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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

大声の欲求

2010-10-29 09:36:01 | 日記
 「大様の耳はロバの耳」と大声で叫びたくなることが無いわけではない。イソップ童話の中で大声で叫んだのは、王様の耳がロバの耳であることを唯一知っていた理髪店のオヤジだった。誰かに言いたくて仕方がないことをぐっとこらえて黙っているとストレスがたまる。理髪店のオヤジは、誰にも言ってはいけないことなので、木の穴か井戸かどちらか忘れてしまったが、どちらかに向かって大声で「王様の耳はロバの耳」と叫んだのだった。なかなか律儀なオヤジである。ところが、木の穴か井戸は、あちこちにつながっていて、しっかり世間に王様の耳がロバの耳であることが伝わってしまった、という話だったように思う。

 この寓話にどのような教訓があったかよくわからないが、人はたまに大きな声を出すとストレス解消になる、という変な答えを私は導き出している。逆に、人はたまに大きな声を出さないとストレスがたまる、という教訓も。大きな声を出して走り回るスポーツやスポーツ観戦などはストレス解消にピッタリだ。スポーツで大声を出していれば、理髪屋のオヤジも井戸だか木の穴だかに向かって人知れず大声で叫ぶこともなかったかもしれない。ずーっと、静かーに暮らしていてはいけないのである。
 カラオケも悪くないが、静かに歌うのではストレス解消にならない気がする。大声を張り上げて歌ってこそストレス解消だ。
 仕事で大声をあげている人、例えば市場で働く人や、舞台俳優などは、働きながら自然にストレス解消できているのではないか、と考えたりするが、そんなことを言ったら関係者の皆様に俺達の仕事はそんな能天気なものではない、と怒られてしまうかもしれない。にしても、声を出して仕事をしている方々は静かーに暮らしている方々に比べ、強いストレス耐性をもっているように思える。

 これまでチャレンジしたことが無い何かを始めようとする時、人はそこに何かの意味を求める。意味も無いことをやりたくない、と考える。意味は、意義と呼んでもいい。自分にとって意義あるチャレンジでなければ、意味が無い。最近の言い方なら、意味がわからない、ということになる。では、チャレンジする前の生活の意味は何だったのだろうか。人生の意味について「わかる」のはかなり難しい。意味がわからなくても、闇雲に新しいチャレンジをすることによって、それまで見えなかった意味が見えてくるかもしれない。しかし、これまでになかったところに道を作るという仕事はとんでもなく骨が折れる仕事だ。進んでいくうちに今まで見えなかった角度から世の中が見えてくるようにもなる。「王様の耳はロバの耳」に気がついてしまうこともままあろう。だが、それでも大声を出してストレス解消しながら、こつこつと進むしかない。あきらめてしまっては、それこそ意味が無い。


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株式会社ジェイエスピー
  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
  製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
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