毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「絶望の国の幸福な若者たち」
古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」(講談社)を読んだ。この本のことは何かの週刊誌の書評欄で見かけ、ちょうどその頃、財政危機に陥っているギリシアの人々の多くが幸福感を味わっていることに、なんとも言えない虚無感を感じていたため、ひょっとしたらギリシア人の脳天気さを理解するヒントがあるのかもしれない、と本書を読んでみる気になった。
作者は26歳の社会学者だそうだが、私の娘とほぼ同世代、そんな若者がどれだけ客観的に日本の若者の現状を分析しているのか興味があった。まあ、血気にはやった小難しい理屈を述べているだろうなと予想はできたが、そんなことも「生温かい」(作者が本書の中でよく使う表現)目で見ながら、最後まで読み通してみようと頑張ってみた。
こうした論考はだいだい新書の形で刊行されることが多いが、出版社が話題性があると判断したのだろう、単行本で刊行されている。ただ、その内容が単行本に見合うのか、と問われれば、些かの疑義は浮かぶ。ていうか(これも多用される接続詞)、様々な統計を駆使し、調査結果から現状を解き明かそうという研究の形式上、多くのページは飛ばし読みしたところで、大きな影響はないから、少しでも軽い新書の方が手に持つには楽だろうに・・、と何度か思った。結局こうした論考は、結論を導くための準備に心を砕き、実のところほんの数行で言いたいことは終わってしまうのを、どれだけ粉飾できるかに作者の力量が問われるのであって、さほど目新しくもない結論でも、力のある作者の手にかかれば、世の碩学さえをも唸らせることも可能であろう。そういう観点から言えば、この本の作者はなかなかの俊英であると言ってもいいだろう。
「経済成長の恩恵を受けられた世代を「自分とは違う」と見なし、勝手に自分たちで身の丈にあった幸せを見つけ、仲間たちと村々している。何かを勝ち得て自分を着飾るような時代と見切りをつけて、小さなコミュニティ内のささやかな相互承認とともに生きていく。
それは時代に適合した賢明な生き方でもある」(P.257)
作者が300ページ近くかけて読者に伝えたかったことを要約すれば、こんな感じだろう。(「村々している」というのは、「まるでムラに住む人のように、「仲間」がいる「小さな世界」で日常を送る」ことらしい。が、さらに加えて、「何かをしたい」という「ムラムラ」する気持ちを抱えながら、実際には変わらないメンバーと同じような話を繰り返して「村々」している若者たちを「ムラムラする若者たち」」とも呼んでいる)この要約と題名の「絶望の国の幸福な若者たち」とを照らし合わせれば大筋の内容は分かってしまうが、それだけ自明なことが書いてあるだろうと薄々分かってしまっても、最後まで読ませてしまうのは、作者の文章力に拠るところが大きいように思う。
「高校生の時にたまたま詩のコンクールで賞をもらったこと。その賞をアピールして慶應SFCにAO入試で入れてもらったこと」
と「あとがき」でさりげなく自慢しているのも微笑ましいが、表現力に秀でているのは、さほど面白くもない論文300ページを一気に読ませてしまうことでも、じゅうぶん分かる。ところどころ、あえて若者風の表現を使って、文章のバランスをくずしているのは「残念」(これもまた多用されている)だが・・。
しかし、なんにしても26歳でこれだけの書を物することができるのだから、立派なものである。
ただし、日本よりずっと「絶望的な国」であるギリシアの人々が幸せな理由は、本書を読んだ後でもよく分からないままだ。
作者は26歳の社会学者だそうだが、私の娘とほぼ同世代、そんな若者がどれだけ客観的に日本の若者の現状を分析しているのか興味があった。まあ、血気にはやった小難しい理屈を述べているだろうなと予想はできたが、そんなことも「生温かい」(作者が本書の中でよく使う表現)目で見ながら、最後まで読み通してみようと頑張ってみた。
こうした論考はだいだい新書の形で刊行されることが多いが、出版社が話題性があると判断したのだろう、単行本で刊行されている。ただ、その内容が単行本に見合うのか、と問われれば、些かの疑義は浮かぶ。ていうか(これも多用される接続詞)、様々な統計を駆使し、調査結果から現状を解き明かそうという研究の形式上、多くのページは飛ばし読みしたところで、大きな影響はないから、少しでも軽い新書の方が手に持つには楽だろうに・・、と何度か思った。結局こうした論考は、結論を導くための準備に心を砕き、実のところほんの数行で言いたいことは終わってしまうのを、どれだけ粉飾できるかに作者の力量が問われるのであって、さほど目新しくもない結論でも、力のある作者の手にかかれば、世の碩学さえをも唸らせることも可能であろう。そういう観点から言えば、この本の作者はなかなかの俊英であると言ってもいいだろう。
「経済成長の恩恵を受けられた世代を「自分とは違う」と見なし、勝手に自分たちで身の丈にあった幸せを見つけ、仲間たちと村々している。何かを勝ち得て自分を着飾るような時代と見切りをつけて、小さなコミュニティ内のささやかな相互承認とともに生きていく。
それは時代に適合した賢明な生き方でもある」(P.257)
作者が300ページ近くかけて読者に伝えたかったことを要約すれば、こんな感じだろう。(「村々している」というのは、「まるでムラに住む人のように、「仲間」がいる「小さな世界」で日常を送る」ことらしい。が、さらに加えて、「何かをしたい」という「ムラムラ」する気持ちを抱えながら、実際には変わらないメンバーと同じような話を繰り返して「村々」している若者たちを「ムラムラする若者たち」」とも呼んでいる)この要約と題名の「絶望の国の幸福な若者たち」とを照らし合わせれば大筋の内容は分かってしまうが、それだけ自明なことが書いてあるだろうと薄々分かってしまっても、最後まで読ませてしまうのは、作者の文章力に拠るところが大きいように思う。
「高校生の時にたまたま詩のコンクールで賞をもらったこと。その賞をアピールして慶應SFCにAO入試で入れてもらったこと」
と「あとがき」でさりげなく自慢しているのも微笑ましいが、表現力に秀でているのは、さほど面白くもない論文300ページを一気に読ませてしまうことでも、じゅうぶん分かる。ところどころ、あえて若者風の表現を使って、文章のバランスをくずしているのは「残念」(これもまた多用されている)だが・・。
しかし、なんにしても26歳でこれだけの書を物することができるのだから、立派なものである。
ただし、日本よりずっと「絶望的な国」であるギリシアの人々が幸せな理由は、本書を読んだ後でもよく分からないままだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )