「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオ談義~真空管アンプ愛好家のご来訪~

2010年03月30日 | オーディオ談義

29日〔月)の午後、かねて楽しみにしていたお客さんが2名、福岡からお見えになられた。

高校時代の同窓生、U田君の運転のもと、彼の紹介でメールの交換をしているH崎先生。丁度、快晴と花冷えの中、高速道路の途中で見た由布山の霧氷がこの上なく美しかったそう。

ここでH崎先生の横顔を紹介しておくと、大学でドイツ語の教鞭をとられ、5年ほど前に教授を退職された方で、およそ50年ほどに亘って真空管を収集され現在7千本ほど持っておられる超マニア。おそらく日本一ではなかろうか。

ご自宅には17台の真空管アンプをスイッチ一つで切り換えられるようにされていてオーディオ、カメラ、時計の修理が趣味で、時計に関しては時計店が出来ない修理を頼んでくる程の腕前。

また、U田君の勤める大学で「音の資料館」を設置され、往年のオーディオ機器を展示されていて、タンノイ・オートグラフ(ミレニアム)をも展示されているという。

因みにこれまで使った真空管の種類がすごい。持参された「歴代名出力菅」(「ステレオサウンド社」発行)の赤印チェックによると有名なものから珍しいものまで実に多岐に亘っている。

                         
                                 (最初の頁)

こんなすごい方に、我が家の音を聴いてもらい批評してもらうのはオーディオ冥利に尽きるといっていいほど。

まず、聴いていただく前に簡単に我が家のシステムの紹介を。タンノイのウェストミンスターのボックスに「アキシオム80」を取り付けているのにビックリされていた。

「タンノイのオリジナルのユニットをよくも思い切って放逐されましたね、初めてです。アキシオム80は知らない人がないくらい有名なユニットです。」

「ええ、どうしてもクラシックもジャズも両方聴けるシステムにしたかったものですから~」

最初の試聴盤はヴェンゲーロフが弾くブルッフ作曲の「ヴァイオリン協奏曲の第一楽章」。

「実に繊細な音ですね~!ヴァイオリンの音色が素晴らしい。グッドマン(アキシオム80)の魅力がフルに発揮されてます。とても50年前のスピーカーとは思えませんね。これならオリジナルユニットを外して正解です。」

「ええ、ことスピーカーに関してはオーディオは進歩していないと思います。」

次の試聴盤は内田光子さんのベートーヴェンのピアノ・ソナタ31番の第三楽章。ピアノの最低音域(27・5ヘルツ)近くまで炸裂する箇所があって背筋がゾクゾクするほどで低音の出方をテストするにはもってこい。

H崎先生は自分と同じでクラシックからジャズ歌謡曲まで音楽のすべてのジャンルを聴かれる方だそうで、ご持参のCDが「懐かしのテレサ・テン特集」。

昭和53年発売のLPレコードから録音したもので彼女が他人の持ち歌をすべて中国語でカバーしたもの。「何日君再来」がことのほかお好きとのこと。たしかに柔らかい味が出ていて彼女の魅力が満開。

音楽を聴きながらも真空管の薀蓄を傾けられお聞きするだけで実に勉強になった。豊富な体験談に、時間があっという間に経っていく。

3時間ほどみっちりと試聴されて我が家の音のいい面、悪い面余すところなく把握されたことだろうと推察する。

近いうちに是非、先生のご自宅と「音の資料館」を訪問させていただくことをお約束して15時前後に帰路につかれたが途中から我が家で合流した湯布院のA永さんのお宅で「ウェスタンの555+15Aホーン」を聴いて帰られるとのこと。

さて、一昨日に低域の装置を改善したばかりでこうやって3時間も続けて聴くのは初めてだったが、少しばかりアラが目立ってきたのを感じたのも事実でどうも低域と中高域のバランスをもっと詰める必要があるようだ。

さ~て、どういう対策を施そうかな。一晩眠って考えることにしようと翌朝目覚めたら先生からメールが届いていた。

本日は、つい好きなオーディオの話に夢中になり、長時間おじゃまして申し訳ありませんでした。久しぶりに、共通の趣味を持つ方々とお会いして、つい時間が経つのを忘れてしましました。

それと言いますのも、○○様もA永様も、小生が半世紀以上取り組んで来た真空管のアンプを愛用されており、真空管の持つ厚みのある中域の素晴らしさと抜けの良さを満喫しておられるということを知ったからです。

音楽のジャンルが何んであれ、あれほどの素晴らしい音は我々共通の宝物だと思います。今日ほど、みなさんと同じ趣味を持っていてよかったと感じたことはありませんでした。

また、帰りには、A永氏のご自宅に突然お邪魔し、Western Soundに酔いしれました。今日は、おかげさまで本当の意味でのオーディ三昧の一日でした。「耳の正月」をさせてもらいました。ありがとうございました。
どうか、ご都合がつきましたら、大学の「音の資料館」へもお越しください。

それではまた。

本当に人の縁というのはどこに転がっているか分からない。2年ほど前にI葉君の仲介で高校時代の同窓生とのネット通信に加入し、偶然U田君と知り合い交流を深めるうちにこうしてH崎先生とお近づきになることが出来、次々と輪が広がっていく。

オーディオの泰斗M崎さんと知り合ったのもメール。それに千葉のS谷さん、奈良のM中さん・・・・。

改めて
ネット通信サマサマである。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディオ談義~「SPユニット片チャンネル4本の威力」

2010年03月29日 | オーディオ談義

「ジャジャ~ン、ついに来ました!」。待望の片チャンネル4本のSPユニットを納めるボックス。

当初26日に持ってくる予定が、一旦は28日〔日)と変更され、二転三転しながらもようやく27日(土)の17時ごろに到着。どうやらボックス専門の業者ではないため、工程時間の検討がつかなかったみたい。

自宅前でクルマから引き出すのを手伝ったが一見して想像以上に大きくて重たいのでビックリ。早速ユニットの取り付けにかかりおよそ1時間ほどで完了。

         

