JSP_Blog

ジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

インタビュー

2010-08-27 06:11:42 | 日記
 最近同じ夢を見て困っている、という友人に会った。

 夢の中で道を歩いていると、あるいは駅の改札を出ると、いきなりマイクを突き付けられ、「豊さとはどういうことだと思いますか?」と聞かれたり「豊かな生活を送っていますか?」と聞かれたりするそうだ。

 豊さとは何だろう、夢の中でも目が覚めても、答えがわからない、と彼は言った。「何だと思う?」妙にげっそりしてそんな風に聞く。

 生活の基盤になるインフラが整備されているだけでかなり豊かなことだと私は言った。水や食料が簡単に手に入り、夜も暗くない。どこにでも行け、生活のこまごましたことはみんな電化製品がやってくれる。

 水も食料も簡単に手に入らす、だから手には入った時はありがたいと思い、大事に大事にいただいた。残すこともない、無駄にすることもない。洗濯は手でする。だから四季は身にしみて感じる。食材は何もかも手作りで、それぞれの家の味がある。夜は暗く、みんなで寄り添って今日起きたことを話す。どこか遠いところに行こうとすれば、それはいつも大冒険だ。こんな生活は、「豊か」とは言えないのか?

 いや、それも「豊か」だ。物質的な豊さが満たされても、心の豊かさが無くなってしまえば、人は豊かさを感じる事が出来なくなってしまうだろう。逆に心の豊さがあれば物質的な豊かさが無くても豊かだと感じる事ができる。

 じゃあその、心の豊かさとは何だ?シベリアに抑留されたような生活を送っていてもなお豊かな心でいられるとすれば、それはなぜだ?

 自分のためにというか、自分の自尊心や欲のためだけに生きていると豊かにはなれないのではなかろうか。自分の自尊心や欲を超えた何か別のもののため、特定の個人であったりグループであったり、いずれにしろ自分ではない別の人のために生きることが心の豊かさを生むのではないか。物質的に貧しく生きるための資源がそこにいる全員に分配できない時代、親は子供のために子供は親のために男は女のために女は男のために、自分が我慢をして資源を分け与えた。その時、決して心は貧しくなかったはずだ。スポーツでも仕事でも、自分のためでなくチームのためお客様のために力を尽くしている時、人は豊かに生きているのではないだろうか。

 おまえの言うことがおれには半分もわからない。誰かのために生きなければ心の豊かさは得られないと言うのは言い過ぎだろう。

 そうだな、言い過ぎかもしれない。言っている自分でもよくわからない。「豊かさ」とは何かと聞かれても簡単には答えられないな。

 友人と別れた夜、私も同じようにマイクを突き付けられた夢を見た。だが、インタビュアは何も聞いてくれない。マイクを突き出すだけである。私は「今日も暑いですな」などと言って笑うしかなかった。


monipet
  動物病院の犬猫の見守りをサポート
  病院を離れる夜間でも安心

ASSE/CORPA
  センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
  「できたらいいな」を「できる」に

OSGi対応 ECHONET Lite ミドルウェア
  短納期HEMS開発をサポート!

GuruPlug
  カードサイズ スマートサーバ

株式会社ジェイエスピー
  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
  製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする