「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオ談義~「ご意見拝聴」~

2010年09月30日 | オーディオ談義

先日、9月25日(土)のこと。

久しぶりにオーディオ仲間のAさんがお見えになったので「真空管」や「スピーカーの置き台」の変更に伴う音質の変化についてご意見を拝聴することにした。

おそらく自分だけかもしれないが、一人で試聴するとどうも細部にこだわって全体を見失いがちで(囲碁で言えば
「大局観」ということになるのだろうが)そういう傾向があることを自覚しているので丁度いい機会。

まず最初は真空管アンプの出力菅の変更。

☆ PX25(イギリス製)とRD25A〔テスラ:チェコ製)

現在、中域~高域にかけて使用しているSPユニット「アキシオム80」を駆動している真空管アンプの出力菅を取り替えての比較試聴。

アメリカ製のWE300Bと並んで名三極管と称されるPX25は イギリス製のオリジナルのほかにも欧州系としていろんなタイプが発売されている。

(画像クリックで拡大可)    

〔左がPX25、右がテスラRD25A)

たまたまネット・オークションで同等の規格品〔形状もソックリ)としてRD25Aを見かけたので、値段の手ごろ感もあってここ1年ほどの間に6本購入している。現在PX25も6本所有しているので合わせて12本。

ほとんど毎日聴くとして、真空管の寿命がペアでおよそ5年〔甘いかな?)とすると30年間ほど保てることになる。

これだけあるともう補充しなくて大丈夫だと思うが、問題は日頃どちらをメインに聴くかという問題。それぞれに一長一短があって正直、迷っている。

好き好きの範疇だと思うものの、今回Aさんのご意見を聞いてはっきり白黒をつけてやろうという魂胆。

まずテスラでひとしきり聴いてみて、次にPX25に交換。

「ウ~ン、やっぱり違いますね。音響空間が爽やかに広がる印象があります。明らかに質感においてPX25の方が上です。ただし、中域から低域にかけての厚みはテスラのほうに見るべきものがあります。」

「日頃聴くときはテスラにしておき、お客さんが来て一緒に試聴するときはPX25にしたらどうですか。それにテスラのエージングがもっと進めば”大化け”する可能性を感じますよ。」

所詮、真空管は消耗品に過ぎないが使えば使うほど音がこなれてきて、いよいよ”イカレル”寸前に「妙なる響き」を絞り出すものもあるという。

もしかするとテスラ製もその類かもしれないなどとひそかに期待しつつ毎日使い続けることにした。

☆ SP(スピーカー)の置き台

低域用のユニット4本を収めたSPボックスの置き台としてこれまでビールケースを使用していた。丁度高さが手ごろだし、何といっても軽いので動かす作業が簡単!

     (画像クリックで拡大可)  

もともと”カミさん”が”猫の額ほどの庭”でガーデニングをやっているが、花壇用の置き台として酒屋を営む女主人〔友人)から頂いたものを無理を言って取り上げたものだった。

しかし、ちょうど2週間ほど前に、SPユニットの使用を4個から3個にしたこともあり、音源の位置を耳の高さに調整できるようになったので、「もうイイヤ」と外して、ややご機嫌斜め状態のカミさんに返しておいた。

当然、外す前と後の比較試聴を行ったがどうも低域の分解能が心なしか劣化したように感じた。思わず「失敗(しま)った」と思ったが、もう返した後だし、カミさんのうれしそうな顔を見ていると今さら返せと言い出せなくなった。それにもう一度入れ替え作業を繰り返すのも面倒だし~。

「まあいいか」と詰めが甘いままにしていた状態で、今回のAさんとの試聴。当然、Aさんは以前のビールケースを置いていたときの音質をご存知だ。

「えらく音が変わりましたね。前回来たときは実にいい音だと感心しましたが、今回は明らかに低域の分解能が落ちてます。置き台の有る無しでこんなに変わるものですか」とビックリされている。

「やっぱり、そうですか」。

落差がある事は認識していたが、その程度が問題でこれほどとは正直思わなかった。マダマダ甘いと反省した。

「よ~し、こうなるともう一度ビールケースを奪い返えさなければ」。

これからカミさんとの凄絶なバトルが待っている~。おお、コワ!


 


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独り言~「物思う芸術の秋」

2010年09月23日 | 独り言

昔から本が好きでヒマさえあれば何か読んでいる。まあ一種の「活字中毒」みたいなものだが、読んでいる中身が中身なのであまり褒められたものではない。

”自分さえ面白ければそれでいい”という割り切りの中での濫読、しかもミステリー中心なので自己を高めるような「高尚な本」がほとんど見当たらない。

それを反映してかブログにも「高尚な話題」がまったく見受けられないのがちょっと残念!

