18歳で上京する時、憧れの都会に行ける嬉しさの半面、ちゃんと標準語なる言葉を話せるかどうか心配だった。18年もの間、九州の最南端で過ごし、そこの方言しか知らずに暮らしてきて、ある日を境に、標準語を喋らないと生活できない状況におかれるのである。それは無理もないことだ。
上京したら、伯父の家に下宿させて貰うよう母が手配してくれていた。37年前の3月末、まだ東京駅の新幹線ホームは寒かった。ホームに降り立つと鎌倉市大船に住む伯父が迎えに来てくれていた。「宜しくお願いします」挨拶したが、変な言葉に聞こえたのではないかと恥ずかしかった。でも案外そうでもなかったようで、安心したことを覚えている。練習をした訳でも、誰かに教わった訳でもないのに、どうして話せたんだろうか。おそらく、テレビやラジオのお蔭である。いやそれ以外にないだろう。
しかし、同級生の中には、なかなか方言のイントネーションが抜けない者がいた。周囲は「気にしていないよ」と言っても、本人の落ち込みは相当なものであった。次第に周囲との会話が減り、とうとう会社を辞めて故郷へ帰って行った友人を知っている。関東に住んで40年近くになる。普段の生活の中で方言を使うことはほとんどない。でもこれが、同窓会を開催し幼馴染の友と会うと自然と方言が出てくるのだ。不思議なものだ。
さて、数年前に帰省した折のことである。実家のテレビで地元のニュースを観ていた。何かのイベントがあって、それに参加した小学生にインタビューするものであった。何と、その子供らは、流暢な標準語で答えていた。感心もしたが、それより、何故方言を喋らんのか、と思いの方が強かった。これも、やはりテレビの影響であろうか。
我々が小学生の頃、全校生徒に「方言を使うのは止めよう。標準語を使おう」と言う生活指導があった。当時は日本経済の高度成長期にあたる。おそらく我々の大部分が、中学高校と進み、いつか都会で出ていく。そして、その時に言葉に困らないようにと言う配慮からそのような指導になったのだろう。今思えば、滑稽ではあるが、当時の状況を考えると大人たちは真剣だったと思う。ところが、そんな指導をしなくても、今の子供たちは、難なく標準語を話すのである。
5年前に上映された「ALWAYS 三丁目の夕日」の中のひとこま。青森から集団就職で上京してきた星野六子が、近所のタバコ屋の大田キンに「よろしく、おねげえします」と挨拶したが、たどたどしく「よろしく、おねがいします」と言い直しのである。それに対し大田キンが、「無理に直すことはねえ。お邦言葉は大事にしな!」と笑顔でうなずくシーンがある。地方に住む子供たちにも、大田キンの言葉を聞かせたい。(平)
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製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
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しかし、同級生の中には、なかなか方言のイントネーションが抜けない者がいた。周囲は「気にしていないよ」と言っても、本人の落ち込みは相当なものであった。次第に周囲との会話が減り、とうとう会社を辞めて故郷へ帰って行った友人を知っている。関東に住んで40年近くになる。普段の生活の中で方言を使うことはほとんどない。でもこれが、同窓会を開催し幼馴染の友と会うと自然と方言が出てくるのだ。不思議なものだ。
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我々が小学生の頃、全校生徒に「方言を使うのは止めよう。標準語を使おう」と言う生活指導があった。当時は日本経済の高度成長期にあたる。おそらく我々の大部分が、中学高校と進み、いつか都会で出ていく。そして、その時に言葉に困らないようにと言う配慮からそのような指導になったのだろう。今思えば、滑稽ではあるが、当時の状況を考えると大人たちは真剣だったと思う。ところが、そんな指導をしなくても、今の子供たちは、難なく標準語を話すのである。
5年前に上映された「ALWAYS 三丁目の夕日」の中のひとこま。青森から集団就職で上京してきた星野六子が、近所のタバコ屋の大田キンに「よろしく、おねげえします」と挨拶したが、たどたどしく「よろしく、おねがいします」と言い直しのである。それに対し大田キンが、「無理に直すことはねえ。お邦言葉は大事にしな!」と笑顔でうなずくシーンがある。地方に住む子供たちにも、大田キンの言葉を聞かせたい。(平)
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