「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

愛聴盤紹介コーナー~ピアノ・ソナタ32番追加試聴♯3~

2007年06月14日 | 愛聴盤紹介コーナー

ベートーベンのピアノ・ソナタ32番の試聴については既に5セットが終了している。あくまでも自分の好みの範囲であることを前提にするとバックハウスが一頭地を抜いている。

今回新たに内田光子、ケンプ、ブレンデルの3セットを追加購入し試聴してみたので感想を記してみる。

☆ ウィルヘルム・ケンプ(ドイツ・グラモフォンPOCG-90111)

朴訥というべきか、人間味溢れる眼差しともいうべきか、穏やかな演奏が基調となっている。ケンプの人間性そのもののような気がして好感がもてるがややタッチが弱く厳しさが足りない印象がする。このソナタの主題はこの盤のライナーノーツによると「闘争と平和」と書いてあったが、何だか平和だけに肩入れした感じ。世の中、平和だけで成り立てばそれに越したことはないのだが・・。

☆ アルフレッド・ブレンデル(フィリップスUCCP7086)

ブレンデルといえば、知的ということばで代表され、あのグールドがかなり買っていたという記事を読んだ記憶があるので、今回の対象盤に組み込んでみたが一言でいって期待はずれだった。

全体的に考え込みすぎてリズムに乗り切れていない感じがする。もともと説教味を帯びた第一楽章がますます堅苦しい。それに一番大切な第二楽章に躍動感が足りない。無味乾燥で、音楽学校の生徒さんが一生懸命に楽譜をなぞっている印象。

☆ 内田光子(フィリップス475 6935)

これはなかなか聴かせる演奏だった。内田節とでも言うべきか、曲の内面に深く入り込んで自然に糸を紡いでいく趣が感じ取れる。これなら「葛藤と安息の境地」が両立していると思った。

肝心の第二楽章の”聴きどころ”のクライマックスから段々と潮が引いていく感じのところはバックハウスに匹敵するほどロマンチック。しかし、惜しいことにそれからエンディングにかけてがやや間延びした印象を受けるのが残念なところ。高揚感と虚脱感の落差がもっと欲しい。やはりこのソナタの世界は男の悔恨と侘しさがふさわしい。女流ではこの辺が限界かも。しかし、孤軍奮闘、全体的に好演の印象で録音はこの盤が一番良い。(なお、彼女の「30番作品106」は絶品だった)

結局8セットの自己流での分類は次のとおり。
上位グループ
バックハウス、リヒテル、内田光子
中位グループ
アラウ、グールド
下位グループ
ケンプ、ミケランジェリ、ブレンデル
となった。

これで、32番のソナタを弾いた著名ピアニストはほとんど聴き尽くしたので当分打ちとめ。あとは成長株キーシンあたりを見守るぐらいだろうか。

なお、最近NHKBSハイでベートーベンのピアノ・ソナタ演奏の特集に出演しているピアニスト兼指揮者ダニエル・バレンボイムも実力からいって有資格者なのだが、彼には何の恨みも無いのだが、昔、芳しくない噂の記事を読んだことがあるのが引っかかっている。

その噂とは、
彼の奥さんは世界的なチェリスト”ジャクリーヌ・デュ・プレ”(1945~1987)だった。彼女は可哀想なことに多発性脳脊髄硬化症という難病に苦しみぬいて42歳で非業の最期を遂げたが、夫であるバレンボイムはその闘病生活に対してどうも冷たい態度に終始しケアが十分ではなかったらしい。

当時”デュ・プレ”の才能に大注目していたのでそういう趣旨の記事を読んだ記憶が鮮明に残っている。もちろん、ケアの程度の問題もあるし、そもそも真偽の程は確認できないのだが、根も葉もない噂ではないような気がする。何故なら、こんな噂を広めても誰も得するものがいないから。

もちろん、これは、彼の芸術性とは何ら関係の無い話であり、世間にはよくある話なのだが、その記事を見てからは彼の演奏とは自然に距離ができてしまって遠ざかるばかりである。

               
  内田                 ブレンデル             ケンプ








 


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愛聴盤紹介コーナー~ピアノ・ソナタ32番・追加試聴♯2~

2007年05月10日 | 愛聴盤紹介コーナー

以前、愛聴盤紹介コーナーでベートーベンの「ピアノ・ソナタ32番」について、3つの盤を紹介したが、その後新たに仕入れた盤があるので追加報告。

ピアノ・ソナタ32番(ピアニスト:ミケランジェリ、10枚セットのうちの1枚)