強力な低域のエネルギーを念頭においてそれなりの対策を。後面開放型は側面の2枚の板が共振しやすいのが弱点とされているので”さん”でガッチリと補強をしてもらった〔左の写真)。〔興味のある方は画像クリックで拡大できます)

真ん中の写真が取り付け終了後のもので、4本のユニットの開口部をそれぞれRをきっているのが特徴。右の写真2枚はシステムの一部として設置しているところ。

しかし、ポンと置いただけでは「満足できる音」が出ないのがオーディオの厳しさ。

これから、じっくりと時間をかけてウェストミンスターに取り付けた「アキシオム80」(SPユニット)のコーン紙の振動位置〔位相)の調整、インシュレーターの種別、吸音材の使用あるいはボックスに上からダンプ(重しをかける)したほうがいいかどうかなどのいろんな課題が残されている。

とりあえず、まずは待望の音出し。一体どういう音になるんだろうか。オーディオ歴40年近くになるが、こういうときはいつも固唾を呑んで待つという感じ。オーディオ冥利に尽きると言っていいほど一番楽しい瞬間。

とりわけ今回はオーディオ人生の一つの区切りといっても過言ではないほど期待が大きかったシステム変更なのでひとしお。

最初の試聴盤はベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲12番〔作品127)で、演奏はウィーン・アルバン・ベルク四重奏団。

弦楽合奏の最初の一音が出たときに「ウ~ン・・・」。自画自賛は”はしたない”ので止めておこう。

次の試聴盤はヴェンゲーロフが弾くブルッフの「ヴァイオリン協奏曲」。「まるでハイフェッツが現代に蘇って弾いてるみたい」とオーディオ仲間のA永さんが述懐されたことがあったが、オーケストラのスケールが一段と大きくなっている。

しかし、このままではやや低音が出すぎるようでアッテネーターを挿入して低域だけ音量を絞ることにした。

時間を忘れて、ジャズからポピュラー、歌謡曲まで次から次にCDをかけまくる。「夕ご飯ですよ~」「え~い、しばらく、ほっといてくれ~」。

低域にこれほどの情報量が詰まっていたのかというのが正直な感想だが、ドスンと響くたびに室内でビリツキ音が発生するのが困るところで箇所を探して特定するのがたいへん。本格的な重低音の思わぬ副産物。

さらに、ボーカル〔人の声)なんかはちょっと膨らみすぎるようでオーケストラのときよりも随分と低域のボリュームを絞ったほうがいいと感じた。

一晩寝て情報を整理し、翌日(28日)はスッキリしたアタマで朝から調整に掛かりっきり。対策のポイントはちょっと低域が”モッコリ”していてもう少し歯切れが欲しいところ。

まず、スピーカーの下に敷くインシュレーターの見直し。小さな木片ブロックからメタルに変更して響きを抑えることにした。次に、以前作っておいた吸音材〔羽毛)8枚を総動員して裏に取り付け、その上からさらに綿毛布をかけた。

これで低域が随分と聴きやすくなって、アキシオム80との一体感が増してきた。当面の対策はひとまず完了。

29日〔月)の午後は福岡からお客さんが二人みえる予定で、途中からA永さんが合流される見込みだが、皆さん、どういうご感想を洩らされるだろうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディオ談義~「人生が2倍楽しくなる?」~

2010年03月27日 | オーディオ談義

25日(木)の朝のこと。家具業者に注文しているスピーカーボックスの進行具合が気になったので電話してみた。

「26日が納期ですが、大丈夫でしょうね」

「それが、ちょっと・・・。27日になりそうなんですが。」

「エ~ッ、ちゃんと26日と約束したじゃない・・・。しょうがないなあ。それで27日の何時ごろになりそう?」

「ニスを塗ってすぐに持って行きますが、しばらく匂いがきついけどいいですか。」

「匂いが部屋にたちこもるのは困るよねえ。乾燥しないとSPユニットも取り付けられないし。そしたら、28日〔日〕の9時に間違いなく持ってきて。」

とうとう2日間も譲歩してしまった。まあ、楽しみが延びただけだがそれにしても気合をそがれてガッカリした感は否めない。

16日の打ち合わせのときにちゃんと
工程表を作成させて「詰めて」おくべきだったと思ったがもう”あとの祭り”。現役時代と同じでいつも「緻密」さに欠け、「甘いなあ~」と慨嘆。

交渉相手はY田さんといって50歳前後の方。学生時代はたいへんなオーディオ・マニアで安いSPユニットを購入してボックスの自作に励んでいたそうで、共感を覚えて思わず話が弾んでしまい、人情にほだされてつい「詰め」がおろそかになってしまった。

余談になるが、このY田さん、学校を卒業して社会に出るとあまりの忙しさにオーディオどころではなくなり、以後ずっと遠ざかっているという。

これはほんの一例だが「オーディオは好きだけど忙しくて楽しむ暇がない」という方が世の中ではほとんどの多数派かもしれないと思い、「安月給だったがヒマのほうは結構あった」自分はそういう面では恵まれていたのかもしれないなんて感慨に耽った。

ともあれ、29日〔月)に福岡からお客さんがお見えになる予定なので「まあ、それに間に合えばいいか」と思い直したところ。

話が前後するが24日(水)午前中に、湯布院のA永さんが再度、低域ユニットの性能確認のためお見えになった。お話を伺ってみると、このユニットが大いに気に入れられて結局、12本購入されたという。

                        

「エッ、12本もですか」とびっくり。使用する内訳は「アキシオム80」の低音用に我が家と同様に8本〔片チャンネル4本)、そして「ハートレー」の中低域用に4本(片チャンネル2本)ご使用の予定だそう。

A永さんも自分と同様に「アキシオム80」(SPユニット:イギリス)にすっかり魅せられた方。あの、エッジレス特有の音声信号に対する追従性の高い繊細な中高音はまさに独壇場。

                       

しかし20年間使用されて悪戦苦闘されたが、組み合わせるウーファーに恵まれず、諦めて現在は部屋の片隅に鎮座中。

しかし、我が家の組み合わせを聴かれて
「アキシオム80に組み合わせるウーファーはこれしかない」と決断された由。オーディオ・マニアが通常使う口径38cmのウーファーでは口径20cmの「アキシオム80」のスピードについていけず、満足出来る音にならないとのことだった。

たしかに自分も定評のあるJBL130A〔口径38cm)をしばらく組み合わせてみたが、うまくいかなかったので同感。

この日、試聴盤としてお持ちになったのはヴィヴァルディ作曲の「バスーン協奏曲」。このバスーンという楽器は丁度、音域が50ヘルツ前後から600ヘルツぐらいまでで低域用のテスト盤としては最適だとおっしゃる。

「非常に澄み切ったいい低音ですねえ、しかも立ち上がりと収束が早くて余分な音がまとわりつかない、エッジレス特有の素晴らしい音、これが4本ともなるとワクワクしますね」と改めてゾッコンで「12本確保できてよかった」。

などと、オーディオ談義に花を咲かしていたところ玄関のチャイムがピンポ~ン。「どなたですか?」「日通航空です。海外からの輸入品をお届けにあがりました」。

お~、追加するユニットが4本ご到着のようだ。落札してお金を振り込んでから丁度1週間目。はるばるハリウッドからの輸送なので随分と厳重に梱包してあり独りで抱えるのは困難なほど。

加勢してもらって、部屋の中に運び入れ梱包を解いた。

                    

「カミさんが留守のときに届いて運が良かったですよ。オーディオ製品としてはたいへん安い買い物ですが、これまでのこともあってなかなか信用してくれませんからね」。

すると、A永さん「目立つので空になったダンボールをすべて、会社の方で処分してあげましょう」とたいへんありがたい申し出。お互いに苦労しているのでその辺は「阿吽(あうん)の呼吸」でたいへん機微が分かる方。これで痕跡が跡形もなく消え去るので大助かり~。

余談になるが、国内では随一の高級品メーカーとして知られるアキュフェーズのフラッグシップモデルの「プリアンプ」は改良の都度、外見(デザイン)を変えないというが、これは部屋の中で”そっと”旧型と入れ替えても奥さんが気がつかないようにという配慮がなされているという実(まこと)しやかな話を聞いたことがある。

(本件を記載するに当たって、ネットで確認してみたところ現在は「C-2810」の型番になっていたが、このデザインは第一号機「C-280」〔1982年発売)とそっくりで何と30年近く変わっていないのに改めて驚いた!)

どうやらどこのご家庭でも同じみたいだが、さて、女性のオーディオ・マニアはまず聞くことがないがどうしてだろう。

夫婦そろってオーディオ・マニアだと人生が2倍楽しくなりそう!

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディオ談義~SPユニット片チャンネル4本の結線方法~

2010年03月24日 | オーディオ談義

現在、オーディオ・システムの最大の関心事は低域用のスピーカー(SP)ユニットを片チャンネル2本から4本にする話。

通常使用されている大半のシステムは左右1本づつだから、アンプとスピーカーの間の結線は単に(SPケーブルを)接続すればそれで済むが、4本ともなると特別な結線の方法が必要となってくる。

今回はちょっと専門的に立ち入った話になるがあしからず。

現在、追加するユニットは海を渡ってアメリカからはるばる輸送中。遅くとも25日頃には到着予定で、4本を容れるボックスのほうも26日の午後には出来上がってくる。

オーディオ人生を根底から揺さぶるほどの衝撃となるだろう「Xデー」が次第に近づきつつあるが何しろ、アンプ1台に4本ものユニットの結線は始めての経験なので当日の作業に向けてまごつかないように着々とオーディオ仲間から知識を吸収して受け入れ態勢を推進中。

付随して改めていろいろと勉強になることが多かった。自分の理解を整理する意味で以下、したためてみた。

まず、音質のことを考えるとベストの結線方法は4本の各ユニットからSPコードを引っ張ってきてアンプに結線するやり方。ところが、そうするとアンプに能力以上の過剰な電流が流れてあえなくダウンする恐れがある。

と、いうのは、1ユニットのインピーダンス(まあ、抵抗みたいなもの)は8オーム。これを4本まとめてアンプと結線するとなるとアンプ側の負荷は2オームとなる(8/4=2オーム)。

オームの法則によると「電圧=電流×抵抗」。

この際、電圧は一定なので抵抗値が減少すると電流が増大する。すなわち、1個のユニットの結線の場合は「100ボルト=12.5アンペア×8オーム」だが、4個のユニットの場合は「100ボルト=50アンペア×2オーム」となってしまう。12.5アンペアから50アンペアへと何と4倍もの電流がアンプに流れる勘定。

トランジスターアンプは普通6オーム〔電流は16アンペア程度)を基準に作製してあるので、これでは過労死の状態になってしまう。(ただし、低い抵抗値のもとで大電流が流れてもいいような特別仕様の高級品は別だが価格の方も別格!)

つまりアンプが悲鳴を上げて保護回路が働き、音が出なくなり、最悪のときはパワー・トランジスターが故障して一巻の終わり~。

そこで4本のときに、一般的に考えられる結線が次のやり方。

1 SPユニット4本のうち2本を直列に結ぶ

4個のユニットをこの際A,B,C,Dとして縦に並べて取り付けていると仮定しよう。

まず、Aのプラス端子からSPコードのプラス線を引っ張り出す。Aのマイナス端子とBのプラス端子を単線で結ぶ。Bのマイナス端子からSPコードのマイナス線を引っ張り出す。これで16オームのSPコードが1セット出来上がり。つまり2本のユニットを直列に結ぶやり方。

C,Dのユニットについても同じ結線をすると、アンプのところで丁度2セットのSPコードが合流し、負荷が8オームとなる。うまく考えたものでこれだと負荷の方は理想的になるが、音質的にみるとそうは簡単に問屋がおろさない。

