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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

車輪の行方

2011-02-16 08:42:33 | 日記
 時間が経つのは早い。ついこの間、2011年が始まったばかりと思っていたが、もう2月も終わってしまいそうだ。鳥インフルエンザだ、火山だ、エジプトだ、と言っているうちに、もうわが社の新年度、つまり4月以降の計画をこまごまと決めていかなければならない時期になってしまった。経済の流れを読むのは難しいことだが、これから1年後の2012年4月に入社してもらう新卒者を何人採用するか、と言うような事も最終決定して行く。実はもう既にいろいろなところで来年春卒業見込みの学生さんが動いているようだが、わが社はのんびりしている。今はまだ、この4月入社の若者達をどのように教育して行くか計画を練っているところだ。
 
 会社も人も春を迎えようとする頃、微妙に変化していく。わが社も新しい芽を出したいと考えている。ただ、どうも方向性は定まらない。あれやこれや、やりたいことがいっぱいありすぎて、手に負えない。担当者が足りない。1人の担当者が重複して担当することになる。これではなかなか良いモノが生まれない、とは思う。しかし、今は選択し集中するための情報が足りない。いろいろなところにアメーバのようにグネグネ食指を伸ばしてみて、こりゃダメだ、とわかったらさっと手を引く、つもりだ。

 日本の状況と世界の状況は大きく異なる。日本国内の空気に敏感に対応して、末法の世の僧侶のように薀蓄をたれながらひたすら極楽浄土を目指して心の安定を求めるか、弱肉強食、強いものがこの発展する世界を牛耳るのだと信じてあくなき競争の中に身を躍らすか。グローバルな会社はほぼ間違いなく、後者を選ぶ。わが社はどちらを選ぶのか。会社をリードしている人の好き嫌いは、会社の先行きにかなり大きな差異を生む。ほんの少し角度がずれていても、距離が離れればかなり大きな進路の違いとなる。わが社はまず国内に目を向けつつ、緩まぬよう身を律しながら飛躍する機会があれば世界へも向かっていく覚悟で動いていくことになるだろう。

 おそらく中小企業のありようとしては、どこも皆似たり寄ったりではなかろうか。おそらく各企業で、経営層は幹部社員に対し語学の学習を今まで以上に奨励することになるに違いない。ある企業は英語を、ある企業は中国語を学習する圧力が高まる。当然家業の専門性も今まで以上に高度にして行く必要があろう。これから数年は、新しい学習スタイルを開発したり啓蒙したりするビジネスが需要の高まりに応じて盛んになることだろう。結局、学生時代に自分自身のコントロール法を身に付けて来た若者が結果を出す可能性が高いと思うのだが、それは企業の採用担当者だけの秘密だ。

 いつのことになるかまだわからないが、わが社は遠からず大きく化ける。少しずつだが、車輪は確実に回り始めた。勢いは確実に増している。どんな風にこの車輪が転がっていくのか、楽しみでならない。だから時間が早いのも悪くない。


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雪山下山

2011-02-15 08:56:51 | 日記
 いやもう、こんな日は会社に来るだけで一仕事だ。やぁよく来た、よく来た。誰もわかってくれないだろうから自分で誉めるしかない。急坂の山頂に家がある。雪など無くても自然に加速して転倒する人が後を絶たない急峻さだ。ここを訪れる人の多くは、「この急傾斜は普通階段にする」と断言する。そこにこの雪だ。臆病な私は、結局このルートで出社することを諦め、尾根伝いに新雪を掻き分けて進み、遙か彼方にポツンと存在する25番系統のバス停を目指した。バス道路はゆるやかなだらだら坂で、チェーンさえつけていれば山を下りられる。それでも坂の途中には雪で進退窮まって乗り捨てられた乗用車が何台も残っていて、その間を大回転さながらに下りていかなければならない。そんなわけで普通なら最寄駅まで10分もかからないが、今朝は40分近くかかった。実はそんなこともあろうかといつもの1時間前に家を出たのである。

 昨夜というか今朝、寝る前に今日のブログのために、と書いておいた話が、まったく、この大雪奮闘記にそぐわない。われながら情けない限りだ。しかし、もったいないから、載せてしまおう。なんせ昨夜は深夜零時過ぎに雪の中を帰り着き、なぜかあれやこれやでほとんど寝ないで書いたものだ。もったいない。エコの香りがするブログである。さて