とはいえ、中には「考え込まされる」記事に時々出会うこともあり、その都度こまめにコピーして保管しているが、先日何気なく整理していたらそのうちの一つに次のようなものがあった。

それは、2002年12月24日号の「エコノミスト」誌に特別寄稿されていた河合隼雄氏(故人:元文化庁長官)の「現代病が中高年を襲う」だ。河合隼雄(かわいはやお)氏といえば国際的な「ユング心理学」研究の第一人者。

                   

この記事は現在でも社会問題となっている中高年の自殺についてその原因と対策を心理学の立場から分析したものである。

少々舌足らずだが要約して、箇条書きにしてみた。

1 人生の前半と後半では生きることの意味が変化することに早く気づく。つまり、前半は地位、財産が向上するが、後半は死に向かって下降していく

2 中年期は価値観の転換とともに「老」「死」に対する準備を始める時期

 そのためには、仕事だけでなく幅広く文化的なことや芸術に関心を向ける

 一流の文化や芸術はその底流に「死」を内在させていることに気付くことにより、「死」をいかに受け止めるか自然と考えるようになる。

 しかし忙しい現代人にはあまり悠長なこともいっておられないのでとりあえず「こころの出家」を薦める。

 「こころの出家」とは、日々の生活の中で今まで居たところから「出て」外から自分を眺めてみること。

大要は、「中高年はもっと異なる文化や芸術に関心を持ち、心のゆとりを持って自分の世界を広げてみよう」ということのようである。

幸い趣味が音楽なので「こころの出家」は自分なりに実行しているつもりだが、の項目の
「一流の文化や芸術はその底流に”死”を内在させている」
の真意がちょっと分かりづらい。

たいへん含蓄に富む言葉だと思うのだがこれは一体どういう意味だろうか?

「死は最良の友だちです」とは父親あての手紙に書き記したモーツァルトの言葉だが、一流の芸術作品には何代に亘っても朽ち果てない永遠の生命力が吹き込まれていることと関係するのだろうか。

「五味康祐」さん流に解釈すると「一流の芸術には神があり死がある。神とは民族の発生から終末にいたるその民族の人格に他ならない」ということになる。

最終的には書いたご本人にお伺いするのが一番よいのだが、河合さんは既にお亡くなりになっているので永遠に未解決。

しかし、むしろこうしたテーマは漠然とした意味のままに折にふれときどき考えることに意義があるのかもしれない。

今年の猛暑には閉口したが、23日を境にようやく涼しくなるという。

さあ、いよいよ「物思う芸術の秋」の到来です。


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オーディオ談義~「真空管アンプ熱中人」

2010年09月21日 | オーディオ談義

「明日(17日)の金曜日に佐久間式真空管アンプの特集番組があるの知ってる?」と高校時代の同窓のU君からメールが入った。

「えっ、全然知らなかった~、教えてくれてありがとう、感謝感激!」

やはり持つべきものは友人である。危うく大事な番組を見逃すところだった。

NHKーBS2「我ら熱中人」(夜の10時45分~11時)。

早速録画して番組をじっくり観た。

番組の主役である「佐久間 駿」(さくま すすむ)さんは真空管マニアなら一度は耳にしたことがあるはずの有名な方。

およそ20年ほど前に著作の
「直熱管アンプ放浪記~失われた音を求めて~」を購入して読んだことがある。手元にないので倉庫に入って探したところやっと見つけた。

        (画像クリックで拡大可)

この本で知る限り、たいへんジャズがお好きで「お気に入りの音」で聴くためにWE300Bなどの銘管を使って次から次へのアンプづくりのノウハウが主体になっているので完全にハードのマニア向き。

自分は真空管アンプを愛好するだけなのでオーディオ的関心からザット目を通しただけだったが、当時、館山市〔千葉県)の「コンコルド」(レストラン経営)で樽入りローサー〔1本)で聴かれているジャズと真空管アンプへの愛情と熱気が十分伝わってきた。

ただし、これはあくまでも想像の範囲だがあまり周波数レンジを欲張らない昔の音で録音されたソースをそのまま忠実に再生するのが目的といった印象で、CD時代の広い帯域を持ったソースの再生には向いていないアンプという読後感を持った。

もちろん、この辺は好き好きの世界なので良し悪しの問題ではないが、自分は低域から高域まで十分レンジが伸び切ったワイドレンジの音が好きなので、「佐久間式真空管アンプ」はその点でやや不安という受け止め方が正直なところ。

さて、今回の番組の内容である。〔画像クリックで拡大可)

           

「一曲につき一つのアンプ」という贅沢(?)主義のもと、今回は秋葉原の専門店で真空管VT51〔送信管:通称841)を発見し、北島三郎の「兄弟仁義」を聴くためにアンプを作るという話。

特筆すべきは、「縛られるのがイヤ、その中に閉じ込められるのがイヤ」で
設計図、配線図を引かないで自在にアンプを作るというのには驚いた。

なお、余談だが、番組中、WE300Bのオールド〔1956年製)が1本17万円と出ていた。近年発売の復刻版のWE300Bがペアで7万円前後なのでまるで段違いの差だが、そんなに5倍もするほど音質に開きがあるんだろうか。

それにしても15年ほど前に1950年代のWE300Bを17万円(ペア)で購入した記憶があり、2倍以上の値上がりなのでビックリ。


さて、この番組を観た友人たち(3名)からいろんな意見が寄せられた。無記名で引用させてもらおう。無断掲載、ゴメン!

「回路図、配線図無しで本当に出来るのかなあ。
ただ、裸銅線でアース母線を張り、1点アースとしているのは彼のアンプ製作人生から生まれたテクニックと納得。
千葉・館山のコンコルドはアンプの聴き比べ会場として有名なようで、雑誌(無線と実験)の中で見た記憶があります。」

「いや~、私的にはいい取材とは思えなかったデス!
いかにも、真空管を懐古趣味的な「マスゴミ」の扱い~チョッと不愉快!
サンバレーさんが、頑張ってあるように、ビンテージアンプを現代に
復刻したすばらしい真空管アンプの世界があるのです。
そのように、紹介して欲しかった!

「色々な(真空管)アンプを所蔵して、それぞれのアンプがどんな音だしをするか楽しみで、いざ試聴しようとするところで目が覚める夢を時々見ます。(しかし目覚めはさわやかです~)
○○君が知らせてくれた番組を観ていて、何か私の“夢”の一部を観ているような気がしました。それにしても、この広い世の中には色んな凄い方がいるもんですね!」

最後に自分の意見を。

15分という番組はちょっと短すぎる印象。佐久間さんはたしかに名人クラスだろうが、「こだわり」という面ではトランスのカバーを鉄製から木製に替えるなど「モノスゴイ」アンプづくりの名人たちをほかにも知っているので、広い世間にはまだまだ佐久間さん級の方々がいらっしゃるような気がする。

それから、中段の意見のように一般的に真空管というデバイスを懐古趣味で片付けがちの傾向があるのはたいへん残念なこと。自分なんかは現代のデジタル録音にも十分通用する音質上のメリットを明らかに感じるので嬉々として使っている。

特に、中高域にかけては実にvivid(生々しい)で艶(なまめ)かしくて抜けのよさを感じるところが一番の特徴。この辺は同価格帯のトランジスターアンプでは絶対出せない味わいがある。

とはいえ知人の説によると、トランジスターアンプではたとえば出力100ワットの場合、せいぜい聴くときは10ワット程度の小出力なので、それが音が悪くなる原因の元で、能率の低いSPを6~7割程度のレベルで駆動するときが一番音がいいと聞いたことがある。

そこで今年に入ってマイナーだが良心的な会社が製作した出力10ワットのトランジスターアンプを購入して聞分けたところ、意外と善戦したがまだ真空管アンプに「一日の長」があると思った。ただし値段の方は真空管アンプのほうが6倍程度だったので同列の比較は酷というものだろう。

ともあれ、現在真空管アンプを5台所有し、うち2台(「PX25」と「2A3」シングル)しか使ってないので、上述したWE300B シングルを含めて3台がお休み中。

勿体ない限りだが、いずれも愛着があって予備もかねているので処分する気にならず、結局、このままズルズルと「宝の持ち腐れ」になっていくんだろうか?

 


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読書コーナー~「なぜ日本人は?」~

2010年09月18日 | 読書コーナー

「なぜ、ご飯に味がついていないのですか?」「なぜ、力士は褌一本で恥ずかしくないのですか?」・・・・・。

海外の人から聞かれて、おもわず答えに詰まってしまう質問がある。文化の違うところから出てきたこんな質問の答えを考えているうちに、日本人の面白い「特性」に気がつく。

表紙カバーにこう記載された本が
「なぜ、日本人は?~答えに詰まる外国人の質問178~」(2007年5月23日、(株)ジャパンブック)。

                              

表題どおり、178の興味深い質問と回答が網羅されているが、特に面白いと思ったものを紹介。

☆ 「なぜ、茶道や華道には「道」がついているのですか?」

まず、「道」という漢字から説明しなければならない。この漢字は1字だけだと「みち」と読むが、他の語の後ろについたときは「どう」と発音される。

この字にはふたつの意味があって、まず第一の意味は実際に歩く道のこと。

そして、第二の意味は自分の精神をより高いものにするために歩く精神の道といったもの。このため、何かをする技術を磨くためだけではなく、それを通して精神も高めようとするものに対して「道」という言葉がつく。

それでは、お茶を飲むことや生け花にどうして「道」がつくのだろうか。

お茶を飲む習慣は、禅宗とともに中国から持ち込まれ、やがて村田珠光(1423~1502)という室町時代の僧によって茶道の原型がつくられた。

一方、花を生ける習慣は古くからあったがやはり室町時代に、京都・六角堂の僧侶が、お寺の本尊である如意輪観音に花を供えていたことから華道の原型が体系化したといわれている。