SPユニットの方が通常の結線ではないため「タメ」が利かない音になる可能性が出てくる。

そこで次の案が出てくる。

2 パワーアンプを2台使用

まず同じパワーアンプを2台準備する。1台を左チャンネル専用にし、2台目を当然のごとく右チャンネル専用とする。

ここで便宜上、左専用のアンプをL(レフト)、右専用のアンプをR(ライト)としよう。

これで左右のクロストークの問題が完璧に処理できるのが第一のメリット。たとえば、片チャンネルに録音されたコントラバスなどの重低音が別の片方のチャンネルにまったく干渉しなくなるので音質的に極めて有利に。

次に、左の音声信号をLにつなぐが、ここでLの左と右の2個の入力プラグをショートして1個にする。アンプの裏蓋を外して、ショートさせるのがベストだが少々面倒なので、近くの電気ショップから変換コードを左右セットで2個購入してきた。

   「Victor・JVC」変換コードCN-162G    

Rの方も同じことをして結線。そうすると、LもRもスピーカー端子をフルに活用できてしかもそれぞれ4オームの負荷となってめでたし、めでたし。トランジスターアンプの場合、丁度能力の8割くらいで使うのが一番音がいいとされているのでこれはベストマッチかも。

このやり方は結局、同じパワーアンプを2台準備するというのがミソなのだが、自分の場合いつ故障してもいいように同じ「L-01A」(ケンウッド)のアンプを予備に1台所有していたので助かった。こういう展開になるとはまったく予想だにしなかったが、まさに僥倖というものだろう。

というわけで、22日の午後、先駆けて実際に作業をやってみた。実に簡単で部屋の片隅で出番を待っていた予備のアンプを右チャンネル用に設置し変換コードを差し込みSPコードを端子に接続するだけ。 

                     

つまり2台のアンプで現状の片チャンネル2本のユニットをそれぞれ駆動するという贅沢な使い方になったが、効果や恐るべし!余分な音を引き摺らない締まった低音がドスンと腹に響いてくる。

音楽を聴くには、これでもう十分のような気がするが、片チャンネル4本にすると果たしてどういう低音になるだろうか、きっと量感があって歯切れがいいという矛盾を解決した「究極の低音」が出ることだろう。

フッ、フッ、フッ、その日まで、あと3日!


 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽談義~小泉流「クラシック音楽に親しむノウハウ」~

2010年03月22日 | 音楽談義

これまでの体験から推し測ると「クラシック音楽大好き人間」はこの世でホンの一握り。したがって有名人でクラシックが好きという噂を聞くだけで随分と親近感が増す。

元総理の福田康夫〔自民党)さんはベルリオーズの「幻想交響曲」が好みで自宅にはタンノイの高級スピーカーが設置されているという話を漏れ聞く。ヤナーチェクの音楽もお好きというから相当の通である。

しかし、在任中、低支持率と不安定な政局に苦しみ、クラシックをゆっくりと聴く気分にはなれなかっただろうからお気の毒。

クラシックを心から楽しむのであれば鑑賞者の気持ちの中に
「ゆとりと静謐(せいひつ)感」が必要だが、今ごろはきっとクラシックを満喫されていることだろう

それにしてもクラシック好きの総理というのはホントに珍しい。そういえば、元総理の小泉さんもそうだった。

昨年8月の総選挙で「小沢流指南」のもと民主党大勝利の影響で一時、影が薄かったが、秘書が3人も逮捕されてしまい不動産屋と政治屋の兼務がすっかりバレてしまった小沢さんの(イメージ的な)凋落で再び息を吹き返したみたい。

先日のBSハイビジョンで若手の政治家が二人登場して討論をやっていた。民主党の「小川 淳也」氏(38歳:香川県)と自民党の「橘 慶一郎」氏〔49歳:富山県)という次代を担うホープ。

二人とも初々しくて元気ハツラツ、しかも謙虚でたいへんいいイメージを持ったが、両者ともに歴代の総理の中で評価できる人として小泉さんを挙げていたのに注目した。小川さん曰く、自分の言葉で国民と対話できる能力が評価出来ると言ってたが民主党員なのに勇気ある発言。

音楽好きの小泉さんらしく、以前、郵政大臣在任中に民間のFM局を数多く認可したことでも知られる。

さて、小泉さんが総理在任中からクラシック好きとは承知していたもののどの程度かは知る由もなかったが、同氏の著作
「音楽遍歴」(2008.5.22、日本経済新聞社刊)見かけたので「どうせそれほどでもなかろう」と思いながらざっと目を通してみた。

                            

ところが、あにはからんやこれは相当の通、それも自分よりもずっとレベルが高そうでほとほと恐れ入ってしまった。

また、本書は「音楽遍歴」と銘打ってはいるが、むしろ自分の音楽体験をもとにして一般の人がクラシックに親しむためのノウハウを主眼として書かれた趣がある。

いわば「これからクラシックに親しもうという人やもっと深くのめり込みたい人」に向けて書かれた指南書みたいなもので、随所にそういった表現もあり、それもかなり具体的に書かれていて随分参考になること請け合い。

以下、
「小泉流のクラシック音楽に親しむためのノウハウ」
をいくつかポイントをしぼってピックアップしてみた。

人生と切り離せないほどの音楽大好き人間と自負している。12歳のときからヴァイオリンを始め、クラシック音楽とは優に半世紀以上の付き合い。

ヴァイオリン協奏曲から音楽の道に入った。バッハ、ブラームス、パガニーニ、モーツァルト、シベリウス、エルガーなどが好きになった。特にエルガーは全作品が大好き。

クラシックはポピュラー音楽や演歌とは違って最初に聴いて「即いい」というのはそれほどない。何回も聴かないと良さが分からない。たった一小節でも良くなってきた後、何回も聴くと、全部良くなってしまう。ブラームス(ヴァイオリン協奏曲)がそうだった。(※まったく同感)

音楽の聴きかたはBGMから入っている。ご飯を食べているときでも新聞を読んでいるときでも知らない曲を四六時中流している。そして、これいいなと思ったら本格的に腰をすえて聴く。

マーラーとブルックナー、彼らの良さが分かったのは40歳過ぎてから。ある日のことクルマに乗ってFMラジオをかけてもらい「これ何だ」と訊くと「マーラーの何番です」「ブルックナーの何番です」となった。いいと思った曲名はすぐメモをしてレコード店に買いに行く。最初は特定の部分しか良さが分からなかったが、段々聴くうちに全部がいいと思えるようになった。

オーディオ装置には全然こだわらない。生演奏に勝るものはないから。部屋全体の音響効果を考える人もいるけど私は普通でいいと思う。(※この部分にはちょっと承服しかねる!)

