定家『明月記』の物語
書き留められた中世
稲村榮一 著
ミネルヴァ書房
2019年11月30日 初版第1刷発行
はしがき
明月記は同時代の方丈記や平家物語に比べて、視野が広い。
定家は時代の全体を見聞き出来る好位置にいたからであろう。
序『明月記』天変八百年
日記の大部分を占める典礼・作法と合わせて、書き留められた身辺の事や世事の伝聞記事が時代を語る面白さは、現代においても興味を誘ってやまない。
茶の湯の盛行と、それに伴う定家筆跡の異常なまでの需要がおこる。
古書が長い歳月に耐えたのは、和紙に墨書した文書という点も注目すべき
文書修復の人たちは「和紙千年、洋紙百年」という。
1 俊成の五条京極亭焼亡 洛中の火災頻々
2 俊成と子女たち 一夫多妻時代
一夫多妻の場合、異母同父の兄弟は比較的疎遠に見えるが、異父同母の兄弟は親しいらしく、年賀などには母のもとに集まったりする。
3 世界が驚いた天文記録 大流星・超新星
定家19歳の9月、大流星の記録
定家69歳の時、奇星を見る。それをきっかけに過去の客星の出現例を天文博士に問い合わせる。
その八例の中に、176年前に(1054)起きたカニ星雲の爆発の記録があり、天文学者に注目される。
オーロラを見た記録かと思えるものがある。
1200年頃は、地磁気の軸が今よりも日本側に傾いていて、日本においてもオーロラが観測できやすかったと考えられる。
4 紅旗征戎は吾が事にあらず 乱世の軽視
5 高倉院崩御 末代の賢王を慕う
6 剛毅の女房の生涯 健御前の『たまきはる』
健御前は定家の五歳上の姉、強烈な個性を持ち、四人の女院等に仕えた生涯だった。
『たまきはる』は日記というよりも宮仕のあり方を教えた著作
7 九条家四代に仕える 浮沈を共にする主家
8 定家の家族と居宅 西園寺家との縁組
9 荘園経営の苦労 横領・地頭・経済生活
10 式子内親王と定家 「定家葛」の伝説を生む
11 後鳥羽院と定家 緊張した君臣関係
12 熊野御幸に供奉 山岳重畳、心身無きがごとし
定家40歳の10月、後鳥羽院の熊野御幸に供奉した。
13 官位昇進に奔走 追従・賄賂・買官・婚姻
14 日記は故実・作法の記録 殿上人の日々
15 禁忌・習俗 穢を忌む
16 南都・北嶺 紛争止まぬ武闘集団
「南都・北嶺」は奈良の興福寺と比叡山延暦寺を併称した言い方であるが、この当時は強訴・闘乱を繰り返す僧兵の拠点という印象が強い
17 救いを求めて 専修念仏・反念仏・造仏・写経
後白河院は熱狂的な歌謡好きで、遊女・白拍子を問わず歌の名手を召しては歌わせ、自らも喉から血が出るほどに歌ったと言われる方である。
18 「至孝の子」為家 後鳥羽院の寵・承久の乱前夜
為家は蹴鞠にはまり込む。天皇・院両主が観覧される。
蹴鞠は後鳥羽院時代に特に朝廷や公家で盛んになった遊戯で、鞠壷(蹴鞠のコート)の中で、八人が鞠を地に落とさないように蹴り上げ、受け渡し続けて千回を目指す。
19 承久の乱 「武者の世」成る
20 文界に重きをなす 古典書写・新勅撰集
現在『源氏物語』の転写本は「青表紙本」「河内本」「古本」と呼ぶべき物との三系列がある。
定家64歳の二月記に見える記事は、青表紙本の成立と見る説が多い。
21 群盗横行の世 天寿を全うしがたきか
22 京洛の衰微 焼亡ありて造営を聞かず・豪商
23 寛喜の大飢饉 路頭の死骸数を知らず
24 定家の身辺事 病気・保養・楽しみごと
25 世事談拾遺 定家の説話文学
明月記抄 定家年齢譜
あとがき
本書の校正時に至って、定家が比叡山で見た光は確かにオーロラだったと確認された。日本最古のオーロラ観察記録でもあった。
超新星の誕生記録に止まらず、新たな名誉だった。
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