2か月ほど前の新聞に、「論語を暗唱できると世界遺産の見学がタダ」になるという中国の記事が載っていました。外国人観光客が論語の中から5つのフレーズを暗唱できれば、孔子にまつわる世界遺産「孔廟」、「孔府」、「孔林」の「3孔」の入場料2,900円がタダになるというものです。
中国語、英語、または自国語で10分以内に自分で選んだフレーズ5つを暗唱し、それが審査委員に正確だと認定されれば栄誉証書がもらえ、さらにタダで見学できるようになる仕組みで、これまでに日本人を含む12か国39人が暗唱に成功したそうです。
では、皆さんは論語の中でいくつのフレーズを言えるでしょうか?入場料をただにできる自信はありますでしょうか?
私は昨夜、「論語から学ぶ経営のヒント」をテーマに講演を行いました。論語には、現在にも通じる経営のヒントが沢山あるからです。
ところで、論語といえば、皆さんは孔子についてはどの程度ご存知でしょうか。
これまでいろいろな人に孔子のイメージを聞いてきましたが、「小柄で気難しい、眉間にしわを寄せた老人」というように答えた人が大半でした。
ところが、実際の孔子は身長2メートルの偉丈夫で、お酒をたしなみ、音楽が大好き。他にも釣りや狩り、御車(馬車のこと)の運転技術などに長けていたようです。さらには、2500年前にしては大変に長命で、74歳で弟子たちに看取られながら亡くなったそうです。
ユーモアがあったという説や、その逆だという説もありますが、孔子はなかなかに活動的な人物で、その人生もまた波瀾万丈というか、いろいろと苦労が絶えなかったようです。
孔子は、なかなか官職に就くことができず、就いたと思ったら政情不安のためすぐに辞めざるを得なかったり、諸国を放浪したりと、決して成功者とは言えませんでした。
それでも、その言葉を集めた「論語」は今でも多くの人々に読み継がれているのです。このように、論語が言わば歴史的、地球的ベストセラーとしての地位を得た理由はいくつかあります。
私は、言葉がシンプルなので様々な解釈が成り立つことと、会話に基づいた文章なのでライブ感があるという2点が重要な意味を持っていたのではないかと考えています。
一方で、論語に書いてあるほとんど全てのことが「当たり前のこと」ばかりであるため、実際のところ、しっかり意識して読まないと、その後の意識に残りにくいということもあります。
しかし、我々はこの「当たり前のこと」がなかなかできないのも事実だと思います。
これまでの人間の歴史を振り返ってみれば、この「当たり前」のことができなかったがゆえに、戦争などの幾多の争いが起こってきました。人類は、争い事を起こしては道を外れ、やがて愚かさに気づいて道に戻り、しばらくするとまたしても道を外れて戦争を起こす、この繰り返しです。
「当たり前のこと」だからこそまっすぐに歩くのは難しいのでしょうが、思えば孔子は既に2500年前にそのことに気が付き、後世の我々にそのことを示していたのではないでしょうか。
論語で示されているように、もしもこの真っ直ぐな当たり前の道が無かったら、はたして人類はどうなっていたことでしょうか。
孔子が生きていた時代から正確に言うと2,567年経った今も、そしてこれから先の未来まで、ずっと続く一本の「当たり前の道」、それが論語なのだと思います。
(冒頭の写真は Wikipediaより)
(人材育成社)