じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

吉村昭「破船」

2021-07-03 16:02:01 | Weblog
★ 買い物帰り、「京都大作戦」のTシャツを着た数人に出会った。私の家からほんの数分、京都府立運動公園「太陽が丘」では、2年ぶりに「京都大作戦」という音楽フェスが開催されている。昨年はコロナ禍で中止(数年前は台風で中止)。今年は感染の下火を受けてギリギリの開催となった。

★ さて、今日は吉村昭さんの「破船」(新潮文庫)を読み終えた。極貧の漁村。沿岸での漁とわずかな製塩を生業としていた。しかしそれでも生計が立たず、多くの村人は年季奉公に出て、家族を養っていた。

★ そんな村にも時として幸運は訪れる。荒波で座礁した船から積み荷や乗組員の持ち物を奪えるのだ。村人はこうした幸いを「お船様」と読んで歓迎した。

★ しかし、ある年の冬、思いがけない悲劇が村を襲う。流行り病に冒された死者を乗せた船が漂着する。それとは知らず、いつもながらに、「戦利品」を山分けした村人。数日後、多くの人が、発熱、頭痛、そしてぶつぶつした発疹を発症する。村の長老によると「もがさ(痘瘡・天然痘)」だという。

★ 病禍に襲われた村のその後は・・・。


☆ 梅干しが頭痛を緩和したり、乾燥した紫蘇が風邪薬になるというのは初めて知った。ウイルスなどといったものを知らなかった時代、こうした療法がささやかな薬だったのだろう。

☆ 感染しても3人のうち1人が死に、1人が感染しても死に至らず回復し、1人が感染(あるいは発病)しないというのは、面白い傾向だと思った。宿主が全滅すればウイルスも滅ぶ。ウイルスなりの算段があるのかも知れない。

☆ 物語では、発病から回復した人を「山追い(山に隔離し、体よく餓死させる)」するが、今の科学からすれば回復した人こそ抗体を持つ人なのにと思った。

☆ ウイルスを知らず、ワクチンがない時代、仏壇に灯明を灯し、神仏に祈ることだけが、人のできることだったんだなぁ。そう思いながら、現代の我々は彼らを笑えるだろうか。コロナ禍に右往左往する姿は彼らとさほど変わらないような気がした。
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