ミケランジェリ(1920~1995)には大いに期待していたのだが正直言ってがっかりしてしまった。どうも強弱のバランスがしっくりこない。

あの勝負どころともいえる第2楽章の甘美で優しい追憶を髣髴とさせる内面の奥深さの表現が物足りず、おまけに、ミスタッチが少ないと定評のあるミケランジェリにしてはかなり外れた音が目立ち感心できない出来栄えだった。当日は本来の調子ではなかったのかもしれない。とにかくアラウ、グールド盤にも及ばない印象を受けた。

ライブの一発勝負の怖さとともに改めて内面的な深さを要求する32番のソナタを弾きこなすのがいかに難しいことか認識を新たにした。ミケランジェリほどのピアニストにしてにしてこういう具合だから他のピアニストの挑戦は推して知るべきなのかもしれない。

以上、私見です。

ピアノ・ソナタ32番(ピアニスト:リヒテル)PHCP-5119フィリップス

期待していたミケランジェリにがっかりしたので、あとはもうリヒテル(1915~1997)しかおるまいという期待を込めて、ミケランジェリ盤のすぐ後にネットで手に入れた。

これはライブ録音だが期待にたがわずなかなかの名演だった。第二楽章の深く瞑想的に沈降する極めて内省的な演奏は、さすがに精神性豊かなピアニストの巨人リヒテルだ。バックハウスを除けばおそらくベストだろう。

リヒテルは語っている。

【舞台に出てすぐ弾いてはいけない。30秒待って「バーン」とやる。演劇というよりは神秘主義だな。これは。しかし、ベートーベンのピアノ・ソナタ32番は、逆に、椅子に座るやすぐに弾き始めなくてはだめだ。気でも狂ったかのようにね!】(引用「リヒテルは語る」51頁、ユーリー・ボルソフ著、音楽の友社

さすがのリヒテルもこの32番だけはもったいぶった演奏は通用しないことを率直に告白しているところが面白い。

しかし、リヒテル盤がどんなによくてもバックハウス盤を超え得ないことも明らかだった。バックハウス盤は演奏の緻密さ、クライマックスへの展開力、そして何よりも
演奏そのものを不思議にも意識させないところに大きな利点があり、何だかベートーベンの心から自然に湧き出てくる呟きを聴いている感がする。

やはり32番に限ってはバックハウス盤が頂点にいることを再認識するとともに将来に亘ってこれを超える演奏は出現しないという確信(?)を持った。

なお、ベートーベンの作品の中で最も深遠なものの一つともいえるこの32番を自分が知る範囲で女流が弾いたという話をあまり聞かないし、おそらく弾けないと思う。

「晩年になって誰もが垣間見る悔恨と侘しさを回想しつつ共感をもって優しく癒してくれるのはゴツゴツと骨張った男の指でなければとても聴けない!」

と、ここまで書いておいていたところ、最新刊の「管球王国」(vol.44、4月29日購入)を何の気なしに見ていたら156頁に日本が誇る世界的ピアニスト内田光子さんが録音した32番のCD盤が紹介されていた。

ウーム、意表をつかれた感じだが内田さんならもしかすると・・・・。

彼女の気品と芸術性に溢れた演奏は神品のようなモーツァルトのピアノ・ソナタで証明済みだし、使っているスタンウェイは特につくりがいいと読んだことがあり、その響きの美しさは他の追随を許さない。各国で開催するコンサートは常に大入り満員だ。これは是非聴いてみなくてはならないと思った。

追伸:早速、5月6日にネットオークションで落札したのでいずれ試聴結果を報告の予定。

                    
        ミケランジェリ                      リヒテル 

                       



 


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愛聴盤紹介コーナー~アルルの女~

2007年03月16日 | 愛聴盤紹介コーナー

CD番号       CCー1061
収録年        1959年
ジャンル       管弦楽曲
題  名       アルルの女(第一組曲、第二組曲)
作曲者        ジョルジュ・ビゼー(1838年~1875年:フランス)
指揮者        イーゴリ・マルケヴィッチ
演  奏        コンセルト・ラムルー管弦楽団
演奏時間       29分37秒

作曲家ビゼーは、生前あまり評価されることなく37歳で病死したが、わずか9歳でパリ音楽院に入学を許されるという豊かな才能に恵まれていた。

死後になってやっと高く評価され「カルメン」、「アルルの女」が代表作として知られるが、これらの作品からは美しいメロディとともに豊かな色彩で彩られた油絵を思わせるような表現が満ち溢れており、たしかに並々ならぬ才能を感じさせる。

