今日は終戦記念日である。
ただ、8/15は降服勧告であるポツダム宣言を日本の国家元首が受諾したと国民に通知した日であり、実効の降服文書調印は9/2、沖縄を含む南西諸島の日本軍守備軍と米軍の間で降服調印が行われたのは9/7である。実際には8/15で全てが終わっていたわけではないのだが、別に8/15が終戦記念日であることに異論を差し挟むつもりは毛頭ない。歴史はただ一つのマイルストーンで成り立っているのではない、ということだけであり、色々な周辺情報や経緯も知っていていいと思う。
そしてまだ終戦から67年。世紀は移り変わったが100年もたってはいない。8月は戦争に関する特集を組んだ番組が多く放送されるが、それをボンヤリ観ながら過去の出来事にしてしまうにはまだ早いのだな、とも思った。
話としては別レベルなのだが、オリンピックも閉幕を迎え、選手の方々の戦いも終わった。もうすぐ高校野球も終わる。戦いは始まればいつかは終わるものなのだろう。望む結果、望まざる結果、望んだ以上の結果をそれぞれ胸に、終わった時に去来する思いはどんなものであろうか。
つい先週の話であるが、私事ながら参画していたプロジェクトが終了した。円満にリリースやカットオーバーまで行っての終了ではなく、知らされたのはプロジェクトの「中断」。どうも顔も名前もあずかり知らない雲の上の上層部の決定らしい。このような経験は初めてではなく、既に5回目を数えているわけだが、一旦「中断」や「凍結」とされたプロジェクトが再開した記憶は無い。末端ながらも戦い続けてきた人達にとっては文字通り「終戦」を迎えたわけである。
中断なり凍結なり中止なりするプロジェクトはその日に必ず前触れがある。ほぼ例外なく予定されていた会議やレビュー等の中止が告げられ、マネージャクラスの人間が目的を公にされない会議に突然召集されてなかなか帰って来ない。そして大き目の会議室に全員集められる、あるいは各社の営業が召集を受けて終戦を知らされるわけである。個人的に「玉音放送」と名づけている儀式である。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んできたメンバーの間では、ホッと息をつくものもいれば、周辺の契約状況整理やこれからの仕事を探すために慌てるものもいる。反応は十人十色だ。
今回のプロジェクトは既に参画したときに、自チームは信用を失うレベルのビハインドを背負っており、自分でも油断と慢心から失敗をしてしまった。信用を失うのはたやすいが、回復するのは容易ではない。周囲の状況も見えてきて、協力も得られる状況を作り、少ない戦力ながらも全力を注ぐポイントを見定め、さあこれから地道に汚名返上、失地回復というときにちょっとやりきれない気分ではある。
努力や忍耐が必ずしも報われるとは限らないのが世の常だが、なんともまた世知辛い結果となった次第である。ただ今回ほど自分のやっていた事に虚しさを感じた事もなかった。
成功しているプロジェクトの裏にどれだけ失敗をしているプロジェクトがあるのだろう。
成功するためには途方も無い人達の努力と運が必要だ。皆が全力を尽くしての失敗ならばそれもいい。
だがこうもやるせない失敗を経験していると現在のシステム開発プロジェクトのやり方そのものに懐疑的にならざるを得ない。
負けるとどこかで決まっている戦いに自分だけならまだしも仲間の身を投じる事態は、無くせないかも知れないが減らしていきたい。
そのためにすべきことは、できることは何かを皆で考えて実行に移していく事が必要ではなかろうか。
そんなことを取れるはずのなかった突然の盆休みで考えていた。決して暑さで何もやる気が起きなかったからではない・・・としておこう。
(刑事長)
monipet
動物病院の犬猫の見守りをサポート
病院を離れる夜間でも安心
ASSE/CORPA
センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
「できたらいいな」を「できる」に
OSGi対応 ECHONET Lite ミドルウェア
短納期HEMS開発をサポート!
GuruPlug
カードサイズ スマートサーバ
株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
ただ、8/15は降服勧告であるポツダム宣言を日本の国家元首が受諾したと国民に通知した日であり、実効の降服文書調印は9/2、沖縄を含む南西諸島の日本軍守備軍と米軍の間で降服調印が行われたのは9/7である。実際には8/15で全てが終わっていたわけではないのだが、別に8/15が終戦記念日であることに異論を差し挟むつもりは毛頭ない。歴史はただ一つのマイルストーンで成り立っているのではない、ということだけであり、色々な周辺情報や経緯も知っていていいと思う。
そしてまだ終戦から67年。世紀は移り変わったが100年もたってはいない。8月は戦争に関する特集を組んだ番組が多く放送されるが、それをボンヤリ観ながら過去の出来事にしてしまうにはまだ早いのだな、とも思った。
話としては別レベルなのだが、オリンピックも閉幕を迎え、選手の方々の戦いも終わった。もうすぐ高校野球も終わる。戦いは始まればいつかは終わるものなのだろう。望む結果、望まざる結果、望んだ以上の結果をそれぞれ胸に、終わった時に去来する思いはどんなものであろうか。
つい先週の話であるが、私事ながら参画していたプロジェクトが終了した。円満にリリースやカットオーバーまで行っての終了ではなく、知らされたのはプロジェクトの「中断」。どうも顔も名前もあずかり知らない雲の上の上層部の決定らしい。このような経験は初めてではなく、既に5回目を数えているわけだが、一旦「中断」や「凍結」とされたプロジェクトが再開した記憶は無い。末端ながらも戦い続けてきた人達にとっては文字通り「終戦」を迎えたわけである。
中断なり凍結なり中止なりするプロジェクトはその日に必ず前触れがある。ほぼ例外なく予定されていた会議やレビュー等の中止が告げられ、マネージャクラスの人間が目的を公にされない会議に突然召集されてなかなか帰って来ない。そして大き目の会議室に全員集められる、あるいは各社の営業が召集を受けて終戦を知らされるわけである。個人的に「玉音放送」と名づけている儀式である。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んできたメンバーの間では、ホッと息をつくものもいれば、周辺の契約状況整理やこれからの仕事を探すために慌てるものもいる。反応は十人十色だ。
今回のプロジェクトは既に参画したときに、自チームは信用を失うレベルのビハインドを背負っており、自分でも油断と慢心から失敗をしてしまった。信用を失うのはたやすいが、回復するのは容易ではない。周囲の状況も見えてきて、協力も得られる状況を作り、少ない戦力ながらも全力を注ぐポイントを見定め、さあこれから地道に汚名返上、失地回復というときにちょっとやりきれない気分ではある。
努力や忍耐が必ずしも報われるとは限らないのが世の常だが、なんともまた世知辛い結果となった次第である。ただ今回ほど自分のやっていた事に虚しさを感じた事もなかった。
成功しているプロジェクトの裏にどれだけ失敗をしているプロジェクトがあるのだろう。
成功するためには途方も無い人達の努力と運が必要だ。皆が全力を尽くしての失敗ならばそれもいい。
だがこうもやるせない失敗を経験していると現在のシステム開発プロジェクトのやり方そのものに懐疑的にならざるを得ない。
負けるとどこかで決まっている戦いに自分だけならまだしも仲間の身を投じる事態は、無くせないかも知れないが減らしていきたい。
そのためにすべきことは、できることは何かを皆で考えて実行に移していく事が必要ではなかろうか。
そんなことを取れるはずのなかった突然の盆休みで考えていた。決して暑さで何もやる気が起きなかったからではない・・・としておこう。
(刑事長)
monipet
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「できたらいいな」を「できる」に
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株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業