大好きなオペラとの出会いはNHKのテレビ放映でジョルダーニ作曲の「アンドレア・シェニエ」だった。メロディーの美しさ、詞の素晴らしさに感動した。またテノール歌手のマリオ・デル・モナコの人間業とは思えない美声にびっくり。こういう歌手は50年、100年に1人だろう。いまだにデル・モナコ級は出ていない。

大人の初心者向けのオペラを紹介する。
  ヴェルディ     「椿姫」「イル・トロヴァトーレ」「アイーダ」
  プッチーニ     「ラ・ボエーム」「トゥーランドット」
  ワーグナー     「ローエングリン」「タンホイザー」
  モーツァルト    「魔笛」
「椿姫」「イル・トロヴァトーレ」「アンドレア・シェニエ」「トゥーランドット」の四作品を観てオペラの良さがわからない、あるいは感動しないという人はもうオペラを観なくていい。

以上、ほんのさわりの部分の抜粋だがプロの音楽家を目指すのならいざ知らず、趣味としてクラシックを楽しむのであればこうした小泉さん流のアプローチはたいへん合理的ではないかと思える。

なお、不世出の名歌手デル・モナコの伝説は知っていたが本書を読んだ後で無性に聴きたくなり早速HMVのネットでDVD「アンドレア・シェニエ」
を購入してしまった。
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書コーナー~「闇の関が原」と「翳りゆく夏」

2010年03月20日 | 読書コーナー

 「闇の関ヶ原」(2000.9、PHP研究所刊)      

〔人生の)黄昏どきを迎えると「来し方」を振り返ってみて、さまざまな節目でいろんな選択肢があったことに思い当たる。

「あのときに、もし別の道を択んでいたら今ごろ自分はどういう境遇になっていたんだろう」と、もしかすると誰しもが(人生の行く末がレールの軌道に固定してしまい、もう引き返しが出来ないと感じたときに)

つい考えるのではなかろうか。

たとえば進学先、就職先、交際相手、結婚相手そして組織における人脈の選択など。

とはいえ、現代の平和な世の中ではどういう選択肢になろうと所詮は大同小異、せいぜい若干の快適さ、財産の増減とか多少の名誉程度への影響くらいで選択ミスによってまさか命まで奪われることはない。

ところが昔はまったく違った。ときは戦国時代。わずか1日の戦いで天下の帰趨が決まったとされる
「関ヶ原の戦い」。何と16万もの大軍が衝突したといわれる。

この「天下分け目の戦い」を前にして西軍(石田三成)につくか東軍(徳川家康)につくか、まったく勝敗の行方が定まらない中で国中の大名たちが最後の土壇場まで厳しい選択を求められた。

勝敗の如何によって「生きるか、殺されるか」、自分の命と家族の命運が文字どおり左右される実に厳しい時代。しかも自己責任のもと、まるで「運任せ」のようなものだが、「家名」存続のため、真田家などは親兄弟が敵味方に別れて五分五分の保険をかけた例もある。

また、武士のみならず、当時、時代を動かす推進力となっていた豪商たちも旗幟を鮮明にする(ショー・ザ・フラッグ)ことを求められたが、もし選択ミスをすると家業断絶となる極めて深刻な問題。

「闇の関ヶ原」は、「堺の豪商」の目を通して、そういう時代の切実さをひしひしと感じさせる本だった。

ストーリーは基本的に史実に立脚しており幾分かのフィクションが交っているものの全編リアリズムに貫かれている。

著者の中津文彦さんは、1982年「黄金流砂」で第28回江戸川乱歩賞を受賞。以後、歴史を題材としたミステリーで活躍されている作家。

余談になるがこの「黄金流砂」もスゴく面白い本だが、これに大いに触発されて、「僕もこういう歴史ミステリーなら書ける」と「写楽殺人事件」をものにして同じく江戸川乱歩賞を受賞したのが同じ岩手県の「高橋克彦」さん。その後の高橋さんの活躍ぶりは周知のとおり。

さて、この「闇の関ヶ原」の内容について。

関ヶ原の戦いは、何もあの9月15日、1日だけの戦いというわけではなかった。広い意味で「関ヶ原戦争」ともいうべき大きな内戦の、最後の結着をつけた戦いが、戦場を美濃関ヶ原としただけと理解したほうがわかりやすい。

関係したのは武将に限らず、女性も、公家も、職人たちも複雑にからまっており、中でも暗躍した〔武器)商人たちの存在は陰の立役者として無視できないものがあった。

著者はこの小説で一人の堺商人「今井宗薫」の目から見た関ヶ原の戦いを見事に描いてみせる。武将たちが最後まで迷ったように商人たちも迷いに迷った末の苦悩の決断は著者の描いたとおりだったろう。

本書の読みどころは複雑に入り組んだ人間模様の中での情報収集とその分析、そしてその一環として、関ヶ原の勝敗を決定づけた「小早川秀秋」寝返りのプロセスが克明に描かれた部分にある。

この”寝返り”は戦いの後になると、本人の決断でなされたかの印象を受けてしまうがそこが歴史の落とし穴で、そのプロセスに№2の家老「稲葉正成」に大きく焦点が当てられているところが興味深い。

したがって、タイトルにある「闇」というのは「隠された部分→裏工作」という意味に近い。

さて、読後感想だがまるっきり平和ボケしている自分には選択の悩みといえばオーディオ装置くらいのものだが、つくづく「のん気でいい時代に生まれてありがたかった~」と思わず感謝の念が沸き起こるほど「選択と命」が密接に結びつき苦悩する人間像の世界は厳しかった。