 「ダンボ」という動物をご存知だろうか。ディズニーのキャラクターで、耳が異様に大きい象の変異種である。巨体なのに耳を使って空を飛べる。かなり昔、アニメ映画になった。かなり昔と言ったが、日本が真珠湾を攻撃したのは1941年の12月8日のことであるが、その直前、東条英機が東条内閣を組閣した頃、アメリカで公開された映画である。ゼロ戦が真珠湾の上をびゅんびゅん飛び回っている頃、ハワイの映画館では、ダンボが、親友ねずみのティモシーに励まされて空を飛んでいたかもしれない(攻撃は早朝行われたので、オールナイトでダンボを放映していた映画館があれば、と言う話だが)。日本では、戦後数年経ってようやくオリンピックを目指して頑張ろうと意気盛んになった頃に公開された。

 「耳がダンボのようになる」と言う表現をいつ頃から誰が使い始めたか知らないが、昔なら「聞き耳をたてる」という言い方をしていただろう場面で、「耳がダンボ」と言ったりする。私には、わかりやすい言葉だが、ダンボを知らない人には何のことかさっぱりわからないだろう。まさかとは思うが昔から言い古された言葉だと思って使っている人もいるかもしれない。

 喫茶店や電車で特に何もすることが無いと言う時、近くで若者同士が話をしていたりするといきなり耳が「ダンボ」になる。何を話題にしているのか気になって仕方がない。特に家族のことを話題にしているとダンボ化の反応が早いようだ。中でも、父親について話題にしていたりすると大人になった「ダンボ」ぐらいの耳で聞いてしまう。世間の父親が如何に扱われているか、特に話者が若い娘さんだったりすると、どんな風に語られているか聞かずにおれない。

 ところが、話者がある程度高齢のご婦人、世間一般にはおばちゃんと呼ばれる類いのレディ方の会話には不思議と反応しない。逆に、「あれ、中国語かな?」などと心の中で思ってしまうほどヒアリング能力が大きく減衰する。まったく自分勝手な耳だ。

 最近電車の中で隣に座った両人ともある程度シニアな母娘が会話しているのを聞くともなしに聞いてしまったが、ああ、聞かなければよかったと、聞いてから思うのである。

「あの人はあたしに任せっぱなしで、あんたたちを育ててきたから、距離がわからないのよ」
「でもいい所は見せたいわけでしょ」
「いい所見せてるつもりであれじゃね」

 10分ほど居たたまれない気持ちで聞いてしまった。お父さんはなかなか理解されない生き物だ。その最も悲しい生態を垣間見てしまうのがシニアなご婦人方の会話でやり玉に上がっている最中だ。耳をダンボにするとは言うが、その逆は何と言うのが今の言い回しなのだろうか。耳をパタンと前方に閉じる絵を見ることはあるが、絵のとおり、耳を閉じたくなった、と言う表現がピッタリではある。

 ダンボは欠点だと思っていた大きな耳を、空飛ぶ羽として利用するアイデアで利点に変えて自信を持った。欠点だと思っていたものが見方を変えると長所である場合は多い。お父さんにも埋蔵された長所がたっぷりあるはずだ。だが、見方を変えるためには柔軟な発想力が必要だ。


 と、こんなことを雪に埋もれる山頂で夜だか朝だかわからない時間に書いて、いざ、と出社してきたのであった。


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伝えたい思い

2011-02-14 11:00:13 | 日記
 3連休が終わってみれば、また、冬真っ盛りだ。この3連休の最初の2日間、関東も雪にやられた荒れ模様の中、けな気なわが社の社員が半分ほど集まり、1台のサロンバスに乗り込んで厳冬サバイバルバスツアーに行ってきた。極限の環境に置かれた時、人はどんな行動を取るのか、見ものだったが、実際にはそれほど大した試練にも会わず、温泉に入る時間が極めて少ない温泉旅行という程度の、短い時間でたくさんの国々の観光地を回らなければならないヨーロッパの観光ツアーなどと比べれば、断然のんびりムードの社員旅行になった。
 とは言え、わが社のようにあちこちの職場に散り散りに出かけて働いている社員がいきなり集まってきて30時間以上も顔をつき合わせることになる。極限状態では無いが、ちらちらと本音も見えてくる。中には、この時を逃せば本音を聞いてもらえる機会が無い、とばかりにじっとその時機をねらって誰かに話しかけていた人もいたかもしれない。ねらっていたのにタイミングをはずしてしまった、と言う人もいただろう。世の中、シミュレーションの通りにはなかなかいかないものだ。
 
 シミュレーションの通りに行かない話といえば、今日はバレンタインデーだ。友達にチョコレート、と言うだけでなく意中の人に、と考えてシミュレーションした人もいただろう。狙い通りにいってくれるといい。わが社では、朝礼の終わりに社員の女の子が「えー、世間はバレンタインということで、私たちからも、用意してきましたので・・・」とタイミングを逃さず、アンニュイに連絡していた。うれしい話だ。

 誰かが誰かに対して思いのたけを発信していく。それが本当に搾り出すような思いだった時、その思いを聞いた人は、とても無視できない。強い気持ちは伝染する。思いを伝染させる技術が高度になっているので今ではかなり早く広く伝染する。ただ、遠すぎると本当の思いまではなかなか伝わらないようだ。エジプトが大きく動いたのは、若者達が何かを感じたからだ。裏も表も無く、ただ一途に動いた結果、長い独裁を終わらせるだけの力を得た。その大きなうねりも、元はほんの何人かの、いやもしかするとたった一人の熱い思いが、きっかけだったかもしれない。残念なことに社員旅行に行っていたから、というわけでなく、遠い日本までは、その熱い思いはまだ伝わって来ていない。おそらく、じわじわとゆっくり伝わってくるのだろう。チュニジアで動き出した新しい力は中国やアメリカや、そして日本にも影響を与えずにはおかないだろう。

 ただし、日本のようにある程度できあがってしまった国の中では、熱い気持ちに熱せられて焦ってしまうのは良いことではないように思える。焦ってしまった時は、自分がなぜそこにいるのか、自分自身の初心を思い返してみるべきだろう。かつて自分が行った決断を信じてみる。ま、そんな余裕があれば焦ったりしないわけだが。


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「自力他力の境界」を振り返る

2011-02-10 12:14:07 | 日記
 「自力と他力の境界」と題して、以下のようなことを書いてブログに投稿しないままでいた。何だか自分勝手な物言いだなぁと書き手の私が感じていたからだ。
 そんな折り、近所のお年寄りために雪下ろしをしていて亡くなった46歳のお父さんの話を新聞で読んで、やはり簡単なことは言えない、と改めて思った。今日は少し長い。まず、投稿しないままでいたものを読んでもらおう。

【自力と他力の境界】 
 新燃岳の噴火で町に火山灰が積もったことで、目の見えない人が安心して外を歩けない状態になっているという。自動車の走る道路は火山灰の除去が行われているが、歩道は火山灰が積もりっぱなしになっており、点字ブロックを足の底で感じたり杖で感じたりすることができない状況だという。あまりに深く積もっているため、盲導犬も自由に歩けないらしい。当然、体の弱った老人や病後の方々にとっても、また、小さなお子さんをベビーカーで連れて歩いているお母さんなどにとっても状況は似たり寄ったりだろう。社会は時間をかけて様々なサービスを積み上げている。健康だとわからないことも多い。
 しかし、いつもと違う事態がいきなり襲ってくると、ようやく積み上げてきたものは、ガラガラと崩れ去ってしまう。だがよく考えれば、積み上げているサービスは障害を持った方々が普通の健康である人たちの手を借りずに、自分勝手に自由に生きていける手助けになるサービスに過ぎない。点字ブロックを触る感触がわからないなら、見える人が案内すればいい。盲導犬やベビーカーが通りづらいなら車道を走る車が道を譲ればいい。助け合わなければ生きていけないなら、助け合えばいいのだ。

 そんな勝手なことを言うな、と言われそうだ。多くの人は、そんな簡単な話ではない、と言うだろう。いろいろな理由があって、弱者は不便を強いられる。だがだからと言って、弱者が、助けてほしいと言ってはいけない、などと誰も言っていないのだ。健常者も、健康だが障害を持って生きている人も、若い人もお年寄りも、困った時、助けてほしい時は、「助けて欲しい」と言えばいいのだ。助けなどいらないという顔で、自分一人で何とかしようなどと思わぬほうがいい。

 人に助けを求めるか求めないか、その境界線はいったいどこにあるのだろうか。助けを求めなかったばっかりに、または、助けを求めるのが遅くなってしまったばっかりに、命を危険にさらすこともあるだろう。私たちは常日頃から、もっともっと人に助けを求める練習を積んだほうが良いように思う。中には、あまりに依存心が強すぎて自立できていないように見えてしまう人もいるだろう。しかし、そんな人も案外、肝心の時には助けが求められなかったりするかもしれない。

 助けを求めることが、すなわちプライドを捨てることではない。私たちはどうもそこが弱い。人に助けを求めることが自分のプライドを捨てることのように感じてしまう。自分の身に起こった事件を自分で解決できず人を頼ってしまうことが恥ずかしい。だが人に起きた事件については、そんな風に思わず観察している。なんで頼ってくれないのか、そんな風に感じることもある。困ったときは助けてくれと言わないほうが恥ずかしいことだ、という教育をしてもいい。助けてほしいと言って来た人がいる時、多くの日本人はいつでも助ける準備ができているような気がする。いい連中がウジャウジャいる。いい国だ。だが困っているようだと気づいても、頑張っていて助けを求めない人がいると、助けるに助けられない。それでも助けてしまう人はほとんどいない。

 火山灰で点字ブロックが触れない、と困った人は、おそらく誰かに助けを求めたのだ。助けを求められた誰かは、また誰かに助けを求めた。その誰かは自治体に掛け合ったかもしれないし、また誰かに助けを求めたかもしれない。そして、いつしかその連鎖の声がマスコミに届き、ニュースになって私の知るところとなり、ブログにまで書かれているのだ。困っている誰もが助けを求めなかったら、今もその事実を知る人はおらず、困った状況は何も変わって行くことが無いだろう。


 と、いうようなことを書いて、ほったらかしにしておいたのだ。そうしたら、近所の90歳のおばあちゃんの家の雪下ろし中に屋根から転落して亡くなった方の記事を読んで、書き直そう、という思いに至った。
 彼は無口で目立つことが嫌いな男だった。朝2時に起き出して近所一帯の雪かきや雪下ろしのボランティアを買って出る。経営しているよろず屋の商品を買い物が不便なお年寄りの世帯に配達して回る。彼こそが地元の生活の支えだった。頑張って頑張って頑張り通してやって来たに違いない。二人の息子がおり、自慢の父だったという。そんな風に頑張ってきた人に『「助けて欲しい」と言えばいいのだ。助けなどいらないという顔で、自分一人で何とかしようなどと思わぬほうがいい』などと何ともひどいことを言える訳がない。
 だが、やはり助けは必要だったのだろう。人助けをしたがために命を落としてしまった人の話を聞くと、胸が苦しい。もっともっと助け合いの輪が広がらないと助けられる人も助けられない。


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威風堂々

2011-02-09 08:42:44 | 日記
 座右の銘を持っている人は今時どれぐらいいるだろうか。言葉の力に助けられ支えられて来た人は多かろう。だが、それが座右の銘かと言われるとちょっと違う。それにしても、常に心に刻んで、生き方の指標にしている言葉を持っている人は強いような気がする。
 座右の銘にしたい四字熟語は何かを問うアンケートを実施した結果を紹介する記事が新聞に載っていた。一位は二位の倍近い票を得た「一期一会」だった。八位が「不言実行」「家内安全」。

 歌人の俵万智さんが解説してくれていたが、「一期一会を選ぶのは日本人の受け身体質を見る」ようだという。「出会いを求めて自ら積極的に動くより、日々の偶然の出会いから、必然だと思える関係を築くのを好むのは日本独特ではないか」と。同感だ。

 アメリカ出身で東大の日本文学の教授をしているロバート・キャンベルさんに、アメリカ人ならどんな言葉が上位に来るか予想してもらったら、最上位は「威風堂々」「不撓不屈」「気宇壮大」あたりか「天衣無縫」「当意即妙」「明快闊逹」などが有力だろうという。「大きな地平の中で、自由に、強く、ユーモアを持って生きていく」のがアメリカ人の理想の姿だそうだ。また「不言実行の上位はありえない」とも。なるほどなるほど、と感じ入った次第だ。

 心に刻んでおきたい言葉を観察するだけでも国民性がわかってくるものだなぁと妙に面白かったので、ここでまた蒸し返しているわけだが、私たちの世代はアメリカ文化をストレートに受け入れて疑問を持たなかった戦後数年後から、経済成長を遂げて国民が自負心を持つようになってアメリカ文化一辺倒に真っ向から疑問を持っていると発言できる空気が広がるまでのほんの何年間かの期間にピンポイントで幼少時代を過ごした世代だ。三つ子の魂、百までと言われるとおり、アメリカ人が好きな発想を好む傾向にある。そのためかロバート・キャンベルさんが予想した言葉が好きでならない。国民性も世代によってかなり異なっていると思う。

 それにしても、いまだに「不言実行」が上位に来るというのは驚きだ。言葉数ばかり多く何もしない政治家や上司先輩などを見続けて来たことに対する反動だろうか。何も語らず、いきなりゆきずりの人に切りつけたり、いきなり電車に飛び込んだり、孤独に衰弱死したり、確かに日本では「不言実行」する人は多い。しかし、アイデアや助け合いの気持ちは不言実行の中からは育たない。「威風堂々」「不言実行」この2つを並べてみると、「不言実行」という言葉が何と頑なな小さな言葉であるかと思えてくる。広く世界に目を向けて、多くの人とコミュニケーションを取って行かなければならないこの時代に、決して悪いことではないが「不言実行」を座右の銘として選ぶ人が多い傾向は時代の要請と逆行するように思えてならない。これだけお笑いが流行しているのに座右の銘上位には「軽妙洒脱」は含まれていなかった。こんな言葉を座右の銘にする人が増えれば日本も変わってくると思うが、はたしてどうだろうか。


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