「アルルの女」はドーデの戯曲の上演に際して伴奏音楽として書かれたもので、物語のあらすじは、南フランス、プロヴァンス地方のアルルという小さな町で富裕な農家の総領息子が美しいが邪な女性に恋をするが、結局想いがかなわず高い塔から身を投げて自殺するという悲劇的な展開で終わる。

ビゼーは、この戯曲のために長短27曲を書いたが、後に第一、第二組曲として4曲づつ再編成した。

この曲は学生時代からよく聴いていて、フルートやオーボエ、サキソフォンなど多彩な管楽器が織りなす南フランスの牧歌的な雰囲気と美しいメロディが気に入って大の愛聴盤だった。

そのときのレコード盤(兄が所有)は指揮者がオッテルローという名前だったが、名演かどうかは別にして耳に完全に馴染んでいたので、CDの時代になってこの指揮者のCD盤を求めたが、これまでとうとう発売されずじまいだった。

仕方がないので、マルケヴィッチ、クリュイタンス、オーマンディの指揮のものを購入してこれまで聴いてきた。この中で今のところはマルケヴィッチ盤をよく聴いている。

この盤の特徴はまずキビキビしていて歯切れがよく爽快な印象を受ける。指揮者のリズム感がよく反映されているが、それでいて十分抒情性もある。また、第二組曲のファランドールは色彩感が豊かで南フランスの牧歌的な雰囲気が好きだ。

クリュイタンス盤はややテンポをゆっくりとって牧歌的な味わいを大切にした印象で、澄んだ弦合奏と管楽器の余韻たっぷりの演奏は当時のパリ音楽院の実力を知らしめるが、私にとってはテンポがゆっくりしすぎて、まどろっこしさを感じる。最近はあまり聴かない。

オーマンディ盤は本格的なオーケストラ(フィラデルフィア管弦楽団)の弦合奏の厚み、管楽器の多彩さはひときわ雄大なスケールを感じさせるが、まるでシンフォニーを聴いているようで、「鶏の肉を牛刀で割く」感じで、大げさすぎてこの曲のローカルなイメージには合わないように思う。

また、この魅力的な曲はいろんな指揮者の意欲をそそるのだろうか、少し挙げてみるだけでも、カラヤン、デュトワ、テラコート、バーンスタイン、レークナー、クラーク、バジール、ケーゲル、ミュンフン、マゼール、プラッソンなど実に多彩である。

これだけあれば全部聴くのが大変だが、オペラなどと違って歌手の不具合も生じないので演奏の差はそれほど出ないような気がする。

                 
 マルケヴィッチ盤          クリュイタンス盤          オーマンディ盤



     


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愛聴盤紹介コーナー~ワルツ・フォー・デビイ~

2007年03月08日 | 愛聴盤紹介コーナー

CD番号      リヴァーサイドVIC J-60008  
収録年      1961年
ジャンル      ジャズ
題名        「ワルツ・フォー・デビイ」
曲名        ①マイ・フーリッシュ・ハート
           ②ワルツ・フォー・デビイ
           ③デトゥアー・アヘッド
           ④マイ・ロマンス
           ⑤サム・アザー・タイム
           ⑥マイルストーンズ
           +4曲
演奏者       ピアノ   ビル・エヴァンス
           ベース   スコット・ラファロ
           ドラム   ポール・モチアン

ジャズ専門誌による人気投票では必ず上位に入る(数年前に見たときは1位だった)超人気アルバムである。しかし、好き好きもあるかと思うがじぶんが聴くのは①のマイ・フーリッシュ・ハートだけであとの曲はまず聴かない。

ニューヨークのヴィリッジ・ヴァンガードでの実演だが、素晴らしく録音が良い。ジャズは素人だがその再生は極論だがシンバルとベースの音に尽きると思っている。この盤はピアノもさることながらベースの音がよく録れている。これを聴くたびに我が家のオーディオ装置が貧相になる、そう、重低音の再生が十全ではなく今ひとつ不満がある。

オーディオを長年やってきたが難しい課題の一つに重低音の再生がある。中高音はそこそこの装置で何とかなるのだが、重低音、それも澄み切った清澄感と歯切れの良い重低音だけは簡単には出せない。SPユニットとボックスに特別の工夫がいるようだ。