月並みな感想になったが、物凄く面白いし、絶対に読んで損はしないとはっきり請け負っていいほどの本だった。
 

 「翳りゆく夏」(2003.8、講談社刊)      

毎週、市内と市外の図書館から各5冊、県立図書館から10冊計20冊を借りてきて、ザット目を通して「面白そうな本」あるいは「ブログのネタになりそうな本」と鵜の目鷹の目で探しているが、なかなか行き当たらない。

まあ確率として1/20くらいのものだが今週は幸運だった。「闇の関ヶ原」に続いて「翳りゆく夏」が大当たり。

著者の「赤井三尋〔あかいみひろ)」さんは1955年生まれで、早稲田の政経卒。本書は第49回(平成15年)江戸川乱歩賞受賞作とある。この賞は賞金が1千万円ももらえるし、推理作家の登竜門として有名。

実を言うと自分もミステリーを読むのが好きなので、身の程知らずで何か書いてみようかと一時期、真剣になったことがある。

作曲家モーツァルトに題材をとったストーリーで、35歳で若死にした彼には傑作「魔笛」を上回る最後のオペラが残されており、結局、駄作とされる最後のオペラ「皇帝ティトスの慈悲」の音楽の中にその秘密が隠されていて、最高級のオーディオ装置で再生されて始めてその存在が明らかにされるといったあらすじ。

一人のモーツァルト・ファンとして、彼がもっと長生きさえしてくれたら、「魔笛」を上回る作品を鑑賞できたのにという切実な願望がなせる業での意欲だったが、才能なし、根気なし、ヒマなし(ウソつけ!)の三なしで結局断念。

さて、同賞の受賞作は大概読んでいるつもりだが、本書は未読だったのですぐに読んでみたところこれが想像以上の面白さ。

ミステリーなので未読の読者のために詳細を明かすことは厳禁だが、アット驚く犯人の意外性、見事な伏線の張り方、無理のないストーリー、ぐいぐい読者を引っ張っていく筆力など実に力量のある作家だと思った。

ただし、ミステリーといっても、鮮やかな謎解きとともに登場人物の人間像の掘り下げは絶対に不可欠だが、その辺がちょっと弱い気がした。

それにしても、今後が楽しみな作家である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽談義~グレン・グールドの「イギリス組曲」(バッハ)ほか

2010年03月14日 | 音楽談義

クラシック音楽界の中でさん然と輝く不世出の大ピアニスト「グレン・グールド」(カナダ:1932~1982)。死後30年ほどにもなるのにこんなに人気が衰えない演奏家も珍しい。

幼少のときに音楽家の母親からピアノの手ほどきを受け
「歌うように演奏しなさい」との貴重な教えのとおり、その演奏の特徴は単に”楽譜をなぞらえる"印象とは程遠い。

たとえて言えば、一旦作曲家の音符をバラバラに分解してしまい、自分なりに勝手に再構築して独特のリズムとスタイルに統一して演奏するといった具合。演奏中に聴こえるあの独特のハミングが「歌うように演奏」を象徴している。

一方では奇人としても知られ、本番のピアノ演奏のときに聴衆を目前にして椅子の高さの調整にゴソゴソと20分以上もかけたりして、とうとう全盛期の中ほどからはコンサートの演奏を一切拒否してスタジオ録音に専念した変り種。

こういった「一種独特の世界」に、一旦はまってしまうと病膏肓〔こうこう)に入ってしまい、もう脱け出せない。それにお互いにグールド・ファンと分かっただけで、「フ~ム、お主、なかなか出来るな」といった感じの優越感を共有しつつ特別の親しみと連帯感を覚える。

現在の手持ちのCDは、世界の一流演奏家たちがスランプに陥ったときによく聴くといわれる「モーツァルトのピアノ・ソナタ全集」、それにバッハの「ゴールドベルク変奏曲1981年盤」「フランス組曲」、ブラームスの「インテルメッツォ」、ベートーヴェンの後期ピアノソナタ(30~32番)。

グールドにはバッハの作品に名演が多いが、やや手薄なのがちょっと気になるところ。

その辺の足下を見透かされたように、メール仲間でバッハの権威、奈良のM 中さんからご好意でもって送付していただいたのが次のCD。

☆ 「イギリス組曲」         

☆ ゴールドベルク変奏曲「1955年録音、1981年録音セット」  

まず、「イギリス組曲」から。

「あれっ、同じCDが2枚もある」と勘違いされる方があるかも。実は左がオーストリア原盤で、右がCBSソニーの「メイド・イン・USA」。

画像をクリックして拡大すると分かるが、右の写真の左下片隅に小さくソニーのロゴマークが見える。

この二つの盤に音の違いを確認して欲しいというのが、M中さんから与えられたテーマなのだが、これがまるで
「月とすっぽん」のような差が。

断然、オーストリア盤のほうがいい。音の情報量がまるで違う。たとえて言えば、ソニーのほうはダビングしたマスターテープを使用して作製したかのように淡白で蒸留水のような音質。

同席して聴かれていたオーディオ仲間のA永さんも、これだけ違うと「大問題」だと憤慨される。CDの価格にそれ相当の開きがあれば仕方がないが、おそらく似たようなものだろう。

それなのに、こんなに音質の差があるのは「罪悪」以外の何物でもない。「一時が万事」ということもあるので、A永さんともどもHMVで好きなCDを購入するときに、もし「海外盤」と「ソニー盤」があれば、絶対に海外盤を選択しようと申し合わせたことだった。

「音楽心」のない人がアンプやスピーカーを作ると”それなりの音”にしかならないが、ソニー盤も似たようなものかな?