つまり、茶道にしても華道にしても、それぞれに仏教の結びつきがあり、それも関係して「精神修養」としての意味合いを強く持っている。

華道には「生け花」という言い方もあるし、茶道は「茶の湯」ともいうが、ことさらに技術だけではなく精神修養もするとき、それを強調するために「道」をつける。

☆ 「なぜ、電話に出たときに「もしもし」と言うのですか?」

日本で電話が使われるようになったばかりの頃、「もしもし」と言って話し始めていたことから、この言葉が残った。

この「もしもし」は「申し、申し」を縮めた呼びかけの言葉であるとされている。つまり、電話をかけた人は出た相手に、これから話しますよと伝えている。

このため、受け手側が「もしもし」で始めるのはおかしいとして、ビジネス・マナーでは「もしもしと言わないように」と教育される。

また、「もしもし」は、英語の「ハロー」に似たニュアンスの聞き返しの言葉として用いられることもある。電話が使われるようになったばかりの頃には、自分の言葉が相手に伝わっているかという不安から「もしもし」と呼びかけていたので、その名残りだともいわれている。

なお、アメリカで電話が実用化されたばかりの頃、第一声の呼び掛けの言葉として、電話の発明者グラハム・ベルは「Ahoy」(船員が他船に呼びかける言葉)を考えたが、友人のトマス・エジソンが「Hello」の方がいいと提案して、これが一般化したとされている。

☆ 「なぜ、日本人はこんなに働くのですか?」

実をいうと、日本人はもともと勤勉だったわけではない。古い海外の文献ではむしろ、怠惰な姿が描かれていることもあるくらいで、実際、江戸時代以前の日本人は、夏場などには涼しい午前中しか働かなかったという。

そんな日本人が勤勉になったターニングポイントはふたつある。
明治時代の富国強兵政策のもとに、産業や軍事の面で西洋に追いつこうとしたとき。

それから、戦後の廃墟から復興しようと国民全体が一丸となって頑張った高度経済成長期。

「日本人は個よりも集団を重んじる風潮がある」
ため、国を挙げての政策が掲げられたり、戦後復興のために皆が頑張る風潮が出てきた中で、勤勉こそが美徳と信じ込んでいった。

つまり、まず集団として勤勉であるべきとの価値観が生まれ,個人としてもそれに従うようになったというわけで、そこで生じた新たな性格が、日本人のDNAに刷り込まれているともいえる。

以上、3項目を紹介したがこのようなスタイルで他にも沢山の興味ある質問と回答が展開される。全て見開きの英訳つきであり、これは英語の勉強にももってこいの本と見受けた。


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オーディオ談義~「一番の難題」~

2010年09月14日 | オーディオ談義

9月は「敬老月間」〔20日が「敬老の日」)。

全国各地で様々の敬老行事が予定されていると思うが、自分が住んでいる地区も自治会主催による
「敬老会」を12日〔日〕に開催。一応、役員の”端くれ”なのでいつもお世話をさせられている。

ホテルを借り切って盛大に催す自治会もあるようだが、我が自治会では敬老対象者91名〔70歳以上)のうち、出席するのはわずかに33名と少ないので地区内のとある宗教法人施設のホールを借りて式典、食事、懇談、余興といった流れで実施している。

この余興のうち楽しみにしているのが地区内のグループ〔6名)によるコーラス。3曲ほど歌ってくれるのだがこの会場にはグランドピアノが置いてあるのでピアノの伴奏つき。

                 

日頃なかなか生の楽器の音に接することがないので興味津々で拝聴させてもらっているが、こういうピアノの生の音を身近で聴かされると、いつも「我が家のオーディオ装置ではとても出せない音だなあ」と思ってしまう。

中音から高音にかけてはあまり遜色がないと思うが、低音がまるで違う。
グ~ンと深々とどこまでも沈み込んでいく豊かな響きにはまったく圧倒されてしまう。

2時間ほどで行事が済むので、すぐに自宅に戻って記憶の新しいうちにと手が伸びて低音の調整を試みるも「”焼け石に水”みたいなもんだ」なんて、半分諦めの心境に陥ってしまう。

試聴盤はもちろんピアノ曲でキーシン(ロシア)が弾くバラード1番(ショパン)。

               

最近「キーシン」に対する”いい評判”をよく聴く。ドイツに留学してチェリビダッケから指揮法を学んだプロの音楽家のO畑君、最近お見えになった湯布院のA永さん、福岡のO部くんなどが口を極めて絶賛する。

取り分けA永さんは「大家の雰囲気を持ってるね、現役では今やナンバー1でしょう」と断言される。とにかく、まだ40歳に手が届かないのに大したピアニスト。

テクニックもさることながら、芸術性の高さをいつも感じる。                

つい演奏に引き込まれるが、そこはぐっと抑えて意識的に音質に注意力を向けてみるものの、(
サブウーファーを使っているので)低域を量感的に伸ばすのは簡単だがやはりバランスというものがあって、分解能と量感がマッチしなければ意味が無いので、この辺が家庭オーディオの難しさ。

まあ、生半可なシステムではとても太刀打ちできないのは明らかで、中高域は別にして深々とした「響き」となると自分の知っている範囲ではタンノイの「オートグラフ」、ウェスタンの「555+15Aホーン」、ハートレーのウーファー(64cm口径)といったところかなあ~。

もちろん部屋の広さや天井の高さも大いにモノをいうが、
「低域の分解能と量感の両立」は家庭で聴くオーディオの一番の難題のような気がする。

 


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オーディオ談義~「やっと二歩前進?」~

2010年09月11日 | オーディオ談義

9月に入ると我が家の「オーディオ」が急に賑やかになった。

2日(木)に湯布院のA永さん、3日〔金)には杵築のM崎さん、そして5日〔日〕には福岡からオーディオ仲間たちが3名と相次いでお客さんがお見えになり、我が家の「音質」に対する遠慮のないアドバイスをいただいた。

「心中穏やかならぬものがある」のは、オーディオ・マニアの方なら当然お察しのとおりだが、自分は努めてこういうアドバイスは向上の”きっかけ”になるので非常に「ありがたい」と思うことにしている。

どんな世界でもそうだが「上には上」があるんだから、いつも「学ぶ」という姿勢は持っていたいし、
それに「理想の音」に近づくには「本当にいい音ですねえ」と、お世辞抜きに感心してくれる人が一人でも多く増えてくれることに越したことはない。

今回のアドバイスの中身といえばつまるところ「音の抜けとバランス」に尽きるが、6日〔月〕から数日間心当たりの箇所を少しばかりいじってみた。

☆ DAコンバーターの「アルゴリズム」の変更

現在使っているDAコンバーター(以下「DAC」)はワディアの「27ixVer3.0」。もう10年以上も使っており、ボリューム機能を持っていてプリアンプが不要なので随分重宝しているが、2004年に一度バージョン・アップしている。

「DAC」とはデジタルigital)信号をアナログ(nalog)信号に変換〔onvert)する機器のこと)。

              

このDACは3種類の「アルゴリズム」の選択機能を持っている。

「アルゴリズム」というのは、一言でいえば計算方法のことで、たとえばCDの44.1KHzのデジタル信号を64倍にアップサンプリングするときに、時間/周波数の二つの領域の特性バランスを最適化する計算方法のこと。

といっても、自分にも原理が完全に分かっているわけでもないが。

ともあれ、この3種類のアルゴリズムは音楽の構成要素や録音の差異などによって生じる微妙な表現の違いを描き分け再生音の質の幅を大きく広げるとのこと。〔取説より)

アルゴリズムA

イメージフォーカスと空間表現に優れた音響を再現する。ワディアのアドバンテージを究極に果たすアルゴリズム。

アルゴリズムB

Aよりもパスバンドの平坦特性を改善し、中庸を得たサウンド。

アルゴリズムC

Bよりもパスバンドの平坦特性をもう一段階改善している。ディテール表現」が豊か。

BとCは2004年のバージョンアップのときに追加された機能だが、
どちらかというと「繊細な音」が好きなので、「ディテール表現が豊か」ということを鵜呑みにしてこれまで、ずっと「アルゴリズムC」で通してきた。

ところが今回、検証の一環として「アルゴリズムA」に設定して聴きなおしたところアッと驚くほどの違いがあった。

明らかに「音」の空間表現に「一日の長」がある。「あれ~っ、早くAにしておけばよかったのに!」

とにかく、これで「一歩前進」。

☆ 口径20cmのウーファー4個を3個に変更

現在、低域には口径20cmのウーファーを片チャンネル4本並列に接続して使用している。周波数はおよそ200Hz以下を担当させているが、エネルギー的には20cm×√4=40cm口径のウーファー〔1本)を使用している勘定になる。

これはこれでいいのだが、中高域のSPユニットが「アキシオム80」1本なのでバランス的にどうかと、試しに4本から1本減らして3本にしてみた。単にアンプから該当の1本のSPコードを外すだけなので実に実験が簡単。

これで低域は、計算上20cm×√3=約35cm口径のウーファーに匹敵することとなる。

それと引き換えに倉庫に押し込んでいた「サブウーファー」を再度引っ張り出してきて40ヘルツ以下を担当させて設置してみた。

                

こういうときにラインレベル出力分配器(エーワイ電子)が4口と余裕があるので助かる。

結果は正解で量感はほとんど遜色無しになり、音の抜けというかスッキリ感が向上して随分とバランスが良くなった。

これでやっと「二歩目の前進」。

その気になればオーディオは”いじる”ところがまだヤマほどあるが今回はこのくらいにしておこう。


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読書コーナー~「関が原」「覇王の家」「城塞」ほか~

2010年09月09日 | 読書コーナー

☆ 「関が原」「覇王の家」「城塞」(司馬遼太郎)

民主党の代表を択ぶ選挙戦がたけなわだが、どっちに転んだとしても負けた方が「命」までも失うということはない。(「政治生命」のほうは別として。)

一方、ずっと昔の戦国時代は天下取りの合戦に負けたほうの大将は家族ともども城を枕の討ち死に、あるいは捕まえられて打ち首、獄門という結果が待っている。いずれにしても必ず命が絶たれる。

時代が大きく違うとはいえ随分な差だなあとつくづく思ってしまう。

(※ 9月8日〔水〕のテレビ朝日「ワイド!スクランブル」〔昼)の番組で、菅首相の夫人〔伸子さん)が出演〔インタビュー録画)し、まったく同じことを言ってたのでビックリ。同じ発想をする人が多いのかも。)

つい最近、司馬遼太郎さんの「関が原」「覇王の家」「城塞」と順に読んだ後に持った感想がこれだった。

              

これら3冊は題名こそ違え「3部作」といってもいいくらいで東軍と西軍合わせておよそ20万の将兵が激突し、半日の戦いで死者数千人を出した天下分け目の「関が原の戦い」を境にしてその前後の「徳川家康」「豊臣秀吉」「石田三成」といった戦国武将たちの行動と心理状態を史実を踏まえて克明に追ったものだが実に面白かった。

3冊ともまことに分厚い本だが「息もつかせず」という表現がぴったりで、こんなに夢中になって読んだのは久しぶり。やはり司馬遼太郎さんが描く「人間像」にはリアリティがある。

徳川家康は「天下取り」のため権謀術数の限りを尽くしたが、当時はすべてクチコミや手紙による情報操作だった。現代は迅速かつ的確な「ネット」の時代だが、もし家康が現代に蘇ったらどういう手段を弄したろうかと考えることしきり。

また「主君への忠誠心」「打算」「血縁」「恥と面子」などの”しがらみ”の中で逞しく生き抜いた戦国武将たちだが、意外にも人間同士の「好き嫌い」や「友情と思いやり」など感情的な面でも大いに〔言動が)左右されていたことに驚く。

現代の人間の行動パターンとちっとも変わらないし「人間心理の研究」にはもってこいの本。

それにしても、これら戦国武将たちの厳しい「生き様」と比較すると現代の日本人は「民主主義」を謳歌しているとはいえ、それと引き換えにどこか「覇気」を失い「飼い慣らされすぎている」という気がしてくる。あの戦国時代の激しいDNAがちゃんと遺されているはずなのに不思議~。

もちろん、今の時代の方がずっといいのだが。

なお、まだ読んでない方にお薦めするとすれば「覇王の家」「関が原」「城塞」の順に読まれるといいと思う。

☆ 「硝子のハンマー」(貴志祐介)

             

図書館に行って、「まあハズレてもいいや」と何気なしに借りてきて読んだところ、これが予想以上の面白さ。

『エレベーターには暗証番号、廊下には監視カメラ、隣室には役員。こうした厳戒なセキュリティ網を破り、社長は撲殺された。凶器は? 殺害方法は?

弁護士純子は、逮捕された専務の無実を信じ、防犯コンサルタント榎本のもとを訪れるが…。』


久しぶりに密室ミステリーの傑作を読ませてもらった。本書は2005年「日本推理作家協会賞」を受賞している。

トリックなどの詳しい紹介はネタばれになって未読の方に迷惑になるので差し控えるが非常に納得のいくものでまったく騙された気がしないし、登場人物の人間像もしっかり描けている。

興味が湧いたので作者「貴志祐介」氏についてネットで検索すると、1959年生まれで、ホラー作家とあり、京大を出て会社に就職するも途中から作家に転向してかなりの本が出版されている。


因みに京大出身の推理作家といえば、あの高木彬光氏を嚆矢として綾辻行人、法月倫太郎、我孫子武丸、麻耶雄嵩などがいる。

あまりに面白かったので、次回の図書館に行った時に著者の本を手当たり次第に借りてきて読んでみた。

「青い炎」「天使の囀り」「悪の教典〔上、下)」「新世界より〔上、下)」。

 このうち「新世界より」はホラー過ぎてよく分からなかったが、ほかは、なかなか面白かった。まだ比較的若い作家なのでこれからも楽しみ。

 


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オーディオ談義~「楽しかった試聴会」

2010年09月07日 | オーディオ談義

楽しみにしていた5日〔日)のオーディオ仲間たちとの「試聴会」。

試聴の最中に〔真空管アンプの)整流管をマルコーニからSTCへと銘柄を替えたり、低域のボリュームを絞ったりと、いろいろあったがどうにか無事終了。


結局、メンバーは福岡からA君とB君、1時間遅れの途中から大分に単身赴任しているM君も参加して3名の友人たちとの楽しい合同試聴会となった。

全員が同じ高校の同窓生、それに理系の学部、趣味が「音楽とオーディオ」というのも面白い。

13時到着の予定だったので、きっかり12時半にシステムのスイッチを入れて暖気運転開始。まるで冬場のクルマの始動みたいだが、真空管アンプが絶好調になるには30分くらいの時間は見ておいたほうがいい。

