「人間なら誰でも全てが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない」(ローマ人の物語、塩野七生著)。古代ローマの皇帝カエサル(シーザー)が残した言葉です。
私たちは、自分が信じたいものが目の前に現れると、つい飛びついてしまいます。一方、反論や反証が提示されると「それはひとつの見方に過ぎないよね」と言って否定してしまいます。
以前、あるビジネスパーソンの集まる勉強会で、統計と確率の話していたときのことです。「宝くじの”当たりやすい番号”というものは存在しない」と私が言ったところ、「いや、そんなことはない。当たりやすい組とか番号はある」と主張する人がいました。私はていねいに説明したのですが、その方はどうしても納得してくれませんでした。
多分、私が「当たりやすい番号はあります!」と言ったらそれで終わったのでしょうが、私はなんとか説得しようと手を変え品を変え説明を続けました。結局、その人はますます不機嫌になるだけでした。
「見たいものしか見ない」、「信じていることしか信じない」
これは、Facebookを見ていると特に強く感じることです。
最近の例では、STAP細胞(懐かしいですね!)に関する書き込みなどがその代表でしょう。
インターネットは、世界中のあらゆる知識に簡単にアクセスできる道具です。困ったことに、人は、その万能の道具を使って「私の考え方は間違っていない。絶対に正しい!」という証拠(らしきもの)を片っ端から集めて、安心するわけです。
逆に、説得力のある反論や否定したい事実にぶつかると、クリックひとつで消してしまいます。
こうした傾向は近年ますます顕著になってきています。
SFっぽく言えば、「機械文明が人間の知性を滅ぼす」のではなく、「人間が機械を使って自分で自分の知性を滅ぼす」というところでしょうか。
この流れに歯止めをかけるのは「見たくないものも見る」、「聞きたくない話も聞く」姿勢です。そして、それを多少なりとも実行できる道具はインターネットではなく、本(書籍)なのではないかと思います。
なぜ「本」なのかは、ひとことでは言えませんが、私が若かった頃、分厚い難しい本と格闘した後で「考えるというのは、こういうことだったのか!」と感じた体験が(ほんの少しですが)あるからだと思います。
夏休みには、難しくて厚い本を1冊読んでみようと思います。皆さんもいかがでしょうか。
(人材育成社)