以上の旨をM中さんにメールすると、”まったく賛同”の意を表されたが、ソニーほどの大メーカーなんだから、もっと音楽好きのエンジニアを養成しないと~。

余談になるが国内のオーディオ衰退は音楽が分からない技術屋さんがやみ雲にオーディオ機器の企画、設計、製作をするところに一因があるとひそかに睨んでいるのだが。

次にゴールドベルク変奏曲。

1955年にチェンバロによる演奏だった「ゴールドベルク変奏曲」をピアノ用に編曲して衝撃のデビューを飾ったグールド。当時「まるでバッハが生き返って演奏している」といわれたほどの名演と称された。

1981年盤は前述したように手持ちでずっと聴き馴染んできたので、1955年盤をじっくりと聴いてみた。

評論家の間でも諸説があって、
「1981年盤は”功なり名を遂げた”芸術家の妙に落ち着いた雰囲気があって感心できない、それに比べ1955年盤の方には挑戦的な、はつらつとした新鮮さがある」
という意見を垣間見る。

これは画家の世界でも同じで「若描き」といって、老成したときの作品よりもほとばしるような才能の萌芽を見せる若い頃の作品に意外と掘り出し物があるという。

さて、自分の場合は演奏はともかく録音が感心できなかった。ピアノは低域の豊かさがそのまま「グランドピアノ」と「アプライト」の差になると思うが、低域がサッパリ伸びないので「アプライト」で演奏している印象を受けた。演奏がどうであれ、あっさり1981年盤に軍配を上げたい。

最後に、同時に送っていただいたヒラリー・ハーンの「プレイズ・バッハ」のゴールド・ディスクについて。

                   

先般のブログに掲載したように、2倍ほどの値段の開きがあるゴールドディスク〔右の写真)だがそれだけ納得のいく差を認めるものの、今度はゴールドディスクのコピー盤と手持ち盤〔左の写真)との比較を行ってみた。

因みに、コピー用の機器は「プレクスター」(CD-R外付けドライブ)を使用し、読み込み速度を10倍、書き込み速度を
4倍に設定してコピーしたもの。

「手持ち盤のほうがいいだろう」との予想がアッサリ覆って、コピー盤のほうがずっと良かった。「演奏に実在感がある」のがその理由。したがってジャケットはそのままにして、中身の盤をそっくり入れ替えることにした。


CD盤のソフト面でこんなに音質の違いがあるとなると「オーディオ装置の改善」なんか「水泡に帰す」ようなもので、いろいろと考えさせられてしまう。



 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディオ談義~オーディオ愛好家の「困った顔」~

2010年03月08日 | オーディオ談義

オーディオ愛好家は常に「音」のことが頭の中から離れないという極めてシツコイ人種。「もっと音が良くなる方法はないものか」といつも考えている。

「日本一、音のいいジャズ喫茶」(岩手県一関市)と称されるマスターの菅原昭二さんの名著「ベーシーの選択」~ぼくとジムランの酒とバラの日々~のプロローグに次のようなくだりがある。

一般的にオーディオマニアとは「キカイいじりの好きな人種」ぐらいに片付けられているのがオチ。しかし、実際にオーディオマニアの誰か一人の頭の中を割って覗いてみると以外にも思ったより構造がずっと複雑なことに驚くことだろう。

複雑な証拠に、往々にして彼らの表情には「困った顔」が多く、何時まで経っても容易に晴れ晴れとしない・・・・。

                      

実に「言い得て妙」で、自分が実際にそうなのである。傍から見るといつも何か割り切れない顔をしており、「困った顔」どころか、ときには「気難しそうな顔」という印象を与えているかもしれない。

いろんな対策を講じて「いい音」になったときはこの上なくうれしいが、それも一時的な話でしばらくすると「どこかに不満が出てきて、もっと良くなる方法はないものか」と考え込んでしまう。ホントにオーディオ愛好家とはキリがないほど欲の深い人種である。

3月6日の土曜日。曇りとも雨ともつかない天気の中、室内作業にはもってこいと思い切って低域の改善に取り組むことにした。

音楽鑑賞の根幹にかかわる大切な低域の改善には、つい最近取り組んだばかりだが、改めてその重要性に目覚めたので、「さらに」というわけで低域のユニットとボックスをソックリ入れ替える大作業。

バックロードホーン形式のボックスは、とても独りでは持てないので、猫なで声で「花壇にどうかな~」とカミさんのご機嫌をとり、猫の額ほどの庭の片隅に運ばせることに成功。

このボックスは1年間ほど使ってみたが材質がベニヤ板なのでソースによっては深々とした低音に変な響きがつきまとい音響がいまいちだったのでもはや未練なし。

ユニット〔口径20cm)のほうは、ジェンセンの1950年代の代物から、フォステクス製の強力なアルニコマグネットつきの低域専用ユニット(20cm)へと交換。

音楽を聴くうえでこの上なく大切な「音像定位」のことを考えてウェストミンスターの正面に据えてみたが低域と中域のクロスオーバーがごちゃごちゃなってしまい諦めて次の写真のように設置した。

               

左が今回の入れ替えユニット〔正面)、真ん中が裏側から見た写真、一番右の写真が全景〔右チャンネル)。〔すべて画像をクリックすると拡大できます)

早速、試聴してみた。CD盤は「ベスト・オブ・エンヤ」から2曲目の「カリビアン・ブルー」。冒頭のドスンと来る低音がどのように響くかでおよその良し悪しが分かる。

テスト盤として非常に重宝しているが、これまでになくスコーンと軽い低音がさわやかに抜けていく。それは、それは見事なもの。これがもともと録音されていたホントの音なのかと感激した。それもヘッドフォンで聴く音にきちんと低音が追加されているような印象を受けた。

低域はこれで良しとして次の対策に移って、ややクセがあって、ときには小うるさく聴こえる「アキシオム80」の最高域を抑えてみようとアンプとスピーカーを結ぶケーブルに小さなコイルをはさんでみた。

                   

最高域をカットすることで、アンプのボリュームを安心して上げることが出来、低域と中域のつながりがしっかりしてきた。とはいえ、音の艶がちょっと落ちてくるがそれを補って余りあるほど「音の骨格」がしっかりしてくる。

「これまでで最高の音になった」とニッコリ。「貴方は改善するたびにいつも同じ事を言うのね」とカミさんから揶揄されるが「今度こそ本当だ!」、とはいえ1週間ほどいろんなソースを聴く必要アリ。

さて、ここで奈良にお住まいのメール仲間、M中さんからお借りしたヒラリー・ハーンの「ゴールド・ディスク」をかけてみた。

                     

左のジャケットが自分が持っているCDで、右が今回お借りしたゴールド・ディスク。もちろん同一の演奏だが値段に2倍ほどの開きがある。さて音質の差やいかにと興味津々だが、アット驚くほどの違いがあった。

ヴァイオリンの音色もさることながら背後に広がる空気感というか空間の大きさが違う。透明度というべきか!