13時きっかりに携帯が鳴ったので耳に当てるとA君からで「ただいま到着しました」、外に出てみると既に我が家への車庫入れ状態。

「やあ、やあ、お久しぶり~、お元気そうで何より。今年の夏はひどかったねえ」と、今でも進行形の酷暑だが、とりあえずお互いにご挨拶を。

すぐにオーディオ・ルームに入ってもらって、装置の概要をていねいに説明。

両君が前回見えたのはたしか昨年の11月頃だったと思うが、そのときからすると、低域を20cm口径のウーファー4発(片チャンネル)にしたのは今年の3月のことだったのでシステムがまるで様変わりしている。

低域が変わったということは、全体的に音が激変したということに等しいが両君から果たしてどういう感想がいただけるんだろうかと、久しぶりの刺激とスリルで胸がワクワク。


早速A君が持参してくれたCDの試聴に入る。

マーラーの「第2番(復活)の第一楽章」。こういう大編成のオーケストラほどシステムの良否を問う試聴盤はない。とにかく低音がしっかり出なければお話にならない。

「ウ~ン、厳しい盤を持って来るねえ!」と言ったらA君がニヤリ。聴いてみると実に録音がいい。演奏を伺ってみるとベルティーニ指揮でケルン放送交響楽団。1991年の録音だからもちろん、デジタル録音。

ベルティーニの死去に伴いマーラー全集が発売されたのですぐに購入したそうだ。

マーラーはクーベリック指揮の全集モノ〔10枚セット)を持っているが、「ドイツ・グラモフォン」なのに録音が悪くて大ハズレだったが(アナログ録音だし安かったので仕方ないが)、ベルティーニの盤ならずっと手元に置いておきたいほどに満足した。

次に聴いたのがB君持参のモーツァルトの
「弦楽四重奏曲第19番K・495〔不協和音)」。「人後に落ちないモーツァルト好き」を自認しているが、この「不協和音」を聴くのは始めて。

モーツァルトの弦楽四重奏曲は大穴的な存在で、これらが好みとは相当ハイレベルの通だと言っていいが、B君はFMラジオでこの曲を聴いて一遍に魅了されたという。

K.495という作品番号からすると、かなり後期の作品で大衆の人気を失い失意の頃の作品だといえる。

どこか淋しげで、モーツァルト特有の
「涙が追いつかない哀しさ」が全編〔四楽章)に内在している。ややとっつきにくいが聴けば聴くほど魅了されていきそうな名曲である。

音楽もいいが演奏もいいと思ったら何と第一ヴァイオリンがキュッヘル(ウィーン・フィルのコンマスだった)、第二ヴァイオリンがヴェヒターと泣く子も黙るお二人さん。(「ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団」)。

何だかこんな名曲を次々に聴かされると、オーディオなんかどうでもよくなってしまって「音楽鑑賞」のほうに”みっちり”のめり込んでしまった。

ふと「音楽とオーディオ」の関係なんて本来こういうものではなかろうかなんて思ったりした。

「いい音になるとスピーカーの存在を忘れる」とは、ハイエンドのオーディオ・マニアから散々聞かされる言葉だが、とはいえ自分の装置がまだそこまで至っていないのは明らか。

後は、ブラームスの「交響曲第一番の一楽章と四楽章」の聴き比べをやった。

M君持参のバーンスタイン指揮とA君持参のフルトヴェングラー指揮の比較で、演奏は後者に、録音は前者に軍配を上げるという意見が大勢を占めて痛み分け。

この辺になって、ようやくA君、B君、M君からぼちぼちとオーディオへの感想が洩れ始めた。

「この前来たときよりも随分と低域が締まっているし量感も不足なし」「高域が随分と聴き易くなった」「ツィーターがあるともっと(音の抜けが)よくなりそう」といったコメント。

「一切遠慮なしの正直な感想」と素直に受け取らせてもらったが
「音の抜け」についてはちょっと思い当たる節があって対応策を準備中。

一番最後の仕上げは、ジャズを聴かせてということでソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」の「セント・トーマス」を大音量で鑑賞。

クラシックとジャズの両刀使いともなるとSPユニット「アキシオム80」(エッジレス特有の反応の速さ!)の独壇場だとひそかに自負しているのだが、自画自賛は”はしたない”のでこの辺でストップ。

結局、お帰りは4時半頃で3時間半ほどの試聴となって皆さん帰路につかれた。お土産はささやかながら我が家に植えているカボスを~。

その代わりといっては何だが、ご持参のCDをいくつか置いていってもらい翌日(月曜)の午後、早々に返送した。

「ベルティーニ指揮のマーラー全集」「不協和音」「アメージング・グレイス」〔白鳥英美子)。

           

 もちろん、じっくり鑑賞しただけで、ゆめゆめ「コピー」なんて「反社会的行為」はしておりませぬぞ!

