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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

母との別れ

2011-06-09 10:44:24 | 日記
 5月31日に母が永眠しました、享年84歳です。母はここ10年ぐらいは怪我と病とともに歩んだ人生でした。始まりは足首の複雑骨折で、このときはFマリノスのチームドクターをされていたドクターに2度の手術をしていただき、足首が動き歩ける事ができました。その後は腕の骨折、頭部裂傷2度。3年続けての胃潰瘍吐血、最後は素晴らしい救命医により命を救われ。2008年11月には重度の脳梗塞で入院し、ここでも良いドクターに巡り合え奇跡的に回復し2009年1月より施設にての療養生活、7月から自宅に、戻ることが出来、週3回のデイケアサービス、同じく週3回のヘルパーさんによるサービスを受けていました。

 数年後には脳梗塞の再発は覚悟していましたが、今年4月に腰が立たなくなり救急車にて入院、検査の結果膵臓癌の末期で余命3カ月との診断でした入院後すぐに吐血と下血で危篤状態になりますが、なんとか切り抜けました。あと1,2カ月はこのままの状態が続くのかと思っていたところ突然急変し血圧の低下、呼吸も弱くなり静かに息を引き取りました。幸い痛みをあまり感じない質で(ドクターからはそんな質はないといわれましたが)痛みを訴えることはなく、よってモルヒネは処方されませんでした。

 最後の入院前1カ月前からは、認知症的になり呆けてしまいお互いに辛くなってきました、そして最後は子供に帰り呆けて見せ、私の思いを断ち切ってくれ良い別れをさせてもらい、天寿を全うしたと思います。

 母が生まれたのは昭和2年1月です、物心着いた時から日本は暗い時代に突入していて、青春時代は戦時下で良い事はなかったのではと思いますが戦後も秘書のような仕事を続けていて、よくその頃の自慢話を聞かされたものです。それなりの青春時代があったのだと想像しています。

 その後結婚し昭和28年に自宅で私を生み母親になります(家の隣がお産婆さんが開業していました、その隣は下駄屋さんでした)、私を抱いた母は嬉しそうにセピア色の写真に収まっています私が成長し4歳ごろまでは母との写真が多くありますが、以後は従姉妹や近所の子供たち(多くはお姉さん)との写真が増えていき周りとのかかわりも母から近隣の方々との関わりへと、領域を広げていくことになります。昔は、近所のおじさん、おばさんが、親のように近隣で子供たちを育ててくれました。

 父は昭和62年12月に69歳で亡くなっています(心筋梗塞で死に目には会えませんでした)、父との思い出を懐かしく思い出すことが多々ありますが、これから母との事も思い出すことになるのでしょうが、今はまだ実感がありません。(鉄)


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