まるで上質のアナログ装置の音を聴く感じで実在感に相当の差がある。これなら倍の値段の差があるのも納得。

これはマスタリングの違い、それともCD盤の材質の違い、或いは相乗効果だろうか。

オーディオ装置の改善もさることながら、その一方ではCDソフトの改善も同じくらい大事だと改めて考えさせられた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独り言~「センスキャム」の出現に思う~

2010年03月06日 | 独り言

「エコノミスト誌」(2009年6月2日号)巻頭の「闘論席」に興味深い記事が載っていた。

脳科学者の池谷裕二氏による「センスキャム」についての寄稿。

既にご存知の方もあるかと思うし、要約して紹介するのがいいのだろうが、エ~イ面倒くさい、そっくり引用させてもらおう。

『センスキャムという装置が注目を集めている。2004年には、米マイクロソフト社が試作品を披露したので、ご存知の方もいるかもしれない。

これは
首からつりさげるデジタルカメラで、日常的なシーンを自動的に記録する、いわばビジュアル日記
である。

最近は小型化や軽量化や広角化が進み、赤外線センサーと可視光センサーも備え、部屋を出入りしたり、誰かが目前を横切ったときに、自動でシャッターを切る仕組みになっている。

訪れた場所や会った人など、その日の行動履歴が、毎日約2000枚の断続写真として保管される。

実際に使用した人によれば、
半年前のことであっても、数枚の写真を見ればあたかもそれを再体験しているかのように、鮮明な記憶を自然に思い出すことができる
という。

この装置が最近再注目されている理由は、ビジネスや娯楽としてではなく認知症治療への応用が期待されているからだ。
治療に初めて適用したのは英アッデンブルックス病院の研究グループである。

今年、その成果が報道された。記憶が数日ももたなかった患者が数ヶ月もの記憶保持に成功した劇的なケースがあり、試行期間が終わっても、使用継続を希望する患者もいたという。

ビル・ゲイツ氏は「センスキャム」の可能性に惚れ込み、数百人の記憶障害患者に配布するため6000万円の開発費を複数の研究グループに寄付している』

以上のとおりだが、折角なので「センスキャム」検索してネット情報を追ってみた。まだ少なかったが目ぼしいものをアトランダムに箇条書きしてみると次のとおり。

 
マイクロソフトの研究チームは人の一生を全てデジタルで残す研究をしている

 
「センスキャム」は12時間で2000枚もの画像を自動的に撮影できる

 
試作品の段階では明るい光や突然の動作と言った変化に反応させているが将来的には(人間の)心拍や肌の温度に反応する

 
浮気している人はどうすんだ、これ!

 
ウィルス感染で自分の人生が全て消えたらどうする?

人間の記憶は実に広範に亘っているので忘れることも多いし、むしろそっちの方がいいという人もいるが、現実にはある種の記憶を根拠にして生きているのも事実。、

したがって身の回りの出来事をデジタルで記憶して全てパソコンにしっかり保管しておくといった発想はやっぱりスゴイと思う。

現在、巷に氾濫している文章主体のブログも将来はビジュアル日記みたいに写真中心の形になる可能性が大いにある。

つまり「映像が言葉を駆逐する」可能性大だが、「頭の中でイメージをゆっくりと膨らませる」という点では文章の方が長(た)けている気もするがそんなアナログ的な思考も今後、徐々に形を変えていくんだろう。

とにかく、こういう話は「これから段々と人間の脳がコンピューターに置き換わっていきますよ」という象徴みたいな感じがするが、20世紀のエジソンと呼ばれスキャナーの発明で有名な「レイ・カーツワイル」氏の近著
「シンギュラリティ(特異点)は近い」(邦題:ポストヒューマン誕生コンピュータが人類の知性を超えるとき)
によると2045年ぐらいにはコンピューターの演算処理の加速によって人工知能が人間の知能を上回るようになるという。

                       
           
NHK BS               レイ・カーツワイル

「人間の知能」くらいならまだしも、「人間らしさの根源」ともいえる「心の動き」となるとどうだろうか。

そうなるとたいへんだが、スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」にも、コンピューターが人間に反抗する印象的なシーンがあって妙に記憶に残っている。

さて、その「心の動き」を読み取る具体的な手法としては「脳波」を利用する技術がある。

脳には多くの神経細胞が存在し細かな網のようなネットワークをつくりあげているのだが、脳が何らかの働きをするとこの神経細胞に電気信号が流れ頭皮上に電位変化があらわれる。

これが「脳波」だがこの変化をとらえて類型化すると「感情の変化」が読み取れるようになる。この技術は犯罪捜査やメンタルケアでの活用が考えられているが、上記の「センスキャム」にそっくりこの「脳波測定」の技術を応用する事も当然考えられる。

つまり「明るい光、突然の動作」 → 「心拍数や肌の温度」 → 「脳波を感知」へと「センスキャム」のシャッター・チャンスが自動的に増えていくと
コンピューターがより人間臭く
なっていく。

それに、いずれ「ナノボットの時代」がやってくるとカメラも超小型化しほんの首飾り程度に収まるようになれば洒落た真珠みたいな首飾りやイヤリングを身につけて前後左右の四方向の写真を撮りまくるのも夢ではない時代がやってくる。

犯罪防止には極めて役立ちそう!

もちろん、いいことばかりではない。ヴィジュアルのコンピューター利用はプライバシーの侵害がつきもの。近年、グーグルが街路上の家を特定できるまで細かく写した地図を公開して物議を醸したが、この「センスキャム」は下手をするとそれ以上の危険性を孕んでいる。

この命、とても2045年まではもてそうにないが、はてさて、どうなることやら。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする