタート価格が「398,000」円なり~。

エ~ッ、「AXIOM80」(オリジナル)並みの価格に驚いてしまった。おそらく、このスピーカーの独特の音色に執着される方が多いのだろう。

Hさんによると「LS3/5A」に至った経緯は要約すればこうである。

「LS3/5Aを最初に知ったのは、トロンボーンを吹く友人がオーディオ店で買い(その前はダイナコ A25XS)、それを聴かせてもらってから私は沼にどっぷり~。

その後、小型SPにすっかりハマってしまい、ソナスファーベル ミニマを
手に入れましたが壊してしまい、とうとう同じ大きさのロジャースの3/5A (15Ω)をオークション、でポチして今日に続いています。
 
このSPのどこが良いかと言えば破綻が無く安心して聴けることです。イギリス(GB)BBCの規格品としてネットワークの緻密さは到底、素人が出来る物ではありません。密閉型なので英国の香りが箱の中に実際に籠っているはずです」

ということでした。現在は「80」と併用して楽しんでおられるご様子~。

おそらく「渋好みの通」といったところだろうか。

ふと、最近愛聴している「PL100」(英国モニター・オーディオ)にイメージが重なってしまった。これこそ現代版の「LS3/5A」ではないだろうか。



共通点を挙げてみると、

「同じ英国製」「図体が小型」「ウーファーの口径は10cm」「2ウェイ方式でクロスオーヴァーは3000ヘルツ前後」

そうか・・、モニター・オーディオ社が「LS3/5A」を模して作ったのが「PL100」だったのかもしれないなあ~。

ピンからキリまであるオーディオシステムだが、「壺中の天地」・・、その味わいを求めるのに小型スピーカーこそ相応しいものはないのかもしれませんね。

結局「80」と「PL100」の二つがあれば、「天下無双」といきたいところだが・・、やはりときどきは「ウェストミンスター」の重低音も聴きたいしねえ、やっぱり永久に成仏できそうにないです、ハイ(笑)。


 

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気になる「クラシック音楽の行く末」

2024年12月19日 | 音楽談義

ブログを始めてから19年と2か月になる。長いか短いかは別として、愚にもつかないことを毎回グダグダと書き連ねているわけだが、お馴染の読者さんならご承知のように内容の主体はオーディオがらみの話になっている。

で、ときどき目先を変える意味でオーディオ以外の話題、たとえばクラシック音楽の話に振ったりすると途端にアクセスがガクンと落ちてしまう(笑)。

「桐一葉落ちて天下の秋を知る」・・、おそらく世間一般的にクラシック音楽の話にはあまり興味がないことの一つの証左になるのだろう。

まあ、アクセス数の多寡なんか他人にとってはどうでもいいことだろうし、本人にとっても何らかの得失につながるわけでもないのだがクラシック音楽の現状に対して思わず「ため息」をつきたくなる。

ジャズなんかは
ファン層からして一様に元気がいい印象を受けるのだが、クラシックファンとなると先細りの傾向だと思うのは自分だけだろうか。

それにクラシック音楽は自己の内面に「静謐(せいひつ)感」を持っていないと鑑賞できない音楽だが、身の回りにこうもネットやスマホの情報が氾濫して騒々しい世の中ともなると、ますます環境が悪くなり「退屈な音楽」として時代に取り残されていくばかりのように思われてならない。

折しも、先日の日本経済新聞の文化欄に次のような記事が掲載されていた。

    

タイトルは「クラシック界の未来」。記事の作者は「片山杜秀」(かたやま・もりひで)氏で、音楽評論家であり、また現役の慶応大学教授としてご活躍されている。

内容をかいつまんでみると以下のとおり。

「クラシック音楽はポップスなどと比べると効率が悪く、コンサートの開催などにとてもお金がかかる。そこで関係者が心配しているのが文化芸術に対する公的規模の助成の削減だ。オリンピック後は予算が介護や教育で手いっぱいになってしまうし、そもそもクラシック音楽の優先順位は決して高くないのでこれから衰退の一途をたどるばかりではなかろうか。

日本の豊かさのモデルは欧米にあり、品のいい欧米の上流・中流家庭のイメージに見合うのはまずその種の音楽だった。大正や昭和初期の富裕な高学歴層のステータス・シンブルの一つは西洋クラシック音楽であり、それが理解できることが先端的な教養だった。

しかし、それは一時の夢だったようで、60年代以降の若者たちは高齢世代への反発も手伝ってロックやフォークに自由な気分を求めていった。この世代は歳を取ってもクラシック音楽になびかない。日本に限らず欧米でもそうなっている。

クラシック好きの割合は「40~50代」は上の世代よりも激減しているのがコンサートの客層からして見て取れる。今後、先進資本主義国の経済と社会の様相は変貌する一方であり、厚い中産層が解体して貧富の差が広まる。それはすなわちクラシック音楽の趣味を持ちうる階層が壊れていくことである。

それでも西洋諸国にとってのクラシックは「伝統芸能」であり「観光資源」であるから無くなっては困るというコンセンサスは残るだろう。だが日本は歌舞伎や文楽や能もある。クラシック音楽は援助しないと成り立たない厄介な外来文化にすぎない。その事情がますます顕在化するのが令和の御代になるのだろう。

厳しい時代だ。とはいえ、クラシック音楽は一定規模で定着している趣味には違いない。たとえ縮小するにしても市民権はある。適正な規模での生き残りの主張をしていけば、なお未来はあると信じている。」

とまあ、大要は以上のとおり。

実際にその通りなんだろうし、内容にいろいろケチをつけるつもりはないのだが、すでにお気づきの方もいると思うが、「クラシックはコンサートに尽きる、したがってお金がかかり過ぎるので衰退の一途を辿るだろう。」という論調がちょっと気になる。

何もコンサートには行かなくても自宅のオーディオシステムでささやかながらクラシック音楽を楽しんでいる連中はいっぱい居るのになあ(笑)。

女流ピアニストの「マリア・ジョアオ・ピリス」は、いつぞやのテレビ番組で「何も着飾ってコンサートに行く必要はない。それよりも日常の家庭生活の中で身近にクラシック音楽を楽しむべきだ。」と言っていた。その通りだと思う。

むしろコンサートの減少云々よりも、これからクラシック音楽を若い世代、とりわけ幼少期にどうやって広げていくかが課題というべきだろう。

別にクラシック音楽に親しむことで他人に優しくなれるわけでもないし、世の中のお役に立てるわけでもないが、個人の人生が豊かになることはたしかだし、情操教育にもいくらかは役に立つことだろうから、幼少期からのクラシック音楽への触れ合いはとても意義のあることだと思う。

自分の拙い経験で言わせてもらうと、小学校の低学年のときにプラネタリウムを見学したときのこと、星座が投影されていく中でBGMとして流されていた音楽が何となく頭の片隅に残り、ずっと後になってそれがシューベルトの「未完成」交響曲の一節だったことが分かった。

したがって学生時代になって最初に購入したレコードはいまだに忘れもしない「運命/未完成」(ブルーノ・ワルター指揮)だった。

今思うと、あれがクラシック音楽に芽生えた瞬間だったんだよなあ~。


とにかく「食わず嫌い」が一番良くないので小中学生ぐらいのときに、どうやってクラシック音楽に触れ合う機会をつくるかが肝要だと思う。

たとえば学校に安価でもいいから、そこそこのシステムを設置して授業などを通じて音楽鑑賞をしたり、時間外にはオーディオシステムによるコンサートを開いたりするも一つの方法かと思うが、こればかりはひとえに教師の熱意にかかっているがはたして現実はどうなんだろう。

そういえばマニアの遺族が不要になったオーディオ機器類を小中学校に寄贈できる仕組みがあったりするといいかもしれない。すると管理もたいへんそうなので「校医」ならぬ「音楽&オーディオ医」も必要かもしれないですね。

もし要請されたとしたら、ボランティアとして喜び勇んで駆け付けますよ~(笑)。



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ミステリー2冊~読書コーナー~

2024年12月18日 | 読書コーナー

「杉江 松恋(Sugie Mckoy)」氏の著作「日本の犯罪小説」を一読したところ、たいへんな力作だと思った。



あまりにも丹念かつ詳細な考証に「書き下ろし」ではこうも行くまいと思っていたところ、やはり「ジャーロ」というミステリー雑誌に隔月で3年間に亘って連載されたものを集大成した本だった。

