何かを形容する言葉の多くは2つの物を比較した時に意味が明確になる場合が多い。重い、軽い、長い、短い。たいがい比較的どうかという意味合いで使われる言葉だが、口から出る時は2つの物を比較して言うことのほうが少ない。自分の中にある何かの感覚が一気にそう言わせる。言葉として発せられた後で意味がついて来る。
亡くなった人の葬儀に出ると、そのかたの一生を知りもしないで人生の短さを嘆いたり長生きされましたねなどと安易に思うことがある。人生の長短はいったい何を尺度に考えればいいのだろう。他人にわかるはずもない、その人なりの思いが心の中で渦巻いている。その思いがある日突然途切れる。自分自身にとっては、長いも短いもないに違いない。自分の一生に対する感想を思い浮かべる時間が既に無いのだから。しかし、周囲に残っている人たちにとってはそうは行かない。誰かの人生は知らないところで誰か別の人に影響を与えてしまう。
人生の成果と寿命とは必ずしも比例しないと私は思う。そう思いながらその一方で長生きした人こそ多くの成果を残し多くの果実を手に入れた人である、とも考えてしまう。絶えず「今」この瞬間を大事にした生き方をしている人であれば、どの瞬間も等しく生き抜いた瞬間であり、いつ終わりが来てもそこまでの成果は誰にも真似ができない素晴らしいものだろう。ところがそういう人こそ常に次の高みを目指して日々の「今」を大切にしているはずで、長く生きれば長く生きただけより工夫された多くの結果を残してくれているはずだと思ってしまう。
人の誕生も死も時を選ばない。年始に向けて明るいことを考えたい時期に暗い話題ですみませんと謝って電話をしてきた社員の父が大晦日に息を引き取った。クリスマスが終わり神社で神主さんに祝詞を読んでもらった翌日にお寺の住職がお経を唱える葬儀に立ち会うことになった。それぞれの宗教が教える深い意味も知らずにいつの間にかそれぞれの宗教の形に合わせて振る舞っているが、その向こうには共通して誰かの幸せを願う思いが込められている。
終わりは単に終わりではなく、新しい何かの始まりだ。確かに暗い話題かも知れないがご家族が早く明るい話題で溢れてくれることを願っている。葬儀に参列した人も事情があって参列できなかった人も同じ思いだろう。日本人は昔から誰かの幸福を願う儀式であれば宗教宗派に関係なく大切に思って来たのかもしれない。
自分はどう生きるのか、生きている者にとって永遠のテーマだ。自分のことはわからなくても人の事ならよくわかるという場合もある。身近な誰かの生き方を参考に、自分の一生を周囲の誰かに長いと感じさせて終わるのか、短かったと感じさせて終わるのか、そのために自分の「今」をどう使うのか、考えてみたい。(三)
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株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
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人生の成果と寿命とは必ずしも比例しないと私は思う。そう思いながらその一方で長生きした人こそ多くの成果を残し多くの果実を手に入れた人である、とも考えてしまう。絶えず「今」この瞬間を大事にした生き方をしている人であれば、どの瞬間も等しく生き抜いた瞬間であり、いつ終わりが来てもそこまでの成果は誰にも真似ができない素晴らしいものだろう。ところがそういう人こそ常に次の高みを目指して日々の「今」を大切にしているはずで、長く生きれば長く生きただけより工夫された多くの結果を残してくれているはずだと思ってしまう。
人の誕生も死も時を選ばない。年始に向けて明るいことを考えたい時期に暗い話題ですみませんと謝って電話をしてきた社員の父が大晦日に息を引き取った。クリスマスが終わり神社で神主さんに祝詞を読んでもらった翌日にお寺の住職がお経を唱える葬儀に立ち会うことになった。それぞれの宗教が教える深い意味も知らずにいつの間にかそれぞれの宗教の形に合わせて振る舞っているが、その向こうには共通して誰かの幸せを願う思いが込められている。
終わりは単に終わりではなく、新しい何かの始まりだ。確かに暗い話題かも知れないがご家族が早く明るい話題で溢れてくれることを願っている。葬儀に参列した人も事情があって参列できなかった人も同じ思いだろう。日本人は昔から誰かの幸福を願う儀式であれば宗教宗派に関係なく大切に思って来たのかもしれない。
自分はどう生きるのか、生きている者にとって永遠のテーマだ。自分のことはわからなくても人の事ならよくわかるという場合もある。身近な誰かの生き方を参考に、自分の一生を周囲の誰かに長いと感じさせて終わるのか、短かったと感じさせて終わるのか、そのために自分の「今」をどう使うのか、考えてみたい。(三)
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