さて、オーディオ談義はこのくらいにして、この盤の内容についてジャズの専門家のコメントを要約して紹介しておこう。

≪菅原昭二≫著書「ジャズ喫茶ベイシーの選択」より抜粋

演奏もさることながら、録音が素晴らしくピアノ・トリオのライブ録音の最高峰といってよい。マイ・フーリッシュ・ハートの冒頭のピアノの二音が空気をいきなりヴィリッジ・ヴァンガードの店内に変えてしまう・・。かけると一瞬にして空気が変わる!これが良くできたライブ録音の醍醐味だがこれはその中でも格別のもので、まぁ、No.1といっていいだろう。

≪チック・コリア≫(ピアノ奏者)
ビルの美しいタッチの秘密を知りたくていつも一番前の席で聴いていた。鍵盤を覗きたかったが無理だった。強い印象をうけたのは、柔らかいタッチで弾くときでも両手に強い力を込めていたこと。力を込めて優しい音を出す。そのことにびっくりした。自分でも試してみたがとても集中力が要求される。最初から最後までよくあんなことが出来るものだと感心した。また、3人が絶妙のバランスで触発し合っていることに興奮を覚えた。だから、リターン・トゥ・フォーエヴァーのときにもインタープレイを重視したんだ。

≪ハービー・ハンコック≫(ピアノ奏者)
マイ・フーリッシュ・ハートにびっくりしたというよりも焦った。ビルが聴いたこともないハーモニーを用いていたから。あるとき、横で彼のプレイをながめてその秘密が分った。5度の音をあまり使わず、主に7度の音を弾くことでハーモニーに新鮮な味を加えていた。早速その日から真似をしたら、マイルスが怪訝そうな顔をして、私を見ていたよ。(笑)

≪ブラッド・メルドー≫(ピアノ奏者)
ビルの素晴らしいところはどんな曲を演奏しても自分のスタイル、自分のサウンドにしていることだ。一音で彼だってわかる。その個性が音楽をやる場合は重要だ。しかも音楽的にも群を抜いて素晴らしい。この両方を高いレヴェルで確立するのが自分の目指すゴールだ。
このアルバムで好きなのは、ワルツ・フォー・デビイとマイ・フーリッシュ・ハート。タッチが美しくフレーズがいつまでも心に残るほど印象的。どうすればこんなに弾けるんだろうと聴くたびに思う。ついついコピーしてしまって、やっぱり無理だってがっかりするんだ。(笑)

                   

 

   

     


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愛聴盤紹介コーナー~大公トリオ~

2007年03月06日 | 愛聴盤紹介コーナー

CD番号     EMI-TOCE13030
収録       1958年
作曲者      ベートーベン
曲目       ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調Op.97≪大公≫
演奏者      ヴァイオリン  ダヴィド・オイストラフ
          ピアノ     レフ・オボーリン
          チェロ     スヴャトラフ・クヌシェヴィッキー 

モーツァルトの音楽はまず美しさの方が先に立つが、べートーべンの音楽は人間の魂を揺さぶるようなところがある。この盤はそういう表現にピッタリである。

大公トリオはあの第7交響曲の少し前にあたる1811年に楽聖が敬愛する守護者ルドルフ大公に献呈した作品で、人気・内容ともにピアノ三重奏曲の最高傑作の一つとして君臨している。

作曲者本人にとっても大変な自信作だったようで初演では自らが演奏し(公開の場では最後となった)、ピアノ・トリオとしては限界を極めた作品として以後このジャンルの作曲は手がけていない。あのピアノ単独の表現の限界を極めた最後のピアノソナタOp111と似たような立場の作品である。

有名な曲なのでそれこそいろんなグループが演奏を手がけているが、じぶんが一番好きなのは
オイストラフ・トリオである。ずっと以前にレコード盤として愛聴していたのだがCDの時代となり24bitのリマスタリングとして新たに発売されたので早速購入した。

ピアノ・トリオの場合どうしてもピアノの音量や響きの豊かさが目立ち過ぎて他の二つの弦楽器を圧倒する傾向にあるが、この盤は音楽的な重心がヴァイオリンにあり、トリオの間に交わされる押したり引いたりする楽器同士の呼吸がピッタリ合っているところが気に入っている。

演奏者3人ともロシア出身だがあの極寒の大地で育まれた民族の精神性、スケールの大きさがこの演奏にもよく現れているように思った。

ずっと昔、尊敬していたオーディオ評論家の瀬川冬樹氏(故人)が大公トリオを鑑賞中に感激のあまりウーンと頭を抱えて座りこまれたという記事を見た記憶があるがおそらく第3楽章(アンダンテ・カンタービレ)のところではないだろうか。