ミステリー・ファンには一読の価値ありです。

ちなみにペンネームの「松恋」を「マッコイ」と読ませる粋なネーミングに感心しました(笑)。

たしかジャズ・ピアニストに「マッコイ・タイナー」という人が居ましたよね。

それでは、ネットレヴューから2件引用。

「帯文の言葉を借りると、本書は〝18人の作家の創作の秘密に、「犯罪」のキーワードから迫る、迫真の文芸評論〟だ。まったく手を出していなかった作家さんもいれば、既読ながらすっかり忘れている作品もあったが、読んでみたくなったり、読み返したくなった作品がわんさか。

この作家さんはこんな経緯であのスタイルに辿り着いたのか、なども興味深く、とにかくなるほどの連続だった。杉江氏の豊富な知識と真摯な眼差しで記された作家論・作品論集であり、自分にとっては、めちゃくちゃおもしろい「犯罪小説」の参考書兼副読本。付箋まみれですわよ。」

2件目

「普段からYouTubeでわかりやすくミステリを紹介されているので、ついつい作者の本も買ってしまうが犯罪小説という切り口の本はあまりなくて、ミステリの書評は数あれどあまり取り上げられてこなった作家も読めて興味深いですが、本人のせいではないが、労作だと思うけどやや高い値段設定が悔やまれる。」

次いで、「松本清張はよみがえる~国民作家の名作への旅~」


国民的作家といえばイメージとして浮かぶのはまず「司馬遼太郎」さんだが、「松本清張」さんだって引けを取らないと思う。

本書の前書きにこうある。

「戦後日本を代表するベストセラー作家であり、映像メディアの世界にも巨大な足跡を残した国民作家だった。映画化された作品が36本、ドラマ化された作品は無数にあり、放送回数は千回をゆうに超える。「張り込み」「一年半待て」「霧の旗」「天城越え」「わるいやつら」「黒革の手帳」などの映像作品が時間を経ても変化しない人間の欲望や感情を巧みにとらえている。」

たとえば、毎月、1か月間のテレビ番組を紹介した「デジタルTVガイド」を購入しているが、頻繁に見かけるのが「清張ミステリー」と銘打った2時間番組で、膨大な量に上るミステリー作品をもはや録画する気になれないほど繰り返し、繰り返し放映されている。

しかも社会派という色彩が色濃く反映されており、ありふれた市井の人間がふとしたきっかけで犯罪者や被害者になる怖さといったら・・、いつの時代にもありそうな話なので古びた感じがしないところも、今でも重宝されている理由だろう。それに「タイトルの命名」が実に巧いと思う。

「ゼロの焦点」「点と線」「波の塔」「歪(ゆが)んだ複写」「球形の荒野」「時間の習俗」「Dの複合」「砂漠の塩」「砂の器」

次いで、ネットレヴューから4件紹介。

「清張の代表作50作を紹介した入門書。作品のテーマ、当時の世相、題材となった事件、作者の思想を一作一作丁寧に解説している。面白いのは作品ごとに他の作家の類似作を挙げていること、例えば「張込み」には角田光代の「空中庭園」のように。これが50作全部に。それから文中しきりに「感情の訛り」という言い回しが使われているがこれは清張の文章にはないように思うので、著者の造語だろうか。特に注釈もなくて気になる表現だ。清張の作中人物に見られる特有の感情の動きを指しているようで、分かったような分からないような不思議な表現だ。」

「2022~3年にかけて西日本新聞に連載されたものとのこと。筆者の印象に残る50作を、年代順に並べて粗筋や見どころの紹介をしている。なかなか読み応えがあって良かった。あと表紙もそうだけど鉛筆画?の挿絵のインパクトと味がすごい。時々恐い。連載時にも掲載されていたのかな。 未読作品中、気になるものを図書館のリストに登録していたら、『花実のない森』が2冊とも貸出中だった。きっとこの本の影響だ!」

「オススメの清張作品を50個、挿し絵付きで紹介している。作品の概略と、類似した現代小説も紹介されており読書体験が広がりそう。また、清張さんが作家になる前の戦中戦後の苦難がどのように作品に影響しているかという言及もあった。

私は、松本清張記念館でそのような苦難を初めて知り、それがきっかけで作家本人を好きになった経緯があるのでここは興味深かった。挿し絵もとても良い!ポストカードがあれば買いたい!まず挿し絵だけ見て作品名を当てるゲームをひとりでしていた。難問多し(笑)『西郷札』は秀作だった。」

「清張の作品解説として面白く読み通した。ドラマや映画などの映像が清張作品を高めたのは確か。未だに時代に合わせた変化を持たせながら発展しているのもすごいと思う。筆者が挙げた類似作を読んでみようと思う。」

清張さんに興味のある方は一読の価値ありです。

厳冬期は出歩く機会が少なくなるので、「読書とオーディオ」にピッタリの季節だと思うんだけどなあ~(笑)。



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たった「5点」の差に執着するのか、しないのか

2024年12月17日 | オーディオ談義

3日前のブログ「優雅な音を求めて」の中で俎上に乗せた「PL100」(英国モニターオーディオ)。

小型スピーカーならではの引き締まった「シャープな音像」にひときわ魅せられたのは既述どおり。



文中、こう記していたのをご記憶だろうか。

「優雅さ」だけでいけば「AXIOM80」が100点満点とすれば、(PL100は)95点はいくと思う。この5点の差は「音響空間に微かに漂う余韻」の差に求められるが、これだけのレベルに達すれば言うことなし!」

「言うことなし!」・・、こう書いてたけど「手をこまねいて放っておくわけにはいかんよなあ」とオーディオの虫がつい騒ぎ出してしまった(笑)。

つまり「たった5点の差に執着するのか、しないのか」が、オーディオ愛好家としての分岐点というわけです。

で、その発想の根拠となったものはといえば、

「リボン・ツィーターを比較的低い2800ヘルツ(クロスオーヴァー)から受け持たせたら、1万ヘルツ以上の最高音域が手薄になるかもねえ~、その辺が5点の差に繋がったのではないか~」という予測。

「予測」とくれば、「実験」と「検証」が付きものです(笑)。

そこで、1万ヘルツあたり以上の帯域を補うために「ツィーター」の追加案が浮上し、手持ちの2本を実験してみることにした。

最初は「スーパー3」(英国ワーフェデール)。



見るからに大きくて強力なマグネットが付いている。



「マイカ・コンデンサー+ウェスタン製のブラックタイプのコンデンサー」で、およそ8000ヘルツあたりでローカットした。

ちなみに、「スーパー3」を置く台座は100均で調達した2本の丸棒の先端を針金でくっつけて使用した。オークションに出品されてた画像の台座は3000円もしていたんだから節約もいいところ~。



見栄えは随分違うけどね~(笑)。

「スーパー3」を駆動するアンプは別途用意して、比較的パワーがある「2A3シングル」の出番~。出力管は希少な「VISSEAUX:刻印」(フランス)。



さっそくスイッチオンして聴いてみると、悪くないなあ・・、高域のレンジが明らかに広がってこれでも十分いけそうだ。

検証その1:まずは合格。

次いで、2台めのツィーターを試してみた。

デッカの「リボン・ツィーター」である。同じ「リボン」型式だからうまく調和しそうとの予感がはなからする。



余談になるが、このデッカはあの「プリアンプ」で有名な「マーク・レヴィンソン」氏が使っていた「H・Q・D」システムの一部を成していたことでよく知られている。

Hは「ハートレーのウーファー」、Qは「クォードのコンデンサー型をスコーカーとして使う」、Dは「デッカのリボン型ユニットをツィーターとして使う」というもの。

デッカのツィーターは「リボン」型特有の自然かつ繊細な響きによってクラシックにもジャズにも使えることで重宝されており、古参のマニアに愛好者が多いことで知られている。

そもそも往年の音楽ファンにとっては「デッカ」と聞いただけで胸がふるえるほどのブランドだからイメージとしてはとてもいいはず。

一時ツィーターに嵌っていた時期があり、あまりにも評判がいいので「物は試し」と購入したのだが、JBLの「075」あたりと比べると能率が若干低いため使いづらく、このところ物置の片隅でずっと「髀肉之嘆」(ひにくのたん)をかこっていたのが実状である。   



ローカットを調整するコンデンサーもアンプもそのままで、ツィーターだけ入れ替えたが、明らかに「スーパー3」よりも上で、全体の音色にまったく違和感がないのに驚いた。

検証その2:やはり「リボン」には「リボン」が合うなあ~。

よしっ、「5点」の差は完全に埋まったぞ・・、正月までこれで行こう!!

副産物として、やっとデッカの「生き場所」が見つかったのでひと安心(笑)。


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