 

 


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オーディオ談義~「オーディオの季節」~

2010年09月04日 | オーディオ談義

およそ1年ぶりに福岡からオーディオ仲間たちが我が家に来訪してくれることになった。日時は9月5日〔日)午後の予定。

日中の酷暑は相変わらずだが、さすがに9月に入ると朝晩は涼風が吹きぬけて随分と過ごしやすくなった今日この頃。

いよいよ
「オーディオの季節」到来である。アタマも感性もフル回転させるぞ~。

さて、久しぶりの来客とあって、このところオーディオ装置の調整に余念がない。

何せ現在の装置といえばおよそ40年間に亘る「血〔お金〕と汗と涙」の総決算みたいなもので、「どういう感想」をいただけるか期待が膨らむばかり。

ただし、これまでの経験でお客さんから「これはダメ」なんてストレートな話がまず出てこないのが「安心でもあり、淋しいようでもあり~」。

ある高名なオーディオ評論家の著作で
「他家に試聴に行ってオーディオ装置をご本人の面前で貶(けな)すことは、”あなたの子供はバカですね”と言うのと一緒だ」なんてことを読んだことがある。

「オーディオ装置=自分の子供」の価値判断は別として、お互いに手塩にかけて育て上げてきたという意味合いでは同じで、結局、言わんとするところは
「装置の欠点をあからさまに口にしないのが一般的なマナーというものですよ」ということなんだろう。

しかし、この「マナー」が実はご当人にとって”本当にプラスなのかどうか”となると、うかつに決め付けられない。

以前、地元の新聞に”あるオーディオ・マニア”が「素晴らしいオーディオ装置」と題して大きな映像と記事で紹介されていたので、勇躍して仲間のM崎さんと二人で聴きに行ったところ、見た目の装置は豪華そのものだったが、それはそれは「ひどい音」だった。

「あんな音なのに誰も注意してくれないんですかね」とM崎さんに言ったら
「オーディオ・マニアってああいう”お山の大将”みたいな人が多いよね。きちんと注意してくれる友人に恵まれるといいんだけど、通り一遍の付き合いではまず無理だろうね、まあ、本人の受け取め方次第だけど」。

野球をはじめ何事にも冷静な第三者の「審判」とか「お師匠さん」が必要だが、オーディオの世界に限っては「プレイヤー=審判」が多すぎるように
思うのだが、果たしてどうだろうか。

たしかに自分さえ良ければいい世界なのだが、それでは進歩がなくなるし、まあ難しい問題だろう。願わくは今回”歯に衣(きぬ)を着せぬ”感想をいただけたら幸い~。

おっと、話が逸れてしまった。

主題は調整中の出来事についてだが、このところ出番が多いブルックナーの8番第4楽章を聴いていたら突然中域のSPユニット(「アキシオム80」)の右チャンネルから音が出なくなった。

ありゃ~、この大事な時を控えてと一瞬慌ててしまった。「ケーブルの接触不良」か「アンプの故障」のどちらかだと思い、まずケーブルの点検から。

左右のケーブルを入れ替えてみると依然として右チャンネルから音が出ないので、アンプの故障が濃厚となった。

前段や出力の真空管の故障、ハンダの接続不良などが考えられるが試しに右チャンネルのSPコードのマイナス線のネジを締め直してみたら音が出だした。どうやらSPコードの接触不良と分かってホット一安心。

それにしても何とボヤしいSPターミナルなんだろう。こんなことでは先が思いやられる。お客さんとの大事な試聴中に、こんなことが起きたらもうパニクッてたいへん。

そこでSPターミナルとSPコードを思い切って
「ハンダ付け」することにした。ただし、これには一長一短がある。

まずメリットは、「音声信号の伝達ロスが極端に少なくなる」「接着箇所が外れにくい」。

一方、デメリットは「アンプやSPケーブルの交換のときに手間が掛かって面倒くさい」「ハンダは経年劣化(およそ10年)によってひび割れたり浮いてしまう」といったところ。

今回のケースは「メリット大」と判断した。

早速、アンプの裏蓋を開け、作業した結果はご覧のとおり。

                

左が作業前で、右が作業後(画像クリックで拡大できます)。

あまり期待してなかったが、この作業で楽器の音色や透明感、分解能が一段と向上した感じで最高域も随分と穏やかになり、たったこんなことでと驚いた。まさに
「怪我の功名」だった。

ただし、中域~中高域が良くなってくると高域専用ユニットのツィーター(JBL075)を「外すかどうか」本当に迷ってしまう。

「ツィーター」があると「ちょっと聞き」はいいのだが長時間になると疲れてくる場合が多いので速断は禁物。みっちり時間をかけて判断することにした。


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