ベートーベンのアンダンテは定評があるが、この第3楽章になるとつい内省的になって、いつも心が洗われる思いがする。ベートーベンの言う
「音楽は哲学よりもさらに高い啓示」とはこのことなのだろう。

この盤は宝物だが、どんな名曲でも耳に慣れてしまうと曲趣が薄れるのであえて滅多に聴かないようにしている。アナログ録音のためか定価1300円だったが芸術にコストは無縁だとつくづく感じさせられる。

なお、ヴァイオリン演奏のオイストラフは
「20世紀のバイオリン演奏史は究極のところオイストラフとハイフェッツによって代表される」(ヴァイオリニスト33:渡辺和彦著、河出書房新社)といわれるほどの名手である。

たしかにオイストラフに慣れ親しむと、もう他のヴァイオリニストでは満足出来なくなるケースが多く、その魅力についてはとても手短には語り尽くせない。

「オイストラフの演奏はどの演奏も破綻が無く確実に90点以上
(同書)といわれており、一時期夢中になっていろんな演奏を集めたが、特にベートーベンの「ヴァイオリン協奏曲」、モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲1番~5番」はお気に入りの愛聴盤となっている。

                  





 


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愛聴盤紹介コーナー~ピアノ協奏曲13番~

2007年02月20日 | 愛聴盤紹介コーナー

CD番号      469820-2(8枚組セットのうちの1枚)
レーベル      ドイツ・グラモフォン
指揮者       コード ガーベン
管弦楽団     北ドイツ放送交響楽団
曲目        モーツァアルト・ピアノ協奏曲13番(K.415)
演奏者       アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)
           (イタリア:1920~1995) 

モーツァルトのピアノ協奏曲は全部で27曲あるが、通説では、大きな飛躍を遂げたハ短調の20番を境にしてそれ以降の作品と19番以下とでは質的に大きな開きがあるといわれている。

じぶんも、これまで20番以降は随分愛聴してきたが、19番以下は全くといっていいほどのノーマークで、手持ちではアシュケナージの弾いた18番、19番を持っている程度だった。

ところが、通説とはまことに当てにならないもので、つい最近13番を付随的に手に入れて聴いてみたが思わぬ収穫だった。実に叙情味があって20番以降と遜色がないほど美しい。特に第2楽章は、詩情味溢れる世界が繰り広げられる。

この13番はK.415で、あの名曲の誉れ高い「フルートとハープの協奏曲」はK.299であり、単純に年代順とモーツァルトの成熟度との比例度からいえば、この13番が名曲であっても少しも不思議はないのだが、どうやらこの「13」という比較的若い番号に幻惑されていたようで、やはり、モーツァルトの音楽に先入観は禁物だった。

ただし、どんなに名曲でもピアニストによってこうはいかないことは明らかで、ピアニストのミケランジェリだからこそ可能に出来た表現の世界だと思う。

ミケランジェリはあのホロヴィッツやリヒテルに並び称される大ピアニストだがミスタッチが非常に少ないことでも有名で、ライブでもその真価が十分に発揮される。

この録音もライブだが、それが実に功を奏しており観衆との一体感の中で生命感が吹き込まれたようなみずみずしいピアノの音がホールトーンの中で実にきれいに流れていく、特にピアニッシモの美しさは格別だった。オーケストラもピッタリ寄り添うようで息が実にピッタリ合っている。

ミケランジェリの魅力については「ピアニストが見たピアニスト」(青柳いずみこ:白水社)に詳しく記載されているが「楽器に何か細工をしているようなこの世ならぬ神秘の響き」の秘密は「ドからソまで届く巨大な左手と並外れた聴覚のなせる技」とある。

とにかくピアノという楽器の表現力には今更ながら魅了され、やはり楽器の王様であるとの感を深くした。

ところで、ピアノの場合は演奏家とピアノと調律師は三位一体の関係にあるといわれているが、ミケランジェリの調律は一時期日本人の村上輝久氏があたっていた。ミケランジェリとの出会いから彼の演奏旅行に同行していく経緯は「いい音ってなんだろう」(刊行:2001年、(株)ショパン)に詳しい。

67年のドイツの新聞紙上で「全てのピアノをストラディバリウスに変える東洋の魔術師」とも報じられるほどで、ミケランジェリ以外にもリヒテル、ギレリスといった錚々たる巨匠に重宝され、まつわる裏話も面白い。 

                 


 


 


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